デパート@osaka

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国立国際美術館「塩田千春 精神の呼吸」を見る。万博公園から移転以来、ここを訪れるのは2度目だが、やはり国立美術館にしては残念な建築だ。設計者であるシーザー・ペリのwebを見ればわかるように、設計者の興味は地上のオブジェに集中しているようだ。確かに美術館本体はすべて地下であり、非常にわかりにくい場所であるから、ランドマークとしての機能は十二分に果たしているであろう。しかし、このようなデザインである必要があったのか? また、もしこのデザインがよいとして、このような無骨な形で実現すべきであったのか? そこが気になるところだ。模型を見ると、部材の大きさ、デザインともに悪くないようにも思えるのだが、現実の大きさに変換するときの操作があまりにも杜撰に思える。
美術館内部は、エレベータで地下に降りてゆく有様が、空港やデパートなどの商業施設を思い起こさせた。しかし、今回は少し違った感想を持った。地下1階から地下2階へと塩田の展示会場へと降りてゆくとき、館内案内にある「展示室4」が目に入ってくる。ここは吹き抜けとエレベータがゴチャゴチャと混在するホワイトキューブからはほど遠い展示空間であるが、ここに塩田の『DNAからの対話』と題された靴と赤い毛糸の作品が展示されている。その姿がエレベータに乗っている観客の目に真っ先に入ってくるのだが、ここに作品が展示空間をものともしないような強さを持って置かれている。むしろ、さまざまな角度から見ることができるし、地上から自然光が降り注いでいるし、ここが理想的な展示室に思えてくる。続く「展示室5」に置かれている『眠りの間に』も、大きな開口部越しに中が窺える。だからよい展示空間であるというわけではないが、この展示空間を十二分に用いた迫力あるインスタレーションであった。地下3階では「モディリアーニ展」をやっていたが、こちらは東京で見ているのでパスしたが、地下に降りるためには嫌でも目にする塩田の展示は、モディリアーニを見に来た人たちにもアピールしたことだろう。その意味では、エレベータに面する部分を単なるホールとせずに展示室として扱っているところが、この美術館の最大のポイントである。一方で、この空間を魅力的に使うためには、作品の大きさであったり、展示方法であったり、キュレータの力が重要になる。
一方で塩田千春の展示自体は、確かに迫力もあるし、完成度も高い。一方で、アブラモヴィッチに師事していたり、ドイツに拠点を定めていることから、その師匠や、キーファー、ホーン、他にもボルタンスキーなんかを思い浮かべると、なんとなくシリアスさが感じられない。それが現代的な作家である所以なのかもしれないが、一方で「コレクション2」と題して石井都、宮本隆司の写真作品を展示してあり、こちらのシリアスさと余計に比べてしまう。中原佑介が台風を使って塩田を評していたけれど、ちゃんと読んでおけばよかった。何れにしても、このような作品をまとめる力量に今後も期待させられる。展示の様子は、を参照のこと。

美術 | Posted by satohshinya at August 23, 2008 22:48 | TrackBack (1)

元小学校@kyoto

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行ってみようと思っていたのだけれど、これまで1度もその機会がなかったが、ようやく京都芸術センターを訪れることができた。運営の詳しい話を聞かなければわからないが、予想以上に理想的な環境がつくられているように見えた。何よりも元々の小学校が魅力的である。ほとんど内装に手を加えていないようだが、内部にスロープもあったり、余計なリノベーションをせずとも十分だったろう。唯一、エレベータだけが外付けされているが、2階ではそれを繋ぐ廊下が校庭へ向かったテラスとしてうまく機能している。北側のギャラリーが外部からアプローチするところも頼もしい。詳しくはこちらを参照してほしい。この中学校も、このくらいの魅力ある場所として再生することを期待したい。
ようやく訪れるきっかけを与えてくれたのは、Nibroll矢内原美邦たちによるoff nibrollによる作品。2階の講堂を用いて、『"the only way out of the function" 青春』という映像を用いたインスタレーション作品を展示していた。講堂を暗くして、プロジェクタだったり、モニタだったり、さまざまな形式による映像作品がポツポツと並び、それぞれが独立した作品でもあるようだし、全体で1つの作品となっているようにも思える。そして、真ん中の机に詩が置いてある。これってどこかで読んだことがある。この間の『五人姉妹』のパンフレットだったかな? 最も気に入ったのは、スライドプロジェクタを用いた6枚組(だったと思う)の矢内原本人らしい写真を組み合わせたもの。他の映像作品の方がよっぽど凝っているのはわかるけれども、この静止した写真が最も存在感があった。学校であった場所を用いていることともシンクロしていたのかもしれない。スライドの醸し出す情緒が、記憶を表すのに適しているからかな? 一方で、やはりこういった映像作品が必要とする展示空間の暗さが気になった。もっと展示空間を有効に使う、闇を前提にしない作品も見てみたい。

美術 | Posted by satohshinya at August 21, 2008 22:23 | TrackBack (0)

どこでも美術@kyoto

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もう誰も読んでいないんだろうな、と思いつつ、久しぶりにアップしてみる。
アサヒビール大山崎山荘美術館で開催中の「アートでかけ橋」を見る。小沢剛、セリーヌ・オウ、パラモデルの3組が、美術館内だけでなく、大山崎町内の神社や集会所でも展示を行うという、今や一般的になりつつあるスタイル。しかし、作品、展示場所ともにおもしろく、久しぶりに展示場所を探して町をさまよう楽しみを味わえた。離宮八幡宮という由緒ある神社での小沢の巨大な写真、集会所を埋め尽くすパラモデルのインスタレーションなど、どれも見応えのある展示だった。区民会館で行われたオウの展示は、単なる蛍光灯の部屋に白い壁がつくられ、そこに整然と写真が展示してあるだけ。あらためて、白い壁が、無理矢理にでも展示空間をつくってしまうことに思い知らされる。
久しぶりに訪れた美術館は、ヨーロッパでいくつも見た邸宅が美術館になったものを思い出す。もう少しインスタレーション的な展示があってもよかったが、この空間でも十分に現代美術に対応できることがよくわかる。展示なんてどこでもできてしまう。しかし、ガラスケースに大事に飾られた醤油画とか、コロボックルの遺跡とか、何も説明が無いので、見た人はどう思うのだろう? こんな美術館での展示なのだから、全般的にもう少し説明があってもよいように思う。一方で、やっぱり安藤忠雄の増築がよくない。床がカーペットだからだろうか? スケールの問題? 山荘との関連性がなさすぎることも問題だろう。目立たないようにすればよいというものでなく、新しい山荘への視点を与えるくらいの工夫がほしかった。

美術 | Posted by satohshinya at August 20, 2008 22:59 | TrackBack (0)

メディアアート/美術館/展示構成

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ZKM正面

メディアアートを知っていますか?
それは絵画や彫刻と同じ美術の1ジャンルで、コンピュータやビデオなどのテクノロジーを用いた芸術表現です。最近では一般の美術館でも映像を用いた現代美術を見ることがあると思いますが、そんなメディアアートを専門に扱う数少ない美術館がZKMです。昨年の4月から1年間の予定で、海外派遣研究員としてカールスルーエのZKMに滞在しています。帰国する3月まで数ヶ月を残していますが、途中報告としてこの美術館の紹介を行いたいと思います。

ZKMの正式名称はZentrum für Kunst und Medientechnologieといい、アートとメディアテクノロジーのためのセンターという意味を持っています。メディアアートだけでなく現代美術や現代音楽などの部門も持ち、単なる美術館の活動に留まらないさまざまな新しい芸術表現について、研究、制作、公開を行っています。カールスルーエ市はドイツ南西のバーデン=ヴュルテンベルク州に位置し、城を中心に放射状の道路が拡がる18世紀に作られた都市計画が特徴です。城の正面にはStrassenbahn(シュトラッセンバーン)と呼ばれる路面電車の往来する街が拡がり、背後には美しく大きな庭園に続いて深い森が拡がっています。

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エントランスホール

なぜ美術館に滞在しているのか?
ZKMではMedienmuseum(メディアミュージアム)という部門に所属しています。ここはメディアアートのすばらしいコレクションを所蔵し、その名作の一部を常設展示として公開するとともに、年に数回の企画展示を行っています。美術館では、どのような作品を並べるか、どのような順序で見せるのか、といった展示作品の編集作業により、作品そのものの受け取られ方が変化します。また、展示空間によっても、作品がよく見えたり、そうでなかったりすることがあります。展覧会のコンセプトを考え、それを元に編集作業を行うのが学芸員の役割で、学芸員とともに展示空間のデザインを考える役割を、ドイツ語ではAusstellungsarchitektur、日本語では展示構成と呼んでいます。
ドイツの美術館の多くは企画展示用の大きな展示室を持ち、展覧会の内容に合わせた空間を作り出すために、巨大な展示壁が毎回作り替えられます。ZKMでは基本的に厚さ90センチと60センチ、高さ3.7メートルの展示壁を用いています。それはアルミフレームに木製板を貼り、ペンキを塗って仕上げられます。重量のある作品を展示する場合もあるため非常に頑丈に作られており、その設営はインテリア工事と呼べるほど大掛かりな作業で、ドイツ語で展示(=Ausstellung)建築という言葉が用いられている理由がよくわかります。そして、それを設計するためのデザイナーとして、空間をデザインする専門家である建築家が必要とされる場合があって、幸運にもZKMで展示構成を担当させてもらえることになりました。こうして、今回の研究テーマが現代アートのための文化施設であったことから、ZKMで実際の展覧会に関わる活動を行うとともに、ドイツ国内や隣国にある美術館を見て回ることを海外派遣の目的としました。

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メディアミュージアム

その美術館はどのような建物か?
ZKMは1918年に作られた兵器工場であった建物の中に入っています。全長は312メートルに渡り、10箇所の同じ形のアトリウム(ガラス屋根の大きな吹き抜け空間)を持つ長大な建物で、その半分をZKM、残りをカールスルーエ造形大学と市立ギャラリーが使っています。ここに限らず多くの美術館が、異なった目的のために建てられた建物を再利用しています。有名なパリのオルセー美術館は元駅舎であったし、それ以外にも元住宅、元宮殿、元銀行といった美術館が数多くあります。これにはいろいろと理由が考えられるのですが、作品が展示可能な大きさの空間さえあれば美術館となってしまうということかもしれません。また、特に現代美術では場所に合わせて作品を展示することが多いため、歴史的な背景を持つ年代を経た建物の方が、作品と展示空間に複雑な関係を生み出すことができるのかもしれません。
ZKMは当初、コンペ(設計競技)によって選ばれたレム・コールハースの案を新築することになっていましたが、経済的な理由などによって中止となり、現在の建物を再利用することになりました。その経緯からすると、メディアアートのための展示空間に歴史的建造物が必ずしもふさわしいわけではなかったかもしれません。結局、ペーター・シュヴィーガーにより改修が行われ、ランドスケープデザインをディーター・キーナストが行って、現在のZKMが完成しました。

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キーナストによる島状のランドスケープ

どのような展示が行われているのか?
メディアミュージアムに展示されているメディアアートは、コンピュータなどを用いることで、観客と作品の間にインタラクティブ(相互作用)な関係をつくり出すものが多くあります。その中で最も人気のある作品の1つに、古川聖さんとウォルフガング・ミュンヒによる『しゃぼんだま(Bubbles)』(2000年)があります。古川さんは作曲家で、東京藝術大学助教授であるとともに、ZKMのアーティスト・イン・レジデンス(施設に滞在して作品制作を行う)で活動しており、今回ZKMを紹介していただいた恩人でもあります。この作品は、上方から落ちてくるシャボン玉の映像がビデオプロジェクタにより映し出され、スクリーンの前に立つ自分の影がシャボン玉に触れると音とともにはね返るという単純なものです。しかし、その単純さ故か、子どもから大人まで多くの人たちに楽しまれていて、単に作品を一方的に鑑賞するだけでなく、観客自身が作品に参加することができるメディアアートの特質を見事に現しています。

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『しゃぼんだま』W. ミュンヒ+古川聖

展示構成の活動としては、「Interconnect@ between attention and immersion」と題されたブラジルのメディアアートを集めた展覧会を担当しました。セルジオ・モッタ賞の受賞作と候補作から12作品が選ばれ、そのための展示空間が必要となりました。メディアアートの場合、ビデオプロジェクタを用いた作品が多く、画面を鮮明に映し出すために展示室内を暗くしなければなりません。今までの美術館が絵画や彫刻の鑑賞にふさわしい明るさ(照明)を確保することが重要であったのに対し、メディアアートの展示室は暗さが重要です。音を発する作品も多く、隣り合った作品同士の音が混ざり合わない工夫も必要になります。そのため、多くの作品が独立した部屋を必要とし、限られた展示室に多くの小部屋を作らなければなりませんでした。このようにメディアアートのための展示空間は、これまでの美術館の展示室とは大きく異なり、これらにふさわしい建築空間を考えることが今後の課題の1つであると思います。

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ブラジルのメディアアート展

最近の活動としては、12月から開催されている「マインドフレーム(MindFrames)」展の展示構成を行いました。これはメディアアートの代表的な作家であるステイナ+ウッディ・ヴァスルカ夫妻を中心とした展覧会で、メディアミュージアムの地上階を全面的に使った大規模なものです。ZKMに滞在しているヴァスルカ夫妻や学芸員と話し合いながら、従来の美術館の展示室とは異なる8つの部屋をデザインしました。これについてはまた別の機会に、訪問した他の美術館とともに紹介することができればと思います。

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「マインドフレーム」展設営中

「駿建」2007年1月号)

美術 | Posted by satohshinya at July 10, 2007 21:29 | TrackBack (0)

通信と建築と映画と世界文化と応用美術@frankfurt

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「Museum für Kommunikation Frankfurt(フランクフルト通信博物館)」は郵便や電話などのコミュニケーションをテーマにした博物館で,展示室の大部分が地下にあり,平面に円形を用いた展示空間が拡がっている.

展示室を進むと,天井の高さが低い小部屋にアートコレクションが展示されている.そこは円形プランとは無関係で,ボイスクリストのコミュニケーションをテーマに扱った作品が並んでいる.実はここの敷地内にも邸宅が建っており,その建物も博物館の一部として事務機能などに使用されていて,地下の基壇部分を展示室に再活用していたのだった(写真は地下からガラス屋根を通した邸宅).元々この博物館は,邸宅だけを用いて1958年にオープンし,その後90年にギュンター・ベーニッシュ設計によって増築が行われた.邸宅と展示室の関係は展示を回っているだけではよくわからなかったし,展示目的で訪問する観客には邸宅はあまり気付かれない存在である.それらの関係を理解して見るとおもしろくはあるのだが,もう少しその関係がわかりやすいものであったらよかっただろう.そして,その結果に得られた展示室がおもしろいものであれば尚更よいのだが,残念ながらそれほどではない.(参考リンク:展示紹介建築紹介

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入口脇には馬の銅像があり,そこにはパイクの作品も置かれているのだが,残念ながら修復中のために写真が展示してあった.博物館内部も改修中のためか館内に足場が組まれていた.ベーニッシュのデザインには足場があってもそれほど違和感を感じないのがおかしかった.そして,このパイクの写真を支持するためにもごていねいに足場が組まれていた.
その並びには「Deutsches Architektur Museum(ドイツ建築博物館)」があり,ここもO.M.ウンガース設計の邸宅改修により1984年にオープンしている.(参考リンク
更に隣には「Deutsches Filmmuseum(ドイツ映画博物館)」があって,Helge Bofinger設計により同じ84年にオープンしている.ここも邸宅を改修して使用しているようで,常設展示として映画の歴史や技術を紹介している.企画展示は81年のウォルフガング・ペーターゼン監督作品『Das Boot(U・ボート)』を紹介する「Das Boot Revisited」展を開催中で,撮影に使われたUボートの模型をはじめとして,さまざまな資料やインタビュー映像など,充実した内容による展示が行われていた(展示室写真).25年も前のたった1本の映画だけで,これほどしっかりした展示を行っていることに驚く.日本ではあり得ないだろう.(参考リンク
続いて3棟の邸宅を利用している「Museum der Weltkulturen(世界文化博物館)」がある.3棟がどのように使われているのかはわからないが,右端の1棟を裏口から入ると「Galerie 37(ギャラリー37)」が地下にある.ここでは「Leben mit Le Corbusier」展と題した,カメラマンBärbel Högnerによるチャンディガールを撮影した作品を展示していた.チャンディガールはル・コルビジュエが都市計画を行ったことで有名だが,完成から40年後の街と人々の日常的な様子を紹介している.
更にその並びには「Museum für Angewandte Kunst Frankfurt(フランクフルト応用美術博物館)」があり,リチャード・マイヤー設計の増築が1985年に完成している.(参考リンク

美術 | Posted by satohshinya at January 19, 2007 17:05 | TrackBack (0)

対称@frankfurt

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「Liebieghaus Skulpturensammlung(リービークハウス彫刻コレクション)」は古代彫刻を展示する美術館なのだが,興味深い2種類の展示室を持っていた.ここも1896年に邸宅として建てられた建物を1909年から美術館として使用している.

エントランスホールに入ると左側に開館時に増築された展示室があり,そこにはフローリングの床に木で作られた彫刻だけが並んでいる.右側には,最初の展示室とシンメトリーな関係に1990年にScheffler & Warschauer設計によって増築された展示室があり,そこには石貼りの床に石で作られた彫刻だけが並んでいる.何れの展示室も壁は真っ白く,天井からは自然光が入り,そんな空間に無造作にいくつもの作品が並んでいる様は,まるで現代美術のインスタレーションにすら見える.
やや短絡的なアイディアではあるし,たまたまシンメトリーに建てられる敷地があったということかもしれないが,おもしろい展示空間だった.林立する作品群が鑑賞する場としてふさわしいかどうかはわからないし,同じ素材の作品だけが並ぶことがよいのかどうかもわからないが,このような彫刻を展示する美術館としては非常におもしろいのではないだろうか.企画展は「Die phantastischen Köpfe des Franz Xaver Messerschmidt」展を開催中(作品・展示室写真英文プレスリリース).

美術 | Posted by satohshinya at January 17, 2007 13:31 | TrackBack (0)

普通の邸宅@frankfurt

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まさに邸宅をそのまま美術館に改装している「Museum Giersch(ギエルシュ美術館)」は,それほど特徴のない美術館だった.

1910年頃に建てられた邸宅を用い,2000年に開館した比較的新しい美術館.ライン・マイン地域のアートを対象としているだけあって,展示してある作品も地元作家によるものといった風情で,特筆すべきところがない.1階は邸宅をそのまま使っているようで(パーティーに貸し出していたりもする),2階から4階までの企画展示室はさすがに床がフローリング,それ以外は真っ白な展示室となっているのだが,なんだかきれいすぎて素っ気ない.おまけに展示照明は人感センサーに反応して点灯するようになっていたりする.「Marie-Louise von Motesiczky」展を開催中.作品を保護するためか窓にはシャッターが閉まっていたり,そういったことも含めて,元の空間を生かした展示空間となってはいない.古い邸宅を改装すればどんなものでもよい美術館になる,というわけではないようだ.

美術 | Posted by satohshinya at January 14, 2007 16:01 | TrackBack (0)

中央に位置する不思議な展示室@frankfurt

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フランクフルトにはマイン川沿いにミュージアム通りと呼ばれる通りがあって,10館もの美術館・博物館が並んでいる.その中で最も大きなものが「Städelsches Kunstinstitut und Städtische Galerie(シュテーデル美術館・市立美術館)」である.

クラシカルでシンメトリーな外観の建物に,やはりシンメトリーな展示室が拡がっている.2階に19,20世紀の作品,3階に14〜18世紀の作品とさまざまな年代の作品が展示されている.1817年設立,78年に現在の位置に移転したが,第二次世界大戦の被害に遭い,1963年にJohannes Krahn設計によって再建された.その意味では特別に古い建物というわけではない.展示室はフローリングまたは黒い石,壁はさまざまな色に塗られているヨーロッパでは典型的な美術館.中央の階段を上がると,真っ青に塗られた壁に絵が架けられており,展示室とも思える不思議なスペースに入り,そこから各展示室へと分かれていく(階段室写真).美術館の後方側面にはグスタフ・パイヒルにより1990年に増築された企画展示室が増築され,2階の展示室で接続しているのだが,展示替えのために使用されていなかった(おそらく増築部分の展示室写真).写真は裏庭で,右が本館,正面が増築.(参考リンク

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2つの企画展が常設展示に挟み込まれるように行われていた.「Fokus auf Jan van Eyck: Lucca-Madonna」展は,アイクのただ1点の絵にフォーカスを当てたもの(作品・展示室写真).「Martin Kippenberger: Arbeiten bis alles geklärt ist - Bilder 1984/85」展は,97年に夭折し,近年テート・モダンで回顧展が開かれるなど注目されているKippenbergerの個展(作品・展示室写真).といっても展示されていたのは84,85年に描かれた数点の作品だけで,あまりおもしろいものではなかった.Kuppelsaalと呼ばれるドーム状のトップライトを持つ中央の展示室で行われていたのだが,ここもまた円形に下へ吹き抜けているロビーのような空間であった.そのためか作品に集中しにくく.展示室としてはちょっと不思議なスペースだった.
この美術館の裏にはStaatliche Hochschule für Bildende Künsteという芸術学校があって,かつでピーター・クックが教鞭を執っていた際に設計したガラス張りの学食があるらしい.現在は,ベン・ファン・ベルケルが学科長のようだ.

美術 | Posted by satohshinya at January 14, 2007 0:32 | TrackBack (0)

おいしいデザート@heidelberg

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「Heidelberger Kunstverein(ハイデルベルク・クンストフェライン)」はDieter Quast設計により,1990年に「Kurpfälzischen Museums(クアプファルツ博物館)」と一体の建物として作られた.旧市街の中央通りに面した元邸宅,現博物館の入口を潜り,中庭を通り抜けた先に建つ建物の左部分がクンストフェラインである.

博物館と共通のエントランスを通り,受付カウンターも含まれるHalleと呼ばれるメインの展示空間に入る.ここでは「Politsche Wahrheiten」展(フライヤー)が開催中.Halleのロフト状の2階からブリッジで渡るPlattformという小型スペースでは,「100 Tage=100 Videos」展(フライヤー)と題して100日間で100本のビデオ作品を日替わりで上映していた.地下にもStudioという展示空間があるが,展示替え中で入ることができなかった.70年代的と思えるようなデザインの展示空間は,天井や壁面にもガラスを多用している.自然光が降り注ぎ,天井の高さも高い現代美術向きの空間ではあるのだが,サッシが太く,ブリッジのデザインも野暮ったい.Plattformという小展示スペースもおもしろい試みだが,スペースのデザインに工夫がほしい.中庭の雰囲気はとてもよいのだが,展示室のガラス壁面は外部と特に関係を持っていない.つまりはあまり感心しない美術館だったが,中庭にあるレストラン(のデザート)はとてもおいしい.(参考リンク:図面レストラン紹介
ちなみにクアプファルツ博物館は,考古学の展示とともに絵画の展示も行う美術館とも呼ぶべき場所である.写真はハイデルベルク城.

美術 | Posted by satohshinya at January 11, 2007 19:01 | TrackBack (0)

ジャコメッティ兄弟@paris

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10年以上前にはじめてパリへ行ったとき,マレ地区を散歩していて「Musée National Picasso(ピカソ国立美術館)」に出くわした.何の予備知識もなく,ガイドブックも持たずにパリへ来ていたため,こんな辺鄙なところにもピカソの美術館があるなんて,さすがにパリだなと感心したことがある.更に館内に入り,展示されていた作品のすばらしさに圧倒されてしまった.帰国してから,それがパリでも有名な美術館であることを知った.

ここも17世紀の館を機能転用しており,ロラン・シムネの改修により1985年にオープンした.2階から入り,展示室内のスロープを上がった3階が企画展示室.「Picasso / Berggruen Une collection particulière」展を開催中で,コレクターHeinz Berggruenのコレクションを紹介していた.下階は常設展示で,制作順にピカソの名作が並んでいる.順路は2階からはじまり,いかにも邸宅の居室といった雰囲気の展示室(第4室)に初期の作品が並ぶ.続く1階はやや天井の低い展示室(第9室)があって,中庭のようなスペースにガラス屋根を架けた大きな展示室(第12室)に出る.1階でも企画展「Picasso Xrays」展を開催中で,タイトル通りピカソの立体作品のX線写真を展示していた.企画展示室を含め,部分的に壁面が艶ありの白色であったことが印象的だった.床に艶がある美術館は少なくないが,壁に艶があるのはおもしろい.
しかし,この美術館の一番の見所は地下にある.ヴォールト天井を持つ石の壁に囲まれた展示室(第16室)に,中期から後期の作品が並んでいる.最初の訪問の記憶でも,この展示室のことだけははっきり覚えている.天井は高いどころかむしろ低く,部屋の中央に柱が何本も立っていて,まったく展示室には向いていないように思えるのだが,なぜか印象深い展示室が成立している.どんな作品にも似合うわけではないだろうが,自然光もなく(多少入っているが),巨大なボリュームもなく,ホワイトキューブでもない展示室の1つの可能性を示しているように思える.(参考リンク:平・断面図常設展示室の全パノラマ,美術館紹介照明の解説
ふと常設展示室に吊されている照明が気になった.線で構成された彫刻のような照明が非常によいと思っていたら,これがジャコメッティの作品であった.開館の際に,イスやテーブルとともにジャコメッティが設えたらしい.ここでまたも勘違いをしていたのだが,ジャコメッティという名前を見て,てっきりアルベルト・ジャコメッティだと思っていたら,後からよく調べてみると弟のディエゴ・ジャコメッティの作品であることがわかった.兄の助手やモデルを務めるとともに,家具の製作者でもあったらしい.10数年前と同様に,またもや無知であったというところか.

美術 | Posted by satohshinya at January 11, 2007 0:26 | Comments (2) | TrackBack (0)

コピー&ペースト@vaticanæ

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「Musei Vaticani(バチカン美術館)」には13の美術館が複合しているそうだ.更にシスティーナ礼拝堂などの14の部屋が含まれる.何も情報を持たずに訪れたのだが,その迷宮のような館内にいささか参ってしまった.ルーヴルでは館内の案内図が無料配布されているため,それに従って必要なところを見学することができた.しかし,ここにはそのようなものはなく,全体像を把握することができないまま,館内表示板だけを頼りにさまようしかなかった.もちろん,最初から全体を回ることはあきらめていて,主な目的はシスティーナ礼拝堂であったのだが,これが入口からもっとも遠い場所にあった.今更ながらwebを見ると,そのことがよく確認できる.

残念ながら,この美術館に展示されている作品を正しく鑑賞できたわけではないので,今回の話題は2つだけ.退館時に下ってゆくダブルスパイラルの階段がある(参考リンク:動画あり).エントランスが最近改修されたそうなので,てっきりこれも新しいものだと思っていた.なぜならば,このスパイラルと見上げたトップライトが,あまりにもライトの「グッゲンハイム美術館」(1959)に似ていたからだ.なんだか質の悪いポストモダン建築のように思えてしまった.しかし調べてみると,そうではないことがわかる.この階段はGiuseppe Momoによって1932年に作られたものらしい.つまり,こちらの方が先に作られていたようだ.更に調べると,こんなページも見つかった(続きもある).
そしてシスティーナ.ご存じのように礼拝堂にはミケランジェロによる天井画と壁画がある.礼拝堂の空間と作品が一体となったインスタレーション,なんてことを期待しながら見に行ったのだが,礼拝堂に描かれた天井画と壁画という関係以上のものではないように思えた.むしろ見事に修復されてしまった作品は,時代を感じさせてくれないほどに鮮やかすぎるように見えた.それよりも,「システィーナ」とググってみると,ここがトップに表示されるのが笑える.ここには3/5という半端なスケールによってシスティーナ礼拝堂が再現されているそうだ.ハラミュージアムアークに行く際に何度も前を通るのだが,1度も入ったことがない.今度入ってみようかな? 更に日本人による飽くなき探求は続いているようで,ここでは実際のスケールの礼拝堂を,しかも陶板画により作り出そうとしているそうだ.その意味では,これらの作品が礼拝堂の空間と切り離せないものとして認識されているとも言えるのだが,はたしてどんなものだか.

美術 | Posted by satohshinya at December 19, 2006 23:08 | TrackBack (0)

巨匠の美術館@firenze

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フィレンツェには多くのフィリッポ・ブルネレスキによる建築があって,ファサードの連続アーチが有名な『捨て子養育院』もその1つだが,そのアーチの上が「Galleria dello Spedale degli Innocenti(捨て子養育院美術館)」になっている.

とはいっても,これはブルネレスキが設計した美術館というわけではなく,養育院の談話室であった場所を機能転用したもので,それ以外はユネスコなどが利用している.狭い階段を上がり,木組みの見える天井が高く細長い展示空間にボッティチェッリの絵画などが展示されているだけで,特別な美術館というわけではない(参考リンク:内部写真).確かに子ども向けのスケールというよりは,美術館の方がふさわしいかもしれない.建物は必見だが,美術館としてはそれほどではない.
「Galleria degli Uffizi(ウッフィツィ美術館)」「Galleria dell'Accademia(アカデミア美術館)」には行けず.

美術 | Posted by satohshinya at November 27, 2006 23:16 | TrackBack (0)

水の都と貴族の館と現代の美術@venezia

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「Palazzo Grassi(パラッツォ・グラッシ)」はカナル・グランデに面するグラッシ家の館を改修した美術館である.Giorgio Massari設計により1772年に建てられ,1978年から美術館として使いはじめられた.83年からはガエ・アウレンティ改修によるフィアット社の美術館となっていたが,所有者が変更し,今年の4月から安藤忠雄改修による新しい美術館として再びオープンした.

ここでは「“Where are We Going?”」展が開催されていて,新しい所有者であるFrançois Pinaultのコレクションが展示されていた.Pinaultはパリ郊外に安藤設計による巨大な美術館を計画していたが,事情により中止となったため,この館を購入したそうだ.コレクションの内容は好き嫌いがはっきりしそうだが,個人的には非常に興味深いものだった.ヴェネチア中に貼られている展覧会のポスターには村上隆『Tamon-kun』『Koumo-kun』(2002)が登場しており,それらとジェフ・クーンズの『Balloon Dog (Magenta)』(1994-2000)が運河沿いの外部に展示されていた.しかし,村上作品が展示してあるテラスに出ようとするが出ることができない.係員に聞いてみると,観客は出ることができないそうだ.確かにヴァボレット(水上バス)からは見ることができるのだが,スピードも速く,距離もあってチラッと見える程度.仕方なくガラス越しに後ろ姿だけを見ることにするが,ポスターにまで使っておきながら,この展示方法には唖然とした.バカにするにもほどがある.オラファー・エリアソン『Your Wave Is』(2006)は大掛かりなインスタレーションで,夜になると線上のワイヤーが発光して建物全体を覆う.
入口から入ったところにはトップライトを持つ吹き抜けがあり,ここも展示空間として使われている.そこから階段を上がった2,3階が展示室である.もっともおもしろかったのは,一度は見てみたかったデミアン・ハーストの『Some Comfort Gained from the Acceptance of the Inherent Lies in Everything』(1996).彼の作品集『I Want to Spend the Rest of My Life Everywhere, With Everyone, One to One, Always, Forever, Now』(2000)で見たことのあった牛の輪切りだが,予想していたとおり得も言われぬ迫力があった.ところでこの本だが,個人的にはレム・コールハース『S,M,L,XL』(1998),河原温の『Whole and Parts 1964-1995』(1997)とともにすばらしい作品集の1つであると思う.こんな本ならばぜひ作ってみたい.他にはあまり見慣れないタイプのドナルド・ジャッドの作品『Untitled』(1968),フェリックス・ゴンザレス=トレス(参考リンク:インタビュー)の『“Untitled” (Blood)』(1992)がよかった.村上隆の『Inochi』(2004)くんも展示されていて, CM風のビデオ作品がリピート上映されていたのだが,はたして日本語がわからない人たちにどのように見えていたのか…….しかし,こんなところにコレクションされていたとは驚いた.この展示のwebには全作品の画像が掲載されていて,展示室の画像や動画も見ることができる(参考リンク:Casa Brutusカメラマンの報告Domus Academy留学生の報告建物の変遷).
さて,肝心の建築の話.チケットには展示室の上隅部の写真が使われていて,そこには既存の装飾的な天井と,白い展示壁面と,シンプルな照明器具だけが写っている.それが端的に示すように,今回の改修は白い壁に照明,白い床だけをデザインしたのだろうと思っていた.実際に調べてみると,これまでの改修で附加された余計なものを取り払い,オリジナルの館の構成を取り戻した上で,展示用の白い壁と照明を加えたということらしい.コンセプトとしては理解できる.貴族の館からの機能転用だけあって,日本の住宅から比べれば遙かに大きいが,現代美術の展示室としてはやや小さい.それぞれの展示室は小部屋の連続だが,基本的に1作家1部屋なので,作品毎に独立した展示空間となることは悪くないだろう.しかし,カナル・グランデに面して窓がある部屋や,吹き抜けに面している部屋は特徴があってよいのだが,ほとんどがトップライトもない同じような展示室の連続で,それが34室もあるためにかなり単調だった.ガラスのヴォリュームが外壁から付きだしているとか,そんな余計なことをするよりはよっぽどよいのかもしれないが,あまりにも芸がなさ過ぎる.もう少し安藤らしいミニマルな作法で展示室のバリエーションを生み出すことができていたら,おもしろい現代美術館ができていたかもしれない.ヴェネチアの絶好なロケーションに建つ建築作品としては,かなり物足りない.
他にもヴェネチアでは「Galleria dell' Accademia(アカデミア美術館)」を訪れた(参考リンク).ここも修道院か何かからの機能転用.ヴェネツィア派絵画の名作が収められているそうだが,残念ながらそのよさはわからなかった.もう少し勉強してからまた行ってみよう.

美術 | Posted by satohshinya at November 23, 2006 20:57 | Comments (5) | TrackBack (0)

パノラマ@paris

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「Musée Rodin(ロダン美術館)」も邸宅を機能転用したものである.昨年,Pierre-Louis Falociにより敷地内のチャペルが企画展示室に改修され,同時にエントランスホールとしての役割を持つようになった.残念ながら企画展示は準備中であったが,トップライトを持つ展示室のようだ(参考リンク).

正直言って,ロダンの作品にはあまり興味がない.よくできているのだとは思うのだけれど,作品の善し悪しがイマイチわかっていない.19世紀の彫刻家よりは,それ以降の彫刻家に興味を持ってしまう.画家だとロダンと同時代の作家にも興味があるのだけれど,彫刻家だとブランクーシ以降の作家でないとおもしろいものがない.まあ,ブランクーシはロダンの工房で数ヶ月働いていたそうだが.
邸宅内は特に大掛かりな改修を行っているわけではなく,家の中に作品が置いてあるようなもの.ゴッホの絵も展示されていたりする.庭がとても有名で,ここにも作品がある.その中でも,庭の隅に大理石用のガラス張りのギャラリーがあって,その中に無造作に作品が置いてあるのがおもしろい.庭の雰囲気を損なわないように端に追いやられたんだろうけれど,こんな場所にあるとガラス張りの物置のようにすら見える.結局,もっとも興味深かった作品は正面に置かれていた巨大なアンソニー・カロの彫刻.企画展示として期間限定で置かれているものらしいが,こっちの方が迫力があっておもしろい.
この美術館を調べているときに,さまざまなパノラマが載っているおもしろいサイトを発見した.ロダン美術館はここにあって,さっきの物置ギャラリーはこんな感じ.ゴッホのある部屋はこんな感じ.今まで紹介した美術館についても,ルーヴルオルセーポンピドゥー市立近美などの展示室の詳細を見ることができる.MOMAまである.

美術 | Posted by satohshinya at November 18, 2006 1:27 | TrackBack (0)

ガラス@paris

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「Fondation Cartier pour l’Art Contemporain(カルティエ現代美術財団)」では映画監督のアニエス・ヴァルダの個展「L'Île et Elle」が開催中だった.10個のインスタレーションが1階と地下に展示されていて,少女趣味とすら思える不思議な作品もあった.フランス語が分かればもっと楽しめるのかもしれない(見に行った人たち:kikiさんcherchemidiさんmyさん).

残念ながらヴァルダの映画は見たことがないのだが,以前も紹介したとおりZKMFilmRaumでは『5時から7時までのクレオ』(1961)とドキュメンタリー映画『Daguerreotypes』(1974)が上映されている.しかし,残念ながら何れも字幕なしのフランス語によるもの(もちろんビデオ).映像だけを見ると,さすがヌーヴェルヴァーグの祖母と呼ばれているだけあって懐かしいものがある.今度ゆっくり見てみよう.
しかし,この透明なガラス張りのギャラリーも,ここに展示されるような現代美術作品ではあまり気にならない.ガラスの外が野趣溢れる庭であるからなのかも知れないが,なんとなく成立している.何れにしてもヌーヴェルは展示空間にはあまり興味がないようで,ガラスの展示室も建築デザインの要請によって生まれたものだろう.地下を見ると,やっぱり何も考えていないように思える.まあ,展示室について必要以上に考えている建築家は磯崎さんと青木さんくらいかもしれないけれども.

美術 | Posted by satohshinya at November 16, 2006 18:29 | TrackBack (0)

キリン@paris

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「Grande Galerie de l'Évolution(進化大陳列館)」は,国立自然史博物館の一角にある建物(参考リンク).なんといっても吹き抜けにある剥製の行進が得も言われぬ迫力を持っている.上から下をのぞき込むキリンもいたりして.

美術 | Posted by satohshinya at November 15, 2006 23:45 | TrackBack (0)

コンテクスト@paris

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パレ・ロワイヤル中庭にあるダニエル・ビュランによる『Les Deux Plateaux』(1985-86).今ではビュランのパブリック・アートは,日本にも新宿お台場新潟といくつもある.しかしこの作品は,歴史ある場所のコンテクストをていねいに読み取りながらも,最終的には恒例の8.7cmのストライプで作品をまとめあげ,それが市民に楽しそうに使われるものとなっている.そのことがもっとも評価されるべきことだろう.

美術 | Posted by satohshinya at November 15, 2006 23:40 | TrackBack (0)

ブラック@paris

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「Centre Pompidou(ポンピドゥー・センター)」の「Musée National d'Art Moderne(国立近代美術館)」では「Le Mouvement des Images」展が開催中だった.いつもならば圧倒的な物量を誇るコレクションが年代順に展示されているのだが,それらを「二十世紀と今日のアートを映画の観点から見直」すというテーマに沿って組み換え,5階のほぼ全体を使った展示が行われている.

内容はDéfilement(連続),Montage(モンタージュ),Projection(映写),Récit(物語)の4つのテーマに分けられている.代表的な実験映画を上映するスペースのギャラリーが中央に通っていて,その両側に各テーマの展示が行われている.ホームページには展示作品のリストが掲載されていて,いくつかは画像を見ることもできる.

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ギャラリーの左右の壁には交互に映像が映し出されており,それぞれの前にはベンチも設えてある.エントランスに続く最初の展示空間が,今回のテーマである映画だけを展示する場所となっていることは印象的であった.これらの展示壁面が今回のために作られたものなのか,通常の展示を流用しているものかははっきりとはわからない.以前訪れたときに見たコレクション展も,ギャラリーを中心としていたような記憶があるので,基本的には同様な構成であると思う.しかし,ギャラリーが映写のために暗いスペースとなっていることと,白黒映画の印象を延長したことの2つの理由が考えられるが,今回の展示壁には黒から白へのグラデーションから選ばれた色が塗られていた.このブログでもブラックキューブダークキューブなどという呼び名を付けてみたが,白ではない展示壁面の意図的な採用がここでも見られた.
他にも4階のGalerie du MuséeではAlfred Manessierの個展,Galerie d'art graphiqueではJean Bazaineの個展を開催していた.通常は4階に1960年から現在までの展示,5階に1905年から60年までの展示が行われているのだが,5階ではピカソなどコレクションの一部だけが展示されており,大部分は展示換え作業のためだと思うが閉館となっていた.これだけ膨大なコレクションとスペースを持つ美術館であるからこそ,このような柔軟な運営が可能であるのだろうし,おそらくこの間に展示されていないコレクションが世界中に巡回され,大きな収入をもたらしているのだろう.
ポンピドゥーは可動壁を持つユニバーサル・スペースによる美術館であったが,20年を経過した後に固定壁を持つ美術館へと改修されたことは有名な話である.「GA Japan」の鼎談において,長谷川祐子は以下のように語っている.《展示室については,大きな箱を用意して,毎回展示に合わせて壁をつくっていくのはコストがかかるということがあった.それを節約するために,ある程度,さまざまなバリエーションの部屋を設けましょうと.……その予算で,もっとアーティストを助けてあげた方が遙かにいいと思うんです.……可動式の壁という選択肢もあるのですが…….可動式の壁は空間として問題があって,非常に弱いんです.それは,アーティストもすぐ分かってしまう.》その結果,金沢21世紀美術館の展示室が生まれたわけだが,それはともかく,ここでの示唆は重要な意味を持つ.ポンピドゥーが可動壁の限界を示して固定壁となったことは,作品を展示する空間を作り出すための建築要素として(当時の)可動壁が望ましいものではなかったためである.そしてその先には,これは企画展を続けてゆく場合の問題ではあるが,展示毎に望ましい展示空間を作り上げてゆくことにコスト上の大きな問題が生じると示唆する.予算が潤沢な国立美術館ならばいざ知らず,これからの美術館を考える際に重要なポイントとなるだろう.
6階には2つの企画展示室があり,Galerie 1は準備中,Galerie 2ではデヴィット・スミスの回顧展が開催されていた.これはグッゲンハイム,ポンピドゥー,テート・モダンと続く豪華な巡回展だけあって,重要な作品が網羅されていた.しかし,この展示構成が最悪だった.大きな展示室に全く壁を作らずに,展示室を横断する台座の列を手前から年代順に並べ,台座の間が通路となり,台座が凹んだ部分だけが横断できる.つまり,手前が初期の作品で,奥に行けば行くほど晩年の作品となり,それらがレイヤー状に重なって鑑賞できるというものである.しかし,そのために全ての作品の前面が同じ方向に向けられており,1つの作品を正面から鑑賞すると,すぐ後ろに次の作品の正面が必ず目に入ってしまって非常に煩わしい.もちろん距離を取って鑑賞することも難しい.動線も不自由を強いており,作品の左右には展示台が延長されているため,作品をグルリと回りながら鑑賞することもできず,常に前後から見ることになる.平面的なアイディアはともかく,実際には雑然とした展示空間となってしまっている.さすがにこれが巡回展のフォーマットというわけではなく,テートでは普通に展示されているようだが,間違いなくこちらの方がよいだろう.
6階のテラスには坂茂さん仮設事務所がある.もちろんポンピドゥー別館建設のためのヨーロッパ事務所であり,ご存知sugawara君の勤務先である.しかし,sugawara君不在で中に入れず.

美術 | Posted by satohshinya at November 15, 2006 17:52 | TrackBack (0)

ルーヴル@paris

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はじめて「Musée du Louvre(ルーヴル美術館)」を訪れたのだが書くべきことがあまりない.とにかくいろいろな意味で圧倒されてしまった.ホームページも充実していて日本語版もある.

I.M.ペイ,ガエ・アウレンティ,J.M.ウィルモットYves LionLorenzo PiquerasMichel GoutalFrancois Pin,Catherine Bizouardなど,近年の改修を担当した建築家は多数に及ぶ.その中でもペイのピラミッドは最も有名であるが,後はあまり知られていない.
館内があまりにも巨大なために絵画部門の展示室を見るだけで精一杯だった.それだけでもドゥノン翼の2階,シュリー翼とリシュリュー翼の3階を占めている.おもしろかったのは,予想以上に各展示室のインテリアが異なっていることだった.現在の美術館が成立したのはペイの改修によるもので,展示室が統一されているのだと思っていたのだが,実際には前述のように多くの建築家が関わっており,改修時期などによって異なるさまざまなデザインの展示室が連結されていた(参考リンク:旧ヴァーチャルツアー).
壁の色は,主にフランス絵画は白(第2次フォンテーヌブロー派)か赤(シャルル・ル・ブランの間),ネーデルランド絵画は緑(16世紀前半),オランダ絵画は薄紫(レンブラントの間),イタリア絵画はグレー(グランド・ギャラリー)と使い分けられている.床はフローリング(モリアンの間・ロマン主義)か石貼りの白(ジョルジュ・ド・ラ・トゥールの間),黒(ヴァトーの間)であったが,特にルールはないようであった.天井は,最上階に位置する多くの部屋がトップライトを持ち,ヴォールト状(グランド・ギャラリー)のところもあり,光天井(モナリザの間)もさまざまなデザインがあった.もちろんヴォリュームの違いによるところも大きいだろうが,改修を担当した建築家の個性が出てしまっているためか,展示室によってかなり印象が異なる.これだけ巨大であり,しかも歴史のある美術館であるから,さまざまな考え方に基づいた展示室が並列してしまったのだろう.更に今後もさまざまな改修計画があり,もちろんSANAAによる別館の計画もよく知られている.
絵画部以外をしっかり見たわけではないのだが,ケ・ブランリと同様に博物館のコレクションと呼ぶべきものも多くあるようだ.どうしても日本の慣習に従い美術館と博物館を分けて考えてしまうのだが,欧米ではmuseum(フランスの場合はmusée)と1つの呼び名が使われているだけである(強いて言えば,美術館はart museumと呼ぶべきだろう).過去から現代に至るまで美術の歴史は一繋がりであって,そこには断絶がなく,それらを収める建物の呼び名にも断絶がないということだろうか? 一方の日本では,国立博物館国立美術館がはっきりと分かれているように,そこに断絶があるように思える.しかし,その線引きを具体的に示すとどのようなことになるのだろうか? そして,それらの展示空間にもまた線引きが行われるのだろうか?
ちなみに日本では,ルーヴルと大日本印刷によるミュージアムラボというプロジェクトが開始されている(参考リンク).情報社会における作品鑑賞の新しいあり方を模索する試みのようだが,どんなものだろう?

美術 | Posted by satohshinya at November 14, 2006 23:00 | TrackBack (0)

アジア・アフリカ・オセアニア・アメリカ@paris

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ジャン・ヌーヴェルの最新作である「Musée du Quai Branly(ケ・ブランリ美術館)」に入るためには1時間近く行列に並ばなければならなかった.アジア・アフリカ・オセアニア・アメリカの美術品がルーヴルには収められていなかったことから,それら非ヨーロッパの美術品を収める国立美術館として構想されることになった(2000年よりルーヴルでも展示が開始された).一時は「原始美術美術館(Musée des Arts Premiers)」と名付けられることも検討されたそうだが,結果的には無難に敷地の名前が付けられることになった(参考リンク:美術館紹介国立民族学博物館原始美術という呼称鈴木明さんロハス美術館旅行記写真).

建築についてはあまり積極的に書くことがない.エントランスから展示室に至る意味不明な180mの長さのスロープ,鑑賞者に不親切な迷宮のような暗い展示室と狭いボックス群,構造表現として成立しているとは思えないピロティの2本の四角い柱など.唯一,エントランス部分に地下から上階までを貫くガラスのシリンダーがあって,それが楽器を納めるオープン・ストレージとなっていたことはおもしろかった.そのシリンダーにしても,展示室などの他の空間と効果的な関係を持つことができそうなのだが,そのような意図が見られなかったことが残念だった.
一方で周辺との関係については,これは「カルティエ現代美術財団美術館」(1994)の拡大版であると思えるが,エッフェル塔近くのセーヌ川沿いにありながら,巨大なガラス・スクリーンを立てて内側に森を作り出している.そして,そのランドスケープはピロティを介して反対側の街区まで連続している.さすがにこんな一等地に,こんなバカげた提案をするのはヌーヴェルだけだろう.敷地の一辺が旧来の街区に隣接しているが,ごていねいに中庭を形成するように建物が配され,そこから森に向かって建物の外形が崩れてゆく.
ガラス・スクリーンと旧来の街区が連続する立面では,アーティストであるパトリック・ブラン日本語サイト)による多種多様な植物による壁面緑化が調停役を担っている.そして,敷地内の森はランドスケープ・アーキテクトであるGilles Clémentによるデザインで,ピロティと関連付けながら敷地内に起伏を作り出し,ここもまた多種多様な木々や植物が渾然一体となって植えられている.つまりこの2人によって,ヌーヴェルのアイディアを更に加速して実現させることに成功している.だからこそ余計に,建物自体のデザインがあまりにもお粗末に思える.森の延長として木々のグラフィックをあしらったガラス・ファサードも野心的な試みであるが,エクステリア,インテリアともに期待以上の効果を上げられていない.結局,ショップなどが入る建物に描かれたアボリジニ・アーティストによるグラフィックのような,コラボレーションによる試みのほうが断然におもしろい.
もちろん,一見の価値がある美術館であることには間違いはない.しかしここは,いわゆる美術館と呼ぶよりは,日本では博物館と訳すべき建物になるのだろう.常設展示の上階には2つの企画展示スペースがあり,Expositions "Dossier"では「Nous Avons Mangé la Forêt」展と「Ciwara, Chimères Africaines」展,Exposition d'Anthropologieでは「Qu'est-ce Qu'un Corps?」展を開催中.これらの展示室もロフト状になっているため,長大な展示空間は間仕切りのない1つの空間となっており,床には部分的に勾配も付き,まさに森をさまようように展示品の中をさまようことになる.しかも,薄暗いジャングルのような森の中を.つまり,展示品がよりよく鑑賞できる空間を作り出そうとしているよりは,いかなる空間に展示品を配列するかというところにデザインのポイントが置かれているということだろう.その結果は残念ながら成功しているとは思いにくい.エントランスからの長いスロープの下もギャラリーLa Galerie Jardinになっていたが,まだ使われていなかった.
あとはこのランドスケープや壁面緑化が,10年後,50年後,100年後にどのような成果を上げているか,そのときにこの場所の真価が問われる.それを楽しみにしよう.

建築, 美術 | Posted by satohshinya at November 10, 2006 12:19 | TrackBack (0)

トップライト@paris

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チェイルリー公園にある「Musée de l'Orangerie(オランジュリー美術館)」は,ジュ・ドゥ・ポームと対称の位置にある.ほとんど同じ外観を持つ建物だが,ジュ・ドゥ・ポームは室内球戯場から美術館へ,オランジュリーは温室から美術館へと機能転用された.そもそも室内球技場と温室が同じデザインであったわけだから,それらがどのように転用されようが大した問題ではなかったのかもしれないけれども.

この美術館ほど興味深い変遷を辿ったものも少ないだろう.1852年に温室(オランジュリー)として建設され,ジュ・ドゥ・ポーム同様さまざまな用途に利用された後,1927年にモネの『睡蓮』を収容する美術館としてオープンした.改修はCamille Lefèvreによる.その後,1965年にOlivier Lahalleにより大改修が行われ,更にOlivier Brochetによる6年に亘った大改修を終え,今年の5月に再オープンしたばかり.
2つの楕円形の部屋に常設された『睡蓮』はあまりにも有名だが,これは必ずしもサイト・スペシフィックな作品というわけではなさそうだ.はじめにこの連作自体があり,その設置場所をモネが探していて,一時は現在ロダン美術館となっている建物に納めるという計画もあり,その時点では展示室は正円であったそうだ.その後オランジュリーが選ばれ,モネ自身が構想した,布張りの天井から自然光を採り入れた現在の構成と同じ「睡蓮の間」が,彼の死後に完成された.作品に合わせて空間を作ったという意味では,作品と空間は切り離すことのできないものとなっているが,空間に合わせて作品を描いたわけではなく,外部との関係は天から降り注ぐ光だけである.
しかし65年の改修では,現在ではモネの作品と共にこの美術館の核となっている印象派コレクションが寄贈されたことにより,展示スペースを増加する必要が生じ,こともあろうに「睡蓮の間」の上部に展示スペースを増築してしまった.27年当時の断面図を見ると,確かに「睡蓮の間」の天井高さはとても低い.しかし建物自体は優に2層分の高さを持ち,そこが天井裏のスペースであったわけだから,確かにもう1層分のスペースは十分確保できただろう.その結果,もちろん『睡蓮』はトップライトを失った.
そして2000年になり,再び「睡蓮の間」に自然光を取り戻すため,2階に展示されていた作品のための展示室を地下に増築し,改めて「睡蓮の間」の上部に空間を確保する大改修が開始された.ここも国立の美術館であり,建築技術の進歩によって可能になったことなのかもしれないが,本当によくやるよと言いたくなる.さすがにその甲斐あってか,本当に「睡蓮の間」はすばらしい展示空間となっている.改めて自然光の下で作品を鑑賞することの重要性を再認識できる(参考リンク:今回の改修学芸員インタビューこれまでの経緯65年改修時動画,美術館紹介).
一方で,この『睡蓮』は単なる壁画であるとも言えるだろう.「睡蓮の間」は素晴らしい展示空間であり,『睡蓮』を展示する最適な空間であるが,この空間そのものを作品と呼ぶところまでの意識はモネにもなかったように思える.その意味では,これはインスタレーションとは呼べない.
と,ここまで書いてみて,ふと磯崎新の「第三世代美術館」を思い出す.《この内部は,特定の作品のための,固有の空間となり,展示替えをするニュートラルなギャラリーではない.これを比喩的に説明するには,寺院の金堂を思い浮かべればいい.そこでは仏像がまず創られており,建物はそれを覆う鞘堂として建設された.美術館という枠が拡張して,美術品と建物が一体化している.……それを美術館という広義の制度の展開過程に位置づけることも可能だろう.それを第三世代美術館と呼ぶことをここで提唱したい》「奈義町現代美術館建物紹介」 この意味では,オランジュリーは第三世代に当てはまる.しかし,磯崎の文章が《それぞれの作品は,現場制作(in−situ)されます.Site Specificと呼ばれる形式です.内部空間の全要素(形態・光・素材・視点・時間…)が作品に組みこまれているので,観客はその現場に来て,中にはいって,体験してもらわねばなりません》と続くとき,特定の展示場所に対する意識がなかったことが,第三世代とオランジュリーを分けると考えられるだろう.

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今回の改修ではコンクリートの打ち放しがインテリアの随所に現れており,エントランスや「睡蓮の間」の外観にセパ穴が並んでいる.地下の展示室では,トップライトが確保された通路状のスペースの展示壁面がやはり打ち放しで,そこにルノワールなどの印象派絵画が展示されている.試みとしては理解できなくもないが,さすがにセパ穴は塞いであるものの,コンクリートの打設がお世辞にもきれいとは言えないし,絵を架ける位置が限定されてしまう.初期の安藤忠雄のような繊細な表情を持ち得るのであればよいかもしれないし,コレクションの常設なので展示換えを行わないのかもしれない.それにしても現代美術ならばまだしも,国立美術館の印象派絵画をこんな壁面に展示するなんてたいしたものだ.

美術 | Posted by satohshinya at November 8, 2006 16:51 | TrackBack (0)

アプローチ@paris

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「Maison Europeenne de la Photographie Ville de Paris(パリ・ヨーロッパ写真館)」もまたマレ地区にある1706年に建てられた邸宅に増築を加えた建物.1996年にYves Lionの改修によりオープンした.

どの展示室も真っ白な壁を持つが,床は邸宅部分がフローリング,増築部分が石と使い分けられている.邸宅は既存の窓が並び,増築は展示室のために窓のない大きなボリュームとなり,その対比を見せるというよくあるパターンのファサードだが,邸宅が前面道路側に庭を持つことから増築にもそれを延長させ,その境界にアプローチを通す配置計画がよい佇まいを生み出している.内部と庭の関係については,階段に大きな窓があるくらいで,もう少し外部との関係が取り込めていれば更によかったろう.
その増築部分の前庭は,田原桂一による『Le Jardin NIWA』(2001)と題された,白砂と黒砂(?)による庭にガラスのオブジェが置かれた作品となっている.個展を行った際に設置されたようだが,なぜここに? 開館時の写真を見ると,アプローチの左右に同様な植え込みが連続していて,庭の間を通り抜ける状況が明確であったようだが,現在は左右が別物になってしまっている.庭のデザインとしてはともかく,全体の関係としては以前の方がよいように思える.
「Un été Itarien」と題して,イタリアに関する4つの展示が各階で行われていた.2階のSalle Hénault de CantobreではPatrizia Mussaによる「La Buona Ventura」展,3階のGalerie ContemporaineではGabriele Basilicoによる「Photographies 1980-2005」展,4階のCollection Permanenteではイタリアのコレクターによる「La Collection Anna Rosa et Giovanni Cortroneo」展(参考リンク)がそれぞれ開催中.1階のカフェの奥にあるプロジェクトルームのようなLa Vitrineでは,Francesco Jodiceによる「Crossing」展をやっていたが,ここは大きなガラス窓を持ち,アプローチのある道路とは別の道路に直接面していて,ほぼ等身大の通行人の写真と相まっておもしろいスペースとなっていた.帰りに外側から見ようと思って忘れてしまったけれども,どんなふうに見えたんだろう?(参考リンク:
もう1つ,Ángel Marcosによる「À Cuba」展が地下のLes Ateliers,La Cimaiseで開催されていた.ヴォールト天井を持つ石造りの蔵のような既存の空間をそのまま残し,おもしろい展示室となっていた.特に狭い穴蔵のような映写スペースがとてもよかった(参考リンク:地下カフェの写真あり).

美術 | Posted by satohshinya at November 7, 2006 13:00 | Comments (3) | TrackBack (1)

オプション@paris

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国立写真美術館である「Jeu de Paume(ジュ・ドゥ・ポーム)」は2箇所ある.1つがチェイルリー公園にある「Jeu de Paume - Concorde(コンコルド)」で,もう1つがマレ地区にある「Jeu de Paume - Hôtel de Sully(シュリー館)」.

コンコルドは1861年に室内球戯場として作られ,そこで行われていたのがジュ・ドゥ・ポームというテニスの原型となる球技で,そこから建物の名前が付けられたそうだ.1909年から展示室に機能転用され,22年には美術館,47年からは印象派美術館として利用されていたが,オルセー美術館の開館に伴い作品が移管され,91年からは写真や映像を中心とする現代美術館となった.改修はAntoine Stincoによる.入口から斜めに上がってゆく階段が大げさだが,動線としてはそのまま真っ直ぐに1階の展示室に入り,奥の階段で2階に上がってから降りてくることになるので,この階段は下りにしか使われない.展示室自体はヴォリュームの大きいホワイトキューブであるものの特筆すべきところはなく,元々の建物もそうだったのかどうかはわからないが窓が塞がれている.2階の壁際にトップライトがあったようだが(参考リンク:4-Met三田村氏報告書p15-16)あまり記憶がない.
ここではシンディ・シャーマン回顧展が行われており,初期の作品から最新作までほとんどの代表作を網羅したすばらしいものだった.日本でもシャーマン展は行われているので大部分は見たことがあるものだったが,初めて見る70年代の作品(ショートフィルムまであった!)は非常に興味深いものがあった(参考リンク:展示の動画あり展示の写真).しかし,コンコルド広場に面した絶好の場所だし,企画もよいのだから,もう少し展示室に個性がほしいところ.
一方のシュリー館は,1624年に建てられた有名な邸宅の1階にある.ここも紆余曲折の末に1994年から写真ギャラリーになり,2004年からジュ・ドゥ・ポームの別館となったそうだ.建物自体は歴史的建造物に指定されているが,展示室自体は地下室をきれいに改装して使っているという雰囲気で,悪くはないけれども特別なものでもない.もちろん住宅なので天井高が高くないのだが,小さな写真の展示には全く問題がない(ここに展示室の写真あり).「Poétique de la Ville: Paris, Signes et Scénarios」展を開催中で,パリの街を撮影した作品が並ぶ.
何れにしても,国立の美術館だけでルーブル,オルセー,ポンピドゥーとありながら,パレ・ド・トーキョーやここのようなオプションがあるというのはすごいことだ.
写真はコンコルドの横にあったジャン・デュビュッフェ

美術 | Posted by satohshinya at November 4, 2006 12:08 | TrackBack (0)

インテリア@paris

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3度目のパリだったが,「Musée d'Orsay(オルセー美術館)」は初めてだった.コレクションはもちろんすばらしいものばかりなのだが,ガエ・アウレンティによる改修がどうしても気になってしまった.

ヴィクトール・ラルー設計による鉄道駅とホテルを,1986年に美術館として開館させたことは有名な話で,機能転用美術館の典型例である.実際の改修時の設計はRenaud Bardon,Pierre Colboc,Jean-Paul Philipponによるもので,アウレンティはインテリアを担当した.アウレンティが美術館の改修やディスプレイを得意としていたために選ばれたのだろうが,そのデザインはどうも装飾的な気がする.
有名なホール部分だが,大空間を19世紀の美術作品に見合うように丁寧にスケールダウンしようとしていることはわかるが,そのために空間と作品との関係がうまく取り結べていないように思える.一方で6階の展示室はゴッホなどの印象派による名作が並んでいるのだが,ここは大変に狭く,その上に柱や梁などに装飾過多なデザインが施されていることが鬱陶しかった.その顕著な例が展示壁面にある等ピッチの穴.上部では絵を架けるために,下部ではタイトルを表示するために使われるのだが,これが結構うるさい.何れにしても迷宮のような館内を足早に回っただけなので何とも言えないが,インテリア的なデザインが優先されすぎているため,作品と一体となった展示空間の魅力を獲得できていないように思える.
オルセーでも企画展示が行われていて,1階の大きな企画展示室ではJens Ferdinand Willumsenの個展「From Symbolism to Expressionism」を開催していた.その他にも現代アーティストを招いた企画や,3階の小さな企画展示室では日本の国立西洋美術館が協力した「Auguste Rodin / Eugène Carrière」展か行われていた(日本ではこれだけで西洋美術館の企画展になる!).また,グラフィック写真についても随時展示が替えられているそうだ.この美術館のコレクションを思うと企画展は添え物のように思えるが,それでもしっかりと行われているということだろう.

美術 | Posted by satohshinya at November 2, 2006 21:45 | TrackBack (0)

シンメトリー@paris

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「Palais de Tokyo(パレ・ド・トーキョー)」「Musée d'Art Moderne de la Ville de Paris(パリ市立近代美術館)」は,1937年のパリ万博の際に美術館として建てられた建物である.ガイドブックなどでは日本館として利用されていたと書かれているが,その時のパリ万博日本館は坂倉準三が設計した有名な建築で,全くの別物である.実際には近代美術館としてJean-Claude Dondel,André Aubert,Paul Viard,Marcel Dastugueにより設計されたもので,建物全体の名前がパレ・ド・トーキョーという.トーキョーと付いているのは建物が建っている堤の名前Quai de Tokyoにちなんだものらしい.

庭を挟むシンメトリーな外観の建物がセーヌ川に面して並び,西翼がパレ・ド・トーキョー,東翼が近代美術館.それにしても,いつの頃からかシンメトリーなデザインは敬遠されるようになった.こんな例もある.『横浜港大さん橋国際客船ターミナル』を設計したfoaのアレハンドロ・ザエラ・ポロは,そのデザインを説明するために動物の顔を引き合いに出している.一見するとシンメトリーに見えながらも,細部はさまざまな要因で形が異なっているのが当たり前で,同様にターミナルもシンメトリーではないそうだ.確かに人間の顔だって厳密にはシンメトリーではない.

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それはともかくパレ・ド・トーキョーは,パリで今回見た美術館でもっともおもしろいところであった.現代美術の企画展専用のギャラリーであり,1階に全ての展示室が納められている.展示室は壁が真っ白く塗られているものの,床はモルタルのままで,天井も既存のコンクリートやレンガによる躯体が剥き出しになっている.特に奥の展示室は途中からカーブを描いており,そこには切妻屋根の架構と木製の下地が露出している.一歩間違えると廃屋に見える,というよりは人によっては十分に廃屋に見えるような,そんな寸止めの手の入れ方に好感を持った.外部が間に入り込む櫛形の平面形であることから,ハイサイドライトより自然光が十分に入ってきていて,この巨大で荒っぽい空間は本当に現代美術にふさわしいと思う(参考リンク:).建設後はポンピドゥーが開館する1977年まで国立近代美術館として使われ,国立映画学校などを経て,アン・ラカトンとジャン・フィリップ・ヴァサルの改修により2002年に現在の形でオープンしたそうだ.つまり,この現代美術館もまたフランス国立である.
大きな展示室を1人(組)のアーティストに割り当てたグループ展「Tropico-Végétal」を開催中で,タイトルが示すとおりリゾート感覚溢れる内容だった.特にHenrik Håkanssonweb)の本物の植物を使った作品は展示空間にふさわしい迫力のあるものだった.他のアーティストはJennifer Allora & Guillermo Calzadillaゲルダ・シュタイナー&ユルグ・レンツリンガーweb),Salla Tykkäweb),セルジオ・ヴェガ.奥には仮設だか何だか分からないが,木製の巨大な客席による映写スペースがあって,これもまた1つの作品のようにすら見えた.しかし,これほどの空間を使いこなすためにはアーティストの力も問われることだろう.

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今回の展示とは関係ないようだが,建物に隣接してアーティストRobert Milin,建築家Laurent Dugua,Marc Pouzolによる2つの庭がある.敷地の高低差と建物の間に生まれた隙間を木製デッキで歩くだけだが,不思議な場所へと変化させることに成功している(参考リンク:).

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一方の近代美術館は多層に亘っていて,地下にピカソやモネなどの近代美術から現代美術に至るまでの膨大なコレクションが展示されている.しかも,ここだけは無料である.1937年の建設後,戦争を挟んだ1961年にようやく開館したそうで,90年代の改修は2000年のポンピドゥー改修を担当したJean-François Bodinにより行われ,最近も2年間の休館を経て今年2月に再オープンしたばかり.そのためかパレ・ド・トーキョーと同じ外観でありながら,内部は全く異なる上品な美術館に改修されていた.地下には年代順に並べられたコレクションの他に,いくつかの作品のために特別に用意された展示室があり,マティスの作品にダニエル・ビュランの作品が向き合う部屋や,ニエーレ・トローニやクリスチャン・ボルタンスキーのインスタレーションが常設された部屋がある.更に2階レベルにはラウル・デュフィがパリ万博のパヴィリオンのために描いた巨大な壁画を展示する部屋があり,なぜかその中央にはナムジュン・パイクの作品が置かれている(参考リンク:).
1階の企画展示室ではダン・フラヴィンの回顧展が開催中.パレ・ド・トーキョーと同じカーブを描く展示室を持つのだが,完璧に手を加えられている展示室は全く異なる印象を持つ.展示室は小さく区切られており,更に上階に展示室を持つために天井の高さもそれほど高くなく,部分的に窓を持つ展示室もあるが基本的には人工光のみである.しかし,床に光沢のある薄いグレー色の材料(塗り床?)を使用しており,床に作品が映り込む様子は特にフラヴィンにはふさわしいものだった(参考リンク:Hayward Galleryにおける同一巡回展).3階レベルにもう1つ企画展示室があり,ケリス・ウィン・エヴァンスの「...In Which Something Happens All Over Again for the Very First Time」展が行われていた.ここだけは最上階であるために全面トップライトの天井を持ち,洗練された展示空間を作り出している.ぶら下げられた照明器具がJ.G.バラードなどのテキストに呼応して明滅する作品などを展示していた(参考リンク).
この2つの美術館はシンメトリーな外観によってほとんど同じヴォリュームを持ちながら,全く異なるインテリアを持つ.一方は巨大な空間をそのままに荒々しい展示室を作り出し,一方はさまざまに空間を分割して広大で洗練された展示室を作り出している.当初の建物がどのようなものであったのかはわからないが,これだけ対比的な美術館が並び合うことがおもしろい.特に計画により実現させることが困難であると思えるパレ・ド・トーキョーの荒々しい空間は非常に魅力的であった.

美術 | Posted by satohshinya at November 2, 2006 9:32 | TrackBack (0)

音楽と映画と美術館

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ZKMMedienmuseumに新しいスペースが登場した.「Das Museum der zeitbasierten Künste : Musik und Museum - Film und Museum」展と題し,音楽と映画という時間芸術を美術館の展示スペース内に組み込むためのものであり,音楽(Institut für Musik & Akustik)と映画(Filminstitut)のそれぞれの部門を持つZKMならではの試みである.

コンサート映像を上映するKonzertRaum,電子音楽アーカイブを常設するHörRaum,映画を上映するFilmRaumの3室が新たに作られた.とは言っても,ビデオインスタレーションを上映していた展示室を改造しただけで,残念ながら特別に建築的な仕掛けがあるわけではない.しかし,企画展に関連した映像を上映するだけでなく,美術館に展示されている作品として映画や音楽を扱うとことはあまり例がないように思う.
KonzertRaumでは「Ein Viertel der Neuen Musik」と題し,ルイジ・ノーノヴォルフガング・リームヘルムート・ラッヘンマンなどの現代音楽家による作品のコンサート映像に解説テキストを被せたものが上映されている.HörRaumでは,国際的な電子音楽アーカイブであるIDEAMA(The International Digital ElectroAcoustic Music Archive)から好きな作品を自由に選び出して鑑賞することができる.FilmRaumではアニエス・ヴァルダの作品や,FilminstitutのディレクターであるAndrei Ujica自身による宇宙飛行士のドキュメンタリー作品などが上映されている.残念ながらフィルムではなくビデオプロジェクターを用いているのだが,貴重な作品を見ることができる.
しかし,確かにおもしろい試みではあるのだが,美術館に長時間滞在して映像を見続けるのは骨が折れる.これはこのスペースに限らず,ビデオアートの持つ問題でもあるだろう.美術館で日常的に貴重なコンサート映像や映画を見ることができる,という意味では画期的であるかもしれないが,既に映像を見るアートがこれだけ溢れている現在において,この行為にどのような意味があるのかを考えなければならない.もし上映(展示)される場所やクオリティがどのようなものでもかまわないのであれば,いっそのことYouTubeで見ることができればもっと画期的なのかもしれないけれど.

@karlsruhe, 映画, 美術, 音楽 | Posted by satohshinya at October 27, 2006 17:40 | TrackBack (0)

美術館のショーウィンドウ

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市制記念日に続いてこれも古い話だが,ZKMのSubraumでの展示について.ZKM自体は元兵器工場を機能転用しているが,そのエントランス横にガラス張りのヴォリュームが増築されている.2階はコンサート用スペースのKubusで,その下にSubraumは位置している.

つまりZKMの顔とも呼べる場所なのだが,実際には周囲を巡るガラスは部分的にルーバーのように傾けられた半外部となっており,内部は中央に円形のステージがあって,周囲には水が張られている.なぜ水が用いられているかは,設計時のコンセプトの変遷による名残とかで,とにかく正面に位置しながらもなかなか有効に使うことが難しい場所となっている.ちなみにこの全面ガラス張りの増築だが,Kubusもホールであるために窓がなくて青い壁面が見えるだけで,結局ガラスは単なるスキンとなってしまっている.一応Subraumは作品を展示するショーウィンドウとして利用されているものの,この環境では展示できるものが限られてくるだろう.
そこにイタリア作家Stefano Scheda『Meteo 2004』が設置された.この作品はサッシ割に合わせて並べられた6面のスクリーンに映像が映し出され,それに合わせてマシンガンの音が付近に響き渡るというもの.映像は19時頃からスタートするのだが,展示期間が夏だったため,周囲は21時頃にようやく暗くなり始める.作品をまともに見ることができるのは大分遅い時間になってからで,オープニングも22時から行われたほど.その一方で,スクリーン自体はガラスのすぐ後ろに設置されていたために,昼間は内部の目隠しとなってしまっていた(もちろん内部には何も展示されていなかったが).作品自体は外部に展示するにはやや暴力的ではないだろうかと思うが,確かに迫力のあるものだった.展示室でこぢんまりと見せるよりは,このくらいの方がよいのかもしれない.建物と一体となって外部へメッセージを発する,という意味では成功と言えるだろう.

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@karlsruhe, 美術 | Posted by satohshinya at October 27, 2006 15:21 | TrackBack (0)

世界遺産のある街@speyer

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シュパイアー『地球の歩き方』には登場しないマイナーな街だが,ドイツで2番目に世界遺産に登録されたロマネスク様式の大聖堂がある.1030〜1124年に建造され,当時はヨーロッパ最大の教会であったそうだ.その後のゴシック様式の大聖堂と比べると装飾過多ではない分,内部に空間的な操作が見られる気がする.

それはともかく,そんなシュパイアーには2001年に作られた「Kulturhof Flachsgasse」という名前の一角があって,「Städtische Galerie(市立ギャラリー)」「Kunstverein Speyer(クンストフェライン・シュパイアー)」が同じ建物に入っている(他にも「Winkeldruckerey und Typographisches Kabinett」というスペースもあったらしい).何れの展示空間も天井が低く,美術館というよりは市民ギャラリーといった感じ(なぜかwebではQuickTimeを見ることができる.外部,内部キャビネット).5年前のデザインとは思えない.設計はシュパイアーの設計事務所Architekturbüro Weickenmeier.展示もやはりシュパイアーに関わりのある作家を選んでいるようで,1階の市立ギャラリーではKurt Kellerによる写真展「LichtZeitRaum」,2階のクンストフェラインでは「Neuland 5」と題したBrigitte Ebert,Michael Heinlein,Thomas Koppの3人展を開催中.作品もそれなりという感じ.ヨーロッパにだってこんなところもある.
写真はシュパイアー近くにあるライン川沿いの原発.

美術 | Posted by satohshinya at October 26, 2006 23:12 | TrackBack (0)

市の誕生日

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マルクト広場にあるラートハウス(市庁舎)でZKMの出張展示が行われた.

カールスルーエの市制記念日に行われるイベントの1つで,あちこちの広場でコンサートなどが行われている中,やはりメディア・アートらしく暗い室内での展示だった.もっとも,内容としてはアートというよりは,360°のパノラマスクリーンを紹介するもので,撮影した素材を連続した1つの映像に変換させるシステムが重要であるようだ.webで詳細なMovieを見ることができる.
写真は秋のカールスルーエ.

@karlsruhe, 美術 | Posted by satohshinya at October 26, 2006 16:59 | TrackBack (0)

サイト・スペシフィックと機能転用@colmar

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コルマールにある「Musée d'Unterlinden(ウンターリンデン美術館)」は1232年に創設された修道院を機能転用したもの.ここはグリューネヴァルトの『イーゼンハイム祭壇画』(1512-16)でよく知られている.

この有名な祭壇画は元々は異なる修道院に付属した礼拝堂に置かれていたもので,それが後年になって元修道院であった美術館の,やはり礼拝堂であった展示室に置かれている.つまりは,ある特定の場所のために描かれた(サイト・スペシフィックな)作品が,結果的に以前と同様な機能を持つ場所に展示されていることになる.
ここに限らずヨーロッパでは,19世紀以前の美術を展示するための場所に歴史的建造物を転用したものが多く見られる.そしてそれらは展示空間として成功しているものが多いように思う.これらは磯崎新の言うところの第一世代の美術館に当たり,「教会にあった祭壇画や彫像を台座ごと持ってきて飾ったもの」をコレクションしており,その後の第二世代が額縁や台座を予め持つ移動可能な近代美術に対応したホワイトキューブということになる.
それでは,なぜ第一世代の美術館では機能転用が成功したのか? 思い付いた理由を適当に挙げてみる.教会にあった祭壇画や彫像などの作品は,それらが設置された建築物と機能的には一体化していたが,空間や場所との密接な関わりが(サイト・スペシフィックでは)なかったためにどのような建築空間にも展示可能だった./近代以前の(ある規模の)建築空間には機能による明解な差異がなかったため,どの空間に展示しても大きな齟齬が起きなかった./そもそも展示室として機能する空間を持つ建築物だけが美術館に転用されており,あらゆる近代以前の建築物が美術館に機能転用できるわけではない./宗教画などは展示空間と強い関係を持たず,天井が高いなどの崇高さが必要なだけだった./作品が描かれた時代と,それを展示する建築物が建設された時代が一致していたため.何れもたいした根拠はない.
「ウンターリンデン」を例に考えてみる.祭壇画のある展示室は元礼拝堂であり,壁こそ白いものの天井にはゴシック様式による交差リブヴォールトが現れ,シンプルな平面形状の教会のように見える.グリューネヴァルトの作品は実際には聖人の木造が安置されている扉に描かれたもので,二重の扉の両面に描かれており,それらはバラバラに展示されていることになるらしい(写真は一枚目の扉に描かれたもの).同じ修道院の礼拝堂に展示されているといっても,祭壇の扉という機能や礼拝堂空間との関係性は無視され,中央部に独立したオブジェのように置かれている.むしろ新しく芸術作品としての役割を担い,それに相応しい展示が試みられている.しかし,この祭壇画がフローリングにトップライトの同じ大きさの空間を持つホワイトキューブに置かれていたとして,それは果たしてこの作品に相応しいだろうか? やはりそうとは思いにくい.元礼拝堂の空間が持つ何らかの性質が,芸術作品として扱われた祭壇画に対して何らかの働きかけを行っていると考えるのが妥当ではないだろうか?

美術 | Posted by satohshinya at October 26, 2006 16:16 | TrackBack (0)

カンディンスキーの壁画@strasbourg

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「Musée d'Art Moderne et Contemporain de Strasbourg(ストラスブール近代・現代美術館)」は,世界遺産でもある旧市街に隣接した場所に1998年にオープンした新しい美術館.設計のアドリアン・ファンシルベールはラヴィレットの科学産業博物館が有名で,ここもガラスのアトリウムを持つ大味な建築である.

名前の通り近代美術と現代美術の双方を扱う巨大な美術館である.1階に近代美術のコレクション,2階に現代美術のコレクションが展示されている.それらは近代はブラックやアルプなどの一般的なもので,現代はダニエル・ビュランやニエーレ・トローニなど(ここでコレクションの一部を見ることができる).その周辺のあちこちに企画展示室が散在していて,訪れたときに行われていた企画展は以下のとおり.1階の大きな企画展示室ではアメリカ人作家Christopher Woolの平面による個展.奥にある天井高の低い展示室ではBernard Dufourの個展「Rétrospective en 40 Tableaux」,そのメザニン階ではジョン・ハートフィールド「Photomontages Politiques 1930-1938」展.奥のもう1つの展示室にはギュスターヴ・ドレの作品があり,その一角にJean-Luc Parantのインスタレーション作品が設置されている.2階のプロジェクトルームでは,部屋全体に斜めの床を作り出した大掛かりなDitler Marcelのインスタレーション.このようにさまざまな企画が行われていたが,あまりおもしろいものはなかった.展示室も何れも特徴のない一様な空間で,特筆すべき点のない美術館だった.
唯一その中では,近代美術コレクションの中で展示されていたカンディンスキーがデザインした陶製の壁画が興味深いものであった.これはミース・ファン・デル・ローエに要請され,1931年にベルリンで行われたドイツ建築展の会場の音楽室に設置された作品を再制作したものである.デザインももちろんのこと,セラミックの持つ表情がおもしろいインテリア空間の可能性を改めて示唆している.
ストラスブールには他にも美術館がある.大聖堂の横には,18世紀の古典主義様式による司教館であったパレ・ロアンが,今では「Musée des Beaux-Arts(美術館)」装飾博物館考古学博物館の3つのミュージアムに機能転用されている.2階にある美術館は14〜19世紀のヨーロッパ絵画をコレクションに持つ.その隣にある「Musée de l'Œuvre Norte-Dame(ルーブル・ノートルダム博物館)」は,14世紀と16世紀の建物を機能転用して11〜17世紀の絵画や彫刻をコレクション.一般的に日本語では博物館と訳されているが,美術館と呼べる内容.これらのミュージアムをまとめて紹介しているのがMusées de Strasbourgで,ここでは美術館と博物館の区別は存在しない.
写真はストラスブール駅をガラスキャノピーで覆うという意味不明なプロジェクトの構造.パースを見ると,前面だけが覆われるらしい.何のために?

美術 | Posted by satohshinya at October 3, 2006 9:44 | TrackBack (0)

トップライトの影@baden-baden

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「Staatliche Kunsthalle Baden-Baden(州立クンストハレ・バーデンバーデン」)」は,Hermann BilingとWilhelm Vittali設計により1909年にオープンした.2人ともカールスルーエ生まれの建築家.ここはクンストハレの名前の通り,コレクションを持たない企画展専用の美術館である.温泉で有名な保養地のバーデンバーデンだけあって,美しい公園の中に位置しているのだが,その入口脇にはリチャード・セラの作品が置いてあったりして,箱根の美術館とはちょっと違う.

展示空間がなかなかよい.1階の入口から2階への階段を上がると最も大きな展示室(Großer Lichtsaal)に直接出る.その天井はトップライトを持つのだが,隅の方では屋根の上に掛かる木の影がガラスに映っていて,なんとも風情がある.ニュートラルなホワイトキューブでは,光天井に木の影が映るなんてあり得ないのかも知れないけれど,この場所ではこのくらいの緩いトップライトが相応しく思える.平面図を見ると,1階に展示室が1室あり,2階に敷地なりにいくつかの異なる大きさ・形のホワイトキューブが並んでいるだけで,それほど特別なものには見えないかもしれないが,十分に小気味よい美術館となっている.特別なものが何もないことがよいというわけではないのだけれど,特別なものがなくてもよいものができる可能性があるということだろう.
シュテファン・バルケンホールの個展を開催中で,その作品が非常によかったことも美術館がよく思えた原因の1つだろう.日本で見た作品もいくつかあったけれども,やはり展示空間がよいと更に作品もよく見える.これまでにも意欲的な展覧会を行ってきたようで,こんな場所でも十分に現代美術が通用するというのはうらやましい限りだ.
その一方で,「クンストハレ」とガラス張りのブリッジで結ばれた隣に,2004年にオープンした「Museum Frieder Burda(フリーダー・ブルダ美術館)」リチャード・マイヤー設計だが,まさに箱根の美術館のようだった.マイヤーの作品としてはディテールを含めてよくできていると思うし,さすがにバーデンバーデンだけあってお金もたっぷり掛けられているようだ(こちらは建設のドキュメント).しかし,美術館としては首を傾げざるを得ない.周囲の緑を展示室に取り込むべく各所にスリット上の窓が開いているのだが,これが結果的に分節過多の落ち着きのない空間を作っている.もともとマイヤーの建築はそういう傾向があるのだが,これではバルセロナの方がまだよかった.
ここは個人コレクションを収めた美術館で,近代美術だけでなくゲルハルト・リヒタージグマール・ポルケなどのドイツ現代作家の作品を中心に集めている.地下の展示室でその作品の一部を見ることができる.企画展は「Chagall in Neuem Licht」展を開催中で,シャガールの代表作が数多く集められていたのだが,散漫な展示空間のために作品までもよくないように思える.もしかすると人によっては,ここはよくできた美術館であると思うのかもしれないけれど,ここまで壁や柱や窓やスロープが散りばめられた空間では,作品鑑賞以前にそれらの建築要素が気になって仕方がない.周囲の木々にしても,直接スリットから垣間見えるよりも,光天井に影を落とすくらいのささやかなあり方の方が,この場所と展示空間をうまく結びつけているのではないかと思う.

美術 | Posted by satohshinya at October 1, 2006 8:45 | Comments (2) | TrackBack (0)

有効なポストモダン@stuttgart

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ジェームズ・スターリング設計の「Staatsgalerie Stuttgart(シュトゥットガルト州立美術館)」の新館は,ポストモダン建築の傑作だろう.建築史家であるokw先生とこの美術館を訪れた際に,ポストモダン建築の代表作を挙げるとすると,やはりこれと磯崎新の「つくばセンタービル」だろうと話をしていた.

ポストモダンの話はともかくとして,この美術館は1984年の新館(Neue Staatsgalerie)だけでなく,Gottlob Georg von Barth設計による1843年の旧館(Alte Staatsgalerie),バーゼル現代美術館の設計者でもあるWilfrid and Katharina Steibによる2002年の旧館増築(Erweiterungsbau der Alten Staatsgalerie)と,世紀毎に更新された3つの建物によって構成されている.現在は旧館が再編成中であるため,新館のみがオープンしている(10月4日まで).
その新館で注目すべき企画展である,世界中の美術館からクロード・モネの代表作40数点を一同に集めた「Claude Monet: Effet de Soleli - Felder im Frühling」展が行われていた.ヨーロッパだけでなく,アメリカや日本の西洋美術館からも出品されているこの展覧会は,今までモネの作品にそれほど興味のなかったぼくも,はじめてその魅力を知ったすばらしいものだった.もちろん,これまで日本で見てきたモネが,これらの傑作と比較するとそれほどではなかったということだったのかもしれない.同じモチーフの作品を並べて展示したり,展示壁にもさまざまな色を塗り分けてみたり,点数がそれほど多くないながらも非常に充実した内容だった(webで展示作品の一部を見ることができる).
この企画展示室は新館に位置しており,ガラスの入口扉を入ると,フローリングの床と白いグリッド状のルーバー天井を持つ大きな空間に,構造的にはオーバーと思える形状の打ち放しコンクリート柱が林立している.ルーバーの中に入り込んだ柱は,ご丁寧に白く塗られている.この展示室は,ともすると妙な装飾が施されているように思えるかもしれないが,スケールが適切であるとともに意外とこの柱がチャーミングに見え,不思議な魅力を持つ展示空間となっている.ちなみに同様なデザインによる講堂もあるのだが,普通の椅子を並べただけのラフな場所となっていて,こちらも魅力的であった.
旧館と新館の2階が常設展示室になっている.旧館は壁さえ白く塗ればホワイトキューブとなる古典的な展示室が連続し,1900年までの作品が並べられている.作品を年代順に追っていくとすると,観客はそのまま同じレベルで1900年以降の近代美術が展示される新館へと鑑賞を続けることになる.その接続部には外壁の名残を思わせるゲートがあって,旧館と同じように見える連続した展示室へと繋がってゆく.新館は旧館と比較すると,展示室の大きさに若干違いがあり,ホワイトキューブと呼ぶべき白い空間と変化しているのだが,天井にトップライトを持ち,部屋を繋ぐ入口に装飾的な要素が施されていたりして,観客は新旧の違いを明確に意識せずに鑑賞を続けることになる.つまりここでスターリングは,建築デザイン上の対比だけでなく,内部空間における展示空間の時間軸に沿った対比も試みている.
この新館は,シンケルのアルテス・ムゼウムの平面構成を反転させ,中央のドーム部分を外部化し,そこに美術館とは絡まないパブリックな動線を通過させるという,歴史的・都市的な知的操作が行われていることが魅力と言われている(それ故か,一部に旧館の設計者がシンケルとあるが,それは間違いだろう).しかし,同時に展示空間に対しても同様な知的操作が加えられており,無理なく一体となった美術館を成立させている.建築におけるポストモダンは,単なる無作為な歴史的様式のコラージュとして,特に日本ではバブル期の商業建築の隆盛と結び付いてしまったため,今では過去の流行として忘れ去られるどころか忌み嫌われてさえいるような気がする.確かにこの新館も外見上の色や形に対する好みの問題もあるだろうが,これらの知的操作がポストモダンの大きな成果であるのだとすれば,まだまだ現在でも有効であると思える.

建築, 美術 | Posted by satohshinya at September 12, 2006 10:58 | TrackBack (1)

美術のための美術館@stuttgart

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「Kunstmuseum Stuttgart(シュトゥットガルト美術館)」は2005年にオープンしたばかりの新しい建物だが,コレクションのスタートは1924年に遡る.ベルリンの建築家であるRainer HascherとSebastian Jehleの設計による建物は,一見して単純なガラスの箱に見えるが,実は基壇の下に広大な展示空間を持つ.

1階と地下が常設展示室だが,特に地下が細長く変な空間だと思っていたら,プランを見てみると両側から道路に挟まれている特異な敷地条件による結果であることがわかった(特設サイトを参照).実際に訪れた限りでは,そのような地下道路の存在は全く窺い知ることができない.その悪条件を解いているということを差し引いたとしても,この地下の展示空間はあまり魅力的ではない.敷地自体が細いのに,吹き抜けを介して上下階に関係を持たせているため,なんだかスカスカの締まりのない展示室となってしまっている.1階も基壇部分にトップライトを嵌め込んでいるのだが,その光の落ちる先は廊下ばかりである(この辺の写真を見るとわかる).展示空間をキチンと作るよりは,どちらかというと建築表現を優先しているように見える.
更に上階のガラスの箱に入るとその傾向は顕著で,2〜4階が企画展示室だが,ガラスが廻るのは廊下状の部分だけで,その中に展示のために壁で覆った空間がある.しかもその空間は固定した壁で仕切られていて,中央には吹き抜けまであったりする.なんとも使いにくそうな展示空間だ.地下も上階も展示空間自体はいわゆるホワイトキューブで,天井は大部分が光天井だが,自然光は入ってこないようだ.
幸か不幸か企画展では「Leuchtende Bauten: Architektur der Nacht」展をやっていて,建築の夜景について,ブルーノ・タウトからはじまりH&deMやらヌーベルやらの模型や写真が並んでいた.コールハースのZKM(コンペ案)の模型を見ることができた以外は,こんなところでこんな展示を見たくなかったというのが正直なところ.一方で,テーマに合わせた暗い展示室を実現するためには,この閉鎖的な建物はピッタリであった.いや,これはほめているのではなくて嫌味です.
常設では,地下にあったレベッカ・ホーンのインスタレーションがよかった.吹き抜けのあるラフな展示空間だったが,これくらい力強い作品だと気にならない.その一角では「Frischzelle_04: Albrecht Schäfer」展という若手作家の展覧会がはじまるところだった.現代美術も視野に入れているのであれば,もう少し展示空間を考えてほしい.
唯一の見所であると期待していったのが,裏側の基壇に設置されたカールステン・ニコライ「Polylit」.ニコライはミュージシャンでもあり,Alva Noto名義で坂本龍一コラボレーションをやっていて,10月には日本ツアーも行われる.もちろんアーティストとしても,昨年にベルリンとYCAMですばらしいインスタレーションを発表したばかり(見てないけど).ということで期待していたが,実際にはインタラクティブな仕掛けがあるようなのだがよくわからず,単なる彫刻にしか見えずにガッカリ.
ちなみにこの美術館,Thomas Mayerという建築写真家(だと思う)が大量の写真をwebに載せている.この人のwebは充実していて,いろいろな建築の写真を見ることができる.驚いたのがこの写真で,他にもこんな写真をはじめとして長期に亘るドキュメントを大量にアップしている.この辺とともにいろいろ検索してみてほしい.しかしこの建物,完成したんだ.ドイツにあるんだよね.行ってみようかな?

美術 | Posted by satohshinya at September 10, 2006 10:14 | TrackBack (0)

水の波紋から11年@stuttgart

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シュトゥットガルトのBirkenwaldstraße沿いの住宅やその外部(庭)に150点の作品を点在させる「Vorfahrt」展が行われた.この通りは市街地近くから緩やかに蛇行しながら,丘の上の住宅地へと登ってゆく.終点にはシュトゥットガルト造形美術学校があり,そのすぐ先にはヴァイセンホフジートルングがある.

作品にはさまざまなレベルのものがあって,この場所でなければならないような巧妙な作品もあれば,別にどこの場所に置いたってかまわないような作品まである.予算の問題もあるのだろうけれど,それほど大げさなものは少なく,何れもささやかな作品ばかり.それにしても,住宅の中に展示しているもの(観客は外側から見る)もあって,これだけの作品をコーディネートするのは大変な労力だと思う.
日本も今では越後妻有が定着しはじめているように,野外展も特別なものではなくなりつつある.「Vorfahrt」の解説にもあるように,ゲント現代美術館の「シャンブル・ダミ(友達の部屋)」展からちょうど20年.この歴史的な展覧会を引き合いに出すまでもなく,個人的にはじめての野外展経験であった,同じヤン・フートのキュレーションによるワタリウムの「水の波紋」展ですら既に11年が経過する.表参道の歩道橋の下に川俣正がプレハブの倉庫を設置し,その中に吉田戦車(だったと思う)がマンガを書いているという作品があったり,今思うと都会の真ん中でよくやっていた(参考リンク:).その頃から思っていたけれども,やはり場所や状況との関わりを持つ作品の方が断然におもしろい.
午後からしかインフォテークが開いていなかったため,ガイドブックを購入することができなかったが,通り沿いに並んでいるために作品たちを発見できた.もちろん,「水の波紋」のときのように,アートを介して知っている街の新しい場所や視点を発見することと,まったく知らない場所をアートとともに廻ることは,大部異なる経験かも知れない.しかし,こんなことがなければ住んでもいないドイツの住宅地を子細に観察しながら歩くこともないだろう.日本と大きく違うと感じたことは,観客の人たち.杖をついたおばあさんが,ガイドブックを片手に作品を回っていたりする.
写真は作者はわからないが,住宅の窓の外側にカーテンを吊しただけの作品.なんてことはないけれど,気が付いたときには結構おもしろかった.
おまけ.ヴァイセンホフジートルングのコルビュジエ棟が,ヴァイセンホフミュージアムとして9月21日からオープンするそうだ.

美術 | Posted by satohshinya at September 8, 2006 6:22 | TrackBack (0)

Podcastと美術館

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ZKMでもPodcastがはじまっている.といっても「Lichtkunst aus Kunstlicht」展のオーディオガイドのPodcast版で,もちろんドイツ語のみ.ガイド・ツアーをはじめとする観客とのわかりやすい接点を生み出す活動は,Museumskommunikationという部門の仕事だ.

このオーディオガイドは,やっぱり自分のiPodに入れて作品を見ながら聞くことが想定されているのだろうか? こういった記事もあるから,きっとそうなのだろう.しかし,オーディオガイドは最近はどこでも見られるようになり,ヨーロッパの美術館や博物館,観光地では多くの人たちが耳を傾けている.ぼくはこれがあまり好きではなくて,そこから得られる情報が重要であることはわかるのだけれど,作品を見るテンポが阻害されてしまう気がしてイヤになる.事前に作品の背景をPodcastで予習をすると言っても,頭でっかちになってから作品を見るのもまた楽しくない.そうなると,時間の許す限りに読み飛ばすことができる文字情報(印刷物)を配布してくれるのが,個人的にはベターな方法だと思っている.もちろん音声だけでなく,画像や動画までもダウンロードできるようになってくると,確かに別の可能性があるのかもしれない.
そういえばMOTでもネットラジオ「Mot the Radio」をはじめている.もちろんオーディオガイド「Mot the Guide」もある.その他にも,スタッフによるブログ教育普及プログラムのブログなど,いつもは文句ばかりを書いているが,最近はがんばっているようだ.これについてもリンク記事あり.更に余談.長谷川祐子さんがMOTのチーフ・キュレーターになったようだが,金沢はどうなるの? とにかく,がんばれ東京!
おまけに「Lichtkunst」展について.この展示はとにかく膨大な光る作品が所狭しと3層のフロアに押し込まれていた.まるで秋葉原の照明売場に来ているような感じ(笑).その物量には圧倒されるが,どこをどのように見ればよいのか皆目見当が付かない.結局,光の中をさまようくらいしか手がなくなってしまう.もう少し交通整理がされていれば,本当に素晴らしい展示だと思うのだが,それが残念.webでMovieを見ることができる(右上のTRAILERをクリック).
写真は本題と関係なく,ZKM前のキース・へリング.最初はキースの偽物かと思っていたら,タイトルのパネルが設置されていた.なぜメディア・アートにキース? ちなみに子どもの滑り台と化して剥げている.

@karlsruhe, 美術 | Posted by satohshinya at September 7, 2006 14:20 | Comments (1) | TrackBack (0)

挿入された白い壁@luxembourg

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1882年に建てられたカジノ(ルクセンブルク建築家Pierre and Paul Funckによる)を改築した「Casino Luxembourg(カジノ・ルクセンブルク)」は現代美術の企画展を行う美術館である.改修はアーティストであり建築家でもあるUrs Raussmüllerによって行われ,1995年にオープンした.

ここでもやはり歴史的建造物の機能転用が行われているわけだが,展示空間として部屋の中に入れ子状にホワイトキューブが挿入されていることが特徴的であった.既存の部屋の壁ギリギリに白い壁がめぐっており,部屋と部屋の間や天井などから元の部屋のインテリアが覗いている.これには建物の展示への利用が恒常的に認めらたわけではなかったという背景があるようで,それを利用しておもしろい機能転用の方法を示している.その他にも道路側に向かって,ガラス張りの展示室が増築されている(webには,このパビリオンがジャン・プルーヴェによるものと書いてあるのだが……?).
ここでは「raconte-moi / tell me」展が行われており,12人(組)の作品が部屋毎に展示されていた.Melik Ohanianの映像作品の展示室では,明るい入口から奥の映像が映る部分に向かって,壁に白から黒へグラデーションが掛かっていた.実際には暗い部屋なので気が付く人はほとんどいないと思うが,印刷した壁紙を貼っている苦労の裏には,ホワイトキューブからブラックキューブへの移行をフィジカルに表現したいという意図が感じられた.バーゼルでも見たフランシス・アリスは,このホワイトキューブのあり方を逆手にとって,部屋と部屋の間を展示空間に選び,ホワイトキューブの外側の壁に映像を展示していた.映像といってもスライドプロジェクタを用い,床すれすれに路上生活者を小さく映し出すささやかな作品であり,それがこの展示空間にふさわしいものだった.上記の2つは見ることができないが(笑),webでは展示風景のMovieを見ることもできる.
クラシカルな建物にホワイトキューブを挿入した結果,それと同時に不思議な隙間が作り出された美術館.そういえば青木淳さんの作品にこんなものがあったことを思い出した.
ルクセンブルクにもmuséeskaartがあって,各美術館・博物館が無料になる.全ての情報をまとめたProgramme des muséesはwebでダウンロードも可能.
写真はルクセンブルク内のクレーン.足下は石を積み上げて固定している.ちょっと怖い.

美術 | Posted by satohshinya at September 6, 2006 0:52 | TrackBack (0)

アートにとって望ましい外部空間とは@luxembourg

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ルクセンブルクにあるデキシア銀行の本社を会場として「My Home Is My Castle」展が開かれていた.もともとロビー部分にギャラリー「Galerie l'Indépendance」が併設されていて,そこと庭園「Parc Heintz」を用いて現代作家の作品が並べられでいた.パナマレンコ,バルケンホール以外は,あまりなじみのないアーティストたちばかりであったが,なかなかおもしろい展示だった.

パナマレンコが置かれたギャラリーは,ガラス張りのロビーに絵を架けるための壁があるといった程度でたいしたものではない.一方の庭園は,もともといくつかの彫刻作品が展示されているのだが,邸宅跡の石積みが残されている趣のあるところで,それを用いた作品もいくつかあった.庭園に設置されている作品は何れも越後妻有を思い起こすようなインスタレーションだったが,中でもクロード・レヴェックのショッピング・カートを積み上げただけの作品は単純ながらも美しいものだった.後で調べてみると,レヴェックは水戸で個展もやっていて,妻有にも参加している(笑).
このような野外展示は場所に負うところが大きく,ここも遺跡が残る雰囲気のある場所なので成立しているような作品もあるし,場所をどれだけうまく利用しているかによって見え方が変わってくる.その意味では,レヴェックの作品は小高くなった高い木に囲まれた場所をうまく使っていた.ところで今年の妻有は行くことができないが,どうだったのだろう? あれも途中から作品を見に来ているのか,妻有の自然を見に来ているのかわからなくなり,作品が気に入ったのか,自然を気に入ったのか混乱してくる.まさにホワイトキューブとは正反対の主張する展示環境だ.そうだとすると,アートにとって最も望ましい外部空間はどのようなものか,という問いは成立するのだろうか? きっと意味がないだろう.つまり,アートにとって望ましい外部空間はデザインできないということだろうか?
この展示の情報はrhythm projectエントリーから得た.そうでなければ,こんな特殊な展覧会には行き当たらなかった.執筆者の遠藤さんに感謝.しかし,日本の銀行で現代美術展なんてやるかね? ちなみに立派なカタログを作っていて,それを会場で無料配布している.たいしたものだ.

美術 | Posted by satohshinya at September 5, 2006 23:24 | TrackBack (0)

遠距離のランドスケープ@luxembourg

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「Musée National d'Histoire et d'Art Luxembourg (MNHA)(ルクセンブルク国立歴史・美術博物館)」は元住宅を改修・増築した,歴史博物館と美術館が一体となった建物である.ルクセンブルク建築家Christian Bauerの設計により2002年に再オープンした.

通りに面して増築されたファサードはシンプルで,一見するとそれほど大きくない建物に見えるのだが,実際に中に入ると背後に隠れるように,18〜19世紀に建てられた2つの歴史的住宅を機能転用した展示エリアが拡がっている.既存部は地上5階,ファサードが面する広場の下は地下5階に及ぶ.実際には階高の低い住宅を基準としているため,展示エリアでは2層分利用しているところも少なくない.しかし,元魚市場であった敷地に広場を再生したり,その地下に中世の貯蔵庫を保存公開していたり,歴史的にも複雑で困難な立地に上品な解決を見せている.
地下階を含む大部分が歴史博物館のエリアで,地上3階からの3層のみが美術館になっている.最上階にはトップライトを持つ展示室があり,天井が高い増築部が企画展用であったが,訪れた時には展示換えのために残念ながら入ることができなかった.コレクションは近代美術までのアート(それ以降は「ジャン大公近代美術館」の担当)とルクセンブルクのアートが中心となっており,それらは天井の低い既存部に展示されている.

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その近くには「Musée d'Histoire de la Ville de Luxembourg(ルクセンブルク市立歴史博物館)」もある.ルクセンブルク建築家Conny Lentzの設計により1996年にオープン.ここもやはり中世に建てられたものを含む歴史的住宅を改修したもので,古い街並みの中にガラスのファサードが挿入されているが,4つの住宅を機能転用しているために内部は複雑.中では企画展として「Bilder, die lügen」展をやっていた.修整写真から最近のCG処理に至るまで,様々な場面で行われてきた嘘の映像をテーマとしたもの.
ここの活動は基本的に博物館と呼んでよいものだと思うが,一方でダニエル・ビュランによる「D'un Cercle à l'autre : Le Paysage emprunté」というパブリック・アートのプロジェクトを2005年にサポートしていたようだ.ルクセンブルクは城塞都市で,尾根のような部分に都市が築かれているが,その周りをグルントと呼ばれる低地に取り囲まれている.その7箇所に大きな円形の穴を開けたボードを設置し,それによって切り取られたルクセンブルクの風景を見せるという作品だった.もちろんこのボードにはストライプが描かれている.01年に一時的に展示された作品を,改めて常設作品として再設置したらしい.簡単な仕掛けの作品だが,パネルによってピクチャレスクな視点を発見させるとともに,丸く切り取られた風景と,それを取り囲むオレンジのストライプの絶妙な組合せにより,新たな風景を生み出している.その意味では,遠距離も射程に入れた,優れたランドスケープ・デザインであった.
ちなみにビュランのホームページで近作を見ると,あらゆる種類の作品を同時に生み出していることが分かる.ストライプだけでこんなに展開させるなんてよくやるものだ.

美術 | Posted by satohshinya at September 4, 2006 6:53 | TrackBack (0)

展示する場所/しない場所の区分けを無効にすること@luxembourg

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ルクセンブルクでは,前日に関係者へのオープニングが行われ,まさにその日に一般客へと公開される「Musée d'Art Moderne Grand-Duc Jean (MUDAM)(ジャン大公近代美術館)」を訪れた.1964〜2000年まで在位していたルクセンブルク大公国の国家元首であったジャン大公の名前にちなんだもの.ポンピドゥーみたいなものだ.名前は近代美術館だが,実際は現代美術を扱うところ.設計はI.M.ペイ.今更ペイの美術館なんてとも思ったが,とにかくヨーロッパの国立現代美術館のオープンに立ち会えるのならばとルクセンブルクまで行ってみた.

セレモニーでもあるのかと期待して行ったのだが,開館前には50人くらいの行列ができていただけで,残念ながら前日に華やかなオープニングは終わってしまった後のようだった.旧市街から離れた丘の上に新市街があるのだが,その端部に1732年に作られた要塞跡があり,要塞本体は博物館として整備中で,そこに隣接する遺跡のようなものの上に美術館は作られている.外観は石貼りによる最近のものとはとても思えないデザインだが,とりあえず中に入ってみた.
オープニングは「Eldorado」展.70年代生まれのアーティストも数多く含む現代美術が,全館を使って繰り広げられている.入口を入った正面に大きなガラス天井を持つホールがあり,そこには蔡国強の巨大な作品が堂々と展示してある.展示室というよりは,やはり展示室へ繋がる動線が集まるホールと呼ぶべき空間なのだが,ここもキチンと展示空間として使われている.この美術館には他にもガラス屋根を持つ大きな空間があり,大きな木までもが植えられているスペースがあるのだが,やはりそこにも作品が展示されている.いわゆる展示室然としているスペースにしても,建物全体が要塞跡に建つというコンテクストにより矢印状の平面形を持つため,菱形を変形したものとなっている.その他にも本体から独立したパビリオン状の展示室(もちろんガラス屋根),緩い円弧を描く壁を持つ展示室,メディア・アート用の暗い展示室など,いわゆるホワイトキューブと同じような性格を持ちながら,各々が個性を持った展示空間を作り上げている.しかも非常に良質な建築として実現しているのが,さすがペイと言うべきだろうか? アーティストもそれに応え,ピピロッティ・リストは菱形の展示室で見事なインスタレーションを行っていたし,ナリ・ワードのビンを吊した作品はパビリオンに展示されていたが,この空間のために作られた作品のようにすら見えた(実際は違うので,これはキュレーターの腕前だろう).
繰り返すようだけれども,建築デザインとしては前時代的なシンボリックなものと思わざるを得ないが,美術作品が置かれる場所をバリエーション豊かに提示しているという意味では,非常に新しい美術館なのかもしれない.動線も決められた順路を持たないが,あらゆる空間に作品が展示されているため,展示室と動線空間(及びロビー空間)といった区分けがほとんどされておらずに楽しく回ることができる.オーディトリアム(Mark Lewisの個展を開催中)も展示室に挟まれて通り抜けられるようになっているし,カフェやショップすらも,それらのインテリアデザインがアーティストの作品であるために展示室内に取り込まれている.パブリック・アートまでを射程に入れている現代美術にとっては,もはや展示する場所とそれ以外の場所といった区分けは必要ではなく,あらゆる場所に作品が介入可能であるということを美術館の中で再現しているのかもしれない.もちろん,そのバックグラウンドには良質な建築デザインがあることは言うまでもない.一歩間違えれば単なる商業施設のようになるだけだから.
この美術館では独自のフォントを開発して使用していたり,美術館のコンセプト,美術館建築のコンセプト,「Eldorado」展のガイドをそれぞれまとめた小冊子を無料で配布していたり(今後も無料であるかは不明),出版関係もクオリティの高いものを制作している.webも不思議なデザインで,文字画像のページがパラレルに存在しているというルールを理解するまでは戸惑ったが,他には見たことのない独自なもの.ちょっと不親切だとは思うが.何れにしても力の入ったオープニング展を見ただけの感想なので,今後どのような活動を行うのかわからないが,1つの重要な美術館誕生の瞬間に立ち会ったような気がした.

美術 | Posted by satohshinya at August 15, 2006 1:04 | Comments (3) | TrackBack (0)

ショッピングモール@basel

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「アート・バーゼル」と同時期にいくつかのアートフェアが開かれていた.「Volta Show 02」もその1つで,昨年から開始されたそうだ.「アート・バーゼル」でSCAIのUさんより勧められて急遽訪れてみることにした.他にも若いギャラリー(笑)を中心とした「Liste 06」などが開催されていたが,時間がなくて訪れることができなかった.

「Volta」の会場はバーゼル中心部から遠く,「アート・バーゼル」からはシャトルバス,「Liste」からはなんとライン川のシャトルフェリーによって無料送迎が行われていた.もちろん「Liste」(「バーゼル現代美術館」の対岸)からフェリーに乗り込むも,フェリーとは名ばかりの20人乗りくらいの小さなボート.しかも30分以上の長旅を経て会場付近に到着する.会場周辺は明らかに海運倉庫が立ち並ぶエリアで,運河に浮かぶ船を降り立ち,鉄道の線路を鉄橋で跨ぎ,やはり海運倉庫と覚しき建物へと入ってゆく.ちょっと横浜トリエンナーレを彷彿とさせるが,運河から直接アプローチするのでもっと特殊な場所に降り立つ気分になる(倉庫や周辺,フェリーなどここに写真あり).
アプローチまでは非日常的な雰囲気を十分に演出してくれるのだが,大きな倉庫を使った会場に入ると,結局普通のアートフェアと同様に細かく仕切ったブースが並ぶだけ.仮設で階段と2階を作っている非常に大掛かりなものであるが,結局普通のブースになってしまっている.しかも空調なんてないから2階は異常に暑い.もっと違う方法もあったと思うが,結局は小綺麗なギャラリースペースが再現されているだけ.当たり前だけど,場所の使い方は横浜トリエンナーレの方が断然おもしろかった.ここは観賞する場所というよりも買い物をする場所で,もちろん目的が異なるのだから仕方がない(内部の写真はここ,設営風景はここ).
こういう場所では,これがよかったとか作品個別の印象を持つのはなかなか難しい.もちろん見ている時間が十分でないこともあるし,こんなふうにスペースのことを考えている時点で場違いであるのかもしれない.「Volta」についてもいろいろ報告記事があるので,中身の詳細はそちらを参照してほしい(Volta報告1階2階京都造形大の研修報告,出展(店?)していたKaikai Kikiの報告(このページ後ろの方),伊東豊雄さんではなくて伊東豊子さんの報告(6月24日の日誌)).

美術 | Posted by satohshinya at August 13, 2006 14:33 | TrackBack (0)

動く美術,そして音楽と建築@basel

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ジャン・ティンゲリーはスイスのフリブールで生まれ,バーゼルで育った.そして「Museum Tinguely(ティンゲリー美術館)」が,スイス人建築家マリオ・ボッタの設計によって,1996年にバーゼルに建てられた.

凸レンズ型の屋根架構を用いることで,天井高のある巨大な無柱展示室を実現させており,自然光は妻側のガラス面から入ってくる.坂倉準三と村田豊設計による「岡本太郎邸(現岡本太郎記念館)」(1953)の大型版といった感じ.展示空間としてはどちらかというと大雑把な印象で,普通の絵画の展示には不向きに思えるが,ティンゲリーのような作品にはこのくらいの場所がふさわしい(ここの写真参照).地階にもティンゲリーの作品が並んでいて,作品の中には光やプロジェクタを用いているものもあるために薄暗い展示室が用意されている.2,3階には企画展示室があって,企画展ではティンゲリーの友人などの展示が行われるらしい.
さすがにティンゲリーの作品はどれも素晴らしいものばかり.もちろん初めて見るものが多く,通常は他の作品鑑賞が騒音によって妨げられるために稼働を制限している場合が多いが,ここの作品は全てボタンが足下にあり,全ての作品を子どもでも稼働させることができる(実際には稼働後に再び稼働可能となるためにはインターバルが必要なため,動いている様子を全て見るためには時間が掛かる).ティンゲリーの作品は動かなければ意味がなく,やはり実際に動くところを見るととても楽しい.しかし,ティンゲリー以降にキネティック・アートで特筆すべき作家が現れていないのは残念で,これらのローテクノロジーを用いたアートは,ハイテクノロジーを用いたメディア・アートへと形を変えてしまったのかもしれない.
企画展示室はホワイトキューブによる普通の美術館.そこでは前衛音楽家エドガー・ヴァレーズを紹介する「Komponist Klangforscher Visionär」展が開催されていた.楽譜などの様々な展示をはじめ,もちろん音楽作品も聞くことができる.音楽に関して詳しい知識がないのが残念だが,時間があれば隅々まで見て,聞いて回ると楽しい展示だろう(参考リンク:).ル・コルビュジエとヤニス・クセナキス設計の「ブリュッセル万博フィリップス館」(1958)に関する展示も行われていたが,建築はもちろん知っていたけれども,ここでヴァレーズの作品が演奏されていたことは知らなかった(参考リンク:).展示に併せて分厚いカタログも作られていて,おそらく資料的な価値も高い貴重な展示であったと思う.
この建物はライン川沿いに建てられていて,そのライン川を望むことのできるガラス張りの空間があるのだが,これが単なる1階から2階に上がるスロープ状の動線空間.しかも建物本体とブリッジで接続する分棟配置.ティンゲリーの作品を展示することは設計時から明らかなのだから,絶好の場所をこんな建築的表現で使用するよりは,作品と一体となった空間とすべきであった.非常に無駄な空間になっている.
庭園にはティンゲリーの噴水があり,これがまたすばらしい.噴水を作らせるとティンゲリーの右に出る人はいないのではないかと本気で考えてしまう.建物はともかく,これらのティンゲリー作品を見るためだけに,この美術館を訪れる価値は十分にあるだろう.

美術, 音楽 | Posted by satohshinya at August 13, 2006 6:56 | TrackBack (0)

これは一級品@riehen

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クレーの美術館ではさんざん文句を書いたけれど,この美術館は違った.「Fondation Beyeler(バイエラー財団美術館)」は1997年に開館したレンゾ・ピアノの設計による一級品.特に自然光を採り入れる全面光天井については,よくやっているの一言ことに尽きる.

「アート・バーゼル」開催中のバーゼルは「Art City Basel」と銘打ち,どこの美術館も通常とは異なる開館時間が設定されていて,ここも毎日20時まで開館していた(通常は水曜日のみ).有意義に時間を使おうと閉館間際にここを訪れたのだが,それが失敗だった.実際に訪れたのは19時過ぎで,もちろんヨーロッパの夏はそのくらいの時間でも十分に明るいのだが,この美術館の本当の醍醐味を味わうためにはやはりもう少し日の高い時間に行くべきだったと思う.そんな時間であったが,マニアックな天井のおかげで形容しがたい薄らぼんやりとしたホワイトキューブが生み出されていて,近代美術の展示には相応しい展示空間だった.コレクションも一級品ばかり.特にジャコメッティや,真っ白い空間に展示された真っ白なアルプ(だったと思う)の作品など,彫刻の展示におもしろいものがあった.企画展はマティスの「Figure Color Space」展.さすがによい作品が並んでいる.
強いて文句を書くならば,やや建物が長いために,全てがこの光天井システムであったとしても単調さを回避することができていない.妻側の庭が見える場所は特徴的な展示室となるが,それ以外は天井高が一定のため,部屋の広さを変えるくらいしかできることがない.調べたところによると,展示点数の増加により2000年に12メートル分の増築を行っているそうで,もしかするとその分が余計に建物を長く感じさせているのかもしれない.
展示室だけでなく,美しい庭園が拡がる周囲にも見事な佇まいを見せている.一方で想像以上に近接していた前面道路に対しては,豪邸を囲む閉鎖的な壁(塀)が延々と続いてしまっており,それが残念であった.また,塀や建物自身に用いられている赤っぽい石だが,柱にまで貼っているマニアックなディテールはともかく,訪れるまでは正直言ってそれほど魅力的な素材には見えなかった.しかし実際に訪れて通り沿いに周辺を歩くと,地元産なのだと思うが,そこかしこに同じ石が使われていることがわかる.その延長として通りに面する塀があると思うと少し納得できる.
ちなみに「バイエラー」と「ヴィトラ」とバーゼルは三角形の位置関係にあるが,2つの美術館も下記のようにバス(要乗換)で連結している.
・Vitra Design Museum → Fondation Beyeler
  at 9:47, 10:47...
   Weil (Vitra) Bus 55 → Weil (Läublinpark)
   Weil (Läublinpark) Bus 16 → Riehen (Weilstrasse)
  at 10:30, 11:30...
   Weil (Vitra) Bus 12 → Weil (Marktstrasse)
   Weil (Marktstrasse) Bus 16 → Riehen (Weilstrasse)
・Fondation Beyeler → Vitra Design Museum
  at 9:57, 10:27, 10:57, 11:27...
   Riehen (Weilstrasse) Bus 16 → Weil (Läublinpark)
   Weil (Läublinpark) Bus 55 → Weil (Vitra)

美術 | Posted by satohshinya at August 12, 2006 2:14 | Comments (1) | TrackBack (0)

トップライト@basel

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クンストハレはコレクションを持たずに企画展示を中心に活動する施設であることがわかった.そしてバーゼルにも「Kunsthalle Basel(クンストハレ・バーゼル)」がある.

ここもクラシカルな外観にホワイトキューブの展示室という毎度おなじみとなってきた取り合わせで,バーゼル芸術家協会の展示空間としてJohann Jakob Stehlin設計により1872年に完成した建物.何度か改修が行われており,2004年に改修された際に「Architekturmuseum(建築博物館)」が併設された.
中ではLee Lozanoというアメリカの画家による「Win First Dont Last, Win Last Dont Care」展をやっていて,コンセプチュアルに見える作品があったり,展示壁面を黒く塗った上に抽象画が掛けられていたり(これは作家自身による指示らしい),その一方でドリルの先端を描いたような具象画があったり,なかなか一筋縄ではいかない作品が並んでいた.
ここの展示室もトップライトによる光天井を持ち,当たり前の話かもしれないが,機能転用による美術館にはトップライトはなく,元々美術館として作られた建物にはトップライトを持つものが多いことに気付く.20世紀以前に建てられたクラシカルな建物の場合,内部空間のスケールの違いがあるものの,一見すると元々美術館であったのか機能転用されたものなのかわからないときがある.結局は室内を真っ白く塗り潰してしまえば,それだけで展示空間になってしまう.それらの違いの1つにトップライトのある/なしが考えられるかもしれない.しかし現代の美術館では,いかに天井から自然光を入れるかという課題に真剣に取り組んだものがある一方で,そんなことにはお構いなく照明を均質に配置するだけのものも少なくない.
「クンストハレ」の横にはバーゼル劇場があり,その前の広場にはリチャード・セラの作品とジャン・ティンゲリーの噴水もある.

美術 | Posted by satohshinya at August 12, 2006 0:46 | TrackBack (0)

オープン・ストレージ@basel

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Emanuel Hoffmann財団が自らの展示スペースとして作ったのが「Schaulager(シャウラガー)」.美術館ともギャラリーとも名付けられず,単に「シャウラガー」.「バーゼル美術館」や「バーゼル現代美術館」だけでは十分な展示が行えないために新しいスペースが必要とされ,ヘルツォーク&ド・ムーロンの設計により2003年にオープン.

1階では「The Sign Painting Project (1993-97) : A Revision」展というFrancis Alÿs(フランシス・アリス)の個展.作家自身が描かずに,看板画家に代わりに描いてもらった平面作品を展示.それらを立て掛けて重ねて展示してみたりしていて,絵そのものを見せるというよりもインスタレーションのようなコンセプチュアルなもの.最後の展示室では真っ暗な部屋に裸電球が1つぶら下がり,部屋の隅に小さな絵が1枚掛けられていたりしてなかなかおもしろい.そのためかそれほど大きなスペースを用いておらず,入口近くを壁で仕切って使っているだけで,背後には巨大な展示室が余っている.写真はこの展示室を後ろから覗いたもの(トイレに行く時に見える).使っていない部分の天井照明は点いているが,最後の暗い展示室の蛍光灯が消えている.
地下では「Analogue」展というTacita Dean(タシタ・ディーン)のフィルムや写真などによる個展.大きな展示室の中に16mmフィルムを使った作品のための小部屋がいくつも作られているのだが,これらがパヴィリオンのようにおもしろく配置され,その隙間が写真やその他の展示空間になっている.中心に3つの部屋が繋がったボリュームがあって,それにより単なるホワイトキューブではない展示空間が生まれている.しかも,それらが仮設の展示壁面とは思えないほどキチンと作られていることに驚く.今回は時間が十分になかったが,フィルム作品自体も時間を掛けてじっくり見てみたいものばかり.それにしても「アート・バーゼル」でもビデオではなくフィルムを使った作品を多く見掛けたが,最近の流行なのだろうか? ちなみにここで作品と展示風景の映像を見ることができる.地下には他にKatharina Fritschの巨大なネズミ,Robert Goberの大掛かりな水を使ったインスタレーションが常設展示.
作品,展示ともに質が高い一方で,建築はイマイチ.企画展示室は単なる巨大な空間で,柱も無造作に立っている.悪くはないけれどもよくもない.天井の照明もあまりにも一本調子.外観に至っては,エントランスの小さな建物にもう少し意味があるのかと思っていたけれども単なる通り道に過ぎないし,地下階を覗き込めるガラス窓もミラーフィルムが貼られていて外からは見えないし,大きく凹んだファサードはシンボリックなだけ.
しかし,どうしても腑に落ちないことがあった.天井の照明が一本調子であるのは,展示室の均質な照明を機能的に確保するとともに,地下から見上げた時に増殖して見える風景を作り出したかったのだろうということは理解できる.そうだとしても,2階以上の3層くらいに亘る空間は何なのだろうか? まさか見かけのためだけに照明を付けているわけがないし,事務スペースにしては大げさすぎる.調べてみたところ,そこは収蔵庫だったことがわかった.
美術館には「オープン・ストレージ」というアイディアがあって,展示室に展示しきれない作品を収蔵庫内で研究や鑑賞などの目的で限定的に公開する施設がある.それぞれの美術館が重要なコレクションを持っていたとしても,それらを見ることができなければ意味がないため,直接アーカイブにアクセスを可能にしようというアイディアだ.ポンピドゥーでも行われているというのを本で読んだことがあるし,日本でも博物館では行われることがあるようだ.それでも美術館で実現しているのは,平面作品が掛けられた収蔵庫内のラックが移動して鑑賞できるという程度のことで,インスタレーションを中心とした現代美術では例がないと思う.
「Schaulager」という名前はドイツ語で,「schau」が「みせること,展示」,「lager」が「倉庫,貯蔵庫」で,「見せる収蔵庫」という意味を持つ.その名の通り,この美術館(と呼ぶべきではないかもしれない)は現代美術におけるオープン・ストレージを実現した大きな収蔵庫だったのだ.確かにここで行われる企画展は年に1回で,今年は5月13日〜9月24日までのたった4ヶ月ちょっと.それ以外は基本的に内部は公開されておらず,研究を目的とする専門家や学生だけが上層階を含めたコレクションに一年中アクセスできる(もちろん建築関係者もお断り).
ここまでのアイディアはプログラムに関するもので,もちろんこれは財団が提示したものである.それをH&deMが建築化したわけだが,webなどでオープン・ストレージの写真を見ると,通常よりも接近して展示されている展示室といった程度の場所で,特別な空間の提案が行われているわけではないようだ.その意味でも,建築家の果たした役割が表層的な点に終始しているのが残念であった.何れにしても画期的なコンセプトによる美術館,もしくは収蔵庫であることは事実であり,今後の展開に期待してゆきたい.
余談だが,12年前に制作した自分自身の修士設計において,インスタレーションなどの空間化された現代美術作品を収蔵するオープン・ストレージを提案したことがある.それは地下鉄の駅に対してガラス張りの収蔵庫が面するといういささかオーバーなものであったが,ようやく現実が追いついてきたようでうれしく思う.

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美術 | Posted by satohshinya at August 9, 2006 23:30 | TrackBack (0)

U字型@basel

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「Kunstmuseum Basel(バーゼル美術館)」は1671年にオープンした世界で最も古い公共美術館であるそうだ.建物自体は1936年にRudolf ChristとPaul Bonatzにより設計された.Bonatzはシュトゥットガルトのスタジアムや中央駅も設計している.そんな細かいことは後から知ったことで,訪れた時は普通の美術館だと思いながら見ていた.

コレクションはヨーロッパの標準的な品揃えに思える.実際はかなり充実したコレクションなんだろうけれども,ヨーロッパの美術館を数多く見て歩くたびに大分感覚が麻痺したようだ.現代美術も揃っていて,ジャッドやリキテンシュタインが並んでいる様子はどこかの美術館を見ているよう(しかし,ここの情報を久しぶりに見ると,なんと今はこんなものをやっているとのこと.大丈夫か?).2階と3階がコレクション展で,中庭を囲んだ展示室を年代順に2周する.もう1つ小さな中庭を囲んだ2階が企画展示室で,「Hans Holbein d.J.」展というホルベインが若い頃にバーゼルで描いた作品を集めたものを開催中だった.
ここの姉妹館がEmanuel Hoffmann財団と提携している「Museum für Gegenwartskunst Basel(バーゼル現代美術館)」.ほとんど期待せずに行ったのだが,かなりよい美術館だった.
ここはライン川沿いに位置しており,小さな川(運河?)が中央を流れる狭く複雑な形状の敷地を持ち,片側に既存建物(19世紀の紙工場を改修して使用),川を挟んで増築部分を配置している.設計はWilfrid and Katharina Steibで,1980年にオープンし,2005年にリニューアルされたらしい.彼らもシュトゥットガルト州立美術館の旧館増築を手掛けている.80年代らしいデザインのためか外観は格別なものではなく,敷地条件のためにこのようにしか建てられなかっただけかも知れないが,結果的にできた展示室が大変魅力的なものになっている.

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ここでは「Emanuel Hoffmann-Stiftung」展というEmanuel Hoffmann財団からのコレクション展が開催されていた.建物のあちこちに分散されて展示された作品はなかなかおもしろいものばかり.無料で配布していた各作家の解説を掲載した小さなブックレットもよくできていた.特に再び出会ったFiona Tanの作品がよかったが,一面がガラス張りで吹き抜けを持つ展示室に小さな暗い部屋を作っているのは無理矢理な感じだった.財団のコレクションとともに美術館自体のコレクションも混在して展示されているのだが,これらを見るために4階建ての既存と増築を行ったり来たりする.展示室はやはりホワイトキューブだが,蛍光灯が素っ気なく露出して付けられていたり,既存の窓周りを斜めに縁取っていたり,装飾的な既存柱をオブジェのように部屋の中央に残したり,さりげないデザインが非常に効いている.

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最上階には天井高が高くトップライトを持つ大きな展示室があり,Daniel Richterによる大型の平面作品を集めた「Hunterground」展が開催されていた.作品自体も幻想的な具象画で,色の使い方が独特なおもしろいものだった.下階から螺旋階段を上がるとそのまま大きな空間に出るのだが,複雑な形状をした展示室の平面がU字型を描いていて,トップライトもそのままU字型になっている.トップライト自体の形状も悪くない.一続きの部屋だがU字型の平面形状のために空間が緩やかに分割されていて,様々な距離感で作品を見ることができる.例えるならば伊東豊雄さんの「中野本町の家」(1976)みたいな平面計画.もちろんあんなにストイックではないけれど.
バーゼルは他にも建築デザインとして優れた美術館が数多くあるので,必ず訪れるべきなんてことは言いにくいのだが,建築家自身の過剰なジェスチャーの少ない,良質な展示室を持つ美術館であることは間違いない.

美術 | Posted by satohshinya at August 3, 2006 23:17 | TrackBack (0)

ウィンドウショッピング@basel

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ようやくバーゼル編に突入.世界的なアートフェアである「Art 37 Basel(アート・バーゼル37)」に行く(気の早いことにwebは既に来年の情報を掲載中).会場は「Messe Schweiz」の2つの展示場.基本的にはお金持ちがアートを買いに来る見本市を,入場料を支払って一般の人々がウィンドウショッピングするというもの.

日本にも同様なアートフェアとして「アートフェア東京」(かつてはNICAFという名前だった)があって,会場内も同じように大きなメッセ空間を壁で細かく仕切ったブースが並んでいるだけなので,一見すると同じような雰囲気に思える.しかし,展示されている作品の質が高いことと,それを本気で買いに来ている人たちが半端でないほどお金持ちに見えることが決定的に異なっている.だからこそ世界中のギャラリーから最新の作品が集まってきて,それを見るだけでアートの最新動向がわかるということになるらしいが,会場があまりにも広いために見ているだけでクタクタになる.もちろん商売がメインであるのだから商品がよりよく見えることも考えていると思うが,同時に少しでも多くの商品を並べる必要もあって,最適な環境で作品を鑑賞するなんていう状況からはほど遠い.ちなみにこのギャラリーが並んでいたのがHall2で,Hans Hofmann設計により1954年にオープン.
もう1つの会場であるHall1は,Theo Hotz設計により99年にオープンしたもの.ここでは「Art Unlimited」展をやっていて,ブースに納まらない巨大な作品が並べられていた.これも売ってるものなのかも知れないけれど,美術館以外に誰が買うのだろうかという代物ばかり.インスタレーションやメディア・アートが多く,作品毎に壁で仕切られた部屋を持つか,部屋と部屋の間の通路に面して展示されているかのどちらかで,雰囲気としては横浜トリエンナーレ(特に1回目)のような感じ.つまり囲われたホワイトキューブを必要とする作品と,囲い込まれた場を必要としない自立した作品に分けられていて,やはりメディア・アートは囲い込まれた単なる暗い部屋が用意されていた.残念ながら「アート・バーゼル」だからといって特別な展示方法が採られているわけではなかった.よい作品も中にはあったが,共通したテーマや場所との関係といったコンテクストが全くなく(商品を並べているだけだから当たり前だけど),ただ脈絡もなく作品が並んでいるだけなのも残念だった.その中に石上純也氏のテーブルが展示されており,日本人建築家の作品であったためか,後でこの作品を見た人たちからいろいろと質問を受けた.さすがに話題となっていたようだけれども,これってアートなのかな?
屋外展示まであって,写真の噴水もパブリック・アートの1つ.さすがに話題のアートフェアなので,いろいろと報告記事・写真も多いので関連リンクを紹介(京都造形大の研修報告Unlimitedの報告女性起業家の報告お金持ち向けの情報).
ちなみに会場となったメッセは2012年に向けてH&deMが再編成を行うようである.バーゼルには彼らの事務所があり,お膝元だけあって大きな仕事だ.完成したらすごいもの(悪い意味で)になりそう.

美術 | Posted by satohshinya at August 3, 2006 13:28 | Comments (2) | TrackBack (1)

フェスティバルの時には@linz

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リンツの最後は「O.K Centrum für Gegenwartskunst(O.K現代美術センター)」.現代美術を対象とした実験的な施設だそうで,1930年代に作られたビルをPeter Rieplという建築家が98年にリノベーションしている.周辺が工事をしていたためか,今回の展示のためかよくわからなかったが,仮設の階段でいきなり2階に登らされる.webの写真と見比べてみると,正式な入口が塞がれていることもわかる(ブリッジもなくなっている!?).そんな導入部分に加えてラフな材料を多用したデザインも手伝って,建築までが仮設的なものに見えてしまった.

ここは企画展のみを行う場所で,「You'll Never Walk Alone」展が行われていた.ワールドカップ(ドイツ語圏なのでWM)に合わせた企画で,サッカーに関する作品が集められていた.訪れた時には「O.Kセンター」経営のカフェも設置されていて,イングランド×パラグアイ戦に盛り上がっている真っ最中だった.そんなタイミングに相応しい企画ではあると思うが,並んでいる作品がどれもこれもイマイチに思えた.建築自体が安普請に見えたために作品まで安っぽく見えてしまったのか,またはその逆なのかはよくわからないが,あまりよい印象を残さぬままに立ち去った.
後から知ったところによると,ここはアルス・エレクトロニカ開催時に関連展示が行われる場所であるらしい.確かに「アルス・エレクトロニカ・センター」よりはメディア・アートの展示場所に相応しいかもしれない.また「アルス・エレクトロニカ・センター」についても建物を中心に批判的なことを書いたが,その中の展示はフェスティバルから翌年のフェスティバルまでの1年間常設され,市民の誰もが作品と密接に関わることができることを意図しており,十分な作品の理解を助けるためにトレーナーも必要となるということらしい.(参考リンク:
何れにしてもフェスティバル期間中にリンツに行ってみないことには,これらの魅力が十分に理解できないのかも知れない.時間があればぜひ行ってみたい.
おまけに,リンツでもミュージアムの地図付きガイドブックが配布されていて(webではPDF版がダウンロード可能),街の中心にあるインフォメーションではお得な「Linzer Museumskarte」が販売されている.

美術 | Posted by satohshinya at August 3, 2006 0:16 | TrackBack (0)

結局重要なのは作品か?@linz

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「Landesgalerie Linz(リンツ州立ギャラリー)」も毎度おなじみのクラシカルな建築.ここも転用ではなく,1895年に展示施設として作られたようだ.創設自体は1855年に遡り,150年の歴史を持つ美術館.

これまたおなじみのようにいくつかの展示が同時に行われている.WappensaalではKatharina Mayerという写真家の個展をやっていて,上質なポートレイトに回転運動が加わった佳作で,更に実際に回転している様子が収められたビデオ作品もあった.展示室はこれもおなじみのフローリングに白い壁のホワイトキューブ.Kubin-KabinettはAlfred Kubinsという画家のコレクションを展示する専用の部屋.Gotisches Zimmerではコレクション展である「Selbstbildnisse」をやっていたようだが,既に見た記憶がない.FestsaalでもChristian Hutzingerの「Festsaal-bild 2006」をやっていたようだが,その夜のイベントに備えていたためか見ることができず.
そしてオーストリアで見た展示の中で最もすばらしかったと思うのが,Landesgalerie 2. StockでやっていたFiona Tanの「Mirror Maker」展.いわゆるプロジェクタを用いたメディア・アートの一種で,橋口穣二のように真っ正面から人物を捉えたビデオ作品と言ってしまえばそれまでだが,スクリーンの扱い方がとてもうまく,空間の完成度が非常に高い.まったく知らない作家だと思ったが,2001年の横浜トリエンナーレにも出展していたらしい.確かにこの作品は記憶にある.展示自体はホワイトキューブを暗くした,これもおなじみのダークキューブだったが,それでも作品に空間的なおもしろさによる強度があるためか,外部に面した小さな窓からはそのまま自然光を入れている.それでも十分成立していた.久しぶりに完成度の高いメディア・アート(と分類することもないけれど)を見た気がする.

美術 | Posted by satohshinya at August 2, 2006 0:32 | TrackBack (0)

科学博物館@linz

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アルス・エレクトロニカは世界的に有名なメディア・アートのフェスティバル.1979年から開催されており,87年からは「アルス・エレクトロニカ賞」も制定され,日本人では坂本龍一+岩井俊雄が『Music Plays Images X Images Play Music』で受賞している.そして96年に「Ars Electronica Center(アルス・エレクトロニカ・センター)」がオープンした.

そんな背景を持つセンターだから期待していたのだが,実際は美術館というよりも,どちらかというと科学博物館の様相を呈したものだった.メディア・アートが元々そういった展示となる可能性を秘めていることは理解できるが,少しゲームとしてのフォーマットが強すぎる気がした.使い方をていねいに教えてくれるトレーナーたちの存在が,より子ども向けのイメージを強めている.本当はアルス・エレクトロニカで発表された作品をコレクションする美術館を想像していたのだが…….
フェスティバルからはじまりセンター建設に至る道筋が,いわゆる箱もの美術館とは一線を画すものとして評価されており,この建物も機能転用などではなく,Walter MichlとKlaus Leitnerというオーストリア建築家によって新築されたもののようだ.しかし,この建築がひどい代物であり,それがまた追い打ちを掛ける.正直言って何を考えて設計しているのかよくわからない.
もちろんZKMでも子ども向けのプログラムには力を入れており,メディア・アートに限らずあらゆる美術館において子どもを対象としたプログラムを持つことは必須であろう.しかし,それらの美術館も子ども専用に展示を行うわけではなく,展示を子ども向けにわかりやすく解説しているといった場合が多い.そうでなければチルドレン・ミュージアムまで専門化すべきだろう.
それよりも,ここで問題となっているのはメディア・アートの持つゲーム的側面だろうか? もう少していねいに考えなければいけないことかもしれない.例えば岩井俊雄の作品を思い出してみると,ほとんどゲームのようなものがほとんどだけれども,一方でアートと呼べるような部分を必ず持っている.「アルス・エレクトロニカ」の作品がアートになっていないというと大げさだけど,結果的に建物とインテリアデザインによる空間が異なったものに思わせているのかもしれない.もちろんアートだからと,いかにも大事なもののように扱う必要はないけれども,科学博物館のようなフォーマットに押し込んでしまうと,その作品が訴えかける可能性を狭めてしまうように思える.老若男女がゲームのように楽しむことで,メディア・テクノロジーへの造詣を深めることは結構なことだが,もう少し別な作品との関わり方があるのではないだろうかと思っただけのことである.
ちなみに今年のフェスティバルのチラシには小沢剛の『ベジタブル・ウェポン』が表紙に使われていて,テーマは「Simplicity」.なぜ小沢剛?

美術 | Posted by satohshinya at August 2, 2006 0:20 | TrackBack (1)

ガラス好き@linz

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リンツにある「Lentos Kunstmuseum Linz(レントス美術館)」に行った.最近流行の全面ガラスの四角い箱はスイス建築家Weber & Hoferによるもので,2003年にオープン.理由はよくわからないけれども展示室が2階(といっても中2階があるので,実際は3階くらいの高さ)に持ち上げられていて,その下が巨大なピロティになっている.その軒下ももちろんガラス張り.展示室が最上階に持ち上げられているため,全面にトップライトを持った展示室が同一平面上に確保できているのだが,要するに建築家はこの外観をやりたかったのだろう.展示室の天井高さ自体は低くはないけれど,外形を四角く抑えた結果,全てが同じ高さとなってしまっているためかなり単調になってしまった.

「Nomaden im Kunstsalon」展というテキスタイルからソル・ルウィットまでを並べたよくわからない企画展と,シーレなどのコレクション展を開催中.ガラス天井とコンクリート床の展示室は悪くないかもしれないが,部屋の連続が単純なのか,部屋自体のプロポーションのせいか,あまり魅力的ではない.おまけに企画展エリアではトップライトの照明を交換しているとかで中に入れず,訪れたのは朝一番だったが,昼過ぎには入れるからもう1度来てくれと言われたが時間がなくて断念.そんな作業,開館時間内にやるなよ.結局コレクションは見られたけれども,企画展はテキスタイルを見ることができただけ.外壁のガラスも交換中でクレーンが横付けされていたり,大きな展示室は展示替えで使っていなかったり,全体的にやる気のない時に来てしまったらしい.グラーツ,ウィーンと展示替えに出会うことも多く,どうやらオーストリア中が同じタイミングで入れ替えているようだ.
地下にもプロジェクトルームがあって,Edgar ArceneauxとCharles Gainesというアメリカのアーティストによる「Snake River」展もやっていた.こちらはビデオインスタレーションを中心とした現代美術.黒いテラゾーの床だったと思うけど,この展示室も悪くはない.後で調べたところによると,このメインの展示室が2階に持ち上げられているのは,隣を平行して流れるドナウ川の氾濫を考慮しているとのこと.そうだとすると,この地下の展示室はどうするのだと意地悪なことを考えてしまうが,きっとコレクションの方が高価で大事ということだろう.
ちなみにこの美術館ではweb上でのコレクション公開を行っている.分類分けなどされていないので見にくいのだが,12,549点が収められているらしい.えらい.

美術 | Posted by satohshinya at July 29, 2006 7:22 | TrackBack (0)

コピペ@wien

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MQの隣には「Kunsthistorisches Museum Wien(ウィーン美術史博物館)」「Naturhistorisches Museum Wien(ウィーン自然史博物館)」がある.1891年にゴットフリード・ゼンパーとカール・フォン・ハーゼナウアー設計により建てられたこれらの博物館は,まったく同じ巨大な建物が向かい合っている.まるでコピー&ペースト.この関係性を現代風にアレンジするとMQの2つの美術館となるのかもしれない.しかし,ここにも意味不明なほどに巨大なエントランスホールがあるわけだから,現代の建築家も美術館には巨大なエントランスホールが付きものだと思っているのかもしれない.

「美術史博物館」は博物館と呼びうる古代彫刻などのコレクションとともに,2階のフロアに膨大な絵画のコレクションを持ち,今回は訪れなかったが「自然史博物館」はその名の通り自然科学に関するコレクションを持つ.「美術史博物館」の2階だけを見れば明らかに美術館と呼びうるものだろうが(実際に「美術史美術館」という訳語も用いられている),やはりここでもミュージアムの訳語による混在が見られる.
とにかく異常に広い館内では,案内のマップを片手に興味のある作品だけを見ないことには,時間がいくらあっても足りない.1階と3階は完全に無視して,ブリューゲルやフェルメールなどのいくつかの作家に的を絞って鑑賞することとする.
ここでは最初から長時間の滞在を考慮してか,立派なソファが展示室に置いてある.中には模写(キャンバス,絵の具,イーゼル使用)をしている人もいたりする.展示室はトップライトを持つ巨大な四角い部屋が連続している.壁面には少し色味が掛かっており,どのようなルールがあるのかわからないが,部屋によって色が異なっている.ここは転用などではなく,最初からハプスブルク家の絵画コレクションを収容するための建物であったのだが,これらのインテリアもオリジナルのままなのだろうか? 腰壁があり,入口や天井に装飾があるものの,それらを抽象化するとやっぱりホワイトキューブになるだろう.高い天井高は,巨大な作品には必要な高さであり,場合によっては2段に展示されていたり,『バベルの塔』のように堂々と展示されている場合もあった.しかもピクチャーレールから吊り下げられている.ここでは建築の紹介から各展示室のQuickTimeまで見ることができる.

美術 | Posted by satohshinya at July 26, 2006 6:09 | TrackBack (0)

ミュージアム・テーマパーク@wien

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「Museums Quartier Wien(ミュージアム・クォーター・ウィーン)」(通称MQ)なる場所がウィーンには存在する.広大な敷地にはフィッシャー・フォン・エルラッハ設計による帝国厩舎があり,それを保存しながら中庭部分に大きな2つの美術館とギャラリー,ホールが増築され,巨大ミュージアム・コンプレックスとして2001年にオープンした.最初はマスタープランを元に複数の建築家がそれぞれを設計したのだろうと思っていたら,1つの設計事務所が全てをやっていたことがわかった.槇文彦,ハンス・ホライン,ラファエロ・モネオなども参加した国際コンペの結果,オルトナー&オルトナーというオーストリア建築家が選ばれた.実際にはManfred Wehdornという建築家が協働して文化財保護指定部分の改修を担当したようだが,全体のデザインはオルトナー&オルトナーによるものだろう.

結論から言うと,このMQが最悪の建築であった.中心に建つ乗馬学校を転用したホールを挟み,ほとんど同じボリュームの2つの美術館が建っているのだが,それらが無意味と思われる程に異なった建物としてデザインされている.対称に向き合う酷似したボリュームをどのようにデザインするかという命題に対し,ほとんど関係性を持たせないというニヒリスティックな方法を採ったのかと思えなくもないけれど,単純にやりたい放題にバラバラなことをやっただけとしか思えない.もちろん,エルラッハの建築への配慮も対称にボリュームを配置したくらいのことだけで,ほとんど無視している.その結果,周囲を取り囲む歴史的な建物さえも偽物のように見えてきて,おまけにMQをまとめるサイン計画のグラフィック・デザインがよくないためか,全体としてはテーマパークにしか見えてこない.新しい建物に目をつぶれば,中庭部分はいくつも並べられた寝椅子のような家具のおかげもあって,大勢の人で賑わう居心地のよい場所だが,更に魅力的な場所となるポテンシャルがあったように思う.
個別に見てみる.まずは「Leopold Museum(レオポルド美術館)」.ここには大変にすばらしいエゴン・シーレのコレクションがある.通常の2層分は十分にある天井高の展示室に,しかも窓からの自然光が入ってきていて,Bunkamuraでこれらのコレクションを見たことがあるのだが,全く別の作品を見ているような最高のコンディションで鑑賞することができる.クリムトの作品もあるが,これも非常によい.2階は企画展示のスペースで,Alfons Waldeの個展をやっていた.最上階の3階にはシーレ,クリムト以外のコレクションが並んでいるのだが,いくつかの展示室の中央に吹き抜けが開いていて,トップライトからの光が2階にも落ちるようになっている.建築的な見せ場であろうと思われるエントランスホールは,それらの展示室中央に3層吹き抜けの場所としてあるのだが,ここには作品は並んでいない.これだけ大きい空間を獲得できるということは,大きなスケールの作品をも展示できる可能性があるはずなんだけど,そんなことは考えていないのだろう.周囲を閉ざされた無意味な大ホールや,展示室内の邪魔な多数の吹き抜けなど,インテリアもやりたい放題.地下でも企画展示「Körper, Gesicht und Seele」展をやっていたが,時間がなくて行けず.
そして「Museum Moderner Kunst Stiftung Ludwig Wien(近代美術館ルードヴィヒ・コレクション・ウィーン)」(通称MUMOK).1962年に創設し,この場所は3つ目らしい.こちらは白い「レオポルド」に対して,黒い外壁で.しかも頭頂部がRを描いている.何をやりたいんだかよくわからない.「レオポルド」と同じくらいのボリュームにも関わらず普通の階高なので8層くらいあるが,展示室自体は至って普通の美術館.地下では「Wiener Aktionismus」展というボディ・アートをひたすら集めたコレクション.最近は美術作品には寛容になってきた日本でも,さすがにこの展示はできないのではないかと思われるものたちが一同に会している.これはこれで興味深いのだが,さすがにこればっかりでは辟易する.3階ではコレクションを中心とした「Nouveau Réalisme」展という60年代アート.イブ・クラインからクリムトの梱包まで.その上では「Why Pictures Now」展という現代の写真,フィルム,ビデオを集めたものなのだが,その夜に開かれるオープニング・パーティーの準備中で入ることができず.最上階には近代美術のコレクションもあるようだが,これも見ることができず.
この2つの美術館,機能を考えれば仕方がないのだけれども必要以上に内向きな空間で,多少は外に向けた窓などはあるものの,周辺との関係が希薄なオブジェのような外観ばかりが目立つ.おまけに少し斜めに振って配置されていたりする.オルトナー&オルトナーのホームページを見ればその志向性は明らかで,おまけに選んでいる写真(しかも白黒!)を見るとかなり質(たち)が悪い.建つ場所によっては,その建ち方にもう少し意味があればそれほど悪くない美術館なのかもしれないが,ここにこのようにあると単なるテーマパーク.
中央には乗馬学校を利用した「Halle E」「Halle G」があって,その後ろにオルトナー&オルトナーの増築による「Kunsthalle Wien(クンストハレ・ウィーン)」がある.1992年に創設し,ここに移ってきたようだ.ここでは2つの展示をやっていたが,展示室自体は「MUMOK」と同じようなもので特筆することはない.大きな展示空間があって,そこに展示壁面を作るというタイプ(QuickTimeは展示壁面がない状態).下のHall 2では「Black, Brown, White」展という南アフリカの写真家による作品を集めたもの.上のHall 1では「Summer of Love」展というサイケデリック・ムーブメントの作品を集めたもので,かなりの数の作品があって見応え十分.カールスプラッツにも「クンストハレ」のガラス張りのではプロジェクトスペースがあるのだが,こちらは夕方から夜のみの開館で,時間が合わずに入れなかった.
「Halle G」ではJossi Wielerさん演出の『四谷怪談』公演を見た.日本公演,ベルリン公演に続くヨーロッパ公演.『クァクァ』『4.48 サイコシス』の皆さんと再会.ウィーンで日本語の演劇(独語字幕付き)を見るのも変な感じ.
その他,建築センターやらアーティスト・イン・レジデンスやらチルドレン・ミュージアムやら,胸焼けする程いろいろな施設がMQには詰め込まれている.今回はテーマパーク然とした建築のために十分に楽しめなかったが,活動だけを見てみると興味あるものが多くある.今度はもう少し冷静になって見てみたいものだ.

美術 | Posted by satohshinya at July 25, 2006 1:19 | Comments (1) | TrackBack (0)

世紀末の諍いの跡@wien

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ワグナーの「カールスプラッツ駅」を見た後に,大通りの反対側にギャラリーらしい建物を発見.近寄ってみると確かにギャラリーで,とにかく中に入ってみる.「Künstlerhaus(クンストラーハウス)」は,1868年にウィーン芸術家協会の展示スペースとして建てられたもので,1945年に展示ホールを増築,更に現在は地下に巨大な展示室を増築しているようだ.

ここではHanns Kunitzbergerによる「Die Orte der Bilder」展が行われていた.巨大な展示室(Haupthaus)に並べられた抽象画は,絵画そのものを作品としてじっくり鑑賞するというよりも(鑑賞してもよいのだが),それが複数並べられた空間をインスタレーションとして楽しむべき作品である.特に絵を支えるための足が取り付けられた作品に至っては,壁に掛けられた平面作品とは異なる見せ方を明らかに意図している.しかし,これでも十分大きな展示空間だと思うのだけれど,増築するとどうなってしまうのだろう? 入口脇のHouse Galleryと名付けられたプロジェクト・スペースでは,Leslie de Meloの「Coming Out of Nowhere Going Somewhere」展.
「クンストラーハウス」の隣には有名な「ウィーン楽友協会」が並んでいるだけあって,未だに増築が続けられる由緒ある建物なのだろう.そして19世紀末には,ここを拠点としていたウィーン芸術家協会に反目した芸術家たちがセセッション(造形美術協会)を結成する.確かに「クンストラーハウス」に対峙するように(というほど近くはないけれど)「Secession(セセッション館)」は建っている.
ここも1898年の建設以来,未だに現代美術の展示場として十分に機能しているようだ.オリジナルはヨーゼフ・マリア・オルブリッヒの設計だが,戦災に遭い1963年に再建され,その後もリノベーションなどが行われ,最近は地下に倉庫が増築されている.それどころか,セセッションは未だに存在しているようだ.

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中央の大展示室(Hauptraum)ではStefan Sandnerの個展が行われていた.トップライトによる光天井を持つ展示室は,「クンストラーハウス」と比べると様式的ではない分だけホワイトキューブに近い.しかし,この部屋はオリジナルのデザインなのかな? 展示自体はグラフィカルな平面作品で,展示室のおかげもあり堂々としていて悪くなかった.建物内は意外に広く,地下ではDave Hullfish Baileyによる「Elevator」展をやっていて,この展示室はGalerieと呼ばれるだけあって狭い部屋ばかりだが,小さな連続するボールト天井や,そこに取り付けられた簡素な蛍光灯と相まって小気味よい場所になっている.これもオリジナルのデザインなのか不明.2階のGrafisches Kabinettという小部屋では,Kristina Lekoによる「Beweis Nr.4: Jede/r Mensch ist Ein/e Künstler/in」展.壁紙を展示室に貼って(元々は白),まるで住宅の部屋に展示してあるように見える.
地下には常設展示室として,グスタフ・クリムトの『Der Beethovenfries(ベートーベン・フリーズ)』(1902)のための部屋もある.1989年にセゾン美術館のオープニングでやった「ウィーン世紀末」展で複製を見たことがあるが,ここのものが本物.しかし実際の場所にオリジナルと同じように展示されているはずなのだが,なんとなく違和感を感じて当時の写真をよく見てみると,もっとゴテゴテしていたオリジナルの展示空間を整理した結果,単なる同寸法のホワイトキューブに壁画を飾っていることがわかった.作品を際立たせるためには理解できる方法だが,美術館やどこか違う場所に移設した壁画作品ではあるまいし,もう少し気を利かせてほしかった.
何れにしても19世紀末から現在まで,変わらずに同時代の美術をサポートしている施設があることは,ヨーロッパのスタンダードであるようだ.もちろん,今では100年前の諍いなんて忘れてしまっているようではあるけれど.

美術 | Posted by satohshinya at July 17, 2006 17:30 | TrackBack (0)

街の美術館@wien

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「Wien Museum(ウィーン・ミュージアム)」は,その名の下に多岐に亘る建物を擁していて,もはや美術館や博物館と一義的に呼ぶことはできそうにない.日本では法律上(博物館法)は博物館の中に美術館が含まれることになるが,それらは明確に異なって意識されている.しかし,美術館も博物館もミュージアムと呼ぶ西欧では,アート・ミュージアムと呼び分けることもあるが,それほど明確な区別をしていないように思える.

その中の1つ,「Wien Museum Karlsplatz(ウィーン・ミュージアム・カールスプラッツ)」に行った.1959年に開館したこの建物は,特に特徴のないいわゆる美術館建築に見える.2000年に中庭だったところにガラス屋根を架けて内部化したらしい.お決まりの張弦梁を使っている.更に今年の4月に改修工事を終えたところで,ロビー周りが新しくなったそうだ.
ここにはクリムトやシーレの作品がいくつか展示してあって,しかも額縁にガラスが入っていないし,監視員もいないし,監視カメラまでなかったかどうかはわからなかったが,とにかくあまりにも無造作に展示してあったので,思わず触ろうとしてしまう.というくらいに名作が何気なく展示してあり,とても好感が持てる.日本みたいに,作品保護のためにガラスが入っているのは仕方ないとして,下手くそなライティングのおかげでガラスに映り込んだ自分の姿ばかりが目立ち,肝心の絵が見えないということもたまにある.おまけに厳重に柵があったり監視員がいたりして,絵を見るどころではない.そんな状況と比べると,美術がとても身近なものに感じられる.
その一方で,アドルフ・ロースのリビング(ロース設計のリビングではなく,ロースが暮らしていたリビング)が移築されていたり,その他にもウィーンに関する美術品やら工芸品が展示されていて,やはり美術館と言うよりは,ウィーンに関する博物館という趣が強い.確かに館内の案内を見ると,1階には紀元前5600年から1500年までのものが展示されていると書いてある.開催されていた企画展「Wien War Anders」もAugust Staudaという写真家による1900年頃のウィーンの街並みを撮影したもので,郷土資料館の展示のようなもの.一方の「Kinetismus」展は,1920年代の動きをモチーフとした作品を集めたもので,地味な内容ながらも美術館らしい展示.

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すぐ近くにあるワグナーの「カールスプラッツ駅」(1899)も「ウィーン・ミュージアム」の一部(同じ建物が向き合って建っていることを訪れるまで知らなかった!).他のワグナー作品では「インペリアル・パヴィリオン」(1898)も同様.ハンス・ホラインがデザインした「Archäologisches Grabungsfeld Michaelerplatz」というローマ時代の遺跡を保存した広場も「ロース・ハウス」の前にある.その他にはモーツァルトの住居など,音楽家に関連した建物を多く所有している.
結局この「カールスプラッツ」は,やはり街の博物館だったのだろう.調べてみると,以前は「Historisches Museum der Wien(ウィーン市歴史博物館)」と呼ばれていたそうだ.

美術 | Posted by satohshinya at July 17, 2006 14:05 | TrackBack (0)

さすがウィーン@wien

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実際に訪れるまではその存在を全く知らなかったのだが,ウィーンでおもしろい美術館を見つけた.正式名称は「Österreichisches Museum für angewandte Kunst(オーストリア応用美術博物館)」,通称MAKという名で呼ばれている.日本名を見たときにはあまり興味が湧かなかったのだが,たまたま美術館の前を通ったところ,イヴ・クラインの展示をやっているのがわかった.アートもやっているんだと思って中に入ると,それどころかそこはコンテンポラリー・アートの巣窟であった.

1871年に開館した建物に入ると,大きなホールに面していくつもの展示室が繋がっている.そこには確かにゴシック,バロック,ユーゲントシュティールなどに分類された応用美術(工芸)が展示されているのだが,それぞれの展示室のデザインを,なぜかドナルド・ジャッドやジェニー・ホルツァーといったアーティストたちが担当している.1986年にPeter Noeverが館長に就任してから現代美術のコレクションがはじまり,これらの展示計画が進められたらしい.中でもジャッドの展示室は「バロック ロココ 新古典主義」のテーブルや棚を展示するものだったが,そのミニマルな展示方法は1つのインスタレーション作品として成立するすばらしいものであった.その他にも,普通の博物館とは異なる不思議な展示室が並んでいる.クリムトの作品が段ボールの展示壁に掛けられてあったり,やりたい放題にやっている.
展示ホール(1909年に増築)ではジェニー・ホルツァーの最新作展「XX」展をやっていた.光天井(トップライト?)を持つ大きな展示室は真っ暗(ダークキューブ)で,床・壁・天井にプロジェクションされた巨大な文字が部屋中をクルクルと回転し,並べられたクッションに横たわって鑑賞する.建物の壁面にプロジェクションするものは以前にも写真で見たことがあったが,その室内版.単なる文字がプロジェクションされるだけで,しかもドイツ語だったので意味もよくわからなかったが,それでも迫力のあるものだった.それ以外にも大きな展示室が並んでいたのだが,そこも真っ暗で以前の作品をプロジェクタで映写していただけ.さすが大物,大胆かつ大雑把な展示だった.ついでということはないけれど,ウィーン市内を走るトラムに書かれた「I WANT」もおそらくホルツァーの作品だろう.
ちなみにクラインの展示は「Air Architecture」展という建築的プロジェクトの紹介.地下の小さなギャラリースペースが使われていた.

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MAKでは美術館外にも作品を設置している.美術館の敷地内にはSITEの作品など建築っぽいものがいくつかある.更に敷地外にはパブリック・アートとして,ジャッドやフィリップ・ジョンソンの作品がある.ジャッドの『Stage Set』(1996)は公園の中に設置されていて,黒いフレームに原色を使った布が張られている.布は発色がよく,光を透過するため,半透明のレイヤーのようにきれいに重なり合う.残念ながら大きな布の面を作り出すために途中で繋ぎ合わせる必要があり,その繋ぎ目が目立つと同時に汚れの線ができてしまっている.さすがジャッドだけあっておもしろい材料を使っているが,一方でパブリック・アートとして考えると耐候性に問題があり,ややみすぼらしいものに思えてしまう.元々は展示ホール内の個展で展示されたものを移設したようなので,外部での常設展示をどのくらい考慮して制作されたのかわからないが,その辺がもっと考えられていればよかった.
今回は行くことができなかったが,その他にも9階建ての元砲塔を倉庫と展示スペースに使っていたり,郊外の大邸宅を分館に用いて,庭にジェームズ・タレルの作品を設置していたり,果てはロサンゼルスにルドルフ・シンドラーの住宅(ウィーン出身ということらしい)を所有していたり,とにかく幅広い活動を行っている.

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MAKではこれらの活動を収めたガイドブックを出していて,独語,英語だけでなく,伊語,日本語版まである.その中にはウィーン案内があって,ワグナーやロースの作品の住所が掲載されている.それを見てわかったのだが,MAKのすぐ近くにコープ・ヒンメルブラウ設計の「ルーフトップ・リモデリング」(1983/87-88)を見つけることができた(郵便貯金局からもすぐ近く).今となってはデコンストラクティビズムの歴史的名作にちょっと感動した.

美術 | Posted by satohshinya at July 17, 2006 10:41 | TrackBack (0)

好々爺の漫談

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HfGにてダン・グラハムのパフォーマンス『Performer/Audience/Mirror』が行われた.グラハムと言えば,こういったパブリック・アートっぽいものの作者という印象があったので,本当に同一人物なのかと疑いながら見に行ってみた.

場所はHfGのGroßen Studio.HfGのアトリウムの中に作られたBOX状のスペース.舞台上には大きな鏡が吊るされていて,そこに64歳になる少しお腹の出たアーティストが登場する.つまり客席から見ると,鏡には客席に座る自分たちの顔が映るため,本当の観客と虚像の観客の間にパフォーマーが立つことになる.パフォーマンスがはじまるとグラハムは,実際の観客を,または鏡に映った観客を,そして鏡に映った自分自身を言葉で描写しはじめる.簡単に書くとそれだけ.それにより,実像や虚像,言葉による描写などの関係を表現しようとするコンセプチュアルな作品と頭では理解してみる.しかし,実際にはお爺さんが舞台に出て来て,適当に客席の観客をいじっている漫談のようにも見える.おそらく日本語で(しかも関西弁で)やったら絶対にそのように見えるはず.
勉強不足のぼくは知らなかったが,これは伝説のパフォーマンスであり(というほど大げさかどうか知らないが,少なくとも入場制限のために見ることができない人が大勢いたらしい),最初に発表されたのは1975年であるそうだ.確かにその時代に,しかも32歳のアーティストが登場して言葉による描写だけを繰り返すパフォーマンスは,さぞかしコンセプチュアルであったことだろう.しかし,これはアーティストの責任ではないが,それから時日が経ってしまい,今となっては好々爺となったアーティストが登場するパフォーマンスは,当時とは全く異なる印象を与えるのではないだろうか.
いろいろ調べてみると,そのパフォーマンスの構成を記したメモや,75年当時のビデオが販売されていたりしていて,更にここではそのパフォーマンスの全てが音声だけだけれども聞くことができる(ZKMMediathekでもビデオが見られるらしい).声は少し若いが,話し方や内容(と言っても観客によって毎回異なるわけだが)は先日のものと変わらないようだから,どうやら同じ事をやり続けているらしい.
写真は本題とは関係がなく,先日までKubusの下のSubraumに展示してあったSiegrun Appeltの『48KW』.

@karlsruhe, 美術 | Posted by satohshinya at July 7, 2006 17:50 | TrackBack (0)

作品でお茶@graz

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グラーツに流れるムーア川にヴィト・アコンチ『Murinsel(ムーア島)』という作品が浮かんでいる.両岸から桟橋で渡る金属とガラスの島には,カフェと円形劇場,子どもの遊び場が入っている.まるで学生の設計のような冗談みたいなものが,しかも世界遺産でもある旧市街を流れる川に浮かんでいる.パブリック・アートもここまでいくと圧巻.

法律上の問題,構造上の問題,環境状の問題,景観上の問題などがあるとは思うが,アート作品という名目による超法規的措置なのか,とにかく川の真ん中に建築物が作られている.一時的なものであるようだが,少なくとも既に建設されて3年は経つようだ.すぐ横の川岸に建つクンストハウスの方が,いわゆる一般的な敷地に建っている分だけ普通に見えるくらい.
もちろん中のカフェでお茶を飲んでみる.確かに川の真ん中の水面ギリギリに位置するカフェ(もちろんガラスで覆われている)は気持ちがいい.こんなところにカフェでも作れたらと多くの人が考えるだろうが,建築物として実現させるのは困難で,しかしアートとなると話は別なのだろう.ところで,これはアート? それとも建築? まあ,どちらでもよいのだけれど,何れにしてもアーティストだからこそ実現できたものだと思う.

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グラーツでは現代建築のガイドブック(独語版,英語版あり)も配布されていて,『ムーア島』の隣にある本物の橋(写真,構造は張弦梁)はギュンター・ドメニクの設計であることがわかる.もっともそれほど有名な建築家による作品があるわけではないのだが…….

美術 | Posted by satohshinya at July 4, 2006 18:47 | Comments (3) | TrackBack (0)

ブラックキューブふただび@graz

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「ノイエ・ギャラリー」のすぐ隣には「Stadtmuseum Graz(グラーツ州立美術館)」がある.おそらくこれもまた何かを機能転用したもののようだが,詳細は不明.

ここでは「Die Totale」展をやっていた.絵画保管庫と副題が付けられ,700近い数の作品を一同に展示しようとしている企画らしい.モチーフとなっているのはルーベンス(?)の1枚の絵.webのトップページでも見ることができるが,黒い壁に隙間なく絵画が飾られ,床に立て掛けられているものすらある.これを実際の展示空間で実現させることで,大量の作品を1度に展示させようという意図のようだ.そのため壁は全面黒く塗られていて(おそらくいつもはホワイトキューブと思われる),床は塗るわけにはいかないから黒い布が貼られていて,立て掛けてある作品の安全を考えたのか,人が歩くところだけを仮設の通路が巡っている.その通路はなぜか床より少し持ち上げられていて,しかもご丁寧に手摺まで廻っている.この操作によって単に1つの床面を手摺で区切る場合とは異なり,制約された動線が独立して存在し,最後の部屋には足を踏み入れることすらできないといったオマケも付いて,この展示そのものが1つのインスタレーションのようになっている.その一方で,入口で全作品のリストを渡されるのだが,1つ1つの絵を鑑賞するという感じにはなれなかった.実際にコレクション自体はたいしたものではなさそうだったし…….何れにしてもホワイトキューブではない展示空間(かつての展示室はそうだったのかもしれないけれど)への試みは至るところで行われているようだ.
グラーツにもMuseen und Galerien 2006という小冊子あり.駅のインフォメーションなどで配布している.

美術 | Posted by satohshinya at June 30, 2006 12:42 | TrackBack (0)

bye-bye Archigram@graz

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グラーツには「Landesmuseum Joanneum(州立博物館ヨアネウム)」として19館の美術館・博物館がある.その中で現代美術を対象としている主なものに「Neue Galerie(ノイエ・ギャラリー)」「Kunsthaus Graz(クンストハウス・グラーツ)」がある.

ノイエは旧市街の中の宮殿であった建物を1941年から美術館として使いはじめたもので,ZKMのディレクターでもあるPeter Weibel氏がディレクターを務めている.訪れたときには3階で「Support 3」展というフルクサスやハプニング,コンセプチュアル・アートを集めたコレクション展が行われており,Spiegelsaal(鏡の間)という部屋では,オーストリア出身のノーベル賞作家イェリネクの挿画を描いた,Gernot Baurの「Die Klavierspielerin」展が行われていたが,その他のスペースは展示替えを行っていた.
コレクション展は,ZKMでのWeibel氏のキュレーションと同様に,とにかく物量で勝負というくらいに圧倒的な数の作品が展示されており,しかも展示動線が明快ではないため,どのように鑑賞すべきなのか戸惑ってしまう.内容を理解した上で丹念に見ていけば興味深いものが数多くあると思うが,短い時間の滞在ではほとんどよくわからなかった.オーストリアの作家が多いようたが,こんな作品ばかりをよくコレクションしていると感心する.
一方の挿画展は作品はともかく,元宮殿だけあって鏡の間が結構な部屋(写真参照)で,今回は大人しくケースに入れられた展示だったが,ここでもインスタレーションを行ったりするのだろうか?

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前面の道がそれほど広くなく,中庭があるものの比較的ラフな感じのエントランスで,展示室の扉を開くまでの階段や廊下は半外部であった.今回は展示替えの真っ最中だったが,通りに面してガラス張りのプロジェクトルームがあり,立地をうまく利用した展示を行っている(村上隆のような美少女フィギュア?による作品の展示中).
もう1つのクンストハウスは言わずと知れたピーター・クック設計の作品(正確にはコリン・ファーニアとの共作).訪れるまではよく知らなかったが,これもまた古い建物が一部に保存されており,その上に覆い被さるように増築されている.こちらも残念ながら展示替え中で,わずかにエントランスと最上階の展望ロビーに入れただけで,展示室自体は作業中の様子を上から見下ろすことができたに過ぎない.作業中の展示や以前の日本作家展(hyのblogを参照)など,興味深い企画が行われている場所だけに非常に残念だった.その上,肝心の夜景も見なかったので,建物についてとやかく書くのもやめておく.
その増築された古い建物には,美術館本体とは別に「Camera Austria(カメラ・オーストリア)」という写真専門のギャラリーが入っていて,Jo Spenceの個展「Beyond the Perfect Image」が行われていた.ここは今となってはヨーロピアン・スタンダードとも呼ぶべき機能転用によるスペース.クンストハウスの新しい空間と一体になって行き来が可能となっているので,実際にはその展示室との対比も楽しめるのだが,それはまたの機会に.
州立博物館としては,他にも「Künstlerhaus Graz(クンストラーハウス・グラーツ)」「Alte Galerie(アルテ・ギャラリー)」がある.これもまた別の機会に訪れてみたい.

美術 | Posted by satohshinya at June 26, 2006 17:52 | TrackBack (0)

至るところで@salzburg

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ザルツブルクでは至るところでアート作品を見ることができた.祝祭劇場前の広場に大きな扉を持つ小さな石張りの建物があって,中を覗くとアンゼルム・キーファーの作品が展示されていた.その建物は明らかに作品のためだけに作られたパビリオンのようで,トップライトまで付いている.こんな旧市街の中で突然キーファーの作品と出会い,一種のパブリック・アートであるのだろうが,選ぶ作家が普通ではないし,その佇まいがとても印象的だった.

丘の上の近代美術館を越えた散策路に面した誰も気が付きそうにもない草むらの中にも,マリオ・メルツの作品が設置されている.これもまた,こんな場所にネオンの作品を作るものだと感心した.もちろん,作品としてもおもしろい.
このキーファーとメルツの作品はSalzburg FoundationによるArt Projectの作品で,1年に1作品ずつ市内に設置されており,後で調べてみるとマリーナ・アブラモヴィッチの作品もあったが,残念ながら見逃してしまった.その他にも,メルツの近くにタレルの作品を示す標識があったそうだが残念ながら発見できなかった.もしかすると2006年作品の予告かも?
市内では「Kontracom06」というフェスティバルが行われていて,コンサートとともに街中にアート作品が設置されていた.中には宮殿であるレジデンツの中庭に実物のヘリコプターを逆さまに展示するものもあって(Paora Piviの作品),何もこんなところにこんな作品をと思うが,その横にはワールドカップ観戦用の巨大スクリーンと客席が準備されていたりするから,世界遺産とはいえ普通に市民に使われている場所なのだろう.

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教会を会場とした展示会も行われていた.フィッシャー・フォン・エルラッハ設計のコレギエン教会の「Blick & (ver)Wandlung」展は,教会自体を分析的に作品化したもの(多分)が並んでいた.日本でも越後妻有では寺院に作品が展示されていたりしたから,これも似たようなものかも知れないが,どんなところにも現代美術は展示できるということだろう.ちょっと乱暴な結論.

美術 | Posted by satohshinya at June 22, 2006 10:14 | TrackBack (0)

呼び方いろいろ@salzburg

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ドイツ語圏の美術館はMuseumだけでなく,KunsthalleやKunstvereinという名称も使われる.Kunstはアートという意味で,Halleはホール,Vereinは協会という意味を持つ.ちなみにウィーン・フィルハーモニーの本拠地として有名な建物はWiener Musikvereinという名前で,日本語ではウィーン楽友協会となる.どのような理由で呼び方が異なるのかはよくわからないが,とにかくザルツブルクにも「Salzburger Kunstverein(ザルツブルク・クンストフェライン)」がある.ザルツブルク美術協会といったところか?

ここではIon Grigorescuというルーマニア出身の写真家の個展「Am Boden」をやっていたが,大きな展示室が1室あるだけで,美術館というよりもギャラリーと呼ぶべきスペースだった.繊細な鉄製のフレームを吊して1つの村を模ったインスタレーションを行っており,教会の平面形状に合わせて写真が展示されたりしていた.ここもやはり1844年に創設されたもので,建物自体がKünstlerhausという名称(建設は1885年,2001年に改築)で,展示室の他に23のアトリエを持ち,最大5年間まで貸し出しているとのこと.いわゆるアーティスト・イン・レジデンスである.
その他にGalerieという呼び方も美術館には使われる.1619年に完成した大司教の宮殿の中には「Residenzgalerie Salzburg(レジテンツギャラリー・ザルツブルク)」がある.宮殿自体は立派な建物なのだが,美術館部分はそれほど特徴はなく,19世紀以前の絵画が展示されていた.「Augenblicke」という企画展を開催中.写真は入口の階段.
ザルツブルクでもKunst in Salzburgという小冊子が発行されていて,32の美術館とギャラリーの地図も付いている.

美術 | Posted by satohshinya at June 21, 2006 12:39 | TrackBack (0)

丘の上と旧市街@salzburg

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「Museum der Moderne Salzburg(ザルツブルク近代美術館)」には2つの建物がある.丘の上にある新しい建物が「Mönchsberg」,世界遺産でもある旧市街の中にある古い建物が「Rupertinum」

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「Mönchsberg」は,ミュンヘンの建築家Friedrich Hoff Zwink(若い!)がコンペに選ばれて2004年にオープンしたもので,旧市街のさまざまな場所から見上げることができる大変に目立つ場所に建つ美術館.丘の上まではエレベータ(有料)で上がることができ,EVホールに美術館のエントランスが直結している(この断面図参照).最近のミニマルなデザインで,階段部分のスリットで展示空間を分けながら段差のある敷地に対してうまく納めている.床はモルタル,壁はRC打ち放しで,おまけに天井も全てRC打ち放し.よくやっていると呆れる一方で,敷地の関係で高さが抑えられたためか,展示室の天井高さがあまり高くなく,自然光も時折開けられた窓だけで,スリット状の動線空間には光が降り注ぐものの,肝心の展示室はRCの天井に埋め込まれた蛍光灯が並ぶだけでもの足りない.
メインの展示は,「ZERO」展という1960年代にフォンタナやクラインたちが中心となったZEROというムーブメントに関連した作家たちによる作品.その他に,Erwin Wurmという作家の個展「Adorno was wrong with his ideas about art」ZKMでも個展をやったことあり),「Kosmos & Konstruktion」というマレービッチなどのロシア近代美術のささやかな展示が行われていた.
「Rupertinum」は1350年に建てられた宮殿を2004年に美術館に改装したものだが,「Mönchsberg」よりも好感が持てた.元は外部であったと思われる中庭にガラス張りの屋根を架けており,そこを介しながら展示室を廻ってゆく.巨大なスケールの建物ではないので展示空間のボリュームはそれほど大きくないが,むしろ「Mönchsberg」のように横に拡がる展示空間よりは,プロポーションが適切な部屋がいくつかある方がよいのかもしれない.
モーツァルト生誕250周年ということもあって,ザルツブルクに限らずウィーンなどでもモーツァルト関連の展示などが盛んに開かれており,ここで行われていたRobert F. Hammerstielの個展もモーツァルトをテーマとしたものでありながら,現代美術だけあって「Vergiss Mozart(モーツァルトを忘却せよ)」というアイロニカルな内容.実際にモーツァルトが生まれた旧市街に位置する美術館の中で,映像を中心としたコンセプチュアルな作品を展開していた(この個展の全ては「Café Mozart」で観ることができる).その他「Reflexionen」というコレクション展も行われており,「Mönchsberg」ほど派手ではないが,内容のある展示を行っていた.
何れの美術館もザルツブルクの要所に位置していながら,現代美術までを対象とした展示を行っており,しかも2カ所もスペースを持って活動していることに驚く.もしザルツブルクに行くことがあれば,丘の上だけでなく,ぜひ旧市街の近代美術館を訪れてほしい.

美術 | Posted by satohshinya at June 20, 2006 15:59 | TrackBack (0)

ダークキューブ

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HfGのアトリウムが今度は展示空間として使われ,「Kunst Computer Werke」展が始まった.ZKMのホワイエも会場に使われている.

とは言っても,アトリウムには展示壁面がないのだが,メディア・アートの展示を行うことから,多くの作品がプロジェクタを使用するために暗い空間を必要としていた.その結果,仮設のテント地のようなもので部屋を仕切ってみたり,作品そのものを覆い尽くす巨大な部屋を作ってみたり,大掛かりな仕掛けが必要とされていた(展示作品はこちらを参照).

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例えば『Makroskop』という作品は,吊り下げられたスリット状の壁面に実際は映像がプロジェクトされているのだが,アトリウムのトップライトを覆っているものの,途中階の窓から外光が入ってきたりしていて,日中はほとんど作品として成立していない.メディア・アートにおいては,ある種類の作品では暗い展示空間が必須となってしまうのだが,いつもの光に溢れるアトリウムと比べると,どうも陰鬱な空間に見える.
これらのメディア・アートのための展示空間には,ホワイトキューブならぬダークキューブが常識となりつつあるが,果たしてそれしか方法がないのだろうか? 絵画やインスタレーションなどの現代美術が明るい空間を要請するのに対し,現代美術の多勢を占め始めているメディア・アートは暗い空間を要請しており,多くの展示空間はこの2つを満足させることが必要とされる.その結果,単純に展示室の照明を落とすことから,仮設の壁や天井を作ったり,展示用のボックスを作ったりすることになる.何れにしても仮設的,一時的な対応で,それらを展示するベストな展示空間への解答は得られていない.
作品については,Markus Kisonによる『Roermond-Ecke-Schönhauser』がとても興味深いものだった.詳しくはこちらの動画を見てほしいが,パースが付けられた白い模型の上に,webカメラによるリアルタイムの画像が映し出されるというもの(こちらもまた詳細なアーカイブになっている).その他,Holger Förtererの『Fluidum 1』,Andreas Siefertの『Dropshadows』といったインタラクティブな作品がおもしろかった.
その他,展示構成への工夫として,HfGのアトリウムの床が黒であることから,白いカッティング・シートを用いて作品名が床に表示されていた.それ以外にもライン状のグラフィックなどが会場の床全体に描かれていて効果的であった.

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詳細はよくわからなかったが関連展示として新しいインターフェイスが紹介されていた.大きなスクリーンの前に立って指を指し示すだけで,画面上の情報が選択できるという,『マイノリティ・リポート』でトム・クルーズが使っていたようなインターフェイスを実現していた.他にもオープニングの日にはIchiigaiのコンサートも行われた.

@karlsruhe, 美術 | Posted by satohshinya at June 19, 2006 13:54 | Comments (6) | TrackBack (0)

ブラックキューブ@stuttgart

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「Württembergischer Kunstverein Stuttgart(ヴュルデンベルク・クンストフェライン・シュトゥットガルト)」では2つの展覧会をやっていた.1913年の開館当初からコンテンポラリーアート(同時代美術)を対象としている由緒ある美術館である.こんな美術館を訪れると,ヨーロッパでは過去100年くらいの美術が一続きの歴史を持っていることに改めて気付かせられる.

メインの展示室を使った「Kunst Lebt!」展は,バーデン・ヴュルデンベルク州にある11の美術館・博物館のコレクションを一堂に会したもの.もちろん,その1つであるZKMからも多くの作品が出展されている.「Kunst Lebt!」とは,英語で書くと「Art Lives!」のことで,ワールドカップ(ドイツではWM-Weltmeisterschaftと呼ばれる)開催に合わせた企画とのこと.ZKMのメディア・アートから博物館の遺跡やオオサンショウウオに至るまで,さまざまなものが並列に展示されている.もちろんキュレーターの意図があって配列されているのだと思うが,美術館や博物館では並べて展示されないモノたちが集まった光景はなかなか圧巻で,常識的なコンテクストを無視したポストモダンな展覧会であった.
ドーム屋根を持つ巨大な円形の展示室と,奥にはこれまた巨大な四角い展示室(この辺は1961年の増築らしい)があって,エントランスや途中のテラスに面した廊下状の部分に至るまで,あらゆるところに展示が行われていた(美術館自体の平面図はwebよりダウンロード可能).そこにバーデン・ヴュルデンベルク州にある建築系大学の先生と学生による展示構成が行われており,いかにも建築家が考えそうなシステマチックな構造体が挿入されていて,複数の展示空間を貫いている.悪くはないけれども,ちょっとそれ自身が主張しすぎており,ディテールも意図してラフなものにしているようだが効果的ではない(会場内写真はこちら).
一方,2階に位置する展示室では,Michael BorremansFernando BryceDan Perjovschiの3人によるドローイング展が行われていた.その中のPerjovschiというルーマニア出身のアーティストの作品がとてもおもしろかった.ドローイング自体は社会を風刺した落書きのようなもので,それ自体もおかしいのだが,展示空間に対する仕掛けも考えられている.
今回のインスタレーション『Solid Ground』では,展示室の壁一面にドローイングが描かれている.最初の部屋では白い壁に青いボールペンのような細いペンで描かれ,よく近寄らないと見えないくらい.次の部屋では,やはり白い壁に黒いチョークのようなもので,今度ははっきりと描かれている.次の部屋は壁一面がグレーに塗られていて,前の部屋で使った黒いチョークと白いチョークで描かれたドローイングが混在し,重ねられている.そして最後の部屋では壁が黒く塗られ,白いチョークによって描かれる.写真はわかりにくいが,手前が白い展示室で中間がグレーの展示室,奥が黒い展示室.そのドローイングの中に「White Cube」と「Black Box」と描かれていることからも,この展示室の塗り分けはホワイトキューブへのアイロニーとしての意図も含まれているのではないだろうか.
それどころかPerjovschiのwebを見ると(ここからダウンロード,p.32参照),2003年に行った展示「White Chalk, Dark Issues」では,リノベーション前のスケルトン状態のような荒々しいコンクリートの壁一面に作品が描かれ,迫力のあるインスタレーションとなっている.その延長として,今回は既存の美術館を使いながら,壁をグレーや黒に塗り替えるだけで,そのような質の展示空間を作り出すことを意図しているように思える.

美術 | Posted by satohshinya at June 14, 2006 13:34 | TrackBack (0)

地下室@stuttgart

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たまたま通りがかりに見つけて入ったギャラリーがなかなかおもしろかった.「Kunst. Raum」というギャラリーで,Ursula Rosinskyという画家の個展をやっていた.

作品自体はバルデュス風の女児の絵という感じで,悪くはないけれども特別なものでもなかった.ギャラリー自体は外から見ると車庫のような小さなもので,実際に中に入ると確かに車庫だけで,横に地下へ向かう階段がある.それを下りると,元々は倉庫であったと思われる空間があって,そこがギャラリーになっている.もちろん壁から天井まで真っ白く塗り込まれている.しかし,ボールト天井は低くて妻側以外は大きな作品は展示できないし,地下なので自然光は入ってこない.それでもギャラリーとして成立しているどころか,雰囲気として決して悪くない.一体,よい展示室を成立させる要因はどこにあるのだろうか?
このギャラリーの情報は以下の通り.
Kunst. Raum(Filderstraße 34, 70180 Stuttgart)
火〜金 17:00〜20:00 土・休日 11:00〜14:00

美術 | Posted by satohshinya at June 14, 2006 12:49 | Comments (1) | TrackBack (0)

見られるアトリウム

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HfGのアトリウムを使って,ローリー・アンダーソンのコンサート「The End of the Moon」が行われた.仮設の舞台と客席による大掛かりなもの.

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このコンサートというよりもパフォーマンスと呼ぶべきものは,ローリーがNASA最初のレジデンス・アーティストとして招待されるところからはじまる物語を語り続ける作品で,途中にヴァイオリンによる弾き語りなどが加わる.上部にはLEDの表示板が吊され,ドイツ語が訳し出されていたから,もちろん即興などではなく厳密に決まった物語を語っていたのだろう.しかし,これがとても長かった.1時間半以上は延々と語り続けている.ローリーの語り方は魅力的だが,ぼく自身の英語能力の貧しさとも相まって,さすがに途中で飽きてしまう.
舞台上にはソファとキーボード,スクリーンが置かれ,床にはロウソクが灯されている.配布されたパンフレットによれば,このパフォーマンスを成立させるために非常に難しいことをやっているそうだが,残念ながらその複雑さを十分に理解することができなかった.おそらく,物語とともに音楽も精密に作られているのだが,それにしても長い.もちろん,洗練された良質なパフォーマンスであるという意見には異論がないが,この長さにはバランスの悪さを感じてしまう.それでもドイツの観客は辛抱強く聞いている.音楽家のイシイさんによれば,ドイツに限らず西洋の人たち(アメリカ人であるローリーも含む)は「間」というものに対する感覚が乏しいためか,同じ調子で淡々と長々と続くことに対して抵抗が少ないらしい.
しかし,ここのアトリウムはいろいろな使い方がされていて,まさしく多目的スペースと呼ぶに相応しい.たった一晩のコンサートのためにこんな労力を掛けるのも大したものだが,こういった使い方に応えるタフな空間があることも重要.もちろんコンサート会場としては最悪の音響であるが,照明用のバトンが吊せたり,舞台上手奥に大きな搬入口があったり,イベント会場としては十分に機能する.上部のトップライトを全て覆うのはかなりの労力のようだが(ちなみにZKMは電動ブラインドを装備),力任せに使い倒している感じが好ましい.

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アトリウム内に舞台が作られ,並べられた客席の後部は2階がバルコニー状に巡る下部にまで延びている.その舞台と客席を囲い込むバルコニーには調整ブースが設置されるとともに,ZKMの人たちが無料で鑑賞していた.まさにバルコニー席である.ちなみにこの建物は元々兵器工場であったが,そのときにはアトリウム部分で強制労働が行われ,バルコニーから監視を行っていたらしい.見る見られる関係を持った建物の構成が,そのまま現在でも有効であるようだ.

@karlsruhe, 美術 | Posted by satohshinya at June 13, 2006 10:05 | TrackBack (0)

長方形以外

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ZKMMedienmuseum3つのインスタレーション作品が登場した.先の2作品は,昨年ZKMで行われた「Making Things Public」展にて展示されたものの修正版.

1つ目はDidier Demorcy,Isabelle Mauz,Studio Ploによる「When Wolves Settle: A Panorama」.アーティストと社会学者のコラボレーションによるこの作品は,オオカミを巡る野生動物保護主義者と地元羊飼いの意見の対立を,アルプスの山と麓の村を再現したミニチュアとインタビュー映像により示したもの.メディア・アートというよりも,学習用のドキュメンタリー作品といった感じ.
Matthias Gommelによる「Rhine Streaming」は,ZKMから6km離れたライン川の映像と音声をストリーミングするもの(ここから昨年の展示の動画などを見ることができる).これもまた学習的な側面の強い作品.もちろん,メディア・テクノロジーを用いなければ成立しない作品ではあるが,全体像がつかみにくい.
最後がPeter Dittmerによる「Die Amme Die Amme_5」.「Amme」とは,ドイツ語で乳母のこと.巨大なマシーンである「Amme」に対して,観客はモニタ上で対話を繰り返す.そのコミュニケーションの結果によって,成功すればミルクを受け取ることができるし(ロボットアームがコップに入ったミルクを差し出す!),失敗すれば霧状の水を吹きかけられたりすることになる.前の2つと比べると,まるでゲームのような作品なのだが,その対話(残念ながらドイツ語なので,ぼくにはわからない)自体が1つの詩のようなものを生み出したり,マシーンそのものが巨大なインスタレーションとして成立させている.この「Amme」は5つ目のバージョンであるが,webを見る限りでは,過去の「Amme」の方がコンパクトに自立していてよい作品だと思う.この「Amme_5」は少し巨大すぎて,1つの生物(乳母?)というよりも工場のような雰囲気.また,アトリウムに置かれているが,プロジェクタを用いた周りの作品のために場内は全体的に薄暗く,もっと明るい場所に置いた方がよいだろう(写真は設営準備中のもの).ZKMでの展示は10月15日まで.
ちなみに「Amme_2」と「Amme_3」を展示したドレスデンのHfBK展示室は,写真を見る限りすごくかっこいい.フランクフルトのMMKもそうだけど,長方形平面を持たない展示室もいいね.

@karlsruhe, 美術 | Posted by satohshinya at May 31, 2006 13:49 | TrackBack (0)

80年代の美術館@bern

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「Kunstmuseum Bern(ベルン美術館)」では数多くの企画展が行われていた,「Sam Francis und Bern」はフランシスの作品と,彼と交流のあったベルン在住の画家による作品を展示したもの,「Cécile Wick - Druckgraphik」は渋谷駅前を写した作品を含めた写真家の展示,「Berns mächitige Zeit」は地下にあるクラシカルな展示室に16〜17世紀の絵画を展示.一方,現代と題された企画展も3つ行われており,「 Guangzhou - Künstler/innen aus Kanton (China) aus der Sammlung Sigg」は中国・広東の現代美術コレクションを展示,他に「Serge Spitzer: Um die Ecke - Round the Corner」「Reisen mit der Kunst - Stiftung Kunst Heute」.青の時代のピカソやゴッホのひまわりなどを集めた常設展示もあって,コレクションによる企画展も行われている.

とにかく,どこで何をやっているのかよくわからないほど館内は迷路のようになっている.歴史のある美術館だけにコレクションはなかなか充実しており,「パウル・クレー・センター」のコレクションも元々ここのものだったのだから,その開館以前はどのくらい展示できていたのか想像もつかない.それに「クンストハレ・ベルン」のような場所もありながら,現代美術の展示も活発に行われているようだ.
もちろん建物自体も古く,オリジナルの展示室はまだよいのだが,現代美術を展示する辺りでは内部が改装されており(実際は増築),吹き抜けに斜めのブリッジが渡っていたりして結構安っぽい.70〜80年代に手が付けられたようなデザインで,この時代の展示室は質(たち)が悪い.20世紀初頭の建物のような空間でもなく,最近のホワイトキューブでもなく,なんとなくデザインが主張していたり,時代に即した工業製品(これが安っぽい)が使われていたりする.日本だけの話だと思っていたけれど,どうやらヨーロッパでも同じらしい.
と,ここまで書いたところで新館(と旧館に分かれていたらしい)の設計者が判明.アトリエ5の設計によるもので,1976年にコンペで当選,83年に完成したそうだ.アトリエ5はコルビュジエの弟子筋の人たちで,集合住宅では興味深いものがあるけれど,これはちょっといただけない.ちなみにwebを見るとベルン中央駅の改修もやっているようなので,これもそうかもしれない…….
ちなみにベルンではmuseen bernという小冊子が発行されていて,市内の30以上の美術館・博物館の解説を掲載している.同じ判型・デザインで3ヶ月毎のスケジュールを掲載したものも配布されている.地図も付いているのでとても便利.もちろん,ほとんどの美術館ではミュージアム・パスポートが使える.
ちなみに写真はエントリとは関係ありません.我が家から見た空の写真.

美術 | Posted by satohshinya at May 30, 2006 12:58 | TrackBack (0)

同時代美術との併走@bern

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「Kunsthalle Bern(クンストハレ・ベルン)」に行く.1918年のオープン以来,クレーやジャコメッティ,ムーア,ジャスパー・ジョーンズ,ビュランなどの大物たちの個展を行ってきたギャラリーらしい.訪れたときには,Carla Arochaというベネズエラの作家による個展「Dirt」をやっていた.

ここは元々美術館として作られたものであるが,現在から見ると,他の機能(例えば銀行)から転用されているようにすら思えてしまう.開館当時の展示作品が,いわゆる額縁に入った絵画や台座を持った彫刻であったことを思うと,やや高めの位置に取った窓から光を採る展示空間は当時の一般的なものであったのかもしれない.しかし,オリジナルの建物が真白い壁であったのかどうかはわからないが,やや装飾が施されていることを除けば,ここはホワイトキューブの原型のような展示室である.結局,現代美術のためのホワイトキューブは,インスタレーションなどの作品自体によって要請された空間ではなくて,元々ヨーロッパに存在していた展示空間を抽象化していっただけのことなのかもしれない.そして,かつての美術館の展示室にしても,当時のその他のビルディングタイプによる部屋と大きな違いがあったわけではないから,機能を転用した美術館が数多く存在していることも当たり前なのだろう.何れにしても,これらは思いつきで書いているだけなので,もう少し歴史的な検証が必要.
展示されていたArochaの作品もなかなか興味深く,ボリュームの異なる7つの展示室に繊細な素材を用いた作品が並んでいた.写真の作品「Hem」も,完全に反射する鏡とほぼ反射しながらも反対側が透けて見えるガラス(自動車の窓に使われるようなもの)をランダムに吊しただけのものだが,周囲の環境を写し込んだり透かしたりしながら複雑な表情を作り出していた.
しかしこの美術館は,歴史を持っていることもともかく,1年に7つの展覧会を開催して50ページもの記録集を無料で配布するなど,現在でも現代美術をサポートする施設として現役で活動しているところがさすが.モダン・アートからコンテンポラリー・アートまで,常に同時代と併走してきた美術館なんて日本では聞いたことがない.そして次回の展示は,曽根裕とのこと.

美術 | Posted by satohshinya at May 26, 2006 11:34 | Comments (1) | TrackBack (0)

最悪な展示室と最高なプログラム@bern

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「Zentrum Paul Klee, Bern(パウル・クレー・センター)」に行く.4,000点以上のパウル・クレー作品という,すばらしいコレクションを持つ美術館だが,その展示室はひどいものだった.昨年オープンしたばかりのレンゾ・ピアノの最新作.

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コレクションの中から約200点を展示する常設展示室(定期的に展示替えを行う)は,全体が微妙に扇形をしているが,それは前面を走るアウトバーンの円弧に合わせて建物全体がカーブしているためである.更に,高さ方向についても中央部分が山形に盛り上がっているが,これは3つの棟に分かれている建物が3つの波によってデザインされているためである.この全体を操作するデザインの話はここではどうでもよく,その結果に得られる効果がよければ問題ないのだが(この建築については,その効果自体も疑問なところがあるが),問題なのは,それによって肝心の展示室が犠牲になっていると思えることである.
展示室の床には,かなり細かいピッチ(600mmくらい?)で空調吹き出しがライン状に設置されている.さまざまな展示壁面のレイアウトにも対応できるように配慮したものだと思うが,この床の縞模様があまりにもうるさく,大変に鑑賞の邪魔になる.おまけに,このラインは建物の形状に合わせて円弧を描いている.
展示壁面は,展示室全体が山形の大空間となっているため,天井まで達していない四角い壁が吊されている.クレーの作品自体は大きいものはそれほど多くなく,現代美術のような巨大な展示空間を必要としないため,それ自体は問題ではない.また,照明も天井から吊り下げられており,部分的に紗幕天井が吊り下げられ,光を拡散させるとともに,そこに独立したスペースを作り出している.クレーのデリケートな作品を保護するために展示室内は暗く,全体は暗いながらも作品だけは多少明るめにするようなコントラストがまったく付いておらず,全ての展示壁面が一様に薄暗いため,更に作品に集中しにくくなっている.その一方で,拡散天井の上部には展示空間に匹敵する巨大な天井裏空間があって,そこには天井(建築)自体を照らし出す照明も付いており,展示壁面と比較すると非常に明るい.その明るい天井が拡散天井の隙間から見えるために明暗の差が大きくなって,より展示壁面が薄暗く感じられる.
もちろんピアノの作品だから,その天井裏にはアーチ状の構造体が露出しており,支持する端部のジョイントに至っては,ご丁寧に両脇の展示壁面の直上に並んでいる.そのディテールが美しいものであればまだよいかもしれないが,あまり魅力的でなく,単に鑑賞の妨げになっている.しかもアーチ状の大空間だけで成立していればまだしも,屋根の一部が土に埋まっているためか,展示室に柱が2本落ちており,それに取り付く梁の形状も最悪.つまり,構造デザイン的にも見るべきものがない.
そして,これは展示の問題だが,最近の流行なのか,展示室は明快な順路を持っていない.吊された展示壁面によって,オープンでありながら囲い込んだ場所を作り出すことで,完全な部屋になっていないながらも,独立した照明環境を持つエリアを作り出すことを意図している.アイディアは理解できるが,この展示室は本当にそれを実現できているのか? または,これが実現されたときに,本当にそれはよい展示空間なんだろうか?(展示室内が撮影禁止だったので,模型写真をアップ.これで少しはバカげた大空間の雰囲気が伝わるだろうか?)
ピアノは,「ポンピドーセンター」において,移動可能な壁面を持ったユニバーサルな展示室を提案したのだが,後年になって,固定された壁面を持った展示室に改修されてしまった.このことは,結果的に(当時の)美術館がニュートラルでミニマルなホワイトキューブを要請していたことを示している.「ポンピドー」のユニバーサルな展示を実現するための仕掛けは,美術作品の鑑賞を妨げるものでだったのだ.そして今回もまた,ピアノは同じ過ちを繰り返しているように思える.
一方で運営面では目を見張るものがあり,クレーが多面的な活躍を行っていたことから,この美術館も多面的な活動を行っている.クレーに関連した展示を行う企画展示室(今回は「Max Beckmann - Traum des Lebens」展)を持つだけでなく,オーディトリウムも併設され,専属のアンサンブルによる音楽や,演劇,舞踊の公演も行われている.また,子ども用のアトリエや展示スペースも充実しており(建築的にも気持ちのよい場所となっている),ワークショップなどが行われている.つまり,この美術館はクレーという過去の作家の作品を保存する役割だけに留まらず,クレーの活動を手本として,現代のさまざまな芸術をサポートする生きた美術館を目指している.その意味では,旅行者としてクレー記念館に訪れるという関わり方では,残念ながらこの美術館の本当の魅力を十分に理解することはできないだろう.
ともかく,クレーのすばらしい作品を見るためだけにでも,この美術館を訪れる価値があるだろうし,何らかのイベントが行われているときに来ることができれば,展示だけに留まらない美術館の多面的な活動を理解することができるだろう.

美術 | Posted by satohshinya at May 17, 2006 10:32 | TrackBack (0)

似て非なるもの

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写真だけ見ると美術館のように見える.しかし,どこかの美術館のようにファサードに動物の絵が描いてあるわけでなく,本物のキリン.

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これはカールスルーエにある動物園の中のキリン舎である.エントランス側の写真を見ると,上部にはハイサイド・ライトがあって,ますます美術館のように見える.内部に入るとトップライトまであって,現代美術館の展示室と大差がない.更に,肝心のキリンは巨大なインスタレーション作品にすら見えてしまう.
この動物園では,他にも象やライオン,カバ,ゴリラなども全て室内で鑑賞(?)する.広大な敷地の中に,ポツポツとパビリオンのように建物が建っている.目の前で見る象なんて,結構な迫力.

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おまけは,ベルン中央駅の脇にあった駅施設.これもどこかで見たようなファサード?

@karlsruhe, 美術 | Posted by satohshinya at May 16, 2006 12:23 | TrackBack (0)

夜中の美術館

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「Die Lange Nacht des Lichtes(光の長い夜)」というイベントが行われた.タイトルの通り,さまざまなイベントが19時から始まり,夜中の1時まで続いた.これはMuseum für Neue Kunstの「Lichtkunst aus Kunstlicht」展に合わせたイベントで,全て入場無料,普段はZKMに来ることのない人たちを集めることを目的としていたのだが,おそらく1,000人以上が集まっていたと思う.企画の中心になっていたのはMuseumskommunikationという部門の人たち.日本で言うと,教育普及部門といったところだろうか.

人気だったのは,「Lichtkunst」展のガイドツアーで,整理券を求めて長蛇の列ができていた.ホワイエではコンサート,Madientheater(実験劇場のようなマルチスペース)では70/80年代音楽によるディスコ(笑)が行われ,先日ポップソング・ライブをやったスペースはそのままラウンジと化しており,ときおりバンドが登場して音楽が演奏されていた.子ども向けの企画も充実していて,ディスコに先立ちMadientheaterでは市内の子ども劇場が出張公演(?)を行ったり,自由に形を作った針金に光を当てて影を楽しむワークショップなどが行われていた.とは言っても,ほとんどがメディア・アートとは関係のなさそうな学園祭のようなイベントが繰り広げられているだけなのだが,それにしても,こんな夜遅くに大勢の人たち(しかも子どもから老人まで)が美術館に集まっているという状況はなかなか日本では考え難い.写真は20時30分頃のホワイエ(エントランス・ロビー).トップライトを見るとわかるように外はまだ明るい.
その中で,唯一と言ってよいメディア・アートは,Christian ZieglerとLudger Brümmerによる「Wald-Forest」という作品.16本の蛍光灯が垂直に吊され(それが森に立つ樹木のように見える),その間を人が通ると蛍光灯との距離によってサウンドが変化するというインタラクティブなもの.ビジュアル上のインスタレーションを担当のChristianはダンスの舞台美術をよくやっており,先日,日本公演も行ったとのこと.この作品もテストの段階でダンサーを連れて来て踊ったらしい.Ludgerは,ZKMのInstitut für Musik und Akustikのディレクターで,音楽を担当.会場はKubusという音楽用スペースで,40個のスピーカがドーム状に空間を覆っている.このスピーカ・システム(Klangdom)は最近Kubusに設置されたもので,その制御プログラムとともに画期的なもの(らしい).
こんなイベントはZKMでも年中やっているわけではないそうだが,日本の公共美術館でもやってみればよいと思う.しかし,こんな企画は通らないように思うし,通っても人が集まらないかな? できるのはここくらいか.

@karlsruhe, 美術 | Posted by satohshinya at May 12, 2006 12:35 | TrackBack (0)

パノラマ好き@luzern

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スイスの人はパノラマやジオラマが好きなようである.博物館に行くと,様々な時代に作られたアルプスのジオラマが並んでいる.その1つ「Alpeneum - 3D-Alpen-Panorama(アルピネウム)」は,場末の観光地にあるような,土産物屋とインチキな見せ物が一体となったもの.写真はその展示物.一応,1900年初頭(?)に作られた由緒あるものらしい.City Guideによると,「Sensational large panoramic painting with amazing depth effect!」とあるが,嘘をつくな!,という代物.
更に,その目の前にある「Bourbaki Panorama Luzern(ブルバキ・パノラマ」は,1881年に作られた360度のパノラマ画(Edouard Castres作)を常設した建物を,2000年にリニューアルしたもの.パノラマ画は学術的な見地も含めて復元され,更に絵のパースペクティブに合わせた立体の人間や貨車などを加え,更に音響効果も加えられている.その下階にある展示を見ると,その展示デザインも含めてかなり真剣に取り組んでいることがよくわかる.更に,そのリニューアル(増築?)された建物には,地下に映画館やギャラリー,1階にはショップやレストランやバーなどが配され,肝心のパノラマ画以外は若者向けコンテンツ満載の建物に生まれ変わっている.心意気は買うものの,何かが間違っているような気がしてならない.おまけにパノラマ画の復元の様子は,Jeff Wallの作品にもなっている.

もちろん,何れもミュージアム・パスポートによる無料入場.

美術 | Posted by satohshinya at May 10, 2006 14:59 | Comments (3) | TrackBack (0)

邸宅から美術館,または銀行から美術館@luzern

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「Picasso Museum Luzern (ピカソミュージアム)」「Sammlung Rosengart Luzern(ローゼンガルト・コレクション)」に行く.
Picassoの方は,実際には,写真家のDavid Douglas Duncanによるピカソを撮影した写真を展示する美術館.1978年開館.もちろん,晩年のドローイングや版画などの小品は展示されているが,それほど特別なものではない.むしろ,展示空間となっているかつての邸宅(?)は一見の価値あり.1616〜18年に建設されたものとのこと.もう1つの美術館の名前に冠されているRosengart家の寄付によって作られたもので,この建物自体もRosengart家のものだったのだろうか? 一方で,この美術館は旧市庁舎であったというレストランと繋がっている.ということは,この美術館も旧市庁舎?
もう1つの美術館もまた,旧国立銀行を2002年に改修したもの.ヨーロッパでも,住宅や銀行のように,異なる用途の建物が美術館に改修して使われていることが多い.ここには,よくある近代画家たちの絵画が一通り並んでいるが,もちろん日本の公共美術館に比べると圧倒的にコレクションの質は高い.特に地下に展示されているパウル・クレーの作品は,何れも小さいものばかりであるが,作品数も125点と多く,かなり見応えがある.展示室も元銀行だけあって天井も高く,悪くない空間.

しかし,機能を転用した美術館の方が,新築のものよりもよかったりするのはなぜだろうか? 結局,元々の建物が持つコンテクストが魅力的だったり,意図して設計するよりも多様なバリエーションを持つ展示室を生み出すことができたりということなんだろうけど.青木淳さんが言っていた,リノベーションのように新築するということになっちゃうのかな? それが意図して設計できるものなのか,または意図して設計する必要があるのだろうか,ということが次に問題になると思う.これらのこととホワイトキューブの関係も,展示室を考える上で1つのポイントだろう.
余談.スイスの紙幣は,10CHF札はル・コルビジュエだが,100CHF札はアルベルト・ジャコメッティ.建築家よりも彫刻家が10倍高額であるのは正しい関係.200CHF札や1,000CHF札もあるようだが,誰なんだろう?

美術 | Posted by satohshinya at May 10, 2006 14:16 | Comments (2) | TrackBack (0)

展示室にある縦長の扉@luzern

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初めてのスイス.ルツェルンにて「Kunstmuseum Luzern(ルツェルン美術館)」へ行くと,4つの展覧会が同時に行われていた.「Kunst überforden」と題されたAldo Walkerという画家の回顧展.どれもどこかで見たようなコンセプチュアル・アートという感じで,年代によって様々に作風が変化しているが,それが更に一貫性を失なわせている.展示壁面に直接描くグラフィックのような作品(再制作)など,悪くないものもあるのだが,全体的にはB級に見えてしまう.「Der Lesesaal」は読書室という意味だが,スイスの有名な画家(らしい)Hodlerなどのコレクション展.それと同時に,それらの画家にまつわるテキストを展示室内で読むという企画.そのために読書用の特別な家具(Vaclav Pozarekによる)までもデザインされている.本を読み上げる人たちの映像を映し出すビデオ・インスタレーションも同時に展示され(Rémy Markowitschによる),絵画とテキストの関係を探ることで単なるコレクション展には留まらない工夫をしている.しかし,残念ながらドイツ語がわからず,その効果は不明.この2つがメイン展示となっており,奥まった展示室に,「Have a nice Day」と題されたWerner Meierという画家の新作展と,Barbara Daviによる「NANTUCKET」というインスタレーションが展示されている.

美術館は,ジャン・ヌーベル設計による「Kultur- und Kongresszentrum Luzern (KKL)(ルツェルン文化会議センター)」の最上階の一部を占めており,他にもコンサートホールや会議場などを持つ大型複合施設であるが,コンベンションが行われていて,ホワイエの中にすら入れてもらえなかった.この建物は,Vierwaldstätterseeという湖の湖畔に位置しており,カペル橋などの観光名所に向き合うと同時に,「ルツェルン中央駅」(カラトラヴァ設計)が目の前にあって利便性もよく,更に背景にはアルプスの山々が広がる絶好の場所にある(写真右端の黒い建物がKKL).その割には,写真で見ると格好のよい外観に見えるが,実際にこれらのコンテクストを同時に目にすると,やや閉鎖的な印象が強すぎる.特に駅側のグレーチング状のものに覆われた立面は牢獄のよう.
建物全体は大きく3つの棟に分割されており,駅側の2つの最上階に美術館がある.基本的には,駅に最も近い幅の狭い棟は,手前の展示室(5室)がコレクションを中心とした展示で,その奥の1室はプロジェクトルームといった趣き(今回のインスタレーション展示)であり,幅の広い棟は,手前の展示室(10室)が企画展で,奥まった2室が小さな個展を行うようなスペースである.見に行った日が,ちょうど幅の狭い棟の展示初日に当たっていたが(「Der Lesesaal」,「NANTUCKET」),全てを一斉に替えるのではなく,部分的に展覧会を入れ替えながら活動しているようだ.
展示室は標準的なホワイトキューブで,全て同一レベルにあり,広い空間がいくつかの大きさの部屋にグリッド状に分割されているが,天井高は変化しないために,印象としてはやや単調である.天井は全面が光天井(おそらく自然光も入れることができる)による同一のシステムで,きれいだけれども,これも単調.ビデオが展示されていた部屋は,天井全体の明るさを落として対応しており,それは後述の小さな入口と相まって効果的.床は濃いグレーのテラゾーのようなもので,これは目地も少なくミニマルな表情がよかった.
2つの棟の間には,展示室同士を繋げるガラス張りのブリッジが何本かあり,そこから湖の風景を垣間見せることによって,展示室の単調さを回避しようとしているようだが,それにしてもブリッジが奥まりすぎていて,それほど開放的ではない.一方の棟には外部避難階段が湖側に下りていて,それに通じる出口もガラスの扉となっており,それに合わせて展示室同士の入口が開いているため,最も奥の部屋からも外の光が見えるといった工夫もされている(詳しくはこちらの写真を参照).
最もおもしろかったのは,展示室同士を繋ぐ全ての入口が,高さも幅も小さく抑えられており(W1.2m×H2.4mくらい?),そのために小気味よく部屋が分割されていて,その一方で,全ての部屋の壁の一隅に,幅は1.2mくらい,高さは天井高さいっぱいの扉が付いており,どうやらそこから作品を展示室に搬入するらしい.壁の目地が気になると言えば気になるけれども,なかなかおもしろいアイディア(残念ながら,展示室内は撮影禁止).巨大な立体作品はどうするのだろうとも思うけど,あんまり大きいとエレベータにも載らないだろうから十分成立しているだろう.
おまけ.美術館のチケットを持っていると入ることのできるArt Terraceがあるのだが,巨大な大屋根の真下の空間で,建築空間としてはおもしろいかも知れないけれど,なんだかよくわからない場所.
更におまけ.コンサートホールなどのホワイエ面のガラスには,様々な言葉と筆者(話者?)が,様々に印刷されており(コスースか誰かの作品?),それは悪くないグラフィックだった.
ちなみに,ヌーベルに関するおまけ.駅前にあるバス停もヌーベルのデザイン? 同じルツェルンにある「The Hotel Luzern」は,客室(の天井)はよさそう.外から見ただけだけれども.

美術 | Posted by satohshinya at May 10, 2006 9:39 | TrackBack (0)

作業中

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こちらはZKMのMedienmuseumのアトリウム.先日のエントリは正確ではなく,常設展示室の方と書いたのは,Medienmuseumのことで,こちらにメディア・アートが展示されている.一方,企画展示室と書いたのは,Museum für Neue Kunst(現代美術館)のことで,現在は大規模な「Lichtkunst aus Kunstlicht(人工的な光から光の芸術へ)」という企画展が行われている.この展示は好評のため,期間が3ヶ月間延長されている.
Medienmuseumは現在展示作業中.今日から4日間イースターの休日で,街は日本の正月みたいな雰囲気になるらしい.だからなのかよくわからないが,とにかく大々的に作業が行われている.以前,フランクフルト近代美術館に訪れた時にも書いたことなのだが,ここでも2,3階のみがオープンしており,アトリウムを介して作業を見ることができる.
このアトリウムは,メディア・アートを展示するためか,トップライトの光も抑えられ,アトリウムとアトリウムに挟まれる部分も囲われていて,全体的に閉鎖的な印象を持つ.アトリウムというよりは,巨大な吹き抜けを持ったホール空間という感じ.ちなみに写真の光は人工の光.

@karlsruhe, 美術 | Posted by satohshinya at April 14, 2006 6:38 | TrackBack (0)

記録に残るサーカス

1994年に水戸芸術館で「ジョン・ケージのローリーホーリーオーバー サーカス」という展覧会が行われた.これは,ジョン・ケージが生前に構想し,ロサンゼルス現代美術館により実現された巡回展の日本展.概要を抜粋すると,《1 ケージ自身の絵や楽譜を展示した「ジョン・ケージ・ギャラリー」,2 彼が敬愛したアーティストたちの作品を展示し,コンピュータの指示により会期中に何度も展示換えを行った「サーカス・ギャラリー」,3 茨城県内の博物館・美術館から任意に作品を借用して展示した「ミュージアムサークル」,4 さまざまなイヴェントが予告なしに行われた「オーディトリウム」の四部構成》(『水戸芸術館現代美術センター記録集1990-96』水戸芸術館現代美術センター)ということになる.
とにかく,取りとめもない,よくわからない展示だった記憶がある.もう少し正確に言うと,少しの滞在時間ではその全貌を掴むことなどできないものだった.そして,チャンス・オペレーションというコンセプトの下,さまざまな事件が起こり,観客はその目撃者となっていった.実際,僕自身も藤本由紀夫氏による「電卓と語学学習機」という不思議なコンサートに出くわすこととなった.しかし,その目撃者はごくわずかであった.その結果,その展覧会は,目撃者の記憶だけではなく,このような記録となって残ることになる.
「横浜トリエンナーレ2005」を見て,そんな展覧会を思い出した.こちらもコミッショナーの交代という事件から始まったこともあって,その開催までが大きな事件の連続であったとともに,更に会期中の会場においてもさまざまなイヴェントが繰り広げられていた.会場で販売されたカタログの中でも,川俣正氏をはじめとするキュレーターたちは,その準備期間の圧倒的な不足を嘆いたり,実現される展示が可変する魅力について書いたりしている.そして,会期終了後には,すべての資料を収めた記録集的なカタログが出版も検討されるらしい.
もしかするとその記録集が,この展覧会を,その実際の内容以上に伝説化させてゆく役割を担うかもしれない.それがどのレベルで達成されたかを抜きにすれば,川俣氏が仕掛けたさまざまな試みは,何れも興味深いものがある.そして,1つ1つの作品がどうだったかということは問題にならず,展覧会という事件だけが,大げさに言うと歴史に残っていくのではないかと思う.その意味で,おもしろい展覧会であった.そういえば,この展覧会の副題もまた「アートサーカス」であった.
しかし,本当にそれだけでよいのだろうか?

美術 | Posted by satohshinya at January 4, 2006 23:33 | TrackBack (1)

ちょっと大きすぎるコレクション

「21世紀の美術館像を巡って アートがつくり出す特別な場所」(東京藝術大学奏楽堂)に行った.地中美術館の1周年を記念した関連イベントとして,Dia Art Foundationディレクターのマイケル・ガヴァン氏の基調講演の後,地中美術館館長の秋元雄史氏とのディスカッションが行われた.美術学部のイベントで,新奏楽堂が使われるのは初めてとのこと.
《Diaの活動の全貌はわが国においてほとんど知らされていませんでした》とパンフレットに書かれているように,確かにDiaについては全く知らなかったが,その基調講演を聴いてたまげてしまった.ランドアートの歴史的な名作,例えばマイケル・ハイザーの『ダブル・ネガティヴ』,ロバート・スミッソンの『スパイラル・ジェティ』,ウォルター・デ・マリアの『ライトニング・フィールド』などは,全てDiaがプロデュースしたものとのこと.それどころか,現在でもDiaのコレクションであり,見ることができるらしい.ランドアートなんて仮設的なインスタレーションだと思っていたら,まだ現存しているみたい.確かに作るのも大変そうだけど,壊すのも大変そう.他にも,ドナルド・ジャッドの『マーファ・プロジェクト』や,現在進行中のジェームズ・タレルの『ローデン・クレーター・プロジェクト』もDiaが実現させているそうだ.
そう考えると,ランドアートの歴史はDiaによる自作自演のようにすら思える.結局,こんな規模の作品を自費でやっているのはクリストくらいだろうか? そんなDiaのプロデュース能力に驚くとともに,ランドアートの歴史に少し幻滅.
それらのDia作品と共通するアーティストによる地中美術館を並べ,21世紀の美術館像ということだったのだろうが大した話にならず,退屈なシンポジウム.秋元氏は『家プロジェクト』を説明しながら,アーティストが主導を握った建築プロジェクトを語る.途中から現れ(そして,途中で去っていっ)た中村政人さんと並んで話を聞いていた僕は複雑な気分.
それはともかく,Diaはギャラリー(Dia:Beacon)も持っていて(それもアーティストによる工場のリノベーション),かなりのコレクションが常設されている.行ってみたい.

美術 | Posted by satohshinya at July 20, 2005 23:16 | Comments (1) | TrackBack (0)

同じ都立だけれどこっちの方がよっぽど現代美術館

「超(メタ)ヴィジュアル」東京都写真美術館)を見た.写美の地下にある映像展示室でやっているのだが,この場所が時々意外な展示を行う.美術館の名前は写真だが,このフロアでは映像に関係する作品が展示される.先日もOTAKU展が行われたばかり.今回は開館10周年記念による特別展としてコレクションが展示されているのだが,その辺(例えば東京)の現代美術館よりもよっぽど質の高い作品が集められている.
岩井俊雄氏の『時間層2』は何度も見たことのある作品だが,やはりすばらしい.最初期の作品でありながら,非常に高いレベルで完成している.もう1つの岩井作品(題名忘れた)は立体視による作品で,これも気持ちよい.名和晃平氏の作品も気持ちよい(というより気持ち悪い).名和氏の作品は,先日見学に行った竹中工務店東京本店新社屋のエントランスロビーにもあったのだが,どうせならこちらを置いてほしかった.竹中の作品はつまらない.minim++の『Tool's Life』も楽しい.ほとんどふざけた作品しか作らないタムラサトル氏の近作もある.石野卓球氏の『The Rising Suns』のプロモーションビデオ(田中秀幸氏)も,ついつい見とれてしまう.他にもiPod photoを用いた作品として,何人かの作家のアニメーション作品が展示されている.新しい使い方だ.その中に,なぜか舞城王太郎氏の例の山手線漫画が全て収められている.山手線以降のものも含まれていて,55枚(?)による大作として(多分)完成している.本屋で直筆の絵を見て回るのも楽しかったが,iPod photoをクルクル回しながら小さい画面で見るのもまたふざけていておもしろかった.
この展示は今週末までが前期で,部分的に展示替えをして後期が開催される.行っても損はない.

美術 | Posted by satohshinya at June 2, 2005 6:37 | Comments (1) | TrackBack (0)

荒々しいリアリティ

「シュテファン・バルケンホール:木の彫刻とレリーフ」国立国際美術館)を見た.日本ではあまり馴染みのない作家だが,僕はフランクフルトのMMKで偶然見たことがある.それ以来,興味を持っていた作家だったが.まさかこんなにまとまった個展を日本で見ることができるとは思わなかった.「日本におけるドイツ2005/2006」の関連企画ということで実現したらしい.
主な作品は木彫による人物像であるのだが,舟越桂氏の作品が洗練してゆくのに対し,バルケンホール氏の作品はとても荒々しい.それなのに,妙なリアリティが存在している.その絶妙なバランスを持っていることが,これらの作品を魅力あるものにしているのだろう.
喜び勇んで大阪で見たわけだが,実は10月から東京でも開催される.ぜひ見に行ってほしい.ちなみに,大阪の美術館は最悪だった.東京の方がまだましかな?

美術 | Posted by satohshinya at May 18, 2005 7:39 | Comments (2) | TrackBack (0)

テナントビル

明日まで内藤礼氏の個展「地上はどんなところだったか」がギャラリー小柳で開催されている.以前は同じビルの1階にあったギャラリーが,知らないうちに8階へ移動していた.実は1度見に行ったのだが,1階が別の店舗になっていたため,ギャラリーごと移動してしまったと思い帰ってきてしまった.その後によく調べてみたら,同じビルの中で引っ越しをしていたらしい.
以前のギャラリーも,銀座の大通りからそのまま入ると真っ白な空間があるというミニマルで不思議なものであったが,それよりも今回のギャラリーの方がかなりよい.当たり前のテナントビルを改装しただけなので,特別に天井の高さがあるわけではない.むしろ横に広がりのある展示室が気持ちよい.下地を剥き出しにした床や柱と,真っ白にはめ込んだ壁や天井のバランスもよい.照明も壁際に蛍光灯と白熱灯のレールがきれいに並んでいる.誰が設計したんだろう?
内藤礼氏の作品は,相変わらずの非常に繊細な作品.その分,ちょっと展示空間が強すぎるので,うまく噛み合っていないような気もする.もう少し作品に合わせた繊細な空間か,普通の美術館のような無個性な空間の方が,作品が際立つように思う.何れにしても見て損はない.

美術 | Posted by satohshinya at May 13, 2005 7:34 | Comments (4) | TrackBack (1)

最近のパトロン

「秘すれば花:東アジアの現代美術」「ストーリーテラーズ:アートが紡ぐ物語」(森美術館)を見た.もう今回は,動線に関する悪口とかは書かない(笑).
東アジア展は,予想以上の好企画.展示構成に「風水」を採り入れているとかで,会場内は混沌とした状態で密集している.2フロアもあるんだから,もう少しゆったりと展示してくれてもいいのに,とも思うけれど,これはこれでよいのかもしれない.狭い場所に26人もの作家を押し込んでいるから,少し下がって作品を見ようとすると,後ろの床に置いてある作品を踏みそうになる.更に,観光客たちが平気で作品に触るので,作品の前にもデカデカと触らないように書いてある.それでも他の美術館に比べると,子どもが走り回ったりすることには寛容で,さすが観光名所としての懐の大きさを感じる.タフな美術館だ.もう税金を使った美術館でジブリ展なんかをやるくらいだったら,高い入場料を払ってでも展望台に登る方がよい.
というわけで,場所も客層も展示構成も含めて,今回の企画はピッタリはまっている.もちろん,作品もよい.入り口にある小林俊哉氏の作品をはじめとして,ユ・スンホ,ウ・チチョン,丸山直文,スゥ・ドーホー,リン・シュウミン,須田悦弘,マイケル・リン,奈良美智,ハム・ジンの各氏の作品はおもしろかった.
一方の物語展は,大部分がビデオインスタレーションであったこともあり,あまり楽しめなかった.もし行く人がいれば,十分時間を確保してほしい.下の階では「ジョルジオ・アルマーニ展」をやっている.そのまま降りてきてしまったが,これはグッゲンハイムの巡回展で,展示構成をロバート・ウィルソン氏がやっているそうだ.美術館に300円を加えれば入れるらしい.見た人がいたら感想を教えてください.よかったら見に行こう.

美術 | Posted by satohshinya at April 19, 2005 6:34 | TrackBack (0)

近代美術におけるキュレーションによる妙

「痕跡 戦後美術における身体と思考」(東京国立近代美術館)を見た.ほとんど期待せずに見に行ったのだが,なかなかの好企画.「痕跡としての美術」をテーマに国内外60人による120点が,表面,行為,身体,物質,破壊,転写,時間,思考の8つのセクションに分けて展示されている.展示の最初に断り書きがあるとおり,そのセクションの分類は厳密なものではなく,どのセクションに分類されてもおかしくないもの.それに伴い展示構成も,順路らしきものがあるようだが,こちらもやはり明解には分割されていない.近美の企画展示室はあまり好きではなかったが,やはりテーマに沿ってしっかりとキュレーションされた展示は見応えがある.しかも1点ごとに解説が付されている力の入れようで(カタログにも掲載されている),閉館1時間前から見始めたのだが,もう少し時間が必要なほどの濃い内容であった.もちろん50年代から70年代後半の作品によって構成されているため,いわゆる(コンテンポラリーアートではないという意味で)近代美術(絵画)がほとんどで,インスタレーションのように空間を作品化したものではなく,この天井高の低い展示室でも十分に対応できている.むしろ仮設壁によるルーズな分割は,久しぶりに良質な近代美術館の企画展示室を見たように思う.ホワイトキューブが全盛となる前は,どの美術館もこんな感じだった.
更によかったのは,作品の半数以上が日本の公立美術館より集めていること.海外のコレクションをそのまま持ち込む展示は多いが,これだけ丁寧に作品を集め,あまり実物を見たことのない作品も多く展示されており,その意味でも,これらの時代の美術を知るにはよい企画.

美術 | Posted by satohshinya at February 18, 2005 23:44 | TrackBack (0)

相対的

「MUMI クリテリオム61 嵯峨篤」を見た.確かに展示室の壁を磨き上げた今回の作品には,一種異様な迫力がある.しかし,少し残念なところもあった.
今回は展示室の壁面そのものを磨いた『cube on white』とともに,SCAIでの展示作品が大型化された『MUMI』6点が展示されている.『MUMI』は,MDFにウレタン塗装とアクリルラッカーを磨いたもので,ちょっと何でできているのかわからない美しい作品だ(そして,何が描かれているかもわかりにくい).つまり,ここでの表面磨きの順番は,一般の展示室壁面を併せて考えると,
 MUMI > cube on white > 一般の展示室
となる.しかし,今回のクリテリオムの展示室には,
 MUMI > cube on white
の2つの関係しか存在していない.本来であれば,
 cube on white > 一般の展示室
という関係が,大変に大きな差の「>」であることがポイントになる.しかし,その比較対象物である普通の壁が,同時に視角に入ることがなく,しかも近接していないため,この『cube on white』という作品がどのくらい異常であるかがうまく理解できない.もう1度外に出て,廊下の壁面と比較することで,ようやくその異常さに気が付く.それどころか,より完璧な『MUMI』が展示されていることにより,
 MUMI > cube on white
の「>」が大きな差と感じられるため,
 cube on white > 一般の展示室
の「>」がそれほど大きな差ではないように思えてしまう.それが少し残念だった.更に残念なことに,写真ではほとんどその作品が理解できない.本当にバカバカしいほどの労力による,鬼気迫るインスタレーションである.

水戸芸術館現代美術センター学芸員である森司氏のblogでは,『cube on white』のその後や,続くアーキグラム展の展示壁面の施工(嵯峨氏監修)の様子も見ることができる.更にこのblogは,今日(1月19日)の「朝日新聞」夕刊にまで紹介されていた.

美術 | Posted by satohshinya at January 19, 2005 23:47 | Comments (2) | TrackBack (0)

アートそのものが疑われてる

先を越された感があるが,横浜トリエンナーレ2005のディレクター交代問題.このタイトルは,磯崎新氏が,辞任発表4日前に行われたシンポジウムの席上で発言したものとのこと.このシンポジウムは,web上でもさまざまに取り上げられているが,その後の経過も含めて,やはりここに注目.
しかしここでは,「朝日新聞」12月16日の夕刊の大西若人氏による記事が,シンポジウムの状況を整理してくれていることから,大幅な引用となってしまうが紹介する.
磯崎氏の当初のプランは,《「従来の国別展示でも,キュレーターの指名制でもなく,最もまともに美術展を支えている組織」を前面に出す新システムで,国際展の枠組みを再構築する試み》を目指したもの.これに対し,南条史生氏が《「若い作家を選んで,国際舞台に出す」という国際展の機能が果たされない,と指摘.磯崎氏が「そのキュレーターの思い上がりが困りもの」と切り返すと,南条氏も「アーティストのためにやるのではないのか」と反発する場面も》あったり,北川フラム氏は《「そもそも建物の中でやるのが間違っている.横浜市が市民のためにやるなら,町づくりの実績を表に出す『都市展』しか意味がない」と語った》り,岡部あおみ氏が《「小都市でも国際展が開かれるのは,特徴を持つことでグローバリゼーションへのアンチとなるから」と話したが,磯崎氏は「ローカリズムを主張する国際展が多数あるのが,もうグローバリズムの枠内」と異論を呈した》りしたようだ.結局,《ショック療法的な磯崎案だが,「アートは国境を越えるだけでなく,国という単位に依存しない点で,21世紀に大きな力を持つはず.それには,ただ見せるだけの展覧会ではいけない」との指摘は,傾聴に値する》とのこと.磯崎氏がディレクターを務めることから,大変に期待をしていたのだが,これもまた氏がお得意とするアンビルトになったようだ.
新しい国際展の1つの例として,9月に開催された「光州ビエンナーレ2004」での試みが挙げられる.「artscape」の村田真氏のレビューより.《今回のユニークな試みは「観客参加」だ.これは農民や学生,主婦など一般人や美術以外の専門家,社会活動家らの「観客」を事務局が選び,アーティストとコラボレーションしてもらおうという企画.》この企画自体は大変に興味深い.しかし,《これはうまくいけばアーティストにとっても「観客」にとってもメリットがありそうだが,「お見合い」に失敗したりケンカ分かれする可能性もあり,効果はあまり期待できない.大半の作品は「観客参加」によってどこがどう変わったのか,または変わらなかったのかまったくわからないのだ.》結果はともかく,このような試みは更に続いてほしい.まあ,こんな国際展ですら,財団や観客とのコラボレーションが要請されているということか.

美術 | Posted by satohshinya at December 18, 2004 10:21 | TrackBack (3)

コラボレーションという名のエクスキューズ

「アジアン・フィールド」を見た.アントニー・ゴームリー氏による,旧都立高校の体育館を会場とした巨大なインスタレーション作品.教室で使われていたと思しき椅子と机が並べられていて,それが体育館を別の場所に見せてしまう働きを持ってしまい,少し余計な気がした,素焼きの微妙な色の違いを完璧にコントロールした,アーティストによる配置だけで十分な気がする.入口に展示されている,粘土像とその作者の写真もおもしろい.
受付に置いてあった「毎日新聞」(だったと思う)の本展を紹介する記事に,中原佑介氏の文章が用いられていた.《コラボレーションという考え方には,創造する人間があり,その人間によってつくりだされた作品を鑑賞する人間がいるという二極構造の通念を壊す要素が存在していると私は思います.》「芸術の復権の予兆」『大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ2003』(現代企画室)
もちろん,『アジアン・フィールド』は(中国における)壮大なコラボレーションによる作品である.しかし,一方で,コラボレーションが単なるエクスキューズでしかない作品が増えてきていることもまた事実ではないだろうか?

ここまで書いた後に,「テレビ美術館」でアントニー・ゴームリー氏のインタビューが放送されたのを見た.中国での制作風景,日本での展示風景のドキュメントが同時に流された.中国では,地下駐車場や穀物倉庫が展示に使われていた様子.やはり日本の机のように余計なものはなく,ただ大きな空間に並べられているだけ.この方がいい.simonも書いているように,視点が限られていない方がよいのではとも思ったが,やはりこの角度のこの間口(もう少し下がってみられればよかったけど.壁が近すぎる)で見るのが正解だろうと思い直していた.案の定,展示風景を見ると,手前の密度に対して奥の密度はかなり粗い(笑).そりゃそうだ.あそこからしか見えないからこそ,20万体という数が成立している.もちろん,粘土像自体の視線の問題もある.色についてゴームリー氏は,並べる際に「色が共鳴するように」と指示を与えたらしい.そして,完成したものに対して「海」という表現を使っていた.
どこかのエントリに《最終日》云々という記述があったが,本当の最終日は今日(28日)まで.一見の価値はある.撤去のボランティアも募集している.28日〜30日まで.

美術 | Posted by satohshinya at November 28, 2004 1:06 | Comments (3) | TrackBack (0)

鉄板

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『キョロロ』写真コンテスト参加.
何れも錆びた鉄板に見える手塚貴晴+手塚由比+池田昌弘3氏の『「森の学校」キョロロ』と遠藤利克氏の『足下の水(200m3)』.誰が考えたのか,これが並んで設置されている.一方は建築作品で,見えている鉄板は外壁であるとともに構造体である(らしい).一方は美術作品で,見えている鉄板の下には容積200m3の水がある(らしい).鉄板が構造体であったり,鉄板の下に水が入っていたりすることがどうやら重要なようだが,見ただけではわからない.もしかすると,構造体になんかなっていなかったり,水なんか入っていないかったりするかもしれない.いや,そうでなければ,構造体であったり水が入っていたりする鉄板が,構造体でもなく水も入っていない鉄板とどのように違うのか? それが問題.

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オマケに川俣正氏の作品『松之山プロジェクト』.『キョロロ』がある場所に作品を展開していたのだが,追い出されるように駐車場内を占拠して再展開.気持ちはよくわかる.

建築, 美術 | Posted by satohshinya at November 17, 2004 5:33 | Comments (8) | TrackBack (2)

更なるこの美術館が用意する組み合わせ

「COLORS:ファッションと色彩 VIKTOR&ROLF&KCI」「小沢剛:同時に答えろYESとNO!」(森美術館)の2つを見た.相変わらずの森美術館による2つの展示と展望台の抱き合わせ販売だが,今回は更にCOLORSを見ないと小沢が見ることができないシステムに発展.
小沢は期待通りの大個展.趣味に合わない人も多いかもしれないが,1つずつ丹念に見ていくと巧妙な仕掛けが理解できるはず.意外だったのがCOLORS.これがおもしろかった.展示品もともかく,シンプルでありながらもかなり質の高い(お金の掛かった)全体のインスタレーションは見物.これがまた小沢のチープさとあまりにも対照的で笑える.その意味では,今回の2つのセットは観光客たちがどちらか(きっと大人はCOLORS,子どもは小沢)に反応するであろうということでは大成功.一見の価値あり(あまりにも入場料が高いけど).しかし,さすがに今回は展望台には見向きもせずに帰ってきた.
それから,出口への質(たち)の悪いみやげもの屋のような動線には閉口.あれはどうにかなりませんか,森美術館?

美術 | Posted by satohshinya at November 16, 2004 5:59 | Comments (1) | TrackBack (1)

小学校と現代美術

磯崎新さんが『バス・ミュージアム』の発表とともに,「現代美術館のこと」というインタビューに答えている.《今となっては,第一世代の空間の中であろうと,第二世代の中でも関係ない.倉庫の中でもルイ王朝スタイルの部屋でもいい.場所の特定はしなくていいというくらいに現代美術のアーティストは拡張している.……ぼくとしては,この建物は本来の意図が実現していないんだけど,現代美術館にとっては関係のないことかもしれません.》(「GA JAPAN」55号) 単純化すると,「第二世代」は近代美術のための空間,「第一世代」はそれ以前,「第三世代」は現代美術となる.
たまたま近所の図書館へ行く道に迷ってしまったために,旧坂本小学校でやっている「Voice of Site」展に出くわした.これは,シカゴ美術館附属美術大学,スクール・オブ・ビジュアル・アーツ(ニューヨーク),東京藝術大学という3芸術大学の学生,卒業生,教員のインスタレーション作品による現代美術展だ.藝大大学美術館陳列館,gallery J2,旧坂本小学校の3会場を使って開催中.展覧会の存在は知っていたが,たまたま横を通らなければ見に行くつもりはなかった.
都内の廃校となった小学校を利用した現代美術展は,旧赤坂小学校の「日本オランダ現代美術交流展」(1996),旧原町小学校の「セゾンアートプログラム・アートイング東京2001」(2001)などを見たことがある.その他にも,「越後妻有アートトリエンナーレ」(2001,03)でも多くの小学校が使われていたし,アーカス・プロジェクトのように小学校自体をアーティスト・イン・レジデンスの恒久施設にしてしまったものもある.磯崎さんの言うように,現代美術が拡張しているとも言えるけれども,廃校となった小学校は,まるで現代美術のための1つのビルディング・タイプをつくっているかのようでもある.
実は坂本小学校の展示も,会期の早い午前中に行ったためか準備中の作品が多く,ほとんど見ることができてなかった.陳列館などもまだ未見であるので,時間があれば見てみたいと思う.今まで見た中では,坂本小学校の理科室に展示されている,大竹敦人の『光闇の器』が必見.ただし,天気のよい日に行くこと.

「art-Link 上野-谷中 2004」とともにお楽しみください.

美術 | Posted by satohshinya at October 1, 2004 7:58 | TrackBack (1)

東京の現代美術館にて

「近代美術」はModern Artの,「現代美術」はContemporary Artの翻訳であるわけだが,その定義は様々である.近代美術が,印象派以降の美術を指す場合があったり,キュビズムや未来派以降の美術を指す場合があったりする一方で,現代美術が,キュビズムや未来派以降の美術を指す場合があったり,第二次世界大戦以降の美術を指す場合があったりする(詳しくは,Wikipediaの「近代美術と現代美術」を参照).その意味では,現代美術館の展示範囲が様々であってもかまわない.日本の公立美術館で現代美術館という名前が付くのは,1989年に広島市現代美術館(設計:黒川紀章)が開館して以降,水戸芸術館(1990,設計:磯崎新)の現代美術ギャラリー,丸亀市猪熊弦一郎現代美術館(1991,設計:谷口吉生),奈義町現代美術館(1994,設計:磯崎新),東京都現代美術館(1995,設計:柳澤孝彦),熊本市現代美術館(2002)というくらいのものである.その東京都現代美術館で2つの展示を見た.
「近代フランス絵画 印象派を中心として 花と緑の物語展」と「ピカソ展 躰[からだ]とエロス」である.前者は,タイトルが示すように花と緑をテーマに,モネやセザンヌなどの印象派を中心に展示したものであり,後者は,パリのピカソ美術館のコレクションから,1925〜37年に制作された作品を中心に展示したものである.それぞれ展示自体は,テーマに沿ったキチンとしたものであり,充実した内容である.特に「ピカソ展」の方は,ピカソ美術館との共同開催だけあって,ややマニアックなピカソの一断面で構成されたものだが,本格的な展示である.
しかし,どうして現代美術館でこのような展示が行われるようになってしまったのだろう? 現代美術は人が入らないから,印象派やピカソを展示すれば観客動員が増えるということなんだろう.常設展示にしても,美術館の新規作品購入予算がゼロであるから,将来性はまったくない.現在の館長は,日本テレビの会長である氏家齊一郎氏で,年に一度はアニメの展示を行う方針とも聞く.まだジブリの展示であれば現代を扱ったものとして微笑めなくもなかったが,ピカソはともかく,どの定義を見ても印象派は現代美術とは呼べない.もちろん,従来の美術館に比べて,東京都現代美術館の天井の高いホワイトキューブの空間は,近代美術に対しても良好な展示環境をつくり出す.現代美術館と名付けているわけだから,広義の現代美術の定義に照らし合わせて,キュビズム以降の作品を展示するのは大いに結構だが,せめて印象派以前の作品は扱わない分別が必要だろう.「ピカソ展」を開くにしても,展示室外にミュージアムショップがあるにも関わらず,更に展示室内にピカソ・グッズを販売するスペースを特設するような,商魂逞しいことはやめてほしい.デパートだって展示室内でグッズなんて売らないんじゃない?
とにかく,「ピカソ展」自体は一見の価値があるが,この美術館の態度は最悪である.

美術 | Posted by satohshinya at September 21, 2004 7:49 | Comments (1) | TrackBack (1)

日本画によるインスタレーション

「横山大観「海山十題」展」(東京藝術大学大学美術館)を見た.黒田清輝に引き続き,横山大観はよく知っているし,おそらく作品もいくつか見ているが,全く興味のない作家だった.更に,六角鬼丈さん設計の展示空間が好きではないこともあって,ほとんど期待をしないで見に行った.ところが,これがすばらしい展示だった.
大戦に向かう国家に貢献するために,大観は海の絵10点と山の絵10点を描き,現在のお金で20億円の売り上げを得て,4機の戦闘機を軍に寄贈したとのこと.その背景の善悪はともかくとして,完成直後でも山と海が10点ずつ別会場で展示されたのみだったものが,一同に20点が集められている.
つまり,同一のコンセプトで描かれた作品が,当時の大観が意図した配列を再現されているとともに,1点ずつ展示ケースが作られている熱の入りようで,展示空間が1つの作品として十分成立している.ここでもまた,確かな展示がすばらしい作品空間を生み出す好例となっている.日本画もバカにできない.

美術 | Posted by satohshinya at August 24, 2004 6:41 | TrackBack (0)

近くて遠い日本近代美術

「近代日本洋画の巨匠 黒田清輝展」(新潟県立近代美術館)を見た.有名すぎることもあって,あまり気にして見たことのない作家であったが,「再考:近代日本の絵画 美意識の形成と展開」の第一部(東京藝術大学大学美術館)に出ていたものを見て,ちょっと興味を持っていたところだった.特に今回の個展でおもしろかったのは,構想画(composition)と呼ばれる作品と,そのためのデッサンであった.それらは,『昔がたり』という群像を描いた大きな作品のためのものだが,登場人物は実在のモデルを元に1人ずつデッサンが重ねられ,背景も部分ごとに下図を描き,最終的にそれらが構成(composition)されて1つの作品に仕上げられている.つまり,現実に見た光景を写実的に描いているわけではなく,頭の中に浮かんだ光景を,実際のモデルなどを参考にして組み立てているということだ.おまけに,その完成までの作業に2年ほど掛けているらしい.(更におまけに,『昔がたり』については,多くのデッサンが残されているが,完成作は戦災で消失してしまっている.)近代絵画において,そのような方法が一般的であるのかどうかはよく知らないが,僕にとっては,一目見ると単なる人物画のように見えるものが,実はcompositionという構築的な概念で描かれていることがおもしろかった.その他,同じ構想画の『智・感・情』(こちらはデッサンがなく,完成作しか展示されていない)もよかった.日本の近代美術なんて,あまり身近なものではなかったが,改めておもしろさに触れることができた.
この個展は新潟の美術館で見たのだが,カタログを買ってから分かったことがあった.これらの作品は,上野公園にある黒田記念室に展示されているものの巡回展であったらしい.実は,黒田記念室は我が家から徒歩10分ほどの場所にある.存在は知っていたのだが,1度も行ったことはなかった.そんな身近な作品たちを,わざわざ新潟で見たということもまた,何かの因縁かもしれない.

というわけで,新潟より作品が帰ってきているので,黒田記念室は公開を再開しています.ご興味のある方はぜひ見に行ってください.

美術 | Posted by satohshinya at June 12, 2004 11:51 | TrackBack (0)

美術家に必要な能力

「小林孝宣展 終わらない夏」(目黒区美術館)を見た.ここは,区立の美術館でありながら,時折このような好企画が行われる注目すべき美術館の1つである.小林は,「MOTアニュアル2003  days おだやかな日々」などのグループ展や,年に1度くらい開かれる西村画廊での個展を見ていて,以前から僕の好きな作家の1人であった.美術館での個展は初めてだったので,見たことがない多くの作品を見ることができるだろうと期待していたが,見事に裏切られた.それは,非常に展示点数の少ない個展であった.しかし,作品数が少なかったことを除けば,期待以上の展示でもあった.むしろ点数を減らし,それを効果的に展示することで,作品の魅力を十分に引き出すことに成功している.目黒区美術館は決して好ましい展示空間とは言えず,エントランスホールからそのまま繋がる展示室,多角形の平面と不思議な形状のトップライトを持つ展示室,外部に面した階段から直接繋がる展示室など,全体的にルーズな構成を持つ.インスタレーションならまだしも,平面には不利な展示空間であるように思う.しかし,この個展では,全ての展示室に見事に作品がはめこまれている.それは,今回展示されているノートのスケッチに現れているように,小林自身が展示空間に対して,詳細な検討を行っている結果であることが分かる.特に2階の連作を展示する空間は,仮設壁によって分割されているのだが,その小部屋のスケール感や開口の大きさは見事であった.
もちろん作品自体も,最初期の潜水艦の作品を初め(これは初めて見た),点数が少ないながらも,これまでの小林の軌跡をたどることができる回顧展になっている.しかも,カタログには展示されていないものも含めて,全ての小林の作品の図版が(モノクロだが)掲載されており,これもまた必見である.
作品を描くことと同時に,それらがどのような空間に,どのように展示されるかについて構想することは,平面作家であろうと,優れた美術家に必要とされる能力の1つである.

美術 | Posted by satohshinya at June 11, 2004 7:41 | TrackBack (0)

20年前の20年前

SCAIで中西夏之展「Halation・背後の月 目前のひびき」を見た.最終日前日ということもあり,本人も会場に来ていた.中西の絵画は本当に美しい.特に,最近インスタレーション系が続いたSCAIでは,久しぶりに堂々とした平面のみの展示で,作品はもちろんのこと,やはりよいギャラリーだなと痛感する.中西の作品としても,六本木クロッシングも,去年の退官記念展も,最近のシリーズである繊細なインスタレーションが続いたので,それと比べるとシンプルなよさがあった.しかし,今回も新作だったそうなのだが,ここ10年くらいの絵画作品は一見しても大きな違いはないため,新作だか何だかよくわからない.
このブログでは昔話が多くて申しわけないのだが,1つのことを説明するためには,どうしてもコンテクストから説明する必要が生じてしまう.勘弁してほしい.中西との出会いは20年前に遡る.高校生だった僕は,赤瀬川原平が書いた『東京ミキサー計画』という本を友人に薦められて読んだ.ハイレッド・センターという,今でいうアーティスト・ユニットの活動を記録した本である.メンバーは,高松次郎(高→ハイ),赤瀬川原平(赤→レッド),中西夏之(中→センター)の3人.20年前にこんなことをやっていた人たちがいたのかと愕然とし,現代美術に興味を持つきっかけとなった.だから中西夏之は,僕にとっての現代美術の父親みたいな存在である.(ちなみに,母親は著者でもある赤瀬川原平?)
それから20年が経過したわけだから,現在から考えると,ハイレッド・センターの活動は40年前!のものとなる.高松は何年か前に亡くなったが,赤瀬川は芥川賞を取り,「トマソン」や「老人力」などで有名になった.おかげで,『東京ミキサー計画』は現在でも文庫で読むことができる.古きよき時代の記録として,暇な人は読んでみてほしい.

現在は,中西夏之の個展「カルテット 着陸と着水X」が,川村記念美術館でやっています.こちらはインスタレーション系.10年くらい続いている『着陸と着水』シリーズ第10弾.また,MOTの企画展「再考:近代日本の絵画 美意識の形成と展開」では,ハイレッド・センター時代のコンパクトオブジェと洗濯バサミが出展されているようです.この企画展は,芸大美術館とセットで近代日本絵画が勉強できるので必見です.

美術 | Posted by satohshinya at May 7, 2004 8:55 | TrackBack (0)

素材の良さ

デビッド・シルヴィアンのライブを見た.「Fire in The Forest Tour 2004」の日本公演.弟のスティーヴ・ジャンセンと高木正勝の3人しか出演しないシンプルな構成.正確に書くと,高木はVJなので,演奏は兄弟2人だけ.おまけに『ブレミッシュ』からの曲がほとんどで,黙々とライブは進んでいく.ライブ自体は,もう少し過去の曲もやってくれればいいのにという感想はあるが,それよりも何よりも高木の映像が素晴らしかった.
高木正勝を最初に見たのは,東京都現代美術館での「MOTアニュアル2003 おだやかな日々」で,アニエス・ベーのためにつくった『world is so beautiful』だった.どのようにつくられているのかはわからないが,美しく画像が処理されたビデオインスタレーションだった.その時は,現代美術の展示でよくあるように延々とビデオ作品が流されていただけで,十分に時間を割くことができず,チラリとしか見ることができなかった.しかし,かなり強い印象を持っていたので,DVDで販売されたときにすぐに買った.結局,高木の作品は,映写される空間性が重要なわけではなく,自宅のテレビで見たって十分楽しめた.
つまり,動き,編集といった映像そのものに力がある.それどころか,その1カットを取り出して,高木自身のライブのフライヤーに使ったりするのだが,これがまた1枚の絵として気持ちよい.そういった画像処理の質もまた持ち合わせている.
今回のライブで使われた映像は,『world is so beautiful』の延長として,子どもたちの映像が多く使われている.その1部は,新作としてDVDが発売されるらしい.そして,『World Citizen』では,アンコールであったこともあって,おそらく『world is so beautiful』や新作用の,ほとんど画像処理をしていない生のデジタルビデオ映像を編集したものが使われた.子どもたちが楽しそうに走り回っている映像が繋ぎ合わされた映像だった.これを見て思ったのだが,画像処理をしていなくとも,生の素材を編集しただけでも十分に高木の作品となっていた.画像処理の質の高さだけでなく,この生の素材の良さが,高木が他の映像作家から抜きん出ている理由だと思う.
高木の作品はホームページでも少しだけ見ることができる.ネット上の粗い画面でも十分に魅力的な作品を見れば,僕が書いたことが少しはわかるのではないだろうか?

美術 | Posted by satohshinya at April 29, 2004 6:46 | TrackBack (0)

観光客とともに見る美術展

「六本木クロッシング:日本美術の新しい展望2004」「クサマトリックス 草間彌生展」(森美術館)の2つを見た.森美術館は初めてであったが,美術館と展望台の入場券がセットで販売されるシステムもあって,あの回転扉の事故直後にも関わらず,日曜午後の美術館は大変な人混みだった.
そのおかげで「六本木」は,ほとんど集中して見ることができなかった.おまけに,故障している作品が多かったり,撤去されている作品もあったり,その不完全さが更に追い打ちをかける.1つ1つの作品は決して悪いものではなかったように思えたが,あまりにも双方のコンディションが悪過ぎた.バラ撒かれたような取りとめのない展示構成も手伝い,全体的に散漫な印象しか残っていない.もう少し,こちらに時間的な余裕があり,作品も完全な状態であれば,まったく違う感想を抱いていたかもしれないだけに残念だった.
一方,「草間展」の脅迫的なインスタレーション群は,ぞろぞろと列をなして歩く観光客に対しても,圧倒的な迫力で迫る.その求心力のおかげで,そんなコンディションに関係なく楽しむことができた.さながらテーマパークのようである.特に最後の『ハーイ,コンニチワ!』のポップな空間は感動的ですらあった.

「草間展」は5月9日まで.ぜひ見に行ってほしい.こちらに,「草間展」の作品を写真付きで紹介したレビューあり.行く人は見ない方がいいかも.

美術 | Posted by satohshinya at April 17, 2004 7:58 | TrackBack (1)