水の都と貴族の館と現代の美術@venezia
「Palazzo Grassi(パラッツォ・グラッシ)」はカナル・グランデに面するグラッシ家の館を改修した美術館である.Giorgio Massari設計により1772年に建てられ,1978年から美術館として使いはじめられた.83年からはガエ・アウレンティ改修によるフィアット社の美術館となっていたが,所有者が変更し,今年の4月から安藤忠雄改修による新しい美術館として再びオープンした.
ここでは「“Where are We Going?”」展が開催されていて,新しい所有者であるFrançois Pinaultのコレクションが展示されていた.Pinaultはパリ郊外に安藤設計による巨大な美術館を計画していたが,事情により中止となったため,この館を購入したそうだ.コレクションの内容は好き嫌いがはっきりしそうだが,個人的には非常に興味深いものだった.ヴェネチア中に貼られている展覧会のポスターには村上隆の『Tamon-kun』と『Koumo-kun』(2002)が登場しており,それらとジェフ・クーンズの『Balloon Dog (Magenta)』(1994-2000)が運河沿いの外部に展示されていた.しかし,村上作品が展示してあるテラスに出ようとするが出ることができない.係員に聞いてみると,観客は出ることができないそうだ.確かにヴァボレット(水上バス)からは見ることができるのだが,スピードも速く,距離もあってチラッと見える程度.仕方なくガラス越しに後ろ姿だけを見ることにするが,ポスターにまで使っておきながら,この展示方法には唖然とした.バカにするにもほどがある.オラファー・エリアソンの『Your Wave Is』(2006)は大掛かりなインスタレーションで,夜になると線上のワイヤーが発光して建物全体を覆う.
入口から入ったところにはトップライトを持つ吹き抜けがあり,ここも展示空間として使われている.そこから階段を上がった2,3階が展示室である.もっともおもしろかったのは,一度は見てみたかったデミアン・ハーストの『Some Comfort Gained from the Acceptance of the Inherent Lies in Everything』(1996).彼の作品集『I Want to Spend the Rest of My Life Everywhere, With Everyone, One to One, Always, Forever, Now』(2000)で見たことのあった牛の輪切りだが,予想していたとおり得も言われぬ迫力があった.ところでこの本だが,個人的にはレム・コールハースの『S,M,L,XL』(1998),河原温の『Whole and Parts 1964-1995』(1997)とともにすばらしい作品集の1つであると思う.こんな本ならばぜひ作ってみたい.他にはあまり見慣れないタイプのドナルド・ジャッドの作品『Untitled』(1968),フェリックス・ゴンザレス=トレス(参考リンク:インタビュー)の『“Untitled” (Blood)』(1992)がよかった.村上隆の『Inochi』(2004)くんも展示されていて, CM風のビデオ作品がリピート上映されていたのだが,はたして日本語がわからない人たちにどのように見えていたのか…….しかし,こんなところにコレクションされていたとは驚いた.この展示のwebには全作品の画像が掲載されていて,展示室の画像や動画も見ることができる(参考リンク:Casa Brutusカメラマンの報告,Domus Academy留学生の報告,建物の変遷).
さて,肝心の建築の話.チケットには展示室の上隅部の写真が使われていて,そこには既存の装飾的な天井と,白い展示壁面と,シンプルな照明器具だけが写っている.それが端的に示すように,今回の改修は白い壁に照明,白い床だけをデザインしたのだろうと思っていた.実際に調べてみると,これまでの改修で附加された余計なものを取り払い,オリジナルの館の構成を取り戻した上で,展示用の白い壁と照明を加えたということらしい.コンセプトとしては理解できる.貴族の館からの機能転用だけあって,日本の住宅から比べれば遙かに大きいが,現代美術の展示室としてはやや小さい.それぞれの展示室は小部屋の連続だが,基本的に1作家1部屋なので,作品毎に独立した展示空間となることは悪くないだろう.しかし,カナル・グランデに面して窓がある部屋や,吹き抜けに面している部屋は特徴があってよいのだが,ほとんどがトップライトもない同じような展示室の連続で,それが34室もあるためにかなり単調だった.ガラスのヴォリュームが外壁から付きだしているとか,そんな余計なことをするよりはよっぽどよいのかもしれないが,あまりにも芸がなさ過ぎる.もう少し安藤らしいミニマルな作法で展示室のバリエーションを生み出すことができていたら,おもしろい現代美術館ができていたかもしれない.ヴェネチアの絶好なロケーションに建つ建築作品としては,かなり物足りない.
他にもヴェネチアでは「Galleria dell' Accademia(アカデミア美術館)」を訪れた(参考リンク).ここも修道院か何かからの機能転用.ヴェネツィア派絵画の名作が収められているそうだが,残念ながらそのよさはわからなかった.もう少し勉強してからまた行ってみよう.
美術 | Posted by satohshinya at November 23, 2006 20:57
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Comments
ダミアンの作品はドイツにいる間にサーチギャラリーに行って見に行ってください。
僕の中ではダミさんの作品は「現代芸術の再構築」といった位置にあり、サメやブタの輪切りより、蠅がどんどん死んで装置がとっても印象に残りました。僕らの学生時代のスーパーアーティストでもありました。shinyaさんが勧めている本もぜひ見てみたいです。
Posted by dotsu at November 30, 2006 5:32 PM
>dotsuさま
ダミアンがスーパーアーティストだなんて,どんな学生時代だったんだ? サーチ・ギャラリーはぜひ行きたいですね.もう10年以上前に行ったら休館日で,門の前で悲しい思いをしたことがあります.そのときは現在の場所とは違って,アビイ・ロードに近い住宅街の中にありました.
Posted by satohshinya at December 7, 2006 10:58 AM
僕もハーストの牛輪切り、間近で見てみたいなぁ。
美術出版社の20世紀の美術を日本の大学時代に見て以来
気になって気になって。
今年こそはきっとベネチア・ビエンナーレへ。
先日、StuttgartのKunstmuseumに行ったとき
フェリックス・ゴンザレス=トレスの作品を見ました。
ラベンダーの花びらを床一面に敷き詰める、という
横浜トリエンナーレを思い出させるような作品でした。
トリエンナーレの時の飴、持っていった記憶はあるのだけれど
食べた覚えが無い、、、、。 偽薬、、、か。
Posted by shingo at January 7, 2007 11:03 PM
>shingoさま
パラッツォ・グラッシでのハーストの展示は今回の企画展の一部でしたが,おそらく常設だろうと思うので夏にも見ることができるのではないでしょうか?
ゴンザレス=トレスについては先日ベルリンのハンブルガー・バーンホフで回顧展を見てきました.そこにも飴の作品があちらこちらにあって,小さいMは20個以上も拾ってきました.10年前に水戸芸術館でも飴の作品を見たことがあり,監視の人に持って行っていいと勧められたので,もらった瞬間に口に入れたところ,食べ物は美術館の外でお願いしますと言われました(笑).さすがにドイツでは監視のおじさんたちも時々つまんでいたり,受付のおばさんはどの飴がおいしいと教えてくれたり,作品の趣旨をよく理解しています.
まだ飴は余っています.取りに来る?
Posted by satohshinya at January 8, 2007 6:24 AM
Hamburger Bahnhofでゴンザレス=トレス回顧展!?
「何故、今月末ベルリンへ行くのに未チェックなんだ?ほとんどチェクしてるはずなのに」と自問してからホームページを見てみると
どうやら今日までのようです、、、。あぁショック。
飴、食べたかったなぁ、、、、
じゃなくて、彼の昔の作品見てみたかったなぁ。
最近、日本から持って来た
批評空間別冊の「モダニズムのハード・コア」(太田出版)を
読んでいて、先ほど知ったのですがエイズだったのですね。
知りませんでした。ジョセフ・コスースが「社会的な問題をテーマにした芸術というのは短絡的になりがちだが、その中でも知的にアプローチしている芸術家の一人がゴンザレス=トレスだ」と発言していて、「、、、え? 社会的問題がテーマだったのか、あの飴?」と。
今更ながら「Placebo」のコンセプト及び彼の作品コンセプトをゆっくり理解したところです、、、。全く情けない話だ、、、、。
それにしても、監視のおじさんやら受付のおばさんも
しっかり作品の一部になっている。
きっとゴンザレス=トレスは日本の状況のそれよりもドイツの状況を
支持すると思うな。
ま、どちらも最終的にはおいしいから良いけれど!
飴は、、、M君のために取っておいてあげてください(笑)
Posted by shingo at January 9, 2007 1:58 AM