世紀末の諍いの跡@wien

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ワグナーの「カールスプラッツ駅」を見た後に,大通りの反対側にギャラリーらしい建物を発見.近寄ってみると確かにギャラリーで,とにかく中に入ってみる.「Künstlerhaus(クンストラーハウス)」は,1868年にウィーン芸術家協会の展示スペースとして建てられたもので,1945年に展示ホールを増築,更に現在は地下に巨大な展示室を増築しているようだ.

ここではHanns Kunitzbergerによる「Die Orte der Bilder」展が行われていた.巨大な展示室(Haupthaus)に並べられた抽象画は,絵画そのものを作品としてじっくり鑑賞するというよりも(鑑賞してもよいのだが),それが複数並べられた空間をインスタレーションとして楽しむべき作品である.特に絵を支えるための足が取り付けられた作品に至っては,壁に掛けられた平面作品とは異なる見せ方を明らかに意図している.しかし,これでも十分大きな展示空間だと思うのだけれど,増築するとどうなってしまうのだろう? 入口脇のHouse Galleryと名付けられたプロジェクト・スペースでは,Leslie de Meloの「Coming Out of Nowhere Going Somewhere」展.
「クンストラーハウス」の隣には有名な「ウィーン楽友協会」が並んでいるだけあって,未だに増築が続けられる由緒ある建物なのだろう.そして19世紀末には,ここを拠点としていたウィーン芸術家協会に反目した芸術家たちがセセッション(造形美術協会)を結成する.確かに「クンストラーハウス」に対峙するように(というほど近くはないけれど)「Secession(セセッション館)」は建っている.
ここも1898年の建設以来,未だに現代美術の展示場として十分に機能しているようだ.オリジナルはヨーゼフ・マリア・オルブリッヒの設計だが,戦災に遭い1963年に再建され,その後もリノベーションなどが行われ,最近は地下に倉庫が増築されている.それどころか,セセッションは未だに存在しているようだ.

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中央の大展示室(Hauptraum)ではStefan Sandnerの個展が行われていた.トップライトによる光天井を持つ展示室は,「クンストラーハウス」と比べると様式的ではない分だけホワイトキューブに近い.しかし,この部屋はオリジナルのデザインなのかな? 展示自体はグラフィカルな平面作品で,展示室のおかげもあり堂々としていて悪くなかった.建物内は意外に広く,地下ではDave Hullfish Baileyによる「Elevator」展をやっていて,この展示室はGalerieと呼ばれるだけあって狭い部屋ばかりだが,小さな連続するボールト天井や,そこに取り付けられた簡素な蛍光灯と相まって小気味よい場所になっている.これもオリジナルのデザインなのか不明.2階のGrafisches Kabinettという小部屋では,Kristina Lekoによる「Beweis Nr.4: Jede/r Mensch ist Ein/e Künstler/in」展.壁紙を展示室に貼って(元々は白),まるで住宅の部屋に展示してあるように見える.
地下には常設展示室として,グスタフ・クリムトの『Der Beethovenfries(ベートーベン・フリーズ)』(1902)のための部屋もある.1989年にセゾン美術館のオープニングでやった「ウィーン世紀末」展で複製を見たことがあるが,ここのものが本物.しかし実際の場所にオリジナルと同じように展示されているはずなのだが,なんとなく違和感を感じて当時の写真をよく見てみると,もっとゴテゴテしていたオリジナルの展示空間を整理した結果,単なる同寸法のホワイトキューブに壁画を飾っていることがわかった.作品を際立たせるためには理解できる方法だが,美術館やどこか違う場所に移設した壁画作品ではあるまいし,もう少し気を利かせてほしかった.
何れにしても19世紀末から現在まで,変わらずに同時代の美術をサポートしている施設があることは,ヨーロッパのスタンダードであるようだ.もちろん,今では100年前の諍いなんて忘れてしまっているようではあるけれど.

美術 | Posted by satohshinya at July 17, 2006 17:30


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