水の波紋から11年@stuttgart

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シュトゥットガルトのBirkenwaldstraße沿いの住宅やその外部(庭)に150点の作品を点在させる「Vorfahrt」展が行われた.この通りは市街地近くから緩やかに蛇行しながら,丘の上の住宅地へと登ってゆく.終点にはシュトゥットガルト造形美術学校があり,そのすぐ先にはヴァイセンホフジートルングがある.

作品にはさまざまなレベルのものがあって,この場所でなければならないような巧妙な作品もあれば,別にどこの場所に置いたってかまわないような作品まである.予算の問題もあるのだろうけれど,それほど大げさなものは少なく,何れもささやかな作品ばかり.それにしても,住宅の中に展示しているもの(観客は外側から見る)もあって,これだけの作品をコーディネートするのは大変な労力だと思う.
日本も今では越後妻有が定着しはじめているように,野外展も特別なものではなくなりつつある.「Vorfahrt」の解説にもあるように,ゲント現代美術館の「シャンブル・ダミ(友達の部屋)」展からちょうど20年.この歴史的な展覧会を引き合いに出すまでもなく,個人的にはじめての野外展経験であった,同じヤン・フートのキュレーションによるワタリウムの「水の波紋」展ですら既に11年が経過する.表参道の歩道橋の下に川俣正がプレハブの倉庫を設置し,その中に吉田戦車(だったと思う)がマンガを書いているという作品があったり,今思うと都会の真ん中でよくやっていた(参考リンク:).その頃から思っていたけれども,やはり場所や状況との関わりを持つ作品の方が断然におもしろい.
午後からしかインフォテークが開いていなかったため,ガイドブックを購入することができなかったが,通り沿いに並んでいるために作品たちを発見できた.もちろん,「水の波紋」のときのように,アートを介して知っている街の新しい場所や視点を発見することと,まったく知らない場所をアートとともに廻ることは,大部異なる経験かも知れない.しかし,こんなことがなければ住んでもいないドイツの住宅地を子細に観察しながら歩くこともないだろう.日本と大きく違うと感じたことは,観客の人たち.杖をついたおばあさんが,ガイドブックを片手に作品を回っていたりする.
写真は作者はわからないが,住宅の窓の外側にカーテンを吊しただけの作品.なんてことはないけれど,気が付いたときには結構おもしろかった.
おまけ.ヴァイセンホフジートルングのコルビュジエ棟が,ヴァイセンホフミュージアムとして9月21日からオープンするそうだ.

美術 | Posted by satohshinya at September 8, 2006 6:22 | TrackBack (0)

Podcastと美術館

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ZKMでもPodcastがはじまっている.といっても「Lichtkunst aus Kunstlicht」展のオーディオガイドのPodcast版で,もちろんドイツ語のみ.ガイド・ツアーをはじめとする観客とのわかりやすい接点を生み出す活動は,Museumskommunikationという部門の仕事だ.

このオーディオガイドは,やっぱり自分のiPodに入れて作品を見ながら聞くことが想定されているのだろうか? こういった記事もあるから,きっとそうなのだろう.しかし,オーディオガイドは最近はどこでも見られるようになり,ヨーロッパの美術館や博物館,観光地では多くの人たちが耳を傾けている.ぼくはこれがあまり好きではなくて,そこから得られる情報が重要であることはわかるのだけれど,作品を見るテンポが阻害されてしまう気がしてイヤになる.事前に作品の背景をPodcastで予習をすると言っても,頭でっかちになってから作品を見るのもまた楽しくない.そうなると,時間の許す限りに読み飛ばすことができる文字情報(印刷物)を配布してくれるのが,個人的にはベターな方法だと思っている.もちろん音声だけでなく,画像や動画までもダウンロードできるようになってくると,確かに別の可能性があるのかもしれない.
そういえばMOTでもネットラジオ「Mot the Radio」をはじめている.もちろんオーディオガイド「Mot the Guide」もある.その他にも,スタッフによるブログ教育普及プログラムのブログなど,いつもは文句ばかりを書いているが,最近はがんばっているようだ.これについてもリンク記事あり.更に余談.長谷川祐子さんがMOTのチーフ・キュレーターになったようだが,金沢はどうなるの? とにかく,がんばれ東京!
おまけに「Lichtkunst」展について.この展示はとにかく膨大な光る作品が所狭しと3層のフロアに押し込まれていた.まるで秋葉原の照明売場に来ているような感じ(笑).その物量には圧倒されるが,どこをどのように見ればよいのか皆目見当が付かない.結局,光の中をさまようくらいしか手がなくなってしまう.もう少し交通整理がされていれば,本当に素晴らしい展示だと思うのだが,それが残念.webでMovieを見ることができる(右上のTRAILERをクリック).
写真は本題と関係なく,ZKM前のキース・へリング.最初はキースの偽物かと思っていたら,タイトルのパネルが設置されていた.なぜメディア・アートにキース? ちなみに子どもの滑り台と化して剥げている.

@karlsruhe, 美術 | Posted by satohshinya at September 7, 2006 14:20 | Comments (1) | TrackBack (0)

挿入された白い壁@luxembourg

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1882年に建てられたカジノ(ルクセンブルク建築家Pierre and Paul Funckによる)を改築した「Casino Luxembourg(カジノ・ルクセンブルク)」は現代美術の企画展を行う美術館である.改修はアーティストであり建築家でもあるUrs Raussmüllerによって行われ,1995年にオープンした.

ここでもやはり歴史的建造物の機能転用が行われているわけだが,展示空間として部屋の中に入れ子状にホワイトキューブが挿入されていることが特徴的であった.既存の部屋の壁ギリギリに白い壁がめぐっており,部屋と部屋の間や天井などから元の部屋のインテリアが覗いている.これには建物の展示への利用が恒常的に認めらたわけではなかったという背景があるようで,それを利用しておもしろい機能転用の方法を示している.その他にも道路側に向かって,ガラス張りの展示室が増築されている(webには,このパビリオンがジャン・プルーヴェによるものと書いてあるのだが……?).
ここでは「raconte-moi / tell me」展が行われており,12人(組)の作品が部屋毎に展示されていた.Melik Ohanianの映像作品の展示室では,明るい入口から奥の映像が映る部分に向かって,壁に白から黒へグラデーションが掛かっていた.実際には暗い部屋なので気が付く人はほとんどいないと思うが,印刷した壁紙を貼っている苦労の裏には,ホワイトキューブからブラックキューブへの移行をフィジカルに表現したいという意図が感じられた.バーゼルでも見たフランシス・アリスは,このホワイトキューブのあり方を逆手にとって,部屋と部屋の間を展示空間に選び,ホワイトキューブの外側の壁に映像を展示していた.映像といってもスライドプロジェクタを用い,床すれすれに路上生活者を小さく映し出すささやかな作品であり,それがこの展示空間にふさわしいものだった.上記の2つは見ることができないが(笑),webでは展示風景のMovieを見ることもできる.
クラシカルな建物にホワイトキューブを挿入した結果,それと同時に不思議な隙間が作り出された美術館.そういえば青木淳さんの作品にこんなものがあったことを思い出した.
ルクセンブルクにもmuséeskaartがあって,各美術館・博物館が無料になる.全ての情報をまとめたProgramme des muséesはwebでダウンロードも可能.
写真はルクセンブルク内のクレーン.足下は石を積み上げて固定している.ちょっと怖い.

美術 | Posted by satohshinya at September 6, 2006 0:52 | TrackBack (0)

アートにとって望ましい外部空間とは@luxembourg

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ルクセンブルクにあるデキシア銀行の本社を会場として「My Home Is My Castle」展が開かれていた.もともとロビー部分にギャラリー「Galerie l'Indépendance」が併設されていて,そこと庭園「Parc Heintz」を用いて現代作家の作品が並べられでいた.パナマレンコ,バルケンホール以外は,あまりなじみのないアーティストたちばかりであったが,なかなかおもしろい展示だった.

パナマレンコが置かれたギャラリーは,ガラス張りのロビーに絵を架けるための壁があるといった程度でたいしたものではない.一方の庭園は,もともといくつかの彫刻作品が展示されているのだが,邸宅跡の石積みが残されている趣のあるところで,それを用いた作品もいくつかあった.庭園に設置されている作品は何れも越後妻有を思い起こすようなインスタレーションだったが,中でもクロード・レヴェックのショッピング・カートを積み上げただけの作品は単純ながらも美しいものだった.後で調べてみると,レヴェックは水戸で個展もやっていて,妻有にも参加している(笑).
このような野外展示は場所に負うところが大きく,ここも遺跡が残る雰囲気のある場所なので成立しているような作品もあるし,場所をどれだけうまく利用しているかによって見え方が変わってくる.その意味では,レヴェックの作品は小高くなった高い木に囲まれた場所をうまく使っていた.ところで今年の妻有は行くことができないが,どうだったのだろう? あれも途中から作品を見に来ているのか,妻有の自然を見に来ているのかわからなくなり,作品が気に入ったのか,自然を気に入ったのか混乱してくる.まさにホワイトキューブとは正反対の主張する展示環境だ.そうだとすると,アートにとって最も望ましい外部空間はどのようなものか,という問いは成立するのだろうか? きっと意味がないだろう.つまり,アートにとって望ましい外部空間はデザインできないということだろうか?
この展示の情報はrhythm projectエントリーから得た.そうでなければ,こんな特殊な展覧会には行き当たらなかった.執筆者の遠藤さんに感謝.しかし,日本の銀行で現代美術展なんてやるかね? ちなみに立派なカタログを作っていて,それを会場で無料配布している.たいしたものだ.

美術 | Posted by satohshinya at September 5, 2006 23:24 | TrackBack (0)

遠距離のランドスケープ@luxembourg

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「Musée National d'Histoire et d'Art Luxembourg (MNHA)(ルクセンブルク国立歴史・美術博物館)」は元住宅を改修・増築した,歴史博物館と美術館が一体となった建物である.ルクセンブルク建築家Christian Bauerの設計により2002年に再オープンした.

通りに面して増築されたファサードはシンプルで,一見するとそれほど大きくない建物に見えるのだが,実際に中に入ると背後に隠れるように,18〜19世紀に建てられた2つの歴史的住宅を機能転用した展示エリアが拡がっている.既存部は地上5階,ファサードが面する広場の下は地下5階に及ぶ.実際には階高の低い住宅を基準としているため,展示エリアでは2層分利用しているところも少なくない.しかし,元魚市場であった敷地に広場を再生したり,その地下に中世の貯蔵庫を保存公開していたり,歴史的にも複雑で困難な立地に上品な解決を見せている.
地下階を含む大部分が歴史博物館のエリアで,地上3階からの3層のみが美術館になっている.最上階にはトップライトを持つ展示室があり,天井が高い増築部が企画展用であったが,訪れた時には展示換えのために残念ながら入ることができなかった.コレクションは近代美術までのアート(それ以降は「ジャン大公近代美術館」の担当)とルクセンブルクのアートが中心となっており,それらは天井の低い既存部に展示されている.

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その近くには「Musée d'Histoire de la Ville de Luxembourg(ルクセンブルク市立歴史博物館)」もある.ルクセンブルク建築家Conny Lentzの設計により1996年にオープン.ここもやはり中世に建てられたものを含む歴史的住宅を改修したもので,古い街並みの中にガラスのファサードが挿入されているが,4つの住宅を機能転用しているために内部は複雑.中では企画展として「Bilder, die lügen」展をやっていた.修整写真から最近のCG処理に至るまで,様々な場面で行われてきた嘘の映像をテーマとしたもの.
ここの活動は基本的に博物館と呼んでよいものだと思うが,一方でダニエル・ビュランによる「D'un Cercle à l'autre : Le Paysage emprunté」というパブリック・アートのプロジェクトを2005年にサポートしていたようだ.ルクセンブルクは城塞都市で,尾根のような部分に都市が築かれているが,その周りをグルントと呼ばれる低地に取り囲まれている.その7箇所に大きな円形の穴を開けたボードを設置し,それによって切り取られたルクセンブルクの風景を見せるという作品だった.もちろんこのボードにはストライプが描かれている.01年に一時的に展示された作品を,改めて常設作品として再設置したらしい.簡単な仕掛けの作品だが,パネルによってピクチャレスクな視点を発見させるとともに,丸く切り取られた風景と,それを取り囲むオレンジのストライプの絶妙な組合せにより,新たな風景を生み出している.その意味では,遠距離も射程に入れた,優れたランドスケープ・デザインであった.
ちなみにビュランのホームページで近作を見ると,あらゆる種類の作品を同時に生み出していることが分かる.ストライプだけでこんなに展開させるなんてよくやるものだ.

美術 | Posted by satohshinya at September 4, 2006 6:53 | TrackBack (0)

展示する場所/しない場所の区分けを無効にすること@luxembourg

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ルクセンブルクでは,前日に関係者へのオープニングが行われ,まさにその日に一般客へと公開される「Musée d'Art Moderne Grand-Duc Jean (MUDAM)(ジャン大公近代美術館)」を訪れた.1964〜2000年まで在位していたルクセンブルク大公国の国家元首であったジャン大公の名前にちなんだもの.ポンピドゥーみたいなものだ.名前は近代美術館だが,実際は現代美術を扱うところ.設計はI.M.ペイ.今更ペイの美術館なんてとも思ったが,とにかくヨーロッパの国立現代美術館のオープンに立ち会えるのならばとルクセンブルクまで行ってみた.

セレモニーでもあるのかと期待して行ったのだが,開館前には50人くらいの行列ができていただけで,残念ながら前日に華やかなオープニングは終わってしまった後のようだった.旧市街から離れた丘の上に新市街があるのだが,その端部に1732年に作られた要塞跡があり,要塞本体は博物館として整備中で,そこに隣接する遺跡のようなものの上に美術館は作られている.外観は石貼りによる最近のものとはとても思えないデザインだが,とりあえず中に入ってみた.
オープニングは「Eldorado」展.70年代生まれのアーティストも数多く含む現代美術が,全館を使って繰り広げられている.入口を入った正面に大きなガラス天井を持つホールがあり,そこには蔡国強の巨大な作品が堂々と展示してある.展示室というよりは,やはり展示室へ繋がる動線が集まるホールと呼ぶべき空間なのだが,ここもキチンと展示空間として使われている.この美術館には他にもガラス屋根を持つ大きな空間があり,大きな木までもが植えられているスペースがあるのだが,やはりそこにも作品が展示されている.いわゆる展示室然としているスペースにしても,建物全体が要塞跡に建つというコンテクストにより矢印状の平面形を持つため,菱形を変形したものとなっている.その他にも本体から独立したパビリオン状の展示室(もちろんガラス屋根),緩い円弧を描く壁を持つ展示室,メディア・アート用の暗い展示室など,いわゆるホワイトキューブと同じような性格を持ちながら,各々が個性を持った展示空間を作り上げている.しかも非常に良質な建築として実現しているのが,さすがペイと言うべきだろうか? アーティストもそれに応え,ピピロッティ・リストは菱形の展示室で見事なインスタレーションを行っていたし,ナリ・ワードのビンを吊した作品はパビリオンに展示されていたが,この空間のために作られた作品のようにすら見えた(実際は違うので,これはキュレーターの腕前だろう).
繰り返すようだけれども,建築デザインとしては前時代的なシンボリックなものと思わざるを得ないが,美術作品が置かれる場所をバリエーション豊かに提示しているという意味では,非常に新しい美術館なのかもしれない.動線も決められた順路を持たないが,あらゆる空間に作品が展示されているため,展示室と動線空間(及びロビー空間)といった区分けがほとんどされておらずに楽しく回ることができる.オーディトリアム(Mark Lewisの個展を開催中)も展示室に挟まれて通り抜けられるようになっているし,カフェやショップすらも,それらのインテリアデザインがアーティストの作品であるために展示室内に取り込まれている.パブリック・アートまでを射程に入れている現代美術にとっては,もはや展示する場所とそれ以外の場所といった区分けは必要ではなく,あらゆる場所に作品が介入可能であるということを美術館の中で再現しているのかもしれない.もちろん,そのバックグラウンドには良質な建築デザインがあることは言うまでもない.一歩間違えれば単なる商業施設のようになるだけだから.
この美術館では独自のフォントを開発して使用していたり,美術館のコンセプト,美術館建築のコンセプト,「Eldorado」展のガイドをそれぞれまとめた小冊子を無料で配布していたり(今後も無料であるかは不明),出版関係もクオリティの高いものを制作している.webも不思議なデザインで,文字画像のページがパラレルに存在しているというルールを理解するまでは戸惑ったが,他には見たことのない独自なもの.ちょっと不親切だとは思うが.何れにしても力の入ったオープニング展を見ただけの感想なので,今後どのような活動を行うのかわからないが,1つの重要な美術館誕生の瞬間に立ち会ったような気がした.

美術 | Posted by satohshinya at August 15, 2006 1:04 | Comments (3) | TrackBack (0)