アジア・アフリカ・オセアニア・アメリカ@paris

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ジャン・ヌーヴェルの最新作である「Musée du Quai Branly(ケ・ブランリ美術館)」に入るためには1時間近く行列に並ばなければならなかった.アジア・アフリカ・オセアニア・アメリカの美術品がルーヴルには収められていなかったことから,それら非ヨーロッパの美術品を収める国立美術館として構想されることになった(2000年よりルーヴルでも展示が開始された).一時は「原始美術美術館(Musée des Arts Premiers)」と名付けられることも検討されたそうだが,結果的には無難に敷地の名前が付けられることになった(参考リンク:美術館紹介国立民族学博物館原始美術という呼称鈴木明さんロハス美術館旅行記写真).

建築についてはあまり積極的に書くことがない.エントランスから展示室に至る意味不明な180mの長さのスロープ,鑑賞者に不親切な迷宮のような暗い展示室と狭いボックス群,構造表現として成立しているとは思えないピロティの2本の四角い柱など.唯一,エントランス部分に地下から上階までを貫くガラスのシリンダーがあって,それが楽器を納めるオープン・ストレージとなっていたことはおもしろかった.そのシリンダーにしても,展示室などの他の空間と効果的な関係を持つことができそうなのだが,そのような意図が見られなかったことが残念だった.
一方で周辺との関係については,これは「カルティエ現代美術財団美術館」(1994)の拡大版であると思えるが,エッフェル塔近くのセーヌ川沿いにありながら,巨大なガラス・スクリーンを立てて内側に森を作り出している.そして,そのランドスケープはピロティを介して反対側の街区まで連続している.さすがにこんな一等地に,こんなバカげた提案をするのはヌーヴェルだけだろう.敷地の一辺が旧来の街区に隣接しているが,ごていねいに中庭を形成するように建物が配され,そこから森に向かって建物の外形が崩れてゆく.
ガラス・スクリーンと旧来の街区が連続する立面では,アーティストであるパトリック・ブラン日本語サイト)による多種多様な植物による壁面緑化が調停役を担っている.そして,敷地内の森はランドスケープ・アーキテクトであるGilles Clémentによるデザインで,ピロティと関連付けながら敷地内に起伏を作り出し,ここもまた多種多様な木々や植物が渾然一体となって植えられている.つまりこの2人によって,ヌーヴェルのアイディアを更に加速して実現させることに成功している.だからこそ余計に,建物自体のデザインがあまりにもお粗末に思える.森の延長として木々のグラフィックをあしらったガラス・ファサードも野心的な試みであるが,エクステリア,インテリアともに期待以上の効果を上げられていない.結局,ショップなどが入る建物に描かれたアボリジニ・アーティストによるグラフィックのような,コラボレーションによる試みのほうが断然におもしろい.
もちろん,一見の価値がある美術館であることには間違いはない.しかしここは,いわゆる美術館と呼ぶよりは,日本では博物館と訳すべき建物になるのだろう.常設展示の上階には2つの企画展示スペースがあり,Expositions "Dossier"では「Nous Avons Mangé la Forêt」展と「Ciwara, Chimères Africaines」展,Exposition d'Anthropologieでは「Qu'est-ce Qu'un Corps?」展を開催中.これらの展示室もロフト状になっているため,長大な展示空間は間仕切りのない1つの空間となっており,床には部分的に勾配も付き,まさに森をさまようように展示品の中をさまようことになる.しかも,薄暗いジャングルのような森の中を.つまり,展示品がよりよく鑑賞できる空間を作り出そうとしているよりは,いかなる空間に展示品を配列するかというところにデザインのポイントが置かれているということだろう.その結果は残念ながら成功しているとは思いにくい.エントランスからの長いスロープの下もギャラリーLa Galerie Jardinになっていたが,まだ使われていなかった.
あとはこのランドスケープや壁面緑化が,10年後,50年後,100年後にどのような成果を上げているか,そのときにこの場所の真価が問われる.それを楽しみにしよう.

建築, 美術 | Posted by satohshinya at November 10, 2006 12:19


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