トップライト@paris

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チェイルリー公園にある「Musée de l'Orangerie(オランジュリー美術館)」は,ジュ・ドゥ・ポームと対称の位置にある.ほとんど同じ外観を持つ建物だが,ジュ・ドゥ・ポームは室内球戯場から美術館へ,オランジュリーは温室から美術館へと機能転用された.そもそも室内球技場と温室が同じデザインであったわけだから,それらがどのように転用されようが大した問題ではなかったのかもしれないけれども.

この美術館ほど興味深い変遷を辿ったものも少ないだろう.1852年に温室(オランジュリー)として建設され,ジュ・ドゥ・ポーム同様さまざまな用途に利用された後,1927年にモネの『睡蓮』を収容する美術館としてオープンした.改修はCamille Lefèvreによる.その後,1965年にOlivier Lahalleにより大改修が行われ,更にOlivier Brochetによる6年に亘った大改修を終え,今年の5月に再オープンしたばかり.
2つの楕円形の部屋に常設された『睡蓮』はあまりにも有名だが,これは必ずしもサイト・スペシフィックな作品というわけではなさそうだ.はじめにこの連作自体があり,その設置場所をモネが探していて,一時は現在ロダン美術館となっている建物に納めるという計画もあり,その時点では展示室は正円であったそうだ.その後オランジュリーが選ばれ,モネ自身が構想した,布張りの天井から自然光を採り入れた現在の構成と同じ「睡蓮の間」が,彼の死後に完成された.作品に合わせて空間を作ったという意味では,作品と空間は切り離すことのできないものとなっているが,空間に合わせて作品を描いたわけではなく,外部との関係は天から降り注ぐ光だけである.
しかし65年の改修では,現在ではモネの作品と共にこの美術館の核となっている印象派コレクションが寄贈されたことにより,展示スペースを増加する必要が生じ,こともあろうに「睡蓮の間」の上部に展示スペースを増築してしまった.27年当時の断面図を見ると,確かに「睡蓮の間」の天井高さはとても低い.しかし建物自体は優に2層分の高さを持ち,そこが天井裏のスペースであったわけだから,確かにもう1層分のスペースは十分確保できただろう.その結果,もちろん『睡蓮』はトップライトを失った.
そして2000年になり,再び「睡蓮の間」に自然光を取り戻すため,2階に展示されていた作品のための展示室を地下に増築し,改めて「睡蓮の間」の上部に空間を確保する大改修が開始された.ここも国立の美術館であり,建築技術の進歩によって可能になったことなのかもしれないが,本当によくやるよと言いたくなる.さすがにその甲斐あってか,本当に「睡蓮の間」はすばらしい展示空間となっている.改めて自然光の下で作品を鑑賞することの重要性を再認識できる(参考リンク:今回の改修学芸員インタビューこれまでの経緯65年改修時動画,美術館紹介).
一方で,この『睡蓮』は単なる壁画であるとも言えるだろう.「睡蓮の間」は素晴らしい展示空間であり,『睡蓮』を展示する最適な空間であるが,この空間そのものを作品と呼ぶところまでの意識はモネにもなかったように思える.その意味では,これはインスタレーションとは呼べない.
と,ここまで書いてみて,ふと磯崎新の「第三世代美術館」を思い出す.《この内部は,特定の作品のための,固有の空間となり,展示替えをするニュートラルなギャラリーではない.これを比喩的に説明するには,寺院の金堂を思い浮かべればいい.そこでは仏像がまず創られており,建物はそれを覆う鞘堂として建設された.美術館という枠が拡張して,美術品と建物が一体化している.……それを美術館という広義の制度の展開過程に位置づけることも可能だろう.それを第三世代美術館と呼ぶことをここで提唱したい》「奈義町現代美術館建物紹介」 この意味では,オランジュリーは第三世代に当てはまる.しかし,磯崎の文章が《それぞれの作品は,現場制作(in−situ)されます.Site Specificと呼ばれる形式です.内部空間の全要素(形態・光・素材・視点・時間…)が作品に組みこまれているので,観客はその現場に来て,中にはいって,体験してもらわねばなりません》と続くとき,特定の展示場所に対する意識がなかったことが,第三世代とオランジュリーを分けると考えられるだろう.

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今回の改修ではコンクリートの打ち放しがインテリアの随所に現れており,エントランスや「睡蓮の間」の外観にセパ穴が並んでいる.地下の展示室では,トップライトが確保された通路状のスペースの展示壁面がやはり打ち放しで,そこにルノワールなどの印象派絵画が展示されている.試みとしては理解できなくもないが,さすがにセパ穴は塞いであるものの,コンクリートの打設がお世辞にもきれいとは言えないし,絵を架ける位置が限定されてしまう.初期の安藤忠雄のような繊細な表情を持ち得るのであればよいかもしれないし,コレクションの常設なので展示換えを行わないのかもしれない.それにしても現代美術ならばまだしも,国立美術館の印象派絵画をこんな壁面に展示するなんてたいしたものだ.

美術 | Posted by satohshinya at November 8, 2006 16:51


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