ツイッターやってます

最近はここ→http://twitter.com/niheisimonにいます。

ネットは面白い。心からそう思えたのは、ツイッターが初めてだ。ツイッターの何が面白いのか。オープンかつ、祭り的連帯感の内在につきるだろう。このオープンな雰囲気が、ユーザーが膨大になっても維持出来るのであれば、新しい時代が来たと言って良いだろう。
政治家や役所が紋切り型に透明透明といっているが、やはりすっぽんぽんには出来ないのだ。学校の屋上へ向かう階段室や、放送室のような監視が行き届きにくい居場所が必要なのだ(そこで何をしていたかは今は重要ではないw)。
スケスケな場所から逃れられるスポットを情報技術が演出する「祭り」によって代替できるとは、前々から言われていたが、2ちゃんもmixiもどうも内輪的ノリが強化されるアーキテクチュアで、ギートステイトにでてくる、逃走する老人の気持ちがよく分かるところで留まっていた。
ツイッターは、端末を選ばない(アイフォンにかかわらず、どの携帯からもアクセス出来るアプリやサイト(movatwitter)がある)ので未だの人はやってみても損は無いだろう。まずは、適当にフォローを追加(津田氏曰くまずは100人)して、ツイッター(tweet list)を眺めていると忙しくなることに気づく。脳潜入をくらっているような動揺さえある。本格的に介入してから2ヶ月くらい経過した今、やっと生活スタイルが確立出来てきた。日常に入り込んでくる時点で、大きい存在だ。今日気づいたのだが、電話しながら、メールかきつつ、TLを横目に、手元にメモをとるといったことが意外と出来る!ので、攻殻機動隊とかにあるような情報量多すぎるだろっ!という疑念は晴れつつある。
ということで、ブログは、何かがまとまった時に使うことにする。なのでコメントもトラックバックもいらないかなと思いはじめている。スパムは人力で削除しているし、(今のところは)ツイッター上でコミニケーションした方が、安全で、かつオープンで楽しい横やりに度々遭遇出来る。つまるところ、ブログもコミニケーションに期待しているところがあったが、それは叶わぬものだった。(スパム対策への期待しかなかったので、コメントトラバを閉鎖するならばMTのバージョンアップもしなくて良いだろう。ブログ上にツイッターの表示ができるようにでもするかな。)
そんなツイッターは、グーグルの立場も揺さぶっている。ツイッターの出現で、ただのインフラに留まることでさらに立場強化していくのか、そうではなく飲み込むのか?その点に注目したい。インフラといえば、土木/建築の差異が、グーグル/ツイッターの差異と近い気がしている。(土木と建築の分化はどこから始まっているのか知りたいというつぶやきがあったなそういえば)

blog, 建築 | Posted by at December 2, 2009 3:29

10年代へ向けて

00年代は、島宇宙化がすすむポストモダンの世界である。その世界でネットは、人や人、人や情報をつなぐツール(もしくはそれ以上の結果をもたらす)として期待されていた。しかし、今のところ、弱い関係性をログし、(SNSで、同級生を見つけるといった行為に代表されるように)つなぎとめる程度で留まっている。より小さな島宇宙の増殖と流動化の促進(ブログ→SNS→twitterのような移動)ばかりが強化されてきたと言える。つながりの顕在化どころでなく、ダイナミズムがより見えずらくなっている。従来は批評がその担い手であったが、今や機能していない。従来の仕組みが破綻し、新しい流れが良く分からない過渡期にある。この閉塞感を打破すべく思想地図は企画された。ダイナミズム(イデオロギー)は批評の対象であったが、それが無い。批評するものが無いことを逆手にとり、社会を規定する設計(アーキテクチャ)へ批評をシフトさせ、島宇宙を連結せよ!との宣言。この仮説、大いに賛成である。
この企画に派生するかたちで、情報と建築の設計者の対談があった。濱野氏は僕と一つしか変わらない。同世代が主張する話はぜひ聞きたいと思っていた。2日前に(あずまんらしからぬやさしさにあふれた?)公開質問状もアップされていたことも後押しし、予約していなかったが、行って来た。なんとなく恥じらいのある、お互いに混じり合う一歩手前のような、初々しさが印象的な対談でした。
対談の中身の前に、まず前置きをさせて欲しいのです。「僕ら」と言ってしまってなんだ世代論かと、簡単に回収されてはまずいのですが、なにか今までにない共振が僕の中にはあった。小学1年のときにバブルが崩壊したらしい、ガンダムやエヴァも流行っていたらしい。つまり、世界や文化の桃源郷はことごとく後追いであって、江戸時代もポストモダンも一つのリファレンスでしかないという揺るがしようのない地点が僕の中にある。つまり同時代性の中に潜んでるでいるであろう勃興感や、連帯感を味わったことが無い。建築で言えば、学生になった時点でポストモダンが、脱構築や再解釈から、透明やフラットへ既にシフトした後であり、今だに透明とフラットが最前線のような雰囲気であることも創世を知らぬまま、過渡期だけを浴びるしかなかったと言える。しかし、つまらない世代間論争で終わらないためにも、僕らの弱い身体性を暖かく見守ってくれなんて言いません。
大胆な仮説を打ちたて、ダイナミズムを描き出そうぜ!というのが10年代のテーマだと思っている。この無根拠の主張はどこから? はったりの可能性もある。しかし、同時代性の中にある勃興を知らないことを良いことに何事にもオプティミスティックな態度でいられること、すなわち、今までの理想をトレースするという無意識的なしがらみが無いという空気が、対談の中で確認できたのは収穫だった。(赤の女王とお茶を|日本は21世紀、とんでもなく重要な役割を担いうるよという無根拠に近い自信に溢れたエントリーも、僕にとってはそーだよなという感じなのだ。) 
対談は、思想地図読者向けに藤村氏を紹介するという文脈だった(文字通りの思想地図の派生を期待していたので、その点で心残りではあった)。対談の始め藤村氏がスライドで持論である超線形設計プロセスについて説明。その中でBUILDIN Kが登場、一切色仕掛けは無く、独り言を繰り返す建築家たちへの批評がそのまま物として立ち上がっている。方法論がそのまま出来上がったような印象。藤村氏の主張は、植木鉢とかふにゃふにゃスケッチのようにビジュアルの劣化コピーではなく、プロセスの二次利用を呼び起こしたい、ということだった。その後の濱野氏とのやりとりで気になった点をいくつか。藤村氏曰く、メディアテークの影響で情報空間には原っぱを用意すれば良いという勘違いがおきてる。古谷さんの案の方が今見れば評価出来る。藤村氏の方法論は政治的状況下や、もっと大きな経済の下でも可能で、CCTVのようなものにも応える事ができるとまで。濱野氏曰く、Googleの検索アルゴリズムはクリックと貼りつけたリンクという行為=人である。藤村さん自身も設計プロセスや教育作法のアルゴリズムになっている点が面白いという指摘。プロセスをジャンプしないために模型があって、あらゆるプロセスには模型的なものがあるといいかもしれない。
藤村氏の主張している超線形設計プロセスは「超」のところが大事であって、線形プロセスだけでは、平均点を底上げする事にしかならないのではないか。「超」の部分は、悪く言うならば東工大的アナクロニズムによってカモフラージュされていて、表現の主張を隠蔽するための方法論ともとれなくない。建築の表現が批評に耐えられていないという、各所の指摘にどのように応えていくのか楽しみだ。設計を詰めるプロセスは超線形だけでなく、他にもあるわけで(藤村氏自身、ユリイカでOMAが非線形をやってのけていることを紹介)、プロセスの二次利用がダイナミズムを生み出すという発想は、今のままでは定着しずらそうだ。または、藤村氏自身「超」の部分のダイナミズムはもう起こりえないと仮定してるのだろうか。逆説的ではあるものの、表現の島宇宙化は避けられないので、プロセスの共有をということなのか?
磯崎さんのうねうねは、アルゴリズムは見た事のない奇妙を作れるというところで止まっているという話題も出ていた。アルゴリズムは、結果を自動生成するだけであり、アルゴリズムを設計するのは人であり、その設計者の意志が人や社会をどのように誘導していくのかとうい姿勢を、問いただす時期にきている。また、つぶやき(設計のスタディ)を集積できるようになったのは、ログの蓄積にかかるコストや労力が以前のような本を出版する(手書きの図面)といった行為に比べ、圧倒的に少なくなったという技術の進化によって支えられており、これは00年代の成果である。
自分の設計は、何を試み、どこへ接続しようとしているのか。その道筋を主張しながら、思考をとめることなく試みが普遍化されるまで、注意深く前進し、じっとその試みが飛躍するタイミングを見計る、この態度は今までとは変わらないが、そこにログを蓄積し続けるということが加わり、何を生み出すのか考えてみたいと思った。

建築 | Posted by at July 2, 2009 2:06

東京10年

もちおの憂鬱に衝撃を受け、よたよたと道の真ん中を…。
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もちおは、ただのエリートに過ぎなかったのか!?。下層レイヤーの生々しいしっぺ返しに、背を向けている姿をさらけ出してどうするつもりなのか。shinyaさんに勧められて思想地図〈vol.3〉を読み始めた。イデオロギー批判からアーキテクチュア批判へシフトしなければ思想空間が消滅してしまうという個人的な苛立ちを、(社会全体のエネルギーが発散していく先を見定めたいという)高いその方へ接続しようとしている。裏方として演じているあずまん。このまま居心地が良くなって、どんどん透明になっていくのだろうか。もちおにも上下レイヤーを横断するような心地よい運動体になっていただきたい。これからの建築家のスタイルも、運動体となるというのが1つかなと思っている。

先月28になった。18年大阪。10年東京(途中北京)。大阪へ帰れば、毎回新しい発見があって楽しい。遠い記憶にぽつぽつと残っている情報と、新しい発見を接続して線や面につなげていく。本棚を整理するような、リセット感がきもちいい。今回は、中之島界隈をぶらぶらと。京阪の駅が出来ていたり、記憶より川幅がゆったりしていたり、何が良いのかわからないが、イベントで人がたくさんいる隈さんの放送局、黒川紀章設計の国際会議場と接続されたホテルでビールを飲んだり。カフェ、家具などの販売、自ら資金調達し企画する展示スペースをもつgrafを覗きつつ。杉本博司展を見るために、国立国際美術館へ行ってきた。建物は、これだったらせめて安藤さんに…という感じだったけれど、それを忘れさせる迫力の展示だった。杉本コレクションの総覧、百花斉放という雰囲気だった。宝塔にアクリルを詰めたり、月の掛け軸をつくったり、微妙なリメイクが杉本らしい。ハイライトは、連続して並ぶ「海景」と、鏡で増幅された「放電場」。表現は抑えめだけれども、小宇宙がそこに。放電場の写真が列柱のように整列し、壁面の鏡によって無限化を試みている。しかし、奥へ歩いていくと、鏡が破壊されていて、その虚構を自ら打ち崩している。放電場の襞と、鏡に映るこなごなになった自分が、頭の中で反復し、ぐらぐらしてきた。最後にデュシャンの大ガラス…。これは、即興か?。最後に映像があり、鏡の突き付けがうまく行かず、やり直そうかという話から始まり、破壊し、笑う杉本。この記事も杉本が書きたくて書き始めたが…。

少し南下すると靱公園がある。これが追い打ちをかけるように良かった。(ここまでくると、すっかり酔っていて、気持ちもアルコールも…。写真が無い…。) テニスをしていたり、レジャーシート敷いていたり、人がたくさんいる。イベントとかでなく、日常的にこうなのだという感じ。特筆すべきなのが、公園に向かっていくつものカフェが開いている点。公設の公園と私有の建物の境界には、所有を顕在化させるように、壁やフェンスがあるものだが、一切無く、風景として一体化していた。店側も過度にテーブルを拡げることなく、公園→開放された一階→その外縁の道を、節度を持ってつなげている。公園の周辺には魅力的な店舗が集まっていて、街の中心的な様相だった。地区に1つといった定量的な規格によって生み出された都市の空地(公園)を中心に、市民空間が立ち上がりつつある。都市計画の設計思想を越えた、自走する公共圏の姿がここに。公園のランドスケープは、(日本の公園によくある)ありふれた西洋的な庭園の模倣でしかないが、その中で人々が生き生きとしている。このズレが今っぽい。都市ともなると、設計思想を越えるまでに、こんなに時間がかかるものなのかと。

写真の補足。東急東横線地下化工事の恩恵で明治通りの真ん中を歩けるようになっているだけです。東横線渋谷駅は、坂倉準三の設計。百貨店や以前あった文化会館も。この辺りは相当変わってしまうだろう。銀座線の高架が唐突に走り、駅に吸い込まれていく雰囲気なども、いずれ無くなってしまうのだろうか。ちなみに、周知の通り新駅は安藤忠雄。東急や西武は前からチェックしたかった。まずは、東急の都市開発の歴史でも読むか。

建築 | Posted by at June 6, 2009 12:08

これからは自己主張の時代

もうゼロ年代が終わろうとしている。時代の潮目を感じるものをいくつか。

若人の広場
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丹下健三設計(S42)

最近、宮台真司が(改めて)面白い。日本の難点を読んだ。明治維新の際、国を統合する〈政治〉も〈市民〉も存在しなかったので、代弁者として天皇を担ぎ出した(強いものにかならずついてきたという日本的慣例に従いながら、新しい船出を宣言した)。 しかし、藩閥や、左か右という傾斜ばかりが際だち、その効きすぎたエッジは戦争というかたちで臨界点を迎えた。日本は、天皇という特異点を持つ。戦後、その立場を理解したアメリカの介入により、国民の象徴と再定義され、アメリカに包摂されながら今まで歩みを進めてきた。しかしながら、自由を体現し続けてきたアメリカの失墜を、911の後処理、金融危機というかたちで具体的にさらけ出すことになってしまった。大日本国国憲法が定義した日本。アメリカが定義した日本。そして今、アメリカの変質により、日本を再定義する必要があるという流れは確実にある。憲法改正(という手法が良いか悪いかは別として)もその一端である。アジアの日本なのか、世界の中立者としてなのか、その定義付け論争は充実化させていかなければならない。ただ明らかなのは、国家建設の本当の目的である〈政治〉と〈市民〉の確立は今も曖昧なままであること。進むべき国家的統治を推進できるよう、新しい〈政治〉と〈市民〉の相関関係を築けるシステム、宮台の表現で言う社会的包摂能力を鍛えるために。柳田国男のように僕は野に下る!と宣言したような本であった。

天皇と金融危機の話は、NHKスペシャルで、それぞれ複数回の特集を組んでいる。明日(5/17)も金融危機の特集。NHK面白すぎます。そういえば民主党党首が交代した。自民も民主もイデオロギーの差異はないが、国家を引っ張るエリート(官僚)を引っ張っていける大胆な政治家の出現を望む…。本の中で引っかかったキーワードいくつか。生活世界に棲む人間が作りだすシステムの網を張り巡らしたモダン。全域化したシステムの添加物となった生活世界の中を生きる人間、すなわちポストモダン。システムを修正しながら生きていくしかない。自分へのコミットメントだけでなく、社会へのコミットメントを。社会へのコミットメントの空気感はココカラハジマル|しゃべることにも書いてあった。(以下引用。「私、特別な感性を持ってます。人とのコミュニケーションは苦手です。私の感性は言葉にした瞬間に崩れてしまいます。でも、絵は上手です。写真は上手です。分かってください」系のナイーブな描き込み・作り込み作品は、嫌いじゃないのですが、でも、もうそういうものを、自己表現だとか、小さなゆるやかなコミュニティだと評価する時代じゃない。)建築も変わらなきゃねぇ。フラットや白もポストモダンの一表現でしかない。

フジのノイタミナ枠で放送中の東のエデンも面白い。攻殻のテレビシリーズの監督、神山健治作品。東というのは日本のこと。平和ぼけした日本の中に潜む危機をテーマにしている。パトレイバーのような雰囲気だ。パトレイバーは機械(レイバー)を作った人間と、実はレイバーに支配されている社会という構図を採用している。ガンダムやエヴァンゲリオンも、システムの象徴として機械を採用している。攻殻機動隊や東のエデンは、システムが透明になった社会の話をしている。神山監督は、攻殻のインタビューで、現代社会との地続き感をアニメの中に表現したいと表明していた。東のエデンもそのテンションが強く出ている。

自己主張の際にかかるコストはブログというかたちにより限りなく0となった。批評家の中には、出版するペースでは時代について行けないので、ブログやネット放送を有料化している人がいる。一方で、Googleによる本の全文検索の動きも見逃せない。時代をつくるきっかけは良質なリファレンスによって発見される。この部分でのコストが0になる時代がおのずとくるのだ。小さな気づきを集積するシステムと言えるものは、ブログやtwitterなどだろう。しかしながら機微を前面に押し出すだけでなく、大きな流れを作り出す知恵、システムの開発がこれから必要とされる。ネットだけでなく、建築も時代をうごかす緩やかなシステムである。緩やかというのは、建築は物であると同時に、長く存在するという自己矛盾を抱えているため、ただ新しいだけでは成立しないという意味。建築をつくる際の反駁精神は、緩やかに社会へ訴えかける程度しか出来ないんだから、現代社会とも中立的で自由に作る度胸が必要。誤解を恐れずに言うなれば、未熟な〈市民〉や〈政治〉を誘導するシステムとして建築が機能するべきなのだ。

建築 | Posted by at May 16, 2009 18:11

エコも方便

本当にエコなものってあるんですか?
結論から言うと、本当にエコな時代が来たら誰も気づかないくらい透明な言葉になっているはず。
いまはお金を使ってもらうための方便であり、世界の仕組みが体質改善されていくための方便でもある。言葉が牽引する先には必ず淘汰の波が訪れる。まさに今、本当の体質改善を伴って、世の中へ主張できるか、知恵を絞る必要性に迫られている。必死になって国、会社がひっくり返っている。そのうち地域の生き残り、生活のスタイルにまで波が押し寄せて行く。作り手の立場から、新しい時代へ向かっていく雰囲気を作っていきたい。

エコな建築を作る時って、ソーラーとか緑くっつけたりするんですか?
良いかもしれないが、イニシャルもメンテも決して安くない。建築の場合、どういう回答があるのかは個別解になると思う。イメージとしては、白とかフラットにしている労力と金銭を、エコに振り分けていくのではないか。例えば、サッシはただ細くするのではなく、木とかで太く。空間の仕切りは、季節に対応できる殻の中で自由に。構造はただスリム化していくのではなく、時には厚く。設備は、操作性より、ゆったりと。生活のスタイルを変えても良いくらいの心地良い空気。しかし、あれこれくっつけて、ただの寄せ集めにしても、かっこ悪く、かわいくもない。世に主張していかなきゃならない。

コンセプトは抽象度を上げるべき。
100年に一度というのは、体質改善をすべき大きさのことと思いたい。日本だと、幕末以来ということか。司馬先生を読んでいる。薩摩→土佐→幕府(慶喜 新撰組)→これから長州編を読む。どれらの立場からも、逃げない、はればれと立ち向かう歴史の中の快男子が描かれている。膨大な調査を踏みしろとし、説教くさくなく、安易に好き嫌いに偏らず、強引な解釈に落とし込まず。あくまで、歴史的抽象という焦点をあぶり出そうとする一貫した態度。しかしながら、圧巻という言葉が適さないほど謙虚なテキスト。表現者の姿勢としてとても参考になる。

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今年は横浜開港150周年のよう。当時は決して迎えるべく、国を開いたわけではない。しかし、時代が動くトリガーになったことは間違えのない事実であろう。そんな海を見ながら、エコを考えるのも良いかも知れない(笑)。

建築 | Posted by at April 26, 2009 11:25

たゆたう

ずいぶんと時間が空いてしまった。書いていない間に、何人か首相が入れ替わり、アメリカ式の金融システムが崩壊し、車がガスから電気へ移行しようとしている。政権交代から一ヶ月で70兆円もの資金注入する国がある一方で、いまだに100円も落とせない国があり。TVCC火災…。これだけでも毎日驚かずにいられないはずだが、淡々と過ごす自分ももちろんいる。グローバルとローカルを自由に行き来できる時代の中で、日本で仕事をしている自分がどこへ向かっているのか。淡々というのは、将来への期待を見定めているという気分である。
中国での経験はアジアへの興味に繋がり、日本の起源を知りたいという欲求に駆り立てられ、幕末を中心に読み進めていく中で、日本という枠組みを意識したのは、ペリーという外圧が来てからであり、100年経った今、日本という枠組みの意味合いがだいぶ変わってきたことが分かった。むしろ、希薄になってきている。意識する必要がないので、他のフレームを次々と入れ替えながら妄想出来る時代。枠組みを意識するというのは、対立の構図がはっきりしているということであり、対立していたものがどんどんとなめらかになってきている。結構良い時代へ向かっているのではないかと思えないだろうか。確かに、今までの枠組みで作られた組織や制度へ強い刺激を与えることになるが、長い目で楽しめる空気感を作りたい。仕事へ対する態度はこういう気分によって自分を制御している。なんだか楽しいのである。次々とフレームを入れ替えながら、形を与え、時代と思想と、技術が一体となった建築をつくる。最近やっとそう思えるようになってきた。頭では理解しているつもりでも身体がついてきていなかった。苦しかった。もう絶対この仕事をやっていくのだと心から思えるようになった。
それにしても幕末はおもしろい。次はそのあたりを書こうか。

建築 | Posted by at February 22, 2009 21:15

不確実なままに

東大総長の祝辞がヤフーのトップニュースにリンクされていたので見てみると、「現代は不確実な時代であり、過去の成功例や常識が必ずしも通用しない時代です。~この21世紀を、私たちは、過去の権威に頼ったり、明治時代のように欧米諸国に頼ったりするのではなく、自ら先導していく必要があります。」などなど。(個人的な事情ですが、最近熱っぽい話題に触れたいがために、明治維新あたりを読んだり、篤姫も見ちゃったりしているのです。宮﨑あおいはかわいいです。)明治という言葉に引っかかっただけなんですが、ともかくこの不確実な時代の中でどのようにデザインしていくのか、非常に興味があるわけです。マスの時代からの移行期間にある不確実な時代を不確実なままやるしかないわけですが予見するかたちや考え方には敏感でありたい。僕の考えとしては、マスが解体され、個しかないというのは、単純すぎる話であって、やはり話題や議論、時代を動かす技術やデザインはこれからも生まれるはずであり、そこに至る仕組み、プロセスが今までとは違うものになっていくということに違いありません。ミニブログやtwitter、SNSなんていうのは、今までになかった個と個のつながりを生み出す仕組みであって、人気が出るというのは現社会の枠組みを反映したものなんだと思います。行政の資料をよんているとICTというキーワードをよく目にするのですが、ITにコミュニケーションのCを挟んだ表現で、インフォメーションテクノロジーはコミュニケーションを生み出す技術という定義が、社会認知されたという事なのかもしれないと最近思いました。

ところで、熱っぽいつながりで昨日鶴川のコンペの審査会を見てきました。審査会場まで足を運ぶのは久しぶりで良い刺激をもらいました。今日の朝、結果がホームページに出ていて、すくなくとも僕の印象とは違う結果となり、審査員の勇気に朝っぱらからすこし心打たれました。1等の案は、民間の理論で作られた30m級のマンションが林立している中で、公共建築にしかできない「低くたてる」とうコンセプトを最後まで貫きたいというのが評価されたのだと思います。まず、目に入ってくる大きい屋根は、マンションによって切れてしまいそうな丘陵地帯の生態を連続させるために、屋根面を緑化し、コミュニティ施設が入るこの大きい屋根の中では生態環境ができるような積極的な緑化も目指す。屋根の下に、図書館があり、地下がホール。ホールのフライタワーがメガストラクチャーになっていて、建築を支え、建築のイメージとなる本棚にもなっていた。そのメガストラクチャーはみんなで使う棚であって、壁を使って展示をするなど、使い方を一緒に考えていきたいと。地下利用が難しいという話が審査中出ていたのですが、そのあたりがどうなるかはよくわからない。
かつてのコンペは、アイデアとプランニングを含めた「かたち」を評価してきた。最近主流になりつつあるプロポーザルは人と考え方を評価するので、「かたち」だけで戦うのではなく、市民や街をまきこむ仕組みをデザインするということが主眼になっている。それは、時に具体的な建築を組み立てる部品であったり、今回のように低くたてるという言葉であったり、建築がわかりやすくなっていく断片が感じられる。すこし感動したというのは、わかりやすくすることは、平均値、つまらなくなることではない。という審査員の意志を結果から感じられ、「かたち」に鋭さを持ったものが選ばれたことにほっとしたわけです。
2等の案の都市環境に訴えかける提案も充分に評価出来ると思います。創造の塔と呼ばれる強い構造体の周りに緑のかごと呼ぶ自由な空間を作っていました。7m位のレベルに持ち上げられた緑のかごを街に開放するため、歩道橋という都市装置を1500人くらい居住している丘へつなぐ。その歩道橋は都で毎年13件程度出ている中古の歩道橋から、ちょうど良い幅のものを買い取ればいいと。審査員が皆うなっていた。(土木工事になるので、通常10何億とか。空前の値段で可能とプレゼンしていた。)当然のように、丘陵の緑をつなぐことも言っていましたが、具体的にアクセスできるようにした。さすが都市を考える人。ただ、一階が閉鎖的だったことがよくなかった。
みんな、プレゼンの前にネタを仕込んでいて、仙田さんは子供を育てた町田に建築をつくりたい。町田に近くにある子供の国は建築家としての初めての仕事だった。としょっぱなから、コンペに勝つためなら、持てる武器を乱れ打つ感じも面白かった。

建築 | Posted by at April 13, 2008 19:16

カン

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先月10日ほどフランスのカンに行ってきました。ノルマンディ作戦で焼けた街の一つで、半世紀と少しの間に作り上げた新しい街です。段差はどこまでもなく、街中はトラムと徒歩で移動出来る見事なコンパクトシティです。写真にある二棟並ぶ家型は、焼かれずに残った300年前の建物で改修され今も街の一部として機能していました。ハーバー近くのパークアンドライド施設では週末、車が一掃され、市場が展開していました。どのようなオペレーションで行われているか知りたいところです。

建築 | Posted by at March 15, 2008 18:22

北京経由 東京

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ブログ再開。ちょうど藤森展の最終日に東京に戻ってきた。かれこれ時間が経ってしまった。新しい仕事も始めている。現代建築と距離をとりたかったという一応の念願はかなったのでないかと思っている。自分の興味を拡げていきたい。現状を破壊する手段として、外へ出るというのはいいなと思った。ただ、建築をつくる作業の中で重要であろう物語をつくるだけでなく、技術を組み立てていくことも同時にしたいと強く思うようになり、帰国することにした。北京スタイルが割とはまってしまえばそのまま突っ走ることも考えていたが、あっちが成長するのを待つより、こちらが急速に成長してしまいたい。いずれまた見に行きたいところである。

あまり整理せず、思いついたことを書いてみる。確かに目に入れたら痛い問題はあったけれども、何も無くたってともかく楽しく生活する体臭が漂う中での生活は刺激的だった。良いのか悪いのかは別にして日本の無表情な戸建てが永遠と続く風景の異様さを再認識した。変てこな様式を取り込んだ外観が並んでいる様子を見てキッチュでカワイイと見違える余裕すら得た。現代建築の分脈にほとんど犯されずにやってきた今の中国は、かつての日本がモダンという様式をとりこみはじめた時期と重なる緊張感というのか期待感があると思う。その中でも海外建築家のブランド、スタイルごと大量に持ち込んでしまう状況はアジアの中でもかなり特異だ。日本だと折衷を選択してきた。日本が明治維新以降の100年くらいで達成しようとしたことを数十年でかつ何倍もの規模でやろうとしているのだから、そんなことくらい起きてしまうのだろうという感じだった。

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個人的にはアジアに関心を向けるようになったことが大きい。ワイルドスワンから始まり、マオ、大地の子、上海ベイビー、蒼穹の昴、翔ぶが如く…。特に司馬遼太郎の緻密さには敬服する。維新前後の日本の飛躍に中国や半島が刺激を受けていた頃から、現在までを駆け上ると歴史問題も含めて、興味の底が見えない雰囲気がある。(幕政下とは違う新しい)政治が生まれ、駆け引きの中でしか起きない突発的な物事に政治の生を感じられる。僕と生まれが同じ福嶋亮大のブログが面白い。彼は、神保町の書泉で東浩紀と対談したときに始めて見て、気になってずっとチェックしてる。中国文学の話もたまにでてくる。

建築, monologue | Posted by at October 28, 2007 12:52 | Comments (3)

4000

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たまたま晴れ渡っていた北京から上海までの空路の間、窓からずっと地上を眺めていた。丘陵地以外は徹底的に農地、都市化されていた。そしてずっと色がない。初めて見たという不気味さがあった。

写真は上海の陸家嘴(lù jiā zuǐ)に建つ有名な電波塔(東方明珠タワー)から外灘方面を見たものだ。陸家嘴は、中国国内で初めてCBDという概念を持ち出して、国際コンペを行った地区である。日本からは伊東豊雄も参加している。森ビルが通称上海ヒルズを建設している地区としても知られている。

上海。この都市には4000本のタワーが建っているらしい。虹橋国際空港から市街地へ向かう際、高速を利用した。確かに高層ビルが目立っていた。この高密度の立体の間を自由に行き来するような感覚は爽快である。これら(ジャンクション1)を見れば納得いくと思うが、道は上限がないかのように積み重ねられ、高いところでは建物の八階かそれ以上をいく。余談だが攻殻機動隊の押井シリーズは上海を舞台にしている。彼がなぜ舞台の参照元として上海を選択したのか興味ある点ではある。なぜ、この高密度は人を誘うのか?その欲望は加速させていいのか? 一点だけ指摘できるのは、人はバブルと言う桃源郷を求める性質があるという点ではないだろうか。その後の行き先は誰も知らない。

アジア。中国を見る視線の土台には、やはり日本がある。日本と中国の差異を見いだす前に、まずアジアの中で成熟した日本。その戦後の成長の中に中国とリンクする部分を整理する必要があると思う。アジア主義なんて大それたことは言わないが、宮台真司のコメントを借りると「民主制も資本制も単独では回りません。政治や経済が回ることと社会が回ることとが両立するためのバックボーン的リソースが必要です。ところが日本には米国のような宗教的リソースもなく、欧州のような階級的リソースや地域共同体的リソースもない。 」という、社会を制御するリソースが無くなったという指摘はうなずける。中国も僕の認識の中では現在模索中という感覚がある。共産主義を強化することよりも資本主義の良い点とうまく折衝して新たなものを見いだそうとしている。加えて、彼の最近の言動を見ているとアジア的な発見を促そうとする姿勢も読み取れる。その姿勢を受け入れて、しばらく考えてみたい。日本が今まで、成熟したアメリカやヨーロッパを参照してきたように、よいところを吸収しながら中国的な成長を見いだすのであろう、そこにアジアというキーワードを意識するというのが、なんとなく気に入っている。

東京。バブルという桃源郷を経験し、行き先を求め彷徨っている。人口減少をきっかけに、都市の生産から都市の制御へシフトしようとしている。東京の位置づけをどのようなものにするのか、都市デザインが求められていくだろう。しばらく「東京」をテーマにした出版(FiberCity 東京から考える 等々)も続きそうだし。大きな夢の想像力を競うよりも、現状を編集していくための態度を考えていかなくてはならない傾向は、間違った読みではないと思う。未だに20世紀的な夢物語(例えばSF的なもの アトム、サイバーパンク、電脳…)が、未来像なのではないか、という部分を乗り越えていない。その危機感をうまく乗りこなしていきたい。ギートステートガガガも。もしかしてエバの再始動もその叫びとして話を聞いてみたい。

変わらない建築。例えば、携帯という技術を作った技術者の夢はどのようなものだったのだろうか。電車の中で「みんなが片手に携帯している姿は、 "四六時中、人とコミュニケーションしたい"という、人間の欲望によって生まれた景色なんです。」という言葉にすると冗談のような光景が日常として抵抗なく入り込んできている。新しい生活を支える理想を思考し新しい技術を社会に供出した結果、新しい関係性が生まれるというのは、建築にも共通する部分があると思う。建築は問題を解決するが、その解答(かたち)は問題(意味)と必ずしもイコールの関係でなくて良いと思う。むしろ、同じ予条件下でも絶対同じ解答が出てこないことを意識する必要がある。極端な話、建築家がいなくても、建築を建てる技術を持った人がサポートすれば、誰もが建築を構想することができる。そこで建築家が前に立ち、何をするのかというのは慎重に考える必要がある。個人主義、スタイルを徹底したいというのは一つの回答だと思うが、やはり関係性を探し出し、新たな普遍性を見つけたいという態度の中で、作業を繰り返すのが基本だと思う。建築家という振る舞いの中で流れ込んでくる潮流をどのように編んでいくかという意志に、社会に対してどう批評をするのかという側面が自ずと含まれているように思う。どこまで自覚的に操作するのかというレベルから、自分がどのように見えていた方がいいのか。どのような環境の中にいればいいのか。もしくは環境から作ってしまうのか。考える対象は尽きない。

中国での仕事。クライアントはもっぱら表層に興味がある。内部空間をどれだけ豊かにするのか、という感覚は日本的なものではないだろうか。空間の構成を追求すればするほど、クライアントとの会話はどんどんすれ違っていくことになる。加えて、建築の表層に具体的なイメージを求める。裏を返せば、「概念的なもの」に対する興味が著しく低い。具象と意味を直結する方向に話が流れやすいので、その点は必ずこちらから提案する必要がある。抽象的なイメージをどのように実現化させていくのかという手続きでは、これまた誰も共感してくれない。そこで、藤森さんの建築が少し気になる。彼は抽象化を追求する建築界に風穴を開けたという点でも評価されている。中国的状況と彼の意志はどこか関連性があるのかもしれないという点で見るのもいいかもしれない。藤森さんの発言を勝手に抽出してみる。「建築を構成する外的条件を先に決めてしまう。例えば、どのように見えるようにしたいか。」「どの材料(具象)を使いたいか。」「空間は、結果の産物でしかない。」琴線に触れるコメントが続出するのだ。

建築 | Posted by at April 23, 2007 22:56

とりあえず一年。結構ダメなところがあっても一旦無視して耕してきたつもり

黒川紀章設計 中日青年交流中心 劇場 1987年
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さて、北京に来て一年経とうとしている。何を得たのか? 肉が付いた。いや、何も得ていない。どちらかというと焦りがある。鼻からぶっちゃけます。建築って大変だなぁってほんと思う。僕らは、きっちりつくる事を前提に教育を受けてきたし、メディアも、実際に働いている先達もそのポイントをはずしていない。なのに、何も作れない。なんなんだろうか。でも中国も面白いなと思える部分はある。フロンティアなんだから、はったりかませば良いんじゃないかという雰囲気がある。

受けてきた教育は否定できない。建築家的ジレンマを生む歴史と、巨大な社会が要請する現実的な問題。この果てしなく遠い距離にどのように折り合いを付けるのか。なんで、こんなほぼ乖離している振れ幅の中で頑張らなくちゃ行けないのか。だれかなんとかしろ。ほぼ乖離しているんだから、なにやってもいい。でも、振り切りすぎると歴史から葬られる。なにやってもいいテンションと建築家的ジレンマのどこかにスポットを当てながら、それでもやっちゃう運動体にならなければ建築家として面白くない。と思ってしまう自分。

話は飛ぶ。建築家的コンセプトがはっきり表現に出ているものでないとメディアに相手にされない。でも、それによってどのような効果があるのかはよくわからない。むしろ、よくないんじゃないかという方が多い気がする。それに嫌気がさして今の建築はダメだという人の意見はよくわかる。そのなかでも、こなれたコンセプトで、全体と局部。構想と現実をハンドリングしようとしている建築家は何人かはいる(と思う)。そのへんでどのようなストーリーを生み出すかが宿命。かつては、建築が足りなくて、建築に対する社会からの要請はハッキリしていた。今は、建築家的なしがらみにおいては達成されているポイントがあるものの、ハッキリしない時代なんだからと割り切って(言い換えると、社会とはそんなに関わり合いがあるかどうかなんてわからないんだから)建築家的ジレンマばかりを研ぎ澄ましていくことでは、社会から建築家がいらないという時代が来るんじゃないかなって想像しちゃう。今の政治家みたいにステージの上でピエロ化するのか? そもそも建築家業が儲からない図式は前々から普遍だから、勝手に減るでしょ。そう、ハッキリしない時代。東浩紀風に言えば、大きな物語(みんなで暗黙に共有しているテーマ)は崩壊した。だから、個別が強くなっていくことが社会から要請されている自然な結果であって、それぞれがどのように繋がっていけばいいのかを見いだす時代だと思う。ウェブ論があついのは、技術が新しい関係性を生むという期待があるからであって…。

で。建築家の活動を大局から外れているからつまらないと言ってしまうメディア(発言力のある建築家も同じ)はよくない。でも、社会との接点を積極的に見いださずに考現学(考古学に対する造語)的なポイントにこそ新しい何かが!というイズムもなんだか気持ち悪い。建築家がその点をないがしろにしてきたんじゃないかという、歴史を参照した結果、発生したジレンマであることは分かるけど、それだけしか研ぎ澄ますことができないというのも、どのような関係性を生んでいくのだろうか。一方で、売れなきゃ生きていけないメディアを参照しつつも、みんながおもしろいものはおもしろいとちゃんと言える風土を作って行かなくちゃならない。おもしろいんだから、発展的解釈を生めるような関係性を生み出して行かなくちゃならない。そんな活動は実現できないのだろうか。と、考えながら、アトリエ・ワン展を見ていた。

じゃぁ、僕はどのような立場で建築を建てていくポーズをとっていけばいいのか。それを見つけたい。いまは、たくさん候補を見いだしている段階だけど、ある徹底を始める段階がいつくるかも分からない。イズムとかスタイルじゃなくて、建築家が社会にどのように関わっていくという部分、すなわち型を見つけたいなぁ。

建築, monologue | Posted by at March 27, 2007 22:40

今日の中国都市計画

[10+1] 特集 都市の危機/都市の再生 ―アーバニズムは可能か? INAX出版
「今日の中国都市計画」(P87ー94)の翻訳校正を担当しました。
都市の視点から見た中国的状況に関する概要になっていると思います。

個人的な感覚ではありますが、今日まで中国へ視線を向ける動機付けがあまり無かったように思います。しかしながら、新規性に溢れ、あらゆる限界を拡大し続ける状況を迎えているのは確かなようです。例えば、急速な都市化、日本の外貨貯蓄高越え、増え続ける人口、日本海を越えた環境汚染、独自の宇宙開発…。中国に関する情報を無視できなくなった。すなわち、中国に対する解釈と実践が必然の時代となったと言えます。

95年から始めた長江流域地帯のリサーチ建設が進んでいる北京のCCTV。最近では深圳の証券取引所のコンペにも勝利したOMA。中国的状況を利用した上で建築家としての興味を突き進めているレムの解釈を以下に抜粋。

中国に関して、誤解があるように思います。中国は何のためらいもなく、資本主義国家になろうとしているというのは誤解です。実際には、中国は独自のシステムも維持しようとしています。これまでのシステムの長所と新しいシステムとをどのように統合すべきか、模索していると思います。

また、建築に関わる事情として、世界の中で見れば建築家の数が極端に少なく、圧倒的に建設量が多いということも指摘しています。一方で、先進国のような建築をつくる際の社会的、経済的、文化的な相互制御能力がない。つまり建築が簡単につくられすぎる。という警笛も鳴らしています。

手っ取り早く今の中国を説明するとすれば、70年代前半まで10年ほど続いた文化大革命によって引き起こしてしまった歴史の切断。それ以降、アジア的と言える経済成長を前提にした都市の発展傾向の中で、世界の中で見ても最も規模が大きく、最も速度が速い状況を迎合している中国が、21世紀的国家の体格を身につけようという流れの中、08'北京オリンピック、10'上海万博の開催が待ち遠しいというが今の気運と言えようか。中国語のウェブサイトではありますが1978-2002 中国25年流行全記録の中にあるイメージを見るだけでもその流れが伝わるような気がします。

なぜ、文化革命以降を意識するのかという点を補足するならば、日本における言説空間の中でよく指摘される歴史的な分水嶺として、戦争による文化の切断からの再起動がある。その後、日本でも64'東京オリンピック、70'大阪万博によって誘引された都市化、以後の都市膨張、バブルの崩壊に至るまでの一連の流れ。その中で孕んできた現代化のエネルギーをさらに圧縮した状態が、今の中国的状況に近いものがあるかもしれない。同じアジアにおいて、そのような見方で一旦見比べる価値はあると思う。そう言った視点の一つとして、オリンピックを迎える前年63'に亡くなった小津安二郎監督作品全集を、今、見ている。すなわち、オリンピック時に行われた首都高などの都市改造を受ける前の東京とその近郊が舞台となった映画の中の世界を見ながら、今の北京との現状の差異を見定めたいなんて思っている。

初台の交差点
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ともかく中国に対する解釈を必要としているタイミングに、中国の都市計画についての簡単な概要をまとめる機会を得ることができました。

以下、翻訳した内容の中から。

・2005から 10年は中国の第11次「国民経済と社会発展」の5カ年計画の期間である。今期から、元の「五年計划(jì huà)」から「五年規划(guī huà)」に変わり、一字の違いだけではあるが中央政府が市場化を推し進める決意を具体的に示したと言える。
・50年代、中国の人口は5億人程度であったが、2000年には13億人にまで達し、2030年頃には16億人に到達する見込みである。(ちなみに、文化革命時に人口が2億人増えたとユン・チアン著のワイルドスワンには書いてあった。)
・「都市化(大都市の発展を重点とする)」と「城鎮化(小さな都市と街の発展を重点とする)」をめぐる論争の中で)「都市化」という言い方に断固として反対する意見もある。都市化と言えば必ず「二次元構造」、すなわち都市と農村の分断といった、従来と同じ問題を繰り返すこととなり、これは地域格差をさらに広げ、都市部と農村部の対立を引き起こし、都市インフラ施設の不足、都市部への農民の過度な流入、都市環境汚染などの難題が起こり、それらに応対するのが困難であるからだ。さまざまな議論の結果「城鎮化」に対する賛成のほうが多かった。*城鎮(chéng zhèn)=都市より規模が小さい町の略称
・もともと土地の所有権および使用権は国のものだった。土地使用権改革は所有権と使用権を分け、土地使用を有償とした。その資金を元手に、都市の更新やインフラ整備に多額の投資が可能となった。また、土地の価値と資本の配分によって都市構造の調整を導き、都市の新陳代謝をより合理化、高度化させる。 ~現在の体制では、土地の収益は税収を除き都市政府の二番目の財政源であり、政府収入30-60パーセントをも占めている。このような制度下では、都市政府は都市開発の当事者となり、政府と開発業者は実質上の利益享受の共同体である。政府は土地収益を上げ、開発業者は不動産収益を上げる。都市政府は利益ある開発グループのひとつとなった。 ~多くの都市(特に首長)は不動産を利用して、GDP成長を牽引することを望み、様々なレベルの都市政府は「都市経営」に努める。
など。

*追記
この番組見たいです。
まんぷく::日記 BS特集「民衆が語る中国・激動の時代~文化大革命を乗り越えて」、明日+あさって再放送

2月1日(木)
1. 19:10~20:00 (1)紅衛兵誕生へ(Gコード7908739)
2. 20:10~21:00 (2)造反有理の嵐(Gコード8538265)
2月2日(金)
1. 19:10~20:00 (3)下放若者大移動(Gコード7968111)
2. 20:10~21:00 (4)改革開放への胎動(Gコード8505937)

建築, media | Posted by at January 31, 2007 1:50

深さと若さ-中国のディベロッパーから見た日本

建築雑誌]2006年12月号・日本建築学会

その中にある8本のインタビューの1つ。SOHO CHINAの社長 Zhang Xinへのインタビューの翻訳をさせて頂きました。本号は松原弘典さんが“特集[中国 ]そこに日本の建築世界はどう関われるか”というタイトルで構成を担当されています。本全体の書評が建築雑誌オールレビューに掲載されています。

荒訳された日本語と原文を並べて翻訳を進めたのですが、荒訳のテキストからも彼女の経験に基づく聡明さを感じることが出来ました。言葉は多少劣化しても意図を拾い集めれば、筋が通っているストーリーかそうでないかは、わかるのだなぁと感じながら翻訳させていただきました。インタビューの筋書きをオフィスで議論してから行ったので、意図していたことに共鳴してくれたとも言えるかもしれません。別の機会にオフィスを拝見したことがあります。世界中の建築家のポートフォリオが山積みされ、各プロジェクトの落選案を含めた模型が陳列してあり、世界の建築の先端は中国にあるという錯覚に少し身震いさえ感じました。(参照LINK:SOHO CHINAのロビーから外を眺望した写真が含まれているエントリー)他の項目で、面白いと思ったのは、清華大学の教授と北京大学の助教授へのインタビューの中にある”(グローバリゼーションという)共通性の強い大きな環境では、むしろ個々の「わずかな差」こそが大切です。”という文言に惹かれました。

建築雑誌は一般書店で手に入れることは出来きません。CiNii|建築雑誌で、過去のものを見ることが出来ます。

参照LINK:松原研究室のブログ Matsubara-labo.sfc|「建築雑誌」2006年12月号
参照LINK:インタビュアーの一人、山代 悟さんのブログ ヤマシログ|都市を診る

建築, media | Posted by at December 22, 2006 12:00

修士設計インデックス

→四枚稿PDF DOWNLOAD

多摩ニュータウン縮小計画 -諏訪二丁目団地の再生を通して-
Revitalization Tama New Town - Restructuring the Public Housing in Suwa 2 chome -

概要:作りすぎた多摩ニュータウンのサイズを是正していく必要がある。問題が最も顕在化している諏訪二丁目にたつ既存の団地を残しながら、住棟同士をつなぐボリュームを付加することで、床面積と居住人口を増やす。郊外的な様々なスケール感を維持したまま、居住専用の団地から、居住空間の規模の中で達成できる機能が一体となった新しい団地を計画する。この提案が原型となり、駅前から高密度に建て替えていくことで、サイズを縮小できる。

LINK
takamiya studio | ACTIVITY LOG
simon|修士Archives

中国でニュータウンの団地の設計にも携わっています。旧市街地の成長が成熟期に突入し、今後の都市の成長のため、ニュータウンが必要とされています。中国におけるニュータウンのロールモデルは未だ見つかっていないため、成熟した日本が経験してきた思考を、今中国でどのように関われるか真剣に考える機会が今まさにここにあります。

建築, new town, portfolio | Posted by at December 17, 2006 17:30

12月2日のCCTV

久しぶりに晴れた
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前回と比べてどこが変わったのか? 今日の北京の気温は最高5度 最低-3度 快晴

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TVCCは5階分くらいのボリュームが立ち上がったのがわかる。下のクレーンはほとんど動いていない。CCTVはカメラの角度、失敗。手前のブリッジに天板が貼られたのが分かる。霧が濃くてよくわからん。

建築 | Posted by at December 2, 2006 14:42 | Comments (4)

日本してきた

建築ばかり並べてみました。ブログのレイアウト上すっきりする横アングルで語ってみる。

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新潟の豊栄にある安藤忠雄設計の市立図書館
新潟に行ってみてあることに気づき、行ってきた。そんなノリの旅。写真にある階段の下に小さな部屋があったり、四角と丸がぶつかった単純な平面構成の中、ぶつかった時に出来てしまう余ったように感じる部分を利用している空間や、図形の輻射によって出現した新たな図形を利用して空間をしつらえていたりしていた。いろいろな場所ができている作り込み感がよかった。庭自体はどうったこと無かったが、庭と内部の関係は良かった。色々な場所を作りたい建築家的感覚がちょうどいいくらいにあった。住宅が少し大きくなったくらいの規模が安藤さん的な空間の作り込みにちょうど良かったのかな。外の構成は良く覚えていない。ま、壁が続いていた。なぜ、あんなに閉鎖的な外観にしたのだろう?別に幹線道路に面しているわけでもなく。そうか、冬の雪に耐えるためか。だから内部の印象が強く豊かなのか。光の教会の時のような感覚を思い出す。写真にある階段を下りると、いろいろな空間が目に飛び込んできたのでシャッターを切った。

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新潟の豊栄にある安藤忠雄設計の地域施設(中学校+コミュニティセンター)
これも新潟に行ったらあるよって、教えてもらった。たなぼた見学。先の図書館の近く。アプローチ道路からみると、スタジアムなのかと思うくらいにでかい。鳥の片翼をひろげたようなゆるやかなカーブを描く外観。ボリュームの奥行きが薄く、足下も浮いていいて、良い感じで横長連続窓ガラスに夕暮れの空が映り込んでいて、グワァっと飛びそうな感じがした。車でスピードにのってアプローチしたのもこの感覚に関与しているだろう。予想だが、この翼は校庭側に強い北西風が吹き込まないための壁としての構成だと思う。翼の片側に卵のような形をした体育館がいる。体育館と校舎は内部で接続していると思いきや、しっかり外部ブリッジだった。2メートルくらいだけど。コミュニティセンタと学校の関係は階層で隔てており、見えたりはしない。ただ、中の音楽室や図書館などの機能を共有しているらしい(管理人談)。写真は校庭側からピロティを見抜いているアングル。校庭側の窓辺に立つと、いかにも行きたくなるガラスのボックスが飛び出している。行ってみると、椅子がおいてあって、妙に広い廊下?ギャラリー?があって、使いこなせるのか心配な場所ではあった。屋上にもちゃっかり上がらせてもらい、これから向かう遊水館と潟博物館を目視。もう新潟市に合併されたけど元豊栄市長は建築に見識があったのか? 街の規模の割に建築家が設計した建築の数が多い。作る必要があると言った元市長はすばらしい。

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新潟の豊栄にある青木淳設計の市営プール
先二件の安藤さんの建築の前にすでに完成していた遊水館。どうやら丸い形が好きな市長だったらしいと、おじさんが言っていた。駐車場に降りた瞬間、青木さんの表面の作り込みの趣味性を感じてしまった。近くまで寄って、どうやってウロコのような木を貼っているのかを見たが、わざとインテリア的な作り込み感にしたのかと思わせる雰囲気が漂っていた。なんか素材自体の質感を欺して使っている。この表情だったらこの素材でなくてもよかった気がすると普通は思うところに何か問いかけがあるのか? 先に木の質感のイメージがあったのか? この木の質感を持つウロコとやたら白くのぺっとした表情の部分とのギャップは、ちぐはぐな感じ。張りぼて感をわざと強調したのかなぁ。それともこの木を使うプログラムが設計時に組み込まれていたのか?そんな気もしてきた、このはぐらかし感。内観はいたってオーソドックスだったと、話をまとめると非難囂々だと思うが、特にこれって感じがしなかった。構成が決まった瞬間、さぁ作り込むぞぉっ!てノリがそのまま表現に出てる感じ。すべり台とか階段とか、のぞき窓とか手すりとか。そんなことより、建築家的な感覚の何かを意図的に放置して作ってないか? 青木さんの建築これが始めて。ここちよくないこのズレ。

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新潟の豊栄にある青木淳設計の潟博物館
閉館時刻が迫ってきていたので、流れ込むように潟博物館(97’)に。外装や内装が嫌でも目に入ってくるので、それ以外のことを考えたいと決意して入った。こちらの建築も先の遊水館(97’)も、平面の構成が強い。円が主体で、そこに階段が巻き付いたり、意図的に引き延ばされたようにみえるブリッジなどが貫通したり、接続したりしてる。潟博物館の設計が先行していて、遊水館はそのテンションの中で潟では表現できなかったことをやろうとしたのか。これは親子として見た方がいいな。同じ公園内だし意識しただろう。この写真は接道をまたぐ歩道橋から撮ったものだ。この橋、普通なら土木の仕事。他の領域を引き込むのはもうすでに建築家の仕事の基本なのか?それとも建築に見識がありそうな元市長のガハハ親父ぶりが発揮されたのか? そんなことよりも、妹島さんのなかへち美術館(97’)、マルチメディア工房(96’)、森の別荘(94’)などと、どこか似た時代感覚がないだろうか。主体をキープしたまま、付属要素を拡大、延長させている。古くからある身体感覚をキープした主体と新しい身体感覚を目指した付属要素とのぶつかり合い。わかりやすい関係性の演出だけど、そこに何かを期待する建築家的な感覚はわかる。かつてであれば、バランスがわるく気持ち悪いとも思えるこの操作、奇妙な身体性とも呼ぼうか。バブルの反動として過ごした90年代の閉塞感、かつての手法を覆すCADの台頭、ネット空間に対する期待感。それらを、自然に表現したものと言えるだろう。しかし、あくまで平面の操作にとどめている。立体にした時のプロポーションは特に新しいわけでもなく、ただ良い。では、その時代感覚を一旦消去して、潟博物館と遊水館の親子で追求したイメージは何だったのだろうか? 青木さんに対する個人的な伏線をここで挙げてみる。大学入試を意識したころ、梅田の紀伊国屋でふらふらっと建築のコーナーに立ち寄った。そもそも親父の影響で建築の仕事はイメージしやすかったので、とりあえず無意識に興味があった。その時、目に入ったのが青木さんのB(99’)が表紙になっていた住宅特集だった。はっきり言ってものすごい衝撃的だった。学生身分で2000円も雑誌に払うという敷居の高さを忘れて、即買い。住宅に全く見えないし、書いてあるコンセプトも全く意味が分からない(当時は分からなかった)。へぇ、建築って危ないと素直に思った(笑)。その時のコンセプトには確か、ナカミとカタチの関係性を断ち切った方法論を組み立てたいと言った主旨のことを書いてあった。今に思えば、既存の建築を完全否定するようなポーズをとるスタイルが、この潟親子の時からすでにあったのだろう。ただ、コルビジェも磯崎さんも建築の源流を裏切るポーズをとるものの、それをまた裏切るようにきっちり作りこむのに対し、青木さんの建築は実際の建築で再びあさっての方向を向きながら裏切っている。僕にはそれがあまり心地よくない。古くからある身体に対する理解と新しい身体を目指す姿勢がうまく融合していない奇形である。そこには何が?

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山形の上山にある谷口吉郎設計谷口吉生改修の斎藤茂吉記念館
奇形にうなされた気もしたが、まばゆい光をまとうコシヒカリを見た瞬間にそんな事も忘れ、次の日には山形を目指した。この写真の前に撮った写真が一番良かった。が、消してしまっていた…。それはつまり、階段を上りきった後、銅像を正面に捉えるのではなく、エントランスに首を振った瞬間のアングル。たしか、記念スタンプの構図もそれだった気がする。今の僕がこの建築をどのように評価するのかは難しい。下手するとただの懐古になってしまうからだ。(少し前に聞いたPodCast 文化系トークラジオLifeの中で三丁目の夕日は昔の日本は隣人関係家族間などのコミュニケーションが豊かで良かったという感覚を促すばかりで、実際はものすごい悪臭が漂っていたりする現実にあった空間を無視することによって、今、これからの日本を抱えていく行為を放棄しろと言っているのに等しいという文言を思い出す。)素直によいと思ったことだけを書いておく。なにせ、田舎だ。駅を降りてすぐのところに建っているが、無人駅だし、空気はいいし、紅葉しているし、とにかく非日常の世界に導入から引き込まれる。この敷地を選択したのも建築家の提案だったのか? それとも、この場所が茂吉に由来しているかは忘れてしまった。しかし、アクセスのしにくさのおかげで、久しぶりに美術館の空気を独占した状態で堪能できた(最近は子供が走り回っていたり、興味もない人をも強引に連れてくる授業の学生達など、団体さんに囲まれての展示を見ることが多かったので…)。展示されているものは、茂吉の人生そのものにすぎないが、世界に入り込む心の準備を促す環境作りは申し分ない。建築のかたちだけでは直接提案できないような環境作りに寄与するくらいのポジションに立つ建築家の仕事は好きだ。

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山形の尾花沢にある隈研吾設計の藤屋
ここは女将が有名です。AC公共広告機構のCMで「ニッポン人には、日本が足りない」というのでわかりますね。タクシーで向かったのですが、この町ではやはり有名らしく。日本で五本の指に入る建築士さんが建てたって聞いてますわぁ。へぇ五本なんやぁ。あとの四本は? 時期でもないサクランボに思いを馳せながら行ってきました。旅館どうこうではなく、女将勝ち。今回の旅は訳あり三人組だったので、満足していただいたようでよかったです(笑)。女将がどこかでコメントしていたのですが、これからの銀山温泉を考えていかなければいけないという姿勢を、建て替えるという行為で具体的に示したというようなことを言っていた。実際に、周辺の旅館も改修などを始めている様子だった。人の力が街の力に繋がる瞬間を見れてよかった。

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山形の村山にある高宮眞介設計の真下慶治記念美術館
まるで、エントランスに向かっているようでしょ? ちなみに、この写真はこちらのブログの逆アングルです(すげぇ広角レンズじゃないか?ぴこさん)。ひっそりしたエントランスと、最上川や山々を含めた周辺環境と一体となれるロビー空間を演出し、あとは好きにしていいよって感じ。エントランスの素朴な雰囲気を感じるしつらえと、最上川を一望できる操作のために出現した中庭周りのイメージはあまり関係性がないように感じた。その大きな2つの要素を含めた全体のイメージが無いものを狙ったのかもしれない。ロビーの窓辺から見えた周辺と一体となった空間が鮮やかに記憶に残っていることは確かだ。

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宮城の仙台にある伊東豊雄設計のせんだいメディアテーク
東京のオペラシティで開催されている建築|新しいリアル展を見に行くつもりだったので、五年ぶりに再びメディアテークに行きたくなった。青森へ向かうには仙台に寄る必要があったので、行ってきた。青木さんのBの次に大きな衝撃を受けたのはメディアテークのコンペ時の模型を見た時だった。伊東さんの話題はどこへ行っても絶対するし、好きな建築家の一人だ。北京では「女子高生になれないオヤジ」という通称で通っている。と言ってもすごい狭い範囲だけど(笑)。どうしてそんな呼び方をするかっていうのは、伊東さんの中にあるジレンマを比喩しているつもり。例えばこのメディアテークで言えばもともと、模型のように柔らかいイメージから始まったものの、火花散る力強い現場と好き放題言ってくる様々な雑音から距離を保つ作法として、自然と強いものを求めた。でもやっぱり出来上がった建築の仕上がりは、チューブの鉄骨を白く塗り、ちょっと抽象度を上げ? というよりお化粧したぐらいの感覚のチューブとそれに接続する床を、幅の太いのっぺっとしたゴムみたいな素材でつないでいる仕上げにびっくり。なんか、気持ち悪くない? 決して、デザインが悪いとか言っているわけじゃないし、地震時の逃げの問題であったり、防火区画などの外的条件などから決まった部分もあるのではという想像もつく。僕の偏った見方を極端にして言っているので、アホかと思われるかもしれないけれど、ぼくには女子高生みたいな…ほらかつて伊東さんが言っていたノマドのイメージは都市を軽やかに生きる若い女性じゃない。その身体感覚に惚れたものの、いつのまにか自分はオヤジになってしまった。でも、やっぱりあこがれるという、この流れが同時となって設計時に立ち現れ、ジレンマとなるという図式で見るのも面白いんじゃないかと言いたいだけ。女兄弟に囲まれて育った幼少期も捨てがたい事実。別事例として、イノセンスを発表した後に行われたユリイカに収められている神山監督と東浩紀の対談の中であった、押井守は自分の身体では表現できない「何か」をこの映画に求めているといったコメントが、引っかっている。無いものを求めるという感覚が、伊東さんと押井さんの間でなんとなく共通している気がして、僕の中では繋がっている。そういう世代感覚なのか?それとも戦略なのかはよくわからない。そうそう、写真を見て何かに気づいた人はいるかな? 2Fの椅子はもともと、白のクローバーだったけど。黒に変わっている。いろいろ想像しちゃうけど、空間を維持する意志はちゃんと引き継がれているのだなと安心した瞬間でした。おまけに伊東さんがデザインしたスケッチペンも買っちゃいました。じゃぁまずは海藻…あ、ぽいぽい。ぽいなぁ。

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青森市内にある青木淳設計の県立美術館
朝一番に向かった。自衛隊の駐屯地が近くにあり、発砲音を聞きながらアプローチ道路をゆっくり歩いていた。縄文と現代という展示を見てきた。外観の割に、内包する空間は大きく、展示量が多かったのと、多少強引な解釈と(僕自身と展示から得られる)浅い情報量のデフレスパイラルで、途中から飽きていた。とにかく、この建築も奇形だ。この建築の主役は間違いなく内部空間であろう。その内部空間を構成する全体には、古い身体感覚がしっかりと刻まれている。この建築でいうなればホワイトキューブがその古い身体云々であると言って差し支えないだろうか。でも局部、特に表層は徹底的にはぐらかそうとしている。この全体と局部の乖離している関係性が巨大な内部空間のあらゆるところで実践されていた。例えば、ボリュームとボリュームがすごい点で接していたり、巨大なボリュームがちょっと隙間をあけて浮いていたり…、ボリュームとボイド(内部空間)の関係に今までのボキャブラリーを全て注いだという感覚を受けた。ただ、パッケージとしての印象としては、異常な局部(表層の操作)や部分的に拡大されたスケール(シャガールの展示空間)や引き延ばされた動線(スロープ)が、あまり意識されない程度になっていたのも事実。それらは、破綻を誘うような、既存を突き破るような存在としては扱われていなかった。外部空間との関係が少なかったのも気になった。寒いという地域性が関係しているのか? たたきの仕上げもどこか、ケミカルな雰囲気、もはや土というより、土色をした仕上げという質感だった。当然性能を維持する必要があったのだろうが、白と茶の関係に新しさを感じなかった。 じゃぁどこ? もしかして、空間を作ろうとしていないのか。空間をイメージせずして、何に向かって設計しているのか? この美術館は今までの青木さんの集大成と言え、次の展開を期待していいのではないだろうか。結局夕方近くまでいた。

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青森市内にある安藤忠雄設計の国際芸術センター
青森市内はバスで移動していたので、一旦青森駅に戻るというルートの上、駅から40分くらいかかるという位置に建つACAC。アーティストインレジデンスのプログラムを持つ美術館である。これも意外とよかった。今回の旅は同じようなプログラムを持つ建築たちの奇形と王道の反復の旅だったなぁ。おかげで、それぞれの葛藤を鮮やかに感じることができた気がした。

そうそう、ギャラリー小柳の杉本博司の新作を見逃したのが悔やまれる。

建築 | Posted by at November 24, 2006 4:04 | Comments (2)

今日のCCTV

霧でかすむCCTV
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昨日、日本から帰ってきました。霧の影響で北京空港が閉鎖され、上海で待機となりクタクタでした。おかげでワイルドスワン上巻読み切っちゃいました。今回の帰国でカメラもPCも落っことしてしまい、なんだか調子が悪いです。調べてみるとGR DIGITALのファームウェアアップデート明日出ますね。システムの初期化とかできないかなぁ、挙動がおかしい。日本滞在中に僕が卒業した研究室の卒業生、現役が集まる会がありました。そこで中国の話題を少し話したのですが、CCTVのことに全く触れませんでした。遠くからでも撮影映えするくらいに立ち上がってきたので、今後撮影した日に写真をアップする試みを始めようかと思います。ちなみに、今回の写真はクライアントのオフィスから撮影しました。

霧でかすむTVCC
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TVCCは、ホテルなのでオリンピックまでに完成するペースで工事が進んでいるそうです。CCTVは、外装まで。

建築 | Posted by at November 21, 2006 19:41 | Comments (3)

建築したくなってきた

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北京に来たのは、自分の意志というよりも、縁です。したがって、どんなことでもいいので何かを見いだしたいと考えています。唯一の武器は、建築はおもしろいと知っていること。芸術にも工学にも寄り切れない曖昧な部分に、あらゆるドラマ(解釈と実践の快楽と裏切り)を内包出来る建築と付き合っていきたい。
では、現在の自分が建築にどうやって立ち向かっていけばいいのか? イメージはなんとなくある。ざっくり言うと、きまぐれな風貌で、混乱と倦怠を手の内におさめながら、狂気ある瞬間を確実にしとめいくような態度でやっていきたい。この意味不明なパーソナリティはおそらく消えも隠れもしない。もはや生かすしかないとすらあきらめている。この際(この夏のワークショップの成果レポートを書いている)、もう少しこの問いを深めよう。

今までの建築は、テクノロジーによって人々の暮らしを豊かにするというイデオロギーを孕んでいました。逆説的には、政治/経済と対立することで、そのイデオロギーを正当化してきたともいえます。この解釈に現在的な視点を書き加えるとすれば、その対立が無効化した時代に突入していると言えるのではないでしょうか。この仮説は、モダニズムの反動ではなく、あくまで過去との地続き感を携帯しつつ、新たな展開へ向かいたいという意志による考えです。もうすこし言いすすめるならば、そのイデオロギーは個人レベルにまで解体されたという整理が適当ではないかと考えている。そして、その個人にまで還元された、個別の潮流をゆるやかに束ねる新しいテクノロジーが生まれようとしている時代に生きていると思う。文化、時代が動く瞬間は必ず訪れるのだ。

一方で、「そんな」イデオロギーに純粋ではいられないという自己矛盾を孕むことは、建築に立ち向かう上で、必然的についてまわります。その自己矛盾を超える手法を様々なレベルで検証し、実践することで、乗り越えられる。そこで、おもしろいテキストを見つけました。以下抜粋。

社会経済学に「不純物の理論」というのがあります。歴史経済学者ジェフリー・ホジソンが言い出したことだと思います。簡単に説明すると、どんな形の社会で あれ、社会が成熟していくと、その社会が抱える問題も成熟していく。その解決のために社会は純粋ではいられなくなる、つまり不純物が必要になる、というような理論です。例えば資本主義社会が成熟していくと、資本主義の枠組みでは解決できない問題が出てきて、それを抑えるために社会主義的なシステム(不純物)を採り入れる……など。

中国は、文化大革命以降、社会主義と資本主義という2つのシステムを実装してきました。社会主義ばかりではたちゆかないことに気づき、一方で社会主義的なイデオロギーによって可能な「何か」をも知っているこの国にはものすごいポテンシャルがあるのかもしれません。僕個人のレベルで感じているその凄みの一端を書いておこうと思います。建築を作る際の制度にあってないようなゆるさがあります(折衝で変更できてしまう)。言い換えると、建築行為そのものがその場所の制度を作ることと直結します。すなわち、中国的な状況によって、ものすごく建築のピュアな部分を試されている気がします。

建築, monologue | Posted by at October 22, 2006 1:45

夏のあと

建外SOHOの北側に接する道路が開通

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この夏のワークショップの続きを書き始めました。出しきれなかった思い入れのあるネタ、その後の北京などをゆっくり加えていこうと思います。せっかくいる北京の紹介とかに全く力を入れていない自分のブログのオルタナティブとして、しばらくは運営していこうかと思っています。

blog, 建築 | Posted by at October 5, 2006 16:14

積極的二次利用の時代

新聞の広告
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中国のデベロッパーによるマンションのセールスセンター(参照元)。中国的二次利用の現在とも言えるが、市場原理によって淘汰を超えた時どうなるのだろうか? 複製の反復という劣化コピーの中から、力強いものが立ち上がる予感。飲み込まれない中国が来るかもしれない。そうだとするとぞっとする。だからシャッターを切った。

「攻殻機動隊S.A.C.」の続編「SSS」の発売Preview)が近づいてきた。今回も監督は神山健治。彼は、日本における桃源郷が、江戸時代、冷戦下のバブル二度あったと整理している。それを潜在的に求めているという設定で攻殻を描いているという彼の言葉を思い出した。個人的な予感では、次の桃源郷は簡単にまとめてしまえば、本質的なITの隆盛を迎えた時に、立ち現れると思っている。そういう時代に生きていると認識している。その時とは、すでに存在しているGoogleに代表されるシリコンバレーが牽引するITによる「知(資源)の再統合」という大きな熱風が一段落する頃。それを取り囲む言説(例えば)を追えば、おのずとそう感じるし、また分野を超えて刺激を受ける。まもなく、始動するGEET STATE制作日誌)も、その熱風の余波として見逃せない。彼らは、未来学エンターテイメントと呼び、人文・社会学的見地からと、情報技術的見地からの未来予測、それらの設定を生かしたSF的手法による物語構成によって未来を大胆に予測しようとしている。三人のさまざまな思惑が交差する中で立ち上ろうとしている都市像にわくわくする。余談だが、彼らのまなざしが他の表現へ飛び火する予測がつく(特に東浩紀は動ポモに記してあるような二次利用を期待している気がする)。また彼の苛立ち(活字エンターテイメントに蹴りを入れろ)からも感じられるように、発展的飛び火を演出してやったる!くらいの雰囲気がGEET STATEにはある。

ここからは、僕の仕事のスケールに落としてみる。中国はあまりに楽観的な設定に向かって、ひたすら建築、都市を生産していると、やはり思う。なぜなら、かつての日本と現在を知っているからだ。例えば、僕の修士の対象だった多摩ニュータウンも31万人規模の街でありながら、19万しか住んでいないのである。少し、思い出してみる。まず、つくりすぎた部分を段階的に山へ帰せばいいと考えた。それから、都市的な規模は一度に更新されるわけないので、問題が最も顕在化しているエリアを対象にしたロールモデルを提案すれば、今後の参照元となると考えた。今後の社会状況をみながら、街の運営主体がモデルを参照しつつ最適化していけばいいと考えていた。ちなみに、この修士設計のみそは、ニュータウンを全部を山に返せ。というストーリーではないところ。例えば、日本の産業をささえる人口がどんどん減っているので、就労人口を補う難民居住区として再利用されるかもしれない。つくりながら考えるモデル=パッチのようなものを街に打ち込んでおけばいいとうい姿勢が共有できる雰囲気作り、提案されたモデルを競って具体化できるシステム、システムを実行する新しい街の運営主体(今までは行政)が必要だとわかった修士だった。
中国の話にもどすと都市的な状況によって生まれた癌をもて遊ぶレムですら、中国の現状に対して警告している。実際の仕事も、あり得ないと思ってしまう成長設定に基づいた計画をたよりに都市、建築を設計している機会が多い。ネガティブリアクションに対するリスク対応を建築的に提案できないのかと、頭を抱えてしまうこともあるが、この際、シンプルなルールで実験的なことを試したいし、それを実現に持ち込める雰囲気はある。偶然、今の中国の社会状況によって「モデルを競って具体化できるシステム」が敷かれている。淘汰を超え、複製の反復によって引き起こされる劣化の中から、力強いものが立ち上がる。

建築, 趣味 | Posted by at September 19, 2006 2:55 | Comments (2)

わかりやすく。という名の功罪

内モンゴルの砂漠
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日々の設計活動の中で思うこともたまには。今日の朝、世界史に名前を残す知識共有を阻む37の壁を読んだ。そして、さっき打ち合わせを終え、席に戻って書き残そうと思った。
北京に来てから未だ好循環の中に立つことが出来ていないけれど、立てる可能性を感じ始めている。好循環に立つってどんな状況なのか? 大きな話で自分を律するならば歴史の中に自分をどのように立てるのか。小さな話では日常をどのように楽しい渦へ持ち込んでいくのか。それらが両極端となる振れ幅に、自分の身体が、はまったと感じる瞬間が来たら、好循環の中に立っていると思えるだろう。そういう感覚はたまにあるが、すぐに消える。
建築がおもしろいと感じてから、自分の身体と周辺とのずれを意識するようになった。そこをどのようにつないでいくかに展開できるアイデアが潜んでいると思っている。だから、はまる瞬間って継続しないもんだとは思っている。そもそも、自分の身体は成長するし、環境も変化する。自分にとっての大きな話と小さな話はその時々の仮説でしかないと言うことだ。従って、好循環を引き寄せる力学を探りたいわけだ。そして、意図的にその状況を起こせるまで到達したい意欲がなぜかある。
これを書き始めた時に考えていたのは自分の中から生まれそうな感覚をどのように書きとめ、その小さな気づきを大きな流れにつなげていくか。その方法は、スケッチや言葉の積み上げになる。具体的には、自分の提案と周辺とのずれを、話し合いの中で認識し、次に展開するきっかけを発見する一連の流れが、打ち合わせとなるのだが、自分の提案を説明する段階ですべてをアウトプットすることは不可能なので、わかりやすくする必要がどうしても出てくる。そのわかりやすくしたことによって、そぎ落とした部分に本質がかくれていたりする危険もある。しかし、一旦単純化し、その単純化された具体的なアイデアに修正を加えていくことで、本質へ突き進む道が開けるのだと、再認識した。いろんな人種、さまざまな教育を受けてきた人がいて、そして僕は外国人。わかりやすくする事が大事だと思っていたが、やっぱりそぎ落としすぎるとつまらないわけだ。なんとなく、自分がやろうとすることをモデルに還元して、それを共有化する可能性を感じた。

この際、もう少し話をドライブさせる。中国というのは、僕ら外国人にとっては、中国という名の現象でしかない。(中国という現象を身体化するという方法もあるかもしれないが、それには興味がない)この現象の中に存在する、具体的な環境へ身を投げることを決めたのは直感でしかない。環境に期待することは必要だ。一方、自分で環境を起こす必要もある。起こそうとすると、ちょっとした淀みが生まれ始める、それを今、感じ始めている。
中国で建築を建てるわけだが、自分にとっての建築を通した思考がある。それは、複雑な状況にシンプルな規律を与えたいという根本的な美学があり、その美学を究極的にまで突き詰めた建築家達が世界中にはウヨウヨといる。そしてボーダレスに活動をしている。今日の中国的な状況を感じたければ、OMAのCCTV、山本理顕の建外SOHO、張永和の798がわかりやすい波及効果を生んでいる。(それぞれのすばらしさは後々書きたい。)それらは、中国的状況を利用し、自らの理想を体現したわけで、ある意味、彼らにとっての夢が実現したと言って良い。僕は、もう少し長期的に利用することになる。
利用するならば、今までに対する解釈を整理していく必要がある。思いついたことを、羅列してみる。誘導したいアクティビティを単純な形態に置き換えて、建築へフィードバックする方法論をすすめる建築家は結構いる。僕の中ではモダニストの典型のように思ってて。その中の差異がすごくおもしろい。単純化することに対し抵抗した伊東豊雄、規範を転覆せんとする視線で産み落とした図式が建築に還元されている山本理顕、アクティビティを一旦、二極化し、その両極端を内包させた図式を利用する小嶋一浩など、ここにものすごい厚みがある。次に、海外の作品を見るとよく見られる、うねうね建築。建築家の与える規律が、都市から指先にまで到達する夢を皆で競い合っている状況と見てもよい。その頂点はザハだろう。また、うねうねにはFOAの横浜港大さん橋国際客船ターミナルに見られるようなアクティビティがそのまま形態になったようなそぶりをする建築もある。一方で、うねうねに対する明快な対立として、与えられた条件を徹底的に均質化する動きもやはり見逃せない。単純な形式の反復、薄さ、透明化、そして白く。その頂点はSANAA。最後にOMAを、社会的状況の中によって生まれたものを再編集し、でっちあげる。ちょっと書いただけで、おなかがいっぱいになった。

このエントリーの趣向は、気持ちのいい写真を載せ、ぐっと惹きつけておいて、スコーンと全く別の話をする。でも、気分は何となく繋がっているかもしれない。そんな感じ。そもそも、このブログの写真とテキストの関係はだいたいそんなテンションの間柄。日常の中で、はっとする瞬間。点と点がつながったと思った時を書き残したい。ただ、それだけ。

建築 | Posted by at September 7, 2006 2:12

これも北京現象

ワークショップが終わり、余韻を書き残そうと思い立つ。一番印象に残っているのは、松原さんの「文化が動く瞬間ってんのがあるでしょ」っておっしゃっていたのかな。建築家って直感と作戦のバランスがうまい具合だと、ええなぁって思う。その時の前後の会話は確か…特殊解の中で生まれる建築ばかりを追求するのはどうか。という話をしたときに、そんな答えが返ってきた。こんなこと聞くのもひねくれてるなぁとも思ったが、精一杯だった。中国に来たという理由を整理したい自分がいて、中国に「ある可能性」を見いだした(一番手に見いだしたという作戦をとった)松原さんが目の前にいて、それらの似て非なる状況をあぶり出すには、わかりやすい対立軸があればよい、ならば、日本的状況の異様さに対する反動なのか?と聞いてみてもいいじゃないか。という精神では、ストレートにそう言われて。はっとするもんだ。
個人的な興味として松原さんが、ロシア、瀋陽を経由して北京に来ている経緯。それと、あるシンポジウムで自分にとっての原風景といった話題が上った時、槇さんの若いやつの話も聞いてみようという振りで、松原さんがロシアで見た、無限といっていいほどに複製された団地を目の前にしたときの感動に対して、槇さんの「雪で真っ白だったんじゃない」というつっこみが印象的だった。それもこれもで、今回の接近は印象に残ってしまうものだった。

SOHO中国のロビーからの景色(北面)
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中国になんでいるのか?。いやぁまだわからない。
日本での建築行為は、ある意味完成度の高い都市に対して、正面からそのシステムを疑い、覆すより、表層の差異を発見し、パッチを当てるような行為を執念深く反復することで、最終的に全体が転覆できれば良いという雰囲気に満ちているとしよう。逆説的には、転覆する方法に対しては、具体策を試したりしないとも言える。一方で、都市の状況って、みんなの総意が顕在化された状態でもあるんだろうし、そうだとするならばやっぱり問題はあるだろうと思う。さまざまなレベルで都市へ立ち向かう切り口を建築家達が提示する必要があるなぁと。問題の解決と前進の解釈、それらを統合した状況の中から都市を揺り動かすベクトルよって「選択できる」ような雰囲気になれば、もっと生き生きするのだろうな。すぐにはそうはならない。実戦可能な範囲に落とすとなると、どうなるだろうか。、一人で対応可能な範疇はあまりに小さいので、小さなものが集合する雰囲気作りって興味あるなぁ。その雰囲気って、大きなものなんだけど、小さなものにも対応できるような。すごく贅沢な状況。成熟した都市での思考。

つづく

建築 | Posted by at September 5, 2006 3:33

人防

人防(rénfáng)

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先週から、ワークショップという名目で学生がやってきています。ブログを作りました。都市に立ち向かう考察。中国をどのように利用するのか。そして、それらと個人との間にあるジレンマ。様々な思いが交錯したブログになっている気がしています。

その一環で、北京中央美術学院に併設される美術館(CAFA)の現場に行って来ました。写真は地下にある防空壕(人防)です。戦時下を想定して必ず作らなければいけない。建外SOHOにも白い空間があります。

美術館本体は、ホワイトキューブをすべて飲み込むような、なめらかな曲面によって全体を構成しています。その曲面部分の鉄骨はまだ組みあがっていません。九月くらいにまた行きたいと思っています。

その時のメモ
美術館の話題
・曲面を構成する鉄骨は最適化だけで決定されたものではない。ものとして決定する瞬間のジレンマ、不純な動機がどういうバランスの中にあるのだろうか?
・部材のカット、接合などはすべて現場でやる。極端な人件費の安さによって、日本だと機械によって代用する部分も、人に頼っている。したがって、何か(材料)と何か(成果)の間を、人がうめている。
・建築家が都市にかかわれる様々なレイヤーの一つとして、品質のいいものを作ってしまうという部分もあると思う。
中国の話題
・建築の供給元は、(ほぼ)国とデベロッパーしかいない。
・出身地と強く関連する、進学、就職、住宅を購入する制度がある(具体的な単位を忘れた)
・都市計画の制度にゆるやかな部分があって、あらゆる境界を越えた提案が可能な雰囲気はある。
・戦時体制に備えて、道路に着陸できるようにする(道路幅を広く、まっすぐにする)こと。土地の所有が国→開発がデベロッパーという図式だけで街を開発しているので、同じ根拠(南面信仰、廊下の最小化、緑化率)によってボリュームが立ち上がり、差異は表層だけなので、遠方からみれば、輝く都市を思い浮かべる。共産主義的な理由によって、構成された街が結果として、輝く都市に近いとするならば、モダニズムの根底と通じる部分があるということなのか?

建築 | Posted by at August 4, 2006 12:00 | Comments (9)

局部と全体

建築材料市場

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わかりやすい。小さな丸い材料が全体のイメージを形成している。かつ、材料屋としておそらく最適な店構え。少しきたならしいが、耐候性テスト中なら文句は言えまい。店の奥はだいたい住まい。市場全体にはおなじような商品を持つ店が反復していて、買い付け側にとっての情報整理がされていない。どのように共存しているのだろうか? それとも品物の供給元は全部一緒なのか? ともかく、反復のすごみは時に注意力を散漫にする。消費のための空間というのもそうかもしれない。では、なぜ、この時、惹かれたのだろうか? 市場の中で道側に徹底して商品が向いているのは確か、ここだけだった。日常の中でうまれた偶然のすごみ。

建築 | Posted by at July 26, 2006 16:40 | Comments (4)

すでに、かつて。

MAD/建設中@798

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798(qījiŭbā)には、かつて若手のアーティストが集まっていた。すでに賃貸料は値上がり、北方に移動したとか。中国の投資熱はアートにも及んでいる。ちなみに、798というのはエリアの呼び名(コメントに詳細)で、今後も整備が進むよう。なんと、誰もが知っている大物美術館がここにやってくるという話も聞いた。日本では実現しなかったのに…。中国ではのびのびと、海外の建築家が建てている。今の日本にはそういう雰囲気はない。

レセプションを後にし、磯崎さん設計の美術館を建設中の北京中央美術学院へ移動。すでに夕暮れ時だったが、構内の雰囲気(作品がいたるところにおいてある、そして歩いている学生)には、どこか破綻しているようなおもしろさはなく、妙にリッチな感じがした。あとで、調べてみるとキャンパス自体、2001年に移転してきたばかりのようだ。

いろんな人に出会った。話をするだけて、今の自分がどこにいるのかということが分かる。ともかく、だいたいうまくいっている中で、転覆の兆しをみつけたいわけだ。

でかくて、はやくて、とにかく雑。この三拍子にすでにウンザリしてきている。かといって、日本の建築事情は妄想の範囲でしか分からない。妄想に現実を付き合わせても、どうにもならないことが分かってきた。いや、やっと。もっと、ふっきれないとだめだなと。

建築 | Posted by at July 20, 2006 1:21 | Comments (2)

一旦パドックを外れる

雨後の竹の子のようによく生えたもんだ。北京に来てから二回目くらいの快晴。感動的な青。

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視界の悪い日。

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建築家は、小住宅からスタートし、コンペをやって、大家になるとうストーリーがあるならば。小住宅の段階は、出走前のパドックのようなものだ。といったことをこの本の中で隈さんが言っていた気がする。新建築の4月号で内容を深めて書いているようだけど、読んでない。もし、そういう規範があるんだとしたら、万㎡単位の建築、都市計画、ランドスケープを相手にしている、今の自分は脱線していることになる。不安である一方で、どうだはずれてやったぞという気持ちもある。こういう緊張感を望んでいたということだけは確かだ。こちらにずっといるのか、それとも違うのかはわからないが、こちらに来る前、建築(的な規模)が必要とされているような問題を解決していく際に、事態の展開がわかることをしたいと考えていた。都市と建築の間、組織と個人の間が主体となるイメージを持っていた。その重心がどこにあるものなのか、自由な環境で考えながら取り組める状況にあるという仮定で、今、ここにいる。

あしたから沈阳(瀋陽 shĕnyáng)へ出張。日本による占領の歴史を持ち、上海などの南部解放、西部大開発を経て、東北復興が国家の指針となっている東北端(dōngbĕiduān)地域にある辽宁省(liáoníngshĕng)の首府に位置する。四年前にあった、瀋陽亡命事件の記憶が新しい。帰りは、朝鮮と鉄橋で繋がっている丹东(dāndōng)の空港から帰ってくる。

こちらにきて、国家レベルと個人レベルの間にある隔たりは相当に大きいと感じる局面がよくある。一例として、コピーの横行がある。A4版のエルクロや、この本が地域別に分割されていたり。一瞬、笑えるようで、買っていいのだろうかと悩んでしまう。

建築 | Posted by at June 11, 2006 17:37 | Comments (6)

中国的状況を利用する度胸はついてきたのか?

朝五時におろした羊をしゃぶしゃぶで食べる。昼から、白酒(báijiŭ)というきついお酒と共に。

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内モンゴルは羊が名産。中国は空を飛ぶものは飛行機以外、四本足のものは机以外、全てを食べつくす。ここの羊はカシミアとしても有名であり(厳密には羊の種類が違うが)食用としても使い果たす。

内モンゴル周辺は、かつて草原が広がっていたものの、羊の放牧と無作為な農地化によって、街の外に出ると見る限り砂漠に近い。大陸は北西からの風が厳しく、北京の北西に内モンゴルが位置するために、青空はそうそうに拝めない。黄砂の発生地と言われている。

風の流れついでに、たいがいの街は、居住区が北西(上手)にあり、風が流れる下手に、工業地域や発電所が配されている。しかも風水的な思考もそれに等しいらしく、風水は適当ではなく、統計学的な蓄積が根拠なのかもしれない。街の構成、自然環境、風水を一体として読むと、なかなかおもしろい。

噂通り、スケジュールが短い。内面のイメージと実際のプロセスがパラレルに進行していくような感覚。これは、今だけかもしれないし、仕事の種類、建築家としての立場によっては、あまり関係のないこと、おそらく制御可能なことと、考えている。今は、とにかく見渡せる範囲で、くみあげることが求められているので、一定のモデルをくみ上げて、その中で読み替え、再構築を仕掛けていく。自分の提案が、すぐに現状にすり替わっているような感覚。日本的な設計の感覚で言うと、さっきの自分が出したモデルを、今の自分がリノベーションしているとも言えるのかも。モデルは、話し合いで決定するので、ある一定の強度をもっていて、収斂している感覚はザラザラしているけれど、感じられる。即興が即興を呼び、強度を持たせていく。性能的な密度は高めにくいかもしれないが、あたらしい感覚すらある。プロセスの破壊とイメージの連れ戻しを反復することによって、何が生み出されるのか。

建築, 趣味, dine | Posted by at June 6, 2006 23:08

問題を解く快感がある

仕事場からの外の様子

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毎朝、歩いて建外SOHOまで歩いている。たった15分ほどの距離だけれども、日に日に街が壊されたり付け加えられたりしている。地図を買っても来年は使えないという。住んでいるところも、新築なのに未だ工事現場の中といった状況で、クレーンの回転半径の下をくぐったり、掘削した土がうずたかく盛り上げられた脇を通ったりという日常。もしかしたら、敗戦をばねにした経済の徹底によって出来上がった東京よりも、高速かつ巨大な仮設的状況がつくりあげられているかもしれない。ただし、この仮説を徹底することで何かがあるというわけでなく、だれもが疑心になる点であって、上海や重慶などはすでに山は越えたという話である。

強い政治を背景にした大陸的な重い速度感を維持しつつ、急速な構築を追求しているがために、局所的な導入、要はどこかのコピーをしたようなもの=ペラペラな建築が立ち並んでいるとう印象は少なからず間違っていない。しかし、日本の建築の状況と比較すると恵まれている点もある。基本的に土地は、日本で言う定期借地権的な利用となっている。ニュータウンを作った公団のような存在=政府が土地を所有し、都市的な貢献度、社会問題の解決を前提にしないと、手を加えることが認められない。土地が個人に帰着していないために、もうけようという人も、建築に興味のない市長でも、まずはその点を検討するとう風土がある。従って、僕がいる事務所の設計プロセスはいかなる場合も、都市分析をおこなう。その分析から得たプログラム(機能の組み合わせ)を、具体的なモデルにし、そのモデルが設計のガイドとなる。日本の建築基準法にあるような高さ制限、斜線制限、敷地境界というものは皆無で、提案がよければ実現できる。ちなみに、このプロセスを方案設計という。従って、契約では方案設計の段階からお金をもらうことになる。

日本よりも建築家の職能が、明快。都市が成熟していないということと、今までは、国営の設計院で設計を行ってきたので、プログラムもモデルも古典的な解法の反復でしかなかったという点は考慮すべきだが、問題が単純で、その問題と建築家が提案するモデルが一致している状況に自然となる。建築によって打開している感覚が設計段階からある。

北京に来る直前に、ミースの新作DVDをツタヤで借りた。実は、遺作はナショナルギャラリー(1968)ではなく、モントリオール万博(1967)跡地に計画された住宅地にたつガソリンスタント(1969)であることを知ったことも衝撃だったが、ナショナルギャラリーで開催された CONTENTS展のインタビューの中でレムがミースについて「現代の建築家はミースの時代とは異なり、建築がそれほど重視されない社会状況に中でつくらなければならない」というコメントを発していたのを思い出した。

さいごに。大きな問題を解決することで小さな問題をおざなりにしたくはない。今までの自分を否定する感覚にになるからである。かといって、日本的というのか、現代的な手法とも言えるフラットなものをここで実践したいわけでわなく。超えるきっかけを見いだしたいと思っている。中国的とも言える、レファレンスなしに作られてきた土台のなかで、その可能性を感じている。従って、今はこの状況を利用せずにはいられないと思っているのである。

建築 | Posted by at May 9, 2006 2:48 | Comments (6)

建外SOHO@北京

午前九時

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晴れていることさえも覆い隠すような砂が巻き上がる街を歩き抜け、建外SOHOのエリアに入る瞬間、なんともすがすがしい気持ちになる。

まもなく一週間経つ。初心をわすれないよう素直に書いてみたい。
北京に行きたくなった動機付けはいろいろあったけれど、建外SOHOで働けるというのが意外と大きな後押しになった気がしている。
中国的な状況に関する様々な雑音が、耳に入ってくるなかでも、この圧倒的な空間の中で日常をすごしたいと心から思っていたのだと、来てから気づかされた。
建築家の意志を反映した、都市を意識させるような大きな空間に立てる。この空間体験は初めてだと思う。

今、事務所で動いている仕事は、10kmのシティスケープの改変、街区の再構築、都市の中の公園、郊外の大規模団地、小さなインテリア、コンペ、党の施設…。日本では体験できないと思われるスケールとスピードが確かにある。その中で、ベタとメタレベルを往復可能な運動のきっかけ=狂気を発見したら、書き残していこうと思う。

建築 | Posted by at April 7, 2006 22:14 | Comments (7)

カルクヤバイ

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つくりすぎた「多摩ニュータウンのサイズ」を是正していく流れの中、近隣住区をもとにした「日常生活の単位」では、住みこなせない現状を考慮し、建て替えが始まろうとする諏訪二丁目にたつ団地を残しながら、「郊外的なスケール」感を維持するために、既存と同じ高さに見えるボリュームを住棟間にアディションすることで、床面積を増やし、生活の密度を獲得する。あたらしい団地に内包される機能は、居住と「居住空間の大きさのなかで達成できる規模の機能」が一体となったものとなる。

「サイズ」実人口19万人(計画31万人)売れ残った土地244ha/2900ha
「単位」日常生活の単位は、1住区=100haと設定され、その中に一カ所だけある近隣センター以外は居住専用団地と決められている。その近隣センターの衰退が著しい。加えて、初期の開発地域では人口が減り始めている。
「スケール」05年に全体の調整役であった都と旧公団が新規開発から撤退。投機的な中高層マンションが乱立し始めている。低密度に建てられた団地が残している、中庭や自然との近接は五層の高さだからだと考えている。
「機能」NPO支援、児童館、商店、SOHO、スタジオ、ケアサービスなど

サッポロslimsのCMで使われている曲がiTunes Music Storeで買えるようになった。
paparuwa
アーティスト Fantastic Plastic Machine
アルバム imaginations

いつも、髪を切ってくれているサロンの佐藤さんのブログ
ぼくの髪の毛はだいぶやばい伸びてるので、そろそろ行くか。

カルクヤバイくらいがちょうどいい。

遺構, 建築, new town | Posted by at February 23, 2006 22:25 | Comments (2)

一般に建築に付される説明には踏まえるべき一定の形式がある

たいていは最初に
「敷地周辺の地理的状況、社会的コンテクスト、歴史的背景」が一瞥され、
次いで「計画されているプログラム」がその一般性と固有性において述べられる。
そして、その両者を満足させる「具体的な提案」が提示され、
それを導き出した「アプローチ」やそれを実現するための「テクニカルな側面」が紹介される。
そして最後に「完成した建築が具体的にどのような場」を実現しているか語られる。

参照:2004年6月5日 西沢大良講演会「カタチとアクティビティ」講演会レポート

clip, 建築 | Posted by at February 7, 2006 13:49

プロジェクトの強度が決定する瞬間

以下は、下書き。痕跡。四枚稿を機会を見てアップします。

多摩ニュータウン縮小計画
ー諏訪2丁目団地の再生を通してー


プロローグ・「背景」
縮小と言っても、まちの魅力を目減りさせることを目的としたものではない。

人口減少時代に突入する岐路にあって、従来的な「人口の増加」と「経済の増進(地価の高騰)」という前提は崩壊した。また、街を構成する建築は、ハードウェアではなく、ソフトの問題によって、たった30年で滅失期間をむかえている。現在まで、適切な空間の大量供給とその統合を可能にしてきた「機能」=「空間」という真理が欺瞞にすり替わってしまったと言えよう。すなわち、まちに投資する理由も、構築するすべをも失っている状況にある。しかし裏を返せば、新しい前提にたって、誘導力のある建築を目指すことが可能な時機と言えはしないか。

参照:社会資本整備審議会住宅宅地分科会 基本制度部会報告案参考資料 資料12 滅失住宅の平均築後経過年数によると、滅失期間は31年。諏訪2丁目団地は入居から35年経過、88年から建替え運動の継続。

第一幕・建築がひらいていく流れ=「ストーリー」
「新しい建築型」が、「多摩ニュータウン」と「住まい手」を「なめらか」につなぐ。

01・「新しい建築型」の必要性
開発主体であった都と公団の撤退により、全体を調整する視点を持たない民による投機的な開発の本格化や、住民主体による建て替え運動がなかなか実を結ばないことから、郊外のスケール感をキープしたまま街を改善していく「共有できる凡例」=「新しい建築型」を必要としているという仮説は有効と考える。

02・「多摩ニュータウン」にとっての障害
31万人サイズの街であるが、実際は19万人にとどまっている。学校の廃校が進み、増加する遊休地。初期投資を回収出来ないうえに、維持管理が膨らむ一方である状況から、適正なサイズに制御することが必要。

03・「住まい手」にとってのバリア
多摩ニュータウンにおける3DK・近隣住区は、未開の地をを開くための単位であったが、家族という関係を象徴したモデルともいえるnLDKという、規範から逸脱した空間の使いこなしを受けいれない3DKや、近隣住区のシンボル的な存在である近隣センターの衰退という現状が、単位の解体を要求している。また、3DKと近隣センターは、多摩ニュータウン全体に通じる単位でもある。

04・「なめらか(Flux)」という概念
切れていた・切れてしまった関係をつないでいくこと

まちを展開していくには、運営主体が必要。従来は、公(施行する/従う)や民(生産者/消費者)というような二項対立的なものでしかなかった。
地域レベルの人口動態や開発主体の傾向の情報を集約し、公開しているのは多摩のNPOである。また、多摩に建つ大学が学術的な視点からのサポートを試みている。隔たりを埋めていく主体が定着しつつあると言える。それらがサポートする問題は日常から制度の調整まで、幅広く期待されている。その層を社会学的には中間集団と呼ぶ。そのような背景が加速し、空間や街への欲求が高まり、住まい手(空間の使い手)による空間のカスタマイズ。その集積といった相乗効果が生まれ、街と住まい手の関係がつながっていく。建築は従来的に、そこにある状況をつないで、新しい関係を生むことを試みてきた側面を持つ、その性質を「多摩ニュータウン」と「住まい手」の距離にまで拡張し、切れてしまっている関係を「なめらか」につなぐことをインテンションとしたデザインを試みる。

参照:ised@glocom - ised議事録 - 1. 設計研第5回: 近藤淳也 なめらかな会社

第二部・問題の解決と誘導を見据えた統合=「デザイン」
「新しい建築型」を構成する要素。

01・郊外の制御
人の集まり具合を高める。街のユーザビリティの低い地域を自然に還す(経済の枠組みを一旦はずす)。

02・ランドスケープの調停
地形を整地し、南北もつなぐ。ポジティブスペース(中庭)を挿入。

03・なめらかな構造
ケとハレの演出。(襞を内包した構造体である壁によって分断された手前空間と奥が、一体的にも、身体を切り替えるようにも、使い手によって見いだしていける空間)

エピローグ・「要望」
完成した建築が具体的にどのような場を実現しているか。

01・コミュニティの再生
「多摩ニュータウン・住まい手(空間の使い手)」それらの隔たりを充填していく中間集団の存在が強化されていく風土の実現。

02・都市の理想
郊外は都市の周縁として立地しているが、急激な人口増加を背景にした乱造を制御するために、都や公団が調整、開発を行ってきた。その資産として、土地が個人に帰着していない環境が自然に生まれている。
ニュータウンは都市の理想を具現化する流れにたち、誕生したが、都市における個別の建て込みが強化されるまちづくりを解放する「大きな建築型」となる可能性を持つ。

建築, new town | Posted by at February 7, 2006 5:40

未開の地を開く単位

提案力と実現力のバランスを大事にしたい。
プロジェクトを組み立てるとき。可能性を感じる仮説をたて、あくまでも予測可能な範囲を手探りで進んでいく。今回、郊外を選択したのは、やはり「場所を取り囲む環境がある程度単純化されている状況」によりかかったという点。スタートは間違っていなかった。都市で、ある程度ハンドリング可能なプロジェクトを組み立てるにはあまりにも解きほぐすべき状況が多すぎる。裏を返せば、自分のスキルが足りない。それほど現実は複雑で、自分の予測可能な範囲を大きく逸脱している。OMA的にかっこよく言えば、もしかしたら(状況を逆手にとって新しい地平を敷衍する)波乗りサーファーにはなれるかもしれないけど。自分にとって、そこに達成感があるかが。疑問だった。解釈者にはなれるかもしれないけど、実践者になれるか?ということだ。

で、単位の話。山を切り開くには、勇気が必要だった。山肌が見えるまで削りだし、そこで征服感があったかというと、きっとそうではない。とても不安だったはずだ。現に、今の多摩ニュータウンは木が生えすぎている。反動で植えまくったのだ。不安な中、多くのエネルギーを誘導するために、共有できる話題、キーワードがあった。迷ったらそこに戻る的な。歴史のある側面を振り返れば、都市や建築は、機能によって分化した空間の接続や切断の手段を選択することで、適切な単位(空間)の大量供給とその統合を可能にしてきたと言える。多摩ニュータウンにおける「近隣住区」や「3DK」も、未開の地をを開くための単位、話題になるキーワードだったのだ。しかしその近隣住区のシンボル的な存在である近隣センターが衰退し、コミュニティをアフォードしたかった当時の目論みは崩壊した。続けて、山本理顕に「問題はそのLDKモデルが家族という関係を象徴するモデルになっているということだ。現実の日本の家族はとっくにLDKモデルが象徴するような規範からは離れてしまっているのに、それでも住宅をつくるときにはその規範に拘束される。だから依然として日本ではLDKモデルがつくり続けられている(source)」とまでいわしめた、3DKいわゆるnLDKの呪縛は超えたい。この「近隣住区が生んだ近隣センター」と「nLDKと接点のある3DK」は、いまや形骸化し、この単位の解体を提案してこそ、実現したい街になるのではないかと、ずっと妄想してきた。

明日、タイトルと副題の締め切り。英語のタイトルもつけなきゃならんと言うことで、頭の整理。
・効率化やエコロジカルという建前、楽しい日常生活へ向かう本質
・危機迫るひろく社会に通じる話題/問題を解決する具体的な切り口
・多摩ニュータウンのスケール感をキープしたまま、より都市的な街を目指す手がかり(設計)の一つ
緻密さと大胆さが共存している(はずだ)こんなテンションをタイトルと副題で表現してみよう。

多摩ニュータウン縮小計画
ー諏訪2丁目団地の再生を通してー

Revitalization Tama New Town
- Restructuring the Public Housing in Suwa 2 chome -

mtg-nt.jpg

設計の方向性が間違っていないか最後の確認。多摩ニュータウンを開発したエネルギーはすさまじいことがよくわかった。限られたリソースの中で、最大限に誰にもうれしい日常生活を夢に抱き、街を作ってきたこともわかった。そして、(作りすぎた、人口が減ってきたといった)今の状況を誰もが望み誘導したわけでないこともわかった。

あぁ思い出すなぁ、うろうろと歩いていたら駅からかなり遠いところへ行ってしまい、急にトイレに行きたくなって、エヴァのシンジくんばりに(あくまで心の中で)うゎぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁー。と叫びながら、駅に向かって走ったことを。コンビニくらいあったって良いのに。と、まじで思った。厳密に言うと近隣公園と近隣センターに行けば公衆トイレもしくは、店のトイレはあるけど…。

途中経過はなんだかまずかったけど。破綻、炎上しながら前に進むタイプとおもっている。人にやさしいホリエモン。中国に謙虚な小泉さん。あはっ。壊

建築, new town | Posted by at February 2, 2006 23:35 | TrackBack (0)

悩み一喝処理

付和雷同な思考で、何処へも収斂しない人。
達成感もままならないまま、目が泳いでいる人。
建築をツールとしてしか価値を見いだせない自意識過剰な人。
さまざまな顔つきをした人間が廊下をうろうろしています。
きけんです。というかうざいです。大学はスキルを身につけるための場所ではありません。
人間的な座標を定着させていく、指標を多く享受してくれる場所です。
だからいろんなことを言う人間がたくさんいます。
こんなことを書いている僕はいたって冷静です。
なぜか。広範な問題を一括し、解答する方法として、建築は非常に有効だと思っているからです。もちろん、これは僕の問題意識と達成感のバランスの中で生まれた価値観なので、全ての人に直接つながることではありません。創作活動は自問自答の中から、スタンドポイントを発見していきます。だから、悩むことは当然です。しかし、その創意が、社会に露出し、どこに着陸させるかまで考えてこそ、その妄想は達成されると言って過言ではありません。自分の価値観で言うなれば、問題の解決と新しい日常を引き出してこそ、ということです。

修士設計が終盤に入っているので、しばらく引きこもるつもりで、このエントリーは書いています。
ある後輩から留年の憂き目にあっているとメールがあり、返信したメールが自虐的ですてきなものになったので、書き留めておきます。(このメールを書くたねにしたブログのエントリー
「おそらく、最終的にはかたちにして発表するが、かたちを作ることが目的でなくてもいいじゃないか。リサーチも大事と言って、全然評価してくれないじゃないか。かといって調査レポートを超えている自信もない」
こんな回路をうろうろしていて、結果的に何もやっていない。ということになったのではないか?
ある側面からみれば、先生方は、かたちのみで結果を出してきた人たちだから、前段の部分での評価は下手にできない。でも、かたちがあって、リサーチが成り立つという道筋は確かだ。というたったひとつの論点のみが評価軸。そこを把握できないと、会話は、どんどんすれ違う。これは、僕の経験を加味して書いている。確かにかたちだけをみれば、決して満足出来るものではなかったが、獲得感はあった、だからこの先が見込めている。
難波和彦 青本往来記 2004年11月17日(水)には以下のようにも記してある。 
社会的な問題を発見すれば、そこからデザインが出てくるという幻想を持っているように思える。しかし実際は逆である。仮説的な提案がなければ社会的問題は明らかにはならない。問題がデザインを生むのではなく、デザインが問題を発見させるのだ。問題からデザインが生まれたように思えるのは、事後的な説明だからにすぎない。この落差は限りなく大きいといわねばならない。複雑な設計条件であればあるほど、単純でエレガントなデザインで応えるのが建築家の真骨頂であることをまるで分かっていないのだ。

最後に、ぼくの大好きな東浩紀を引用します。(1/22現在 リンク切れ
雑音を断ち切る
若いひとへのアドバイスですよね? それならば、学問はまずものごとを「真剣に受け止める」ことからはじまるのだ、と言いたいですね。「受け流す」ことからは始まらない。最近は、BLOGとかがあるので、普段からいろんな意見を浴びて、若いうちから他人の意見を受け流す技が上達しているし、またそういうのが賢いと思われている。社会学は、そういうときとても便利なツールとして使われている。つまり、「俺はおまえの意見と違うよ」と言っても、「ああそれはそいういうコミュニケーションなんだね」と、するっと受け流してしまう。でもそういうことを言っていると大成しないので、物事には真剣に取り組むべきです。
つまり本を読むときには、若いうちには、「ここに真理が書いてある」と思って読まなければだめだということです。「こういう時代もあったんだな」とか「こういうことでコミュニケーションをとっている学者もいたんだな」とか、そいういうメタな読み方をしていてはダメです。そこには真理が書いてあるとおもって読まないといけない。そういう社会学的な読み方というか、メタレベルな読み方は、30代になってやればいい。『波状言論S改』を自分で作っていて言うのもなんですが、「社会学的な知」が蔓延することの危険性はその辺にある。つまり受け流す技と言うのが、ちょっと拡がりすぎている。何にせよ、「本を読むときは真面目に読む」ということです。まぁ今の世の中だと、そういうのが非常に難しいというのも分かります。例えば、最初からAmazonのブックレビューがあって、良いとか悪いとか言っている奴がいっぱいいて、BLOGでもいろんな書評がいっぱいあって、じゃあ俺の立ち位置ってどこかなって探りながら、新刊を読むという感じになってしまっている。なかなか、「これ正しい本なんだ」と信じては本を読めなくなっている。でもそれは非常に不幸なことなのです。(ここに挙げた20冊は)そういった雑音を断ち切って読んでもらいたい(本)です。(補足:紀伊国屋の「じんぶんや」という企画の棚に平行して配布されたフリーペーパーの一節です。従い、実際はここから20冊の本の紹介が続きます。)

建築, monologue | Posted by at January 22, 2006 16:25 | Comments (2)

建築がもつ力を信じている

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マルセイユのユニテは本当に感動した。ひとつの建築の魅力によって街並みが出来ている。
建築がもつ力に圧倒されたのと同時に、この建築が使いこまれ、いまだに愛されていることに感動した。
街並みと言っても、何のことはない、ただ真似して作ったものがたくさんあるだけなんだけど。
どれもユーモアやウィットに富んでいて、かわいらしい。

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現在の建築は、経済によって切り取られた囲いの中でしかない。
社会を変容させる力はもうないのか?
いわゆる作品、自己の再生産の部分でしか、価値を見いだせないのか。

住宅特集2001|11号での空間にみるパーソナリティの座談会の中で手塚貴晴が「建てることで状況を変える、という気持ちがけっこう大きいですね。〜マルセイユのユニテを見に行ったときに感じたんですが 〜 ユニテのコピーが大量に建っている。それが街並みをつくっているんです。ひとつの建築のもつ影響力はすごいと思いました。」と述べている。

一方で、荒川修作は、コルビジェっていうのは、階段をかけあがって、メジャーで測って2mでも10mくらいだね。とかいうのがない。とも述べている。

建築 | Posted by at January 20, 2006 19:47 | TrackBack (0)

最近のコンペ

1 小田原の城下町ホール
2 台中メトロポリタンオペラハウス
3 ゲント市文化フォーラム

コンペはコンペ的な思考。まぁ一種の建築即興芸的なところが鍛えられて、今回も勉強になったって感じだった。ようは負けたってだけなんだけど。でも、こういうフィールドでも戦えないとだめだなと思った。建築をつくることによって伝えたい夢っていうのは、コンペのような舞台でこそってのも、あるなって。

2005年6月24日 Toyo Itoのコンペ必勝法 (講演会:コンペに勝つ 伊東豊雄+岡本 賢)のメモ

1 好きな審査員がいなかったら応募しない
2 あれもやりたい、これもやりたいはダメ
3 リアルに表現しすぎると損をする
4 文章は短く、わかりやすく、簡潔に
5 モノローグは好まれない
6 強気で攻めろ
7 2つの距離(5mと0.5m)からのメッセージをはっきり伝える

Related Entry:simon|無目的な空間

建築 | Posted by at January 13, 2006 1:20 | Comments (2) | TrackBack (0)

初夢

大阪に帰ってきている。建つ位置は千里ニュータウンの中ではないが、阪急(民間)によって生まれた沿線の住宅街に、旧住宅公団のつくった団地が唐突に挿入されている。その中でも60年代のものは取り壊しが進み、四階建てから五階建てに一新される。家の窓からも見える。それに伴い、電波障害がおこるという理由で初期投資なし。というセールスでケーブルテレビの営業がやってきて、加入し、PC、TV、電話すべてがデジタル化した。目下、そんなプロセスを抜きに、配信され続けるコンテンツを、体が求めつづけている。正月とはそういう時間を作ってくれるものと考えたほうがいいかもしれない。戦後作られた新興の街にある一軒の家の中で動物的本能のまま、過ごしている。

少し反抗してみる。団地に住んだことはないが、団地はまとまって作られるため、個別の作りこみがせめぎあう住宅街と違い、公園や商店、うっそうとした緑が生むちょっとした死角を保有している。しかし、それらは団地のためというより、常時、街に開放されており、公共のものとして無意識に共有されている。秘密の電話をかけに、団地の電話ボックスを使ったり、コープの配送されてくる食料を受け取りに行ったり、地域の英会話教室があったり、なにかと生活の中の重要な場所を提供している。公団が作ってきた住戸自体には価値を見出せず建て直すようだが、冬至四時間日照に基づき、羊羹のような住棟を配列した結果生まれた場所は、なにげによいので残すようだ。公的な顔をもって保障できる公共空間というのはこういうものなのだろうか?。毛並みは違うが民によっても2chやmixiのような公共空間は生み出されている。ただ、そのような空間は、運営する個人の身の振り方次第ではいつでも搾取可能な状況にある。どのように継承されていくか今後、見ものである。建築的なスケールでの搾取不可能、継承が保障されている状況が顕在化し、祝祭性と日常性を備え実行力のある公共空間というのは、まだまだ神社お寺にしかないといっていい。いまブログをタイピングしている場所、新興地では団地のように集まって住む結果、提供されている場所が、ある人にとっては日常であり、甘い記憶であったりする。ただ、団地が生んだ公共空間が今のままでいいとは思えない。かつ、住戸と街の関係は冷え切っているし、住戸自体も魅力的なものとは言いがたい。どこを改善すれば何がよくなるという話ではないが、もっと良くしたい。ちょっと強引だが、40代の建築家達のようにベタ(日常)な視点から発想を得ることもいいし、60代の建築家のようにメタ(制度)に訴えかけることで得る発想もいい。ただ、そこを往復するような態度が必要なんじゃないか。僕は20代。これは初夢。

この手の妄想で困ったときは歴史家に聞くのが一番。歴史家のひとり言、歴史家が語る現実、歴史家の夢を感じるテキストを抽出。「場所に聞く 世界の中の記憶」 鈴木博之 著より
「建築は空間の芸術だと言われるが、むしろそれは時間の芸術ではないか。」
「われわれはあたかも建築家が自由な発想のもとに建築を構想するかのように考える。しかし人間のあらゆる営為は政治的であり、社会的であり、それゆえ歴史的なのだ。その全体に気づかないかのようにして建築を語るならば、単なる専門バカということになろうか。」
「あらゆる場所に歴史は降り積もり、やがて醗酵して文化になる。場所こそが文化を蓄積させる器なのだ。「場所に聞く」とは、場所の中に封じ込められているあらゆる歴史と文化を再び解き放つ試みなのだ。」

建築, monologue | Posted by at January 3, 2006 6:01 | TrackBack (0)

15の住宅の模型

現在開催中の、GALLERY・MA ギャラリー・間20周年記念展 日本の現代住宅 1985-2005に合わせた、展示用の模型をつくりました。お近くにお立ち寄りの際は、ご覧ください。

模型を、僕の大学では15個作りました。依頼されたときは、何とかなるだろうと安請け合いした。なんて、言ってしまうと手伝ってくれたみんなに失礼ですが、何とかなったので良しとしましょう。基本的に、担当した建築全ての1/100と1/30の断面模型を作っています。成城シリーズだけ、1/100の三棟を一体にして造っています。せっかくですので、担当した建築の雑感を。なお、設計者の意図をくみ取っての解釈ではなく、尊重はしますが、今この時点で模型を制作してみて、という視点で勝手に書きます。

・早川邦彦の成城シリーズ 1982-1991
全体を見渡す役割だったので、1/100だけだし、パパパと終わらせる予定が、結構時間かかりました。
この建築(模型を作ったの三棟)は、結果的に一人の建築家が十年くらいかけ、ほぼ一街区(五棟)を設計することになったという、エピソード持つ建築たちです。建てた時代背景は、ポストモダン全盛期ですが、前面道路側の外観は、幾何学の組み合わせで構成されてます。機能的には内部空間と前面道路との緩衝帯になっていて(内部空間を流動的にしたい。とか、部屋と部屋がどう接続してるのかとか、社会構造と空間構造を一致させたい。とかではなく)建築と街がどう繋がることがハッピーなのかということを考えて、設計されたと思います。中庭側は、前面道路側にくらべると意外に古典的な解決でまとめており(頭のたてがみのような風貌と、意外にしっぽりしているおしりが組み合わさっている異色感が)まるでライオン。内部空間は、ちょっとワンパクなところがありますが、今回の展示で見ることは出来ません。最近の作品では、地下鉄のみなとみらい駅がありますね。あの色の使い方は、成城シリーズにも見られます。
中庭にある1/100の模型の中で一番大きいケースに入っているので、すぐ見つかると思います。前面道路と居室空間が繋がる部分で夢を感じてください。

・牛田フィンドレイのトラスウォールハウス 1993
この建築は、好き嫌いが明快にわかれるものだと思います。僕はどちらかというと左脳と右脳のバランスに触手を感じる建築が好きなので、現時点の自分ではきっと創造しないと思いますが、勇気を与えてくれます。建築の言葉を操って、建築のような建築をつくる建築家を目指そうとしているような体質が蔓延している、建築バカの物差しを解放してくれます。
この模型の舞台裏を少し。引き受けて一番不安だったのはこの建築だったと言って、過言ではありません。CADの時代であれば、formZのセクションツールで、模型の2mm間隔くらいの断面をアウトプットして、スチレンペーパーをコンタのように積み上げていけば良いですが、この建築はCAD以前。模型の担当は抽選で各校に分担するという話でしたが、いくつか問題児(笑)がおり、その中のひとつがトラスウォールで、事前にやらないかと言われ、そこでピント来ました。あぁ、あれこれがいるからなんとかなるだろと思いつき、引き受けた節があります。キャスティングで模型の生死が決まると思い、速攻でしつこくアポをとった甲斐がありました。結果から言うとなかなか上手くできたと思います。本当にありがとう。屋上に向かう手すりは、彼女の技によって出来たものです。再現不可能です。

・斎藤裕の蕣居 1997
この建築の内部はきっと暗いです。しかし、ぼくらが担当した建築の中では一番、自己の再生産の追求と徹底からなる、内にあるユートピアを最大限に解放してつくられた建築だと、勝手におもいます。個人的なバックグラウンドですが、当時、学部二年だったか、斎藤さんの展示の製作をじっくり手伝ったことがあるから言えるのかもしれません。というのと、その経験がなければ、評価に苦しむ自分が目に見えます。建築は硬くてなんぼという偏見から、レンジを広げてくれた建築家です。建築の外に対するアピールは少し(というよりそもそも時代が)違いますが、村野藤吾の内部におけるディテールに近いものを感じます。村野さんの「この手すりは貴婦人に手をさしのべるような〜」というくだりを思い出しました。
模型に関して言うと、1/30の模型はforexという低発砲の塩ビ版と、指定されていたので、その中では頑張りました。しかし、最近のような抽象化した建築。言い換えると、1/100くらいのスケールの模型がそのまま出来たような建築ではなく、1/1のスケールがある建築なので、1/100や1/30の模型にどう還元するかにかなり悩みました。とくに1/100は作り込めば込むほど、駄目になっていきます。粗探しせず、我が子を愛でるようなモードに入ってから見てください(笑)。

・坂本一成のHouseSA 1999
この模型が一番、時間かかりました。図面や写真ではわからず、実際に見に行きました。建築家は変態ばかりですが、この建築家もかなり変態です。でも、空間はとっても良いです。実際もよかったです。自分のユートピアと現実との折り合い、引き算のバランスが好きです。空間の構成は屋根の下に、とぐろを巻いた大きな空間があるのですが、単純なワンルームではありません。居心地のある小さい襞が寄り集まった大きい空間と言ってみましょう。建築家は一つの理論を徹底することで美意識を主張する傾向にありますが、坂本さんは、おもいっきり逆のスタンスをとっています。ロジックの集積と解体を繰り返し、ある瞬間でパッと止めたような空間です。模型も、襞の感覚を出来るかぎり、表現することを追求しました。まったくバリアフリーではありませんし、エコロジカルな図体にも頼っていません。でも、そこには現代に生きる空間があります。あぁいいです。すごくいいです。

・米田明のambi-flux 2000
この模型は三日くらいで出来たのであまり覚えていません(笑)。というより、しゃべりすぎな気がしてきました。いわゆるウナギの寝床と言われる敷地における狭小住宅で、ワークスペースがある現代的な機能を持った住居です。敷地が狭いのでそれほど、空間の構成のバリエーションはつくれません。クレバーな建築です。模型は、八割。螺旋階段のスタディにかかりました。楽しそうにつくっていたので、よい感じの階段が出来ました。

・遠藤政樹 + 池田昌弘のナチュラルエリップス 2002
さきほどのトラスウォールといい、舜居といい問題児シリーズの最後です。曲面の建築でひとくくりに言えることが一つあります。それは、実際に建てることと戦っているので、どこかで単純化しています。自分の理想の空間を追求する一方で、アルゴリズムの徹底が要求される。だから建築はおもしろい。
この建築は、幸いCAD以後の建築なので、骨格の再現に困る事はありませんでした。ただ、空間を追求するための模型ではなく、展示用の模型というのが意外な落とし穴でした。実際は、鳥かごのような骨格の内と外から膜を貼ってある構成なのですが、鳥かごなので一体でつくればバランスがとれているのですが(1/30は)断面模型なのです。初めは、骨格に伸縮性のある布を付ける予定でしたが、布と床が接する部分の処理がうまくいかないのと、半分の模型なので自立が難しいということで、その曲面の壁だけで自立するように軽量の紙粘土で下地をつくってから、モデリングペーストで盛り上げ、やすりの繰り返しです。ただ、紙粘土が肉痩せすることに途中まで気づきませんでした。そのぶん、やすりを頑張ってます。空間がストイックなのでストイックな後輩に任せたのが正解でした。全体を見る人はキャスティング能力が要求されます。はい。

・中村勇大の此花の長床 2002
この建築は、一階はピロティで、居室は二階だけ。敷地のほとんどが外部です。モダニズムの建築教育を受けてきた世代の建築には、求める理想と実際の都市の猥雑さとの落差についていけず、内部空間の豊潤さを無意識に求める美学があります。しかし、この建築は、内部空間が外部に露出しています。かつ、この傾向は無意識に今の建築にあると思います。空間を単純化、抽象化する傾向の次かもしれません。どうして、そう考えるのかは、またの機会に書こうと思いますが、一つ言えるのは、建築をつくると時に、街との関わり合いを考えることを見直そうという傾向が見えます。かつては都市に建築家は期待してきましたが、挫折し、今に至ります。その傾向の先に見えるのはコミュニティ。よこの繋がりです。上部組織と下部組織の隔たりを埋め、転覆させるかもしれない波です。

参照RSS:GALLERY・MA ギャラリー・間20周年記念展 日本の現代住宅 1985-2005の話題を追いかけて見る。

建築 | Posted by at December 14, 2005 5:05 | TrackBack (0)

高過庵

TSGan.jpg

ちょっくら見に行ってきました。最近、書く余裕がないけど、書きたいネタはある。
藤森さんの建築は建築家が表現しないことをわざとしているようだけれども、(歴史家として)建築家が見たい桃源郷は理解していて、わざと避けようとしているのではなく、自ずから沸く欲求が、かわいらしく見えて何も言えないといった感じ。プリミティブすぎて真似できないところからもオリジナリティは十分垣間見える。テクノロジーをはねのける毛深さはどこへ向かうのか、それとも予定調和な劇場的なものなのか。僕には分かわらない。ようはどこでジャンプしているのだろうか。

建築 | Posted by at November 10, 2005 1:40 | TrackBack (0)

SA

HusSA.jpg

House SAに行ってきました。いくら図面を見ても、疑問がでるもので。模型にするとなおさらだ。当日の私のコンディションは最悪で、二徹夜の作業(しかも、あのメディアテークの模型をつくった模型事務所での作業で、緊張と弛緩の連続の環境だった)後で、半分昏睡状態だった。行く途中も、なぜスパイラル(階段状の空間)なんだと、出口の見えない夢の中、神山健治・東浩紀の対談の中にある、最近の押井さんは年齢のせいか、獲得できないフィジカルな欲求ばかりば目立つ。という、一説との往復しか出来なくなっていた。
TOTO通信今秋号の「原・現代住宅再見 41(PDF)」で取り上げられている。物品の詩学なる藤森流のタイトルがついているが、まさにそういう空間だった。物品への欲求といえば、西沢大良の、空間を所有している物品と同系色に仕上げるという、空間への興味と通じているものがある気がした。坂本研だし。ただ、坂本さんが住宅と物品をテーマに設計をしたかは定かではない。朦朧な記憶をたどると、オブジェクトの配列の緻密さを、一緒に見ていた人々もすごいと言っていたが、それを解決することには無自覚だったような印象を持っている。物品への興味のたとえに藤森さんはオタクをあげているが、確かに物品に埋もれるような空間で、寝そべれるスペースがほとんど無い。寝るときに使うと言っていたスパイラルの最後にある畳と、途中にあるアフリカ民族の木彫りのベットの上でくらいしか寝そべることができない。オタクの原型を発見したのかもしれないな。風貌とイメージも一致している…。

そのあと、ぎりぎりの体調のまま、以前から約束していた、杉本 博司「時間の終わり」を見てきた。個人的な伏線があって、ブリゲンツ美術館で始めて作品を見、印象に残っていたので絶対行きたかったのだ。tkmyさんは、ブリゲンツは建築としてはおもしろいが美術館としては最悪と言っていたが、僕は杉本 博司の作品があまりにもフィットしていて最高にいい美術館だと思っていた。
建築シリーズがやっぱり好き。建築家の無自覚な欲求を顕すようなテンションでフレーミングされた建築たち。WTCなんて強烈だ。だれも見向きもしないくらいマンハッタンに埋没していた建築を撮影する嗅覚はさすが。911後、さらに意味が上書きされた気がする。消されて記憶に残る建築。無自覚な欲求=建築という墓。
全体としては作品数も多く満足したが、ハイサイドから柔らかい自然光が降り注ぐブリゲンツとは印象がまるで違った。写真は自然光に限る。護王神社の模型があって、直島の瀬戸内を見立てて、東京湾が見えるとなっていたが、朦朧としていたわたしはあほぉなことにのぞき忘れてきた。もう一回行きたい。

建築 | Posted by at October 12, 2005 4:51 | TrackBack (0)

forbidden place

場所
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横浜市の都市デザイン室長の講義を聞く。実践的な話の中から一つだけ気になったことが。「都市計画的に健全とされているものしか良いとは言えない」というフレーズが印象に残っている。まち全体をそのテンションで徹底すると、ニュータウンという言葉に喚起される街並みが想像される。しかし、誰もが郊外の街にはどこか物足りなさを感じている。優良な計画学と実生活から得られる価値観の落差には、直接つないで説明できないほどの深い溝がある。

アノニマスな禁断かなにか。特異な条件下で発生した郊外団地を舞台としたコンテンツ(小説 映画 ドラマ)は数多い。金妻平成狸合戦ぽんぽこなど切りがない。最近では月9で放送されていたエンジンにも多摩NTのカットが入っていた。また、郊外団地を舞台とした映画が論文のテーマにもなっている。イメージと実態の落差に惹かれ群がる人々。

郊外団地をテーマにした議論や論文によく取り上げられる小説がある。直木賞作家でNTに住む重松清が書いた定年ゴジラだ。ある対談で冷静に都心回帰は郊外逃避であると言い放ちつつ、あとがきにはNTが少し好きになったと書くところ、自己矛盾を抱えていて面白い。

禁断な関係(場所
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群がるとおちつく?(場所
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建築 | Posted by at July 27, 2005 4:01 | TrackBack (0)

リサイクル

転用1(場所
MYSTtrtora.jpg

転用2
TeToRa.jpg

テトラポッドは、脚の頂点を結ぶと正四面体になる。
自重を無視すれば、正十二面体の立体で、組上げることが出来る。
構造のアルゴリズムとしては、最適化のたぐい。
*実は、テトラポッドは、株式会社テトラの登録商標。ウォークマンみたいなもん。

ギャラ間のレクチャーで最適化とリダンダンシーのプログラムを聞いている時に、ふと思った。
水戸芸のテトラ(四面体=三角形で構成した立体)で組上げた塔は、構造のアルゴリズム上、最適化されているが、リダンダンシーがない。(もっとも緊張した状態での構成のため、一本折れたりすると、崩れる)
例えば、車が理論上最適な三輪で普及出来なかったのは、急カーブの時、荷物の重量が想定外であると、力のながれをほかに逃がすことが出来ず、倒れやすいから。四輪ならば、倒れる方向に車輪がついているので、耐えられる許容が大きくなる(リダンダンシーがある)。
当たり前の話だが、三輪は理論上最適なものではあるが、流通できない弱さがあったということ。

建築における一つの潮流に、「合理性へ向かう目標を外す。といったことが挙げられるだろう。」と、前出のレクチュアで言っていた。
CGを作成しているときに、なーんかわくわくしなかった理由が分かった気がする。テトラポッドで構成した立体は、最適化された構成(リダンダンシーがない)のため。新しい予感がしなかったのかぁ。

アントチェアにも三脚がある。倒れやすそうだが、正しい姿勢であれば問題ない。モダニズムでは、正しい姿勢での椅子の着席が最適とされていた。んー、リダンダンシーがない。(笑)

関連リンク:simon|DERIVEに魅せられる

建築 | Posted by at July 2, 2005 23:28 | TrackBack (0)

万博

TOYOTApavilion.jpg

ロボットと戯れる人間と、自然はいいなぁといったような、全体的に楽観的なムード。なんの目的に万博をやったかは、行っただけでは分からなかった。隊列を組む自動走行のバスや、感覚的に操作出来るモビリティなど、テクノロジーだけを見ればおもしろいものもあったが、とにかく建築がつまらない。
そんななかTOYOTAパビリオンが突出しているように見えた。21世紀的な技術的テーマと、個人的な創意のバランスがとれていて好印象。小さなパーツ(軽鉄)を組み合わせて大きな空間を得る悦びと、解体できる明快さが結果的に何を生むか。そのへんをもっとアピールしても、いいかなとは思ったけど。
まぁ。万国博覧会というフレームで何を生もうとしているか考えないと、ただの観光アピールの場になっていた。

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建築 | Posted by at June 6, 2005 1:25 | TrackBack (0)

荒川修作×磯崎新

ABCのトークイベントに行ってきた。文字に出来るところだけ書いてみる。荒川さんがゾンビのように感情をこめて話を始めた。局所的に美術や建築をもちいたアメリカに500年しいたげられてきたラディンがやったのは当たり前と。はなから暴走気味。続けて、磯崎さんが自分の主張として書いたなら建築する身体を半分書き直せと言う。アーティストを放棄し建築家になろうとしていると指摘。一方、荒川さんは、堀江(ライブドア社長)さんは「私は死なない」という視点で、倫理や社会を断絶し、経済に切り込んでいったと評価。かみ合っているようなかみ合っていないような展開に翻弄される。荒川さんが、記憶を形成するというのは、外に対する免疫であることを発見したと言う。彼が言う有機学の思考にたった発言。彼曰く有機学というのは、(たぶん荒川さんのつくった場所で)そこに行きたいと思い、はいつくばって行くと、途中でいがいと心地がよくなってそこで居座るということらしい。デシャンに人差し指でこづかれて、君は有機体に入っていてのはだめだと言われたと。当時さっぱりわからなかったと回想。

・磯崎さん。幾何学を信用している。始めるにあたって、生物にかかわるものを排除して、エンジニアリング(幾何学)の領域を選択した。有機的な形態なのは、風潮でそれに従っているだけと。
・バブル崩壊後ロンドンでvison of japanという展示をやった。日本人からひどく非難された。
・荒川さん。記憶って言うのは、筋肉の使い方でわかる。
・コルビジェっていうのは、階段をかけあがって、メジャーで測って2mでも10mくらいだね。とかいうのがない。
・水が抱きしめてくる風呂ってあるんだよ。おそらく進行中の集合住宅のこと。
・建築をデザインしない。アンチデザイナーである。有機学のような自分に対応する理論を組み立てるためにやった。
など、文章化できないような話が飛び交う。

建築 | Posted by at May 29, 2005 20:21 | Comments (5) | TrackBack (0)

原美術館ARC

HARA_arc.jpg

富弘美術館にも行ってきた。良くも悪くもあたまを抱えさせてくれる建築だ。コンペ的な思考にたてば、勝つと言う目的において、円形のプランを採用したことに問題はないだろう。何より勝者となり建築を作っているのだから。ただ、美術館として本当に良いかどうかはよく分からなかった。
確かに、建築の話としてはおもしろい。しかし、建築家の能力はそれだけではないはずだ。プロジェクトの規模に対して、ある程度の予算があり、その中で美しいまとまりを描かなければならない。完成に至る経過を詳しくは知らないが、建物とその周辺が断絶していた。アスファルトのアプローチ。湖面まで降りる動線。ツーリズムを優先させた車寄せ。それと建築。それらが、縦割りで工事区分が分担されているような印象すらあった。それが、建築家が発言した結果であれば、少し悲劇的な建築かもしれない。
空間のバリエーションは、断面のヒエラルキーがなく、円の大きさのみで違いを出している。そのため、素材をいろいろ使っているが、少しうるさかったかもしれない。加えて、円が詰まりすぎている気もした。円と円がぶつかった余りの空間などを利用して、外部が感じられる空間などが、もうすこし混じり合っても面白かった気がする。それを解決するためには、箱の大きさを広げれば良いのだけれども。無理だったのかなぁ。ただ、円が迫ってくる空間は、負けている感じが強く、居心地は悪そうなので、見えているだけでいい。
プランは、道路側がサービスで、湖に向かってオープンな機能へグラデーションする従順なもの。壁から壁を抜けて、予期せぬ風景が重なっている種類が、全方位へ展開できるように散らすことはできなかったのだろうか。
文句を言っているのではない。いろいろ考えさせられたのだ。円を徹底するという方法論の中で、他の手はなかったのか、ずっと考えながら、ぐるぐると歩いていた。
円形の壁づたえに、人がオートメーション化されているように、並んで動いているのには、少し驚いた。笑
原美術館ARCが、すばらしかったので、そういう気持ちになったのかもしれない。

建築 | Posted by at May 16, 2005 10:32 | Comments (11) | TrackBack (0)

MoMAは50%

オペラシティで開催されている「谷口吉生のミュージアム」に関連した講演会に行ってきました。以前のエントリーで、高宮さんが見たMoMAを書いたのですが。今回は、槇さんと谷口さんが見たMoMA。槇さんの直感で、辞退するつもりだった谷口さんを、ぎりぎりでとどまらせたなんて、逸話を聞いていたので、この二人の話は是非聞きたかった。人の話を聞きに行くのは、99%が事実の反芻で、1%の狂気を期待していくわけですが、今回は谷口さんが「50%しか満足していない」と言ったのが、それでした。笑
お二人の真っ正面に座り、モダニズムを壮観した気分に浸りながら、入り時間になる。矢萩喜從郎さんが、まず谷口建築を解説。シンケルやミースに通じる理性的な態度や、門構え、にじり口、座といった日本的な解釈、絶対水平や鏡面性が特徴の深さのない水面。ご自分で撮影されたと思われる写真を交えて、自分の解釈を、誤解をおそれず話されていました。一番、印象的だったのは、ブルーモーメントに輝く豊田市美術館をファインダー越しに見たとき、「理性と日本的な感性の溶解」に見て取れ、大変美しかったと。スライドとセットだったので、感動。
次に、槇さんの視点での評価。展覧会を見て分かるように、多くのメディアから讃辞を贈られている点は、40%は建築家がよかったから。残りは、MoMAだったから。なぜか。グッケンハイムとは違って。と言っていいほど、アメリカ人にとってMoMAは特別であると。自身がNYで働き始めて、まずMoMAの会員になったほどであり、移民文化のアメリカの先進的なコミュニティは教会しかなかった。次にデパートやボールパークができ、それから美術や演劇がついてきた。その中でも象徴的なものがMoMAであると。彼ら自身の幸福感であり、先進的なサンクチュアリとまで。このコメントからも、アメリカの身体感覚が根付いていた槇さんがMoMAのプライド、戦略からいっても、勝ち取る可能性を感じていたのだと。槇さんとしては今回の計画は、何よりアーバンデザインがすぐれていて、18世紀から現在にいたるまでの建築が集積している場所で成立させている今回の計画を高く評価されてました。
それを聞いていた谷口さんが開口一番、僕は話がうまくないと前置きをし。既存の保存、改築の復元、新築が複合した難しい計画だったと。そういう提案をしたのが自身ではあるのですが。内部にある作品との拮抗を望まないMoMA。MoMAが所蔵する作品は世界中どこでも見れるから、NYが館内からどう見えるのかというのを慎重に考えた。知ってはいたが、この謙虚で紳士的なコメント。んー背筋も伸びてる。また、あの特徴的な門構えは、中と外との連続性を意識した窓の枠でもあると。アベニューからのひきがないので、内部空間を豊かにしたかったと。建築を学んだのは都市の理想を語られた60年代。しかし、日本の都市の猥雑な風景を見て、どちらかというと閉じることに興味があったのかも知れない。矢萩さんが日本的な解釈のことを述べられていたので、日本的な事は意識していない。どちらかというと避けていると。一方で、非対称 線的 うすあかり コンポジション。モダニズムと共通するものを、そういった日本的な空間構成に感じると。
それを聞いていた槇さんは、内部空間に興味のあったroom to roomの磯崎さんや回遊性の谷口さんと比べれば、もうすこし楽観的だったと。門やにじり口もしない。ヒルサイドでもわかるように、隅入りを好むと。谷口さんとの違いをコメントされてました。
最後に、質疑応答。「どこで筆を止めるのか」谷口さんは、どんどん単純化していく。ぎりぎりまで純粋化して(作為が)残るか残らないかのぎりぎりのところで止めるとコメント。「敷地から何を得るのか」槇さんが、ア プリオリな欲求を確認するために敷地を利用することもあると。

建築 | Posted by at May 12, 2005 19:10 | Comments (1) | TrackBack (2)

作為のない具合

八代の保育園
Ytsr_Mkn.jpg
化に向けて整理してたら発見。みかんぐみの建築は、八代から見たというマニアな出会い。しかもほぼ竣工順。
この建築は、エコロジカルなシステムをしょっているが、それが反映されたような作為がなく、好感。一連のアートポリスの作品と比べると、かなりくだけている印象を持つ。素人のような考えを、玄人として実践すると言った具合が、でっぱりのある屋根や、テラスの連続感ある仕上げ、校庭に散在するケモノからも見れる。内部空間は見れてないので分からない。
JAのPROCESSにある脱力したダイアグラムなど、みかんぐみの建築が示唆しているところは、創意をどこで落とす(決める)のか。そこは、もっと自由で良いのではないか。と言った具合だと思っている。一方で、いかに一貫性のある態度を示すのかといった。疑問ももつわけで。はっきりしない全体ではある。
最近は近未来な話題にくびったけ。もちろんテクノジーの進化にも興味あるが。人口や経済の急速な構造変化。情報社会がもたらすあたらしい人格。僕が理想とする建築家はやっぱり夢を語るストラテジスト。ものたりないのかも。

LINK:アートポリスつながりで。砥用町林業総合センターの写真があるエントリー

建築 | Posted by at May 3, 2005 6:20 | TrackBack (0)

28年生まれの建築家

今日は、docomomoに関連した講演会に行けた。失礼極まりないが、三人が、群になると妖怪のようだった。
三人とも生まれが同じなんて、趣味の悪い編集者がレイアウトしない限り、判明するもんじゃないと、林昌二さんが新建築編集長の大森さんに、横ヤリを入れつつ始まった。はっきりいって、この三人が集まれば、場を仕切れないことは想像たやすかったが、案の定、初めから放流された。(笑)
三時間超と長丁場だったので、ここでは印象的だったことをレポートしてみたい。前半は三人のdocomomo選定作品を、本人がプレゼンするという、きわめて貴重な体験。
菊竹清訓さんは、「スカイハウス」と、「出雲大社庁の舎」、「ホテル東光園」を選定されている。ここでは、自分の原風景(筑紫平野)と出雲大社の思い出話がほとんどだった。機能主義を崇拝していた自分を変えた、個人的にも印象的な建物なんだと。打ち合わせするたびに、「ここは何に使っている部屋か」と聞いても、毎回返事が違い、信じるものが何もなくなった状態から構築した。という、体験に基づいた話。加えて、コンクリートで雨仕舞いまで、おさめてしまった結果、さしせまり老朽化という現実にぶつかり、どこを保存するか迷っていると。断面だけ残し、日本の風土も考え、やっぱり木。木を使って再構築しようかと思っているとおっしゃっていました。さいごの質疑で、現在のすがたをとどめて欲しいと、選定委員の建築家が言ってましたが、あっさり、docomomoは、何を保存し伝えるか明快じゃないんだと。まぁ、たしかにテクノロジーが進化したからって、ギブスのように構造体を入れ込んでも、まるで創意がない。建築家がおこなうリニューアルプロジェクトは、おもしろそうだ。
続けて、林さんは、銀座の交差点に建つ、「三愛ドリームセンター」と、「パレスサイドビル」を選定されている。監事というかたちで、docomomo japanに関われているのに、なんで「私たちの家」を選ばないんだと。またまた横やり(笑)。毒本って言うのを出してて、言いたいことは全部そこに書いてあるから、もう何も言うことはない。とか言いながら、スライドの一覧表を手元に持っていて、やる気まんまんじゃん(笑)。パレスサイドに関しては特に新しい情報はなかったが、建築的な工夫をわかやすく説明されていた。パレスサイド、かなり好きだなぁ。屋上を開放している時期があるらしいので、ぜひ見たい。
最後に、槇文彦さん。「名古屋大学豊田記念講堂」と、「代官山集合住居計画」が選定されている。ヒルサイドテラスの後ろに配する旧朝倉邸(LINK:空中写真 S49撮影)が、まもなく公園として開放されるそうだ。東京の街は、前面道路の幅があって、用途が決まる順番だが、26m以上ある道路に面するヒルサイド一体は、都市や街並みが社会遺産として残っていない現状の中、非常に恵まれていると。ずっと残るんだろうなぁ。建築家冥利につきる。そうとう、マンションが建たないように抵抗したと思うけど。菊竹さんも、スカイハウスを建てた時は、崖の上に建っていたのに、いまでは、40mマンションの谷底にあって、今では雨戸も閉め切って、最悪だと言っていた。都市計画、アーバンデザインをやっていかなくてはと。一方、処女作の豊田講堂は、改修するのに、槇さんがすごく張り切っているという話を聞いていたので、やっぱり計画中の模型が出てきた(笑)。大森さん曰く、おおやけな場で槇さんが、豊田講堂についてコメントする事が、貴重だそうだ。計画中の中身については触れられなかった。
(LINK:ヒルサイドスクランブル
休憩後、菊竹さんの意気込みにやられる。谷底のスカイハウスの中で、布団やベッドは、快適ではない。コンパクトで、機能的な寝袋に限る。というコメントを発し、壇上の林さんと槇さんは、目をパッチリさせて唖然としていた。当然会場も、ざわつく。誰もが、スカイハウスのワンルームの真ん中で、ぽつんと寝ている姿を想像してしまったに違いない。話の流れは覚えてないが、建築を社会遺産として残すと考えたとき、自分の家をどうするか分からないと。身も蓋もないことを、だれかが言った。確かに、そうだ。日本の場合は、耐久性を下げやすい湿度や、リセットされるような地震の問題もあるし、物理的にも社会的にも、三世代住める家はない。槇家のように、90代の親と70代の息子と言った、とんでもない核家族像が、そこにはある。林さんは、ストラクチャーは道路並みのインフラとして考えるべきだと。完全に安全なものを作るというより、社会の中で保証される範囲のことをインフラと言っていたと思う。そういう思考の延長にたてば、社会遺産に繋がっていけるかもしれないと。正直、三人とも、どう残していくかを考えて当時、設計してはいなかったが。どこを残し、どこを変えるかを、実践していく必要があると。他にも示唆に富む、多くの事に言及されていましたが、そのためには、制度、都市計画、社会、思潮を含めて建築家が立つ必要があると、熱くおっしゃっていました。
展示自体は、はっきりいって、人と情報量が膨大すぎて、セキスイハウスM1を目的に見た。中村政人さんの発想で、はじまったM1保存企画のひとつ、模型復元。途中経過は写真でいくつか見せて頂いたが、実物を始めて見た。ヤハリすごすぎる、塗装屋が制作者を信頼しきって、と言うより崇めるくらいの精巧な技術で完成していた。
(LINK:MRでモンブラン@上野桜木

残すためにつくるって?
うちの実家は、売れるようにつくったって、言ってたな。確かにプランは標準的すぎて、はずかしいくらいだ。でも、その違和感はきっと理解する視点をもっている気がして、ずっと気になっている。しかも、木造で、なんかすごい大工が作ってた。おやじやるな。また、それを無意識にやっているんだろうが。作り込みすぎると、前の人の影を感じてしまう。実家の場合は、敷地に立っていた家に構造上の問題があって取り壊した。
今のところ、単純にかたちを残すという議論は、日本の場合、違うと思っている。土地の値段が上がれば壊されるし、地震や湿度の問題があるから、コンクリートには厳しい。また、マンションや単純なオフィスビルに挙げられるような、経済上の根拠だけでつくられたようなものは壊した方がよい。再構築の中で、何かをキープできないか。
docomomo japanは、ヨーロッパ的な視点での価値を評価する方へ、収斂するだろうか?。言い換えると、社会遺産として実行力のある建築っていう意味が乖離した状態で、立つ墓標のようなものを評価する団体になってしまうのか?。それとも、期待しすぎ?。docomomo japanとしての視点が必要なんでは?
セキスイハウスM1が100番目にエントリーされていることは、評価出来る一端かも知れない。このM1を始めとする箱形構造体を実際に、市場にもどす動きが始まってはいる。実行力のある社会遺産としての、ひとつの方法論かもしれない。経済的な視点だけで作られたバリエーション住宅の企画をやめて、今の技術で作る、市場を流れるM1的な箱。M0を作るプロジェクトなんておもしろそうだ。
LINK:M1居住者インタビュー富田玲子さん

建築 | Posted by at April 25, 2005 1:30 | Comments (2) | TrackBack (1)

バランス感覚

昨日も、阿部仁史ゆかいな仲間達のレクチャーへ、くりだしてきました。
阿部さんの建築見たことないですが、今回の動機は、完全にゆかいなゲスト達にあります。
そこから、阿部さんを知るのもいんじゃないという。のり。
二回終わった時点の阿部さんの印象。
「モダニズムの反動に陥らず、新しいものを、思考し、実践したいんだ。という姿勢を、かいま見れました。」建築家だから当たり前か。
僕は、(実は)本江さんの後ろの方に座っていたのですが、阿部さんも観客に背中を見せるくらい斎藤環さんに食いついていて、後ろ姿がシンクロした。髪型も。ちなみに、曽我部氏とも、僕の頭の中ではシンクロしていて。SONYの話が出たとき、苦労されていたのを聞いたことがあったので、三人ヒゲ面で並んだら、こりゃ、いい線だなと、ひとり笑いしながら、斎藤さんの軽快なトークに、身をまかせていた。

もっぱら、斎藤さんがゲストで来ていたので、ヴェネツィアビエンナーレの日本館の話題から、始まり。一貫して「おたく」。
ちなみに、今回の日本館は、他の楽観的な展示(明るい未来)にくらべ、未来喪失の街をテーマにしている点でプライオリティがあったとおっしゃっていました。
阿部氏の執念によって、僕の交感をくすぐるコメントが斎藤氏から出る。
「ソフトのアクセシビリティという身体性」っていうのが、あって。(ちなみに、今日のテーマは、「リアリティの身体」)。自身が、ヘビーローテーションを、すぐ手にとれない部屋のレイアウトでは、おたく失格らしい。(ソフトって、DVDとかCD、本のこと。この語呂はかなりヒットした。ギャルゲーが、手の届きやすいところにあるっていう話なんだけど。ね)
僕が、一番共感出来たのは、斎藤氏の口から聞けたというのもあって、「身体の多層化」は、本当だと思う。
要は、携帯電話での自分。ネット上の自分。会話している自分。というように、リアリティ(身体)が、複数ということ。
それをまとめる総体としての自分は、ないんではないか。という話まで及んでいました。斎藤氏の本を読めば出ているのだと思うけど。
まぁ。おもしろいこと、いろいろ言ってましたが、阿部さんに質問もされてました。ビフォーアフターって、番組あるけど、阿部さんだったらどうする?。あれって、構成上、家族関係と内部空間を一致させようとしていて、家族の問題は、水戸黄門のような匠によって、解決するって言うストーリーだけど。あれって、結局、天窓や、ウッドデッキといったギミックからの発想で、ものが、できているし、折りたたまれて出てくる机とか、壁に埋め込まれている椅子とか、ちゃんと使ってんのか。その後のレポートの方がおもしろそうだ。なんて言ってました。
僕は、ああいう番組や、メディアにでてくる妄想(ギミック)は、一括して「チープモダン」って呼んでますが…。
斎藤氏によって、阿部氏の身体がはがされそうな場面がいくつかありましたが、僕の中にしまっておきます。というか、うまく説明できない。ということに。

一つ前のエントリーの追記に、一回目のレクチャーの事を少し書きましたが。これを見ながら、思い出したことが。
山中俊治さんが、おもしろいことを言っていた。
「パソコンは、薄くすると、重くなる。ずんぐりしているほうが、軽くなる。だから、マックは重い。」
アメリカ人の身体感覚から言えば重くないっというのも、デザイン上のふっきる要素としてあると思うけど。
Tigerの供出が決まりましたが、G5のマシン、重いんだろうなぁ。

新四年も研究室に入ってきたようだし、自分で実践し、態度としてみせたい。自戒を再確認。
よいプロジェクトに必要な要素「方法論・スキル・自分のテーマ」
方法論っていろいろあると思うが、プロジェクトが、ある公式に還元されるっていうのも、大事。
自分の「ユートピア」と都市や社会に潜む「ヘトロピア」をつなぐ、「システム」を提案する。っていうような。
それよりも、完成度か。

今日のおもろLINK:住宅都市整理公団|団地一覧/公団

建築 | Posted by at April 14, 2005 6:21 | Comments (2) | TrackBack (1)

コンペにおける憂鬱から解放されるのか

最近、エントリーのペースが途絶えがちでしたが、理由は歴然。
コンペをしていたから。
先日、結果的に一ヶ月半におよんだプレゼン作りに区切りがついた。
幾度におよぶ提出期限の変更に、テンションがうまくコントロール出来ない不思議な環境での作業だった。
手は尽くしたとまではなくとも、そこそこ言いたいことを言って、やりたいことをやった気がして、満足している。
(大学院の授業の事まで話すことが出来た。もっと、煽らないのも悪いんじゃない。と、言っときました(笑)。→一応、ウケテました。)
まぁ。最後の提案をまとめる段階で自分の提案を、引っ込めたことだけが、悔やまれるが。
期限が、曖昧なコンペだった事からわかるように、要求も自由に解釈出来るものだったので、あらゆる想定を頭の中で組み立てた結果。アイデアをあたためて、実施に近くなった段階で、出すのもいいんではと、思ったのです。
FIAS.jpg
僕は、一貫して、システムの変更を提案することに徹底した発言をした。
最終的にはアーキテクトが決めるので、そういうことが出来たのですが。
様々なリサーチの結果、既存のシステムに新しいシステムをアディションする事で、結果的に大きなリダンダンシー(冗長性)が得られることを提案しました。
ここでのリダンダンシーとは、「長く使い込んでいける融通さ」というニュアンスであって、
アディションしたモデュールが、例えば気候や風土、オリエンテーションと言った、ローカリティに対応しながら、
共通した自動車工場としての風格が保てるというようなこと。クライアントから求められていたのは、あくまでも工場のヴィジュアルアイデンティティ。
(今回の公式は、ローカリティに対応したエコロジカルなシステムを持つアディショナルモデュール=サスティナブル と言ったところ。)
ただ、アディションするシステムが簡単なコストで解決するのかという、実現性における一押しがないのが、どう見られるか。わからない。現在、コンペティターは三者まで絞られていて、僕らのプライオリティは、エコロジカルな話を唯一していたこと。
そこで、今回の投資は限定的な範囲ではあるが、エコロジカルな機構をまとうことで、それが全体に好影響を与えるという「押し」で僕らはイケルと判断した。
あ。コストにおけるアルゴリズムを書かないことはまずいんじゃないかと言ったら、…そんなん分かるか。って言われたのを思い出した(笑)。フランスだしな。

それにしても、はやく、コンペティションをめぐる憂鬱から、解き放たれたい。

以下は、やりとりの一部。
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Yさんには、翻訳という作業の中で、
企業が持つ思想(アイデンティティ)をリサーチしてもらう。という事ですが、
コンペにおいて大事なことは、やはり、一発のアイデアがあるかどうかです。
建築家が審査するコンペならば、
その審査員の嗜好などを考慮して、イメージが鮮やかに伝わるように、
パーソナルなレベルで寄り添ったりするものですが、
今回は、企業戦略のコンサルタントのような感じなので、
僕らが、実践しようとする具体的なアイデアが、
「どういう新しい仕事場の風景を獲得できるか」や、
「どのように対外的な会社のPRに役立つのか」というメリットが明確になっていると、
相手にも好印象だと思います。
従って、ただ見た情報を整理するというより、
恣意的な視点をもって、編纂するような感覚も必要だと思います。
言い換えると、具体的なアイデアをイメージしながら、リサーチすると効率的だと思います。
単純に自分の興味もあるでしょうから、そちらも同時に深められれば、良いと思います。

・話し合いの中で僕が思いついたこと。→リサーチしたい項目。
・貧弱なエントランスの改善に伴って、会社がもつ判然なアイデアを、プレゼンテーションできるような目的で、共用部の展示方法など、空間を使い込んでいく提案。または、通常、ストレージとして使われるところが、イベントスペースとなるような、ドラスティックに風景が変わる提案。(日本の伊豆にある特種製紙の工場は、坂茂 設計の逆シャッターの倉庫なんかは、原弘賞の展示を行うとき、倉庫を開放して使用したりしています。)→CBDが言っているサポートファシリティの再構築のための調査。
・工場の立地が、人目に付かない場所ならば、風景が際だつような工場の全体像を作って、それが、企業パンフレットやWEBのイメージになるような提案。→立地を調べる。現状の企業PRのパンフレットを手に入れる。ロゴや会社名の由来を調べる。
・もしグローバルに展開している(しようとしている)企業ならば、工場を地球のディテールとみなして、地域に合わせた展開力を持つ一つのアイデアで、様々な工場をつくる提案。→今後の進出予定地域を調べる。
・建材が、自社製品でまかなわれるような、エコシステムの提案。→リサイクルされているマテリアルを調べる。

あと、知りたいことと言えば。
・工場の拡張のルール。例えば、1サイクルごとに展開されるものであれば、その1サイクルのサイズ。
・会社の一般的な概要。社員数や売り上げの伸び。今後の戦略。
などなど。

CBDが、閣下さんに依頼してきたのは、精度の高い建築のイメージと、精巧な部品のイメージがマッチしたからなんじゃないかなぁ。と思いながら聞いてました。そこら辺が、建築の提案に繋がってきても面白いかなぁ。

よいアイデアは、複雑な問題を、非常にシンプルに答えられるものだと思います。
無数の解答がありえる中で、何をたよりに自分のアイデアをシンプルに整理し、
多くの可能性が示唆(しさ)できるものになるか。
それが、次回の打ち合わせの論点になると思います。

建築 | Posted by at April 4, 2005 5:00 | Comments (4) | TrackBack (0)

テレビ東京 新番組 Design Channel

テレビ東京 新番組 Design Channel
4月2日(土)3:10〜3:40

本日は伊東豊雄さんが講師です。
次回は、伊東さん part2。

建築だけでなく、広くデザインに関係する番組のようです。
もっと、たくさんの人が見れる時間でもいいのに。次のクールからかな。

たまたま、発見して、途中から見れました。
よく見ている伊東さんなので、新しい一面を発見する事は、なかったですが、簡単に言うと。
メディアテークと、サーペンタインを挙げ、共通して「柱、梁、から出来ているという箱」からの脱却を目指しているんだと。
それが、「いかに美しく実現したのか。」という流れで話をされていました。
僕の美しさの追求を楽しんでよ。という意志が十分に伝わるものでした。
来週は、進行中のプロジェクトなどが出るのでしょうか。

番組の後半は、微妙なデザインニュース。この落差なんだ。

番組のエンドロールによると。企画 インタープラネッツ のようだ。
LINK:c-channel|TOYO ITO

LINK:テレビ東京 Design Channelの新着Blog検索結果

建築 | Posted by at April 2, 2005 3:29 | TrackBack (0)

香川県庁舎

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丹下さんの成果って、あまり理解できてないのだ。建築は良い。ということは分かる。

建築 | Posted by at March 23, 2005 3:23 | Comments (1) | TrackBack (1)

線の多い家

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いちいちかっこつけないとやってられない。(経緯

建築, portfolio | Posted by at March 23, 2005 3:19 | TrackBack (0)

ホワイトアウト

僕らの世代は「ホワイトアウトの建築」からどう逃れるのか。自立出来るのか。というのが、無意識に抱えている困惑ではなかろうか。こんな会話をプレゼンを作りながらしていた。
先月、あるコンペのプレゼンテーションを作っていた。アーキテクトは、アドビイラストレーター独特のホワイトアウトする仕上がりが、気に入らないらしい。(笑)

ex-planticon.jpg
近年、ユーロで最大規模になった自動車サプライヤーメーカーが、グローバルリーダーとして展開する中、各地に作る工場に、共通のビジュアルアイデンティティを提案して欲しい。というのが主旨だった。
土地が具体的に想定されていないコンペだった。そのため、一つの解答(建築)を目的とする事に、違和感を覚えた僕らは、現代的なテーマや、従来からあるテーマを示唆するキーワードを四つ挙げ、僕らが建築をアセンブルする流れを、プレゼンテーションすることになった。
それらから連想される建築化するアイデアを、彼らが持つ工場のシステムにアディションすることで、はなしの構造と同時に、僕らの持つボキャブラリーを伝えようとした。
キーワードから派生した、離散する20のアイデアを、アイコンに表現できるレベルまで還元し、四つの軸の中での関係性(位置)をプレゼンテーションで表現した。

建築 | Posted by at March 15, 2005 0:08 | Comments (7) | TrackBack (0)

萌え@写美

僕が行ったときは、平日の秋葉原くらいの混み具合でした。観覧者も展示の一部。即席のインスタレーションと言った具合で。きっとベネチアよりも臨場感があって、より本質的な環境で楽しめた。(笑)。なぜ、写美で展示が行われたが僕には分からなかったのですが、建築展としては「さいごのポストモダン」という表層を持ったニュアンスが、私的に楽しめた視点でした。もう少し言うと、内生的なきっかけが、あるひとつの徹底を生み、街の風景になったというストーリーの組み立てが、ポストモダンらしいなと。僕は、それよりもランドスケープアーバニズム的なスケールから、街並みを考えたりすることの方が、わかりやすく新しいものを生み出すのかも知れないと、思いこみながら萌えていた。

建築 | Posted by at March 14, 2005 23:27 | TrackBack (1)

Guggenheim@NewYork

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ちょうど一年前は、NYへ行ってました。床は、三度に傾いている。しかし、当時これをやったことがすごいよ。個人的には良さがよくわからなかった。動線の結末を期待しすぎたところもあったし。寒すぎたし。‐10は軽く超えていたし。その上、地下鉄降り間違えて20ブロック近く走った(笑)。68st 86stの駅があるとは思わないさ。展示もいまいち好きでなかったし。いろいろ理由はある。MoMAは工事中だった。(LINK:simon:ビッグネスが生んだ建築

NYにまつわるはなしを。まもなく、チェルシー地区に坂茂氏設計のNomadic museumがオープンするようです。ポンピドーセンターの紙にしろ、このコンテナにしろ、純粋建築を目指して、こういうのをつくる坂さん。かなり良い。

建築 | Posted by at February 14, 2005 8:19 | Comments (3) | TrackBack (0)

幼稚園から大学院まで

私、大阪出身なので、関西の情報にはなぜか敏感(な時もある。)まぁ三面記事的なニュースを無理やり全国レベルの話にしてみようかと。
関西大学新キャンパス構想によると、幼稚園から大学院まで入る30階の超高層ビルと、防災センター機能を有する体育館で構成されている一貫教育施設を作るようです。JR高槻駅北側の「都市再生緊急整備地区」に指定された地区に建てるということもあって、助成金と規制緩和が認められ、可能になったプロジェクトだと思う。全国で規制緩和に伴う官民合わせた投資は、全国の7割を占める東京において、五年間で10兆円と見込まれている。なぜ今、投資が必要なのかは、下記リンクを参照して頂きたいが、そのお金が有効に使われているかは、次々に完成しているので、経過を見て判断したい。

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写真の秋葉原のビルもその一例だ。
国土均等利用と言ってみたり、巨大都市にお金を注いだり、ゆとり教育じゃないが、中身がないものになっている気がするなぁ。

LINK:動き出す都市再生事業
LINK:NHK総合「明日を読む」都市再生

建築 | Posted by at February 10, 2005 5:55 | Comments (2) | TrackBack (0)

P ジョンソン逝く

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miyajima/weblog:Philip Johnson 逝く/ガラスの棺によると、25日亡くなったそうです。二ヶ月ほど前に、simon:ビッグネスが生んだ建築のエントリーの中で、未だにMoMAとのつながりがあるという話題を共有したばかりだったので、個人的にはタイムリーな話題です。しかし、グラスハウスを自らの墓に見立ててしまうとは…。NYtimesでも特集を組んで、彼の功績をたたえています。フィリップ・ジョンソン著作集(フィリップ・ジョンソン/ディヴィッド・ホイットニー 横山正 訳 ADA発行)をこの機会に読み直そうかな。nationaltrustによって、一昨年前に買い取られたfarnsworthhouseとグラスハウスを取り囲む歴史的な考証もこの際深めたい。

LINK:Architectural Record:Philip Johnson Dies

*写真は、コルビジェの墓。特に関係ないけど思い出したから。コルビジェは、大好きな海水浴中に カプ マルタン の海で。だもんなぁ。

ついでに、カブ マルタンで歩く私。
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建築 | Posted by at January 28, 2005 1:37 | Comments (2) | TrackBack (3)

名残のある風景

市電跡 大宮通り七条下ル
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LINK:simon:かたい空間


「建築における日本的な風景をつくる制度は開発可能なのか」
ーPM・CM方式を通しての考察ー

 PM(プロジェクト・マネジメント)は、もともと米軍が第二次世界大戦で、マンハッタン計画という原子爆弾の開発プロジェクトを切り盛りする時に、「最小のコストと時間で高性能」な原爆を作るために、開発した大きなプロジェクトの推進管理手法という発祥を持つ。CM(コンストラクション・マネジメント)もまたアメリカで確立したプロジェクト実施方式だ。30年前アメリカでは、プロジェクトが大規模化、複雑化するのに伴い、工事遅延、予算超過が乱発し、それらを防止する目的で、マネジメントを専門に行う主体として、設けたのが始まり。
 しかし、現在、それらの方式が持つ意味は、歴史的なコンテクストは違えど、事業の推進を得意とするPM、工事の切り回しが得意なCM(施設の管理が得意なFM)。と言った、それぞれの方式が持つ発想の着眼が派生し、建築全体のマネージメントへ発展したものになっている。どの方式も、施主と一体となって良い建築を目指すという、表だった目標は同じものの、ネーミングが似ていることもあり、差異を認識しづらい。施主(発注者)が自分の希望する建築の性格に合わせて、それらのマネージャーを選択する。と、いうのも混乱をまねく原因になると思われる。日本における大型のプロジェクトの推進手法は、これから開発していかなくてはならない。というのが、今日抱える論点である。
 建築におけるCMやPMと言った、日本的な管理方式のスキルを育てるにあたり、社会的な命題としては、魅力的な日本の風景をつくる。と言うことがそれに、値するのではないだろうか。都市計画や、アーバンデザインという概念は、全世紀において、建築家が放棄せざるえなかった分野であると言ってよい。何一つ実現せず、「中銀カプセルタワー」のような派生した建築や、「横浜市の都市デザイン室」というような制度が形骸化して残っているだけで、社会に対する訴求力は、現時点では失われている。
 魅力的な都市を開発していくためには、建築家が関わらなくても、ほとんどの建築が建っているという現実の中、それ以外の9割以上の建築を見捨てていては、一向に日本が持つ風景は良くならない。その指標たるものとして、ヨーロッパのような歴史的な象徴性をセレブレートする風土を受け入れようにも、地震や戦争によって都市をリセットする歴史を背負う日本において、その概念のみによって具体的なアイデアを生むことは、難しい。また、湿度の高い日本において、300年も400年も持つような建築を、作ることは現実的には不可能で、再構築していく中で、都市が持つイメージを培って行く必要がある。また、アメリカのような建築が引き起こす問題すべてを、訴訟に持ち込む風土から生まれたCMやPMを全うに受けていては、それらが日本における風景を創造するにあたり、頭の痛い制度になりかねない。
 縦割り行政の性格上、都市の骨格(ファシリティ)である河川、高速、公園、海岸などは、デザインという価値が存在しなかった土木という分野が責任を負ってきた。もちろん、壊れない骨格を作るという理念に基づき、国土を作るという責務は全うしている。しかし、それのみで都市や国土が覆われており、その上に建つように見えてしまう、建築単体では、社会に対してクリティカルな視点が問えなくなってきていると言っても過言ではない。
 では、どこに「日本の風景をつくる」可能性があるのだろうか。それは、誰もみたことがない地平であり、非常に可能性がある方法論として、今世紀確立していく大きな目標になると考えている。継続して、建築家が建築を建てることも必要だが、もうすこし手前で、従前なる制度をデザインする。というスタンスで再構築も必要だと思う。そこで、ゼネコンが培ってきた技術や組織力、行政への働きかけといったスキルを、建築、土木、行政と言ったフレームを横断し、PMやCMの導入という口実を利用して、開発可能な人材と、社会を作ろうとしている。それらが、どこへシフトしていくかは注意深く見ていく必要があると思うが、建築家が作る建築がただの、ぼやきに。制度がこれ以上の創意の弊害にならぬよう。建築に携わる人たちで、社会に働きかけて行かなくてはならないのは確かだと思う。
 最後に、論点を分かりやすくするために、建築家とゼネコンという二項対立の構図をひいたわけだが、建築家が都市を創造することがあるべきであり、ゼネコンがマンパワーのアイデアを世に問う姿勢を持ち直すべきだと思う。僕は、風景をつくる。都市をデザインする。街をつくる。という事に興味が沸いている。

このエントリーは、
「建築マネジメントの実践p20〜47 日刊建設工業新聞 小菅哲」
「国土交通省 マネジメント技術活用方式試行評価研究会に関するHP」
建築家 塚本由晴、リノベーションについて語る。」を参照しています。

遺構, 建築 | Posted by at January 27, 2005 18:53 | TrackBack (0)

いかに建築は社会的に構想されるのか

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ほんわかしたら、顔をぽちっと押してあげて
就職活動している人への、メッセージですね。

LINK:145号

就職用の写真を撮るならお勧め。目の前でフォトショップ実演してくれて、みるみるスマートな顔立ちになります(笑)
LINK:アソーカメラ

コメントに出てきた本
LINK:住宅論 SD選書 49  篠原 一男

建築 | Posted by at January 26, 2005 20:52 | Comments (3) | TrackBack (1)

ニュータウンの秋

桂坂
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もし、このくらい鮮やかな風景が、一年通して展開するならば
それとして、「美しい街並み」と言えるのかも、知れないなぁ。

遺構, 建築 | Posted by at January 19, 2005 0:52 | TrackBack (0)

イメージをつくる美意識のひとつ

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面出薫と伊東豊雄の対談 (光の建築をめざしてー「風の塔」から「せんだいメディアテーク」まで TOTO出版) の中で、ブルーモーメンントという言葉が出てくる。簡単に言うと、昼と夜の間にある短い瞬間。面出さんの説明を拝借すると、「日没の直後、地平線に沈んだ太陽の光が天空に拡散して青い波長の光に包まれる瞬間。その青の瞬間というのは、胸騒ぎの時間、とても不安定な情緒になるのですが、気持ちが吸い込まれるような美しい時間です。」さらに、メモによるとジャンヌーベルさんは、建築家は昼と夜の二種類の図面を書けと言っております。伊東さんは、昼と夜の交差する時間に現れる建築は、その建築が美しいのかを見るひとつのものさしである。というようなことを言っています。メディアテークのコンペ時の衝撃の模型は、その背景が目に見えて表現されたものだと思います。ブルーモーメントに輝く建築を目指すというのは、ひとつの美意識として頼もしいものだと、コンペ案を思いだし、トッズを見て (パークドームも見て) 思いました。そういや、横浜の調査してたのに、風の塔見てねーや。今度行こーっと。

写真は、コンペ史上まれに見る、審査委員長の村野籐吾が設計した広島世界平和記念聖堂。

建築家 難波和彦のホームページにある青本往来記で、下記の一文を検索すると、当時の状況が少しわかる。
「広島平和祈念聖堂コンペ」の審査委員で、後に聖堂の設計を担当することになる村野籐吾の位置も興味深い。

建築 | Posted by at January 7, 2005 22:19 | Comments (1) | TrackBack (0)

SANAA


LINK:MoCo TOKYO

ホームページがあるなんて知らなかった。
建築同様真似できぬ。
ただのシンプルでもなく。
ただのミニマルでもない。
サナーという言葉が生まれても。
僕は疑わない。

建築 | Posted by at January 6, 2005 1:52 | Comments (2) | TrackBack (0)

大阪に建つ二つの教会

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二つのとあるのは、同じ日に行ったから。三年前に行ったときの写真。ひょんな会話で、三ヶ月ミサに通うと光の教会で結婚式を挙げれるようになる。という話を聞く。地元の人のための教会となっているようだ。増築されたことで安藤さんらしい戦う構成がなくなってしまった感はあるが、愛着は変わらない。建築的な構成という話で光の教会の話を始めると、残念な気持ちになるが、愛着が増して、要求プログラムが増したことは、ほほえましい事実である。その事実を目の前にして、モダニズム建築の冗長性がないというのは、短絡的な感情に過ぎないが、それに答える形で存在する40代の建築家のスタンスもどこか利用者に近すぎる感じもする。もっと違うかっこのつけかたもあると思う。このつじつまの合わない妄想は、僕らの同時代性はどんなものなのだろうか。という疑念に始まること。もうひとつの写真は、村野籐吾の宝塚カトリック教会。そういえば、心斎橋そごう無くなったなぁ。

建築 | Posted by at January 3, 2005 3:49 | Comments (4) | TrackBack (0)

モティーフが語る可能性

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伊東豊雄もの(建築)はあんま好みでない。メディアテークを始め、ぼくにはハードさがものたりない。艶めかしくやさしすぎる。案の定、ぽ氏におまえは嫌われるタイプだと言われた。ちょっと、いや結構ショックだったけど。何はともあれ、いつも期待させてくれる伊東さんの言説。今回も燦々とした気分でオープンしたトッズを見た。注目すべくは主に二点。実際のケヤキとのシンクロ感。ガラスのおさまり。目地を消そうとする、ガラスを填めてから、スムージングを掛ける行為。(ガラスのおさまり具合はこちらの方が写真豊富。サイドバーのTod's Building.をクリックすると見れます)。手作り的な思考性がもたらしている彼の目地フェチは、せんだいメディアテークまでさかのぼれる。GAdetail2の論文において五つの原則を発表しているが、そこで「目地を消したい」と言っている。明らかにコルビジェの五原則を意識していて、内容もモダニティというユートピアの進化を、一人の建築家のテーゼによって知らしめられるものになっており、気合い入ってる。そういうモダニストしての一面と、けやきが共存出来る彼の言説に惹かれる。惹かれまくり。全然建築の感想書いてませんが、内装も伊東さんが関与されているだけあって、商業建築にありがちなDiorのような外装と内装という二項対立もしくは、乖離は起きていない。ちなみに、実際見て比較するとすぐわかるが、Diorは表参道にお金かけ過ぎで、銀座がチープすぎる。建築家がどこまで関与できて、影響を及ぼしているかはわからないが、トッズはバランスがとれている。また、商品が通りまで出てきているのでどこかイタリアの街角らしさを感じる。自然に人も群がる。セリエのフィオレンティーナのオーナーでもあるが、セリエAに上がった時点で中田を獲得したタイミングと表参道に構える戦略なんて分かりやすすぎるが、なんだか愛らしい。で、建築の評価まだしてない。今後どのようにこの建築が残るのかが面白いところだと思っている。商業建築の場合その華やかさの裏に、予期せぬ事態に回収されるという、シニカルな側面を持つ。トッズが、日本でうまくいかなくなったり、プログラムの要求上、手放すなんてことも考えられる。そう言った時に、この建築がどこへ向かうのかが、楽しみ。実際のけやきは、表参道を象徴するような存在になっているが、けやきのモティーフを持つことで建築がどこまで社会に開かれていくか。楽しい建築を体現する象徴となれるか。注目すべき二点なんて書いているが、写真で十分わかりますね。

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後で気づいたが、もっと振って撮ったらケヤキで覆われている感じがわかる。店内に投影されているプレゼンテーションもおもしろい。
LINK:architettura/TOYO ITO. TOD'S Omotesando Building
(ケヤキで覆われている感じがよくわかる写真がある)

再構築目まぐるしい表参道情報としては、安藤忠雄のhhstayleがまもなく出来上がりそうです。あと、キャットストリートへ入るところ(アールジーンのショップの前)にデッキみたいなの。なんだありゃ?まったくデザインしていない。聞くところによると学生が企画したとか。姿勢は評価できても、出来た「もの」としての評価も同時に立ち現れる事実を黙認している。

個人的な回想
けやきが、ショッピングと建築をつなぐポピュラリティ(大衆性)を獲得したということを、shinya:鉄板エントリーのコメントで口走ったついでに、トッズの敷地から近いところで、三年の時、僕もひとつの回答を出しているので、当時の思考をモティーフというキーワードで、けやきとシンクロさせてみようかと思う。当時のコンセプトは、こうだ「木のように見える構造があればいい」。単純に、僕の中にあった上位主義の建築がショッピングを扱うときのトラウマになっていた。従って、予期せぬ事態に回収されても残る部分を具体的なもので作ろうとした。建築が変わらないということを、シンボリックに見える構造で表現したのだ。空間構成は、目的空間がショーウィンドウと呼ぶ外からも見える部屋。(フェラーリの専売店を計画したのだが、ブランドと一般的に呼ばれているものであれば、なんでもよくて2500平米の敷地に、車のデリーブによって予期せぬように見える残余空間が作れるのではないかともくろんで、車を選択した。)それ以外のプログラム(車を搬入する動線 カフェ バックヤード 機械室など)は、一辺50m(敷地外周100m)の正六面体の中に立つ木のような構造と目的空間以外に充填されていく。多くはその足下で解決した。その足下の空間イメージは、ショッピングとは関係を切れる無目的な都市の庭とショッピング行為が共存する空間を想像していた。トッズも敷地全周100m。決定的に違うのが、L字の敷地ということ。氏も述べているが、敷地がここまでタイトでなければチューブが発生したということをPLOTで言っている。建築が建つという構造が、彼の建築にはあるので、真正面から立ち向かえば、比較することもばかばかしいけれど、今回は、建築が何をプレゼンス出来るのかということだけについて考えたい。僕の提案は、構造さえ残れば、機能が回収されても構わんと言うスタンスがコンセプト。(はじめは、ショッピングを楽しむ人、街を楽しむ人どちらも引き込める空間をつくりたいというところから始めた)空閑地になったとしても、足下に魅力的な空間が残ることによって、木のような構造の強度を説明しようとした。伊東豊雄が「20世紀を通じて、幾何学を頼りにしながら抽象的な建築を作ってきた。でも、それを今考えてみると、避けられない構造や施工の問題があって、単純化するとか、幾何学に一度置き換えて解析をしてきた。今や複雑な物を難解なまま解けてしまう。」というように技術に裏付けられたアルゴリズムが、わかりやすい形態に置き換えられ、そこの場所におけるシンボル(けやき)とリンクする。ただ、僕の場合は、木々が四季折々に風貌を変えることによって存在を示すことをイメージの始まりにしているので、目立たない(トッズは、表面がケヤキ。)もしくは意識されないが、残ってしまうようなシンボル性をもつ構造体にしたいというところが違った。と言いたい。

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なんだか変わらないじゃないという感じがするが、一人の建築家の思考を、自らの創作を通して理解していく。一人の建築家の思考の変遷を知る事は、建築を知るためのひとつの手段と思える。

建築, portfolio | Posted by at December 29, 2004 4:41 | TrackBack (0)

映り込むWAIST DOWN@PRADA

Architectural Design×Curation and Exhibition Design
Herzog & de Meuron×AMO/OMA
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中止になったNYのAstor Hotelにおけるコラボレーションと今回はテンション(意味)が違うものの、国際巡回展という名目が実現したプラダ青山におけるテンポラリー空間。このコラボレーションも、エキサイトな気分になれた。akuエントリーが、正面からの写真(模型)だったので、鏡面に映り込んだ腰下をエントリー。繁忙期にも関わらず陳列している商品を大幅に減らしてまで展示する姿勢はすばらしいです。展示と商品を分けていない点。展示を見たい人とショッピングを楽しみたい人を含めた動線。同じような類をメゾンエルメスやルイヴィトンに見ることが出来ますが、プラダが一歩リードか。また、写真にあるような大物の展示空間はあまり人がおらず堪能できます。エレベーターの中も要チェック。
ちなみに、エピセンターはNYソーホーの一号店に続いて、二号店のロサンジェルス 三号店のサンフランシスコ 以上OMA。四号店の青山 H&deMとなっている。エピセンターというコンセプトは、単なるショッピング空間を超えて、公共性と文化活動の融合をめざした場所。本来的には震源地という意味を持っており、従来とは異なる顧客との関係を築く実験の場として捉えた店鋪。ミウッチャプラダが、ハーバードでレムが建築家という立場からショッピングの研究をしていることを知り、誘ったという話は有名ですが、プラダは、経営状況やショップの飽和感という危機感から、デザイナーから大企業への転換期を、エピセンターという判然なコンセプトで、建築や空間を含めた具体的なアイデアを都市に提示した。青山は、エピ?エゴ?という感がありましたが、この展示を見る限り、今のところ成功していると言えるのではないでしょうか。リーフレットにある「エピセンターらしい多元的な現代空間」というくだりも納得。
以下「いつもかみ合わない漫才みたいな会話」より。六階における展示の話題と結論。「テクストの位置が背面にあり、味見しながら見れない」「腰下が林立しているように見えることが優先された」という腑に落ちないニラミ合いをしながら下まで階段で降りる。地下一階のダンスするスカートは、うっかり下から覗きこんでしまいます。

補足
新建築一月号を見ると、六階の展示はスカートの森をイメージしたという事です。鏡面に空間と人と東京の風景を写しこむことを意図したと書いてあるので昼間の方が、陽の光とその反射がおりなすフレア感に包まれた空間の中で楽しめそうだ。展示は1月16日まで。

建築 | Posted by at December 28, 2004 1:32 | Comments (2) | TrackBack (2)

楽しいアイデアは人と共有できることで本当になる

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今日は、初めて(一年生の後期の課題)ティーチングアシスタントを体験しました。新しい体験をする時は、新しい発見を期待するものだけど、愚痴も聞けたし、笑い飛ばすくらいの余裕もあり、まだまだ大人げないところを露呈するくらいの交感はありました(笑)。彼らの具体的なアイデアを交えて、話をするので、初めて会った感じがしないくらい踏み込んだ話ができた。自分の考えたことが魅力的に見える。それが人と共有できる喜び。それが飛躍する瞬間。アイデアが持つ限界。それを超えるための緊張感。突き進むための執念。自分の思考が搾取(さくしゅ)される不快感。それらがめまぐるしく展開していくスピードが楽しかった。疲れるんだけどねそういうのは(笑)。結構カチンとくることもあったけど、もやもやが解消されるまで、時間の限り会話した熱意が伝わっていれば、それで十分。僕が正しい事を言っている訳ではないし。それを批判できる鋭い感性を持つことが大切。ただ、自分が間違っていることに気づくことが一番難しい。自分に素直になる開放感を発見する時の快感を味わうことができれば、きっと次の展開がどんどん現れる。時には、道筋立っていない事も許容しなければいけない。無数の解答がありえる中で、何をたよりに自分のアイデアをシンプルに整理し、多くの可能性が示唆(しさ)できるものになるか。僕の中でのシンプルというのは、多くの場合、人とアイデアを共有するためのシンボルのようなもので、迷ったときに戻れるような芯の強さを持てる思考。可能性というのは、人が飛躍させてくれる事が多く、自分の計算外であることが多い。コミュニケーションの中でもその立ち位置を確認できる。言葉で整理できなくても、自信に満ちた判然で具体的なアイデアがある空間。それは、今日のような即興性の空間でも生み出すことが出来る。そういう体験を積み重ねていく。きっと、それが自然に演じきれるような心地よさが忘れられなくなる。デザインにはそんな可能性が開かれている。今日は、僕の指摘をふまえて、文書を書いてもらいました。肩に力が入りすぎた、ある意味で完成され過ぎたもの。従順な気持ちが僕の健全な悪意によって汚されてしまった人(笑)。ただ否定的な態度をとることが正しいと勘違いしている人。などね。出来るだけ、アイデアを批判するために、よりよい具体的なアイデアによって、問題点をクリアーにしていくことを心がけました。無垢な感性がそれに引っ張られてしまうかもしれないが、きっと、プライドを持って僕の悪意を超える努力をしてくれると思っています。

以下、個人へのコメント。
4263 君も感じていると思うけれど強制力のあるシチュエーションはそぐわない場所だと思います。すでに美しい場所だから、そこに手を加えることの重みを意識しながら、妄想すべき光景は、きっと風景を切り取る瞬間に至るストーリー。または、それをじっと見ることが出来る心地よい場。そこにふたりで手をつないでいけるような健全な雰囲気。
4265 いいアイデアをもっているので、その理想に近づける一方、だれもがいいねと思えるような風景をひとつ想定してください。雑然とした住宅街に、どきっと立つような違和感かな。
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くさいものにふたをするような見た目は、みればわかってしまいます。
4269 じぶんの中で細切れの良い小さなストーリーがあるので、それらが、はまるシンプルな全体があると、人に良さが伝わると思います。個人的には、橋の上と下をつなぐ「光の柱」というのがいいかと思います。
4271 自分の世界を信じて、迷いを振り切るスピードで一度やりきってください。迷いも必要だけど、それを超える勢いも同時に必要です。内側から外を見るストーりーがあるので、海にせまる山の頂にたつ、外からそれを見る事も同じくらい考えてください。
4273 機能があるのではなく、魅せる空間が先にあるという考えは、僕の感性に一番近い感じがして楽しかったです。コンテナが、積み重なったり、つながったりするわかりやすいルールがあればいいと思うので、周辺にある程度、具体的なシチュエーションがあって、そこから派生するようなイメージ。でもいいし、ものすごい巨大な中のひとつとして考えるのも楽しいと思います。後者で行くならば、プレゼンテーションにその巨大な中に埋もれている感じがわかる、猟奇的な絵があると相当楽しいと僕は、妄想しています。
4275 自分の世界観を持って突き進むパワーを、人を誘惑するような具体的なアイデアに還元することを、否定的に見るあなたが、思考を大きく分断しています。僕が言ったようなアイデア以外で当然やってほしいし、自分の中で考える時はいいかもしれませんが、それをあなたが身体で理解していない「建築のような言葉」で説明することも、自然でない気がします。四つの場面があって、それらが繋がったり、切れたりする、複雑さが、シンプルなアイデアで繋がっていることを徹底して進めてください。あなたが言うようなのんびり出来るというのは4m×6m×9mの「小ささ」を四つに切った中で、埼玉新都心のけやきひろばで確保できるとは僕は思えません。それを鮮やかに、一蹴できるものを期待しています。
4277 音が響くための技術的な裏付けが可能ならば、良いかもしれませんが、もやもやしたまま、それを口実にこういうかたちになりましたと。言うのは、自分に対して無責任だと思います。また、空間を展開するイメージが一方通行にならないように、つないだり切ったり、試行錯誤する痕跡がまったく見えなかったので、そういう事も試してみるといいと思います。
4279 言葉に頼っているところが見られるので、具体的なアイデアを詰めてから説明できるといいと思います。携帯があるのに、あんなにたくさんの電話ボックスが必要なのかと思ってしまうということは、そこまで良い空間になっていないという事です。ハチ公前に、建つシュールさと、同時に存在する中の空間のイメージをもっと詰めてください。
4281 よい場所を見つけたので、既存の階段とどう繋がっているのかを模型でわかるようにし、現在のネガティブな場所のイメージが、反転するくらいの自分が良いとする鮮やかな風景を表現すればいいと思います。
4283 僕は見てないのでわからないですが、大西さんのアドバイス通りと思います。
4285 もっと使い込んでいけるようなイメージが沸くようにした方がいいと思います。
4287 内側から外を見るイメージがあるようなので、高層ビルの上にたったとき、外からどういう風に見える存在なのかとかも考えるといいと思います。
4289 川に浮くというのはシチュエーションがいいので、そこであり得る可能性(あながた言う、陽の光がつくる川面の輝き)を増幅するような空間を作っていけばいいと思います。
4291 木漏れ日のような空間を、実際の木でつくることでは、「手を加える必要がない。」と自分で言っているようなものなので、シンプルな箱に入ると、まるで木の下にいるような空間を作ればいいと思います。強風がそよ風になり、雨がしのげ、強い光を遮断する空間が、殺風景と言う住宅地の(待ち合わせなどに使われるような)シンボルとなるような場所を目指してください。
4293 同じ面積で、全く違う空間を体験できるアイデアは非常によいと思います。それが、ただのアトラクションとしてではなく、いろいろなシチュエーションで使えるなんて話が続くとさらに可能性が広がると思います。
4295 人工的なものを否定してしまうと、「人が手を加える事を否定する」シニカルな側面があることを知ってほしかった。だから、自然と共存できるような美しい人工物を想定することを目指してください。
4297 僕が言ったような人が居られるような使いこなせる部分と、あなたの世界観を色濃く投影した、他を受け入れないような純粋な空間があの小さな空間に共存するほうが、きっと多くの人の共感を生むことになると思います。
4299 僕が見ていないのでわからないですが、メールを見ると、難しいこと。自分の知らない世界に挑戦するところが感じられるので、大西さんの言葉を参考に、複雑に入り組んだイメージが、誰でもわかるシンプルなアイデアで繋がっていることを目指していけばいいと思います。
4303 シチュエーションは、本当にありえそうだし、よいと思います。あの大きさの中で二つの対照的な場所をもうけて、本を読む場所を使う人が選択できるイメージをもって、自分が納得できるかたちにして下さい。空間をつなぐあの狭い場所がポイントだと思うのですが、今のままでは住宅と住宅の余ってしまった隙間みたいで、心地よい気がしません。あの幅。小ささでも人を楽しい気持ちにさせることは可能だと思います。
4305 かなりもやもやしているようでしたが、人工物が、すでに美しい自然とどう融合できるのかを具体的に示すことが、あなたの使命だと思います。雪の上なかにある話ばかりでしたが、同じかたちで四季を通じて存在可能なものを考えるといいと思います。
4307 すでに魅力的な清流に、存在可能なものを考えると同時に、中に入った時に、川がもつ魅力の一つである音が反響することで、普段感じられない体験が増幅されるのは、いいと思いますが、自分の溢れる創意を作り込むことで解決するのではなく、わかりやすくする必要があると思います。造形的な表現でも可能かもしれませんが、ぼくが言うような四角い箱で、その川の魅力を増幅させる意図を解決することも可能だと思います。

建築 | Posted by at December 23, 2004 7:11 | Comments (2) | TrackBack (0)

ビッグネスが生んだ建築

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今日は、私の師である高宮先生が、MoMAのレクチャをされました。実際に見ていないので、あれこれ言いたくないんですが、建築を取り囲む話題がとても豊富な建築なので、感じたことを整理するのもいいかもしれない。ビッグネスが生んだ建築と言ってしまうと当の建築家はあまりうれしい気分になれないだろうか。それと、MoMAが持つクレバーさが、谷口建築事務所がもつ建築に対するスタンスと、非常に近いと思いました。プレゼンテーションは、まずMoMAの歴史から始まります。そこで、まずMoMAのクレバーさを知る。オープン前に実写がメディアに出ないことからもわかるように、全てが戦略をもっている。35年にJJPアウト、グロピウス、コルビジェ、ミース、FLライトに、初館設計のための白羽の矢がたつ。僕が思うにこれは、世に対するポーズだったと思う。結局五人とも辞退する運びになり、五人に比べれば、名の知れていないPhilip L. GoodwinとEdward Durell Stoneが、1939年に設計する。今回も、NYでそれほど知られていない、谷口が選ばれたんだと納得させられる。あと、有名な戦略としては、インターナショナルスタイルを、Pジョンソンとヒッチコックが企てたこともその一つ。Pジョンソンはまだ生きているそう(05'1/25に98才で亡くなりました)で、現在もMoMAと関わり合いがあり、今回のアディション(増築を含めた建築の再構築)にも少なからず関係されているというお話でした。谷口事務所が唯一コンペに出し、しかも獲得したという話はあまりにも有名ですが、コンペティションは一つのアイデアで決まってしまい実際建つ建築が良いかは全く別物という、建築に対する想いからの行動であって、今回も辞退するつもりで、ポストへ投函するぎりぎりまで行ったと。これまた納得させられる。(誰が。コンペの辞退を止めたのか? それは、谷口さんがハーバードでお世話になった師だそうです) うますぎる?いや、この仕事をやれば、このくらい言えるでしょう。言いきって欲しいとオーディエンスも思っている。豊富な図面や写真を用いて、charetteから、conceptdesign、designdevelopmentの流れの中で、こだわったNYに建つ美術館ということに聞き入り、それは楽しい時間だった。さいごに、宮本亜門がこけにされたなんてニュースも最近ありましたが、MoMAは、あのNYtimesが絶賛だったようです。それはなぜか?。氏の言葉を借りると、アメリカが持つプラグマティズムと、MoMAの戦略、今、アメリカに新しい建築があまりないという事がそうさせたのではないかと言うことでした。

*写真は、2004年1月時点の写真です。

追記:このエントリーを書くに至った楽屋落ち的な伏線。
今日は、毎度大盛況のtkmyforumでした。会が終わったあと、本音で言えよ!なんて言われ。感性剥き出しだった。感動した(笑)。MoMAのプレゼンテーションを聞いた感想を書く前に、どうでもいいけど面白い話題を羅列。先日の金沢行脚で、20数年ぶりに自分が設計した建築を見て、すごくよかった。と氏が言っておりました。なぜかというと、そのまま使われているとのこと。僕らがあーだこーだ言っている中を、かいくぐって聞いていると、行政が管理している建物だから、当時の川上元美の家具とかも、そのままあるし、いがらしさん(確認がとれたら訂正します。)の白いサインもきれいに残っていると。いっけん、使用が沈殿しているように聞こえるが、おそらくそうではないと思う。丁寧に使い込んでいるという方が、適切だと思う。こりゃ、タイムカプセルだなとか思っている時に、何か言いたそうな顔をしているように見える僕に、本音で言えよ!って言われちゃいましたが。休館日に行き、中に入れてないのもあって、よかったです。なんて言ってしまった。最悪のほめ言葉でしたが、実際よいと思っていたので。細かい見た目の趣味はおいておいて、経年変化好きには、他の視野が吹っ飛ぶくらいよかった。まぁこんなに褒め殺し、してもしかたないんですが、今日は、ずっとほめっぱなしの文章になりそう。いっつも読み返さず一気に書くのでもう先が見えている(笑)。他には、アクセスが多いんだったら、今後のことも考えて、OBからバナー広告代をもらって、レンタルサーバー代運営していけばいいんじゃないか。という話が出ている時、ライブドアの就職試験にblogを作ってアクセス数のカウンタがある程度越えないと、採用されないなんてどっかで聞いたのを思い出しながら、それもあるなと思った。今日の会で二人のOBがプレゼンテーションをしてくれて、どちらもおもしろい事をやろうとしていることが、わかりました。めじろは木造の架構の可能性。みかんは本棚がアフォードする愛着行為と建築エレメントの関係性。そういった意味で良い建築だと思います。完全なる個人的な感想を添えると。めじろのデザインはどこか、わかげのいたりというか。プランやセクションの図形的な収まりがあんまり好きじゃない(笑)。ぱっとしか見てないけど、直感でもっと整理できる気がした。もしくはやりすぎ。みかんのデザインは良いと言いたくない(笑)。それほどかっこよくもないんだけど、あえてモダンに見えないようにしている感じに素直さを感じられないが、筋はとおっているので、代表作がNHK?という感じ。全然認めてないように聞こえる?。帰り道、のんにぴよは、生活が破綻するまで行ってしまうのが危ないよ。なんて、横目で見られ、なにー!と思ったり。僕が一番素直じゃないと言いたいらしい(苦笑)。

建築 | Posted by at December 19, 2004 4:54 | Comments (4) | TrackBack (4)

楽しい建築

ローザンヌEPFL大学習センターコンペ勝ったSANAA
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原広司と大江健三郎の講演会に行けた人が少なかったようですね。社会人には厳しい時間だったが学生はどうだ?。ディスクリートの概念は、新しい社会(建築)を示唆するものになるのか。新建築12月号月評にnks architectsが「(〜)金沢21世紀美術館の建築自体を簡単に真似などできないが、この建物の空間構成のあり方を別の建物に移植することは比較的容易である。適度なバリエーションを持つ個々のパーツがヒエラルキーなく集合し、パーツの隙間に都市空間のような隙間をもつ構成。これは、現代の独立した個人と社会の関係に似ている。(〜)長谷川祐子さんは双方向、参加型、共同型の共創という価値観を示しているが、これは現代のリベラルな民主主義理念にも繋がる。(〜)」というような事を書いている。共振作用がどういう回路で増幅するか。興味深い時機に突入したに違いない。と僕の感性は頷いている。難解な概念をひっさげ、制度的な立場で社会を支配しているというスタンスが建築家なんだーとか。思っていた時期、せじまさんのボキャブラリーには、感心させられることがあった。とにかくわかりやすい。建築の内部に入っていない学生には、むちゃくちゃわかる。それは、市民レベルで共感できることを指す。新建築の1月号において、伊東豊雄が、近代建築のボキャブラリーを洗練させることが目的の建築を作っているだけだと、現在の建築の立場を一蹴している。氏はそこで、楽しい建築を作りたいと言っている。ふむふむ。機能的なものが美しいのは正しいし。社会(ここでは、自治体という制度)を批判することも正しい。建築をつくる目的が間違っていたと。僕はコンペティションをめぐる憂鬱で議論した中に潜む、淀んでいて掴みきれない建築をつくる目的が、楽しい建築につながってくるような気がしている。(あのときの議論は、建築に立ち向かう戦略の中でコンペをどう利用するかという事が内的な中心だった。議論を明確にするためにコンペ的な思考に立ち向かうという、表層を持っていた。) 
建築はわからないけど、すばらしいと思える建築が実際にある。この矛盾を打ち崩し、自分を切り開くために、建築が好きだ。(好きだと思いこませるくらいじゃないと建築はやめた方がいいと思っている。)という前提を抱え込み、私的なきっかけから生まれる具体的なアイデアがあって、前衛的な構造が見え隠れしていないか、既存が持つ上位下位を壊せやしないかという視座を持つスタンスが、自分に素直になる自分にうそをつかない境地の中で、どういう規模で自分が自分以外にコミットできるか。そんなことを思わせてくれる写真だ(笑)

建築 | Posted by at December 17, 2004 6:31 | Comments (6) | TrackBack (0)

デザインする態度

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ギャラリー間が主催した大江健三郎と原広司の講演会を聞いた。ちらしを見ると大江さんの事が書いてないので入稿後に決まったんだろう。来年、大江さんは70才。その機会に前日、海外メディアの取材を受けたそうです。日本の人は誰も祝ってくれていない。なんて笑いをとっていましたが、そこで、五冊。今日的な話題の本を挙げて下さいという話があったそうで、(30カ国語にも訳されている)「集落の教え:彰国社」を推したそうです。それほど、原さんとは親睦が深く、互いに知的な示唆を与える立場だと言うことが会話の中からも滲んでいました。また、メディアに対してdiscreteってわかるか?ということを会話したらしく、同じ発音のdiscreetは、分別のある、慎重、控えめな、目立たない。というように原さんとは正反対の意味を持っているっ。てな話でまた会場に華が咲く。続けて、縦を切った、横に繋がった民主主義の話とか、政治学者の丸山眞男さんが次の展開として全ての個人が自律している必要があるという、それはアナーキーな状態を生むのではないかという議論の展開がある例えを出し、大江さんの意見としてその次の民主主義として東京に、ディスクリートな10の社会があるとそれらの共存関係はどうなるかと聞いたら。原さんがファシズムを認める概念なんだなんて事を言って、大江さんが共感出来ないとか(語弊があるといけないので補足すると、彼曰く長い時間の中の一つの断面としてファシズム的な現象もありえるということを言いたかったらしい、ディスクリートな現象は長いスパンの中で展開しないと意味が無いなんて事を言いたかったようだ)。戦後食べたケチャップは民主主義の味がしたなど楽しい話題が次々と展開する。最後に、原さんがトイレへうろうろしているとき、大江さんが一人でディスクリートの事について話をまとめる方向へ、今年は二つのドアが印象的な年だったということにしようじゃないか。ひとつはお金をたくさん持っている、なんとかドア(livedoor)が、球団を買おうとしたこと。もう一つは、コネクタビリティとセパラビリティが共存しているディスクリートの概念を持って、未来のドアを開けようとしている、あまりお金を持っていない原さん。ね。(従前なる概念のひとつの具体性として、ドアが限度のある多様な連結可能性を開くという話が前にあって)最後にどっと沸く。当然原さんは苦笑。スライドはたくさん用意してあっただろうに、建築の具体的な話はとんとなかった。空間の現象で話す言葉と論理を用意することが自分のライフワークと語る一人の建築家が、概念はオープンソース的なものだということを、なんども言っていて、その概念によって具体的なものとなった建築を語ろうとせず、思考が介在するひとつの概念にすぎないんだということを全体として言っていた気がする。建築を言葉で覆い尽くすスペシャリストなんていないし、言葉のない建築なんてものも存在しない。建築を建てるという行為が、人を動かす概念を示唆出来る美学なんてものがあるんだと強く訴えられた二時間半でした。

建築 | Posted by at December 16, 2004 5:26 | Comments (5) | TrackBack (1)

図書館@金沢

玉川図書館フォトコンテスト参加
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読売新聞によると、たばこ工場を再生した近代史料館[別館]と、[本館]の二つで金沢市立玉川図書館になっている。ともに谷口事務所監修。異種の建築をつなぐ部分というのは、建築を見るときの醍醐味の一つだと思うのだけど、これは見た目もいけている。再生というと、ギブスっぽいビジュアルが目につくんだけど好きな感覚。構造的に連結しているかまでは、分からなかったが、動線は連結しているようだ。実は、月曜日に行ったので中に入れていない。

外装の鉄板の内側は、別館と同じ煉瓦です。
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建築 | Posted by at December 15, 2004 21:21 | TrackBack (0)

窓ふき

京都駅とシアトル中央図書館
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メンテナンスの視点で建築を見ると、たまにおもしろい発見がある。ものとしてのサスティナビリティをまじめに考えると、自分がつくりたい建築を妄想しながら、こんな風景もを浮かべてしまう私。高所が苦手なので見ているだけで十分ですが(笑)

別のアングル
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建築 | Posted by at December 15, 2004 3:11 | TrackBack (1)

都市と住居をつなげてみる

牟礼
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不穏な空。大地に参加する墓。崩れないように積み重なる石。奥へのびる道。浅い家型の家々。粒の細かい土色。車。それらがまとまった三色に見えるボーダーの構図の写真。感性の露出していないblogへの警鐘が届かない昨今。徹底抗戦するか。大川先生が最近、象の富田玲子さんの家に行かれたらしい。なんとM1住まい。藤森邸は、すでにないと聞いていたのでぜひ見てみたい。富田邸を見て、ここまでと言わしめるまで使いこなしている。という話を聞くと、ぽ建築は、M1が持つ構造と比べて、大げさな視座の上に立とうとしていない。建築という技術を世の中で使えるところにあてがっていこう。建築という規模を裁量する中に見いだす感性をあてがっていこう。という、ところなのだろうか。否定的に書いているが、どちらかというと教祖的なシンボル性が気になって書いている。稲垣栄三の朝日新聞に載っているコラムに、座敷の喪失は手作りの創造的な儀礼や祝賀の機会を住居から奪い、住居における祝祭と呼応した高揚が、リズムとなって都市の祝祭的な賑わいに繋がっていたと指摘している。おもしろい。建築と言うまでも住居に対する愛着行為が、住まいの中のヒエラルキーを伴う中で、座敷に物を置かないドメスティックランドスケープをつくりだしていた。そのコラムの始めに、「近頃の平均的な都市住宅は、居間 食堂 台所を中心として、六畳程度の広さをもつ個室がいくつか付属するという形にほぼ定着したかのように見える(〜)ひとまず快適な生活を送る条件が整う。その上で多くの家庭用電化製品、家具そのほかさまざまのモノが配置され、部屋の機能と利便性が一層明快に発揮される。住居におけるモノの氾濫は最近の住居で無視できない傾向であって、生活空間は建築によって与えられるよりモノの種類と配置によって決定されているといっても過言ではあるまい」と書いている。どこかで聞いたことあるフレーズだが、煮え切らないユニオンのコンペ案を見ながら、んー。機能的な欲求から生まれたものを整理することよりも、かつての住居が持つ祝祭性を壊したような、社会の大きな枠組みを変えられる提案が出来ないかと思ってしまう。今、M1のような箱の家をつくっても、モダンなように見えるモノがいいとされている風潮にのってしまうだけで、室内風景は良くならないし、案を見ていると室内風景をつくることが前倒しで、住んでみたいというのとは話が違う。元倉さんのを見ると象徴的にはめているだけ話が違う、コストも高い。愛着があれば→モノが整理されるという単純な図式でもないし。空間を作り込んでいく→愛着を持つというのも、建築の規模を規定してしまう気がする。課題で、創造的な手作りの祝祭性が取り扱える規模の建築を提案したいのかもしれない。都市と住居の空間を繋げて考えるのは楽しい。

建築 | Posted by at December 7, 2004 17:30 | Comments (7) | TrackBack (0)

市民のターミナル@時雨の広坂

「21世紀の出会いー共鳴、ここ・から」@金沢21世紀美術館で感じたこと。いいものを体験する意見を言う。本当に、こころとからだに内在している感性を、二重の身体(原始的な肉体としての身体と情報としての身体)を行き来しながら揺さぶられた。

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円を構成するガラスは意外に単調。プランが可能ならば外部の貫通通路などを通して表情をつくってもよいかと思った。コンペ直後のイメージで、せじまさんが言っていた、自由曲線の方がよかったのかもしれない。鬼石町のプロジェクトはコンペ時とだいぶ変わったが、ガラスの曲げパターンをいくつかつくりコスト的にもクリア可能な曲面を描いている。メインアプローチおぼしきところは、アクティビティーが豊かなライブラリーやカフェが配されていて耐えられるが、裏が丸出しになっているところも少なくなかった。また、見通せる通路のプロポーションで決まったであろう天井も結構高く、その高さでファサードのガラスが構成されおり、遠くから見るとちょっとめざとい。風景が映り込んでいると言うより、内部で多用されているガラスとレイヤーをなしてしまい、くすんでしまっている。抽象的な白は、ひたひたと音を立てるように汚れ始めている。メンテナンスが大変そうだ。インテリアも気になった。今後使い込んでいく中で解決する程度かもしれないが、チケットカウンター周辺はなんだかおちつかない。地下はふつう。いくつかある中庭から眺めるとアートが展示されていないアングルも多く、アートがあってというのが成功しているとも言えるが、建築がもう少し自律できたのかとも思う。中庭もガラスがうるさい。空間に潜む狂気は察することが出来たのか?初めてタイムリーな状態で見たので、正確にはわからない。突き抜ける瞬間を、ブレのニュートン記念館を喚起させる112.5mという円の巨大さが、全てを飲み込んでしまったのだろうか。もっとよくなるんじゃないかと想像をかき立てられる建築だ。

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建築が良いという印象よりも、いい美術館だということを感じられた。休館日も開いていて、有料の区画以外は自由に入れる。金沢も美術館の建つ城下町が栄えており、僕は無料のロッカーに重たい荷物を置いて、トイレや、休憩に美術館に戻っていた。ここが、行動の起点となるようなパターンを自然に演じていた。夜は10時まで開いていて21世紀と、いうだけある。今後、みんなさわっていた無料区画の展示物の破損や、あまり好ましくない方が住み着いてしまう事によって、その魅力を収縮して欲しくない。「広坂芸術街」というタイトルでコンペを行っただけあり、開かれているのはいいのだが、中心の有料エリアの外側に、無料エリアがあって、さらに外側に休日立ち入られないところがあったりと、中に入ると妙に閑散としている感覚がさみしい。休館日も一番外側にあるカフェとライブラリーを開けて欲しい。一方、日曜日の昼間。(僕にとっては)かつて遊園地に家族連れでくるような感覚で市民が集まっていた。体験的な展示が多く、列をなすこともあり、はじめはあまり集中できなかったが、夕方以降は、家族連れが引き楽しめた。休館日に入れることを知らずに急いで見たところもあったので、もう少しゆっくり楽しみたかった。静寂と喧騒。雨天と晴天。夜と昼。建築が持つポリフォニーを街の体験の中で連続的に感じられ、この経験は貴重だった。

GAのプレオープンの写真にミツPコが載ってる。
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*補足1 この時期、日本海側で雨が降ったりやんだりするのは「時雨」と言うそうです。
*補足2 21世紀美術館のHPを見ると、有料ゾーンだけが月曜日休みのようです。他のサービスは10時〜22時まで。
*補足3 建物の高さ4mは、二辺支持で自立できる大きさのガラスと作品の搬入に必要な高さから決まったと建築文化で述べています。

建築, art | Posted by at November 23, 2004 19:00 | Comments (15) | TrackBack (10)

矩形の森

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矩形の森をさまよう。貫通通路が場所のイメージをつくると思いきや始めは結構迷う。ガラスとアクリル間仕切りの取り合い。ガラスと天井の取り合い。

建築 | Posted by at November 23, 2004 18:38 | TrackBack (0)

建築と風景が乳化する瞬間

天候がめまぐるしく変わる中、垣間見えた瞬間。
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風景が映り込むガラスと、雨上がりにタレルウィンドウが写り込んでいた床石。

建築 | Posted by at November 23, 2004 18:22 | Comments (3) | TrackBack (0)

新潟の冬@キョロロ

新潟の冬は、並の雪量でない。

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雪の耐力を考えて、水族館のようにアクリルの開口部にしているというこの建築。コンセプト通り歩いてみた。

建築 | Posted by at November 16, 2004 6:11 | Comments (2) | TrackBack (2)

新しい建築を目指す行為

建築の界隈を紡ぐ瞬間に出会えるかもしれない。そんな期待が金沢にある。美術手帳が、建築を特集すること。象徴している状況の一つに思える。SANAA自身、「広場」というある環境の状態をどうやって空間化するかという事を熱烈に述べている。また、新建築11月の月評に太田浩史が、建築家が実践者であることをやめ、解釈者の位置にとどまるのか。という表現が非常に今ある状況を捉えている気がしている。建築が単体で完結する社会性だけでなく、既存の環境を読み解くことで、デザインという実践(アイデア)によって、社会にひとつの回答をしめす。「都市と関わっていく」時期が来たと。実際、横浜のリサーチを通して僕も実感している。横浜の場合、巨大な空地を持てあましている。今まで、建築家が都市計画を放棄、民間が責任を負い切れず、行政に投げていた。今日、都市スケールの実践を行政が抱えきれず、現代的状況という事実が破綻を立証している。

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今回飯田ユニットで、直接空地に介入し街を創造するプロジェクトから、見過ごされている場所を持ち上げることによって都市を循環させるプログラム、横浜的なソーシャルハウジングの持つ構造を都市に還元するプロジェクト、巨大なスケールを置換して、街の転用をはかるプロジェクトなど、さまざまな都市的な介入がリアリティの温度を持って、実践への足掛けを作ろうとしている。新しい建築を目指す、個人的な発想は、見る物も、実践する側も、使用者も楽しくさせるんだ。

写真:JR新八代駅前モニュメントきらり
設計者:乾久美子建築設計事務所
所在地:熊本県八代市西片町
竣工:2004年

建築 | Posted by at November 16, 2004 4:54 | Comments (3) | TrackBack (0)

サスティナブルが持つ視座

野沢正光さんのトークは相変わらず引き込まれるなぁ。また、来年から戻ってこられるということなので、それだけでなんだか楽しい気分になる。そういう影響力のある人間になりたいものだ。さてさて今回のトークを楽しみにしていた理由として、個人的にこれからの建築を仕掛けていくには、サスティナブルな視点は必要不可欠な要素だと思っているからだ。話題の中で、やや危なかしく出てきていた、客観的な性格を持つ工学的な視点。それを振りかざして、デザインが持つ主観的な発想を阻害してしまいかねないサスティナブルという言葉のイメージ。そんな緊張感の一方、魅力的な個人的な発想なしに工学的なメリットは魅力的に見えてこないということは絶対に言えると信じている。野沢さんが挙げていた、ボンに建つポストタワーにおけるデザイナーの地位が喪失した感覚。少し勘違いを生むのではないかと、はらはらしながら聞いていた。モダンが近代化を貫くことによって、それに対応するような思想や運動が起こった。サスティナブルな建築が目指すところ、インターナショナルに背負える共通のキーワードなんだが、コルビジェのパリボアザン計画が、正しいとも思えるような現在まかり通っている総合設計制度にうんざりする残響感は、否めない。また、モダンに対する反動を手がかりにすることも僕は違うと思う。サスティナブルなデザインは、席巻できるキーワードでありながら、地域的な影響を受けながら、解決する規模や、回答を見いだしていくという、根底に流れている理解があることに可能性を感じている。話を聞いていて思い出した小嶋さんのハノイは、サスティナブルな視点を建築にフィードバックしているというより、どこかモダン的な一刀両断したい感覚の香りがする。スライドにも出てきたヘルツォーク的な研究・開発・設計が一体となって仕事を展開する。その建築が持つヒエラルキーが、建築の界隈を広げようとする推進力になっていると思うのです。

建築 | Posted by at November 13, 2004 21:55 | Comments (1) | TrackBack (0)

コンペティションをめぐる憂鬱

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完敗の結果で八代の夜にうち放された四人は、がべ氏を連行して七時間近く監禁。前回のツアーに比べると違った意味でテンションの高い、内容の拡散した話題がのどを通る焼酎を熱くした。乾さんがどうぶつのようにかわいくステージ上で跳ねている自由さに心奪われつつ、近代建築が取りこぼしてきた、何かをキープしているという言葉でわかるように、伊東氏の戦略的な一撃は、鮮やかすぎて僕には到底理解できない。彼曰く、スタイルではなく、デザインする作法に、近代を越える何かがあるのではと言いたいらしい。建築的な思考の支配がないものを指し、それがあるものと比較して、大切にする必要があると言ってしまった。デザインコンペじゃないでしょ今回は。とまで。まぁ、壇上にも上っていない僕には、なんの権利もない歯がゆさしか残らないが、もさもさしたビジュアルの一石も投じない彼らには、僕は何かを裏切られた気がしてならなかった。反骨のバネよりも、支配的な観念から見下ろしたいと、未だに思っている人には、とてつもなくつらい空間だったのは確かだった。(笑) 一転、翌日は、気分を変えて、組み体操をしたり、アイドルのおっかけをしたり、はらまわりのエネルギー消費のためにランニングしたり、それなりに満喫。集合住宅は視線くらい抜けている方がよさそうだ。しもんの作品と対峙してある工事中のユートピアが語りかけてきた。

LINK:砥用町林業総合センター

建築 | Posted by at October 26, 2004 16:05 | Comments (14) | TrackBack (1)

扇動者のつもり

熊本県いぐさ・い製品の流通状況によると、いぐさ生産農家が出荷する75%は自ら畳表の加工をしているようだ。原草販売は、残りの25%。さ○もとくんが気にしていた、県外移出は、25%中のたった13%。付加価値販売が主流なのは、想像がつく。あさみは、子供の名前をいぐさにするらしい。て○か夫妻のぶな、みたいな感じか。建築家は、こうじゃなきゃねみたいな話をがちゃがちゃ昨日していて、結構気分がよかった。ネタの中心は、コンペの下のパースがわかりにくという指摘を受けて、無理矢理納得してもらうプレーに走ったのだけど、見る目があるなと感心。続けて建築はなんで、はこものって言われるんだとう話にうつり、どっかでスティックしたものを思いだした。[建築ってどうして四角いのばっかりなんでしょうね,という質問があり。隙間なく空間を充填することが可能な立体のうち,いちばん簡単なのが直方体だから,とまず答え,なぜそれが「簡単」なのかと言えば,人間というか脊椎動物のシンメトリーな身体にとって,前後左右上下ってのは根源的な六方向であって,それぞれに面が対応する直方体はとても自然に認知できる形だからじゃないか。]あと、テンセグリックとテンセグリティの違い(ちなみにどっちかが自立的で他方が他律的。自碇という言葉があることを知る)。ワークショップって怪しいとか。建築家は政治を背負う位の方が楽しいとか。無茶な話で盛り上がる。何が正しいと整理するより、ぶつけて分解して、反応を楽しむ行為が、楽しい。

コミュニケーション力 斎藤孝著より
すべてのトラブルは、具体的なアイデアによってのみ乗り越えることができる。
アイデアを批判するには、よりよいアイデアというのが本筋。

建築, 日記 | Posted by at October 22, 2004 14:36 | TrackBack (0)

街の幕引き

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昨日まで営業していたお店が突然店を閉めている事実を目のまえにして 街が消えるストーリーを考えることは長い時間の中でリアリティのある事だと感じた。 アーケードはお店が並んでいることを前提に備えつけられたもので雨をよけて買い物をできるというメリットしかない。護岸のような土木的思考の構築物だ それ自体に関与する余地はない。商店自体は街に点在していて、目について空きを抱えたアーケード街にとって、維持することを考えると足かせにすら見える。群れになっていることで、にぎわうという幻想は、もはやはがされている。沈殿してしまっている街の気質を、サーキュレーションする発想が求められている。建築が本来的に備えているストラテジーと、アートが持つ事件性の間で切り口を探す。写真はおおまえがさ○もとくんに頼まれた写真をとりに走り回っていた場所。

遺構, 建築 | Posted by at October 13, 2004 20:44 | TrackBack (0)

DERIVEに魅せられる

テトラポットの展開図。釜山ビエンナーレの中村政人さんの展示を手伝った時、スタディとして提出したドローイングに手を加えた物。
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コンピュータのシュミレーションのように詳細かつ正確に検討される軌跡。僕も好きな恣意性の排除された空間。物事を記述する手法のひとつとしてあるDERIVE(軌跡)の始まりは、モダニズム全盛時に、シチュアシオニスト・インターナショナルに代表されるような女学生が動いた軌跡やドゥボールの裸の都市のような、歩行者の感情の起伏やストリートの特徴のディテールの集積など、合理主義の取りこぼしの復権、ケヴィンリンチの都市のイメージにも通じる主観的な都市像を客観化した手法だ。その魅力的なドローイングたちが、今にいたるまで派生物を生んでいる。中村さんとも、今回の釜山での展示とは文脈が違うが、これはこれで美しいよねという会話をしていて。僕的な小さなきづき(回想)でした。

建築, 趣味, art, portfolio | Posted by at October 3, 2004 23:58 | Comments (3) | TrackBack (0)

上野毛の家

デザインワークショップ。一週間かんづめで住宅の設計をやりました。

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適切な空間という不的確さを貫く強い形式を欲した。
アクティビティのイメージが主張することへの不満。など批判的なことがもりもり。
ただ、共有できるよい風景(イメージ)を発見出来なかったので、そこまでやりきれていない。
あるアイデアに向かって、詰め切ると次の展開が、続き間のようにでてくる感覚にスタディの徹底という事を学んだ。

建築, portfolio | Posted by at September 13, 2004 21:50 | Comments (2) | TrackBack (0)

梅林の家のじつはのところ

そもそも建築家がなにをもって建築家なのかは決まっていない。
ちょっといじわるに一般化してしまえば、
都市への事も、都市でのこと、現代的なテーマ、どれもを素通りして、
ただ、室と室がどうくっついているかといういう話に始まりそれに終わっている。
確かに、新しい。確かに生活が想像できる。
悪質な言い方をすれば、せじまさんはセンスの極みの頂点。とぎすますタイプの建築家。ただ、女性だからだろうか(笑)とぎすましすぎない。様なふりをしているのか、本能なのか。
まぁ、そこは、自明的なところで、議論にはならない。
話のついでに、建築家が建築家としてやる仕事ではないと50年代後半の時点で、言っている磯崎なんかは、やはりきれきれだ。(「現在の小住宅の設計というのは、せいぜいそれくらいの利用価値としての前衛的な歴史的対象としての前衛的な歴史的使命はすでにおわってしまった。設計の対象として問題にすべきものは、もうほとんど残っていない」)僕もどちらかと言えば、この意見に賛同していて、住宅だけをやっていって、自分の理想や追求は物足りない?!目立ちたがり屋で恥ずかしがり屋だから?困った(笑)
せじまさんが、新建築のインタビュー最後のほうで、スタッドシアターのプランを発見した時にそれを、断面的に使いたいと思ったといっていて。勢い任せに言わされたのかなぁとおもったりしながらも、どこが断面的にいっているのかがちょっとわからない(現時点では)。どっちかというと断片的?

そういえばどっから小住宅っていうの?扱えあるパラメータが極端に少ない建築のことをいうのかなぁ。今日、高宮さんにやりたいことありすぎて、一個でいいんだよ。小さいんだからと言われました。

建築 | Posted by at September 10, 2004 19:33 | TrackBack (0)

ルイヴィトン

毎日新聞の写真を拝借。
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昨日のスマステに村上隆が出ていて、ふつうのおっさんだった。
ルイヴィトンの特集のようで、青木淳もさらっと。スマステ風のプレゼンで出てきた。
NYや並木通りのルイヴィトンを見ると、かつてのような異様さが無くなってきた気がする。
消費の中でデザインすることは、そういうことなのか。
GAを見る限り、設計の話自体は、芸の域だな。
隆が、二年前のパリでやっていたカルティエ財団の展示を思い出した。
このまま新手のジャパニズムというレッテルを引っ張る?のかな。
僕が知ったときは、すでにビックになっていたので、それという愛着はわかない。

建築, art | Posted by at September 5, 2004 10:03 | TrackBack (0)

気に入っている梅林の家

梅林の家について考えたこと。
・ヒエラルキーが住まい手によって移動可能な、選択できる自由さを獲得している。
・小さなということに対して、適切な大きさを鉄板の薄さでつなぐということで、回答している。
ただ、掃除しにくそうな、というイメージからくる枠のようなしつこさ。特にベットが置いてある部屋に対するベットというボリュームが不健康な不適切さを連想する。また、住環境として快適なのか。あつそうさむそう、という点はやはり気になる。冷暖房が全ての部屋についているわけでもないし。
今回の住宅で、一番気に入っているのは、建築を図面で表現する場合の、前衛的な歴史的使命を果たした点。本能的に脱帽ということですね。

建築 | Posted by at August 29, 2004 4:22 | TrackBack (0)

身体のある空間とヴァーチャルな空間のあいだ

この前、二年生後期の課題をネタにして
3人の建築家にインタービューを行った。
はっきり言って、
建築的にどうおもしろいか。という話は無理難題である。
目的は課題集を見る学生たちが、
今後よい空間を共有していく、きっかけを持って欲しいことにつきる。

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現在、つくっている課題集にも書くつもりだけど、
建築を。まぁ何かを作ろうとしたり、訴えたい時、
扱って行くとおもしろそうなパラメータを、
幾つか同時に展開していく勘を効かせなければいけない。
それは始め非常に断片的で、意識的に操作しないといけない。
僕は僕としての興味ある建築がもつ構造のテンションがある。

結果には、自分の操作を越えて、
感情的なことや時代性、暴力性、執着性などが無意識に付いてくる。
後に、その結果が意識化される事もある。
その無意識な反応のみによって、構築していると見失い、
批評される時、他の文脈に回収され、自分の思考が蓄積されていかない。
今回のインタビューでは、学生が課題を操作するきっかけとして、
自分の経験が、よくもわるくも空間に反映されているという話題が共通して出ていた。
代官山に作る集合住宅の部屋の作りが、公団を彷彿させるものだったり、
明らかに美術館に行ったことがないような、作品と人の距離だったり。
鈍い身体感覚が無意識に出てしまっているテンション(=意識的な操作)のない中で、
作品群を大きく二つに大別した。
「自分の周辺」で想像しやすい距離から始めたものと、
「全体の構成」で精魂尽き果たしたもの。
ちなみに、当時僕は後者のタイプだった。(笑)
結果的に出来たモノが、ある一定方向にしか見えない。というのは、非常に貧しいのだが、
この二方向を同時に意識することで、かなり視野が広がる。
前者は、まさに身体の経験からの空間で、
後者は、経験を越えたヴァーチャルからの空間の一つと言える。
身体のある空間は、何となく正しいことを言っている気がする。
では、ヴァーチャルな空間は嘘なのか?
インタビューの中にも出てくるが、
例えば自分より明らかに裕福な人の家を設計するとなると、
そこにある生活を想像しなくてはならない。

すなわち、パラメータを操作するには、ある一定の両端を意識する必要があるようだ。

建築 | Posted by at August 20, 2004 17:23 | Comments (1) | TrackBack (0)

無目的な空間

日田市のコンペを議題にしたゼミの中で、
今村案の小ホールが、無目的な箱として、評価出来るという点で、
まとまりのある説明が出来なかったので、
自分のためにも補足すると、
実際のところどこまで考えて、
”スポーツが出来る小ホール”という、しつらえを用意したかはわかりません。
しかし、従来の劇場という形式を崩す。という姿勢と、
一様な公民館的無目的空間ではなく、
小ホールと言ってしまい、スポーツも出来るという言い方は、よい無目的な空間を目指す表現の一つ(ほんのわずかなきっかけ)だと思いました。
ナスカ案のように、誰にでも魅力的と、たやすく想像ができる、屋上という無目的な空間を作ることもあり。
まぁ、あくまで、僕個人が無目的な空間をどうやったら、魅力的な環境にレイアウト出来るか。と言うことを考えているので、書いてみました。
今のところの、言葉の上での整理では、
無目的な空間の目指すところ、
作る側ではなく、使う人がいかに空間を実践できるか。という、ところに視点があり、
現在のリノベーションブームをきっかけに、
メディアが興味を持ち始めたことを利用して、
外から空間に参画することを売りにした、建築家のたち方を、もっと際だたすことはできないかととも考えられないかなど。
新しく見えることは、建築家の責務だという前提では、
その建築が、否定的に見られるかもしれない。
ただ、やれる余地があると僕は思っている。

劇場建築の割合の目安として、
機能を目的として目的的空間55パーセント
機械室10パーセント
残りの35パーセント。
その余白を、どんだけ魅力だと言っても、獲れそうなコンペの質ではないですがね・・・

建築 | Posted by at May 11, 2004 21:26 | TrackBack (0)

場所という素材性

場所の素材性としての差を二者の間で考えてみる。
国際フォーラムを建てること。と、丸ビルを建てること。
僕は、前者の建築がよいなと最近よく思う。
フォーラムはニカフのドキュメンタリーの時、べったり浸っていたので、僕なりの愛着があるが、それを差し引いても、断然いい。
同じ開発手法が、丸の内を占拠している。
(丸の内に蔓延している総合設計的な周りを空けて、縦に積むという考えは、シンボルな形態で主張したいコルビジェから来ているお話。輝く都市をぶちあげて、アテネ憲章に刷り込む執着心が、インターナショナルに展開していることが実感出来てしまう街でもある。)
敷地の形状と設計者が違う事のみが、価値となっている街であると同時に、丸の内で国際フォーラム的なアクションを展開するには、都合の良いフラットな状況であった事は、想像するだけで快感である。
実際、昼休み時などたくさんの人がお弁当を広げたりするのを見るといいなと思う。

◎をめぐって妄想したこと。

二者の場所の素材性としての差は、
コンテクストを作ろうとしている白金台。
コンテクストの崩壊をうたう大手町。

白金台は、偶然、区の歩道拡張地域にぶつかり、現在前面道路が空白でとまっている。
オープン時に同時に出来上がるタイミング。
かつ、カフェが同じ通り沿いに全く無い。
通りの通称名もこれからつくであろう。(前面道路にぶつかるプラチナ通りとか言うのが有名)
◎が象徴になり得る位置にある。

大手町は、テナントが、出店する時、契約上現状復帰という項目がもりこまれ、
これが、くせもの。
へんてこなガラスサッシがついていて、取っ払って、営業する勇気が皆ないのか、
そろいも揃って、同じ規格のサッシによって、廊下の両側の面が構成されている。
はじめ見たとき笑ってしまった。
三年で取り壊すことが決まっていることもあり、
取っ払うことによって、差異が生まれることを想像することはたやすい。

建築 | Posted by at March 4, 2004 1:52 | TrackBack (0)

新しい建築を目指したい気持ち

個人的な思考性の中で、建築にどう立ち向かっていくのかを個人的な見解で考えた安中シリーズのラスト。

1-direction

・敷地全体に目指す空間の質は「匿名性のルール」を持ったもの。
・行為者という存在が最もヒエラルキーの高い存在であり 「行為という表現」をフラットに受け入れる「匿名性のルール」をもった質を「うれしい環境」と呼ぶ。
・「うれしい環境」は 誰もいない風景(=ルールが発生していない状態)⇔集団がある風景(=特別なルールをもっている状態/イベントなど)という両極を内包できる 質を持つ。両極の内に収まる曖昧な状態を 日常的な風景と呼び。中間的な層 曖昧な状態 とも言い換えられる。その日常的な風景が「匿名性というルール」を持つ。

・曖昧な空間は 屋外から屋内のグラデーションスケールが定まらない状態。
・曖昧な空間は 森の中を歩く時のように 人々に様々な要素を与えてくれる。自然に知性へ刺激をアフォードする質を持つことにより 同じ世界の中で 見え方を変える事が出来る。
・曖昧な空間は 外部空間を離散的な範疇で規定(レイアウト)する事で (グラデーションスケール)フレームを獲得出来る。よって 曖昧な空間の中で よどむこと サーキュレーションすることを 行為者が 連続的に行なっていく中で 複雑な環境の中に 「匿名性のルール」を見つけ 全てのヒエラルキーを対象とする「行為という表現」を選択し 獲得する。
・曖昧な空間は 「もりのがらす(暫定)」 と呼ぶ。(機能名)

・「もりのがらす」 には 今日の建築家が理解し使用するような意味でのプログラムは全く無く 外部に規定された曖昧な空間という質に含まれている「匿名性のルール」の中で 「行為という表現」を受容する。

・唯一の機能として ヒエラルキーの高い表現を展示できる 屋内空間を 高層化によって獲得する。
・高層化される機能は 半屋内という状態の地上から 離れて行けば行くほど より屋内的な空間へ向かうことを意味する。
・いわゆるビルディングタイプの美術館が 開くということに関連して 機能を選定する。これからの新しい美術館のありかたへ向かう。

・曖昧な空間は 予測不可能な 今後へ 解答を連ねる事が出来る。独立壁を立てれば目的空間を獲得できること。

・建築の強さは 規定される外部によって崩れない。

2- suggestion

・「行為という表現」の場
   →高い順位に芸術があり、展示できる機能を持つ。
   →「即興のコミュニティ」の中にあるコミュニケーションを記録保存し、発信する機能を持つ。
   →「もりのがらす」という機能を持たない部分に全ての表現のヒエラルキーを内包できる余地を持たせる。
・「うれしい環境」という読み替え
   →「匿名性のルール」という質をもっている。

3-extra

「匿名性のルール」について

「ミース」
コンクリート造オフィス1922
煉瓦田園住宅1923
コンクリート田園住宅1924
ドイツパビリオン1928-29
ブル丿チューゲンハット邸1928-30
1924年に建築とその時代における関係を次のように指摘している。
「ギリシャ時代の神殿、ローマ時代の会堂、中世の大会堂は私たちにとって個々の建築の作品としてよりも時代全体の創造物として意義深い。これらの建造物の名前を詮索する者があるだろうか。本来こうした建物は非人格的であり、それぞれの時代を純粋に表現したもので、まぎれもなくその時代のシンボルとして意味がある」

「現代芸術」
芸術が一部の飛び抜けた天才のものであると考えられていた時代、芸術の現場が、造り手と受け手を分離していた時代には、特権的なものであった。
例えばゲームのルール。
複数の人間によって受け入れられることなくして成立しない。実際、トランプのゲームをサッカーのゲームも、作者の名前は分からない。これほどの無名性の中にありながら、これだけ多くの人間達がそれをたのしむことが出来る。
匿名であるからこそ、誰もがたのしめるものである。
そこには社会的な公共物といしての著作権が、きちっと倫理をして組み立てられているということ。
社会に開かれた表現 自己から他者に向けて 共振する芸術のありかたを現代芸術は探っている。
もしかしたら 作り手も受けてもない平坦な 複数の人間が参加できる環境が 創造の現場かもしれない。
そのヒエラルキーのない状態をどう言った方法で解消してゆく事が出来るのかが わからない。
そのための模索が必要である。

「ミカングミ」
場はフィジカルな環境だけでも生まれないし
そこを運用するソフトだけでも
そこにいる人たちのキャラクターだけでも場は生まれない。

まじめに対応してくれたshinyaさんに感謝です。

建築, monologue | Posted by at July 6, 2003 9:00 | TrackBack (0)

即興のコミュニティ

1 direction

1-0 即興のコミュニティ

a コミュニティの定義
コミュニティとは自分を含む集団の事を指し
集団の他者と自分との間に同一であると認める事が出来るような特徴があれば 自己のアイデンティティと呼べる。

b ここでのコミュニティ

従来のコミュニティは 地域や家庭というドメスティックなフレームの中で強固に成り立ってきた。
質はともあれ 現在のコミュニティは個人が 想像の共同体(社会)に直接開く距離に至っている。
それは 学校であったり 会社であったり 部活動であったり
従来の物理的距離というのは 今も(IT革命後も) フラットへ向かっている。
そんな中 自己のアイデンティティを 急速的に 時には強制的に 見いだしているはずである。
ここでは それを即興のコミュニティと呼び
具体的には家族から 学校 地域 会社を指し
健全なコミュニティほど積極的に 利用できる→自己のアイデンティティを主張し合える→表現(アクティビティ)ができる場を作ろうと考えている。
014.jpg
1-1a 今回の敷地でどのような風景を想像しているか。

誰もいない風景と集団の風景という
両端を収めるものを考えている。(即興のコミュニティ=両端)

1-1b 両極(即興のコミュニティ)の中間体として、日常的な風景を挙げていく。(ワークショップで提案してもらったり。)

敷地にたくさんの日常的風景を想定して
そのスケールを木でプロットしていく。
(例)
子供がサッカーをするのに楽しいスケール→高速の下
親子がバトミントンをできるスケール→家の前の道路
鬼ごっこするのに適当なスケール→団地

1-1c 即興のコミュニティ(日常的な風景/だれもいない風景/集団の風景)を 木とガラス によって獲得していく。

コンペ時に提案することは
・日常的な風景→規定される屋外(木とスケールとガラス)
・誰もいない風景と集団の風景→曖昧に横断的に利用される屋外と屋内と半屋外。
以上 二項の関係性で建築ができることを提案する。

1-2 テーマ

「もりのがらす」

1-3 キーワード

・土臭いガラス(ガラスの新鮮な使われ方)
・場を行為者によった ヒエラルキーを持つ建築的自由度(建築が受動的へ向かう事への拒否感)
・外部/半屋内/内部の関係性がシステムとして増改築の幅が効きやすいものを求める。(森のような未完景を建築する)
・フラットな社会における 建築のアイデンティティとしてのランドマーク(新しいバナキュリズム)

2 suggestion

屋外を規定する。
余残に半屋外と屋内の群(ムラ)を作っていく。

3 extra

3-1ここでの建築→うれしい環境

a 人にとって
建築は日常的で他愛のない習慣的行動のなかに埋め込まれているとするならば
ここでいう建築 に向けられるアイデンティティ(自己同一性)は
行為者という存在が最もヒエラルキーの高い存在であり アクティビティをフラットに受け入れる建築を うれしい環境と呼ぶ

b 社会にとって
誕生までは 記憶をデザインするという事があって
ここに建設されるものが消える時点で
しこりなく消すことができるシステムが埋め込まれた環境を作る事も含まれる。(アンボンド構法/リサイクル)

3-2 アクティビティ

アクティビティを 行為者のひとつの表現と捉えれば
その表現は 場を探し 場をつくることから始まる。
例えば
行為が行われ 行為に轍が残せるよう 写真を撮りたくなるような風景を建築が提案をし
変容し続けるウツロイの空間を記録して 記憶にとどめてもらえたら
結果的に うれしい環境になる。
行為者にも建築家にも。
015.jpg
3-4 システム

「規定される外部と曖昧な内部の関係」というシステムの提案だが
システムが均質を持つのでなく
システムが 行為という表現 を受容する。

shinyaさんからのコメント
言葉の説明に一つ一つ反応するよりも、後半の部分から、つくられるであろう建築の姿を想像することから始める。
「屋外を規定する。/余残(残余?)に半屋外と屋内の群(ムラ)を作っていく。」とある。つまり、敷地いっぱい、もしくはそれに近い範囲を1つの建築として領域化して、その内側に「屋外を規定する」。敷地外との領域化は、ガラスの壁をたてて行うということだね? 屋外以外の領域には「半屋外と屋内の群」が設定される。「規定される外部と曖昧な内部の関係」ともある。この「半屋外と屋内の群」が「曖昧な内部」であるならば、半屋外と屋内は何によって分けられる? 屋根は掛かっているが、半屋外は外気に触れており、屋内は外気から遮断されているとする。そうすると、その区分けはガラス(もしくは壁)で行われていると考えられる。「屋外」が屋根が掛かっていない外部、「半屋外」が屋根が掛かっている外部、「屋内」が屋根が掛かっている内部であるとすると、結局、それは3つの場所が規定されることとなる。そして、半屋外を介することで、3者が(正確には2者ずつと思うが)曖昧であることになる。とは言っても、その曖昧さがどのような方法で獲得できるのかは考えるべき点。開口部が全面的に開かれることで、外部と内部が一体となる。ガラスが透明であるから、その境界はないものと錯覚される。床や壁の仕上げが、内部と外部で同一となることで一体感を得られる、など。ありきたりの手法はいくらでもあるが、それだけではない方法がないだろうか?(その点、ミースの「バルセロナ・パヴィリオン」は巧妙である。あそこには、屋外と半屋内しかない。故に、規定されていると同時に曖昧であることを獲得している。しかも、ガラスと壁と柱で。)
この関係に、「木」と「ガラス」が加わる。木は屋外にのみ植えられるということ? なぜ木が(必ず)植えられる必要がある? 外部としての記号としての意味? ガラスの存在感(屈折、反射、透明度)を明確にするための対象物として必要? それとも、やはり屋外だけは明確に規定する必要があるということ? そうだとすると、その必要性は?
そしてプログラム。「日常的な風景→規定される屋外」と「誰もいない風景と集団の風景→曖昧に横断的に利用される屋外と屋内と半屋外」とある。繰り返すようだけど、屋外のみが、規定されていると同時に曖昧であるということ? それとも、この2つの外部は異なるもの? 「日常的な風景/誰もいない風景/集団の風景」は並列される3項のものなのか? それとも、「日常的な風景」と「誰もいない風景/集団の風景」は並列しないものなのか? その辺に「外部/半屋内/内部」と同様の不明解さがある。「日常的な風景/誰もいない風景/集団の風景」という3つの風景をつくることには賛成。しかし、それらが「外部/半屋内/内部」に1対1で対応すべきなのか(そうであるならば、それを徹底すること)、それとも、それぞれの3つの項が複雑に対応することで多様な状況をつくり出すべきなのか(個人的にはこちらの方と思う)、そこが重要。おそらく、ガラスは外部を規定するとともに、内部を規定するものとして使わざるを得ない。そうなると、むしろ木についても、その規定を記号化するためのみに使われるべきではないと思う。そして、次に問題となることは、「日常的な風景/誰もいない風景/集団の風景」の具体的なプログラムは?
「行為者という存在が最もヒエラルキーの高い存在であり アクティビティをフラットに受け入れる建築を うれしい環境と呼ぶ」とりあえずは、ここら辺が「うれしい環境」の答? 具体的には、これらをどのように獲得する?

建築, monologue | Posted by at July 3, 2003 9:00 | TrackBack (0)

日常を取り込む美術館を作りたい

新しい美術館(=もりのがらす=うれしい環境)という姿勢で良いんではないか
アクティビティを
行為者の表現であると仮定し
その表現には優れた作品という順位の高いものもある。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「先端芸術宣言!」東京芸大先端芸術表現科 編 岩波書店より
個人的に気になる点を抜粋

今日 表現の実物(作品)を見る行為は
順位が高ければ高いほど 極論 確認作業という次元に向かっている。(人が一つの作品を見るのに20秒とも言われている)
それは さまざなメディアを通して 作品が目に触れるようになり
実際を見るという行為以外にもインターフェイスが広がっていることが指摘できる。
(例えば モナリザを一番始めどこでみましたか?なんて質問をすれば ほとんどの場合きっと答えられない なぜなら さまざまなインターフェイスに触れ 記憶が重なり合ったものが 今 自分の中にあるモナリザであるから)
それゆえ
表現者(アーティスト)は場を作る事から
そしてどのように見られたいのかということから(または どのインターフェイスで見られたいのか?ということから)
表現が始まるという傾向に向かっている。
例えば
廃校の利用や都市の副産物に対する表現であったり
表現のフレームがさらにボーダレスになってきている カタチすらないかもしれない。
つまり 表現の上で 作り手と受け手の中でどのようなコミュニケーションを想定しているかという原点回帰が焦点となり
内向的な閉じたコミュニケーションではなく 美術が開かれた回路の上に生成されるものへ向かっている。
言うなれば
美術館という制度によって保護されなくても成立する美術を作り出す事である。
しかし 美術館から離れると言うことは 制度を失う事になり 同時に文脈を失う事になる。
それはそれほど簡単な事ではなく じりじりとハードと寄り合っていく方向を探らなくてはならない。
そして 現在の美術館を開こうとするとなかなか難しい。
それは根本的に近代の経済理論がアートという価値を飲み込んでいるからだ。
美術館の敷居は低くなりつつある一方で、公共の美術館ですら採算性を問われるようになり
美術館は価値の保存という機能から 価値の保証のための場所へと変わっている。
そんな中 質はともあれ
キュレータ中心の展示企画
アーティストを巻き込んだトーク
普段美術館へ足を運ばない人を呼び込むためのワークショップなどが
美術館で行われるようにはなった。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

これからの美術館はどう言ったビルディングタイプへ向かうのだろうか。
さきに 述べたように全く新しいという存在は定義できない。
優れている作品を展示することも必要であろうし
表現が開くと言う事と同時に 受け手とのコミュニケーションの場として機能する事も求められる。

ここで提案する事は そのコミュニケーションという一連の流れを 記録保存する場所。(なのかも知れない。)?

shinyaさんよりコメント
「『新しい美術館』(=もりのがらす=うれしい環境)という姿勢で良いんではないか」もちろん、よいと思う。アートに対する提案が要求されているコンペなのだから、それを外すわけにはいかない。それ以後の美術(館)をめぐる話。「表現のフレームがさらにボーダレスにな」ることから、美術館が「価値の保証のための場所へと変わ」る話は、よく言われていること。「コミュニケーションという一連の流れを 記録保存する場所」という提案。具体的には?

建築, monologue | Posted by at July 3, 2003 9:00 | TrackBack (0)

がんばって建築に近づこうとしている

多様な切り口については
建築の社会における立場で考えれば
建築は日常的で他愛のない習慣的行動のなかに埋め込まれているとするならば
結果的にいくらも切り口が見つかる。
思考の切り口は一つで良いかと。
切り口とは集約される方向ではなく
スタートに過ぎないとして。

話をすこし遠回りさせる。
今回の敷地でどのようなシーンを想像しているか。
固定的な機能が無いに等しいので
誰もいない風景と集団の風景という
両極を収めるものを考えている。

敷地にたくさんの日常的風景を想定して
そのスケールを木でプロットしていく。

日常的な風景を挙げていく。(ワークショップで提案してもらったり。)
子供がサッカーをするのに楽しいスケール→高速の下
親子がバトミントンをできるスケール→家の前の道路
鬼ごっこするのに適当なスケール→団地
などたくさん。

日常的な風景を 木と建築 によって獲得していく。

コンペ時に提案することは
・日常的な風景という屋外(木とスケールとガラス)と
・誰もいない風景 と集団(イベント時)の風景が 可能な 屋内と半屋外。
以上の関係性で建築ができることを提案する。

切り口として
「もりのがらす」

さいごに うれしい環境について
出来上がるまでは 記憶をデザインするという事があって
うれしい環境とは ここに建設されるものが
消える時に しこりなく 消すことができるシステムが埋め込まれた環境を作る事。

今 考えている設計の手順 は
先に外部空間をデザインして
余残に半屋外と屋内の群(ムラ)を作っていく
イベントが無い時は (ガラスの)森の中を歩く (ガラスの)森を抜けたところの広場で遊んだりできる。ガラスの塔に登ってランドスケープを眺める事が出来る。
一人で占有できる うれしい環境を目指す。

イベント時は 屋外 屋内 半屋外 を横断しながら行なう。

アクティビティを 行為者のひとつの表現と捉えれば
その表現は 場を探し 場をつくることから始まり
行為が行われ 行為に轍が残せるよう 写真を撮りたくなるような風景を建築が提案をし 変容し続けるウツロイの空間を記録して 記憶にとどめてもらえたら
ものすごくうれしい環境になる。 行為者にも建築家としても。

「もりのがらす」
木が生える事によって すでにコンテクストがそこに含まれたような錯覚に陥る。
木があっての建築でも
ガラスがあっての建築でもない
積極的な建築が行為者に場を選択へ向かわせる。

キーワード
・土臭いガラス(ガラスの新鮮な使われ方)
・場を行為者によるヒエラキーを持つ建築的自由度(建築が受動的へ向かう事への拒否感)
・外部/半屋内/内部の関係性がシステムとして増改築の幅が効きやすいものを求める。(森のような未完景を建築する)
・ボーダレスな社会の中でのアイデンティティとしてのランドマーク(新しいバナキュリズム)

結果的に「外部と内部の関係」というシステムの提案だが
システムが均質を持つのでなく
システムが 行為という表現 を受容する。

建築, monologue | Posted by at July 2, 2003 9:00 | TrackBack (0)

「極を抱えれば」と思っている

やはり 今回建築行為(=うれしい環境行為)を行なうことによって
なぜ ユニテを見て建築がいいと思ったのか と言ったところのつまりを
すこしづつ クリアーにしていきたいと思っている。
バカにされながら貫いた精神
不評だった異質感
よかれとコピーされる形態
今でも使われている存在感
この両極端の評価というものが収まりきる建築って?

>「家のところにしか 木が立っていない。」これは完全に誤解していました。そうだとすると、ここではインテリアの表現が重要であったはず。これを「うれしい環境」の1つのスタディと考えた場合、建物の中に取り込まれている樹木が歪んで見えることにどのような意味を持たせているのかが気になる。むしろ、素直に周囲の風景が歪んで見える装置という方がわかりやすい。平面が複雑(ランダム)な割には、断面が単純。そのヒエラルキーも気になる。

まずなぜ 木をたてたのか
木がたっていないと この建築は成立しない。
構造的にもからまず さけるようにプランが構成されている。
木に求めた質は いわゆるたたずまい。
作為的に新しく植えられようとも
もともと生えていようと
どちらに見えても良い。
その木の配置によって 場が構成されていく感覚を 直で表現したかった。

たてもの の中に 見える木と人と家具と影と光の映像が 空間を包むもの全てに写り込みそれが 変容し続けるテクスチャーになる。
周辺は 都市の中でも 山の中でも よかった
でも 僕らのイメージが昇華できる場所は 湖面の上です。
変容し 続けている形態の映像が水に反射し 見る人の印象を揺らがし続けている。

白井晟一の 直方体に円柱を差し込んでるヤツなんだったけなぁ
あれも 水の上にあって。

プランとセクションのヒエラルキーの話は
まず 空間に順位をつけたくなかったので
正方形に円を陥入させるという 縦横という概念が無いもので平面を構成し
家というものは 入り口の位置によって 順位付けがされてしまうと仮定をして
スラブを浮かせ らせん階段にした。 そのらせん階段も もちろん木に絡まっている。
そしてプロポーションで立面の 顔を決め
その結果 セクションが単純になっている。
ようするに この家はプランを決めた時点で設計が終了している。
セクションは無限に高くても 無くてもよかった。

>スケールの話は今の時点ではまだ重要ではないかもしれない。そういう問題があるということを頭に留めておく必要はある。

らじゃ。
ガラスの使われ方で 好きなものが なかなか無くて
自分が 自分でやりたい。

>「空に浮くプログラム」前段と同様。これでは当たり前(葛西のレストハウスか?)。

葛西は間違いなく頭に浮かべながら書いていた(笑)

建築, monologue | Posted by at June 23, 2003 18:00 | Comments (1) | TrackBack (0)

ひろげたい視野

>もう1つ、妹島さんの横浜にある高齢者施設のファサードの考え方。
あれはちゃんと使われているのかなぁ?

>光源氏に関しては、確かにプランが類似しているが
ラカトンバッセルは林の中に建っているけど
光源氏の家(=空白の家と呼んでいる)は 家のところにしか 木が立っていない。
空間を目的としたのでなく
空間を包むものすべてを目的としたところ
包むものを 厚みの不均質な透明なもので構成した結果
表情が一定しない空間と外観が得られた。

>ガラスとガラスの間に、それらを支持するものが必要となる。 それはそうなんだ。
スケールを大きくしたり小さくしたりすることを
意図的にエスキスすることで
視野の範囲を狭めないように努力している。

>ミースのやったことは、
余談です。(笑)

>とにかく、次の要素は?

1 コンクリート スティール ガラス
リサイクルできない最も耐用年数の短いコンクリート。
リサイクルできるスティール。
耐用年数が最も長い リサイクルできるガラス。

ニュータウンはいずれ無くなる。
耐用年数が長く リサイクル可能なものだけで構成したい。
アンボンドの構法を提案するのも良いかも知れない。

2 風景スケールとヒューマンスケール
ガラスに透明性だけを求めるという手法ではなく
ガラスも当然汚れる。
原点復帰しても 汚れたままでも
うれしい環境を成立しているものを目ざす。

→風景のスケールならば汚れは消える。

→ヒューマンのスケールなら汚れの方が目に付く。
 本当は汚れている石や木に もたれ掛かるような感覚の ガラスの質感を追及する。

3 シングルとダブル
ガラスという素材は熱負荷が高く
特に日本のような気候の変化に影響を受けやすい。
その結果

内を構成する時
ガラスそのものという 表現は皆無に近い。
ガラスと木を組み合わせる
ルーバーを付ける
ガラスを二重にして間に空気を入れるなどのように
ガラス単体での表現ではなく
サンドイッチされたり
対になったりする。
→二重のガラスはうるさい。青みががり質感が変容する。
→いわゆる室を構成する部分をどうするか?
→ガラスに陥入するプログラムは熱負荷が最も軽視できるもので構成する。
→(ただ 安中の場合 軽井沢のように 冬季 極寒にはならず
東京のように 夏季 灼熱にはならない。→穏やかな気候をうまく利用したい。)
嘸
外を構成する部分
→一枚で構成する。ヒューマンスケールを無視できる。たちさえすればいい。

一枚に見えるガラスの立面を
風景スケールの質感と ヒューマンスケールの質感の ゾーニングをする

4 ガラスに設けられる空に浮くプログラム
ランドマーク
敷地内にまったく均質に並ぶ機能を規定する空間アドレス性
展望/眺望
気候に左右される展望カフェ/レストラン
階段
すべり台
エレベーター

5 ガラス自体に設けられるプログラム

強い陽射しをカットし 涼をもたらす
イベント時の映像の投影
夜間の照明効果

建築, monologue | Posted by at June 23, 2003 12:00 | Comments (1) | TrackBack (0)

好きかもしれない建築写真

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>これは写真のようにフレーミングされた風景を示したものですね? 実線のガラスと破線のガラスの違いは?

 (人々が見えること)
 山並みが見えること
 ガラスが見えること
 人々と山並みとガラスが重なって見えること
 (人々が強調されること)
 山並みが強調されること
 ガラスが強調されること
 (光の中に人々が引き込まれること)
 光の中に山並みが消えようとすること、立ち現れようとすること
 光の中にガラスが溶融すること

視界の中に広がるイメージ(印象)の中で
フォーカスされる部分(実線)と 
ピントが飛ぶ部分(点線)と
ゆがんで見える部分(複線)が組み合わさり
行為者が活動するたびに 連続的に絵がすりかわり
「うれしい環境」のイメージが限定されない。

この四枚の絵に加え
人々というパラメータを視野に入れると
「うれしい環境」すべてのピントがボケる。

写真家 杉本博史の シーグラムビルやWTCのように

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建築, monologue | Posted by at June 23, 2003 8:00 | Comments (1) | TrackBack (1)

ガラスが好き

ガラスの壁をたてようとしているわけではない。
ガラスをたてようとしている。
いわば日本の伝統的な建築である紙・襖・障子・のれん・格子という
曖昧に区切る素材の質感をガラスに求めている。

ガラスにおける曖昧さ
それは 
時に 傲慢にそそり立つようであったり
時に 透明で見失うくらいピュアであったり
時に 半透明で美しいちらつきをもたらしたり
時に 景色を写り込ませる
ガラスという素材自体の豊かさを示す。

ガラスという素材と戦った ミースという建築家がいる。
彼はスカイスクレイパーで宙(そら)に溶けているような溶融するガラスを用い
その行為がバルセロナパビリオンまで続く。
その後 シンケルを模倣したとまで言われる クラシシズムに行き
ソリッドな壁に戻っていく。
私は
そのどちらの表情とも 同時に獲得する事が 出来る質感を求めている

一年前のサイトから移しているのだけど。今、読むとぞくぞくする(笑)

建築, monologue | Posted by at June 22, 2003 22:00 | Comments (1) | TrackBack (0)

木が突き抜けている家

>参照可能と思えるもの。妹島さんのヤコブセンの展示で製作したアクリルのオブジェ。同じく、妹島さんの「ひたち野リフレ」のガラスルーバーのファサード。原広司さんの「梅田スカイビル」のガラスファサードによる、空中庭園のアイディア。

せじまさんのはヤコブセンの記念展覧会のやつですよね。はらひろしは 調べる価値がありそうですねぇ。

>「厚みの違う一枚に見えるガラス」の指すもの。

ガラスの厚みを不規則にすることによってガラスを通した景色がゆがむことの面白さに光源氏のコンペの時からはまっていて↓
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↑このプランを曽我部さんに見せたらこの↓下の写真のやつに似てるっていわれた訳です(lacaton&vassal/fr)
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展開エレベーション↓
008.jpg
>「厚みが違う」部分を持つ「一枚」の「ガラス」? 
>「厚みが違う」部分を持つが、「一枚」の平滑な面に「見えるガラス」? 
>「厚みが違う」複数枚の「ガラス」であるが、「一枚に見えるガラス」?

木割りとでも言うのでしょうか。一枚のガラスで構成することは不可能な大きさなのでガラスが分節されていく。その分節しているガラスそれぞれが 厚みの違うものによって構成されていて 全体の一枚のガラスとして 表情を豊かにする。その一枚のガラスが 部分で抜けているところもあれば。ボリュームが陥入していたりという話。

建築, monologue, portfolio | Posted by at June 22, 2003 20:00 | Comments (1) | TrackBack (0)

風景のフレーミング

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建築, monologue | Posted by at June 22, 2003 19:55 | Comments (1) | TrackBack (1)

厚みの違うガラス

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厚みの違う一枚に見えるガラス

建築, monologue | Posted by at June 21, 2003 12:30 | Comments (1) | TrackBack (0)

imageの提出

駅をはじめ 住宅 商業施設 公園
そして 今回の計画全てにおいて
どういった場をつくろうかという話には そもそも関わることができない
これらが相互に関連せず無秩序に配置されている風景が
傲慢に出来上がらんばかりの舞台の上で
踊らされるわけには いかない。

この舞台を「いわゆる建築」のコンペティションではないと読み替える。
新しい もの こと を創造しようという機会であり
(都市計画による 建築家による 土木による ランドスケープやら 建築やらの)フレームを越えた
横断的な解釈と提案が 鮮やなインスピレーションを与える。
その解釈と提案を 「うれしい環境」と呼ぼう。

ここにガラスをたてる。

風景を 描こうとしているだけ ではない。
光景を 望もうとしているだけ ではない。
建築を 構築しようとしている のではない。
介入することにより 人々に 大地に 建築に「うれしい環境」を望み
記憶の中をデザインしようとしている。

美しい山並みを望むことが出来る敷地において
人々が見えること
山並みが見えること
ガラスが見えること
人々と山並みとガラスが重なって見えること
人々が強調されること
山並みが強調されること
ガラスが強調されること
光の中に人々が引き込まれること
光の中に山並みが消えようとすること、立ち現れようとすること
光の中にガラスが溶融すること
晴れだろうと 雨だろうと 曇りだろうと 雪の日だろうと その日その日の「やさしい環境」を 描く。

その全てを「やさしい環境」と呼び ガラスをたてることによって獲得する。

すべてが曖昧なバランスの中で
ここ(安中)という そのもの(アイデンティティ)として 人々に美しい印象を与える。

建築, monologue | Posted by at June 21, 2003 12:00 | Comments (3) | TrackBack (0)

first impression

001.jpg
現状
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介入後

遺構, 建築, monologue | Posted by at June 20, 2003 12:00 | Comments (1) | TrackBack (0)

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