不確実なままに

東大総長の祝辞がヤフーのトップニュースにリンクされていたので見てみると、「現代は不確実な時代であり、過去の成功例や常識が必ずしも通用しない時代です。~この21世紀を、私たちは、過去の権威に頼ったり、明治時代のように欧米諸国に頼ったりするのではなく、自ら先導していく必要があります。」などなど。(個人的な事情ですが、最近熱っぽい話題に触れたいがために、明治維新あたりを読んだり、篤姫も見ちゃったりしているのです。宮﨑あおいはかわいいです。)明治という言葉に引っかかっただけなんですが、ともかくこの不確実な時代の中でどのようにデザインしていくのか、非常に興味があるわけです。マスの時代からの移行期間にある不確実な時代を不確実なままやるしかないわけですが予見するかたちや考え方には敏感でありたい。僕の考えとしては、マスが解体され、個しかないというのは、単純すぎる話であって、やはり話題や議論、時代を動かす技術やデザインはこれからも生まれるはずであり、そこに至る仕組み、プロセスが今までとは違うものになっていくということに違いありません。ミニブログやtwitter、SNSなんていうのは、今までになかった個と個のつながりを生み出す仕組みであって、人気が出るというのは現社会の枠組みを反映したものなんだと思います。行政の資料をよんているとICTというキーワードをよく目にするのですが、ITにコミュニケーションのCを挟んだ表現で、インフォメーションテクノロジーはコミュニケーションを生み出す技術という定義が、社会認知されたという事なのかもしれないと最近思いました。

ところで、熱っぽいつながりで昨日鶴川のコンペの審査会を見てきました。審査会場まで足を運ぶのは久しぶりで良い刺激をもらいました。今日の朝、結果がホームページに出ていて、すくなくとも僕の印象とは違う結果となり、審査員の勇気に朝っぱらからすこし心打たれました。1等の案は、民間の理論で作られた30m級のマンションが林立している中で、公共建築にしかできない「低くたてる」とうコンセプトを最後まで貫きたいというのが評価されたのだと思います。まず、目に入ってくる大きい屋根は、マンションによって切れてしまいそうな丘陵地帯の生態を連続させるために、屋根面を緑化し、コミュニティ施設が入るこの大きい屋根の中では生態環境ができるような積極的な緑化も目指す。屋根の下に、図書館があり、地下がホール。ホールのフライタワーがメガストラクチャーになっていて、建築を支え、建築のイメージとなる本棚にもなっていた。そのメガストラクチャーはみんなで使う棚であって、壁を使って展示をするなど、使い方を一緒に考えていきたいと。地下利用が難しいという話が審査中出ていたのですが、そのあたりがどうなるかはよくわからない。
かつてのコンペは、アイデアとプランニングを含めた「かたち」を評価してきた。最近主流になりつつあるプロポーザルは人と考え方を評価するので、「かたち」だけで戦うのではなく、市民や街をまきこむ仕組みをデザインするということが主眼になっている。それは、時に具体的な建築を組み立てる部品であったり、今回のように低くたてるという言葉であったり、建築がわかりやすくなっていく断片が感じられる。すこし感動したというのは、わかりやすくすることは、平均値、つまらなくなることではない。という審査員の意志を結果から感じられ、「かたち」に鋭さを持ったものが選ばれたことにほっとしたわけです。
2等の案の都市環境に訴えかける提案も充分に評価出来ると思います。創造の塔と呼ばれる強い構造体の周りに緑のかごと呼ぶ自由な空間を作っていました。7m位のレベルに持ち上げられた緑のかごを街に開放するため、歩道橋という都市装置を1500人くらい居住している丘へつなぐ。その歩道橋は都で毎年13件程度出ている中古の歩道橋から、ちょうど良い幅のものを買い取ればいいと。審査員が皆うなっていた。(土木工事になるので、通常10何億とか。空前の値段で可能とプレゼンしていた。)当然のように、丘陵の緑をつなぐことも言っていましたが、具体的にアクセスできるようにした。さすが都市を考える人。ただ、一階が閉鎖的だったことがよくなかった。
みんな、プレゼンの前にネタを仕込んでいて、仙田さんは子供を育てた町田に建築をつくりたい。町田に近くにある子供の国は建築家としての初めての仕事だった。としょっぱなから、コンペに勝つためなら、持てる武器を乱れ打つ感じも面白かった。

建築 | at April 13, 2008 19:16