ツイッターやってます

最近はここ→http://twitter.com/niheisimonにいます。

ネットは面白い。心からそう思えたのは、ツイッターが初めてだ。ツイッターの何が面白いのか。オープンかつ、祭り的連帯感の内在につきるだろう。このオープンな雰囲気が、ユーザーが膨大になっても維持出来るのであれば、新しい時代が来たと言って良いだろう。
政治家や役所が紋切り型に透明透明といっているが、やはりすっぽんぽんには出来ないのだ。学校の屋上へ向かう階段室や、放送室のような監視が行き届きにくい居場所が必要なのだ(そこで何をしていたかは今は重要ではないw)。
スケスケな場所から逃れられるスポットを情報技術が演出する「祭り」によって代替できるとは、前々から言われていたが、2ちゃんもmixiもどうも内輪的ノリが強化されるアーキテクチュアで、ギートステイトにでてくる、逃走する老人の気持ちがよく分かるところで留まっていた。
ツイッターは、端末を選ばない(アイフォンにかかわらず、どの携帯からもアクセス出来るアプリやサイト(movatwitter)がある)ので未だの人はやってみても損は無いだろう。まずは、適当にフォローを追加(津田氏曰くまずは100人)して、ツイッター(tweet list)を眺めていると忙しくなることに気づく。脳潜入をくらっているような動揺さえある。本格的に介入してから2ヶ月くらい経過した今、やっと生活スタイルが確立出来てきた。日常に入り込んでくる時点で、大きい存在だ。今日気づいたのだが、電話しながら、メールかきつつ、TLを横目に、手元にメモをとるといったことが意外と出来る!ので、攻殻機動隊とかにあるような情報量多すぎるだろっ!という疑念は晴れつつある。
ということで、ブログは、何かがまとまった時に使うことにする。なのでコメントもトラックバックもいらないかなと思いはじめている。スパムは人力で削除しているし、(今のところは)ツイッター上でコミニケーションした方が、安全で、かつオープンで楽しい横やりに度々遭遇出来る。つまるところ、ブログもコミニケーションに期待しているところがあったが、それは叶わぬものだった。(スパム対策への期待しかなかったので、コメントトラバを閉鎖するならばMTのバージョンアップもしなくて良いだろう。ブログ上にツイッターの表示ができるようにでもするかな。)
そんなツイッターは、グーグルの立場も揺さぶっている。ツイッターの出現で、ただのインフラに留まることでさらに立場強化していくのか、そうではなく飲み込むのか?その点に注目したい。インフラといえば、土木/建築の差異が、グーグル/ツイッターの差異と近い気がしている。(土木と建築の分化はどこから始まっているのか知りたいというつぶやきがあったなそういえば)

blog, 建築 | at Dec 2, 2009

10年代へ向けて

00年代は、島宇宙化がすすむポストモダンの世界である。その世界でネットは、人や人、人や情報をつなぐツール(もしくはそれ以上の結果をもたらす)として期待されていた。しかし、今のところ、弱い関係性をログし、(SNSで、同級生を見つけるといった行為に代表されるように)つなぎとめる程度で留まっている。より小さな島宇宙の増殖と流動化の促進(ブログ→SNS→twitterのような移動)ばかりが強化されてきたと言える。つながりの顕在化どころでなく、ダイナミズムがより見えずらくなっている。従来は批評がその担い手であったが、今や機能していない。従来の仕組みが破綻し、新しい流れが良く分からない過渡期にある。この閉塞感を打破すべく思想地図は企画された。ダイナミズム(イデオロギー)は批評の対象であったが、それが無い。批評するものが無いことを逆手にとり、社会を規定する設計(アーキテクチャ)へ批評をシフトさせ、島宇宙を連結せよ!との宣言。この仮説、大いに賛成である。
この企画に派生するかたちで、情報と建築の設計者の対談があった。濱野氏は僕と一つしか変わらない。同世代が主張する話はぜひ聞きたいと思っていた。2日前に(あずまんらしからぬやさしさにあふれた?)公開質問状もアップされていたことも後押しし、予約していなかったが、行って来た。なんとなく恥じらいのある、お互いに混じり合う一歩手前のような、初々しさが印象的な対談でした。
対談の中身の前に、まず前置きをさせて欲しいのです。「僕ら」と言ってしまってなんだ世代論かと、簡単に回収されてはまずいのですが、なにか今までにない共振が僕の中にはあった。小学1年のときにバブルが崩壊したらしい、ガンダムやエヴァも流行っていたらしい。つまり、世界や文化の桃源郷はことごとく後追いであって、江戸時代もポストモダンも一つのリファレンスでしかないという揺るがしようのない地点が僕の中にある。つまり同時代性の中に潜んでるでいるであろう勃興感や、連帯感を味わったことが無い。建築で言えば、学生になった時点でポストモダンが、脱構築や再解釈から、透明やフラットへ既にシフトした後であり、今だに透明とフラットが最前線のような雰囲気であることも創世を知らぬまま、過渡期だけを浴びるしかなかったと言える。しかし、つまらない世代間論争で終わらないためにも、僕らの弱い身体性を暖かく見守ってくれなんて言いません。
大胆な仮説を打ちたて、ダイナミズムを描き出そうぜ!というのが10年代のテーマだと思っている。この無根拠の主張はどこから? はったりの可能性もある。しかし、同時代性の中にある勃興を知らないことを良いことに何事にもオプティミスティックな態度でいられること、すなわち、今までの理想をトレースするという無意識的なしがらみが無いという空気が、対談の中で確認できたのは収穫だった。(赤の女王とお茶を|日本は21世紀、とんでもなく重要な役割を担いうるよという無根拠に近い自信に溢れたエントリーも、僕にとってはそーだよなという感じなのだ。) 
対談は、思想地図読者向けに藤村氏を紹介するという文脈だった(文字通りの思想地図の派生を期待していたので、その点で心残りではあった)。対談の始め藤村氏がスライドで持論である超線形設計プロセスについて説明。その中でBUILDIN Kが登場、一切色仕掛けは無く、独り言を繰り返す建築家たちへの批評がそのまま物として立ち上がっている。方法論がそのまま出来上がったような印象。藤村氏の主張は、植木鉢とかふにゃふにゃスケッチのようにビジュアルの劣化コピーではなく、プロセスの二次利用を呼び起こしたい、ということだった。その後の濱野氏とのやりとりで気になった点をいくつか。藤村氏曰く、メディアテークの影響で情報空間には原っぱを用意すれば良いという勘違いがおきてる。古谷さんの案の方が今見れば評価出来る。藤村氏の方法論は政治的状況下や、もっと大きな経済の下でも可能で、CCTVのようなものにも応える事ができるとまで。濱野氏曰く、Googleの検索アルゴリズムはクリックと貼りつけたリンクという行為=人である。藤村さん自身も設計プロセスや教育作法のアルゴリズムになっている点が面白いという指摘。プロセスをジャンプしないために模型があって、あらゆるプロセスには模型的なものがあるといいかもしれない。
藤村氏の主張している超線形設計プロセスは「超」のところが大事であって、線形プロセスだけでは、平均点を底上げする事にしかならないのではないか。「超」の部分は、悪く言うならば東工大的アナクロニズムによってカモフラージュされていて、表現の主張を隠蔽するための方法論ともとれなくない。建築の表現が批評に耐えられていないという、各所の指摘にどのように応えていくのか楽しみだ。設計を詰めるプロセスは超線形だけでなく、他にもあるわけで(藤村氏自身、ユリイカでOMAが非線形をやってのけていることを紹介)、プロセスの二次利用がダイナミズムを生み出すという発想は、今のままでは定着しずらそうだ。または、藤村氏自身「超」の部分のダイナミズムはもう起こりえないと仮定してるのだろうか。逆説的ではあるものの、表現の島宇宙化は避けられないので、プロセスの共有をということなのか?
磯崎さんのうねうねは、アルゴリズムは見た事のない奇妙を作れるというところで止まっているという話題も出ていた。アルゴリズムは、結果を自動生成するだけであり、アルゴリズムを設計するのは人であり、その設計者の意志が人や社会をどのように誘導していくのかとうい姿勢を、問いただす時期にきている。また、つぶやき(設計のスタディ)を集積できるようになったのは、ログの蓄積にかかるコストや労力が以前のような本を出版する(手書きの図面)といった行為に比べ、圧倒的に少なくなったという技術の進化によって支えられており、これは00年代の成果である。
自分の設計は、何を試み、どこへ接続しようとしているのか。その道筋を主張しながら、思考をとめることなく試みが普遍化されるまで、注意深く前進し、じっとその試みが飛躍するタイミングを見計る、この態度は今までとは変わらないが、そこにログを蓄積し続けるということが加わり、何を生み出すのか考えてみたいと思った。

建築 | at Jul 2, 2009

東京10年

もちおの憂鬱に衝撃を受け、よたよたと道の真ん中を…。
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もちおは、ただのエリートに過ぎなかったのか!?。下層レイヤーの生々しいしっぺ返しに、背を向けている姿をさらけ出してどうするつもりなのか。shinyaさんに勧められて思想地図〈vol.3〉を読み始めた。イデオロギー批判からアーキテクチュア批判へシフトしなければ思想空間が消滅してしまうという個人的な苛立ちを、(社会全体のエネルギーが発散していく先を見定めたいという)高いその方へ接続しようとしている。裏方として演じているあずまん。このまま居心地が良くなって、どんどん透明になっていくのだろうか。もちおにも上下レイヤーを横断するような心地よい運動体になっていただきたい。これからの建築家のスタイルも、運動体となるというのが1つかなと思っている。

先月28になった。18年大阪。10年東京(途中北京)。大阪へ帰れば、毎回新しい発見があって楽しい。遠い記憶にぽつぽつと残っている情報と、新しい発見を接続して線や面につなげていく。本棚を整理するような、リセット感がきもちいい。今回は、中之島界隈をぶらぶらと。京阪の駅が出来ていたり、記憶より川幅がゆったりしていたり、何が良いのかわからないが、イベントで人がたくさんいる隈さんの放送局、黒川紀章設計の国際会議場と接続されたホテルでビールを飲んだり。カフェ、家具などの販売、自ら資金調達し企画する展示スペースをもつgrafを覗きつつ。杉本博司展を見るために、国立国際美術館へ行ってきた。建物は、これだったらせめて安藤さんに…という感じだったけれど、それを忘れさせる迫力の展示だった。杉本コレクションの総覧、百花斉放という雰囲気だった。宝塔にアクリルを詰めたり、月の掛け軸をつくったり、微妙なリメイクが杉本らしい。ハイライトは、連続して並ぶ「海景」と、鏡で増幅された「放電場」。表現は抑えめだけれども、小宇宙がそこに。放電場の写真が列柱のように整列し、壁面の鏡によって無限化を試みている。しかし、奥へ歩いていくと、鏡が破壊されていて、その虚構を自ら打ち崩している。放電場の襞と、鏡に映るこなごなになった自分が、頭の中で反復し、ぐらぐらしてきた。最後にデュシャンの大ガラス…。これは、即興か?。最後に映像があり、鏡の突き付けがうまく行かず、やり直そうかという話から始まり、破壊し、笑う杉本。この記事も杉本が書きたくて書き始めたが…。

少し南下すると靱公園がある。これが追い打ちをかけるように良かった。(ここまでくると、すっかり酔っていて、気持ちもアルコールも…。写真が無い…。) テニスをしていたり、レジャーシート敷いていたり、人がたくさんいる。イベントとかでなく、日常的にこうなのだという感じ。特筆すべきなのが、公園に向かっていくつものカフェが開いている点。公設の公園と私有の建物の境界には、所有を顕在化させるように、壁やフェンスがあるものだが、一切無く、風景として一体化していた。店側も過度にテーブルを拡げることなく、公園→開放された一階→その外縁の道を、節度を持ってつなげている。公園の周辺には魅力的な店舗が集まっていて、街の中心的な様相だった。地区に1つといった定量的な規格によって生み出された都市の空地(公園)を中心に、市民空間が立ち上がりつつある。都市計画の設計思想を越えた、自走する公共圏の姿がここに。公園のランドスケープは、(日本の公園によくある)ありふれた西洋的な庭園の模倣でしかないが、その中で人々が生き生きとしている。このズレが今っぽい。都市ともなると、設計思想を越えるまでに、こんなに時間がかかるものなのかと。

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建築 | at Jun 6, 2009

これからは自己主張の時代

もうゼロ年代が終わろうとしている。時代の潮目を感じるものをいくつか。

若人の広場
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丹下健三設計(S42)

最近、宮台真司が(改めて)面白い。日本の難点を読んだ。明治維新の際、国を統合する〈政治〉も〈市民〉も存在しなかったので、代弁者として天皇を担ぎ出した(強いものにかならずついてきたという日本的慣例に従いながら、新しい船出を宣言した)。 しかし、藩閥や、左か右という傾斜ばかりが際だち、その効きすぎたエッジは戦争というかたちで臨界点を迎えた。日本は、天皇という特異点を持つ。戦後、その立場を理解したアメリカの介入により、国民の象徴と再定義され、アメリカに包摂されながら今まで歩みを進めてきた。しかしながら、自由を体現し続けてきたアメリカの失墜を、911の後処理、金融危機というかたちで具体的にさらけ出すことになってしまった。大日本国国憲法が定義した日本。アメリカが定義した日本。そして今、アメリカの変質により、日本を再定義する必要があるという流れは確実にある。憲法改正(という手法が良いか悪いかは別として)もその一端である。アジアの日本なのか、世界の中立者としてなのか、その定義付け論争は充実化させていかなければならない。ただ明らかなのは、国家建設の本当の目的である〈政治〉と〈市民〉の確立は今も曖昧なままであること。進むべき国家的統治を推進できるよう、新しい〈政治〉と〈市民〉の相関関係を築けるシステム、宮台の表現で言う社会的包摂能力を鍛えるために。柳田国男のように僕は野に下る!と宣言したような本であった。

天皇と金融危機の話は、NHKスペシャルで、それぞれ複数回の特集を組んでいる。明日(5/17)も金融危機の特集。NHK面白すぎます。そういえば民主党党首が交代した。自民も民主もイデオロギーの差異はないが、国家を引っ張るエリート(官僚)を引っ張っていける大胆な政治家の出現を望む…。本の中で引っかかったキーワードいくつか。生活世界に棲む人間が作りだすシステムの網を張り巡らしたモダン。全域化したシステムの添加物となった生活世界の中を生きる人間、すなわちポストモダン。システムを修正しながら生きていくしかない。自分へのコミットメントだけでなく、社会へのコミットメントを。社会へのコミットメントの空気感はココカラハジマル|しゃべることにも書いてあった。(以下引用。「私、特別な感性を持ってます。人とのコミュニケーションは苦手です。私の感性は言葉にした瞬間に崩れてしまいます。でも、絵は上手です。写真は上手です。分かってください」系のナイーブな描き込み・作り込み作品は、嫌いじゃないのですが、でも、もうそういうものを、自己表現だとか、小さなゆるやかなコミュニティだと評価する時代じゃない。)建築も変わらなきゃねぇ。フラットや白もポストモダンの一表現でしかない。

フジのノイタミナ枠で放送中の東のエデンも面白い。攻殻のテレビシリーズの監督、神山健治作品。東というのは日本のこと。平和ぼけした日本の中に潜む危機をテーマにしている。パトレイバーのような雰囲気だ。パトレイバーは機械(レイバー)を作った人間と、実はレイバーに支配されている社会という構図を採用している。ガンダムやエヴァンゲリオンも、システムの象徴として機械を採用している。攻殻機動隊や東のエデンは、システムが透明になった社会の話をしている。神山監督は、攻殻のインタビューで、現代社会との地続き感をアニメの中に表現したいと表明していた。東のエデンもそのテンションが強く出ている。

自己主張の際にかかるコストはブログというかたちにより限りなく0となった。批評家の中には、出版するペースでは時代について行けないので、ブログやネット放送を有料化している人がいる。一方で、Googleによる本の全文検索の動きも見逃せない。時代をつくるきっかけは良質なリファレンスによって発見される。この部分でのコストが0になる時代がおのずとくるのだ。小さな気づきを集積するシステムと言えるものは、ブログやtwitterなどだろう。しかしながら機微を前面に押し出すだけでなく、大きな流れを作り出す知恵、システムの開発がこれから必要とされる。ネットだけでなく、建築も時代をうごかす緩やかなシステムである。緩やかというのは、建築は物であると同時に、長く存在するという自己矛盾を抱えているため、ただ新しいだけでは成立しないという意味。建築をつくる際の反駁精神は、緩やかに社会へ訴えかける程度しか出来ないんだから、現代社会とも中立的で自由に作る度胸が必要。誤解を恐れずに言うなれば、未熟な〈市民〉や〈政治〉を誘導するシステムとして建築が機能するべきなのだ。

建築 | at May 16, 2009

エコも方便

本当にエコなものってあるんですか?
結論から言うと、本当にエコな時代が来たら誰も気づかないくらい透明な言葉になっているはず。
いまはお金を使ってもらうための方便であり、世界の仕組みが体質改善されていくための方便でもある。言葉が牽引する先には必ず淘汰の波が訪れる。まさに今、本当の体質改善を伴って、世の中へ主張できるか、知恵を絞る必要性に迫られている。必死になって国、会社がひっくり返っている。そのうち地域の生き残り、生活のスタイルにまで波が押し寄せて行く。作り手の立場から、新しい時代へ向かっていく雰囲気を作っていきたい。

エコな建築を作る時って、ソーラーとか緑くっつけたりするんですか?
良いかもしれないが、イニシャルもメンテも決して安くない。建築の場合、どういう回答があるのかは個別解になると思う。イメージとしては、白とかフラットにしている労力と金銭を、エコに振り分けていくのではないか。例えば、サッシはただ細くするのではなく、木とかで太く。空間の仕切りは、季節に対応できる殻の中で自由に。構造はただスリム化していくのではなく、時には厚く。設備は、操作性より、ゆったりと。生活のスタイルを変えても良いくらいの心地良い空気。しかし、あれこれくっつけて、ただの寄せ集めにしても、かっこ悪く、かわいくもない。世に主張していかなきゃならない。

コンセプトは抽象度を上げるべき。
100年に一度というのは、体質改善をすべき大きさのことと思いたい。日本だと、幕末以来ということか。司馬先生を読んでいる。薩摩→土佐→幕府(慶喜 新撰組)→これから長州編を読む。どれらの立場からも、逃げない、はればれと立ち向かう歴史の中の快男子が描かれている。膨大な調査を踏みしろとし、説教くさくなく、安易に好き嫌いに偏らず、強引な解釈に落とし込まず。あくまで、歴史的抽象という焦点をあぶり出そうとする一貫した態度。しかしながら、圧巻という言葉が適さないほど謙虚なテキスト。表現者の姿勢としてとても参考になる。

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建築 | at Apr 26, 2009

iPhone

ここ1ヶ月ほどiPhoneを使っている。iPhoneは、間違いなくイノベーティブな製品と言える。電話を掛ける、メールを打つということをベースに考える日本の携帯に慣れていると、慣れていた携帯らしい操作ができないので、初めはイライラするかもしれない。文字打ちは、ボタン式の携帯の方がタフに打てていた気もする。しかし、かめばかむほど味わい深いものにはなかなか出会うことができない。そんなものに出来ている。僕のように、ネットへの期待度が高い人は、iPhoneを手にしたらもう日本の携帯には戻れない。googleでメール、アドレス帳、スケジュールを管理している人は、iPhoneを買って、すぐ同期でき、欲しい情報はgoogleアプリさえインストールすれば、情報を同時検索(デスクトップ&ネット)で呼び出せ、メール作成、電話番号の呼び出しが出来、スケジュールの新規作成、改変もその場で出来る。記憶メディアもHDではなく、SSDなので音楽を聴く程度では、先入観ほどに電池の減りは早くない(ipod shuffleの再生時間が長いのはSSDのおかげ)。発売以来様子見をしていたのは、明らかにヘビィユーザー向けの料金設定と、ソフトバンクの借入金返済が滞りそうで、基地局設置にすらお金を回せなくなってきたという話がずっと気になっていたからだが、三月来の価格改定で、ノリで買って失敗してもいっかという気にさせてくれた。電話も出来、ネットにアクセス出来るスモールメディア。迷っている人はこのノリを体感してもらいたい。

かめばかむほどシリーズついでに、最近読んだ14歳からの社会学 ―これからの社会を生きる君にが良かった。どう良かったかは、気が向いたら書く。

apple | at Apr 13, 2009

たゆたう

ずいぶんと時間が空いてしまった。書いていない間に、何人か首相が入れ替わり、アメリカ式の金融システムが崩壊し、車がガスから電気へ移行しようとしている。政権交代から一ヶ月で70兆円もの資金注入する国がある一方で、いまだに100円も落とせない国があり。TVCC火災…。これだけでも毎日驚かずにいられないはずだが、淡々と過ごす自分ももちろんいる。グローバルとローカルを自由に行き来できる時代の中で、日本で仕事をしている自分がどこへ向かっているのか。淡々というのは、将来への期待を見定めているという気分である。
中国での経験はアジアへの興味に繋がり、日本の起源を知りたいという欲求に駆り立てられ、幕末を中心に読み進めていく中で、日本という枠組みを意識したのは、ペリーという外圧が来てからであり、100年経った今、日本という枠組みの意味合いがだいぶ変わってきたことが分かった。むしろ、希薄になってきている。意識する必要がないので、他のフレームを次々と入れ替えながら妄想出来る時代。枠組みを意識するというのは、対立の構図がはっきりしているということであり、対立していたものがどんどんとなめらかになってきている。結構良い時代へ向かっているのではないかと思えないだろうか。確かに、今までの枠組みで作られた組織や制度へ強い刺激を与えることになるが、長い目で楽しめる空気感を作りたい。仕事へ対する態度はこういう気分によって自分を制御している。なんだか楽しいのである。次々とフレームを入れ替えながら、形を与え、時代と思想と、技術が一体となった建築をつくる。最近やっとそう思えるようになってきた。頭では理解しているつもりでも身体がついてきていなかった。苦しかった。もう絶対この仕事をやっていくのだと心から思えるようになった。
それにしても幕末はおもしろい。次はそのあたりを書こうか。

建築 | at Feb 22, 2009

不確実なままに

東大総長の祝辞がヤフーのトップニュースにリンクされていたので見てみると、「現代は不確実な時代であり、過去の成功例や常識が必ずしも通用しない時代です。~この21世紀を、私たちは、過去の権威に頼ったり、明治時代のように欧米諸国に頼ったりするのではなく、自ら先導していく必要があります。」などなど。(個人的な事情ですが、最近熱っぽい話題に触れたいがために、明治維新あたりを読んだり、篤姫も見ちゃったりしているのです。宮﨑あおいはかわいいです。)明治という言葉に引っかかっただけなんですが、ともかくこの不確実な時代の中でどのようにデザインしていくのか、非常に興味があるわけです。マスの時代からの移行期間にある不確実な時代を不確実なままやるしかないわけですが予見するかたちや考え方には敏感でありたい。僕の考えとしては、マスが解体され、個しかないというのは、単純すぎる話であって、やはり話題や議論、時代を動かす技術やデザインはこれからも生まれるはずであり、そこに至る仕組み、プロセスが今までとは違うものになっていくということに違いありません。ミニブログやtwitter、SNSなんていうのは、今までになかった個と個のつながりを生み出す仕組みであって、人気が出るというのは現社会の枠組みを反映したものなんだと思います。行政の資料をよんているとICTというキーワードをよく目にするのですが、ITにコミュニケーションのCを挟んだ表現で、インフォメーションテクノロジーはコミュニケーションを生み出す技術という定義が、社会認知されたという事なのかもしれないと最近思いました。

ところで、熱っぽいつながりで昨日鶴川のコンペの審査会を見てきました。審査会場まで足を運ぶのは久しぶりで良い刺激をもらいました。今日の朝、結果がホームページに出ていて、すくなくとも僕の印象とは違う結果となり、審査員の勇気に朝っぱらからすこし心打たれました。1等の案は、民間の理論で作られた30m級のマンションが林立している中で、公共建築にしかできない「低くたてる」とうコンセプトを最後まで貫きたいというのが評価されたのだと思います。まず、目に入ってくる大きい屋根は、マンションによって切れてしまいそうな丘陵地帯の生態を連続させるために、屋根面を緑化し、コミュニティ施設が入るこの大きい屋根の中では生態環境ができるような積極的な緑化も目指す。屋根の下に、図書館があり、地下がホール。ホールのフライタワーがメガストラクチャーになっていて、建築を支え、建築のイメージとなる本棚にもなっていた。そのメガストラクチャーはみんなで使う棚であって、壁を使って展示をするなど、使い方を一緒に考えていきたいと。地下利用が難しいという話が審査中出ていたのですが、そのあたりがどうなるかはよくわからない。
かつてのコンペは、アイデアとプランニングを含めた「かたち」を評価してきた。最近主流になりつつあるプロポーザルは人と考え方を評価するので、「かたち」だけで戦うのではなく、市民や街をまきこむ仕組みをデザインするということが主眼になっている。それは、時に具体的な建築を組み立てる部品であったり、今回のように低くたてるという言葉であったり、建築がわかりやすくなっていく断片が感じられる。すこし感動したというのは、わかりやすくすることは、平均値、つまらなくなることではない。という審査員の意志を結果から感じられ、「かたち」に鋭さを持ったものが選ばれたことにほっとしたわけです。
2等の案の都市環境に訴えかける提案も充分に評価出来ると思います。創造の塔と呼ばれる強い構造体の周りに緑のかごと呼ぶ自由な空間を作っていました。7m位のレベルに持ち上げられた緑のかごを街に開放するため、歩道橋という都市装置を1500人くらい居住している丘へつなぐ。その歩道橋は都で毎年13件程度出ている中古の歩道橋から、ちょうど良い幅のものを買い取ればいいと。審査員が皆うなっていた。(土木工事になるので、通常10何億とか。空前の値段で可能とプレゼンしていた。)当然のように、丘陵の緑をつなぐことも言っていましたが、具体的にアクセスできるようにした。さすが都市を考える人。ただ、一階が閉鎖的だったことがよくなかった。
みんな、プレゼンの前にネタを仕込んでいて、仙田さんは子供を育てた町田に建築をつくりたい。町田に近くにある子供の国は建築家としての初めての仕事だった。としょっぱなから、コンペに勝つためなら、持てる武器を乱れ打つ感じも面白かった。

建築 | at Apr 13, 2008

カン

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先月10日ほどフランスのカンに行ってきました。ノルマンディ作戦で焼けた街の一つで、半世紀と少しの間に作り上げた新しい街です。段差はどこまでもなく、街中はトラムと徒歩で移動出来る見事なコンパクトシティです。写真にある二棟並ぶ家型は、焼かれずに残った300年前の建物で改修され今も街の一部として機能していました。ハーバー近くのパークアンドライド施設では週末、車が一掃され、市場が展開していました。どのようなオペレーションで行われているか知りたいところです。

建築 | at Mar 15, 2008

多様性の中の日常

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蘭(北京)by Philippe Starck 

最近、100ドルパソコン(初期モデルは188ドル)の量産が始まった。ネット格差を是正したい理想を掲げている。そこで世界60億のうち10億人しかネットにアクセスできていないというデータが示されていた。そもそもネット格差というのは何だろうか。ネットについての今のところの整理としては「ネットは仮想空間ではない、人を接続するツールだ」というのが個人的には腑に落ちている。ネットはまだまだ使う人の入れ込み具合で価値のあるものかそうでないかが分かれるような使い勝手である。社会的には全面的にネットの有用性を認知されていない。まだまだ走り出した時期であるために、善にも悪にも簡単に振り分けられてしまう危険性がある。だから、社会学的な認識レベルでも経済レベルでも日常にどのように着地させていくのかという明るい試みが顕在化し始めている時期である。そのひとつが100ドルパソコンと言えるのかもしれない。ネットは多様性を集積させ何かを顕在化させる新しいツールとなるのだろうか。グーグルだったか、政治の決定は全人民がネットにアクセスできる状況になれば、集計さえとれば精度の高い結論が得られるなんて仮説を挙げていた気がする。

建築の話ですが、最近考えるキーワードのひとつに、「全体を構成するシステムの中でいかに多様であることを受容していくのか」ということを考えている。おもしろいなと思っている。べつに新しいフレーズではないのですが、今それを考えるとどうなるのか。今後それをずっと考えていくとどのようにおもしろくなるのか。写真にある北京にあったスタルク設計の蘭はちょっとやられたのです。今年見た中ではNo1です。完成した内装だけを見る限りでは一体何を考えてやったか見えてきません。個人の狂気が最大限に拡大し生まれた偶然という、奇跡のような空間だと思います。きっと今の日本では実現できない、中国バブルを体感できるとも言える。この何もかもが混在した空間が巨大であるということも面白いと思った。それがスタルクにしかできないものなのか、何か普遍性があるもので、僕らにもリミックスの余地があるのか。一番やられたなぁと思ったのは日本人のデザインは同じような型の中で微妙な差を味わうところがあるが、スタルク主義というような個人の世界に引き込むようなデザインというのはあまり見たことがない。

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blog | at Nov 18, 2007

北京経由 東京

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ブログ再開。ちょうど藤森展の最終日に東京に戻ってきた。かれこれ時間が経ってしまった。新しい仕事も始めている。現代建築と距離をとりたかったという一応の念願はかなったのでないかと思っている。自分の興味を拡げていきたい。現状を破壊する手段として、外へ出るというのはいいなと思った。ただ、建築をつくる作業の中で重要であろう物語をつくるだけでなく、技術を組み立てていくことも同時にしたいと強く思うようになり、帰国することにした。北京スタイルが割とはまってしまえばそのまま突っ走ることも考えていたが、あっちが成長するのを待つより、こちらが急速に成長してしまいたい。いずれまた見に行きたいところである。

あまり整理せず、思いついたことを書いてみる。確かに目に入れたら痛い問題はあったけれども、何も無くたってともかく楽しく生活する体臭が漂う中での生活は刺激的だった。良いのか悪いのかは別にして日本の無表情な戸建てが永遠と続く風景の異様さを再認識した。変てこな様式を取り込んだ外観が並んでいる様子を見てキッチュでカワイイと見違える余裕すら得た。現代建築の分脈にほとんど犯されずにやってきた今の中国は、かつての日本がモダンという様式をとりこみはじめた時期と重なる緊張感というのか期待感があると思う。その中でも海外建築家のブランド、スタイルごと大量に持ち込んでしまう状況はアジアの中でもかなり特異だ。日本だと折衷を選択してきた。日本が明治維新以降の100年くらいで達成しようとしたことを数十年でかつ何倍もの規模でやろうとしているのだから、そんなことくらい起きてしまうのだろうという感じだった。

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建築, monologue | at Oct 28, 2007 | Comments (3)

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