北京経由 東京

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ブログ再開。ちょうど藤森展の最終日に東京に戻ってきた。かれこれ時間が経ってしまった。新しい仕事も始めている。現代建築と距離をとりたかったという一応の念願はかなったのでないかと思っている。自分の興味を拡げていきたい。現状を破壊する手段として、外へ出るというのはいいなと思った。ただ、建築をつくる作業の中で重要であろう物語をつくるだけでなく、技術を組み立てていくことも同時にしたいと強く思うようになり、帰国することにした。北京スタイルが割とはまってしまえばそのまま突っ走ることも考えていたが、あっちが成長するのを待つより、こちらが急速に成長してしまいたい。いずれまた見に行きたいところである。

あまり整理せず、思いついたことを書いてみる。確かに目に入れたら痛い問題はあったけれども、何も無くたってともかく楽しく生活する体臭が漂う中での生活は刺激的だった。良いのか悪いのかは別にして日本の無表情な戸建てが永遠と続く風景の異様さを再認識した。変てこな様式を取り込んだ外観が並んでいる様子を見てキッチュでカワイイと見違える余裕すら得た。現代建築の分脈にほとんど犯されずにやってきた今の中国は、かつての日本がモダンという様式をとりこみはじめた時期と重なる緊張感というのか期待感があると思う。その中でも海外建築家のブランド、スタイルごと大量に持ち込んでしまう状況はアジアの中でもかなり特異だ。日本だと折衷を選択してきた。日本が明治維新以降の100年くらいで達成しようとしたことを数十年でかつ何倍もの規模でやろうとしているのだから、そんなことくらい起きてしまうのだろうという感じだった。

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個人的にはアジアに関心を向けるようになったことが大きい。ワイルドスワンから始まり、マオ、大地の子、上海ベイビー、蒼穹の昴、翔ぶが如く…。特に司馬遼太郎の緻密さには敬服する。維新前後の日本の飛躍に中国や半島が刺激を受けていた頃から、現在までを駆け上ると歴史問題も含めて、興味の底が見えない雰囲気がある。(幕政下とは違う新しい)政治が生まれ、駆け引きの中でしか起きない突発的な物事に政治の生を感じられる。僕と生まれが同じ福嶋亮大のブログが面白い。彼は、神保町の書泉で東浩紀と対談したときに始めて見て、気になってずっとチェックしてる。中国文学の話もたまにでてくる。

建築, monologue | Posted by at October 28, 2007 12:52 | Comments (3)

4000

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たまたま晴れ渡っていた北京から上海までの空路の間、窓からずっと地上を眺めていた。丘陵地以外は徹底的に農地、都市化されていた。そしてずっと色がない。初めて見たという不気味さがあった。

写真は上海の陸家嘴(lù jiā zuǐ)に建つ有名な電波塔(東方明珠タワー)から外灘方面を見たものだ。陸家嘴は、中国国内で初めてCBDという概念を持ち出して、国際コンペを行った地区である。日本からは伊東豊雄も参加している。森ビルが通称上海ヒルズを建設している地区としても知られている。

上海。この都市には4000本のタワーが建っているらしい。虹橋国際空港から市街地へ向かう際、高速を利用した。確かに高層ビルが目立っていた。この高密度の立体の間を自由に行き来するような感覚は爽快である。これら(ジャンクション1)を見れば納得いくと思うが、道は上限がないかのように積み重ねられ、高いところでは建物の八階かそれ以上をいく。余談だが攻殻機動隊の押井シリーズは上海を舞台にしている。彼がなぜ舞台の参照元として上海を選択したのか興味ある点ではある。なぜ、この高密度は人を誘うのか?その欲望は加速させていいのか? 一点だけ指摘できるのは、人はバブルと言う桃源郷を求める性質があるという点ではないだろうか。その後の行き先は誰も知らない。

アジア。中国を見る視線の土台には、やはり日本がある。日本と中国の差異を見いだす前に、まずアジアの中で成熟した日本。その戦後の成長の中に中国とリンクする部分を整理する必要があると思う。アジア主義なんて大それたことは言わないが、宮台真司のコメントを借りると「民主制も資本制も単独では回りません。政治や経済が回ることと社会が回ることとが両立するためのバックボーン的リソースが必要です。ところが日本には米国のような宗教的リソースもなく、欧州のような階級的リソースや地域共同体的リソースもない。 」という、社会を制御するリソースが無くなったという指摘はうなずける。中国も僕の認識の中では現在模索中という感覚がある。共産主義を強化することよりも資本主義の良い点とうまく折衝して新たなものを見いだそうとしている。加えて、彼の最近の言動を見ているとアジア的な発見を促そうとする姿勢も読み取れる。その姿勢を受け入れて、しばらく考えてみたい。日本が今まで、成熟したアメリカやヨーロッパを参照してきたように、よいところを吸収しながら中国的な成長を見いだすのであろう、そこにアジアというキーワードを意識するというのが、なんとなく気に入っている。

東京。バブルという桃源郷を経験し、行き先を求め彷徨っている。人口減少をきっかけに、都市の生産から都市の制御へシフトしようとしている。東京の位置づけをどのようなものにするのか、都市デザインが求められていくだろう。しばらく「東京」をテーマにした出版(FiberCity 東京から考える 等々)も続きそうだし。大きな夢の想像力を競うよりも、現状を編集していくための態度を考えていかなくてはならない傾向は、間違った読みではないと思う。未だに20世紀的な夢物語(例えばSF的なもの アトム、サイバーパンク、電脳…)が、未来像なのではないか、という部分を乗り越えていない。その危機感をうまく乗りこなしていきたい。ギートステートガガガも。もしかしてエバの再始動もその叫びとして話を聞いてみたい。

変わらない建築。例えば、携帯という技術を作った技術者の夢はどのようなものだったのだろうか。電車の中で「みんなが片手に携帯している姿は、 "四六時中、人とコミュニケーションしたい"という、人間の欲望によって生まれた景色なんです。」という言葉にすると冗談のような光景が日常として抵抗なく入り込んできている。新しい生活を支える理想を思考し新しい技術を社会に供出した結果、新しい関係性が生まれるというのは、建築にも共通する部分があると思う。建築は問題を解決するが、その解答(かたち)は問題(意味)と必ずしもイコールの関係でなくて良いと思う。むしろ、同じ予条件下でも絶対同じ解答が出てこないことを意識する必要がある。極端な話、建築家がいなくても、建築を建てる技術を持った人がサポートすれば、誰もが建築を構想することができる。そこで建築家が前に立ち、何をするのかというのは慎重に考える必要がある。個人主義、スタイルを徹底したいというのは一つの回答だと思うが、やはり関係性を探し出し、新たな普遍性を見つけたいという態度の中で、作業を繰り返すのが基本だと思う。建築家という振る舞いの中で流れ込んでくる潮流をどのように編んでいくかという意志に、社会に対してどう批評をするのかという側面が自ずと含まれているように思う。どこまで自覚的に操作するのかというレベルから、自分がどのように見えていた方がいいのか。どのような環境の中にいればいいのか。もしくは環境から作ってしまうのか。考える対象は尽きない。

中国での仕事。クライアントはもっぱら表層に興味がある。内部空間をどれだけ豊かにするのか、という感覚は日本的なものではないだろうか。空間の構成を追求すればするほど、クライアントとの会話はどんどんすれ違っていくことになる。加えて、建築の表層に具体的なイメージを求める。裏を返せば、「概念的なもの」に対する興味が著しく低い。具象と意味を直結する方向に話が流れやすいので、その点は必ずこちらから提案する必要がある。抽象的なイメージをどのように実現化させていくのかという手続きでは、これまた誰も共感してくれない。そこで、藤森さんの建築が少し気になる。彼は抽象化を追求する建築界に風穴を開けたという点でも評価されている。中国的状況と彼の意志はどこか関連性があるのかもしれないという点で見るのもいいかもしれない。藤森さんの発言を勝手に抽出してみる。「建築を構成する外的条件を先に決めてしまう。例えば、どのように見えるようにしたいか。」「どの材料(具象)を使いたいか。」「空間は、結果の産物でしかない。」琴線に触れるコメントが続出するのだ。

建築 | Posted by at April 23, 2007 22:56

とりあえず一年。結構ダメなところがあっても一旦無視して耕してきたつもり

黒川紀章設計 中日青年交流中心 劇場 1987年
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さて、北京に来て一年経とうとしている。何を得たのか? 肉が付いた。いや、何も得ていない。どちらかというと焦りがある。鼻からぶっちゃけます。建築って大変だなぁってほんと思う。僕らは、きっちりつくる事を前提に教育を受けてきたし、メディアも、実際に働いている先達もそのポイントをはずしていない。なのに、何も作れない。なんなんだろうか。でも中国も面白いなと思える部分はある。フロンティアなんだから、はったりかませば良いんじゃないかという雰囲気がある。

受けてきた教育は否定できない。建築家的ジレンマを生む歴史と、巨大な社会が要請する現実的な問題。この果てしなく遠い距離にどのように折り合いを付けるのか。なんで、こんなほぼ乖離している振れ幅の中で頑張らなくちゃ行けないのか。だれかなんとかしろ。ほぼ乖離しているんだから、なにやってもいい。でも、振り切りすぎると歴史から葬られる。なにやってもいいテンションと建築家的ジレンマのどこかにスポットを当てながら、それでもやっちゃう運動体にならなければ建築家として面白くない。と思ってしまう自分。

話は飛ぶ。建築家的コンセプトがはっきり表現に出ているものでないとメディアに相手にされない。でも、それによってどのような効果があるのかはよくわからない。むしろ、よくないんじゃないかという方が多い気がする。それに嫌気がさして今の建築はダメだという人の意見はよくわかる。そのなかでも、こなれたコンセプトで、全体と局部。構想と現実をハンドリングしようとしている建築家は何人かはいる(と思う)。そのへんでどのようなストーリーを生み出すかが宿命。かつては、建築が足りなくて、建築に対する社会からの要請はハッキリしていた。今は、建築家的なしがらみにおいては達成されているポイントがあるものの、ハッキリしない時代なんだからと割り切って(言い換えると、社会とはそんなに関わり合いがあるかどうかなんてわからないんだから)建築家的ジレンマばかりを研ぎ澄ましていくことでは、社会から建築家がいらないという時代が来るんじゃないかなって想像しちゃう。今の政治家みたいにステージの上でピエロ化するのか? そもそも建築家業が儲からない図式は前々から普遍だから、勝手に減るでしょ。そう、ハッキリしない時代。東浩紀風に言えば、大きな物語(みんなで暗黙に共有しているテーマ)は崩壊した。だから、個別が強くなっていくことが社会から要請されている自然な結果であって、それぞれがどのように繋がっていけばいいのかを見いだす時代だと思う。ウェブ論があついのは、技術が新しい関係性を生むという期待があるからであって…。

で。建築家の活動を大局から外れているからつまらないと言ってしまうメディア(発言力のある建築家も同じ)はよくない。でも、社会との接点を積極的に見いださずに考現学(考古学に対する造語)的なポイントにこそ新しい何かが!というイズムもなんだか気持ち悪い。建築家がその点をないがしろにしてきたんじゃないかという、歴史を参照した結果、発生したジレンマであることは分かるけど、それだけしか研ぎ澄ますことができないというのも、どのような関係性を生んでいくのだろうか。一方で、売れなきゃ生きていけないメディアを参照しつつも、みんながおもしろいものはおもしろいとちゃんと言える風土を作って行かなくちゃならない。おもしろいんだから、発展的解釈を生めるような関係性を生み出して行かなくちゃならない。そんな活動は実現できないのだろうか。と、考えながら、アトリエ・ワン展を見ていた。

じゃぁ、僕はどのような立場で建築を建てていくポーズをとっていけばいいのか。それを見つけたい。いまは、たくさん候補を見いだしている段階だけど、ある徹底を始める段階がいつくるかも分からない。イズムとかスタイルじゃなくて、建築家が社会にどのように関わっていくという部分、すなわち型を見つけたいなぁ。

建築, monologue | Posted by at March 27, 2007 22:40

今日の中国都市計画

[10+1] 特集 都市の危機/都市の再生 ―アーバニズムは可能か? INAX出版
「今日の中国都市計画」(P87ー94)の翻訳校正を担当しました。
都市の視点から見た中国的状況に関する概要になっていると思います。

個人的な感覚ではありますが、今日まで中国へ視線を向ける動機付けがあまり無かったように思います。しかしながら、新規性に溢れ、あらゆる限界を拡大し続ける状況を迎えているのは確かなようです。例えば、急速な都市化、日本の外貨貯蓄高越え、増え続ける人口、日本海を越えた環境汚染、独自の宇宙開発…。中国に関する情報を無視できなくなった。すなわち、中国に対する解釈と実践が必然の時代となったと言えます。

95年から始めた長江流域地帯のリサーチ建設が進んでいる北京のCCTV。最近では深圳の証券取引所のコンペにも勝利したOMA。中国的状況を利用した上で建築家としての興味を突き進めているレムの解釈を以下に抜粋。

中国に関して、誤解があるように思います。中国は何のためらいもなく、資本主義国家になろうとしているというのは誤解です。実際には、中国は独自のシステムも維持しようとしています。これまでのシステムの長所と新しいシステムとをどのように統合すべきか、模索していると思います。

また、建築に関わる事情として、世界の中で見れば建築家の数が極端に少なく、圧倒的に建設量が多いということも指摘しています。一方で、先進国のような建築をつくる際の社会的、経済的、文化的な相互制御能力がない。つまり建築が簡単につくられすぎる。という警笛も鳴らしています。

手っ取り早く今の中国を説明するとすれば、70年代前半まで10年ほど続いた文化大革命によって引き起こしてしまった歴史の切断。それ以降、アジア的と言える経済成長を前提にした都市の発展傾向の中で、世界の中で見ても最も規模が大きく、最も速度が速い状況を迎合している中国が、21世紀的国家の体格を身につけようという流れの中、08'北京オリンピック、10'上海万博の開催が待ち遠しいというが今の気運と言えようか。中国語のウェブサイトではありますが1978-2002 中国25年流行全記録の中にあるイメージを見るだけでもその流れが伝わるような気がします。

なぜ、文化革命以降を意識するのかという点を補足するならば、日本における言説空間の中でよく指摘される歴史的な分水嶺として、戦争による文化の切断からの再起動がある。その後、日本でも64'東京オリンピック、70'大阪万博によって誘引された都市化、以後の都市膨張、バブルの崩壊に至るまでの一連の流れ。その中で孕んできた現代化のエネルギーをさらに圧縮した状態が、今の中国的状況に近いものがあるかもしれない。同じアジアにおいて、そのような見方で一旦見比べる価値はあると思う。そう言った視点の一つとして、オリンピックを迎える前年63'に亡くなった小津安二郎監督作品全集を、今、見ている。すなわち、オリンピック時に行われた首都高などの都市改造を受ける前の東京とその近郊が舞台となった映画の中の世界を見ながら、今の北京との現状の差異を見定めたいなんて思っている。

初台の交差点
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ともかく中国に対する解釈を必要としているタイミングに、中国の都市計画についての簡単な概要をまとめる機会を得ることができました。

以下、翻訳した内容の中から。

・2005から 10年は中国の第11次「国民経済と社会発展」の5カ年計画の期間である。今期から、元の「五年計划(jì huà)」から「五年規划(guī huà)」に変わり、一字の違いだけではあるが中央政府が市場化を推し進める決意を具体的に示したと言える。
・50年代、中国の人口は5億人程度であったが、2000年には13億人にまで達し、2030年頃には16億人に到達する見込みである。(ちなみに、文化革命時に人口が2億人増えたとユン・チアン著のワイルドスワンには書いてあった。)
・「都市化(大都市の発展を重点とする)」と「城鎮化(小さな都市と街の発展を重点とする)」をめぐる論争の中で)「都市化」という言い方に断固として反対する意見もある。都市化と言えば必ず「二次元構造」、すなわち都市と農村の分断といった、従来と同じ問題を繰り返すこととなり、これは地域格差をさらに広げ、都市部と農村部の対立を引き起こし、都市インフラ施設の不足、都市部への農民の過度な流入、都市環境汚染などの難題が起こり、それらに応対するのが困難であるからだ。さまざまな議論の結果「城鎮化」に対する賛成のほうが多かった。*城鎮(chéng zhèn)=都市より規模が小さい町の略称
・もともと土地の所有権および使用権は国のものだった。土地使用権改革は所有権と使用権を分け、土地使用を有償とした。その資金を元手に、都市の更新やインフラ整備に多額の投資が可能となった。また、土地の価値と資本の配分によって都市構造の調整を導き、都市の新陳代謝をより合理化、高度化させる。 ~現在の体制では、土地の収益は税収を除き都市政府の二番目の財政源であり、政府収入30-60パーセントをも占めている。このような制度下では、都市政府は都市開発の当事者となり、政府と開発業者は実質上の利益享受の共同体である。政府は土地収益を上げ、開発業者は不動産収益を上げる。都市政府は利益ある開発グループのひとつとなった。 ~多くの都市(特に首長)は不動産を利用して、GDP成長を牽引することを望み、様々なレベルの都市政府は「都市経営」に努める。
など。

*追記
この番組見たいです。
まんぷく::日記 BS特集「民衆が語る中国・激動の時代~文化大革命を乗り越えて」、明日+あさって再放送

2月1日(木)
1. 19:10~20:00 (1)紅衛兵誕生へ(Gコード7908739)
2. 20:10~21:00 (2)造反有理の嵐(Gコード8538265)
2月2日(金)
1. 19:10~20:00 (3)下放若者大移動(Gコード7968111)
2. 20:10~21:00 (4)改革開放への胎動(Gコード8505937)

建築, media | Posted by at January 31, 2007 1:50

深さと若さ-中国のディベロッパーから見た日本

建築雑誌]2006年12月号・日本建築学会

その中にある8本のインタビューの1つ。SOHO CHINAの社長 Zhang Xinへのインタビューの翻訳をさせて頂きました。本号は松原弘典さんが“特集[中国 ]そこに日本の建築世界はどう関われるか”というタイトルで構成を担当されています。本全体の書評が建築雑誌オールレビューに掲載されています。

荒訳された日本語と原文を並べて翻訳を進めたのですが、荒訳のテキストからも彼女の経験に基づく聡明さを感じることが出来ました。言葉は多少劣化しても意図を拾い集めれば、筋が通っているストーリーかそうでないかは、わかるのだなぁと感じながら翻訳させていただきました。インタビューの筋書きをオフィスで議論してから行ったので、意図していたことに共鳴してくれたとも言えるかもしれません。別の機会にオフィスを拝見したことがあります。世界中の建築家のポートフォリオが山積みされ、各プロジェクトの落選案を含めた模型が陳列してあり、世界の建築の先端は中国にあるという錯覚に少し身震いさえ感じました。(参照LINK:SOHO CHINAのロビーから外を眺望した写真が含まれているエントリー)他の項目で、面白いと思ったのは、清華大学の教授と北京大学の助教授へのインタビューの中にある”(グローバリゼーションという)共通性の強い大きな環境では、むしろ個々の「わずかな差」こそが大切です。”という文言に惹かれました。

建築雑誌は一般書店で手に入れることは出来きません。CiNii|建築雑誌で、過去のものを見ることが出来ます。

参照LINK:松原研究室のブログ Matsubara-labo.sfc|「建築雑誌」2006年12月号
参照LINK:インタビュアーの一人、山代 悟さんのブログ ヤマシログ|都市を診る

建築, media | Posted by at December 22, 2006 12:00

修士設計インデックス

→四枚稿PDF DOWNLOAD

多摩ニュータウン縮小計画 -諏訪二丁目団地の再生を通して-
Revitalization Tama New Town - Restructuring the Public Housing in Suwa 2 chome -

概要:作りすぎた多摩ニュータウンのサイズを是正していく必要がある。問題が最も顕在化している諏訪二丁目にたつ既存の団地を残しながら、住棟同士をつなぐボリュームを付加することで、床面積と居住人口を増やす。郊外的な様々なスケール感を維持したまま、居住専用の団地から、居住空間の規模の中で達成できる機能が一体となった新しい団地を計画する。この提案が原型となり、駅前から高密度に建て替えていくことで、サイズを縮小できる。

LINK
takamiya studio | ACTIVITY LOG
simon|修士Archives

中国でニュータウンの団地の設計にも携わっています。旧市街地の成長が成熟期に突入し、今後の都市の成長のため、ニュータウンが必要とされています。中国におけるニュータウンのロールモデルは未だ見つかっていないため、成熟した日本が経験してきた思考を、今中国でどのように関われるか真剣に考える機会が今まさにここにあります。

建築, new town, portfolio | Posted by at December 17, 2006 17:30

12月2日のCCTV

久しぶりに晴れた
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前回と比べてどこが変わったのか? 今日の北京の気温は最高5度 最低-3度 快晴

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TVCCは5階分くらいのボリュームが立ち上がったのがわかる。下のクレーンはほとんど動いていない。CCTVはカメラの角度、失敗。手前のブリッジに天板が貼られたのが分かる。霧が濃くてよくわからん。

建築 | Posted by at December 2, 2006 14:42 | Comments (4)

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