エコも方便

本当にエコなものってあるんですか?
結論から言うと、本当にエコな時代が来たら誰も気づかないくらい透明な言葉になっているはず。
いまはお金を使ってもらうための方便であり、世界の仕組みが体質改善されていくための方便でもある。言葉が牽引する先には必ず淘汰の波が訪れる。まさに今、本当の体質改善を伴って、世の中へ主張できるか、知恵を絞る必要性に迫られている。必死になって国、会社がひっくり返っている。そのうち地域の生き残り、生活のスタイルにまで波が押し寄せて行く。作り手の立場から、新しい時代へ向かっていく雰囲気を作っていきたい。

エコな建築を作る時って、ソーラーとか緑くっつけたりするんですか?
良いかもしれないが、イニシャルもメンテも決して安くない。建築の場合、どういう回答があるのかは個別解になると思う。イメージとしては、白とかフラットにしている労力と金銭を、エコに振り分けていくのではないか。例えば、サッシはただ細くするのではなく、木とかで太く。空間の仕切りは、季節に対応できる殻の中で自由に。構造はただスリム化していくのではなく、時には厚く。設備は、操作性より、ゆったりと。生活のスタイルを変えても良いくらいの心地良い空気。しかし、あれこれくっつけて、ただの寄せ集めにしても、かっこ悪く、かわいくもない。世に主張していかなきゃならない。

コンセプトは抽象度を上げるべき。
100年に一度というのは、体質改善をすべき大きさのことと思いたい。日本だと、幕末以来ということか。司馬先生を読んでいる。薩摩→土佐→幕府(慶喜 新撰組)→これから長州編を読む。どれらの立場からも、逃げない、はればれと立ち向かう歴史の中の快男子が描かれている。膨大な調査を踏みしろとし、説教くさくなく、安易に好き嫌いに偏らず、強引な解釈に落とし込まず。あくまで、歴史的抽象という焦点をあぶり出そうとする一貫した態度。しかしながら、圧巻という言葉が適さないほど謙虚なテキスト。表現者の姿勢としてとても参考になる。

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今年は横浜開港150周年のよう。当時は決して迎えるべく、国を開いたわけではない。しかし、時代が動くトリガーになったことは間違えのない事実であろう。そんな海を見ながら、エコを考えるのも良いかも知れない(笑)。

建築 | at April 26, 2009 11:25