新しい建築を目指す行為

建築の界隈を紡ぐ瞬間に出会えるかもしれない。そんな期待が金沢にある。美術手帳が、建築を特集すること。象徴している状況の一つに思える。SANAA自身、「広場」というある環境の状態をどうやって空間化するかという事を熱烈に述べている。また、新建築11月の月評に太田浩史が、建築家が実践者であることをやめ、解釈者の位置にとどまるのか。という表現が非常に今ある状況を捉えている気がしている。建築が単体で完結する社会性だけでなく、既存の環境を読み解くことで、デザインという実践(アイデア)によって、社会にひとつの回答をしめす。「都市と関わっていく」時期が来たと。実際、横浜のリサーチを通して僕も実感している。横浜の場合、巨大な空地を持てあましている。今まで、建築家が都市計画を放棄、民間が責任を負い切れず、行政に投げていた。今日、都市スケールの実践を行政が抱えきれず、現代的状況という事実が破綻を立証している。

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今回飯田ユニットで、直接空地に介入し街を創造するプロジェクトから、見過ごされている場所を持ち上げることによって都市を循環させるプログラム、横浜的なソーシャルハウジングの持つ構造を都市に還元するプロジェクト、巨大なスケールを置換して、街の転用をはかるプロジェクトなど、さまざまな都市的な介入がリアリティの温度を持って、実践への足掛けを作ろうとしている。新しい建築を目指す、個人的な発想は、見る物も、実践する側も、使用者も楽しくさせるんだ。

写真:JR新八代駅前モニュメントきらり
設計者:乾久美子建築設計事務所
所在地:熊本県八代市西片町
竣工:2004年

建築 | at November 16, 2004 4:54


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Comments

こんな文章もあります。ところで、「建築の界隈を紡ぐ」というのは、具体的にはどういう意味? 相変わらずのsimon用語でよくわからない。

Posted by shinya at November 16, 2004 5:39 AM

hideoと焼酎空けて、ワイン空けて、酔っぱらって書いてますが、金沢に期待しているという事です。いがたろー先生ももちろんチェック済みです。とにかく期待しているので、行ってから回答しようかな。わかりやすく書いた方がいいのかなぁ。

Posted by simon at November 16, 2004 5:44 AM

空間に潜む狂気が消えていく。抽象性を貫いてきた建築家が、大きい社会の欲求に応えることで、肉体が飛散していくことをどう乗り越えるのか。そんな視点が本当に持てるのか。僕としては、生活の中にあの建築がどうフィットするのかという視点を持ちたい。誰の物でもない公共の空間が、どのように開かれているのか。垣間見えるのか。その瞬間に出会えればいいじゃないか。

Posted by simon at November 16, 2004 9:37 PM