ガラスが好き

ガラスの壁をたてようとしているわけではない。
ガラスをたてようとしている。
いわば日本の伝統的な建築である紙・襖・障子・のれん・格子という
曖昧に区切る素材の質感をガラスに求めている。

ガラスにおける曖昧さ
それは 
時に 傲慢にそそり立つようであったり
時に 透明で見失うくらいピュアであったり
時に 半透明で美しいちらつきをもたらしたり
時に 景色を写り込ませる
ガラスという素材自体の豊かさを示す。

ガラスという素材と戦った ミースという建築家がいる。
彼はスカイスクレイパーで宙(そら)に溶けているような溶融するガラスを用い
その行為がバルセロナパビリオンまで続く。
その後 シンケルを模倣したとまで言われる クラシシズムに行き
ソリッドな壁に戻っていく。
私は
そのどちらの表情とも 同時に獲得する事が 出来る質感を求めている

一年前のサイトから移しているのだけど。今、読むとぞくぞくする(笑)

建築, monologue | at June 22, 2003 22:00


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Comments

「うれしい環境」の1要素としてのガラスの使用は了解。ただし、ミースが生きていてこのコンペを出したとしても、きっと1次選考で落とされる(笑)。ミースのやったことは、あの時代には最大の効果があったが(もちろん、その大部分は現在でも有効だが)、現在にもっとも有効な(だから「同時に獲得する事」が必要なのかもしれないが)ことを探さなければいけない。それにしても、やはりミースの頃から使っているガラスを、少し違う形で使うしか方法がない? とにかく、次の要素は?

Posted by shinya at December 13, 2004 4:57 AM