都市的な快楽を顕在化した建築

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ニュータウンに漂う均質な空気の、反動となるようなプログラムを抱え込んだ施設。

多摩に何を期待しているのか。
どこから引き金をひいても、問題が複雑すぎて、自分の思惑だけでは、単調な情報整理を突き抜けにくいという、課題をこなすなかでの経験から、今回は問題を整理しやすい場所によりかかりたいと思った。
そこで、ニュータウンと呼ばれるような都市計画学的に優等生である、構造が単純化されている街で、分かりやすく分析したいという、きっかけに乗ることにした。
20世紀の右肩上がりの成長から発生した、国家や企業と個人の間にある隔たりをうめていくこと(うめたことで、主体がひっくりかえってもいいという夢)が、現代的で包括的なテーマになるはず。
人口や経済の縮小や、エコロジーなど、今までの創意が否定されかねない大きな問題の中で、夢のある快楽に浸ることが悦びであることは変わらない。
僕の興味は、特定した場所を持たないネットワーク型コミュニティ(NPOやサークル、町内会、ボランティア、時には家族)。国家と個人の隔たりを顕在化させることにあるようだ。
多摩NTでは、都や公団(現 UR都市機構)と、もはや35年経ち新住民を超えた住人との間の存在がプロジェクトの主体になりそうだ。

場所:多摩市永山
用途:商業施設
竣工:92年12月
設計:八代市立博物館と同じ

new town | at July 15, 2005 9:57


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Comments

はじめまして。最近、読ませていただきはじめたばかりなので、ナンですが、一周年おめでとうございます。simonさんの考察には頷くこと多く、更新を楽しみにしています。僕は建築はド素人なんですけど。
ところで、この写真は小田急永山の駅前のあたりでしょうか。郊外でポストモダンな名残りを見せる建築を目にすると、なんだか寂しい気分になります。

Posted by kebabtaro at July 16, 2005 9:31 PM

コメントありがとうございます。kebabtaroさんのブログ楽しく拝見させて頂いてます。
てっきり、建築に関係する方だと思っていました。
今日は、気分よく過ごせそうです(笑)

そうです。写真の建物は、小田急(京王)永山の駅前です。出来た時期もポストモダンの末期です。この設計者が建てた同時期の建築に、雲のような浮遊感といいますか、同じようなボキャブラリで建てられた建築や、コンペ案があります。当時、彼はフォルマリスティックな操作を否定していましたが、それに陥っているように見えるということですね。その矛盾。もう一回、読み直そう。ちなみに、浮いているように見えるボリュームには、ボーリング場が入っています。
また、彼は「建築家は消費社会を否定するのではなく、消費の海を泳ぎきり、その対岸にこそ何かを発見しなければならない」と言っている。しかし、写真にある建築の設計過程で、企画変更をされ続け、終了する見込みがつかず「まるで消費社会に呑み込まれるような恐怖を感じた」とも言っている。

この後、せんだいメディアテークを設計し、この建築は「完成後も、アンダーコンストラクション(建築中)である」という名言につながっていく。
矛盾や、困惑に、新しいなにかを予感する。ってことですね。

Posted by simon at July 18, 2005 2:00 AM