日本してきた

建築ばかり並べてみました。ブログのレイアウト上すっきりする横アングルで語ってみる。

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新潟の豊栄にある安藤忠雄設計の市立図書館
新潟に行ってみてあることに気づき、行ってきた。そんなノリの旅。写真にある階段の下に小さな部屋があったり、四角と丸がぶつかった単純な平面構成の中、ぶつかった時に出来てしまう余ったように感じる部分を利用している空間や、図形の輻射によって出現した新たな図形を利用して空間をしつらえていたりしていた。いろいろな場所ができている作り込み感がよかった。庭自体はどうったこと無かったが、庭と内部の関係は良かった。色々な場所を作りたい建築家的感覚がちょうどいいくらいにあった。住宅が少し大きくなったくらいの規模が安藤さん的な空間の作り込みにちょうど良かったのかな。外の構成は良く覚えていない。ま、壁が続いていた。なぜ、あんなに閉鎖的な外観にしたのだろう?別に幹線道路に面しているわけでもなく。そうか、冬の雪に耐えるためか。だから内部の印象が強く豊かなのか。光の教会の時のような感覚を思い出す。写真にある階段を下りると、いろいろな空間が目に飛び込んできたのでシャッターを切った。

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新潟の豊栄にある安藤忠雄設計の地域施設(中学校+コミュニティセンター)
これも新潟に行ったらあるよって、教えてもらった。たなぼた見学。先の図書館の近く。アプローチ道路からみると、スタジアムなのかと思うくらいにでかい。鳥の片翼をひろげたようなゆるやかなカーブを描く外観。ボリュームの奥行きが薄く、足下も浮いていいて、良い感じで横長連続窓ガラスに夕暮れの空が映り込んでいて、グワァっと飛びそうな感じがした。車でスピードにのってアプローチしたのもこの感覚に関与しているだろう。予想だが、この翼は校庭側に強い北西風が吹き込まないための壁としての構成だと思う。翼の片側に卵のような形をした体育館がいる。体育館と校舎は内部で接続していると思いきや、しっかり外部ブリッジだった。2メートルくらいだけど。コミュニティセンタと学校の関係は階層で隔てており、見えたりはしない。ただ、中の音楽室や図書館などの機能を共有しているらしい(管理人談)。写真は校庭側からピロティを見抜いているアングル。校庭側の窓辺に立つと、いかにも行きたくなるガラスのボックスが飛び出している。行ってみると、椅子がおいてあって、妙に広い廊下?ギャラリー?があって、使いこなせるのか心配な場所ではあった。屋上にもちゃっかり上がらせてもらい、これから向かう遊水館と潟博物館を目視。もう新潟市に合併されたけど元豊栄市長は建築に見識があったのか? 街の規模の割に建築家が設計した建築の数が多い。作る必要があると言った元市長はすばらしい。

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新潟の豊栄にある青木淳設計の市営プール
先二件の安藤さんの建築の前にすでに完成していた遊水館。どうやら丸い形が好きな市長だったらしいと、おじさんが言っていた。駐車場に降りた瞬間、青木さんの表面の作り込みの趣味性を感じてしまった。近くまで寄って、どうやってウロコのような木を貼っているのかを見たが、わざとインテリア的な作り込み感にしたのかと思わせる雰囲気が漂っていた。なんか素材自体の質感を欺して使っている。この表情だったらこの素材でなくてもよかった気がすると普通は思うところに何か問いかけがあるのか? 先に木の質感のイメージがあったのか? この木の質感を持つウロコとやたら白くのぺっとした表情の部分とのギャップは、ちぐはぐな感じ。張りぼて感をわざと強調したのかなぁ。それともこの木を使うプログラムが設計時に組み込まれていたのか?そんな気もしてきた、このはぐらかし感。内観はいたってオーソドックスだったと、話をまとめると非難囂々だと思うが、特にこれって感じがしなかった。構成が決まった瞬間、さぁ作り込むぞぉっ!てノリがそのまま表現に出てる感じ。すべり台とか階段とか、のぞき窓とか手すりとか。そんなことより、建築家的な感覚の何かを意図的に放置して作ってないか? 青木さんの建築これが始めて。ここちよくないこのズレ。

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新潟の豊栄にある青木淳設計の潟博物館
閉館時刻が迫ってきていたので、流れ込むように潟博物館(97’)に。外装や内装が嫌でも目に入ってくるので、それ以外のことを考えたいと決意して入った。こちらの建築も先の遊水館(97’)も、平面の構成が強い。円が主体で、そこに階段が巻き付いたり、意図的に引き延ばされたようにみえるブリッジなどが貫通したり、接続したりしてる。潟博物館の設計が先行していて、遊水館はそのテンションの中で潟では表現できなかったことをやろうとしたのか。これは親子として見た方がいいな。同じ公園内だし意識しただろう。この写真は接道をまたぐ歩道橋から撮ったものだ。この橋、普通なら土木の仕事。他の領域を引き込むのはもうすでに建築家の仕事の基本なのか?それとも建築に見識がありそうな元市長のガハハ親父ぶりが発揮されたのか? そんなことよりも、妹島さんのなかへち美術館(97’)、マルチメディア工房(96’)、森の別荘(94’)などと、どこか似た時代感覚がないだろうか。主体をキープしたまま、付属要素を拡大、延長させている。古くからある身体感覚をキープした主体と新しい身体感覚を目指した付属要素とのぶつかり合い。わかりやすい関係性の演出だけど、そこに何かを期待する建築家的な感覚はわかる。かつてであれば、バランスがわるく気持ち悪いとも思えるこの操作、奇妙な身体性とも呼ぼうか。バブルの反動として過ごした90年代の閉塞感、かつての手法を覆すCADの台頭、ネット空間に対する期待感。それらを、自然に表現したものと言えるだろう。しかし、あくまで平面の操作にとどめている。立体にした時のプロポーションは特に新しいわけでもなく、ただ良い。では、その時代感覚を一旦消去して、潟博物館と遊水館の親子で追求したイメージは何だったのだろうか? 青木さんに対する個人的な伏線をここで挙げてみる。大学入試を意識したころ、梅田の紀伊国屋でふらふらっと建築のコーナーに立ち寄った。そもそも親父の影響で建築の仕事はイメージしやすかったので、とりあえず無意識に興味があった。その時、目に入ったのが青木さんのB(99’)が表紙になっていた住宅特集だった。はっきり言ってものすごい衝撃的だった。学生身分で2000円も雑誌に払うという敷居の高さを忘れて、即買い。住宅に全く見えないし、書いてあるコンセプトも全く意味が分からない(当時は分からなかった)。へぇ、建築って危ないと素直に思った(笑)。その時のコンセプトには確か、ナカミとカタチの関係性を断ち切った方法論を組み立てたいと言った主旨のことを書いてあった。今に思えば、既存の建築を完全否定するようなポーズをとるスタイルが、この潟親子の時からすでにあったのだろう。ただ、コルビジェも磯崎さんも建築の源流を裏切るポーズをとるものの、それをまた裏切るようにきっちり作りこむのに対し、青木さんの建築は実際の建築で再びあさっての方向を向きながら裏切っている。僕にはそれがあまり心地よくない。古くからある身体に対する理解と新しい身体を目指す姿勢がうまく融合していない奇形である。そこには何が?

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山形の上山にある谷口吉郎設計谷口吉生改修の斎藤茂吉記念館
奇形にうなされた気もしたが、まばゆい光をまとうコシヒカリを見た瞬間にそんな事も忘れ、次の日には山形を目指した。この写真の前に撮った写真が一番良かった。が、消してしまっていた…。それはつまり、階段を上りきった後、銅像を正面に捉えるのではなく、エントランスに首を振った瞬間のアングル。たしか、記念スタンプの構図もそれだった気がする。今の僕がこの建築をどのように評価するのかは難しい。下手するとただの懐古になってしまうからだ。(少し前に聞いたPodCast 文化系トークラジオLifeの中で三丁目の夕日は昔の日本は隣人関係家族間などのコミュニケーションが豊かで良かったという感覚を促すばかりで、実際はものすごい悪臭が漂っていたりする現実にあった空間を無視することによって、今、これからの日本を抱えていく行為を放棄しろと言っているのに等しいという文言を思い出す。)素直によいと思ったことだけを書いておく。なにせ、田舎だ。駅を降りてすぐのところに建っているが、無人駅だし、空気はいいし、紅葉しているし、とにかく非日常の世界に導入から引き込まれる。この敷地を選択したのも建築家の提案だったのか? それとも、この場所が茂吉に由来しているかは忘れてしまった。しかし、アクセスのしにくさのおかげで、久しぶりに美術館の空気を独占した状態で堪能できた(最近は子供が走り回っていたり、興味もない人をも強引に連れてくる授業の学生達など、団体さんに囲まれての展示を見ることが多かったので…)。展示されているものは、茂吉の人生そのものにすぎないが、世界に入り込む心の準備を促す環境作りは申し分ない。建築のかたちだけでは直接提案できないような環境作りに寄与するくらいのポジションに立つ建築家の仕事は好きだ。

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山形の尾花沢にある隈研吾設計の藤屋
ここは女将が有名です。AC公共広告機構のCMで「ニッポン人には、日本が足りない」というのでわかりますね。タクシーで向かったのですが、この町ではやはり有名らしく。日本で五本の指に入る建築士さんが建てたって聞いてますわぁ。へぇ五本なんやぁ。あとの四本は? 時期でもないサクランボに思いを馳せながら行ってきました。旅館どうこうではなく、女将勝ち。今回の旅は訳あり三人組だったので、満足していただいたようでよかったです(笑)。女将がどこかでコメントしていたのですが、これからの銀山温泉を考えていかなければいけないという姿勢を、建て替えるという行為で具体的に示したというようなことを言っていた。実際に、周辺の旅館も改修などを始めている様子だった。人の力が街の力に繋がる瞬間を見れてよかった。

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山形の村山にある高宮眞介設計の真下慶治記念美術館
まるで、エントランスに向かっているようでしょ? ちなみに、この写真はこちらのブログの逆アングルです(すげぇ広角レンズじゃないか?ぴこさん)。ひっそりしたエントランスと、最上川や山々を含めた周辺環境と一体となれるロビー空間を演出し、あとは好きにしていいよって感じ。エントランスの素朴な雰囲気を感じるしつらえと、最上川を一望できる操作のために出現した中庭周りのイメージはあまり関係性がないように感じた。その大きな2つの要素を含めた全体のイメージが無いものを狙ったのかもしれない。ロビーの窓辺から見えた周辺と一体となった空間が鮮やかに記憶に残っていることは確かだ。

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宮城の仙台にある伊東豊雄設計のせんだいメディアテーク
東京のオペラシティで開催されている建築|新しいリアル展を見に行くつもりだったので、五年ぶりに再びメディアテークに行きたくなった。青森へ向かうには仙台に寄る必要があったので、行ってきた。青木さんのBの次に大きな衝撃を受けたのはメディアテークのコンペ時の模型を見た時だった。伊東さんの話題はどこへ行っても絶対するし、好きな建築家の一人だ。北京では「女子高生になれないオヤジ」という通称で通っている。と言ってもすごい狭い範囲だけど(笑)。どうしてそんな呼び方をするかっていうのは、伊東さんの中にあるジレンマを比喩しているつもり。例えばこのメディアテークで言えばもともと、模型のように柔らかいイメージから始まったものの、火花散る力強い現場と好き放題言ってくる様々な雑音から距離を保つ作法として、自然と強いものを求めた。でもやっぱり出来上がった建築の仕上がりは、チューブの鉄骨を白く塗り、ちょっと抽象度を上げ? というよりお化粧したぐらいの感覚のチューブとそれに接続する床を、幅の太いのっぺっとしたゴムみたいな素材でつないでいる仕上げにびっくり。なんか、気持ち悪くない? 決して、デザインが悪いとか言っているわけじゃないし、地震時の逃げの問題であったり、防火区画などの外的条件などから決まった部分もあるのではという想像もつく。僕の偏った見方を極端にして言っているので、アホかと思われるかもしれないけれど、ぼくには女子高生みたいな…ほらかつて伊東さんが言っていたノマドのイメージは都市を軽やかに生きる若い女性じゃない。その身体感覚に惚れたものの、いつのまにか自分はオヤジになってしまった。でも、やっぱりあこがれるという、この流れが同時となって設計時に立ち現れ、ジレンマとなるという図式で見るのも面白いんじゃないかと言いたいだけ。女兄弟に囲まれて育った幼少期も捨てがたい事実。別事例として、イノセンスを発表した後に行われたユリイカに収められている神山監督と東浩紀の対談の中であった、押井守は自分の身体では表現できない「何か」をこの映画に求めているといったコメントが、引っかっている。無いものを求めるという感覚が、伊東さんと押井さんの間でなんとなく共通している気がして、僕の中では繋がっている。そういう世代感覚なのか?それとも戦略なのかはよくわからない。そうそう、写真を見て何かに気づいた人はいるかな? 2Fの椅子はもともと、白のクローバーだったけど。黒に変わっている。いろいろ想像しちゃうけど、空間を維持する意志はちゃんと引き継がれているのだなと安心した瞬間でした。おまけに伊東さんがデザインしたスケッチペンも買っちゃいました。じゃぁまずは海藻…あ、ぽいぽい。ぽいなぁ。

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青森市内にある青木淳設計の県立美術館
朝一番に向かった。自衛隊の駐屯地が近くにあり、発砲音を聞きながらアプローチ道路をゆっくり歩いていた。縄文と現代という展示を見てきた。外観の割に、内包する空間は大きく、展示量が多かったのと、多少強引な解釈と(僕自身と展示から得られる)浅い情報量のデフレスパイラルで、途中から飽きていた。とにかく、この建築も奇形だ。この建築の主役は間違いなく内部空間であろう。その内部空間を構成する全体には、古い身体感覚がしっかりと刻まれている。この建築でいうなればホワイトキューブがその古い身体云々であると言って差し支えないだろうか。でも局部、特に表層は徹底的にはぐらかそうとしている。この全体と局部の乖離している関係性が巨大な内部空間のあらゆるところで実践されていた。例えば、ボリュームとボリュームがすごい点で接していたり、巨大なボリュームがちょっと隙間をあけて浮いていたり…、ボリュームとボイド(内部空間)の関係に今までのボキャブラリーを全て注いだという感覚を受けた。ただ、パッケージとしての印象としては、異常な局部(表層の操作)や部分的に拡大されたスケール(シャガールの展示空間)や引き延ばされた動線(スロープ)が、あまり意識されない程度になっていたのも事実。それらは、破綻を誘うような、既存を突き破るような存在としては扱われていなかった。外部空間との関係が少なかったのも気になった。寒いという地域性が関係しているのか? たたきの仕上げもどこか、ケミカルな雰囲気、もはや土というより、土色をした仕上げという質感だった。当然性能を維持する必要があったのだろうが、白と茶の関係に新しさを感じなかった。 じゃぁどこ? もしかして、空間を作ろうとしていないのか。空間をイメージせずして、何に向かって設計しているのか? この美術館は今までの青木さんの集大成と言え、次の展開を期待していいのではないだろうか。結局夕方近くまでいた。

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青森市内にある安藤忠雄設計の国際芸術センター
青森市内はバスで移動していたので、一旦青森駅に戻るというルートの上、駅から40分くらいかかるという位置に建つACAC。アーティストインレジデンスのプログラムを持つ美術館である。これも意外とよかった。今回の旅は同じようなプログラムを持つ建築たちの奇形と王道の反復の旅だったなぁ。おかげで、それぞれの葛藤を鮮やかに感じることができた気がした。

そうそう、ギャラリー小柳の杉本博司の新作を見逃したのが悔やまれる。

建築 | Posted by at November 24, 2006 4:04 | Comments (2)

今日のCCTV

霧でかすむCCTV
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昨日、日本から帰ってきました。霧の影響で北京空港が閉鎖され、上海で待機となりクタクタでした。おかげでワイルドスワン上巻読み切っちゃいました。今回の帰国でカメラもPCも落っことしてしまい、なんだか調子が悪いです。調べてみるとGR DIGITALのファームウェアアップデート明日出ますね。システムの初期化とかできないかなぁ、挙動がおかしい。日本滞在中に僕が卒業した研究室の卒業生、現役が集まる会がありました。そこで中国の話題を少し話したのですが、CCTVのことに全く触れませんでした。遠くからでも撮影映えするくらいに立ち上がってきたので、今後撮影した日に写真をアップする試みを始めようかと思います。ちなみに、今回の写真はクライアントのオフィスから撮影しました。

霧でかすむTVCC
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TVCCは、ホテルなのでオリンピックまでに完成するペースで工事が進んでいるそうです。CCTVは、外装まで。

建築 | Posted by at November 21, 2006 19:41 | Comments (3)

建築したくなってきた

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北京に来たのは、自分の意志というよりも、縁です。したがって、どんなことでもいいので何かを見いだしたいと考えています。唯一の武器は、建築はおもしろいと知っていること。芸術にも工学にも寄り切れない曖昧な部分に、あらゆるドラマ(解釈と実践の快楽と裏切り)を内包出来る建築と付き合っていきたい。
では、現在の自分が建築にどうやって立ち向かっていけばいいのか? イメージはなんとなくある。ざっくり言うと、きまぐれな風貌で、混乱と倦怠を手の内におさめながら、狂気ある瞬間を確実にしとめいくような態度でやっていきたい。この意味不明なパーソナリティはおそらく消えも隠れもしない。もはや生かすしかないとすらあきらめている。この際(この夏のワークショップの成果レポートを書いている)、もう少しこの問いを深めよう。

今までの建築は、テクノロジーによって人々の暮らしを豊かにするというイデオロギーを孕んでいました。逆説的には、政治/経済と対立することで、そのイデオロギーを正当化してきたともいえます。この解釈に現在的な視点を書き加えるとすれば、その対立が無効化した時代に突入していると言えるのではないでしょうか。この仮説は、モダニズムの反動ではなく、あくまで過去との地続き感を携帯しつつ、新たな展開へ向かいたいという意志による考えです。もうすこし言いすすめるならば、そのイデオロギーは個人レベルにまで解体されたという整理が適当ではないかと考えている。そして、その個人にまで還元された、個別の潮流をゆるやかに束ねる新しいテクノロジーが生まれようとしている時代に生きていると思う。文化、時代が動く瞬間は必ず訪れるのだ。

一方で、「そんな」イデオロギーに純粋ではいられないという自己矛盾を孕むことは、建築に立ち向かう上で、必然的についてまわります。その自己矛盾を超える手法を様々なレベルで検証し、実践することで、乗り越えられる。そこで、おもしろいテキストを見つけました。以下抜粋。

社会経済学に「不純物の理論」というのがあります。歴史経済学者ジェフリー・ホジソンが言い出したことだと思います。簡単に説明すると、どんな形の社会で あれ、社会が成熟していくと、その社会が抱える問題も成熟していく。その解決のために社会は純粋ではいられなくなる、つまり不純物が必要になる、というような理論です。例えば資本主義社会が成熟していくと、資本主義の枠組みでは解決できない問題が出てきて、それを抑えるために社会主義的なシステム(不純物)を採り入れる……など。

中国は、文化大革命以降、社会主義と資本主義という2つのシステムを実装してきました。社会主義ばかりではたちゆかないことに気づき、一方で社会主義的なイデオロギーによって可能な「何か」をも知っているこの国にはものすごいポテンシャルがあるのかもしれません。僕個人のレベルで感じているその凄みの一端を書いておこうと思います。建築を作る際の制度にあってないようなゆるさがあります(折衝で変更できてしまう)。言い換えると、建築行為そのものがその場所の制度を作ることと直結します。すなわち、中国的な状況によって、ものすごく建築のピュアな部分を試されている気がします。

建築, monologue | Posted by at October 22, 2006 1:45

夏のあと

建外SOHOの北側に接する道路が開通

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この夏のワークショップの続きを書き始めました。出しきれなかった思い入れのあるネタ、その後の北京などをゆっくり加えていこうと思います。せっかくいる北京の紹介とかに全く力を入れていない自分のブログのオルタナティブとして、しばらくは運営していこうかと思っています。

blog, 建築 | Posted by at October 5, 2006 16:14

積極的二次利用の時代

新聞の広告
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中国のデベロッパーによるマンションのセールスセンター(参照元)。中国的二次利用の現在とも言えるが、市場原理によって淘汰を超えた時どうなるのだろうか? 複製の反復という劣化コピーの中から、力強いものが立ち上がる予感。飲み込まれない中国が来るかもしれない。そうだとするとぞっとする。だからシャッターを切った。

「攻殻機動隊S.A.C.」の続編「SSS」の発売Preview)が近づいてきた。今回も監督は神山健治。彼は、日本における桃源郷が、江戸時代、冷戦下のバブル二度あったと整理している。それを潜在的に求めているという設定で攻殻を描いているという彼の言葉を思い出した。個人的な予感では、次の桃源郷は簡単にまとめてしまえば、本質的なITの隆盛を迎えた時に、立ち現れると思っている。そういう時代に生きていると認識している。その時とは、すでに存在しているGoogleに代表されるシリコンバレーが牽引するITによる「知(資源)の再統合」という大きな熱風が一段落する頃。それを取り囲む言説(例えば)を追えば、おのずとそう感じるし、また分野を超えて刺激を受ける。まもなく、始動するGEET STATE制作日誌)も、その熱風の余波として見逃せない。彼らは、未来学エンターテイメントと呼び、人文・社会学的見地からと、情報技術的見地からの未来予測、それらの設定を生かしたSF的手法による物語構成によって未来を大胆に予測しようとしている。三人のさまざまな思惑が交差する中で立ち上ろうとしている都市像にわくわくする。余談だが、彼らのまなざしが他の表現へ飛び火する予測がつく(特に東浩紀は動ポモに記してあるような二次利用を期待している気がする)。また彼の苛立ち(活字エンターテイメントに蹴りを入れろ)からも感じられるように、発展的飛び火を演出してやったる!くらいの雰囲気がGEET STATEにはある。

ここからは、僕の仕事のスケールに落としてみる。中国はあまりに楽観的な設定に向かって、ひたすら建築、都市を生産していると、やはり思う。なぜなら、かつての日本と現在を知っているからだ。例えば、僕の修士の対象だった多摩ニュータウンも31万人規模の街でありながら、19万しか住んでいないのである。少し、思い出してみる。まず、つくりすぎた部分を段階的に山へ帰せばいいと考えた。それから、都市的な規模は一度に更新されるわけないので、問題が最も顕在化しているエリアを対象にしたロールモデルを提案すれば、今後の参照元となると考えた。今後の社会状況をみながら、街の運営主体がモデルを参照しつつ最適化していけばいいと考えていた。ちなみに、この修士設計のみそは、ニュータウンを全部を山に返せ。というストーリーではないところ。例えば、日本の産業をささえる人口がどんどん減っているので、就労人口を補う難民居住区として再利用されるかもしれない。つくりながら考えるモデル=パッチのようなものを街に打ち込んでおけばいいとうい姿勢が共有できる雰囲気作り、提案されたモデルを競って具体化できるシステム、システムを実行する新しい街の運営主体(今までは行政)が必要だとわかった修士だった。
中国の話にもどすと都市的な状況によって生まれた癌をもて遊ぶレムですら、中国の現状に対して警告している。実際の仕事も、あり得ないと思ってしまう成長設定に基づいた計画をたよりに都市、建築を設計している機会が多い。ネガティブリアクションに対するリスク対応を建築的に提案できないのかと、頭を抱えてしまうこともあるが、この際、シンプルなルールで実験的なことを試したいし、それを実現に持ち込める雰囲気はある。偶然、今の中国の社会状況によって「モデルを競って具体化できるシステム」が敷かれている。淘汰を超え、複製の反復によって引き起こされる劣化の中から、力強いものが立ち上がる。

建築, 趣味 | Posted by at September 19, 2006 2:55 | Comments (2)

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