デザインする態度

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ギャラリー間が主催した大江健三郎と原広司の講演会を聞いた。ちらしを見ると大江さんの事が書いてないので入稿後に決まったんだろう。来年、大江さんは70才。その機会に前日、海外メディアの取材を受けたそうです。日本の人は誰も祝ってくれていない。なんて笑いをとっていましたが、そこで、五冊。今日的な話題の本を挙げて下さいという話があったそうで、(30カ国語にも訳されている)「集落の教え:彰国社」を推したそうです。それほど、原さんとは親睦が深く、互いに知的な示唆を与える立場だと言うことが会話の中からも滲んでいました。また、メディアに対してdiscreteってわかるか?ということを会話したらしく、同じ発音のdiscreetは、分別のある、慎重、控えめな、目立たない。というように原さんとは正反対の意味を持っているっ。てな話でまた会場に華が咲く。続けて、縦を切った、横に繋がった民主主義の話とか、政治学者の丸山眞男さんが次の展開として全ての個人が自律している必要があるという、それはアナーキーな状態を生むのではないかという議論の展開がある例えを出し、大江さんの意見としてその次の民主主義として東京に、ディスクリートな10の社会があるとそれらの共存関係はどうなるかと聞いたら。原さんがファシズムを認める概念なんだなんて事を言って、大江さんが共感出来ないとか(語弊があるといけないので補足すると、彼曰く長い時間の中の一つの断面としてファシズム的な現象もありえるということを言いたかったらしい、ディスクリートな現象は長いスパンの中で展開しないと意味が無いなんて事を言いたかったようだ)。戦後食べたケチャップは民主主義の味がしたなど楽しい話題が次々と展開する。最後に、原さんがトイレへうろうろしているとき、大江さんが一人でディスクリートの事について話をまとめる方向へ、今年は二つのドアが印象的な年だったということにしようじゃないか。ひとつはお金をたくさん持っている、なんとかドア(livedoor)が、球団を買おうとしたこと。もう一つは、コネクタビリティとセパラビリティが共存しているディスクリートの概念を持って、未来のドアを開けようとしている、あまりお金を持っていない原さん。ね。(従前なる概念のひとつの具体性として、ドアが限度のある多様な連結可能性を開くという話が前にあって)最後にどっと沸く。当然原さんは苦笑。スライドはたくさん用意してあっただろうに、建築の具体的な話はとんとなかった。空間の現象で話す言葉と論理を用意することが自分のライフワークと語る一人の建築家が、概念はオープンソース的なものだということを、なんども言っていて、その概念によって具体的なものとなった建築を語ろうとせず、思考が介在するひとつの概念にすぎないんだということを全体として言っていた気がする。建築を言葉で覆い尽くすスペシャリストなんていないし、言葉のない建築なんてものも存在しない。建築を建てるという行為が、人を動かす概念を示唆出来る美学なんてものがあるんだと強く訴えられた二時間半でした。

建築 | at December 16, 2004 5:26


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Excerpt: 原広司展「ディスクリート・シティ」@ギャラリー間 都市論に造詣の深い友達に誘わ...

Tracked: February 16, 2005 12:37 AM




Comments

えっ! そんなのあったなんて、行きたかった……。
実は、ほとんどの小説は読んだことがあるほど、ぼくは大江健三郎氏のファンです。もちろん、大江氏と原氏は旧知の仲で、大江氏の出身地にある中学校(http://www.iyo.ne.jp/ohse-j/)を原氏が手がけている。更にその中学校と思しき建築は、『燃え上がる緑の木』(http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4101126186/249-2231387-9184302)の中で、重要な舞台となる礼拝堂として登場している。おまけに、物語の中では原氏をモデルとした人物が「荒さん」という名前で登場するほど(笑)。もちろん、大江氏の『集落の教え100』に対する発言も多く、『新しい文学のために』(http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4004300010/249-2231387-9184302)という文学入門的な著書では、最後の2章を『集落の教え100』に寄り添いながら書いている。
あとの4冊は何だったのかな? 興味あります。

Posted by shinya at December 16, 2004 8:02 AM

うわー、これはすごい面白そうですね。私も行きたかった……。

ディスクリートな10の社会が共存するには、たしかにファシズムが発生するだろうけど、それはそれで私はいいと思うんですけどね。いまの日本はファシズムくらいのわかりやすいシステムをもってして、まっさらにならないといけないような気がします私は。

shinyaさんと同じく、あとの4冊知りたいです。

Posted by mai at December 16, 2004 1:11 PM

実は、講演の30分くらい大江健三郎の生まれた谷における文学の空間(文学の中における位置関係)がプロットされた地図を使って、大江文学の説明を原広司がしていた。残りのスライドは、モンテビデオの写真二枚くらいと、中学校の写真一枚と、集落の写真くらい。藤井明やらが参加する空間術講座が六本木ヒルズであるみたいだし、テクスト化されんじゃないかな?。キュレータの人も言ってたけど、二時間半ではもったいない組み合わせだった。それと、五冊の件ですが、イギリスかどっかのメディアと言っていたので頑張ってひっかけに行くしかないね(笑)。「離散性について」の講演会だったし、言ってないよ。まぁ裏話的なこと(その五冊を含め)が聞ければまた、書きます。最後に、ファシズムというのは、過去を背負っているので、新しい言葉でそのシンプルな新しい未来に向かうはずの概念を説明すべきだと思います。ディスクリートがそれにあたるという講演会だったのです。

Posted by simon at December 17, 2004 3:05 AM

結局、あとの4冊は言わなかったということですか? それとも、言ったけどわからないので、おそらく書籍化されるので、それを見てみろということ? イギリスのメディアとは何? 頑張ってひっかけに行くとは、何をどうすることを指しているの? 裏話的なことを聞くのは誰から? うーん、難解なテキストだ。まさに離散的。

Posted by shinya at December 17, 2004 5:43 PM

そこで離散的というより、悲惨的(笑)。
残りの四冊のことは言ってなかった。
イギリスのメディアに取材を受けたと言っていたか。海外と言っていたか。曖昧。
酔っぱらいながら書くと文脈という理性が飛ぶ。

Posted by simon at December 17, 2004 8:57 PM