わかりやすく。という名の功罪

内モンゴルの砂漠
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日々の設計活動の中で思うこともたまには。今日の朝、世界史に名前を残す知識共有を阻む37の壁を読んだ。そして、さっき打ち合わせを終え、席に戻って書き残そうと思った。
北京に来てから未だ好循環の中に立つことが出来ていないけれど、立てる可能性を感じ始めている。好循環に立つってどんな状況なのか? 大きな話で自分を律するならば歴史の中に自分をどのように立てるのか。小さな話では日常をどのように楽しい渦へ持ち込んでいくのか。それらが両極端となる振れ幅に、自分の身体が、はまったと感じる瞬間が来たら、好循環の中に立っていると思えるだろう。そういう感覚はたまにあるが、すぐに消える。
建築がおもしろいと感じてから、自分の身体と周辺とのずれを意識するようになった。そこをどのようにつないでいくかに展開できるアイデアが潜んでいると思っている。だから、はまる瞬間って継続しないもんだとは思っている。そもそも、自分の身体は成長するし、環境も変化する。自分にとっての大きな話と小さな話はその時々の仮説でしかないと言うことだ。従って、好循環を引き寄せる力学を探りたいわけだ。そして、意図的にその状況を起こせるまで到達したい意欲がなぜかある。
これを書き始めた時に考えていたのは自分の中から生まれそうな感覚をどのように書きとめ、その小さな気づきを大きな流れにつなげていくか。その方法は、スケッチや言葉の積み上げになる。具体的には、自分の提案と周辺とのずれを、話し合いの中で認識し、次に展開するきっかけを発見する一連の流れが、打ち合わせとなるのだが、自分の提案を説明する段階ですべてをアウトプットすることは不可能なので、わかりやすくする必要がどうしても出てくる。そのわかりやすくしたことによって、そぎ落とした部分に本質がかくれていたりする危険もある。しかし、一旦単純化し、その単純化された具体的なアイデアに修正を加えていくことで、本質へ突き進む道が開けるのだと、再認識した。いろんな人種、さまざまな教育を受けてきた人がいて、そして僕は外国人。わかりやすくする事が大事だと思っていたが、やっぱりそぎ落としすぎるとつまらないわけだ。なんとなく、自分がやろうとすることをモデルに還元して、それを共有化する可能性を感じた。

この際、もう少し話をドライブさせる。中国というのは、僕ら外国人にとっては、中国という名の現象でしかない。(中国という現象を身体化するという方法もあるかもしれないが、それには興味がない)この現象の中に存在する、具体的な環境へ身を投げることを決めたのは直感でしかない。環境に期待することは必要だ。一方、自分で環境を起こす必要もある。起こそうとすると、ちょっとした淀みが生まれ始める、それを今、感じ始めている。
中国で建築を建てるわけだが、自分にとっての建築を通した思考がある。それは、複雑な状況にシンプルな規律を与えたいという根本的な美学があり、その美学を究極的にまで突き詰めた建築家達が世界中にはウヨウヨといる。そしてボーダレスに活動をしている。今日の中国的な状況を感じたければ、OMAのCCTV、山本理顕の建外SOHO、張永和の798がわかりやすい波及効果を生んでいる。(それぞれのすばらしさは後々書きたい。)それらは、中国的状況を利用し、自らの理想を体現したわけで、ある意味、彼らにとっての夢が実現したと言って良い。僕は、もう少し長期的に利用することになる。
利用するならば、今までに対する解釈を整理していく必要がある。思いついたことを、羅列してみる。誘導したいアクティビティを単純な形態に置き換えて、建築へフィードバックする方法論をすすめる建築家は結構いる。僕の中ではモダニストの典型のように思ってて。その中の差異がすごくおもしろい。単純化することに対し抵抗した伊東豊雄、規範を転覆せんとする視線で産み落とした図式が建築に還元されている山本理顕、アクティビティを一旦、二極化し、その両極端を内包させた図式を利用する小嶋一浩など、ここにものすごい厚みがある。次に、海外の作品を見るとよく見られる、うねうね建築。建築家の与える規律が、都市から指先にまで到達する夢を皆で競い合っている状況と見てもよい。その頂点はザハだろう。また、うねうねにはFOAの横浜港大さん橋国際客船ターミナルに見られるようなアクティビティがそのまま形態になったようなそぶりをする建築もある。一方で、うねうねに対する明快な対立として、与えられた条件を徹底的に均質化する動きもやはり見逃せない。単純な形式の反復、薄さ、透明化、そして白く。その頂点はSANAA。最後にOMAを、社会的状況の中によって生まれたものを再編集し、でっちあげる。ちょっと書いただけで、おなかがいっぱいになった。

このエントリーの趣向は、気持ちのいい写真を載せ、ぐっと惹きつけておいて、スコーンと全く別の話をする。でも、気分は何となく繋がっているかもしれない。そんな感じ。そもそも、このブログの写真とテキストの関係はだいたいそんなテンションの間柄。日常の中で、はっとする瞬間。点と点がつながったと思った時を書き残したい。ただ、それだけ。

建築 | at September 7, 2006 2:12