香川県庁舎
丹下さんの成果って、あまり理解できてないのだ。建築は良い。ということは分かる。
建築 | Posted by at March 23, 2005 3:23 | Comments (1) | TrackBack (1)
線の多い家
いちいちかっこつけないとやってられない。(経緯)
建築, portfolio | Posted by at March 23, 2005 3:19 | TrackBack (0)
ホワイトアウト
僕らの世代は「ホワイトアウトの建築」からどう逃れるのか。自立出来るのか。というのが、無意識に抱えている困惑ではなかろうか。こんな会話をプレゼンを作りながらしていた。
先月、あるコンペのプレゼンテーションを作っていた。アーキテクトは、アドビイラストレーター独特のホワイトアウトする仕上がりが、気に入らないらしい。(笑)
近年、ユーロで最大規模になった自動車サプライヤーメーカーが、グローバルリーダーとして展開する中、各地に作る工場に、共通のビジュアルアイデンティティを提案して欲しい。というのが主旨だった。
土地が具体的に想定されていないコンペだった。そのため、一つの解答(建築)を目的とする事に、違和感を覚えた僕らは、現代的なテーマや、従来からあるテーマを示唆するキーワードを四つ挙げ、僕らが建築をアセンブルする流れを、プレゼンテーションすることになった。
それらから連想される建築化するアイデアを、彼らが持つ工場のシステムにアディションすることで、はなしの構造と同時に、僕らの持つボキャブラリーを伝えようとした。
キーワードから派生した、離散する20のアイデアを、アイコンに表現できるレベルまで還元し、四つの軸の中での関係性(位置)をプレゼンテーションで表現した。
建築 | Posted by at March 15, 2005 0:08 | Comments (7) | TrackBack (0)
萌え@写美
僕が行ったときは、平日の秋葉原くらいの混み具合でした。観覧者も展示の一部。即席のインスタレーションと言った具合で。きっとベネチアよりも臨場感があって、より本質的な環境で楽しめた。(笑)。なぜ、写美で展示が行われたが僕には分からなかったのですが、建築展としては「さいごのポストモダン」という表層を持ったニュアンスが、私的に楽しめた視点でした。もう少し言うと、内生的なきっかけが、あるひとつの徹底を生み、街の風景になったというストーリーの組み立てが、ポストモダンらしいなと。僕は、それよりもランドスケープアーバニズム的なスケールから、街並みを考えたりすることの方が、わかりやすく新しいものを生み出すのかも知れないと、思いこみながら萌えていた。
建築 | Posted by at March 14, 2005 23:27 | TrackBack (1)
Guggenheim@NewYork
ちょうど一年前は、NYへ行ってました。床は、三度に傾いている。しかし、当時これをやったことがすごいよ。個人的には良さがよくわからなかった。動線の結末を期待しすぎたところもあったし。寒すぎたし。‐10は軽く超えていたし。その上、地下鉄降り間違えて20ブロック近く走った(笑)。68st 86stの駅があるとは思わないさ。展示もいまいち好きでなかったし。いろいろ理由はある。MoMAは工事中だった。(LINK:simon:ビッグネスが生んだ建築)
NYにまつわるはなしを。まもなく、チェルシー地区に坂茂氏設計のNomadic museumがオープンするようです。ポンピドーセンターの紙にしろ、このコンテナにしろ、純粋建築を目指して、こういうのをつくる坂さん。かなり良い。
建築 | Posted by at February 14, 2005 8:19 | Comments (3) | TrackBack (0)
幼稚園から大学院まで
私、大阪出身なので、関西の情報にはなぜか敏感(な時もある。)まぁ三面記事的なニュースを無理やり全国レベルの話にしてみようかと。
関西大学新キャンパス構想によると、幼稚園から大学院まで入る30階の超高層ビルと、防災センター機能を有する体育館で構成されている一貫教育施設を作るようです。JR高槻駅北側の「都市再生緊急整備地区」に指定された地区に建てるということもあって、助成金と規制緩和が認められ、可能になったプロジェクトだと思う。全国で規制緩和に伴う官民合わせた投資は、全国の7割を占める東京において、五年間で10兆円と見込まれている。なぜ今、投資が必要なのかは、下記リンクを参照して頂きたいが、そのお金が有効に使われているかは、次々に完成しているので、経過を見て判断したい。
写真の秋葉原のビルもその一例だ。
国土均等利用と言ってみたり、巨大都市にお金を注いだり、ゆとり教育じゃないが、中身がないものになっている気がするなぁ。
LINK:動き出す都市再生事業
LINK:NHK総合「明日を読む」都市再生
建築 | Posted by at February 10, 2005 5:55 | Comments (2) | TrackBack (0)
P ジョンソン逝く
miyajima/weblog:Philip Johnson 逝く/ガラスの棺によると、25日亡くなったそうです。二ヶ月ほど前に、simon:ビッグネスが生んだ建築のエントリーの中で、未だにMoMAとのつながりがあるという話題を共有したばかりだったので、個人的にはタイムリーな話題です。しかし、グラスハウスを自らの墓に見立ててしまうとは…。NYtimesでも特集を組んで、彼の功績をたたえています。フィリップ・ジョンソン著作集(フィリップ・ジョンソン/ディヴィッド・ホイットニー 横山正 訳 ADA発行)をこの機会に読み直そうかな。nationaltrustによって、一昨年前に買い取られたfarnsworthhouseとグラスハウスを取り囲む歴史的な考証もこの際深めたい。
LINK:Architectural Record:Philip Johnson Dies
*写真は、コルビジェの墓。特に関係ないけど思い出したから。コルビジェは、大好きな海水浴中に カプ マルタン の海で。だもんなぁ。
ついでに、カブ マルタンで歩く私。
建築 | Posted by at January 28, 2005 1:37 | Comments (2) | TrackBack (3)
名残のある風景
LINK:simon:かたい空間
ーPM・CM方式を通しての考察ー
PM(プロジェクト・マネジメント)は、もともと米軍が第二次世界大戦で、マンハッタン計画という原子爆弾の開発プロジェクトを切り盛りする時に、「最小のコストと時間で高性能」な原爆を作るために、開発した大きなプロジェクトの推進管理手法という発祥を持つ。CM(コンストラクション・マネジメント)もまたアメリカで確立したプロジェクト実施方式だ。30年前アメリカでは、プロジェクトが大規模化、複雑化するのに伴い、工事遅延、予算超過が乱発し、それらを防止する目的で、マネジメントを専門に行う主体として、設けたのが始まり。
しかし、現在、それらの方式が持つ意味は、歴史的なコンテクストは違えど、事業の推進を得意とするPM、工事の切り回しが得意なCM(施設の管理が得意なFM)。と言った、それぞれの方式が持つ発想の着眼が派生し、建築全体のマネージメントへ発展したものになっている。どの方式も、施主と一体となって良い建築を目指すという、表だった目標は同じものの、ネーミングが似ていることもあり、差異を認識しづらい。施主(発注者)が自分の希望する建築の性格に合わせて、それらのマネージャーを選択する。と、いうのも混乱をまねく原因になると思われる。日本における大型のプロジェクトの推進手法は、これから開発していかなくてはならない。というのが、今日抱える論点である。
建築におけるCMやPMと言った、日本的な管理方式のスキルを育てるにあたり、社会的な命題としては、魅力的な日本の風景をつくる。と言うことがそれに、値するのではないだろうか。都市計画や、アーバンデザインという概念は、全世紀において、建築家が放棄せざるえなかった分野であると言ってよい。何一つ実現せず、「中銀カプセルタワー」のような派生した建築や、「横浜市の都市デザイン室」というような制度が形骸化して残っているだけで、社会に対する訴求力は、現時点では失われている。
魅力的な都市を開発していくためには、建築家が関わらなくても、ほとんどの建築が建っているという現実の中、それ以外の9割以上の建築を見捨てていては、一向に日本が持つ風景は良くならない。その指標たるものとして、ヨーロッパのような歴史的な象徴性をセレブレートする風土を受け入れようにも、地震や戦争によって都市をリセットする歴史を背負う日本において、その概念のみによって具体的なアイデアを生むことは、難しい。また、湿度の高い日本において、300年も400年も持つような建築を、作ることは現実的には不可能で、再構築していく中で、都市が持つイメージを培って行く必要がある。また、アメリカのような建築が引き起こす問題すべてを、訴訟に持ち込む風土から生まれたCMやPMを全うに受けていては、それらが日本における風景を創造するにあたり、頭の痛い制度になりかねない。
縦割り行政の性格上、都市の骨格(ファシリティ)である河川、高速、公園、海岸などは、デザインという価値が存在しなかった土木という分野が責任を負ってきた。もちろん、壊れない骨格を作るという理念に基づき、国土を作るという責務は全うしている。しかし、それのみで都市や国土が覆われており、その上に建つように見えてしまう、建築単体では、社会に対してクリティカルな視点が問えなくなってきていると言っても過言ではない。
では、どこに「日本の風景をつくる」可能性があるのだろうか。それは、誰もみたことがない地平であり、非常に可能性がある方法論として、今世紀確立していく大きな目標になると考えている。継続して、建築家が建築を建てることも必要だが、もうすこし手前で、従前なる制度をデザインする。というスタンスで再構築も必要だと思う。そこで、ゼネコンが培ってきた技術や組織力、行政への働きかけといったスキルを、建築、土木、行政と言ったフレームを横断し、PMやCMの導入という口実を利用して、開発可能な人材と、社会を作ろうとしている。それらが、どこへシフトしていくかは注意深く見ていく必要があると思うが、建築家が作る建築がただの、ぼやきに。制度がこれ以上の創意の弊害にならぬよう。建築に携わる人たちで、社会に働きかけて行かなくてはならないのは確かだと思う。
最後に、論点を分かりやすくするために、建築家とゼネコンという二項対立の構図をひいたわけだが、建築家が都市を創造することがあるべきであり、ゼネコンがマンパワーのアイデアを世に問う姿勢を持ち直すべきだと思う。僕は、風景をつくる。都市をデザインする。街をつくる。という事に興味が沸いている。
このエントリーは、
「建築マネジメントの実践p20〜47 日刊建設工業新聞 小菅哲」
「国土交通省 マネジメント技術活用方式試行評価研究会に関するHP」
「建築家 塚本由晴、リノベーションについて語る。」を参照しています。
遺構, 建築 | Posted by at January 27, 2005 18:53 | TrackBack (0)
いかに建築は社会的に構想されるのか
ほんわかしたら、顔をぽちっと押してあげて
就職活動している人への、メッセージですね。
LINK:145号
就職用の写真を撮るならお勧め。目の前でフォトショップ実演してくれて、みるみるスマートな顔立ちになります(笑)
LINK:アソーカメラ
コメントに出てきた本
LINK:住宅論 SD選書 49 篠原 一男
建築 | Posted by at January 26, 2005 20:52 | Comments (3) | TrackBack (1)
ニュータウンの秋
もし、このくらい鮮やかな風景が、一年通して展開するならば
それとして、「美しい街並み」と言えるのかも、知れないなぁ。
遺構, 建築 | Posted by at January 19, 2005 0:52 | TrackBack (0)
イメージをつくる美意識のひとつ
面出薫と伊東豊雄の対談 (光の建築をめざしてー「風の塔」から「せんだいメディアテーク」まで TOTO出版) の中で、ブルーモーメンントという言葉が出てくる。簡単に言うと、昼と夜の間にある短い瞬間。面出さんの説明を拝借すると、「日没の直後、地平線に沈んだ太陽の光が天空に拡散して青い波長の光に包まれる瞬間。その青の瞬間というのは、胸騒ぎの時間、とても不安定な情緒になるのですが、気持ちが吸い込まれるような美しい時間です。」さらに、メモによるとジャンヌーベルさんは、建築家は昼と夜の二種類の図面を書けと言っております。伊東さんは、昼と夜の交差する時間に現れる建築は、その建築が美しいのかを見るひとつのものさしである。というようなことを言っています。メディアテークのコンペ時の衝撃の模型は、その背景が目に見えて表現されたものだと思います。ブルーモーメントに輝く建築を目指すというのは、ひとつの美意識として頼もしいものだと、コンペ案を思いだし、トッズを見て (パークドームも見て) 思いました。そういや、横浜の調査してたのに、風の塔見てねーや。今度行こーっと。
写真は、コンペ史上まれに見る、審査委員長の村野籐吾が設計した広島世界平和記念聖堂。
建築家 難波和彦のホームページにある青本往来記で、下記の一文を検索すると、当時の状況が少しわかる。
「広島平和祈念聖堂コンペ」の審査委員で、後に聖堂の設計を担当することになる村野籐吾の位置も興味深い。
建築 | Posted by at January 7, 2005 22:19 | Comments (1) | TrackBack (0)
SANAA
LINK:MoCo TOKYO
ホームページがあるなんて知らなかった。
建築同様真似できぬ。
ただのシンプルでもなく。
ただのミニマルでもない。
サナーという言葉が生まれても。
僕は疑わない。
建築 | Posted by at January 6, 2005 1:52 | Comments (2) | TrackBack (0)
大阪に建つ二つの教会
二つのとあるのは、同じ日に行ったから。三年前に行ったときの写真。ひょんな会話で、三ヶ月ミサに通うと光の教会で結婚式を挙げれるようになる。という話を聞く。地元の人のための教会となっているようだ。増築されたことで安藤さんらしい戦う構成がなくなってしまった感はあるが、愛着は変わらない。建築的な構成という話で光の教会の話を始めると、残念な気持ちになるが、愛着が増して、要求プログラムが増したことは、ほほえましい事実である。その事実を目の前にして、モダニズム建築の冗長性がないというのは、短絡的な感情に過ぎないが、それに答える形で存在する40代の建築家のスタンスもどこか利用者に近すぎる感じもする。もっと違うかっこのつけかたもあると思う。このつじつまの合わない妄想は、僕らの同時代性はどんなものなのだろうか。という疑念に始まること。もうひとつの写真は、村野籐吾の宝塚カトリック教会。そういえば、心斎橋そごう無くなったなぁ。
建築 | Posted by at January 3, 2005 3:49 | Comments (4) | TrackBack (0)
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