多摩ニュータウンで何が可能か

場所
南西を向いて撮影

個人的な事情ではあるが、修士設計の対象を多摩NTとしている。税金による穴埋め問題からもわかるように、人口と経済の増大という前提が崩れ、つじつま合わせがうまくないのは確かなようだ。初期の開発地域における人口の減少、小学校の閉鎖、写真のような近隣センターの衰退。といった話題がNTに暗い影を落としている。当然、地価上昇による利益が見込めない昨今、事業主体である都や公団は、既に新規事業を停止している。今日的な問題として、人口の減少と少子高齢化が叫ばれ、人口と経済の縮小という前提での新たな近代化を歩まなくてはならない。さてどうする。打つ手はないのか。

上記の写真は、日常の中の狂気たりえているだろうか。右に傾いて見える鉄塔。すぱっと切り取られたようにみえる左奥の団地。形態は違えど、均等配置に見える奥の三つの団地。異様に際だって見える化粧品の看板。妙に小さく見える人。種明かしをする。合成はしていない。わずかに右回転しているだけ。写っている近隣センターというのは、用意された一番小さい単位の商店街。一番大きいのが多摩センター。100haと広範に展開する住区の中で、徒歩で日常生活の充足をはかる目的でつくられた。写真の手前の諏訪住区と奥の永山住区をブリッジでつなぎ、谷を走る道路をまたいでいる。地形を利用して、歩車分離が図られている。ヒルベルザイマーの垂直都市のようだ。

丘陵地を削りだして出来た多摩NTは、幹線道路や鉄道が走る谷間を軸とした、21の住区をリニアに並べた形式となっている。都心に近い西部の住区から開発が行われ、71年に入居を始めている。初期設定ではベッドタウン(BedroomTown)として計画されたものの、現在まで段階的に開発した結果、時代の潮流を受け、計画を変更しながら行っている経緯がある。

バリエーション豊かな形態から、均質化への抵抗(もしくは努力)がみれる。
北を向いて撮影北東を見上げて撮影
北東を見下げて撮影
これらの団地は、開発の旗手となった永山住区のものだ。写真にうつるものは、EV塔がついていたり、10層以上であったり、ハイツと呼ばれる家型のものであったりする。住区の中では新しいタイプである。

new town | at June 13, 2005 2:39


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