28年生まれの建築家

今日は、docomomoに関連した講演会に行けた。失礼極まりないが、三人が、群になると妖怪のようだった。
三人とも生まれが同じなんて、趣味の悪い編集者がレイアウトしない限り、判明するもんじゃないと、林昌二さんが新建築編集長の大森さんに、横ヤリを入れつつ始まった。はっきりいって、この三人が集まれば、場を仕切れないことは想像たやすかったが、案の定、初めから放流された。(笑)
三時間超と長丁場だったので、ここでは印象的だったことをレポートしてみたい。前半は三人のdocomomo選定作品を、本人がプレゼンするという、きわめて貴重な体験。
菊竹清訓さんは、「スカイハウス」と、「出雲大社庁の舎」、「ホテル東光園」を選定されている。ここでは、自分の原風景(筑紫平野)と出雲大社の思い出話がほとんどだった。機能主義を崇拝していた自分を変えた、個人的にも印象的な建物なんだと。打ち合わせするたびに、「ここは何に使っている部屋か」と聞いても、毎回返事が違い、信じるものが何もなくなった状態から構築した。という、体験に基づいた話。加えて、コンクリートで雨仕舞いまで、おさめてしまった結果、さしせまり老朽化という現実にぶつかり、どこを保存するか迷っていると。断面だけ残し、日本の風土も考え、やっぱり木。木を使って再構築しようかと思っているとおっしゃっていました。さいごの質疑で、現在のすがたをとどめて欲しいと、選定委員の建築家が言ってましたが、あっさり、docomomoは、何を保存し伝えるか明快じゃないんだと。まぁ、たしかにテクノロジーが進化したからって、ギブスのように構造体を入れ込んでも、まるで創意がない。建築家がおこなうリニューアルプロジェクトは、おもしろそうだ。
続けて、林さんは、銀座の交差点に建つ、「三愛ドリームセンター」と、「パレスサイドビル」を選定されている。監事というかたちで、docomomo japanに関われているのに、なんで「私たちの家」を選ばないんだと。またまた横やり(笑)。毒本って言うのを出してて、言いたいことは全部そこに書いてあるから、もう何も言うことはない。とか言いながら、スライドの一覧表を手元に持っていて、やる気まんまんじゃん(笑)。パレスサイドに関しては特に新しい情報はなかったが、建築的な工夫をわかやすく説明されていた。パレスサイド、かなり好きだなぁ。屋上を開放している時期があるらしいので、ぜひ見たい。
最後に、槇文彦さん。「名古屋大学豊田記念講堂」と、「代官山集合住居計画」が選定されている。ヒルサイドテラスの後ろに配する旧朝倉邸(LINK:空中写真 S49撮影)が、まもなく公園として開放されるそうだ。東京の街は、前面道路の幅があって、用途が決まる順番だが、26m以上ある道路に面するヒルサイド一体は、都市や街並みが社会遺産として残っていない現状の中、非常に恵まれていると。ずっと残るんだろうなぁ。建築家冥利につきる。そうとう、マンションが建たないように抵抗したと思うけど。菊竹さんも、スカイハウスを建てた時は、崖の上に建っていたのに、いまでは、40mマンションの谷底にあって、今では雨戸も閉め切って、最悪だと言っていた。都市計画、アーバンデザインをやっていかなくてはと。一方、処女作の豊田講堂は、改修するのに、槇さんがすごく張り切っているという話を聞いていたので、やっぱり計画中の模型が出てきた(笑)。大森さん曰く、おおやけな場で槇さんが、豊田講堂についてコメントする事が、貴重だそうだ。計画中の中身については触れられなかった。
(LINK:ヒルサイドスクランブル
休憩後、菊竹さんの意気込みにやられる。谷底のスカイハウスの中で、布団やベッドは、快適ではない。コンパクトで、機能的な寝袋に限る。というコメントを発し、壇上の林さんと槇さんは、目をパッチリさせて唖然としていた。当然会場も、ざわつく。誰もが、スカイハウスのワンルームの真ん中で、ぽつんと寝ている姿を想像してしまったに違いない。話の流れは覚えてないが、建築を社会遺産として残すと考えたとき、自分の家をどうするか分からないと。身も蓋もないことを、だれかが言った。確かに、そうだ。日本の場合は、耐久性を下げやすい湿度や、リセットされるような地震の問題もあるし、物理的にも社会的にも、三世代住める家はない。槇家のように、90代の親と70代の息子と言った、とんでもない核家族像が、そこにはある。林さんは、ストラクチャーは道路並みのインフラとして考えるべきだと。完全に安全なものを作るというより、社会の中で保証される範囲のことをインフラと言っていたと思う。そういう思考の延長にたてば、社会遺産に繋がっていけるかもしれないと。正直、三人とも、どう残していくかを考えて当時、設計してはいなかったが。どこを残し、どこを変えるかを、実践していく必要があると。他にも示唆に富む、多くの事に言及されていましたが、そのためには、制度、都市計画、社会、思潮を含めて建築家が立つ必要があると、熱くおっしゃっていました。
展示自体は、はっきりいって、人と情報量が膨大すぎて、セキスイハウスM1を目的に見た。中村政人さんの発想で、はじまったM1保存企画のひとつ、模型復元。途中経過は写真でいくつか見せて頂いたが、実物を始めて見た。ヤハリすごすぎる、塗装屋が制作者を信頼しきって、と言うより崇めるくらいの精巧な技術で完成していた。
(LINK:MRでモンブラン@上野桜木

残すためにつくるって?
うちの実家は、売れるようにつくったって、言ってたな。確かにプランは標準的すぎて、はずかしいくらいだ。でも、その違和感はきっと理解する視点をもっている気がして、ずっと気になっている。しかも、木造で、なんかすごい大工が作ってた。おやじやるな。また、それを無意識にやっているんだろうが。作り込みすぎると、前の人の影を感じてしまう。実家の場合は、敷地に立っていた家に構造上の問題があって取り壊した。
今のところ、単純にかたちを残すという議論は、日本の場合、違うと思っている。土地の値段が上がれば壊されるし、地震や湿度の問題があるから、コンクリートには厳しい。また、マンションや単純なオフィスビルに挙げられるような、経済上の根拠だけでつくられたようなものは壊した方がよい。再構築の中で、何かをキープできないか。
docomomo japanは、ヨーロッパ的な視点での価値を評価する方へ、収斂するだろうか?。言い換えると、社会遺産として実行力のある建築っていう意味が乖離した状態で、立つ墓標のようなものを評価する団体になってしまうのか?。それとも、期待しすぎ?。docomomo japanとしての視点が必要なんでは?
セキスイハウスM1が100番目にエントリーされていることは、評価出来る一端かも知れない。このM1を始めとする箱形構造体を実際に、市場にもどす動きが始まってはいる。実行力のある社会遺産としての、ひとつの方法論かもしれない。経済的な視点だけで作られたバリエーション住宅の企画をやめて、今の技術で作る、市場を流れるM1的な箱。M0を作るプロジェクトなんておもしろそうだ。
LINK:M1居住者インタビュー富田玲子さん

建築 | at April 25, 2005 1:30


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Tracked: April 25, 2005 10:37 PM




Comments

トラックバックありがとうございますです。後姿は見つけたんだけど人ごみに流されて挨拶できず…失礼しました。。。それにしても、まめまめなレポートすばらしい、感動です。
菊竹さんに以前お会いしたときもあんな感じの熱弁で…あのパワーにはやられてしまう感じがします。でも、カメラを向けられると満面の笑顔になったり、会場を去るとき手を振ったり…憎めない感じでいいですね。

Posted by yokoiwst at April 25, 2005 7:22 PM

そうそう。いたんだぁと思って。トラックバックしました(笑)。
まぁ。まめというのは、うれしくないけど(笑)。深読みしすぎか。
全てを書くつもりで書いたというより、ひとつの記録みたいなものだから。
まぁ。ちょっと長くなってしまったが。

Posted by simon at April 25, 2005 8:00 PM