15の住宅の模型

現在開催中の、GALLERY・MA ギャラリー・間20周年記念展 日本の現代住宅 1985-2005に合わせた、展示用の模型をつくりました。お近くにお立ち寄りの際は、ご覧ください。

模型を、僕の大学では15個作りました。依頼されたときは、何とかなるだろうと安請け合いした。なんて、言ってしまうと手伝ってくれたみんなに失礼ですが、何とかなったので良しとしましょう。基本的に、担当した建築全ての1/100と1/30の断面模型を作っています。成城シリーズだけ、1/100の三棟を一体にして造っています。せっかくですので、担当した建築の雑感を。なお、設計者の意図をくみ取っての解釈ではなく、尊重はしますが、今この時点で模型を制作してみて、という視点で勝手に書きます。

・早川邦彦の成城シリーズ 1982-1991
全体を見渡す役割だったので、1/100だけだし、パパパと終わらせる予定が、結構時間かかりました。
この建築(模型を作ったの三棟)は、結果的に一人の建築家が十年くらいかけ、ほぼ一街区(五棟)を設計することになったという、エピソード持つ建築たちです。建てた時代背景は、ポストモダン全盛期ですが、前面道路側の外観は、幾何学の組み合わせで構成されてます。機能的には内部空間と前面道路との緩衝帯になっていて(内部空間を流動的にしたい。とか、部屋と部屋がどう接続してるのかとか、社会構造と空間構造を一致させたい。とかではなく)建築と街がどう繋がることがハッピーなのかということを考えて、設計されたと思います。中庭側は、前面道路側にくらべると意外に古典的な解決でまとめており(頭のたてがみのような風貌と、意外にしっぽりしているおしりが組み合わさっている異色感が)まるでライオン。内部空間は、ちょっとワンパクなところがありますが、今回の展示で見ることは出来ません。最近の作品では、地下鉄のみなとみらい駅がありますね。あの色の使い方は、成城シリーズにも見られます。
中庭にある1/100の模型の中で一番大きいケースに入っているので、すぐ見つかると思います。前面道路と居室空間が繋がる部分で夢を感じてください。

・牛田フィンドレイのトラスウォールハウス 1993
この建築は、好き嫌いが明快にわかれるものだと思います。僕はどちらかというと左脳と右脳のバランスに触手を感じる建築が好きなので、現時点の自分ではきっと創造しないと思いますが、勇気を与えてくれます。建築の言葉を操って、建築のような建築をつくる建築家を目指そうとしているような体質が蔓延している、建築バカの物差しを解放してくれます。
この模型の舞台裏を少し。引き受けて一番不安だったのはこの建築だったと言って、過言ではありません。CADの時代であれば、formZのセクションツールで、模型の2mm間隔くらいの断面をアウトプットして、スチレンペーパーをコンタのように積み上げていけば良いですが、この建築はCAD以前。模型の担当は抽選で各校に分担するという話でしたが、いくつか問題児(笑)がおり、その中のひとつがトラスウォールで、事前にやらないかと言われ、そこでピント来ました。あぁ、あれこれがいるからなんとかなるだろと思いつき、引き受けた節があります。キャスティングで模型の生死が決まると思い、速攻でしつこくアポをとった甲斐がありました。結果から言うとなかなか上手くできたと思います。本当にありがとう。屋上に向かう手すりは、彼女の技によって出来たものです。再現不可能です。

・斎藤裕の蕣居 1997
この建築の内部はきっと暗いです。しかし、ぼくらが担当した建築の中では一番、自己の再生産の追求と徹底からなる、内にあるユートピアを最大限に解放してつくられた建築だと、勝手におもいます。個人的なバックグラウンドですが、当時、学部二年だったか、斎藤さんの展示の製作をじっくり手伝ったことがあるから言えるのかもしれません。というのと、その経験がなければ、評価に苦しむ自分が目に見えます。建築は硬くてなんぼという偏見から、レンジを広げてくれた建築家です。建築の外に対するアピールは少し(というよりそもそも時代が)違いますが、村野藤吾の内部におけるディテールに近いものを感じます。村野さんの「この手すりは貴婦人に手をさしのべるような〜」というくだりを思い出しました。
模型に関して言うと、1/30の模型はforexという低発砲の塩ビ版と、指定されていたので、その中では頑張りました。しかし、最近のような抽象化した建築。言い換えると、1/100くらいのスケールの模型がそのまま出来たような建築ではなく、1/1のスケールがある建築なので、1/100や1/30の模型にどう還元するかにかなり悩みました。とくに1/100は作り込めば込むほど、駄目になっていきます。粗探しせず、我が子を愛でるようなモードに入ってから見てください(笑)。

・坂本一成のHouseSA 1999
この模型が一番、時間かかりました。図面や写真ではわからず、実際に見に行きました。建築家は変態ばかりですが、この建築家もかなり変態です。でも、空間はとっても良いです。実際もよかったです。自分のユートピアと現実との折り合い、引き算のバランスが好きです。空間の構成は屋根の下に、とぐろを巻いた大きな空間があるのですが、単純なワンルームではありません。居心地のある小さい襞が寄り集まった大きい空間と言ってみましょう。建築家は一つの理論を徹底することで美意識を主張する傾向にありますが、坂本さんは、おもいっきり逆のスタンスをとっています。ロジックの集積と解体を繰り返し、ある瞬間でパッと止めたような空間です。模型も、襞の感覚を出来るかぎり、表現することを追求しました。まったくバリアフリーではありませんし、エコロジカルな図体にも頼っていません。でも、そこには現代に生きる空間があります。あぁいいです。すごくいいです。

・米田明のambi-flux 2000
この模型は三日くらいで出来たのであまり覚えていません(笑)。というより、しゃべりすぎな気がしてきました。いわゆるウナギの寝床と言われる敷地における狭小住宅で、ワークスペースがある現代的な機能を持った住居です。敷地が狭いのでそれほど、空間の構成のバリエーションはつくれません。クレバーな建築です。模型は、八割。螺旋階段のスタディにかかりました。楽しそうにつくっていたので、よい感じの階段が出来ました。

・遠藤政樹 + 池田昌弘のナチュラルエリップス 2002
さきほどのトラスウォールといい、舜居といい問題児シリーズの最後です。曲面の建築でひとくくりに言えることが一つあります。それは、実際に建てることと戦っているので、どこかで単純化しています。自分の理想の空間を追求する一方で、アルゴリズムの徹底が要求される。だから建築はおもしろい。
この建築は、幸いCAD以後の建築なので、骨格の再現に困る事はありませんでした。ただ、空間を追求するための模型ではなく、展示用の模型というのが意外な落とし穴でした。実際は、鳥かごのような骨格の内と外から膜を貼ってある構成なのですが、鳥かごなので一体でつくればバランスがとれているのですが(1/30は)断面模型なのです。初めは、骨格に伸縮性のある布を付ける予定でしたが、布と床が接する部分の処理がうまくいかないのと、半分の模型なので自立が難しいということで、その曲面の壁だけで自立するように軽量の紙粘土で下地をつくってから、モデリングペーストで盛り上げ、やすりの繰り返しです。ただ、紙粘土が肉痩せすることに途中まで気づきませんでした。そのぶん、やすりを頑張ってます。空間がストイックなのでストイックな後輩に任せたのが正解でした。全体を見る人はキャスティング能力が要求されます。はい。

・中村勇大の此花の長床 2002
この建築は、一階はピロティで、居室は二階だけ。敷地のほとんどが外部です。モダニズムの建築教育を受けてきた世代の建築には、求める理想と実際の都市の猥雑さとの落差についていけず、内部空間の豊潤さを無意識に求める美学があります。しかし、この建築は、内部空間が外部に露出しています。かつ、この傾向は無意識に今の建築にあると思います。空間を単純化、抽象化する傾向の次かもしれません。どうして、そう考えるのかは、またの機会に書こうと思いますが、一つ言えるのは、建築をつくると時に、街との関わり合いを考えることを見直そうという傾向が見えます。かつては都市に建築家は期待してきましたが、挫折し、今に至ります。その傾向の先に見えるのはコミュニティ。よこの繋がりです。上部組織と下部組織の隔たりを埋め、転覆させるかもしれない波です。

建築 | at December 14, 2005 5:05


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