備忘録 051208

 とうとう12月ですね。日に日に寒さと忙しさを増す今日このごろ。今年を振り返る余裕もなく、このまま駆け足で2006年に突入しそうな勢いです。結局今年もあまり代わり映えしなかったなあ……。

<最近行った色々>
・11/10【ライブ】パワートリオ@西麻布 SuperDeluxe
・11/13【鑑賞】横浜トリエンナーレ
・11/18【ライブ出演】角森隆浩withダイナミックオーシャンズ@渋谷 7th floor
・11/21【バレエ】シルヴィ・ギエム“最後のボレロ”@東京文化会館
・11/22【ライブ】ash-ray@渋谷 7th floor
・11/29【生演奏】柳下美恵『裁かるるジャンヌ』@アテネフランセ
・11/30【ライブ】XNOX@下北沢 lete
・12/03【テクノ】op.disc showcase@代官山 UNIT
・12/05【バレエ】シルヴィ・ギエム“最後のボレロ”@東京文化会館

<最近観た映画>
・小林政広『バッシング』(初)@東京フィルメックス
・ソン・イルゴン『マジシャンズ』(初)@東京フィルメックス
・アミール・ナデリ『サウンド・バリア』(初)@東京フィルメックス
・アモス・ギタイ『フリー・ゾーン』(初)@東京フィルメックス
・カール・ドライヤー『裁かるるジャンヌ』(ピアノ生演奏つき)@アテネフランセ
・小林正樹『東京裁判』(初)
・パク・チャヌク『JSA』(初)
・ジュリアン・シュナーベル『夜になるまえに』(再)
・カール・ドライヤー『裁かるるジャンヌ』(再)
・某監督が来年の某国際映画祭に出す予定の作品


<最近読んだ本>
・見沢知廉『ライト・イズ・ライト』(再)
・北原童夢+早乙女宏美『「奇譚クラブ」の人々』(初)
・本田健『ユダヤ人大富豪の教え』(初)
・レイナルド・アレナス『ハバナへの旅』(初)
・パゾリーニ『生命ある若者』(初)
・平岡梓『伜・三島由紀夫』(初)


 今月はやたら映画を観ました。どれもこれも面白かったんですが、突出していたのは前回書いたアモス・ギタイ『フリー・ゾーン』と小林正樹『東京裁判』。

 すごかったです、『東京裁判』。

 これ絶対観たほうがいいですよ。DVD2枚組で277分。アメリカ国防省が秘蔵していた2年6ヶ月にわたる極東国際軍事裁判(東京裁判)の記録をまとめて編集したもの。アメリカ国防省が秘蔵していたフィルムはなんと3万巻! で、25年後にようやく解禁したわけだけど、その中の約930巻(170時間分)の入手に成功。制作期間5年、制作費4億円というものすごい作品です。東京裁判の映像も非常にいい状態で保存されていて、生の声がばっちり聞ける。証人にはあのラストエンペラー、愛新覚羅溥儀(!)まで出てきて、もう大興奮で見てしまいました。
 この秘蔵フィルムはただ単に東京裁判の様子だけじゃなくて、ヨーロッパ戦線、日中戦争、太平洋戦争の記録も収められていて、さらに二・二六事件、ナチスの圧政等々の資料映像も充実。解説も詳しくて、ポイントポイントで認識してた歴史(特に枢軸国と連合国に世界が分かれたあたりから、太平洋戦争くらいまで)が全部つながった。マーシャル・プランとか、コミンテルンとか、遠い昔に学校の社会で暗記させられた用語まで出てきて、ようやくその本質が理解できました。

 いちばんの山場はやはり東條英機vsキーナン検事の論戦でしょう。GHQの方針に従って、天皇に戦争責任を問わない(つまり戦犯にしない)指令を担っているキーナン主席検事と、それをじゅうぶんに理解していてそのポイントだけは同調する東條(しかし思わぬ失言をしてしまう)。GHQのその方針が全く理解できずに天皇の戦争責任を問いたいオーストラリア人のウェッブ裁判長。彼らが織り成す大変複雑微妙な、ギリギリのところで繰り広げられる論戦は圧巻です。いちばん天皇の近くにいた存在でありながら、被告となった宮中政治家の木戸幸一(木戸孝允の孫)の弁論もギリギリのラインで展開されていて興味深い。

 違う意味ですごかったのは大川周明。この人は北一輝と同じくらい過激な軍国主義者、国粋主義者、国家主義者、ファシズム信奉者なんだけど、28人の戦犯のなかで最も博識な知者でした。が、裁判が始まってすぐに、挙動不審を繰り返し(突然泣いたり立ち上がったり)、あげく前に座ってた東條の後頭部をパッコーンと叩いて、とうとう“精神異常”と判断されて入院し免訴されるのです。実際このとき大川は梅毒にかかっていたので本当に発狂したという意見と、わざと発狂してるふりをしたんだという意見とでいまだに議論されているとのこと。その東條を叩くシーンも入っていて、かなり面白いのです。

 外相で日本降伏文書に調印した重光葵はそれまでの誠実な外交が評価され、海外から続々と減刑要請(重光自身は担当弁護士に「海外の友人たちに減刑要請してくれるようにこちらから頼むようなことは絶対にしないでくれ」と厳しく言っていた)が集まり、刑期4年という寛大な判決が下されました。彼はのちに日ソの関係回復に力を尽くしたわけだけど、松葉杖をつきながら法廷に静かに入ってくる彼のたたずまいと、この作品の最後のほうに出てくる彼の俳句がとても印象的でした……どんなだったか忘れたけど(苦笑)、最終弁論でアメリカ人の弁護士が「あなたたちがもし彼ら(つまりA級戦犯)のような国を代表する立場にいたらどうしますか? 彼らには愛国の精神があります。あなたたちも同じことをしたのではないでしょうか? 少しの間だけでもいいので、彼らの側にも立ってみてください」みたいなことを言うんだけど、そのときに東條が天を見上げてひそかに涙するわけです。これまでずっと気丈にふるまい、ふてぶてしいほどだった東條が。それに気付いた重光が詠んだ俳句なんですけど。

 もちろんA級戦犯たちの行ったことを肯定するわけではまったくないし、同情の余地すらない戦犯も多いけど、いろいろと考えさせられました。この裁判の意義や正当性はやはり今後も問われていくべきであって、インドのパル判事の意見書はぜひ読んでみようと思います。ともあれ、これは必見。南京事件のところの映像(これだけ実写フイルムではない)はおもいっきり中国側が捏造してるのがわかるのでアレですけど……。


 話はかわってシルヴィ・ギエム“最後のボレロ”。

 これはもう奇跡の体験でした。11月21日に観に行って感動に打ち震え、我慢ならずにオークションでチケットを大人買いし、12月5日に再び観に行きました。ちょうど2回のプログラムがボレロ以外は異なっていたので、たくさんの演目を楽しめました。以下、それぞれの感想。

 ギエムとマッシモ・ムッルによる「Push Too」(ラッセル・マリファント振り付け、世界初演):非常にギエムらしい、まさにギエムのためにあるような作品。バレエというよりはコンテンポラリーダンスに近く、アート色が強い作品。照明による明暗と、ふたりの身体が作る流れるような造形がピッタリはまっていてかっこよかった。ものすごい力技ばかりでダンサーにとっては非常にしんどいと思うんだけど、さすがにギエムは微動だにしないとんでもないバランス感覚と筋力でした。

 東京バレエ団の「春の祭典」(モーリス・ベジャール振り付け、音楽はもちろんストラヴィンスキー):男性ダンサーたちのレベルが低すぎて驚く。東京バレエ団はベジャールから「春の祭典」を踊ることを許されている世界唯一のバレエ団なんだけど(いまでもそうなのかな?)……これでいいんでしょうか? 女性ダンサーたちはすごかった。このギャップがかなり痛い。にしてもベジャールの「春の祭典」は官能的で野性的で、ときに楽しく、ときに恐ろしい、飽きない作品でした。なぜか『家畜人ヤプー』を思い出してしまった(苦笑)。いや、これはアジア人が踊るのに向いている作品だなあと。手足の長い欧米人には踊れないだろうな。女性パートはいいとしても、男性パートが。

 ギエム+ムッルの「小さな死」(音楽:モーツァルト、振り付け:イリ・キリアン):これもやっぱりギエムのためにあるダンスとしか言いようがないくらい、パワーバレエでした。尋常ならざる筋力とバランス感覚と雄大さが求められるダンスで、しかもすっごく官能的。最高でした。あのしなやかな身体は奇跡だと思います。とても短い作品なのが残念。もっともっと見たかった。

 東京バレエ団の「シンフォニー・イン・D」(音楽:ハイドン、振り付け:キリアン):喜劇でした。可笑しくて笑っちゃう。この曲でこの振り付けって……ある意味すごい。隣に座ってた親子連れの、どうやらバレエを習ってるらしい小さな男の子が大喜びしていたから良かったのではないでしょうか。「春の祭典」のほうが全然好きだけど。

 ギエムの「ボレロ」(音楽:ラヴェル、振り付け:モーリス・ペジャール):これもベジャールが東京バレエ団にしか踊るのを許可してないらしく。私はボレロといえばメロディ(赤い円卓の上に乗って踊る人)もリズム(円卓の下で踊る取り巻きたち)も男性のしか観たことがなかったので、今回が初の女性メロディ+男性リズム。この組み合わせはどんなにか官能的だろうとワクワクしていました。
 いや、もう、圧倒的だった。女性男性うんぬんよりも、魅入ってしまってすべての思考が停止。ギエムにしか目が行かず、結局リズムはどうだったか(1度目に観た時は)知りません。すっごいものを観てしまった。ベジャールの振り付けはとんでもなく、ローラン・プティ振り付けのユルユルのボレロがぶっ飛びました。
 
 えーと、2度目にボレロを観た時はさすがに泣いてしまいました(苦笑)。1度目にも増して鬼気迫るダンスで圧倒的。ギエムの身体が3倍くらい大きく見え、言葉には表現できない、とんでもないダンスでした。会場を徐々に渦巻いていくあの高揚感たるや、みんなまるで魔法にかかったようだった。ダンスが終わった瞬間に会場のほとんどがスタンディングオベーションで、カーテンコールが延々と続きました。あー、なんかもう死んでもいいなと本気で思った20分間でした。至福。これがもう観られないと思うと、本当に残念でなりません。


 ……って、こんな長い文章をいったい誰が読むんだろか。

乙女日記 | Posted by at 12 8, 2005 17:51 | TrackBacks (0)

第6回東京フィルメックス

 に行ってきました、今年も。去年のレポはこちら。今年観れたのは(観た順に)『バッシング』、『マジシャンズ』、『サウンド・バリア』、『フリー・ゾーン』の4作品。感じたことをそれぞれ羅列。私が感じたことなので、あまり参考にならないと思いますが……辛辣なことも書きます、スイマセン。


小林政広監督『バッシング』

 ダメでした。全然ナシ。「現代の日本で起こる“バッシング”を、受ける側に焦点を当てて描いた力作。中東で武装グループの人質になり帰国した有子をめぐる苛酷な状態を、占部房子が体当たりで熱演」と書いてありますが、まあたしかに占部房子さんの演技は見事でした。本当にムカつくくらい傲慢で自分勝手な女だった。

 が、内容が本当にダメダメでした。このストーリー設定だと、どうしてもイラクで人質になった高遠さんを日本人の観客なら思い浮かべてしまうわけで、いくら映画の最初に「この映画はフィクションです」と書いたところでそれはどうしようもない。
 だったらもっとフィクションであるという強烈な個性というか、事実とはまったく違ったストーリー作りをしっかりとしないといけないと思うんだけど(もしくは事実と徹底的に向き合うか)、この作品は被害者のお父さんが職場を解雇されて生き悩んで投身自殺する、というものすごい安易なところへ逃げてしまって、3流のメロドラマのようになってしまった。これではこの問題を材料にしている意味が全くないのでは? なんというか、監督の甘さだけが浮き彫りになりました。

 この被害者女性がやたらコンビニでおでんを買うんですよ。しかもその買い方が、具をそれぞれ別の容器に入れてもらって、それぞれに汁をたくさん入れてもらうという独特なものなんだけど、そのシーンが何度も何度も出てきて、なんか作為すぎててうっとおしいんですよ。で、上映後のQ&Aでやっぱりそこをつっこまれてて、「僕が一時期、社会が恐くて引きこもりになった時にそういう買い方をしたんです。あと東電OL殺人事件の犯人もやっぱりそういう買い方をしていたらしくて、抑圧された人間はそうなるのかなあと」とか言ってましたが……わかんない。だったら別にこの材料じゃなくてもいいじゃん、という気持ちが強いです。ようするに、“素材だけが一人歩きしてしまって、その重さに監督が耐えられなくて逃げに走った作品”という印象なんですね(まちがってたら申し訳ないけど)。本人はずいぶん気楽に撮影できたと言ってますが、それはもう最初から逃げのベクトルだったからであって。

 海外のプレスはわりと評価していた作品のようですが、日本人の観客は釈然としない様子だったのはみんな同じような感じ方をしたからではないかなあと思いました。センセーショナルな素材を使っていながら逃げに走るのはとても不快でした。撮り方も別に上手じゃないし。映画はそんな簡単なものではないですよ、と言いたい。かなり期待していただけに残念でした。いまのところ劇場公開予定はないみたいです。


ソン・イルゴン監督『マジシャンズ』

 これはなんと、95分ワン・カットという超難易度の高い技術で撮った話題作。さすがにキャストは舞台俳優ばかりを起用したそうです(映画俳優だとスタミナがもたない)。Q&Aはこちら

 ザ・マジシャンズという名前のバンドをかつて組んでいた3人が、自殺したひとりのメンバーの命日に3年ぶりに会うという話で、過去と現在が交差しつつ、ワン・カットで撮られていきます。95分一発撮りのために、リハーサルを何度も何度もシーンを細かく区切ってやったらしい。すごい寒い場所での撮影で、カメラマンは鼻水を垂らしながら(しかもアゴまで垂れるほどに)撮ってるんだけど、まわりは拭いてあげることすらできない(ブレるから)。

 これは良かった! ものすごい計算され尽くして、しかもそれが流れるように、美しく撮られていました。なんの違和感もなかったのがすごい。DVで撮ったものを35ミリ(5本分)に現像したため、どうしてもロールチェンジのときにブレが出てしまうと言っていたけど、そんなに気になりませんでした。
 コメディタッチなんだけど、要所要所でクスッと笑え、かなりのブラックジョークも交え(韓国社会への風刺が効いてた)、ストーリーはベタといえばベタなんだけどあたたかかった。過去と現在を行き来するときに、俳優さんが上着を着替えて、小さな鏡の前でドーランを塗りなおすんだけど、その仕草すら自然で良かった。そこで音楽が大きめに流れるのもイイ。

 ちょっとこういうタイプの映画は観たことなかったので、ツッコミどころは満載といえ楽しかったです。この映画を作った人たちの情熱と愛情がとても感じられた。これは日本で上映予定があるらしいので、公開したら観に行くのも良いのではないでしょうか。


 この2つがコンペ部門。で、↓の2つは特別招待作品。


イランの巨匠、アミール・ナデリ監督『サウンド・バリア』

 上映前に監督が「作るのもハードだったが、観るのもハードだろう。どうか途中で席を立たないで下さい」と言っていたように……ほんとハードだった。
 マイケル・シモンズ撮影のモノクロ映像は本当に素晴らしく、恐いくらい精密でただただ驚くばかりなんですが、ほんとしんどかった。めちゃくちゃミニマルかつストレスフルなストーリーで、観客は寝るか、席を立つか、映像に引き込まれてしまっているかのどれかでした(笑)。

 耳が聞こえず、言葉も喋れない少年が、自分がそうなってしまった手がかりを探す一日を描いた作品。亡くなった母(ラジオDJ)の番組を録音したテープにその手がかりがあることを知っている彼は、倉庫に保管されてるテープの山からたった1本のテープを探し出さなければならない。その気が遠くなるような作業と彼の焦り。関係ないテープを乱雑に床に放る“ガシャン ガシャン”という音だけが響き、ひたすら少年がテープを探す様子がミニマルに、ストイックに撮られている映像を「いつになったら見つかんのかなあオイ……」と、なかば呆然と観客は見つめる。

 途中でかなりウンザリしましたが、あるシーンのある瞬間に「ああ、このためにナデリは撮ったんだ。で、このために私は観てるんだ」とすごい不思議なんだけど確信してしまい、それですべてオッケーになってしまった。たぶんその確信は当たっているんだろうけど、監督も別にコメントしてないわけで、勝手に思い込んでるのかもしれないけど絶対にあの瞬間だ(意味不明)。

 監督の波長と合えばわかる映画かもしれません。わかんなかったらたぶんウンザリするだけの映画だと思います。めちゃくちゃストイックです。日本で公開すんのかな? 監督のQ&Aはこちら


で、最後は(私にとっての)真打、イスラエルの巨魁、アモス・ギタイ御大の『フリー・ゾーン』

あらすじ-------------------------------------------------------------------

 イスラエル人の婚約者と喧嘩して家を飛び出てきた若いアメリカ人女性レベッカ(ナタリー・ポートマン)は義母を空港から送ってきた車に乗込む。運転手のハンナ(ハンナ・ラスロ)は、これからヨルダンの「フリー・ゾーン」まで行かなければならないと言う。行くあてのないレベッカはハンナに同行することを決め、2人の旅が始まる。

 ハンナの目的は“アメリカン”と呼ばれている取引相手から未収金を取り立てることだ。2人は「フリー・ゾーン」に着くが、事務所に“アメリカン”はおらず、レイラ(ヒヤム・アッバス)というパレスチナ人女性がいるだけだった……。

 ユダヤ人とアラブ人が交易を行っている「フリー・ゾーン」とは、ヨルダン国内、イラクとの国境に近い地域にある実在の場所であるという。ちなみにこの作品はカンヌ映画祭でハンナが女優賞を受賞。
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 いやあ、またしてもアモスにやられました。

 去年のフィルメックスで観た『プロミスト・ランド』(イスラエルで問題になっている、女性を誘拐して売春宿に売り渡してしまう社会問題についての作品。誘拐されて売春婦にさせられた女性が、イスラエルの爆弾テロのおかげで売春宿から逃げだせる、という救いようのないお話)の印象が強かったので、「またアモスはめちゃくちゃ重くて社会的な作品をひっさげてくるんだろうな」と思っていたところにこの内容。

 最初にレベッカの泣いている姿を10分以上のワン・ショットでとらえるシーンがあって(背景はエルサレムの「嘆きの壁」)、そこから基本ロードムービー。必要な情報(なぜレベッカが婚約者と喧嘩したか。なぜハンナが「フリー・ゾーン」に行かなければならなくなったのか。なぜ義母を空港まで送ったのか。等々)は幾層にも重ねた映像──実際にあらゆるシーンの映像を幾層ものレイヤーで重ねている──で説明し、余計なものは一切ナシ。アモスにしてはとてもわかりやすい内容でした。

 でもやっぱり、いたるところにシニカルな発言がちりばめられていて、これがとてもユーモラスだったのがすごく良かった。といっても観客の反応は悪く、あまり理解できていないようでしたが……ひとりで声を出して笑ってしまって恥ずかしかった(苦笑)。ユダヤ人のハンナとパレスチナ人のレイラの、まるで“どっちが不幸な民族か争い”のような掛け合いも面白かったし(「両親? ふたりともアウシュビッツ出身よ!」とハンナ)、パレスチナ人レイラと(イスラエル人だと思い込んでいた)アメリカ人レベッカの掛け合い(「敵の言葉を理解できることが大切だ。アラブ人はヘブライ語を喋れるけど、イスラエル人はアラビア語を喋れない」とレイラ)も面白かった。ラストシーンも圧巻。

 まいりました。やはりアモス・ギタイは天才です。なんでこの人の作品が日本で公開されないのかが不思議。

 今回、来日をキャンセルした理由もそのあたりにあって、毎回フィルメックスで呼ばれて大好評なんだから、なんで日本で公開してくんないの? と、とうとう本人がすねちゃった様子で(笑)。上映前のビデオメッセージでおもいっきりふてくされた表情でコメントしていらっしゃいました。あげく、アモスのかわりに来日するはずだった脚本のマリーも急きょキャンセル。んー、残念。


 で、フタをあけたらコンペの結果はこのとおりで。まあわかっていた結果ですけど……せっかく内容としてはとってもいい映画祭なのにもったいないと思いました。

ちーねま | Posted by at 11 28, 2005 18:02 | TrackBacks (0)

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