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第6回東京フィルメックス

 に行ってきました、今年も。去年のレポはこちら。今年観れたのは(観た順に)『バッシング』、『マジシャンズ』、『サウンド・バリア』、『フリー・ゾーン』の4作品。感じたことをそれぞれ羅列。私が感じたことなので、あまり参考にならないと思いますが……辛辣なことも書きます、スイマセン。


小林政広監督『バッシング』

 ダメでした。全然ナシ。「現代の日本で起こる“バッシング”を、受ける側に焦点を当てて描いた力作。中東で武装グループの人質になり帰国した有子をめぐる苛酷な状態を、占部房子が体当たりで熱演」と書いてありますが、まあたしかに占部房子さんの演技は見事でした。本当にムカつくくらい傲慢で自分勝手な女だった。

 が、内容が本当にダメダメでした。このストーリー設定だと、どうしてもイラクで人質になった高遠さんを日本人の観客なら思い浮かべてしまうわけで、いくら映画の最初に「この映画はフィクションです」と書いたところでそれはどうしようもない。
 だったらもっとフィクションであるという強烈な個性というか、事実とはまったく違ったストーリー作りをしっかりとしないといけないと思うんだけど(もしくは事実と徹底的に向き合うか)、この作品は被害者のお父さんが職場を解雇されて生き悩んで投身自殺する、というものすごい安易なところへ逃げてしまって、3流のメロドラマのようになってしまった。これではこの問題を材料にしている意味が全くないのでは? なんというか、監督の甘さだけが浮き彫りになりました。

 この被害者女性がやたらコンビニでおでんを買うんですよ。しかもその買い方が、具をそれぞれ別の容器に入れてもらって、それぞれに汁をたくさん入れてもらうという独特なものなんだけど、そのシーンが何度も何度も出てきて、なんか作為すぎててうっとおしいんですよ。で、上映後のQ&Aでやっぱりそこをつっこまれてて、「僕が一時期、社会が恐くて引きこもりになった時にそういう買い方をしたんです。あと東電OL殺人事件の犯人もやっぱりそういう買い方をしていたらしくて、抑圧された人間はそうなるのかなあと」とか言ってましたが……わかんない。だったら別にこの材料じゃなくてもいいじゃん、という気持ちが強いです。ようするに、“素材だけが一人歩きしてしまって、その重さに監督が耐えられなくて逃げに走った作品”という印象なんですね(まちがってたら申し訳ないけど)。本人はずいぶん気楽に撮影できたと言ってますが、それはもう最初から逃げのベクトルだったからであって。

 海外のプレスはわりと評価していた作品のようですが、日本人の観客は釈然としない様子だったのはみんな同じような感じ方をしたからではないかなあと思いました。センセーショナルな素材を使っていながら逃げに走るのはとても不快でした。撮り方も別に上手じゃないし。映画はそんな簡単なものではないですよ、と言いたい。かなり期待していただけに残念でした。いまのところ劇場公開予定はないみたいです。


ソン・イルゴン監督『マジシャンズ』

 これはなんと、95分ワン・カットという超難易度の高い技術で撮った話題作。さすがにキャストは舞台俳優ばかりを起用したそうです(映画俳優だとスタミナがもたない)。Q&Aはこちら

 ザ・マジシャンズという名前のバンドをかつて組んでいた3人が、自殺したひとりのメンバーの命日に3年ぶりに会うという話で、過去と現在が交差しつつ、ワン・カットで撮られていきます。95分一発撮りのために、リハーサルを何度も何度もシーンを細かく区切ってやったらしい。すごい寒い場所での撮影で、カメラマンは鼻水を垂らしながら(しかもアゴまで垂れるほどに)撮ってるんだけど、まわりは拭いてあげることすらできない(ブレるから)。

 これは良かった! ものすごい計算され尽くして、しかもそれが流れるように、美しく撮られていました。なんの違和感もなかったのがすごい。DVで撮ったものを35ミリ(5本分)に現像したため、どうしてもロールチェンジのときにブレが出てしまうと言っていたけど、そんなに気になりませんでした。
 コメディタッチなんだけど、要所要所でクスッと笑え、かなりのブラックジョークも交え(韓国社会への風刺が効いてた)、ストーリーはベタといえばベタなんだけどあたたかかった。過去と現在を行き来するときに、俳優さんが上着を着替えて、小さな鏡の前でドーランを塗りなおすんだけど、その仕草すら自然で良かった。そこで音楽が大きめに流れるのもイイ。

 ちょっとこういうタイプの映画は観たことなかったので、ツッコミどころは満載といえ楽しかったです。この映画を作った人たちの情熱と愛情がとても感じられた。これは日本で上映予定があるらしいので、公開したら観に行くのも良いのではないでしょうか。


 この2つがコンペ部門。で、↓の2つは特別招待作品。


イランの巨匠、アミール・ナデリ監督『サウンド・バリア』

 上映前に監督が「作るのもハードだったが、観るのもハードだろう。どうか途中で席を立たないで下さい」と言っていたように……ほんとハードだった。
 マイケル・シモンズ撮影のモノクロ映像は本当に素晴らしく、恐いくらい精密でただただ驚くばかりなんですが、ほんとしんどかった。めちゃくちゃミニマルかつストレスフルなストーリーで、観客は寝るか、席を立つか、映像に引き込まれてしまっているかのどれかでした(笑)。

 耳が聞こえず、言葉も喋れない少年が、自分がそうなってしまった手がかりを探す一日を描いた作品。亡くなった母(ラジオDJ)の番組を録音したテープにその手がかりがあることを知っている彼は、倉庫に保管されてるテープの山からたった1本のテープを探し出さなければならない。その気が遠くなるような作業と彼の焦り。関係ないテープを乱雑に床に放る“ガシャン ガシャン”という音だけが響き、ひたすら少年がテープを探す様子がミニマルに、ストイックに撮られている映像を「いつになったら見つかんのかなあオイ……」と、なかば呆然と観客は見つめる。

 途中でかなりウンザリしましたが、あるシーンのある瞬間に「ああ、このためにナデリは撮ったんだ。で、このために私は観てるんだ」とすごい不思議なんだけど確信してしまい、それですべてオッケーになってしまった。たぶんその確信は当たっているんだろうけど、監督も別にコメントしてないわけで、勝手に思い込んでるのかもしれないけど絶対にあの瞬間だ(意味不明)。

 監督の波長と合えばわかる映画かもしれません。わかんなかったらたぶんウンザリするだけの映画だと思います。めちゃくちゃストイックです。日本で公開すんのかな? 監督のQ&Aはこちら


で、最後は(私にとっての)真打、イスラエルの巨魁、アモス・ギタイ御大の『フリー・ゾーン』

あらすじ-------------------------------------------------------------------

 イスラエル人の婚約者と喧嘩して家を飛び出てきた若いアメリカ人女性レベッカ(ナタリー・ポートマン)は義母を空港から送ってきた車に乗込む。運転手のハンナ(ハンナ・ラスロ)は、これからヨルダンの「フリー・ゾーン」まで行かなければならないと言う。行くあてのないレベッカはハンナに同行することを決め、2人の旅が始まる。

 ハンナの目的は“アメリカン”と呼ばれている取引相手から未収金を取り立てることだ。2人は「フリー・ゾーン」に着くが、事務所に“アメリカン”はおらず、レイラ(ヒヤム・アッバス)というパレスチナ人女性がいるだけだった……。

 ユダヤ人とアラブ人が交易を行っている「フリー・ゾーン」とは、ヨルダン国内、イラクとの国境に近い地域にある実在の場所であるという。ちなみにこの作品はカンヌ映画祭でハンナが女優賞を受賞。
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 いやあ、またしてもアモスにやられました。

 去年のフィルメックスで観た『プロミスト・ランド』(イスラエルで問題になっている、女性を誘拐して売春宿に売り渡してしまう社会問題についての作品。誘拐されて売春婦にさせられた女性が、イスラエルの爆弾テロのおかげで売春宿から逃げだせる、という救いようのないお話)の印象が強かったので、「またアモスはめちゃくちゃ重くて社会的な作品をひっさげてくるんだろうな」と思っていたところにこの内容。

 最初にレベッカの泣いている姿を10分以上のワン・ショットでとらえるシーンがあって(背景はエルサレムの「嘆きの壁」)、そこから基本ロードムービー。必要な情報(なぜレベッカが婚約者と喧嘩したか。なぜハンナが「フリー・ゾーン」に行かなければならなくなったのか。なぜ義母を空港まで送ったのか。等々)は幾層にも重ねた映像──実際にあらゆるシーンの映像を幾層ものレイヤーで重ねている──で説明し、余計なものは一切ナシ。アモスにしてはとてもわかりやすい内容でした。

 でもやっぱり、いたるところにシニカルな発言がちりばめられていて、これがとてもユーモラスだったのがすごく良かった。といっても観客の反応は悪く、あまり理解できていないようでしたが……ひとりで声を出して笑ってしまって恥ずかしかった(苦笑)。ユダヤ人のハンナとパレスチナ人のレイラの、まるで“どっちが不幸な民族か争い”のような掛け合いも面白かったし(「両親? ふたりともアウシュビッツ出身よ!」とハンナ)、パレスチナ人レイラと(イスラエル人だと思い込んでいた)アメリカ人レベッカの掛け合い(「敵の言葉を理解できることが大切だ。アラブ人はヘブライ語を喋れるけど、イスラエル人はアラビア語を喋れない」とレイラ)も面白かった。ラストシーンも圧巻。

 まいりました。やはりアモス・ギタイは天才です。なんでこの人の作品が日本で公開されないのかが不思議。

 今回、来日をキャンセルした理由もそのあたりにあって、毎回フィルメックスで呼ばれて大好評なんだから、なんで日本で公開してくんないの? と、とうとう本人がすねちゃった様子で(笑)。上映前のビデオメッセージでおもいっきりふてくされた表情でコメントしていらっしゃいました。あげく、アモスのかわりに来日するはずだった脚本のマリーも急きょキャンセル。んー、残念。


 で、フタをあけたらコンペの結果はこのとおりで。まあわかっていた結果ですけど……せっかく内容としてはとってもいい映画祭なのにもったいないと思いました。

ちーねま | Posted by at 11 28, 2005 18:02 | TrackBack (0)

備忘録 051110

 10月は近年まれにみる最悪な月でした。叔父が亡くなり、愛猫のガン発覚。人間関係もうまくいかず、読書や映画、ライブ、演劇鑑賞で気を紛らわしておりました。はぁー、なんか面白いことないですかね。

<最近行った色々>
・10/8【遠足】外房を鴨川くらいまで
・10/9【レイブ】渚音楽祭@お台場
・10/11【観覧】鈴木邦男×二木啓孝@高田馬場トリックスター
・10/14【社会勉強】とある集会
・10/17【ライブ出演】角森隆浩withダイナミックオーシャンズ@下北沢mona records
・10/18【ライブ】東京中低域@渋谷 公園通りクラシックス
・10/19【観覧】安藤忠雄×福武總一郎@大さん橋ホール
・10/20【取材】すかいらーくスーパーカップ(女子フットサル)@駒沢体育館
・10/26【ライブ出演】角森隆浩withダイナミックオーシャンズ@渋谷 7th floor
・11/2【芝居】黒テント『ぴらんでっろ~作者を探す六人の登場人物』@神楽坂 theatre iwato
・11/2【テクノ】luciano@代官山 UNIT
・11/4【芝居】あぁルナティックシアター『バスキア』@池袋 東京芸術劇場
・11/5【観戦】ナビスコカップ決勝@国立競技場
・11/7【ライブ】epoch@代々木 zher the zoo
・11/8【ライブ】角森隆浩@高円寺 楽や

<最近観た映画>
・犬童一心『メゾン・ド・ヒミコ』(初)@渋谷シネマライズ
・ジャン=リュック・ゴダール『アワーミュージック』(初)@日比谷シャンテシネ
・ゴダール、パゾリーニ他『ロゴパグ』(再)
・ジャン・ユンカーマン『映画 日本国憲法』(再)

<最近読んだ本>
・島田裕巳『創価学会』(初)
・村上龍『空港にて』(初)
・宮崎学+大谷昭宏『殺人率』(初)
・見沢知廉『ライト・イズ・ライト』(初)
・見沢知廉『囚人狂時代』(再)
・小宮山典寛『ペットの万能薬―薬を超えたクスリ・バームの不思議』(初)
・宮野のり子+花田道子 『ペットがガンになってしまったら』(初)


 レポートしたいイベントはたくさんあったんだけど……もう記憶の遠くへ行ってしまいました。安藤忠雄×福武總一郎おもしろかったですよ。安藤さん相変わらずオシャベリがお上手で、たくさん笑いました。

 黒テントの『ぴらんでっろ~作者を探す六人の登場人物』は良かった! 私は客演のさとうこうじさんが大好きなのです。特に黒テントと組む時のさとうさんは素晴らしく、何年か前に初めて観た『メザスヒカリノサキニアルモノ若しくはパラダイス』ですっかりファンになってしまったのです。とんでもない存在感と、あの独特な語り口調は他を圧倒する。おまけに今回の『ぴらんでっろ』は高橋悠治さんもピアノ演奏で登場。これは行くしかないだろうと。
 ご存知、ルイージ・ピランデッロの代表作「作者を探す六人の登場人物」はものすごい難しい作品です。原作が難解すぎて、演じてる本人たちもよくわかってない、という状態に陥りやすい。黒テントは昨年初演したメンバーを総とっかえして、お芝居の中心人物“父”役にさとうこうじさんを客演で抜擢。原作にはない作家本人(つまりピランデッロ)役に悠治さんを登場させ、これがバッチリとハマりました。昨年のを観てないからなんともいえないけど、たぶん数段に良くなったと思う。

 話の4分の1くらいから登場するさとうさんは、信じられないくらい膨大なセリフを与えられていて正直しんどそうでした。それでもやはり彼の怪演は圧倒的だった! 悠治さんは最初と最後できっちりと場を全部かっさらっていって素晴らしかった。若手中心の配役だった黒テントは多少物足りなかったけど、この難解な作品を考えると健闘していたと思います。
 にしても、この作品は一度観ても難しくてなかなか本質を理解できないですね。難解な言葉が降り注ぐ膨大なセリフに気を取られちゃって、もっとじっくり体感したかった。できればもう1度くらい観に行きたかったんだけど結局行けずじまいで公演終了。theatre iwatoはとてもいい空間で、目の前に舞台があって、役者さんがすぐ横や目の前に座ったりして面白かった。

 一方、お友達のサックス奏者・松本健一さんが客演(?)した、あぁルナティックシアター『バスキア』は非常にわかりやすい陽気な作品で、なにも考えずに楽しめました。天使役のまっちゃんは舞台であきらかに困惑してて面白かった。


 で、今回特筆したいのはゴダールの『Notre Musique(邦題:アワーミュージック)』です(それにしてもこの邦題は酷いな。信じられないセンスです)。以下、長くなると思うので適当に流してください。

 ひとことで言うと、素晴らしかったのです。

 『Notre Musique』のゴダールは、ドキュメントとフィクション、音楽と音響、BGMと効果音、それらの枠組みをスコーンと超越して、すべてが絶妙な関係性を保ち、社会的な問題を芸術レベルまで引っ張り上げていました。これはある意味ドキュメンタリーよりも説得力があった。とある批評家が言っていたように、ここ最近のゴダール作品はアイロニーに満ちたシニシズムと、その裏に隠されたメランコリーを美しい映像と音楽で包み込むものが多く、そこがたまらなく素敵なんですが、『Notre Musique』は撮り方も違うしシニカルさも薄れていました。
 けど、そのせいか(?)ぐっと説得力があって、あらためて“映画”の力を見せつけられました。いやー、ゴダールすごいわ。いまさらですけど。今後もさらにすごくなりそうな予感です。

 私が観に行く前にすでに観ていた友人の音楽家・渋谷慶一郎氏とこの作品について語っていたんですが、「例えばアメリカとイラクのことに関しても、ゴダール以上の批評、というかアメリカ批判は映像に出来ないわけで、それはあくまでもゴダールが映画の側からやってるからというのもデカイなと思った。ドキュメンタリーには出来ないなーという感じだよ。今回のは」と言っていて、まさにそのとおりでした。第3章に出てくるアメリカ兵とかって……本当に発想がすごいと思う。

 ここ最近、ドキュメンタリーフィルムに興味を抱き、いろんなものを観てきましたが、やっぱり“映画”ではなく“映像”なんですね。どんなにキレイに撮ろうが、どんなに素晴らしく編集しようが、結局“映像”の枠からは出られない。
 もっとわかりやすく言うと、原一男や森達也や綿井健陽やエロール・モリスやジャン・ユンカーマンやモーガン・スパーロックは“映像”作家(というかジャーナリスト)であって“映画監督”ではない。是枝裕和やマイケル・ムーア(毛色が違いすぎるけど)は“映像”を“映画”にしようとしてる人(なぜかこの層は社会的に評価が高い)。で、ゴダールは“映像”を“映画”で飲み込んだ正真正銘の“映画監督”ではないかと。

 そう考えるとやっぱり社会問題を扱う作品に関してもいちばん心に響くのは“映画監督”が撮った映画であって、圧倒的な説得力がある。ということに気付きました(←遅い)。もちろんジャーナリストたちが撮るフィルムもじゅうぶん興味深くて楽しめるんだけど、こういう『Notre Musique』みたいなのを観てしまうと「うっわー! 全然圧倒的だ!」と思ってしまうわけですね。
 で、日本にもそういうゴダールみたいな人が出てきてほしいんだけど、いまのところ思い浮かびません。海外でも(私が知るかぎり)あまりいないような気がする。素晴らしい劇映画を撮る監督だったらたくさんいるけど、ドキュメンタリーをフィクションで飲み込んでしまうほどの圧倒的な力を持っている映画監督は、いまのところゴダールとアモス・ギタイしかいないなと。というか、策略的にそういうアプローチで撮ってる監督がいないんだろうな。このふたりは策略的に撮ってるもんね。そこを期待すると森達也はセンスが全然ないし、是枝裕和も力量が足りない(ふたりとも大好きですけどね)。エロール・モリス(いまのところ“映像”寄り)とケン・ローチ(いまのところ“映画”寄り)が開眼してくれればいいんだけど(笑)。

乙女日記 | Posted by at 11 10, 2005 16:21 | Comments (4) | TrackBack (1)