スティーヴ・ジェイムス『スティーヴィ-』

 先月のあたまに、ずっと観たかったスティーヴ・ジェイムス監督『スティーヴィ-』(2003年山形国際ドキュメンタリー最優秀賞)を観てきました。ポレポレ東中野にて。観客は私を入れて9人……。あらすじは公式サイトで見てみて下さい。

 いやあ……まいりました。突きつけられた。なんていうか……タイヘンです。

 アメリカの貧しい田舎町のドキュメントなので、最初はもうなんか登場人物たちの発言の無知さ、無教養さに呆れ返っていたんですけどね。家庭不和や幼児虐待、軽犯罪などの根源というのは「無知だからでしょ。きちんとした教育を与えればマシになるだろうが」と思いながら観ていて。

 たとえば(以下、ネタバレ)。

 スティーヴィーの彼女が身体障害者で、その母親は娘がスティーヴィーと付き合うのをヨシとしてないんですね。で、娘の前で「こういう子供だから、そりゃ(結婚相手を探すのに)妥協もするけど、さすがに彼はねえ……」みたいなことを平気で言うんですよ。なにそれ! っていう。この母親の馬鹿さというか、配慮のなさ加減とかって何から来てるんだろうと。生活に困窮していて、障害者である娘(とはいえ、スティーヴィーの彼女は軽度の障害だと思う。聡明だし、前向きな子です)を抱え、必死に生きてきたとしても……これはナイだろうと。

 スティーヴィーが小さい頃、酒に溺れて子供を虐待しまくってた母親が今になってキリスト教の教会に通ってるんだけど、その教会っていうのがものすごく胡散臭いのです。神父の説教もマイクで絶叫、みたいな。「アーメン!」「わー!」みたいな。教会に通っておけば死んだらみんな神の御許に行けて救われますっ! みたいな。で、みんな本気で信じてる(ま、多かれ少なかれ宗教っていうものは選民意識の塊みたいなもんですけど)。それまで教会なんかに行ったことがないスティーヴィーなのに、簡単に洗礼させちゃって(普通、幼児洗礼以外でカトリックの洗礼を受けるときはかなり勉強しないといけないですよね)、「今日からあなたは生まれ変わります!」「わー!」「おー!」「アーメン!」と絶叫、みたいな。

 そんな具合にドキュメンタリーは進むので、「こりゃアメリカ中西部にいるキリスト教原理主義のブッシュ信者たちと同じだな。無知だから貧しくて、それを自覚してないんだから良くなるわけないじゃん。この監督も無責任だなあ」なんて半ばウンザリしながら観ていたんだけど、ドキュメンタリーが進行していく中でのスティーヴィーの言動、表情、そしてスティーヴィーの彼女の言葉などがチクリチクリと突き刺さってきて、「どんなにいかがわしくても、スティーヴィーはこんな瞳で神父を見つめてて、救済されてるんだ……これが事実だし、真実だよなあ」と、なんかもう切ないし息苦しいしで大変でした。

 はっきり言ってこの映画監督のスタンスには疑問もあるし、スティーヴィーを取り巻く人間たちにもまったく同情は出来ない。それぞれが圧倒的に“人間”で、常に身勝手だし、偽善的な部分もあからさまだし、ものすごい揺らいでいる。「オマエたちこそが加害者だろうが!」と言ってやりたいくらいなんだけど、これこそがドキュメンタリーだなあと。私だって彼らと同じく、モロに“人間”で、身勝手で、偽善的な部分もあって、ものすごく揺らいでいる。
 そのなかでスティーヴィーとその彼女だけが、非常に純粋だったのがもう切なくてたまらなかった。特にスティーヴィーの純粋さ、というか、不憫さは痛々しすぎて悲しくなる。なんで彼はもうちょっと“人間”らしく生きられなかったのか。10年前にビッグ・ブラザーだったこの映画監督が去っていったときも、最初の里親が去っていったときも、「(仕事の都合で去っていくのだから)しょうがない。仕事だから」と寂しく受け入れるスティーヴィーの気遣いと優しさ。スティーヴィーが犯した犯罪の被害者(の母)である叔母を、スティーヴィーにナイショでインタビューしていた映画監督を寂しそうに「別に怒ってないよ」と受け入れるスティーヴィー。

 まわりの偽善がどれだけ彼を傷つけたか、よく考えて欲しいと思った。特にこの監督。被害者の母には「僕は彼を味方しようと思ってないし、中立な立場であなたの話を聞きたい」とか言っておきながら、スティーヴィーには「性格証人で法廷に立ってもいい。僕はキミの味方だ」と言う。性犯罪者のセラピーをやってるこの監督の奥さんも、スティーヴィーをひどく気遣っているけど絶対に(3人の子供がいる)自宅に泊めようとはしない。最初の里親も、わが子のように扱いながらも結局は去っていった。叔母も「あの子は可哀想な子だ」と言いながら、手を差し伸べなかった。

 この中途半端な偽善がどれだけ人を傷つけるか。問題は貧しさや無知とかではなく、この“偽善”というものだった気がした。中途半端に希望を与えるくらいなら、最初から何も与えないほうがいい。日常をわりと問題なく生きれるような普通の“人間”である私たちは見過ごしてしまう(そして時間が経ったら忘れてしまう)ような小さな希望でも、スティーヴィーのような(たとえると、常に薄く氷が張ってる池の上を歩いているような)精神を持つ人にとってはそれが全てである場合もある、ということを忘れてはいけないと思う。

 幕がおりて、しばし席でボーッとしてたら、ふと谷川俊太郎の詩の一節を思い出しました。

  にんげんはなにかをしなくてはいけないのか
  はなはたださいているだけなのに
  それだけでいきているのに


 とか、もう書ききれない思いがたくさんあります。 とにかく必見。ドキュメンタリーの真髄だと思う。 画や構成はそれほどキレイではないけど、そういう問題ではなく。いたるところで出てくる犬たちがなんだか印象的でした。

ちーねま | Posted by at 4 5, 2006 17:10


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» スティーヴィー from 銀の森のゴブリン
Excerpt: アメリカ 2002年 2006年4月公開 145分 評価:★★★★★ 原題STE

Tracked: 2006年11月09日 01:26