MOLTO GRAZIE, GRANDE FABIO CANNAVARO.

 帰ってきました。先週だけど。

 ドイツでのもろもろはまたいつか書けたら書くとして、とりあえず手元にある文章たちをペタッと貼っておきます。まず仕事で書いたW杯観戦レポートたち。

6/22 イタリア×チェコ
6/23 ウクライナ×チュニジア
6/24 ベルリンPV
6/26 ウクライナ×スイス
6/27 ブラジル×ガーナ
6/30 イタリア×ウクライナ

 で、イタリア対フランスの決勝戦を見て色々と感じたこと。というかファビオ賛歌。

 「MOLTO GRAZIE, GRANDE FABIO CANNAVARO.」

 思えば98年W杯フランス大会、準々決勝の対フランス戦からずいぶん長いことファビオ・カンナバーロを見てきた気がする。

 当時そこまでイタリア代表に興味がなかった私はぼんやりと試合を見ていて、ディフェンスラインになんとも不恰好なプレーをする若いディフェンダーがいるもんだなあと思っていた。そのディフェンダーはその頃すでにチームの中心となっていたフランス代表のジダンにも臆せずに、果敢にぶつかっていくやけに熱い選手で、とうとうジダンとの接触プレーで右目下から流血、防護ネットをかぶって試合を続行した。

 審判に何度も「ちゃんと止血しろ」と注意されながら、にじむ血をものともせずに弾丸のように突っ込んでいくディフェンダー。「ああ、カンナバーロってこの人か」と、当時まったく関心のなかったパルマのディフェンダーが、こんなにも熱いプレーをするのかと驚きつつも妙に気になって見ていたが、試合はPKまでもつれ、ディノ・バッジョが外してイタリアは2大会連続PK戦で敗退した。

 PK戦の最中、あまりの緊張のためか、静かに寄り添っていたフランスのアンリとトレゼゲの姿が印象的だった。彼らは次世代ホープとされていて、まだまだあどけない表情が抜けきれない。ベテランのプティとバルテズが熱い抱擁をかわし、小柄で地味な仕事人リザラズが飄々とピッチを歩む。「このチームは優勝するだろう」と確信できたほど、あのときのフランスは強かった。

 それからパルマの試合を見るようになり、DFファビオ・カンナバーロ、GKジャンルイジ・ブッフォン、DFリリアン・テュラムのトリオに魅了され、すっかりゾッコンになってしまった。しかし、やがてブッフォンが去り、テュラムが去り、ファビオだけが取り残されたパルマは不甲斐ない試合が続き、とうとうファビオも長年愛したパルマを去ってインテルへと渡った。

 代表ではマルディーニ、ネスタとコンビを組み、あっという間に世界トップレベルのディフェンダーにまで成長した。一方インテルでは、ファビオの魅力は半減どころか完全に消されてしまった。無難にいきたいインテルの戦術に、攻撃的なファビオのスタイルは合わなかったのだろうか。

 そして迎えた2002年W杯日韓大会。そこでは見たくないものをたくさん見た気がする。老いからくるマルディーニの限界。怪我人続出でチームは絶えずピリピリ。チーム内での権力闘争。あげく韓国での決勝トーナメント1回戦で、とんでもない悲運に遭って敗退し、カード累積で出場できなかったファビオも無念の帰国。大好きなアッズーリが遠くに思えた大会だった。

 その後ユヴェントスに移籍したファビオはようやくブッフォン、テュラムと再び共にプレーできることになり、私にとっての世界最愛最強のトリオが復活した。代表では徐々に世代交代が行われ、とうとう偉大なるキャプテン、マルディーニが引退した。キャプテンマークを次いだのはファビオ。しかしキャプテンとしての初の大会となったユーロ2004ではまさかの予選敗退となってしまった。

 ユヴェントスでは順調にスクデットを積み上げ、脂も乗りきって挑んだ今大会、ファビオ率いるイタリア代表DF陣は圧倒的だった。「イタリアのサッカーは面白くない」と世界中から揶揄される原因とも言える伝統のカテナチオを頑なに遂行し、初戦を除いてはその「面白くない」サッカーを相手チームにイヤと言うほど思い知らせ、それはまるで82年大会の優勝以来苦悩し続けてきたイタリアサッカーの重みをすべてぶつけていたようだった。

 そして決勝。ファビオの代表100戦目で、おそらく彼にとって最後のW杯の試合となるだろう決戦は、再びフランス代表が相手だった。フランスはバルテズ、ジダン、アンリ、テュラム、ジダン、トレゼゲ。イタリアはファビオ、デルピエロ。8年前の出場選手で再びピッチに戻ってきたのはこの8人。みんな年を取ったなあと思いながら、「よく帰ってきたね」と愛しい気持ちで見ていた。

 ジダンが頭突きで一発退場となるハプニングもあり、結局またもやPKまでもつれ込む。もはやアンリとトレゼゲは不安そうに寄り添ったりはしていない。新生アッズーリが次々とゴールを決めるなか、トレゼゲがクロスバーに当ててPKに失敗。グロッソが蹴ったボールがゴールに吸い込まれた瞬間にイタリアの優勝が決まった。

 一発退場で退いたジダンと、PKを外したトレゼゲ。イタリアが勝って嬉しいのはもちろんだが、なんだかとても寂しい気持ちになったのは彼ら2人が8年前のあのピッチにいたからだろうか。

 ジュール・リメ杯を両手に高く掲げたイタリア代表キャプテン、ファビオ・カンナバーロの姿を目に焼きつけ、これで私のサッカーファン人生の第一幕がようやく終了したような気がした。


 03-JUL-1998 SAINT-DENIS Italy:France / 0:0 a.e.t (0:0) 3:4 PSO
 09-JUL-2006 BERLIN Italy:France / 1:1 a.e.t (0:0) 5:3 PSO

すぽると | Posted by at 7 12, 2006 17:30 | TrackBack (0)

LIBERATE GIULIANA

LIBERATE GIULIANA

 セリエAの画像にキャプションをつける仕事をしてて、ボローニャGKパリウカのこの写真を発見。「はて、“ジュリアナを解放せよ(LIBERATE GIULIANA)”ってなんだろ?」と思ってイタリアのスポーツ紙、ラ・ガゼッタ・デッロ・スポルトのサイトで探してみたら……

 こういうことでした。

Sabato e domenica il messaggio accompagnera i turni di tutti campionati italiani. Un appello per la giornalista del Manifesto rapita il 4 febbraio a Bagdad.
(土曜と日曜に行われたイタリアのすべてのリーグにおいて、2月4日にバグダッドで人質となったマニフェスト紙の女性ジャーナリスト解放へのアピールが行われた)

 どうやらまたイタリア人が人質拉致されたんだと思い、日本語サイトを検索すると、こういうことらしい
 “「国境のないムジャヒディン」という、これまで知られていなかった組織名”ということですが、もうなんか本当にたまらないですね、こういうのは。「しかしイタリア上院はこの日、イタリア部隊のイラク駐留延長を圧倒的多数の賛成で決定した」って、どこかの政府とまったく同じことをやっているし……たまりません、言葉を失うばかりで。

 で、そのジュリアナさんの映像を見つけました(テレビマークをクリック)。
 何度も何度も「Aiutami(アイウータミ・助けてください)」と言ってて、切迫している状況が伝わってきます。なんとか聞き取れて理解できた部分だけ。

「ここ(イラク)の人々の状況は、毎日人が死んで……子供、老人、女性たちが暴力を受けていて、食べ物も電気も水もなくて人々は道で倒れています。……私の命はイタリア政府、イタリア国民にかかっています。クラスターボム(?)に遭った子供たちの写真を見てください。政府に圧力をかけてください。私の家族に“私を助けて”と伝えてください。どうか助けてください。……イラクからすべて引きあげ、今後誰もイラクに行かないようにしてください。すべてのよそ者(?)、すべてのイタリア人はここでは敵なのです」

 この内容でもわかるように、おもいっきり“言わされている”んだと思うんですが、手口は今までの起こった人質事件と同じですね。ということは最悪な事態であることは容易にうかがえます……望みは少ないかもしれないけど、どうかジュリアナさんが無事に戻って来れますように。
 日本のメディアもホリエモンいびりばかりしてないで(体制と反体制の縮図が見れて面白いけど)、イラク情勢を発信し続けてほしいものです。といっても、現地はもうずいぶん前から日本人スタッフを使えない状況らしいので(昨年末の時点で、正式な手続きをとってイラクに駐在しているメディアは某公共放送だけ。駐在といっても危険を避けるためにホテルに軟禁状態で、取材はぜんぶ現地のイラク人。この人たちも日本人に雇われているとバレたら殺されるので色々とカモフラージュしてるそうです)、現地の状況を正確に伝えるのは難しいかもしれませんが……。

すぽると | Posted by at 2 23, 2005 11:52 | Comments (2) | TrackBack (0)

バラックに捧ぐ(仮)

ゆっきーインタビュー中

 先日、大学時代の友人に会って話をしたところ、私のブログが大変気持ち悪いと後輩サンたちに言われているということを聞きました。気持ち悪くてスイマセン。正直、知り合い以外のみなさんに読まれているとはまったく思ってなかったので、ちょっと暴走したかもしれませんが、この世の中には建築の他にもいろんなことがあるんだよ、ってことを知ってもらいたくて……なんつって。

 ただ単に私が気持ち悪い趣味を持っているだけです、えぇ。

 ということでたまには気持ち悪くない話でも。ochiaiさんのとこかな? サッカー話でちょっと盛り上がったので、せっかくだからスポーツメディア話でもしよかなと。

 私はたしか高宮研を卒業したはずなんですが、で、いちおう建築の仕事もしていたはずなんですが、気がついたら(正しくは卒業してから2年も経たないうちに)フリーでスポーツライターをやっていたわけですね(現在は某媒体に所属しています)。なんでだろか。
 1999年から2000年にかけて、インターネットのスポーツメディアがボコボコと乱立しました。特にサッカーに関しては2000年にシドニー五輪、2002年日韓共催ワールドカップが控えていたもんだから、それこそ無名のベンチャー企業がスポーツサイトを立ち上げ、わけもわかってない素人に毛が生えたような編集者たちがワサワサいたんですね。そこにつけこんで、サッカーが大好きだった私はただ選手と喋りたいっていう理由だけで「○○選手のインタビュー記事買いませんか?」と素人編集者に記事を(紙媒体の相場よりは)安く売りつける阿漕な商売をやっていたのです(あとは当時まだ選手の公式サイトが珍しく、私はたまたまスキルを持ってたので「公式サイト作りませんか?」といくつかのオフィシャルサイトを立ち上げたりもしました。今でもいくつか動いています)。

 WEB媒体のイイところは、まず紙媒体と違って取材にお金がかからないことです。家庭用レベルの一眼レフやデジカメがあれば掲載に耐えうる写真が撮れるので、最悪インタビュアーがひとりで行って、インタビューしてからパシャパシャと写真を撮ることだって出来て、取材コストが減らせるんですね。それから文字の制限がないから(制限アリのところもあるけど、そういうところは紙媒体に載せたものを掲載するとかの2次的な意味でのWEB媒体で、だいたいテキストが長くなったら分割して1ヶ月かけて全文掲載とかにすることが多いですね)、取材したことすべてを伝えることができて読み応えのある記事になる、というのも大きいと思います。

 そんな具合でサッカーのWEBメディアがボコボコと乱立していた時代は(野球とかはメディアに関する体制が確立していたので入り込めない部分もあり、せいぜい公式サイトくらいしか関与する部分がなかった)、3日でインタビュー5本とか平気でやっていたなあ……。あげく、Jリーグ某チームの公式サイト上で、なぜか私がパーソナリティーになってインターネットラジオまでやっていました。毎回選手2名をゲストに招いて雑談するという……本当に雑談なんですけどね。監督の髪型はどうかと思うとか(笑)。
 で、なぜ淘汰されてしまったかというと簡単な話で、JリーグがWEB媒体に規制をかけてしまったんですね。情報を専売したかったから。ここの「Jリーグが定義する「報道利用」と「報道利用以外(商業利用含む)」のところを見てもらえればわかると思うんですが、おもいっきり注意書きで※但し、インターネットメディアについては、報道媒体としての位置づけが確立されていない状況ですので、原則としてこの限りではありません。公式試合やイベントでの取材もお断りしているのが現状です。と書かれています。実際、この規約ができてから、公式試合にWEB媒体として申請したらハネられるようになりました。で、材料がなくなった(チームに行ってインタビュー取材というのもあるけど、移動費やら取材対象へのギャランティやらでコストがかかる。ということを考えると、公式試合の取材がいちばん安価で手っ取り早いわけで)WEB媒体たちはどんどん淘汰されていくんですね。取材が出来ない上に、取材できた材料に対しても課金できないんだったら商売にならないので。日本サッカー協会はまたちょっと違うんですが、まあ似たり寄ったりです。
 チームごとでもWEB媒体に関してはスタンスが違って、少しでも多くの人にチームのことを知ってもらおうと(試合以外の)取材を大歓迎してくれるチームもあるし、取材対象に対してギャランティを払わなくてもいいチームまである一方、「は? WEB媒体の取材? Jリーグに許可とってから出直してきて」というチーム(地域の人気が根強いので危機感がないわけですね、とか書くとどのチームかバレバレですけど)もあって千差万別です。

 とはいえ、抜け道はいくつもあるので、現存するWEB媒体は色々と模索しながらやっていますが。にしても、WEBはもはや欠かせないメディアとなっている現状で、そこをシャットアウトするという保守的で排他的な組織は成長しないですね……見てのとおり。でもまあたしかに最初に乱立したWEB媒体のなかにはレベルが低くて酷いものが多かったからなあ……という気持ちもありますけど。

 ということで、たまには普通の話もできますよっていうアピールでした(笑)。また気が向いたらこの手の話も書いていこかなと。
 今日は日本代表×ドイツ代表戦ですね。バラックにウットリしてきます。

すぽると | Posted by at 12 16, 2004 12:32 | Comments (4) | TrackBack (0)

もう終わったけどオススメ選手inアテネ

らぶりーファビオ♪

 本題の前に、simonさんがコメントして下さったように、私の最愛のジョカトーレであられます、ファビオ・カンナバーロさまがビアンコネッロ(イタリア語でビアンコは白、ネッロは黒、ようするにユヴェントス。というふうにカルチョではユニフォームの色でチームを呼ぶことが多いです。赤と黒のACミランはロッソネッロ、黒と青のインテルはネラッズーリなどなど)に正式に移籍しました。
 カルチョメルカートが終了するギリギリのタイミングで、かなりハラハラしましたが、なんとか滑り込めたようで。というか、インテルなんかに行かないで、最初からユーヴェに行ってりゃよかったんですけどね。ともあれこれで私の世界最愛のトライアングル(ファビオ+ブッフォン+テュラム)が4シーズンぶりに復活。早くシーズン始まんないかなあとワクワクしています。

 ということで写真は2002年ワールドカップ、イタリア×メキシコ@大分でのオーロラビジョンです。ちなみに私はこの試合(たしか19時からとかだった)、昼から別府で見知らぬメキシコ人サポーターたちとテキーラを痛飲していまして、ほぼ覚えていません。泥酔とかそういうレベルではなかったような。スタジアムまでの道のりとかぜんぜん記憶にないし。

 で本題。

 オリンピックが終わってしまって、かなりションボリしている日々ですが、以前書いたオススメ選手の後編です。ちょうどカルチョ話も出てきたのでね。

 オススメ選手その2はサッカーのイタリア代表キャプテンだったアンドレア・ピルロ(25)。彼は本当に素晴らしいです。ちなみにオーバーエイジでの参加。

 日本の予選敗退が決定した試合がまさに日本×イタリアだったんですが、あの試合でのアンドレアは渋いプレー満載でした。勝ったとはいえチームはわりと低調。そんななかでもボールを持っていないときのアンドレアは献身的なフリーランニングで地味にチームをフォローしていました。その前の試合はトップ下のわりと高い位置でプレーするように指示されていましたが、この試合はミランで普段やってるレジスタだったため、ものすごい安定したプレーで中盤の底にどっしりと構えていました。ステキです。

 そんなアンドレアですが、私がなぜ好きかというと……“いつも眠たそうな顔をしている”からです。チームメートが得点しても「おーよくやったなー」と遠巻きに眠たそうに眺め(※いちおうチームキャプテンです)、両チームの選手がエキサイトして掴みあってるときも眠たそうに我関せず(※いちおうチームキャプテンです)。試合終了で両チームの選手たちがユニフォームを交換し、健闘を称えあってるのを尻目に眠たそうにさっさと退場(※いちおうチームキャプテンです)。

 ……すばらしい!

 今回は特にオーバーエイジということでチームに馴染めてない様子で、ジラルディーノにいたっては「ピルロのことはよく知らない」とあっさりコメントしていました。でも本人は「キャプテンとしてメダルを持ってイタリアに帰りたい」とか、めずらしくやる気まんまんで臨んだオリンピック。イタリアは残念ながら銅メダルでした。
 アンドレアだけで言うと、ベストゲームは準々決勝のマリ戦だと思います。延長後半残り5分くらいでアンドレアからの素晴らしいクロスをボボが押し込んだ試合。この試合のアンドレアは再びトップ下を任されていましたが、んもう絶好のタイミングでスルーやクロスをバシバシ放ってて(もちろん目はうつろ)、本当に素晴らしかった。
 前日にイラクでイタリア人の人質が殺されたため、すごい微妙な雰囲気で迎えた3位決定戦、イタリア×イラクでのアンドレア。……こんな恐い顔しなくてもいいのに。これでも25歳です♪

 ということで長くなりましたが(ピルロに関してはまだまだ書きたいことが山ほどあるんですが、某メディアで延々と書いたので自粛)、オリンピックの注目選手を挙げてみました♪ 終わったけど!

すぽると | Posted by at 9 1, 2004 17:00 | TrackBack (0)

いまさらだけどオススメ選手inアテネ

2002年ワールドカップ、イタリア対クロアチア@茨城で、イタリア代表を応援する日本人

 ということで、いちおうわたくしスポーツメディア界の端くれといたしまして(職権濫用専門ですけどね)、アテネ五輪のオススメ選手を紹介したいと思います。いまさら。もうほぼ終わったも同然なんですケド。

 ずばり今回、私が大注目していた選手はふたりしかいませんでした。その名もアレッシオ・ボジャット(競泳)とアンドレア・ピルロ(サッカー)。

 ……えぇ、ぜんぜん日本人じゃアリマセン。むしろふたりともイタリア人です。さらに言うと、べつに日本がメダルをいくつ獲ろうが知ったこっちゃないわけで(それどころか、日本人が活躍すると、仕事がめちゃくちゃ忙しくなるので迷惑)。いくら私が吉田松陰先生を敬愛している、やや右寄りの人間であろうと、スポーツにナショナリズムは関係ありません。あ、柔道の内柴選手は男前なので好きですよ♪

 まずアレッシオ・ボジャット。彼は本当に素晴らしいです。200と400個人メドレーの選手で、特に400がお得意。ヨーロッパの大会では常に上位に(“攘夷に”と変換するこのPCはさすが)食い込む実力の持ち主。
 で、なにが素晴らしいかというと、2002年ベルリンでのヨーロッパ選手権400メートルで金メダルをとったときのこの記事(というかこの写真)。「ぎゃー、なにこのイタリア人かわいい!」と一目惚れをしたわけです。その後、とあるルートからとイタリア語のメールをやりとりして愛をはぐくんでいったんですね(いつもイタリア語の間違いを指摘されるけど)。現在もはぐくみ中(一方的に)。

 そんな男前のアレッシオですが、今回アテネは残念な結果になってしまいました。得意の400メートルでは自己新の4分12秒28を出しながらも4位。銅メダルに1歩届かず。だいたいあのアメリカのフェルプスとかいうブサイクなガキは、何種目も出ちゃってズルイのよ! 200にいたっては、6位で予選通過しながら準決勝で敗退。めちゃくちゃ低調でした。

 やはり天は二物を与えないっていうんですかね。FORZA ALESSIO!!!

 ……興奮して長くなってしまったので、アンドレアの紹介はまた後日。ちなみに写真は2002年ワールドカップ、イタリア対クロアチア@茨城でのナイスなサポーターを激写したものです。

すぽると | Posted by at 8 25, 2004 19:02 | TrackBack (0)