forbidden place
横浜市の都市デザイン室長の講義を聞く。実践的な話の中から一つだけ気になったことが。「都市計画的に健全とされているものしか良いとは言えない」というフレーズが印象に残っている。まち全体をそのテンションで徹底すると、ニュータウンという言葉に喚起される街並みが想像される。しかし、誰もが郊外の街にはどこか物足りなさを感じている。優良な計画学と実生活から得られる価値観の落差には、直接つないで説明できないほどの深い溝がある。
アノニマスな禁断かなにか。特異な条件下で発生した郊外団地を舞台としたコンテンツ(小説 映画 ドラマ)は数多い。金妻、平成狸合戦ぽんぽこなど切りがない。最近では月9で放送されていたエンジンにも多摩NTのカットが入っていた。また、郊外団地を舞台とした映画が論文のテーマにもなっている。イメージと実態の落差に惹かれ群がる人々。
郊外団地をテーマにした議論や論文によく取り上げられる小説がある。直木賞作家でNTに住む重松清が書いた定年ゴジラだ。ある対談で冷静に都心回帰は郊外逃避であると言い放ちつつ、あとがきにはNTが少し好きになったと書くところ、自己矛盾を抱えていて面白い。
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建築 | at Jul 27, 2005 | TrackBacks (0)
都市的な快楽を顕在化した建築

ニュータウンに漂う均質な空気の、反動となるようなプログラムを抱え込んだ施設。
多摩に何を期待しているのか。
どこから引き金をひいても、問題が複雑すぎて、自分の思惑だけでは、単調な情報整理を突き抜けにくいという、課題をこなすなかでの経験から、今回は問題を整理しやすい場所によりかかりたいと思った。
そこで、ニュータウンと呼ばれるような都市計画学的に優等生である、構造が単純化されている街で、分かりやすく分析したいという、きっかけに乗ることにした。
20世紀の右肩上がりの成長から発生した、国家や企業と個人の間にある隔たりをうめていくこと(うめたことで、主体がひっくりかえってもいいという夢)が、現代的で包括的なテーマになるはず。
人口や経済の縮小や、エコロジーなど、今までの創意が否定されかねない大きな問題の中で、夢のある快楽に浸ることが悦びであることは変わらない。
僕の興味は、特定した場所を持たないネットワーク型コミュニティ(NPOやサークル、町内会、ボランティア、時には家族)。国家と個人の隔たりを顕在化させることにあるようだ。
多摩NTでは、都や公団(現 UR都市機構)と、もはや35年経ち新住民を超えた住人との間の存在がプロジェクトの主体になりそうだ。
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new town | at Jul 15, 2005 | Comments (2) | TrackBacks (0)
一周年
ドメインを取得して、まもなく一年が経ちます。(正確には7月16日)
tkmy.net全体で、延べ20万人以上の方によって、70万を超えるページの閲覧をしていただきました。
ネットに情報の波を立てるというよりは、淡々と自分のメモランダムへと突き進んでいる模様ですが、それもツールゆえの多様性であり。OKでしょう。今後もよろしくです。
blog | at Jul 12, 2005 | Comments (2) | TrackBacks (0)
リサイクル
転用1(場所)

建築 | at Jul 2, 2005 | TrackBacks (0)
多摩ニュータウンで何が可能か
個人的な事情ではあるが、修士設計の対象を多摩NTとしている。税金による穴埋め問題からもわかるように、人口と経済の増大という前提が崩れ、つじつま合わせがうまくないのは確かなようだ。初期の開発地域における人口の減少、小学校の閉鎖、写真のような近隣センターの衰退。といった話題がNTに暗い影を落としている。当然、地価上昇による利益が見込めない昨今、事業主体である都や公団は、既に新規事業を停止している。今日的な問題として、人口の減少と少子高齢化が叫ばれ、人口と経済の縮小という前提での新たな近代化を歩まなくてはならない。さてどうする。打つ手はないのか。
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new town | at Jun 13, 2005 | TrackBacks (0)
万博

ロボットと戯れる人間と、自然はいいなぁといったような、全体的に楽観的なムード。なんの目的に万博をやったかは、行っただけでは分からなかった。隊列を組む自動走行のバスや、感覚的に操作出来るモビリティなど、テクノロジーだけを見ればおもしろいものもあったが、とにかく建築がつまらない。
そんななかTOYOTAパビリオンが突出しているように見えた。21世紀的な技術的テーマと、個人的な創意のバランスがとれていて好印象。小さなパーツ(軽鉄)を組み合わせて大きな空間を得る悦びと、解体できる明快さが結果的に何を生むか。そのへんをもっとアピールしても、いいかなとは思ったけど。
まぁ。万国博覧会というフレームで何を生もうとしているか考えないと、ただの観光アピールの場になっていた。
建築 | at Jun 6, 2005 | TrackBacks (0)
擬体
目も合う。ジェスチャーもできる。あとはゴーストか(笑)。
でもちょっときもい。建築は家型。ロボットは人型が究極で、かつタブーなのか?!

日記 | at Jun 5, 2005 | Comments (2) | TrackBacks (0)
荒川修作×磯崎新
ABCのトークイベントに行ってきた。文字に出来るところだけ書いてみる。荒川さんがゾンビのように感情をこめて話を始めた。局所的に美術や建築をもちいたアメリカに500年しいたげられてきたラディンがやったのは当たり前と。はなから暴走気味。続けて、磯崎さんが自分の主張として書いたなら建築する身体を半分書き直せと言う。アーティストを放棄し建築家になろうとしていると指摘。一方、荒川さんは、堀江(ライブドア社長)さんは「私は死なない」という視点で、倫理や社会を断絶し、経済に切り込んでいったと評価。かみ合っているようなかみ合っていないような展開に翻弄される。荒川さんが、記憶を形成するというのは、外に対する免疫であることを発見したと言う。彼が言う有機学の思考にたった発言。彼曰く有機学というのは、(たぶん荒川さんのつくった場所で)そこに行きたいと思い、はいつくばって行くと、途中でいがいと心地がよくなってそこで居座るということらしい。デシャンに人差し指でこづかれて、君は有機体に入っていてのはだめだと言われたと。当時さっぱりわからなかったと回想。
建築 | at May 29, 2005 | Comments (5) | TrackBacks (0)
たのしみたい

遺構 | at May 29, 2005 | Comments (3) | TrackBacks (0)
緑化
大森駅前にある絵に書いたような屋上緑化

日記 | at May 28, 2005 | TrackBacks (0)
ディフォルトのここちよさ
アートスケープにも原稿をよせている歌田さんのブログによると、図書情報アーカイブ化の中で、webを蓄積していく方法論が議論されているようだ。建築もそうだけど、過去に書かれたものであっても当時の社会思潮の上にたって発言しているので、現在とずれてたって問題ない。と、さらに続けて書こうかとも思ったが、議論は専門家にまかせるとして、まずはサンプルを集め、保存することから始めるのではないかと思う。当然、その作業の中でブログツールが名を連らねることは、予測できるだろう。結論を急ごう。現時点ではtkmy.netのデザインは、MovableTypeのデフォルトテンプレートを尊重して構成している。50年後か100年後かわからないが、歴史的な解釈から再評価されるような時にこのブログがレファレンスされたら、どんな遺跡のように見えるのだろうか。そんな夢のあるデフォルトに酔っているアドミン(=管理者)。従って、僕としては積極的に検体として捧げたい。笑
LINK:グーグルが、アメリカにある5つの大きな図書館にある本をスキャンして電子化し、ネットの検索を通してアクセスできるようにすると発表したニュースも挙げておきたい。
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blog | at May 28, 2005 | TrackBacks (0)
原美術館ARC

富弘美術館にも行ってきた。良くも悪くもあたまを抱えさせてくれる建築だ。コンペ的な思考にたてば、勝つと言う目的において、円形のプランを採用したことに問題はないだろう。何より勝者となり建築を作っているのだから。ただ、美術館として本当に良いかどうかはよく分からなかった。
確かに、建築の話としてはおもしろい。しかし、建築家の能力はそれだけではないはずだ。プロジェクトの規模に対して、ある程度の予算があり、その中で美しいまとまりを描かなければならない。完成に至る経過を詳しくは知らないが、建物とその周辺が断絶していた。アスファルトのアプローチ。湖面まで降りる動線。ツーリズムを優先させた車寄せ。それと建築。それらが、縦割りで工事区分が分担されているような印象すらあった。それが、建築家が発言した結果であれば、少し悲劇的な建築かもしれない。
空間のバリエーションは、断面のヒエラルキーがなく、円の大きさのみで違いを出している。そのため、素材をいろいろ使っているが、少しうるさかったかもしれない。加えて、円が詰まりすぎている気もした。円と円がぶつかった余りの空間などを利用して、外部が感じられる空間などが、もうすこし混じり合っても面白かった気がする。それを解決するためには、箱の大きさを広げれば良いのだけれども。無理だったのかなぁ。ただ、円が迫ってくる空間は、負けている感じが強く、居心地は悪そうなので、見えているだけでいい。
プランは、道路側がサービスで、湖に向かってオープンな機能へグラデーションする従順なもの。壁から壁を抜けて、予期せぬ風景が重なっている種類が、全方位へ展開できるように散らすことはできなかったのだろうか。
文句を言っているのではない。いろいろ考えさせられたのだ。円を徹底するという方法論の中で、他の手はなかったのか、ずっと考えながら、ぐるぐると歩いていた。
円形の壁づたえに、人がオートメーション化されているように、並んで動いているのには、少し驚いた。笑
原美術館ARCが、すばらしかったので、そういう気持ちになったのかもしれない。
建築 | at May 16, 2005 | Comments (11) | TrackBacks (0)
LAMY safari
LAMYいただきました。これは、おそらくITOYAオリジナル。黒に映える。

日記 | at May 15, 2005 | TrackBacks (0)
MoMAは50%
オペラシティで開催されている「谷口吉生のミュージアム」に関連した講演会に行ってきました。以前のエントリーで、高宮さんが見たMoMAを書いたのですが。今回は、槇さんと谷口さんが見たMoMA。槇さんの直感で、辞退するつもりだった谷口さんを、ぎりぎりでとどまらせたなんて、逸話を聞いていたので、この二人の話は是非聞きたかった。人の話を聞きに行くのは、99%が事実の反芻で、1%の狂気を期待していくわけですが、今回は谷口さんが「50%しか満足していない」と言ったのが、それでした。笑
お二人の真っ正面に座り、モダニズムを壮観した気分に浸りながら、入り時間になる。矢萩喜從郎さんが、まず谷口建築を解説。シンケルやミースに通じる理性的な態度や、門構え、にじり口、座といった日本的な解釈、絶対水平や鏡面性が特徴の深さのない水面。ご自分で撮影されたと思われる写真を交えて、自分の解釈を、誤解をおそれず話されていました。一番、印象的だったのは、ブルーモーメントに輝く豊田市美術館をファインダー越しに見たとき、「理性と日本的な感性の溶解」に見て取れ、大変美しかったと。スライドとセットだったので、感動。
次に、槇さんの視点での評価。展覧会を見て分かるように、多くのメディアから讃辞を贈られている点は、40%は建築家がよかったから。残りは、MoMAだったから。なぜか。グッケンハイムとは違って。と言っていいほど、アメリカ人にとってMoMAは特別であると。自身がNYで働き始めて、まずMoMAの会員になったほどであり、移民文化のアメリカの先進的なコミュニティは教会しかなかった。次にデパートやボールパークができ、それから美術や演劇がついてきた。その中でも象徴的なものがMoMAであると。彼ら自身の幸福感であり、先進的なサンクチュアリとまで。このコメントからも、アメリカの身体感覚が根付いていた槇さんがMoMAのプライド、戦略からいっても、勝ち取る可能性を感じていたのだと。槇さんとしては今回の計画は、何よりアーバンデザインがすぐれていて、18世紀から現在にいたるまでの建築が集積している場所で成立させている今回の計画を高く評価されてました。
それを聞いていた谷口さんが開口一番、僕は話がうまくないと前置きをし。既存の保存、改築の復元、新築が複合した難しい計画だったと。そういう提案をしたのが自身ではあるのですが。内部にある作品との拮抗を望まないMoMA。MoMAが所蔵する作品は世界中どこでも見れるから、NYが館内からどう見えるのかというのを慎重に考えた。知ってはいたが、この謙虚で紳士的なコメント。んー背筋も伸びてる。また、あの特徴的な門構えは、中と外との連続性を意識した窓の枠でもあると。アベニューからのひきがないので、内部空間を豊かにしたかったと。建築を学んだのは都市の理想を語られた60年代。しかし、日本の都市の猥雑な風景を見て、どちらかというと閉じることに興味があったのかも知れない。矢萩さんが日本的な解釈のことを述べられていたので、日本的な事は意識していない。どちらかというと避けていると。一方で、非対称 線的 うすあかり コンポジション。モダニズムと共通するものを、そういった日本的な空間構成に感じると。
それを聞いていた槇さんは、内部空間に興味のあったroom to roomの磯崎さんや回遊性の谷口さんと比べれば、もうすこし楽観的だったと。門やにじり口もしない。ヒルサイドでもわかるように、隅入りを好むと。谷口さんとの違いをコメントされてました。
最後に、質疑応答。「どこで筆を止めるのか」谷口さんは、どんどん単純化していく。ぎりぎりまで純粋化して(作為が)残るか残らないかのぎりぎりのところで止めるとコメント。「敷地から何を得るのか」槇さんが、ア プリオリな欲求を確認するために敷地を利用することもあると。
建築 | at May 12, 2005 | Comments (1) | TrackBacks (2)
IL BULUNO
高橋てい一(第一工房)が設計した東洋大学の、目の前にある近所のイタリアン。オーナーが、良い感じで日に焼けてて。わんぱくな感じ。娘も似て黒い(笑)。お店をデザインしたのは、槇事務所出身の人みたい。姉妹点に三田線白山駅前にある「こむぎこ」がある。こちらは、イタリアのいなか風のインテリア。聞くところによると、こむぎこはこってり作り込んでるから、さっぱりしたのが良いということで、頼んだよう。こむぎこは、隣席との距離もちかく、わいわい群になりたいときにいい。イルブルーノは、ゆっくり食べたいときによい。両極端を、同じオーナーが経営しているところにお店の幅が感じられる。パスタの量も多く、ワインもおいしい。予算は、ひとり3000円から5000円。ちょっと和風なイタリアンって感じ。前菜で迷ったらブルーノサラダ。ホタテとフォアグラ入り。

日記, dine | at May 11, 2005 | Comments (1) | TrackBacks (1)



