ネットは面白い。心からそう思えたのは、ツイッターが初めてだ。ツイッターの何が面白いのか。オープンかつ、祭り的連帯感の内在につきるだろう。このオープンな雰囲気が、ユーザーが膨大になっても維持出来るのであれば、新しい時代が来たと言って良いだろう。
政治家や役所が紋切り型に透明透明といっているが、やはりすっぽんぽんには出来ないのだ。学校の屋上へ向かう階段室や、放送室のような監視が行き届きにくい居場所が必要なのだ(そこで何をしていたかは今は重要ではないw)。
スケスケな場所から逃れられるスポットを情報技術が演出する「祭り」によって代替できるとは、前々から言われていたが、2ちゃんもmixiもどうも内輪的ノリが強化されるアーキテクチュアで、ギートステイトにでてくる、逃走する老人の気持ちがよく分かるところで留まっていた。
ツイッターは、端末を選ばない(アイフォンにかかわらず、どの携帯からもアクセス出来るアプリやサイト(movatwitter)がある)ので未だの人はやってみても損は無いだろう。まずは、適当にフォローを追加(津田氏曰くまずは100人)して、ツイッター(tweet list)を眺めていると忙しくなることに気づく。脳潜入をくらっているような動揺さえある。本格的に介入してから2ヶ月くらい経過した今、やっと生活スタイルが確立出来てきた。日常に入り込んでくる時点で、大きい存在だ。今日気づいたのだが、電話しながら、メールかきつつ、TLを横目に、手元にメモをとるといったことが意外と出来る!ので、攻殻機動隊とかにあるような情報量多すぎるだろっ!という疑念は晴れつつある。
ということで、ブログは、何かがまとまった時に使うことにする。なのでコメントもトラックバックもいらないかなと思いはじめている。スパムは人力で削除しているし、(今のところは)ツイッター上でコミニケーションした方が、安全で、かつオープンで楽しい横やりに度々遭遇出来る。つまるところ、ブログもコミニケーションに期待しているところがあったが、それは叶わぬものだった。(スパム対策への期待しかなかったので、コメントトラバを閉鎖するならばMTのバージョンアップもしなくて良いだろう。ブログ上にツイッターの表示ができるようにでもするかな。)
そんなツイッターは、グーグルの立場も揺さぶっている。ツイッターの出現で、ただのインフラに留まることでさらに立場強化していくのか、そうではなく飲み込むのか?その点に注目したい。インフラといえば、土木/建築の差異が、グーグル/ツイッターの差異と近い気がしている。(土木と建築の分化はどこから始まっているのか知りたいというつぶやきがあったなそういえば)
もちおは、ただのエリートに過ぎなかったのか!?。下層レイヤーの生々しいしっぺ返しに、背を向けている姿をさらけ出してどうするつもりなのか。shinyaさんに勧められて思想地図〈vol.3〉を読み始めた。イデオロギー批判からアーキテクチュア批判へシフトしなければ思想空間が消滅してしまうという個人的な苛立ちを、(社会全体のエネルギーが発散していく先を見定めたいという)高いその方へ接続しようとしている。裏方として演じているあずまん。このまま居心地が良くなって、どんどん透明になっていくのだろうか。もちおにも上下レイヤーを横断するような心地よい運動体になっていただきたい。これからの建築家のスタイルも、運動体となるというのが1つかなと思っている。
先月28になった。18年大阪。10年東京(途中北京)。大阪へ帰れば、毎回新しい発見があって楽しい。遠い記憶にぽつぽつと残っている情報と、新しい発見を接続して線や面につなげていく。本棚を整理するような、リセット感がきもちいい。今回は、中之島界隈をぶらぶらと。京阪の駅が出来ていたり、記憶より川幅がゆったりしていたり、何が良いのかわからないが、イベントで人がたくさんいる隈さんの放送局、黒川紀章設計の国際会議場と接続されたホテルでビールを飲んだり。カフェ、家具などの販売、自ら資金調達し企画する展示スペースをもつgrafを覗きつつ。杉本博司展を見るために、国立国際美術館へ行ってきた。建物は、これだったらせめて安藤さんに…という感じだったけれど、それを忘れさせる迫力の展示だった。杉本コレクションの総覧、百花斉放という雰囲気だった。宝塔にアクリルを詰めたり、月の掛け軸をつくったり、微妙なリメイクが杉本らしい。ハイライトは、連続して並ぶ「海景」と、鏡で増幅された「放電場」。表現は抑えめだけれども、小宇宙がそこに。放電場の写真が列柱のように整列し、壁面の鏡によって無限化を試みている。しかし、奥へ歩いていくと、鏡が破壊されていて、その虚構を自ら打ち崩している。放電場の襞と、鏡に映るこなごなになった自分が、頭の中で反復し、ぐらぐらしてきた。最後にデュシャンの大ガラス…。これは、即興か?。最後に映像があり、鏡の突き付けがうまく行かず、やり直そうかという話から始まり、破壊し、笑う杉本。この記事も杉本が書きたくて書き始めたが…。
少し南下すると靱公園がある。これが追い打ちをかけるように良かった。(ここまでくると、すっかり酔っていて、気持ちもアルコールも…。写真が無い…。) テニスをしていたり、レジャーシート敷いていたり、人がたくさんいる。イベントとかでなく、日常的にこうなのだという感じ。特筆すべきなのが、公園に向かっていくつものカフェが開いている点。公設の公園と私有の建物の境界には、所有を顕在化させるように、壁やフェンスがあるものだが、一切無く、風景として一体化していた。店側も過度にテーブルを拡げることなく、公園→開放された一階→その外縁の道を、節度を持ってつなげている。公園の周辺には魅力的な店舗が集まっていて、街の中心的な様相だった。地区に1つといった定量的な規格によって生み出された都市の空地(公園)を中心に、市民空間が立ち上がりつつある。都市計画の設計思想を越えた、自走する公共圏の姿がここに。公園のランドスケープは、(日本の公園によくある)ありふれた西洋的な庭園の模倣でしかないが、その中で人々が生き生きとしている。このズレが今っぽい。都市ともなると、設計思想を越えるまでに、こんなに時間がかかるものなのかと。
]]>若人の広場
丹下健三設計(S42)
最近、宮台真司が(改めて)面白い。日本の難点を読んだ。明治維新の際、国を統合する〈政治〉も〈市民〉も存在しなかったので、代弁者として天皇を担ぎ出した(強いものにかならずついてきたという日本的慣例に従いながら、新しい船出を宣言した)。 しかし、藩閥や、左か右という傾斜ばかりが際だち、その効きすぎたエッジは戦争というかたちで臨界点を迎えた。日本は、天皇という特異点を持つ。戦後、その立場を理解したアメリカの介入により、国民の象徴と再定義され、アメリカに包摂されながら今まで歩みを進めてきた。しかしながら、自由を体現し続けてきたアメリカの失墜を、911の後処理、金融危機というかたちで具体的にさらけ出すことになってしまった。大日本国国憲法が定義した日本。アメリカが定義した日本。そして今、アメリカの変質により、日本を再定義する必要があるという流れは確実にある。憲法改正(という手法が良いか悪いかは別として)もその一端である。アジアの日本なのか、世界の中立者としてなのか、その定義付け論争は充実化させていかなければならない。ただ明らかなのは、国家建設の本当の目的である〈政治〉と〈市民〉の確立は今も曖昧なままであること。進むべき国家的統治を推進できるよう、新しい〈政治〉と〈市民〉の相関関係を築けるシステム、宮台の表現で言う社会的包摂能力を鍛えるために。柳田国男のように僕は野に下る!と宣言したような本であった。
天皇と金融危機の話は、NHKスペシャルで、それぞれ複数回の特集を組んでいる。明日(5/17)も金融危機の特集。NHK面白すぎます。そういえば民主党党首が交代した。自民も民主もイデオロギーの差異はないが、国家を引っ張るエリート(官僚)を引っ張っていける大胆な政治家の出現を望む…。本の中で引っかかったキーワードいくつか。生活世界に棲む人間が作りだすシステムの網を張り巡らしたモダン。全域化したシステムの添加物となった生活世界の中を生きる人間、すなわちポストモダン。システムを修正しながら生きていくしかない。自分へのコミットメントだけでなく、社会へのコミットメントを。社会へのコミットメントの空気感はココカラハジマル|しゃべることにも書いてあった。(以下引用。「私、特別な感性を持ってます。人とのコミュニケーションは苦手です。私の感性は言葉にした瞬間に崩れてしまいます。でも、絵は上手です。写真は上手です。分かってください」系のナイーブな描き込み・作り込み作品は、嫌いじゃないのですが、でも、もうそういうものを、自己表現だとか、小さなゆるやかなコミュニティだと評価する時代じゃない。)建築も変わらなきゃねぇ。フラットや白もポストモダンの一表現でしかない。
フジのノイタミナ枠で放送中の東のエデンも面白い。攻殻のテレビシリーズの監督、神山健治作品。東というのは日本のこと。平和ぼけした日本の中に潜む危機をテーマにしている。パトレイバーのような雰囲気だ。パトレイバーは機械(レイバー)を作った人間と、実はレイバーに支配されている社会という構図を採用している。ガンダムやエヴァンゲリオンも、システムの象徴として機械を採用している。攻殻機動隊や東のエデンは、システムが透明になった社会の話をしている。神山監督は、攻殻のインタビューで、現代社会との地続き感をアニメの中に表現したいと表明していた。東のエデンもそのテンションが強く出ている。
自己主張の際にかかるコストはブログというかたちにより限りなく0となった。批評家の中には、出版するペースでは時代について行けないので、ブログやネット放送を有料化している人がいる。一方で、Googleによる本の全文検索の動きも見逃せない。時代をつくるきっかけは良質なリファレンスによって発見される。この部分でのコストが0になる時代がおのずとくるのだ。小さな気づきを集積するシステムと言えるものは、ブログやtwitterなどだろう。しかしながら機微を前面に押し出すだけでなく、大きな流れを作り出す知恵、システムの開発がこれから必要とされる。ネットだけでなく、建築も時代をうごかす緩やかなシステムである。緩やかというのは、建築は物であると同時に、長く存在するという自己矛盾を抱えているため、ただ新しいだけでは成立しないという意味。建築をつくる際の反駁精神は、緩やかに社会へ訴えかける程度しか出来ないんだから、現代社会とも中立的で自由に作る度胸が必要。誤解を恐れずに言うなれば、未熟な〈市民〉や〈政治〉を誘導するシステムとして建築が機能するべきなのだ。
]]>エコな建築を作る時って、ソーラーとか緑くっつけたりするんですか?
良いかもしれないが、イニシャルもメンテも決して安くない。建築の場合、どういう回答があるのかは個別解になると思う。イメージとしては、白とかフラットにしている労力と金銭を、エコに振り分けていくのではないか。例えば、サッシはただ細くするのではなく、木とかで太く。空間の仕切りは、季節に対応できる殻の中で自由に。構造はただスリム化していくのではなく、時には厚く。設備は、操作性より、ゆったりと。生活のスタイルを変えても良いくらいの心地良い空気。しかし、あれこれくっつけて、ただの寄せ集めにしても、かっこ悪く、かわいくもない。世に主張していかなきゃならない。
コンセプトは抽象度を上げるべき。
100年に一度というのは、体質改善をすべき大きさのことと思いたい。日本だと、幕末以来ということか。司馬先生を読んでいる。薩摩→土佐→幕府(慶喜 新撰組)→これから長州編を読む。どれらの立場からも、逃げない、はればれと立ち向かう歴史の中の快男子が描かれている。膨大な調査を踏みしろとし、説教くさくなく、安易に好き嫌いに偏らず、強引な解釈に落とし込まず。あくまで、歴史的抽象という焦点をあぶり出そうとする一貫した態度。しかしながら、圧巻という言葉が適さないほど謙虚なテキスト。表現者の姿勢としてとても参考になる。
かめばかむほどシリーズついでに、最近読んだ14歳からの社会学 ―これからの社会を生きる君にが良かった。どう良かったかは、気が向いたら書く。
]]>ところで、熱っぽいつながりで昨日鶴川のコンペの審査会を見てきました。審査会場まで足を運ぶのは久しぶりで良い刺激をもらいました。今日の朝、結果がホームページに出ていて、すくなくとも僕の印象とは違う結果となり、審査員の勇気に朝っぱらからすこし心打たれました。1等の案は、民間の理論で作られた30m級のマンションが林立している中で、公共建築にしかできない「低くたてる」とうコンセプトを最後まで貫きたいというのが評価されたのだと思います。まず、目に入ってくる大きい屋根は、マンションによって切れてしまいそうな丘陵地帯の生態を連続させるために、屋根面を緑化し、コミュニティ施設が入るこの大きい屋根の中では生態環境ができるような積極的な緑化も目指す。屋根の下に、図書館があり、地下がホール。ホールのフライタワーがメガストラクチャーになっていて、建築を支え、建築のイメージとなる本棚にもなっていた。そのメガストラクチャーはみんなで使う棚であって、壁を使って展示をするなど、使い方を一緒に考えていきたいと。地下利用が難しいという話が審査中出ていたのですが、そのあたりがどうなるかはよくわからない。
かつてのコンペは、アイデアとプランニングを含めた「かたち」を評価してきた。最近主流になりつつあるプロポーザルは人と考え方を評価するので、「かたち」だけで戦うのではなく、市民や街をまきこむ仕組みをデザインするということが主眼になっている。それは、時に具体的な建築を組み立てる部品であったり、今回のように低くたてるという言葉であったり、建築がわかりやすくなっていく断片が感じられる。すこし感動したというのは、わかりやすくすることは、平均値、つまらなくなることではない。という審査員の意志を結果から感じられ、「かたち」に鋭さを持ったものが選ばれたことにほっとしたわけです。
2等の案の都市環境に訴えかける提案も充分に評価出来ると思います。創造の塔と呼ばれる強い構造体の周りに緑のかごと呼ぶ自由な空間を作っていました。7m位のレベルに持ち上げられた緑のかごを街に開放するため、歩道橋という都市装置を1500人くらい居住している丘へつなぐ。その歩道橋は都で毎年13件程度出ている中古の歩道橋から、ちょうど良い幅のものを買い取ればいいと。審査員が皆うなっていた。(土木工事になるので、通常10何億とか。空前の値段で可能とプレゼンしていた。)当然のように、丘陵の緑をつなぐことも言っていましたが、具体的にアクセスできるようにした。さすが都市を考える人。ただ、一階が閉鎖的だったことがよくなかった。
みんな、プレゼンの前にネタを仕込んでいて、仙田さんは子供を育てた町田に建築をつくりたい。町田に近くにある子供の国は建築家としての初めての仕事だった。としょっぱなから、コンペに勝つためなら、持てる武器を乱れ打つ感じも面白かった。
先月10日ほどフランスのカンに行ってきました。ノルマンディ作戦で焼けた街の一つで、半世紀と少しの間に作り上げた新しい街です。段差はどこまでもなく、街中はトラムと徒歩で移動出来る見事なコンパクトシティです。写真にある二棟並ぶ家型は、焼かれずに残った300年前の建物で改修され今も街の一部として機能していました。ハーバー近くのパークアンドライド施設では週末、車が一掃され、市場が展開していました。どのようなオペレーションで行われているか知りたいところです。
]]>最近、100ドルパソコン(初期モデルは188ドル)の量産が始まった。ネット格差を是正したい理想を掲げている。そこで世界60億のうち10億人しかネットにアクセスできていないというデータが示されていた。そもそもネット格差というのは何だろうか。ネットについての今のところの整理としては「ネットは仮想空間ではない、人を接続するツールだ」というのが個人的には腑に落ちている。ネットはまだまだ使う人の入れ込み具合で価値のあるものかそうでないかが分かれるような使い勝手である。社会的には全面的にネットの有用性を認知されていない。まだまだ走り出した時期であるために、善にも悪にも簡単に振り分けられてしまう危険性がある。だから、社会学的な認識レベルでも経済レベルでも日常にどのように着地させていくのかという明るい試みが顕在化し始めている時期である。そのひとつが100ドルパソコンと言えるのかもしれない。ネットは多様性を集積させ何かを顕在化させる新しいツールとなるのだろうか。グーグルだったか、政治の決定は全人民がネットにアクセスできる状況になれば、集計さえとれば精度の高い結論が得られるなんて仮説を挙げていた気がする。
建築の話ですが、最近考えるキーワードのひとつに、「全体を構成するシステムの中でいかに多様であることを受容していくのか」ということを考えている。おもしろいなと思っている。べつに新しいフレーズではないのですが、今それを考えるとどうなるのか。今後それをずっと考えていくとどのようにおもしろくなるのか。写真にある北京にあったスタルク設計の蘭はちょっとやられたのです。今年見た中ではNo1です。完成した内装だけを見る限りでは一体何を考えてやったか見えてきません。個人の狂気が最大限に拡大し生まれた偶然という、奇跡のような空間だと思います。きっと今の日本では実現できない、中国バブルを体感できるとも言える。この何もかもが混在した空間が巨大であるということも面白いと思った。それがスタルクにしかできないものなのか、何か普遍性があるもので、僕らにもリミックスの余地があるのか。一番やられたなぁと思ったのは日本人のデザインは同じような型の中で微妙な差を味わうところがあるが、スタルク主義というような個人の世界に引き込むようなデザインというのはあまり見たことがない。
]]>ブログ再開。ちょうど藤森展の最終日に東京に戻ってきた。かれこれ時間が経ってしまった。新しい仕事も始めている。現代建築と距離をとりたかったという一応の念願はかなったのでないかと思っている。自分の興味を拡げていきたい。現状を破壊する手段として、外へ出るというのはいいなと思った。ただ、建築をつくる作業の中で重要であろう物語をつくるだけでなく、技術を組み立てていくことも同時にしたいと強く思うようになり、帰国することにした。北京スタイルが割とはまってしまえばそのまま突っ走ることも考えていたが、あっちが成長するのを待つより、こちらが急速に成長してしまいたい。いずれまた見に行きたいところである。
あまり整理せず、思いついたことを書いてみる。確かに目に入れたら痛い問題はあったけれども、何も無くたってともかく楽しく生活する体臭が漂う中での生活は刺激的だった。良いのか悪いのかは別にして日本の無表情な戸建てが永遠と続く風景の異様さを再認識した。変てこな様式を取り込んだ外観が並んでいる様子を見てキッチュでカワイイと見違える余裕すら得た。現代建築の分脈にほとんど犯されずにやってきた今の中国は、かつての日本がモダンという様式をとりこみはじめた時期と重なる緊張感というのか期待感があると思う。その中でも海外建築家のブランド、スタイルごと大量に持ち込んでしまう状況はアジアの中でもかなり特異だ。日本だと折衷を選択してきた。日本が明治維新以降の100年くらいで達成しようとしたことを数十年でかつ何倍もの規模でやろうとしているのだから、そんなことくらい起きてしまうのだろうという感じだった。
]]>たまたま晴れ渡っていた北京から上海までの空路の間、窓からずっと地上を眺めていた。丘陵地以外は徹底的に農地、都市化されていた。そしてずっと色がない。初めて見たという不気味さがあった。
写真は上海の陸家嘴(lù jiā zuǐ)に建つ有名な電波塔(東方明珠タワー)から外灘方面を見たものだ。陸家嘴は、中国国内で初めてCBDという概念を持ち出して、国際コンペを行った地区である。日本からは伊東豊雄も参加している。森ビルが通称上海ヒルズを建設している地区としても知られている。
上海。この都市には4000本のタワーが建っているらしい。虹橋国際空港から市街地へ向かう際、高速を利用した。確かに高層ビルが目立っていた。この高密度の立体の間を自由に行き来するような感覚は爽快である。これら(ジャンクション1、2、3)を見れば納得いくと思うが、道は上限がないかのように積み重ねられ、高いところでは建物の八階かそれ以上をいく。余談だが攻殻機動隊の押井シリーズは上海を舞台にしている。彼がなぜ舞台の参照元として上海を選択したのか興味ある点ではある。なぜ、この高密度は人を誘うのか?その欲望は加速させていいのか? 一点だけ指摘できるのは、人はバブルと言う桃源郷を求める性質があるという点ではないだろうか。その後の行き先は誰も知らない。
アジア。中国を見る視線の土台には、やはり日本がある。日本と中国の差異を見いだす前に、まずアジアの中で成熟した日本。その戦後の成長の中に中国とリンクする部分を整理する必要があると思う。アジア主義なんて大それたことは言わないが、宮台真司のコメントを借りると「民主制も資本制も単独では回りません。政治や経済が回ることと社会が回ることとが両立するためのバックボーン的リソースが必要です。ところが日本には米国のような宗教的リソースもなく、欧州のような階級的リソースや地域共同体的リソースもない。 」という、社会を制御するリソースが無くなったという指摘はうなずける。中国も僕の認識の中では現在模索中という感覚がある。共産主義を強化することよりも資本主義の良い点とうまく折衝して新たなものを見いだそうとしている。加えて、彼の最近の言動を見ているとアジア的な発見を促そうとする姿勢も読み取れる。その姿勢を受け入れて、しばらく考えてみたい。日本が今まで、成熟したアメリカやヨーロッパを参照してきたように、よいところを吸収しながら中国的な成長を見いだすのであろう、そこにアジアというキーワードを意識するというのが、なんとなく気に入っている。
東京。バブルという桃源郷を経験し、行き先を求め彷徨っている。人口減少をきっかけに、都市の生産から都市の制御へシフトしようとしている。東京の位置づけをどのようなものにするのか、都市デザインが求められていくだろう。しばらく「東京」をテーマにした出版(FiberCity 東京から考える 等々)も続きそうだし。大きな夢の想像力を競うよりも、現状を編集していくための態度を考えていかなくてはならない傾向は、間違った読みではないと思う。未だに20世紀的な夢物語(例えばSF的なもの アトム、サイバーパンク、電脳…)が、未来像なのではないか、という部分を乗り越えていない。その危機感をうまく乗りこなしていきたい。ギートステートもガガガも。もしかしてエバの再始動もその叫びとして話を聞いてみたい。
変わらない建築。例えば、携帯という技術を作った技術者の夢はどのようなものだったのだろうか。電車の中で「みんなが片手に携帯している姿は、 "四六時中、人とコミュニケーションしたい"という、人間の欲望によって生まれた景色なんです。」という言葉にすると冗談のような光景が日常として抵抗なく入り込んできている。新しい生活を支える理想を思考し新しい技術を社会に供出した結果、新しい関係性が生まれるというのは、建築にも共通する部分があると思う。建築は問題を解決するが、その解答(かたち)は問題(意味)と必ずしもイコールの関係でなくて良いと思う。むしろ、同じ予条件下でも絶対同じ解答が出てこないことを意識する必要がある。極端な話、建築家がいなくても、建築を建てる技術を持った人がサポートすれば、誰もが建築を構想することができる。そこで建築家が前に立ち、何をするのかというのは慎重に考える必要がある。個人主義、スタイルを徹底したいというのは一つの回答だと思うが、やはり関係性を探し出し、新たな普遍性を見つけたいという態度の中で、作業を繰り返すのが基本だと思う。建築家という振る舞いの中で流れ込んでくる潮流をどのように編んでいくかという意志に、社会に対してどう批評をするのかという側面が自ずと含まれているように思う。どこまで自覚的に操作するのかというレベルから、自分がどのように見えていた方がいいのか。どのような環境の中にいればいいのか。もしくは環境から作ってしまうのか。考える対象は尽きない。
中国での仕事。クライアントはもっぱら表層に興味がある。内部空間をどれだけ豊かにするのか、という感覚は日本的なものではないだろうか。空間の構成を追求すればするほど、クライアントとの会話はどんどんすれ違っていくことになる。加えて、建築の表層に具体的なイメージを求める。裏を返せば、「概念的なもの」に対する興味が著しく低い。具象と意味を直結する方向に話が流れやすいので、その点は必ずこちらから提案する必要がある。抽象的なイメージをどのように実現化させていくのかという手続きでは、これまた誰も共感してくれない。そこで、藤森さんの建築が少し気になる。彼は抽象化を追求する建築界に風穴を開けたという点でも評価されている。中国的状況と彼の意志はどこか関連性があるのかもしれないという点で見るのもいいかもしれない。藤森さんの発言を勝手に抽出してみる。「建築を構成する外的条件を先に決めてしまう。例えば、どのように見えるようにしたいか。」「どの材料(具象)を使いたいか。」「空間は、結果の産物でしかない。」琴線に触れるコメントが続出するのだ。
]]>さて、北京に来て一年経とうとしている。何を得たのか? 肉が付いた。いや、何も得ていない。どちらかというと焦りがある。鼻からぶっちゃけます。建築って大変だなぁってほんと思う。僕らは、きっちりつくる事を前提に教育を受けてきたし、メディアも、実際に働いている先達もそのポイントをはずしていない。なのに、何も作れない。なんなんだろうか。でも中国も面白いなと思える部分はある。フロンティアなんだから、はったりかませば良いんじゃないかという雰囲気がある。
受けてきた教育は否定できない。建築家的ジレンマを生む歴史と、巨大な社会が要請する現実的な問題。この果てしなく遠い距離にどのように折り合いを付けるのか。なんで、こんなほぼ乖離している振れ幅の中で頑張らなくちゃ行けないのか。だれかなんとかしろ。ほぼ乖離しているんだから、なにやってもいい。でも、振り切りすぎると歴史から葬られる。なにやってもいいテンションと建築家的ジレンマのどこかにスポットを当てながら、それでもやっちゃう運動体にならなければ建築家として面白くない。と思ってしまう自分。
話は飛ぶ。建築家的コンセプトがはっきり表現に出ているものでないとメディアに相手にされない。でも、それによってどのような効果があるのかはよくわからない。むしろ、よくないんじゃないかという方が多い気がする。それに嫌気がさして今の建築はダメだという人の意見はよくわかる。そのなかでも、こなれたコンセプトで、全体と局部。構想と現実をハンドリングしようとしている建築家は何人かはいる(と思う)。そのへんでどのようなストーリーを生み出すかが宿命。かつては、建築が足りなくて、建築に対する社会からの要請はハッキリしていた。今は、建築家的なしがらみにおいては達成されているポイントがあるものの、ハッキリしない時代なんだからと割り切って(言い換えると、社会とはそんなに関わり合いがあるかどうかなんてわからないんだから)建築家的ジレンマばかりを研ぎ澄ましていくことでは、社会から建築家がいらないという時代が来るんじゃないかなって想像しちゃう。今の政治家みたいにステージの上でピエロ化するのか? そもそも建築家業が儲からない図式は前々から普遍だから、勝手に減るでしょ。そう、ハッキリしない時代。東浩紀風に言えば、大きな物語(みんなで暗黙に共有しているテーマ)は崩壊した。だから、個別が強くなっていくことが社会から要請されている自然な結果であって、それぞれがどのように繋がっていけばいいのかを見いだす時代だと思う。ウェブ論があついのは、技術が新しい関係性を生むという期待があるからであって…。
で。建築家の活動を大局から外れているからつまらないと言ってしまうメディア(発言力のある建築家も同じ)はよくない。でも、社会との接点を積極的に見いださずに考現学(考古学に対する造語)的なポイントにこそ新しい何かが!というイズムもなんだか気持ち悪い。建築家がその点をないがしろにしてきたんじゃないかという、歴史を参照した結果、発生したジレンマであることは分かるけど、それだけしか研ぎ澄ますことができないというのも、どのような関係性を生んでいくのだろうか。一方で、売れなきゃ生きていけないメディアを参照しつつも、みんながおもしろいものはおもしろいとちゃんと言える風土を作って行かなくちゃならない。おもしろいんだから、発展的解釈を生めるような関係性を生み出して行かなくちゃならない。そんな活動は実現できないのだろうか。と、考えながら、アトリエ・ワン展を見ていた。
じゃぁ、僕はどのような立場で建築を建てていくポーズをとっていけばいいのか。それを見つけたい。いまは、たくさん候補を見いだしている段階だけど、ある徹底を始める段階がいつくるかも分からない。イズムとかスタイルじゃなくて、建築家が社会にどのように関わっていくという部分、すなわち型を見つけたいなぁ。
]]>個人的な感覚ではありますが、今日まで中国へ視線を向ける動機付けがあまり無かったように思います。しかしながら、新規性に溢れ、あらゆる限界を拡大し続ける状況を迎えているのは確かなようです。例えば、急速な都市化、日本の外貨貯蓄高越え、増え続ける人口、日本海を越えた環境汚染、独自の宇宙開発…。中国に関する情報を無視できなくなった。すなわち、中国に対する解釈と実践が必然の時代となったと言えます。
95年から始めた長江流域地帯のリサーチ。建設が進んでいる北京のCCTV。最近では深圳の証券取引所のコンペにも勝利したOMA。中国的状況を利用した上で建築家としての興味を突き進めているレムの解釈を以下に抜粋。
中国に関して、誤解があるように思います。中国は何のためらいもなく、資本主義国家になろうとしているというのは誤解です。実際には、中国は独自のシステムも維持しようとしています。これまでのシステムの長所と新しいシステムとをどのように統合すべきか、模索していると思います。
また、建築に関わる事情として、世界の中で見れば建築家の数が極端に少なく、圧倒的に建設量が多いということも指摘しています。一方で、先進国のような建築をつくる際の社会的、経済的、文化的な相互制御能力がない。つまり建築が簡単につくられすぎる。という警笛も鳴らしています。
手っ取り早く今の中国を説明するとすれば、70年代前半まで10年ほど続いた文化大革命によって引き起こしてしまった歴史の切断。それ以降、アジア的と言える経済成長を前提にした都市の発展傾向の中で、世界の中で見ても最も規模が大きく、最も速度が速い状況を迎合している中国が、21世紀的国家の体格を身につけようという流れの中、08'北京オリンピック、10'上海万博の開催が待ち遠しいというが今の気運と言えようか。中国語のウェブサイトではありますが1978-2002 中国25年流行全記録の中にあるイメージを見るだけでもその流れが伝わるような気がします。
なぜ、文化革命以降を意識するのかという点を補足するならば、日本における言説空間の中でよく指摘される歴史的な分水嶺として、戦争による文化の切断からの再起動がある。その後、日本でも64'東京オリンピック、70'大阪万博によって誘引された都市化、以後の都市膨張、バブルの崩壊に至るまでの一連の流れ。その中で孕んできた現代化のエネルギーをさらに圧縮した状態が、今の中国的状況に近いものがあるかもしれない。同じアジアにおいて、そのような見方で一旦見比べる価値はあると思う。そう言った視点の一つとして、オリンピックを迎える前年63'に亡くなった小津安二郎監督作品全集を、今、見ている。すなわち、オリンピック時に行われた首都高などの都市改造を受ける前の東京とその近郊が舞台となった映画の中の世界を見ながら、今の北京との現状の差異を見定めたいなんて思っている。
ともかく中国に対する解釈を必要としているタイミングに、中国の都市計画についての簡単な概要をまとめる機会を得ることができました。
以下、翻訳した内容の中から。
・2005から 10年は中国の第11次「国民経済と社会発展」の5カ年計画の期間である。今期から、元の「五年計划(jì huà)」から「五年規划(guī huà)」に変わり、一字の違いだけではあるが中央政府が市場化を推し進める決意を具体的に示したと言える。
・50年代、中国の人口は5億人程度であったが、2000年には13億人にまで達し、2030年頃には16億人に到達する見込みである。(ちなみに、文化革命時に人口が2億人増えたとユン・チアン著のワイルドスワンには書いてあった。)
・「都市化(大都市の発展を重点とする)」と「城鎮化(小さな都市と街の発展を重点とする)」をめぐる論争の中で)「都市化」という言い方に断固として反対する意見もある。都市化と言えば必ず「二次元構造」、すなわち都市と農村の分断といった、従来と同じ問題を繰り返すこととなり、これは地域格差をさらに広げ、都市部と農村部の対立を引き起こし、都市インフラ施設の不足、都市部への農民の過度な流入、都市環境汚染などの難題が起こり、それらに応対するのが困難であるからだ。さまざまな議論の結果「城鎮化」に対する賛成のほうが多かった。*城鎮(chéng zhèn)=都市より規模が小さい町の略称
・もともと土地の所有権および使用権は国のものだった。土地使用権改革は所有権と使用権を分け、土地使用を有償とした。その資金を元手に、都市の更新やインフラ整備に多額の投資が可能となった。また、土地の価値と資本の配分によって都市構造の調整を導き、都市の新陳代謝をより合理化、高度化させる。 ~現在の体制では、土地の収益は税収を除き都市政府の二番目の財政源であり、政府収入30-60パーセントをも占めている。このような制度下では、都市政府は都市開発の当事者となり、政府と開発業者は実質上の利益享受の共同体である。政府は土地収益を上げ、開発業者は不動産収益を上げる。都市政府は利益ある開発グループのひとつとなった。 ~多くの都市(特に首長)は不動産を利用して、GDP成長を牽引することを望み、様々なレベルの都市政府は「都市経営」に努める。
など。
鉄骨の建方が進むCCTV。現在のところ一週間にバツ一個分くらいのペースですね。昼夜問わず工事してます。国家プロジェクトとはいえ、2月の春節の間は止まるのでしょうか。
CCTV関係で、掲載紙のお知らせです。
[AXIS]vol.125 2007年1月1日発売 特集「2008」
ブログで使用したCCTVの工事現場の写真がP26-27にまたがって掲載されています。
日本ではあまり報道されていないと思いますが、年末の台湾地震の影響で全くブログを更新できませんでした。ネットの特性として「場所に関係なく情報のやりとりが出来る」という基本的な部分が、非常に脆弱に出来ているなぁと。深海何千メートルのケーブルを部分改修するのか、ひき直すのか、中国側は国家の機密に関わると言うことで、詳細を明らかにしていませんが、今月末には完全復旧する見込み。
と言うことで、簡単ではありますが、今年もよろしくお願いします。
ブログの目標としては、少しだけ積極的に、関わっているプロジェクトからの視点を入れたエントリーをしたいと思います。