« September 2006 | Home | November 2006 »

建築したくなってきた

temple.jpg

北京に来たのは、自分の意志というよりも、縁です。したがって、どんなことでもいいので何かを見いだしたいと考えています。唯一の武器は、建築はおもしろいと知っていること。芸術にも工学にも寄り切れない曖昧な部分に、あらゆるドラマ(解釈と実践の快楽と裏切り)を内包出来る建築と付き合っていきたい。
では、現在の自分が建築にどうやって立ち向かっていけばいいのか? イメージはなんとなくある。ざっくり言うと、きまぐれな風貌で、混乱と倦怠を手の内におさめながら、狂気ある瞬間を確実にしとめいくような態度でやっていきたい。この意味不明なパーソナリティはおそらく消えも隠れもしない。もはや生かすしかないとすらあきらめている。この際(この夏のワークショップの成果レポートを書いている)、もう少しこの問いを深めよう。

今までの建築は、テクノロジーによって人々の暮らしを豊かにするというイデオロギーを孕んでいました。逆説的には、政治/経済と対立することで、そのイデオロギーを正当化してきたともいえます。この解釈に現在的な視点を書き加えるとすれば、その対立が無効化した時代に突入していると言えるのではないでしょうか。この仮説は、モダニズムの反動ではなく、あくまで過去との地続き感を携帯しつつ、新たな展開へ向かいたいという意志による考えです。もうすこし言いすすめるならば、そのイデオロギーは個人レベルにまで解体されたという整理が適当ではないかと考えている。そして、その個人にまで還元された、個別の潮流をゆるやかに束ねる新しいテクノロジーが生まれようとしている時代に生きていると思う。文化、時代が動く瞬間は必ず訪れるのだ。

一方で、「そんな」イデオロギーに純粋ではいられないという自己矛盾を孕むことは、建築に立ち向かう上で、必然的についてまわります。その自己矛盾を超える手法を様々なレベルで検証し、実践することで、乗り越えられる。そこで、おもしろいテキストを見つけました。以下抜粋。

社会経済学に「不純物の理論」というのがあります。歴史経済学者ジェフリー・ホジソンが言い出したことだと思います。簡単に説明すると、どんな形の社会で あれ、社会が成熟していくと、その社会が抱える問題も成熟していく。その解決のために社会は純粋ではいられなくなる、つまり不純物が必要になる、というような理論です。例えば資本主義社会が成熟していくと、資本主義の枠組みでは解決できない問題が出てきて、それを抑えるために社会主義的なシステム(不純物)を採り入れる……など。

中国は、文化大革命以降、社会主義と資本主義という2つのシステムを実装してきました。社会主義ばかりではたちゆかないことに気づき、一方で社会主義的なイデオロギーによって可能な「何か」をも知っているこの国にはものすごいポテンシャルがあるのかもしれません。僕個人のレベルで感じているその凄みの一端を書いておこうと思います。建築を作る際の制度にあってないようなゆるさがあります(折衝で変更できてしまう)。言い換えると、建築行為そのものがその場所の制度を作ることと直結します。すなわち、中国的な状況によって、ものすごく建築のピュアな部分を試されている気がします。

建築, monologue | Posted by at October 22, 2006 1:45

中国での仕事は如何ですか

jinrimeishuguan.jpg

まぁまぁ。うまくやっています。
きっちり物まで作りきるには、困難な環境ではありますが、日本の現在が最適ではないと言うことがよく見えます。
例えば、昨日、日本へ旅行に行っていたローカルスタッフのスライドを見ていましたが、彼は海を見たことがないと言っていて、驚いたのですが、逆に僕は砂漠を見たことがないのです。このように、自分で強く意識しなくとも、当たり前だったことが様々なレベルでここちよくも、そうでなくとも覆され、いろいろと考える機会がころがっています。
はじめは、おなかを毎週下していましたが、いつの間にか慣れました。こちらの人も日本へ行くとおなかを下すようなので、特に中国が不衛生という訳ではないようです。
真剣に考えている人もそうでない人も日本と同じようにいます。真剣に考えている人たちと一緒に何かを達成できるのであれば、まだ成長過程にある中国に、多くの伸びしろを感じます。
文化大革命以降、開放へ向かい、その教育を受けた人たちで、経済も政治も動いているので、どこへ打ち合わせに行ってもみな30代です。トップにくだらない首長がどんと座っていたりして、コンセンサスを考慮せずに全てをくつがえされることもありますが、根気よくやるしかないです。
北京オリンピック関連の事業は、すでに竣工直前を迎えている状況で、傍観するほかないのですが、この勃興している雰囲気は、なかなか味わえません。日本もかつてそうだったのではないだろうかと考えます。
余暇は、美術館に行ったり、日本から持ち込んでいる本を読んだり、100円くらいのコピーDVDを見たりして、夜はだいたいこちらで活動している日本人とよく飲んでいます。様々なジャンルの人たちがこちらに来ているので、凝縮した日本のように感じられ得した気分になります。添付した写真は、住んでいる居住区内に先週末オープンした美術館です。それでは。

monologue | Posted by at October 11, 2006 10:16

建外SOHOダウン!

こっちの写真が日常

blackSOHO.jpg

今日、安部さんが来中されているみたいですね。ところで、昨日はまったく仕事になりませんでした。三時くらいに突然電気が落ち、電気のメータを継ぎ足さなかったのか(中国の公共料金は全部プリペイド。携帯も。利用者を信頼していないという点である意味合理的)と、こちらではいろいろと理解を超えたことがおこるのでいちいち対応していられないという態度が身に付いてしまい、すまし顔のままバッテリーで作業を続けていたが、どうやらSOHO全体がダウンしたらしいと、ローカルスタッフがそわそわし始めた。おいおいありえんだろうと、ふと地上を見てみると変電所の周りに消防車やらパトカーが来ているじゃないか。今から、上海に持って行く書類をプリントアウトして持って行かなくてはならないのに! しかも、担当者に会いに28階から下りたり上ったりするのかよ! ぎゃー。ありえん。ということで、スタディでアウトプットしたものを整理して、ふて寝。そのうち復旧するだろうと楽観していたが、結局見込みがたたず、隣の街区のカフェで電気つくまで待機することに。階段を降りながら、タワーリングインフェルノは建築家と施主の小競り合いで結局ビルが崩壊したんだっけなぁとか、911を思い出したりと。暗い階段を手探りで降りてきたのでした。

monologue | Posted by at October 8, 2006 18:58 | Comments (2)

そうきたか

期待が現実に

無線LAN内蔵SDカードEye-Film、今月からベータテスト

以前「次、買うとしたら、フリーのトラフィックを利用出来るネットワーク端子を内蔵し、サーバーに、撮ったその場で写真がアップ出来るようなものが出たら、買おうかな」と書いたのだけど。この時は、カメラに端子が内蔵されていることを考えていた。カードなら、既存のカメラをそのまま使える。いい!

clip | Posted by at October 6, 2006 10:14 | Comments (2)

夏のあと

建外SOHOの北側に接する道路が開通

SohoBeiLu.jpg

この夏のワークショップの続きを書き始めました。出しきれなかった思い入れのあるネタ、その後の北京などをゆっくり加えていこうと思います。せっかくいる北京の紹介とかに全く力を入れていない自分のブログのオルタナティブとして、しばらくは運営していこうかと思っています。

blog, 建築 | Posted by at October 5, 2006 16:14

ネットにおける定点を見つけて追跡する方法

くどいタイトルをつけましたが、ようはネットの記事(ブログからメールまで)をどのように読んでいるのかという話です。

WEB.jpg

ミ○シィ*を最近、復活させました。もともと、ミ○シィ熱が疎ましいと思っていました。最近では株式上場もしちゃって、今の売り上げの20倍くらいの時価総額になってる。市場経済と戦う姿勢もよく見えない。しかしながら一方で、よく連絡をとりたい人たちはだいたいミ○シィをやっていて、エントリーの更新記録とメールが同じ画面で確認できて便利だから使うという話を聞きました。招待性という独特の親密感が誘引する、保証されていない安心感という麻薬も日本人にちょうどいいのかも。という腑に落ちない整理で、しばらく放置していました。ただし、ネットに対して強い期待をしている人たち以外を多く取り込んできたという部分では評価できるでしょう。とは言っても僕個人としては、システム全体を把握させない、カスタマイズさせない、とりあえずお客様にやさしい雰囲気をだしている腰の低さ。それらに未来を感じることはできません。例えば、システムの話で言うと、知り合いを自分のリストへ加えたいとき、先方が受け入れるか拒否するかが選択出来るようになっています。しかし、拒否という選択肢に進んだというインフォメーションは自分のところには届きません。利用者にやさしいのです。しかし、そのシステムは公開されていないので、自分がそのやりとりを知ることは出来ません。ちょっとした気持ち悪い関係を隠蔽しながら独特の雰囲気をつくっているの(かも)です。

復活させた理由は2つあります。加入者も700万人近くになり、もはや無視できない規模になりつつあり、その流れの中、上場というきっかけをどのように利用するのかを内部からも見てみたいと思ったのです。市場経済にどのように挑戦していくのだろうか、はたまたどのように崩壊していくのか。傍観者の権利を利用したいと思います。2つ目は、身体的な速度にフィットするという「便利さ」をチェックしたかったのです。確かに、少し前まではネットで気になる記事をクリップしたり、更新のチェックが出来るような軽やかなシステムが無かったように思います。

結論から言うと、ミ○シィは北京では話にならないくらい遅いです。僕の環境ではlivedoor Readerがよいです。動作が速い。直感の効くインターフェイス。これが大事。そして、ショートカットの軽快さが身体になじみます。とりあえず、「pしてo」をやってみればわかります。他には、テクノクラティ お気に入り、今のところ速度が遅く、ショートカットがありません。Google Readerは、最近サービスを再リリースしていますが、今のところショートカットのきめの細かさでライブドア勝ち。

これだけでは、ミ○シィの便利さを超えることは出来ません。続けて、融通の利くメールサービス。(同じ画面で編集するという話に近づけるため、FireFoxを使うことが望ましいです)最近、だれでもアカウントを作れるようになったGmailが良いですね。メリットは3つあります。やはり容量が大きいこと。すでに、一人あたり2.8Gbを超え、依然増え続けています。今までのメールを転送して、倉庫的に使うことも可能な大きさです。2つ目は、ウィルス、迷惑メールのチェック機能が、優れていること。PCにインストールされているメールソフトではユーザーが手動管理することになりますが、ブラウザでメールを見書きするので30万台のホストコンピュータを持つgoogleの技術によって管理されていることとなり、手間が省けます。使っていても、迷惑メールと振り分ける正確さには驚くばかりです。ほかのドメイン(携帯、会社など)のメールをGmailに自動転送しておけば、迷惑メールが自動除去された状況で、閲覧することが可能となります。3つ目は、送信するメールの [差出人:] アドレスをカスタマイズするです。先ほど、述べたように自分が持っているドメインのメールがすべてGmailに来るのはいいのですが、返信がすべてGmailだと何かと困ります。メールの内容によって、他のドメインを名乗ることが出来るということですね。それにしても、グーグルの巨人さに驚くばかりですね。僕は既にスケジュールメール写真管理地図、PCで行う作業のほとんどをグーグルが創造しているサービスに頼っています。

さぁまとめ。情報との接触に期待しているからネットにも接続するわけで、その期待が確信に変わったときとは、自分にとっての定点(ブログだったり)が発見できたからであろう。その定点によって自分の意識が顕在化するというのは、よくわかる話。その定点との付き合いは、ネットのような煩雑で全体が見えないような場所では、身のこなしの軽いツールが携帯できてこそ深くいける。定点のある文化とスマートなツール、そのあたりがうまく整備されてきた感覚がある。
もともと、ネットに対してグレーなイメージを抱いていた自分が、熱っぽくなれるきっかけをつくったのはブログでしたね。このブログを始めて、ネットのことを真剣に議論している人たちの話に耳を傾け始め、今ではこの速度感、高揚していくプロセスに入りたいほど心酔している。僕のいる今の中国にも同じような熱っぽさを感じていて、重ねながらいろいろ想像しています。荒々しい勃興の中から巨大な力が生まれる、新しい原理が発見される。そういう予感は生々しく記録しておきたいものです。写真は、北京に存在する全体を把握することが不可能とも思える巨大な建材市場で見た空。

*トラックバックスパムがたくさん来たので、ミ○シィに書き換えました

blog | Posted by at October 3, 2006 9:55 | Comments (2)