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問題を解く快感がある

仕事場からの外の様子

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毎朝、歩いて建外SOHOまで歩いている。たった15分ほどの距離だけれども、日に日に街が壊されたり付け加えられたりしている。地図を買っても来年は使えないという。住んでいるところも、新築なのに未だ工事現場の中といった状況で、クレーンの回転半径の下をくぐったり、掘削した土がうずたかく盛り上げられた脇を通ったりという日常。もしかしたら、敗戦をばねにした経済の徹底によって出来上がった東京よりも、高速かつ巨大な仮設的状況がつくりあげられているかもしれない。ただし、この仮説を徹底することで何かがあるというわけでなく、だれもが疑心になる点であって、上海や重慶などはすでに山は越えたという話である。

強い政治を背景にした大陸的な重い速度感を維持しつつ、急速な構築を追求しているがために、局所的な導入、要はどこかのコピーをしたようなもの=ペラペラな建築が立ち並んでいるとう印象は少なからず間違っていない。しかし、日本の建築の状況と比較すると恵まれている点もある。基本的に土地は、日本で言う定期借地権的な利用となっている。ニュータウンを作った公団のような存在=政府が土地を所有し、都市的な貢献度、社会問題の解決を前提にしないと、手を加えることが認められない。土地が個人に帰着していないために、もうけようという人も、建築に興味のない市長でも、まずはその点を検討するとう風土がある。従って、僕がいる事務所の設計プロセスはいかなる場合も、都市分析をおこなう。その分析から得たプログラム(機能の組み合わせ)を、具体的なモデルにし、そのモデルが設計のガイドとなる。日本の建築基準法にあるような高さ制限、斜線制限、敷地境界というものは皆無で、提案がよければ実現できる。ちなみに、このプロセスを方案設計という。従って、契約では方案設計の段階からお金をもらうことになる。

日本よりも建築家の職能が、明快。都市が成熟していないということと、今までは、国営の設計院で設計を行ってきたので、プログラムもモデルも古典的な解法の反復でしかなかったという点は考慮すべきだが、問題が単純で、その問題と建築家が提案するモデルが一致している状況に自然となる。建築によって打開している感覚が設計段階からある。

北京に来る直前に、ミースの新作DVDをツタヤで借りた。実は、遺作はナショナルギャラリー(1968)ではなく、モントリオール万博(1967)跡地に計画された住宅地にたつガソリンスタント(1969)であることを知ったことも衝撃だったが、ナショナルギャラリーで開催された CONTENTS展のインタビューの中でレムがミースについて「現代の建築家はミースの時代とは異なり、建築がそれほど重視されない社会状況に中でつくらなければならない」というコメントを発していたのを思い出した。

さいごに。大きな問題を解決することで小さな問題をおざなりにしたくはない。今までの自分を否定する感覚にになるからである。かといって、日本的というのか、現代的な手法とも言えるフラットなものをここで実践したいわけでわなく。超えるきっかけを見いだしたいと思っている。中国的とも言える、レファレンスなしに作られてきた土台のなかで、その可能性を感じている。従って、今はこの状況を利用せずにはいられないと思っているのである。

建築 | Posted by at May 9, 2006 2:48 | Comments (6)