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情報社会におけるブログの大きさに何を見るか

isedのサイトがリニューアルしている。倫理研第4回の記録おもしろい。2ちゃんねるが生まれる以前の99年までは、個人サイトが中心だった。2ちゃんねる誕生後から02年頃まで、情報強化のプロセスは2ちゃんねる中心モデルが主流だった。しかし02年以降、個人サイトがブログによって強化され、ブログ中心モデルが発生し、プロセスはヒエラルキー型(一次情報→スレッドができる→まとめサイトができる→個人のニュースサイトに取り上げられる)から、リゾーム型(ブログによって記事のpermalinkが定義できるようになり、発生場所が明確になった。強化のプロセスは一気に複雑化した)へシフトしてきた。という加野瀬氏の指摘にうなずく。
この指摘で明らかになったのは、炎上と言われるような行為を助長する構造を、実はブログも持っているということだ。今までは、2ちゃんねるの構造が生んだ大きいサイバーカスケードが問題とされてきたが、ブログ上でネットリンチと言われるような隣人集団による小さいサイバーカスケードが起きている。ブログの利点であるpermalinkが、記事への到達しやすさを招き、サイトのテンション無視に、コメント機能によって一見さん達が炎上を起こし、時にはサイトの閉鎖にまでおいこんでしまっている。
そういった排他的な連鎖反応を防ごう、社会的なイメージも変えたいという意図があり、それならば情報社会の規範を考えようじゃないかと始まったisedである。もっと広く発言できるような健全な情報社会を目指したいのだ。
この健全な情報社会というのがくせ者。議論の中で「2ちゃんねるの構造が*弱さの大衆化をまねくのではという危惧も分からなくもないが、繋がりの社会性を求める膨大な弱い人たちが存在しているという事実」といった内容のコメントがある。これは、行政の立場で都市計画を実践している人々が、「赤提灯を積極的に奨励できないけれど、必要だ」と言っている感覚だ。すきまを排除したがる強さ。すきま的な魅力を感じる弱さ。誰にもこれらの感覚が共存しているので、規範作りは一筋縄ではいかない。

ブログに何を期待しているのかは、自分たちのサイトを作ったときから気になっている。そもそものきっかけは自発的ではなかったものの、ネット社会に浸透している人に勧められて始まった。たまにブログへの期待に関連することも書いてきた。今後、異常増殖したブログは、ある程度新陳代謝しながらも残ると思う。ネット社会の新住民を多く引き込んだ、ツールゆえの多様性を評価しているからだ。実際、身近な同世代で持っている人は多い。情報社会の重心がシフトし始めているのは確かなようだ。今後、ネット人口が増え、ブログというツールに夢を見た人々の多様な目的によって、ブログのもつ意味が形骸化するまで細分化される予感がする。そんな中、どうなっても炎上のような事故は完全には防ぎようがない、かもしれない。しかし、isedでもコメントされていたが、permalinkによって場所が明確になり実社会のコミュニティに近づいている実感はある。もうすこし、状況を見定めたい。本来、ネットという汎用性の高い空間は、アプリケーションの再作成で急速に強化されてきたところがある。情報社会の健全化には、どんどん新住民を引き入れる手段を打つのが、有効なんではなかろうか。歴史にむりやり重ねると、2チャンネル以前は紀元前。ブログ以降は産業革命後ってところか。そしたら、人口爆発は必然?!

最後に、僕にとってのブログへの期待は、弱さとは違うよう。個人の情報整理のツールとして評価している。目に触れる程度に情報をブラッシュアップし、目に触れる場所に保存されていて、時には議論がおこり、視野が広がるかもしれない期待が楽しい。情報社会の規範の草の根としての期待もある。新しいツールがでたら乗り換えるかもしれないそんな気軽な感じだ。

補足:ここで言っている*弱さの大衆化は、 日本社会と2ちゃんねる――「ネタ化」という文化的作法の中で、白田秀彰氏が「弱い人たちがネットを遊技場化するというのは、たとえばチラシの裏的な書き込みを大量に行い、そのなかで総攻撃をやって互いに潰しあって、しかも全部はネタだとみなして、高みから楽しく遊ぶわけですね。つまりコミュニケーションがゲーム化している状況がある。その状況の数が圧倒的に多いとなると、どうしてもそこに目が行ってしまうわけです。」と言った危機感の比喩です。

補足2:ブログによってどのくらいの人々を巻き込んでいるのか?週間!木村剛[ゴーログ] 世間体はブログの抑止力になるのか?によると、総務省は5月17日、日記のように書き込むだけでインターネットに手軽に情報を掲載できる『ブログ』の利用者が、04年度末で延べ約335万人、閲覧者は約1651万人にのぼったとの推計を発表した」ようです。

blog | Posted by at July 28, 2005 2:35 | TrackBack (1)

forbidden place

場所
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横浜市の都市デザイン室長の講義を聞く。実践的な話の中から一つだけ気になったことが。「都市計画的に健全とされているものしか良いとは言えない」というフレーズが印象に残っている。まち全体をそのテンションで徹底すると、ニュータウンという言葉に喚起される街並みが想像される。しかし、誰もが郊外の街にはどこか物足りなさを感じている。優良な計画学と実生活から得られる価値観の落差には、直接つないで説明できないほどの深い溝がある。

アノニマスな禁断かなにか。特異な条件下で発生した郊外団地を舞台としたコンテンツ(小説 映画 ドラマ)は数多い。金妻平成狸合戦ぽんぽこなど切りがない。最近では月9で放送されていたエンジンにも多摩NTのカットが入っていた。また、郊外団地を舞台とした映画が論文のテーマにもなっている。イメージと実態の落差に惹かれ群がる人々。

郊外団地をテーマにした議論や論文によく取り上げられる小説がある。直木賞作家でNTに住む重松清が書いた定年ゴジラだ。ある対談で冷静に都心回帰は郊外逃避であると言い放ちつつ、あとがきにはNTが少し好きになったと書くところ、自己矛盾を抱えていて面白い。

禁断な関係(場所
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群がるとおちつく?(場所
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建築 | Posted by at July 27, 2005 4:01 | TrackBack (0)

都市的な快楽を顕在化した建築

ito_tama.jpg

ニュータウンに漂う均質な空気の、反動となるようなプログラムを抱え込んだ施設。

多摩に何を期待しているのか。
どこから引き金をひいても、問題が複雑すぎて、自分の思惑だけでは、単調な情報整理を突き抜けにくいという、課題をこなすなかでの経験から、今回は問題を整理しやすい場所によりかかりたいと思った。
そこで、ニュータウンと呼ばれるような都市計画学的に優等生である、構造が単純化されている街で、分かりやすく分析したいという、きっかけに乗ることにした。
20世紀の右肩上がりの成長から発生した、国家や企業と個人の間にある隔たりをうめていくこと(うめたことで、主体がひっくりかえってもいいという夢)が、現代的で包括的なテーマになるはず。
人口や経済の縮小や、エコロジーなど、今までの創意が否定されかねない大きな問題の中で、夢のある快楽に浸ることが悦びであることは変わらない。
僕の興味は、特定した場所を持たないネットワーク型コミュニティ(NPOやサークル、町内会、ボランティア、時には家族)。国家と個人の隔たりを顕在化させることにあるようだ。
多摩NTでは、都や公団(現 UR都市機構)と、もはや35年経ち新住民を超えた住人との間の存在がプロジェクトの主体になりそうだ。

場所:多摩市永山
用途:商業施設
竣工:92年12月
設計:八代市立博物館と同じ

new town | Posted by at July 15, 2005 9:57 | Comments (2) | TrackBack (0)

一周年

ドメインを取得して、まもなく一年が経ちます。(正確には7月16日)
tkmy.net全体で、延べ20万人以上の方によって、70万を超えるページの閲覧をしていただきました。
ネットに情報の波を立てるというよりは、淡々と自分のメモランダムへと突き進んでいる模様ですが、それもツールゆえの多様性であり。OKでしょう。今後もよろしくです。

最近は、投稿意欲がわかないために、こう書いているのが新鮮ですらある。でも、ちゃんと続けるつもり。
理由。
1 良くも悪くもブログが増えた。
(自分がわざわざ書くまでもなく、RSSを追うだけで、時間的にも情報量的にも満足)
2 タイガぁ(MacOS)の調子がピンとこない。
10.4.2の供出が遅いのは問題根絶のためと聞いている。期待したい。)

最近話題のテクノロジー
Google Maps(1号館はまだ工事中だ。マップもゼンリンの協力で詳細表示に。)
livedoor 地図 (スクロール地図が快適すぎる)
Podcast(アップルが認めたという形ですね)
PHSモジュール(WILLCOMの試作機のデザインは山中俊治。ツーカーはauに吸収
D-cubic(間違いなく利用するだろう)
アップルのintelへの乗り換えはびっくりしたけど、レノボの件と時期が近いこともあって、実はIBMが採算性の悪いラップトップやデスクトップマシンの石をつくるのを切りたがっていたのではないかなぁと思ってしまった。でも、今頃IBM、新たに2つのPowerPCプロセッサを発表

blog | Posted by at July 12, 2005 14:00 | Comments (2) | TrackBack (0)

リサイクル

転用1(場所
MYSTtrtora.jpg

転用2
TeToRa.jpg

テトラポッドは、脚の頂点を結ぶと正四面体になる。
自重を無視すれば、正十二面体の立体で、組上げることが出来る。
構造のアルゴリズムとしては、最適化のたぐい。
*実は、テトラポッドは、株式会社テトラの登録商標。ウォークマンみたいなもん。

ギャラ間のレクチャーで最適化とリダンダンシーのプログラムを聞いている時に、ふと思った。
水戸芸のテトラ(四面体=三角形で構成した立体)で組上げた塔は、構造のアルゴリズム上、最適化されているが、リダンダンシーがない。(もっとも緊張した状態での構成のため、一本折れたりすると、崩れる)
例えば、車が理論上最適な三輪で普及出来なかったのは、急カーブの時、荷物の重量が想定外であると、力のながれをほかに逃がすことが出来ず、倒れやすいから。四輪ならば、倒れる方向に車輪がついているので、耐えられる許容が大きくなる(リダンダンシーがある)。
当たり前の話だが、三輪は理論上最適なものではあるが、流通できない弱さがあったということ。

建築における一つの潮流に、「合理性へ向かう目標を外す。といったことが挙げられるだろう。」と、前出のレクチュアで言っていた。
CGを作成しているときに、なーんかわくわくしなかった理由が分かった気がする。テトラポッドで構成した立体は、最適化された構成(リダンダンシーがない)のため。新しい予感がしなかったのかぁ。

アントチェアにも三脚がある。倒れやすそうだが、正しい姿勢であれば問題ない。モダニズムでは、正しい姿勢での椅子の着席が最適とされていた。んー、リダンダンシーがない。(笑)

関連リンク:simon|DERIVEに魅せられる

建築 | Posted by at July 2, 2005 23:28 | TrackBack (0)