SA

House SAに行ってきました。いくら図面を見ても、疑問がでるもので。模型にするとなおさらだ。当日の私のコンディションは最悪で、二徹夜の作業(しかも、あのメディアテークの模型をつくった模型事務所での作業で、緊張と弛緩の連続の環境だった)後で、半分昏睡状態だった。行く途中も、なぜスパイラル(階段状の空間)なんだと、出口の見えない夢の中、神山健治・東浩紀の対談の中にある、最近の押井さんは年齢のせいか、獲得できないフィジカルな欲求ばかりば目立つ。という、一説との往復しか出来なくなっていた。
TOTO通信今秋号の「原・現代住宅再見 41(PDF)」で取り上げられている。物品の詩学なる藤森流のタイトルがついているが、まさにそういう空間だった。物品への欲求といえば、西沢大良の、空間を所有している物品と同系色に仕上げるという、空間への興味と通じているものがある気がした。坂本研だし。ただ、坂本さんが住宅と物品をテーマに設計をしたかは定かではない。朦朧な記憶をたどると、オブジェクトの配列の緻密さを、一緒に見ていた人々もすごいと言っていたが、それを解決することには無自覚だったような印象を持っている。物品への興味のたとえに藤森さんはオタクをあげているが、確かに物品に埋もれるような空間で、寝そべれるスペースがほとんど無い。寝るときに使うと言っていたスパイラルの最後にある畳と、途中にあるアフリカ民族の木彫りのベットの上でくらいしか寝そべることができない。オタクの原型を発見したのかもしれないな。風貌とイメージも一致している…。
建築 | at Oct 12, 2005 | TrackBacks (0)
ケニア
ヌーの大移動

ねこ | at Oct 8, 2005 | Comments (4) | TrackBacks (0)
こっそりMovable Type 3.2
プラグインの高度化、spam対策標準搭載に。mt.cfgがmt-config.cgiに変更。mt-upgrade.cgiがなくなった。アップデートはcgiとstaticファイルのディレクトリの上書きだけ。cgiディレクトリのプラグインは、差分だけつっこんだ。さっそくstylecatcherを導入、スタイルシートを変えていこうかなぁ。なんとなく字が小さい気もするし。
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blog | at Oct 1, 2005 | Comments (5) | TrackBacks (0)
無自覚
安っちーTシャツを着たりだとか、ワンフレーズで実現不可能っぽいことを言いまくって、最初は周囲から変人扱い、嘲笑されながらも、知らない間に有名になっているというのはなぜか?まじめにこつこつやる→話題づくりにつぐ話題づくりで自ら炎上して、拡大する→結果、パラダイムがシフト。(ガ島通信 「自爆炎上型モデルを優位にさせる時代背景」より)
直感的な思いつき「モデル」なのでロジックはないと書いてあるが、おそらく炎上(相手を激高させたり侮辱したりすることを目的に発信する電子メールのメッセージ、ニュースグループの投稿記事、掲示板の書き込みなどのこと。:ised@glocomー炎上より)に着想のスタンドポイントがあるに思われる。無自覚でもネット社会には共有されつつあるし。
炎上のほうは、意図的に陥れる悪意が起点になっていてが、自爆炎上というのは自らの創意を突き進む上でのある行為が起点になり、結果的に炎上的な広がりを得ている。ただのブラフなのか、ダークサイドのとばっちりなのかと言った差異か。
攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX The Laughing Manを見た。28日発売のユリイカの予習もかねて。神山健治×東浩紀対談とかあるみたいだし。それと今日、SAC2ndの最終回なので、見逃した回も見た(笑)。いやぁ噛めば噛むほどディテールの馬鹿さにはまる。いい仕事。神山氏の表現のモチベーションになっている現社会との地続感に陶酔。彼が言うには、日本は江戸時代と冷戦下のバブルにユートピアを見たと指摘。それを無自覚に望んでいるとし、ダークサイドの演出によって、ネットと実社会の見境もなく、様々な炎上がおきる。
blog | at Sep 27, 2005 | TrackBacks (0)
建築学生も期待するweb2.0
まつり(選挙)盛り上がりましたねぇ。地縁血縁の牙城をがんがん崩していく爽快感は、なんなんでしょ。ホリエモンは結果には結びつきませんでしたが、万が一の保険となる組織票や比例重複を潔く切り捨て裸一貫で乗り込んだ姿勢はさすがです。
爽快感のひとつに、いよいよネットが社会と融合していくという期待感がますます高まったからなのかもしれない。ネット世論がどのくらい影響を及ぼしたかは今のところわからないが、選挙戦を戦うには、「握手とネット」を、オルタナティブに活用していく方が、伝わる裾野が広がる実感がえられる機会となった。僕なんて、握手はいらないけど、ネットでしっかり監視したいタチ。演説なんて訝しくて聞いていられない。一度にあんな多くのひとがうなずくなんて宗教的で気持ち悪いと普通は思うと信じている(笑)。
もうひとつの爽快感は、やっぱり上部組織と下部組織の間に何があるのかという興味ゆえ。話を迂回させながら書くと。地縁や血縁のコミュニティとは全く接触機会がなかったこともあり、後進的な人間関係とういイメージを持っている。従って、上部組織に属しているのかというと、やはり違和感を感じる。建築的に言えば路地コミュニティとか、下町的風景とかいうのが下部組織が顕在化した風景。六本木や汐留、品川といった大規模開発。すなわち高層ビルが乱立した近代的とされる風景が上部組織を顕在化させた風景と言えるのではないだろうか。後進的というのは。建築的な興味の範囲で言えば、歴史的な象徴性にすがる手法が繁栄を極めているところにある。住宅で言えば、ハウスメーカが使う、○○風というような、全体の価値観を決める判断基準としてまかり通っていることに言える。それを実現する要素が、出窓や吹き抜け、ウッドデッキなんてものになる。これはお客様思考のマーケティングが成した技なので、それを超え創造する価値を見いだせない経済の強さゆえでもある。レムがAMOを立ち上げたのも、共通するところがある。PingMagによると「民間企業のイニシアチブに従って仕事をするのはつらい。自分のやっていることをコントロールしたい。やりたいことを限定しない。」という野望を達成するためと言い切っている。続けて、近代的とされるとうのは、ガラス張りのスカイスクレイパー、無柱空間と言ったユニバーサルスペースや足下に広がるオープンスペースと言った、近代建築のボキャブラリーの反復に嫌気がさしているからだ。ただ、当時のアイデアを実現できる時代がやっと到来したという見方もあるし、高層化を超える価値観やアイデアは難しいのでは、という予感がある。磯崎新が言う、高くすることに価値を見いだせない時代がはやく来ないかと待つばかりである。だいぶ脱線したが、「下町と高層ビルの間」にどんな魅力的なものがあるだろうか?ということが言いたい。民主党のようにポテンシャルは持っているかもしれないが、伝わってこないだけなのだろうか。僕の直感だが、間の存在として風景的な強度となっているものは、意外と(ニュータウンの)団地なんではないかと思ってて、修士設計のテーマに選んでいるところがある。
最近、山の手派なのか下町派なのかというキャラクタに分けて話すことが多い。僕は山の手派として楽しんでいる。下町は動けないけど、山の手は青山、白金台、麻布→世田谷、杉並、目黒→多摩NT、港北NTと移動しながら価値を探っているんだと、暴挙に走る(笑)
最後に、構造的な思考が可能な技術決定論者でもあるが、コミュニタリアンでもあるので、一応ニュートラルなんだと、キャラをごまかしつつ。社会がネットと融合するはなしに戻す。最近、ITで話題の敢えて挙げたい概念がある。web2.0だ。Web1.5さんによるとインターネットが社会的なネットワークとして動作すると言う様な意味合い。と言っている。まだまだ曖昧で、これから実現可能なアイデアによって肉付けされていくのだが、覚えておきたい。なんたって下部と上部組織との融合にはネットが重要なカギを握っているらしいからサ。
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blog | at Sep 12, 2005 | TrackBacks (1)
いまごろファンサービス
1.今までで結構ネタになった国内旅行先
八代
2.今までで身の危険を感じた海外旅行先
ゲイ(NY)(分かる人にしか、わかりません。失礼)
3.これから逝ってみたい国内旅行先
東北
4.ねこがこれからいく海外旅行先
アフリカ
5.次にバトンを渡しますか?
昔のエントリーを蒸し返したかったらしい。笑
blog | at Sep 10, 2005 | TrackBacks (1)
iPod nano
iPod nano出ましたね。Amazonで思わずクリックしそうになった。Dockコネクタの形状は従来と一緒だが、Firewireでは認識しないよう。USB2.0実装マシンが手元にない。
Apple Lossless Encoder(非圧縮AIFFフォーマットの約半分のファイルサイズで、オリジナルと同等の音質)利用可能。
なにより安い。単純なフラッシュメモリ2GBと同等の価格。4GBなんて見たこと無い。さすがサムスン。
スタンダードラインでピアノブラックを出したってのは意志表示にしか思えません(笑)。インテルに乗り換える頃には、ピアノブラックのパワーブックもあり得るな。
趣味, apple | at Sep 9, 2005 | Comments (13) | TrackBacks (0)
情報を可視化する
政策を選択することと、投票する行為が一致し、政治がわかりやすくなったと思いますが、そもそも郵政民営化がなんなのかということを切り口に日本の現状を知るべきだと思います。ぼーっと、一方通行のメディアなんか見ていてはあきません。ネットに無い情報は現実に存在しないとも言える時代に生きる人は、ネットにダイブせよ。(そういえば、テレビシリーズの攻殻機動隊、まもなくエンディングですね。笑い男事件編のDVDまもなく発売)
ネットにダイブすると言ってもどこで盛り上がっているのかが、まだまだわかりにくい。現在の検索エンジンのテクノロジーでは投稿時点との誤差があり、盛り上がりを過ぎたときに到達する事しかできない(まぁ、定着している情報が上層にリストアップされるスピード感はよいけど)。ブログの爆発的な増加により、従来的な2チャンネルが可視化のダイナミズムとなることばかりではなくなり、話題の拠点となるプロセスは複雑化している。拠点との遭遇が偶発的な現状では、急速に増大しているブログが引き起こす話題の多重化と陳腐化の相関関係に嫌気さすばかりである。ネットが市民権を得るには知識に枝がつくコンディションを作ることだと思っているので、検索ルールが記事の投稿順というテクノラティなど、従来の検索エンジンとの明快な差別化をしている実用的な検索エンジンの登場によって、ダイブへ起つ淵(選択肢)が増えることになる。検索結果への非リンク数の表示や、オリジナルのRSSfeedが生成でき、盛り上がりを可視化出来るのでおすすめ。ちなみに、検索すると笑い男マークがついているエントリーが…(登録しているブロガーで写真をプロフィールにアップしていないと表示される)。
Firefoxの検索窓にテクノラティを追加
万が一、このエントリーのテンションを共有してしまった人は、攻殻機動隊をぜひ。全体像を把握してから見たい人はググってもらえば良いですが、簡単に説明すると、漫画と映画、TVアニメのコンテンツがすでに出ています。セオリーから言えば、出版順を追うのがベターですが、ただ順を追ってもコンテンツによって監督が違いますし、漫画をソースにして、コンテンツごとに設定を変えているので、どこから見てもはまる。特別な単語が多いので、まずはイノセンスのDVDに挿入されている本編が始まる前の解説なんか分かりやすくてよいと思います。
映画『GHOST IN THE SHELL 攻殻機動隊』→その後のバトー・素子再会の物語→…
↑┗━映画『イノセンス』━┛
(この部分を押井(監督)色で編集)
┃ ┌→その後の素子の"子供"の物語…
┏━━━━━━━━━┻━━━━━━━━━━┓ │ ┗漫画『攻殻機動隊2巻』━┛
公安九課設立┬→草薙素子が人形使いと出会い融合→素子九課離脱─┤
┗━━━━━┿━━━━ 漫画『攻殻機動隊・1巻』 ━━━━━━━┛└→その後の公安九課の物語…
↓ ┗漫画『攻殻機動隊1.5巻』┛
(9課とそのメンバーの名を借りたまったく別のストーリー)
↓
“笑い男”事件→6年ぶりに“笑い男”が復活、そして… →その後の九課&素子の物語…
┗TVアニメ『攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX』┛ ┗TVアニメ『攻殻機動隊 S.A.C 2nd GIG』━
LINK:参照元
blog | at Sep 8, 2005 | Comments (1) | TrackBacks (2)
曲面には曲面を
バーニー展を見に金沢に
工事囲いもガラスに負けじとカーブしてる
二時間半の映像はなかなかの大作。クライマックスは狂気の乱舞。

日記 | at Aug 17, 2005 | Comments (5) | TrackBacks (0)
なぜ人口は減り始めたのか?
始めて男性の人口が減る。

いままで当然増加していた街から、人が引き始める反動となった原因を知りたい。まずは原因と結果の関係を、手段と目的の関係に置き換えることで問題解決の方法をさぐってみるもの。多摩NTは国策という使命のもと生まれたと言って過言ではない。その重みは社会学、建築学、都市計画学、民間のシンクタンク。それらの分析や言及の量からだけでも十分に察することができる。しかし、どれも人口減少の理由に挙げているのは、ステレオタイプのご託と言わざる得ない。狭隘・老朽化。モータリゼーションによる近隣センターの衰退。高齢者施設の不在。加齢に対応していないバリア。どれも多摩NTの特異性に触れず、どこの街でも起こっていそうな問題ばかりである。
おそらく、個別に対応しても、NTの構造を奮わせるせるようなことには成らないだろうという勘を働かせ。ハワードの近隣住区論を読みかえて構成した街の構造が破綻している。という仮説をたててみる。住区論にもとづき構成された近代的な街並みは始め人気が高く、うまくいっていた。変容をもたらしたのは、自家用車の普及と言えるのではないだろうか。当初は、ホワイトカラーの人々が終電間際に襲来し、闇タクでなんとか家にたどりついたというような時代の中で、NT作りは始まっている。自然との近接というコンセプトのもと容積率は50%まで抑えられ、団地と団地の間の緑地は子供の遊び場になっていた。次第に、足の不便を改善したい欲求が高まり、高度経済に支えられた所得の増加という社会の波にのって、一家に一台という時代が到来し、団地と団地の間はすべて駐車場へ変容し、駅まで自家用車で送り迎えするのが当たり前になっていった。ここからは、想像通り、車に目をつけたターミナル型の大型店舗の成功によって、近隣センターの衰退が始まり、車が扱えないと生活が充足できない街へ成り行きで変容し、住区論の夢はくずれた。この例はネガティブな変容ではあるが、そういう簡単なきっかけにのって街の構造を同時にかえていくというのがいいな。
車が扱えないと生活が充足できない街というのは、街に適応できる生活者の選択肢をせばめている。改善する余地がある。車を使わなくても生活が出来る。すなわち、歩いて生活出来るようになるには、効率的な「密度」によって解決できないだろうか。この仮説を解いていく具体的なパーツをまずは探す。現在、狭隘と老朽化にともない具体的な動きとなっている永山駅前の諏訪二丁目団地の建て替え計画が挙げられる。そこで「一団地規制を解体し、容積率を150%まであげ、土地を余剰させコストを捻出する」ということが決まっている。これから想定可能なのは駅前に三倍の人が住めるようになること。狭隘と老朽化に伴う建て替えによって、同じ土地に密度を獲得することができる。NTは、同時に造られていることから、同じ問題を地域全体で抱えており、建て替えの促進につながる。駅前の6.4haに三倍の人が住めるようになれば、現在の地域面積は三分の一で事足りることになる。建て替えというきっかけによって、街に効率的な密度をもたらし、同時に街の骨格をかえていくことは可能ではないだろうか。
一旦街を縮小し、同時に近隣住区論によりそった街の骨格を解体する。こういうテンションでいきたい。
new town | at Aug 1, 2005 | TrackBacks (0)
情報社会におけるブログの大きさに何を見るか
isedのサイトがリニューアルしている。倫理研第4回の記録おもしろい。2ちゃんねるが生まれる以前の99年までは、個人サイトが中心だった。2ちゃんねる誕生後から02年頃まで、情報強化のプロセスは2ちゃんねる中心モデルが主流だった。しかし02年以降、個人サイトがブログによって強化され、ブログ中心モデルが発生し、プロセスはヒエラルキー型(一次情報→スレッドができる→まとめサイトができる→個人のニュースサイトに取り上げられる)から、リゾーム型(ブログによって記事のpermalinkが定義できるようになり、発生場所が明確になった。強化のプロセスは一気に複雑化した)へシフトしてきた。という加野瀬氏の指摘にうなずく。
この指摘で明らかになったのは、炎上と言われるような行為を助長する構造を、実はブログも持っているということだ。今までは、2ちゃんねるの構造が生んだ大きいサイバーカスケードが問題とされてきたが、ブログ上でネットリンチと言われるような隣人集団による小さいサイバーカスケードが起きている。ブログの利点であるpermalinkが、記事への到達しやすさを招き、サイトのテンション無視に、コメント機能によって一見さん達が炎上を起こし、時にはサイトの閉鎖にまでおいこんでしまっている。
そういった排他的な連鎖反応を防ごう、社会的なイメージも変えたいという意図があり、それならば情報社会の規範を考えようじゃないかと始まったisedである。もっと広く発言できるような健全な情報社会を目指したいのだ。
この健全な情報社会というのがくせ者。議論の中で「2ちゃんねるの構造が*弱さの大衆化をまねくのではという危惧も分からなくもないが、繋がりの社会性を求める膨大な弱い人たちが存在しているという事実」といった内容のコメントがある。これは、行政の立場で都市計画を実践している人々が、「赤提灯を積極的に奨励できないけれど、必要だ」と言っている感覚だ。すきまを排除したがる強さ。すきま的な魅力を感じる弱さ。誰にもこれらの感覚が共存しているので、規範作りは一筋縄ではいかない。
ブログに何を期待しているのかは、自分たちのサイトを作ったときから気になっている。そもそものきっかけは自発的ではなかったものの、ネット社会に浸透している人に勧められて始まった。たまにブログへの期待に関連することも書いてきた。今後、異常増殖したブログは、ある程度新陳代謝しながらも残ると思う。ネット社会の新住民を多く引き込んだ、ツールゆえの多様性を評価しているからだ。実際、身近な同世代で持っている人は多い。情報社会の重心がシフトし始めているのは確かなようだ。今後、ネット人口が増え、ブログというツールに夢を見た人々の多様な目的によって、ブログのもつ意味が形骸化するまで細分化される予感がする。そんな中、どうなっても炎上のような事故は完全には防ぎようがない、かもしれない。しかし、isedでもコメントされていたが、permalinkによって場所が明確になり実社会のコミュニティに近づいている実感はある。もうすこし、状況を見定めたい。本来、ネットという汎用性の高い空間は、アプリケーションの再作成で急速に強化されてきたところがある。情報社会の健全化には、どんどん新住民を引き入れる手段を打つのが、有効なんではなかろうか。歴史にむりやり重ねると、2チャンネル以前は紀元前。ブログ以降は産業革命後ってところか。そしたら、人口爆発は必然?!
最後に、僕にとってのブログへの期待は、弱さとは違うよう。個人の情報整理のツールとして評価している。目に触れる程度に情報をブラッシュアップし、目に触れる場所に保存されていて、時には議論がおこり、視野が広がるかもしれない期待が楽しい。情報社会の規範の草の根としての期待もある。新しいツールがでたら乗り換えるかもしれないそんな気軽な感じだ。
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blog | at Jul 28, 2005 | TrackBacks (1)

