一般に建築に付される説明には踏まえるべき一定の形式がある

たいていは最初に
「敷地周辺の地理的状況、社会的コンテクスト、歴史的背景」が一瞥され、
次いで「計画されているプログラム」がその一般性と固有性において述べられる。
そして、その両者を満足させる「具体的な提案」が提示され、
それを導き出した「アプローチ」やそれを実現するための「テクニカルな側面」が紹介される。
そして最後に「完成した建築が具体的にどのような場」を実現しているか語られる。

参照:2004年6月5日 西沢大良講演会「カタチとアクティビティ」講演会レポート

clip, 建築 | at Feb 7, 2006

プロジェクトの強度が決定する瞬間

以下は、下書き。痕跡。四枚稿を機会を見てアップします。

多摩ニュータウン縮小計画
ー諏訪2丁目団地の再生を通してー


プロローグ・「背景」
縮小と言っても、まちの魅力を目減りさせることを目的としたものではない。

人口減少時代に突入する岐路にあって、従来的な「人口の増加」と「経済の増進(地価の高騰)」という前提は崩壊した。また、街を構成する建築は、ハードウェアではなく、ソフトの問題によって、たった30年で滅失期間をむかえている。現在まで、適切な空間の大量供給とその統合を可能にしてきた「機能」=「空間」という真理が欺瞞にすり替わってしまったと言えよう。すなわち、まちに投資する理由も、構築するすべをも失っている状況にある。しかし裏を返せば、新しい前提にたって、誘導力のある建築を目指すことが可能な時機と言えはしないか。

参照:社会資本整備審議会住宅宅地分科会 基本制度部会報告案参考資料 資料12 滅失住宅の平均築後経過年数によると、滅失期間は31年。諏訪2丁目団地は入居から35年経過、88年から建替え運動の継続。

第一幕・建築がひらいていく流れ=「ストーリー」
「新しい建築型」が、「多摩ニュータウン」と「住まい手」を「なめらか」につなぐ。

01・「新しい建築型」の必要性
開発主体であった都と公団の撤退により、全体を調整する視点を持たない民による投機的な開発の本格化や、住民主体による建て替え運動がなかなか実を結ばないことから、郊外のスケール感をキープしたまま街を改善していく「共有できる凡例」=「新しい建築型」を必要としているという仮説は有効と考える。

02・「多摩ニュータウン」にとっての障害
31万人サイズの街であるが、実際は19万人にとどまっている。学校の廃校が進み、増加する遊休地。初期投資を回収出来ないうえに、維持管理が膨らむ一方である状況から、適正なサイズに制御することが必要。

03・「住まい手」にとってのバリア
多摩ニュータウンにおける3DK・近隣住区は、未開の地をを開くための単位であったが、家族という関係を象徴したモデルともいえるnLDKという、規範から逸脱した空間の使いこなしを受けいれない3DKや、近隣住区のシンボル的な存在である近隣センターの衰退という現状が、単位の解体を要求している。また、3DKと近隣センターは、多摩ニュータウン全体に通じる単位でもある。

04・「なめらか(Flux)」という概念
切れていた・切れてしまった関係をつないでいくこと

まちを展開していくには、運営主体が必要。従来は、公(施行する/従う)や民(生産者/消費者)というような二項対立的なものでしかなかった。
地域レベルの人口動態や開発主体の傾向の情報を集約し、公開しているのは多摩のNPOである。また、多摩に建つ大学が学術的な視点からのサポートを試みている。隔たりを埋めていく主体が定着しつつあると言える。それらがサポートする問題は日常から制度の調整まで、幅広く期待されている。その層を社会学的には中間集団と呼ぶ。そのような背景が加速し、空間や街への欲求が高まり、住まい手(空間の使い手)による空間のカスタマイズ。その集積といった相乗効果が生まれ、街と住まい手の関係がつながっていく。建築は従来的に、そこにある状況をつないで、新しい関係を生むことを試みてきた側面を持つ、その性質を「多摩ニュータウン」と「住まい手」の距離にまで拡張し、切れてしまっている関係を「なめらか」につなぐことをインテンションとしたデザインを試みる。

参照:ised@glocom - ised議事録 - 1. 設計研第5回: 近藤淳也 なめらかな会社

第二部・問題の解決と誘導を見据えた統合=「デザイン」
「新しい建築型」を構成する要素。

01・郊外の制御
人の集まり具合を高める。街のユーザビリティの低い地域を自然に還す(経済の枠組みを一旦はずす)。

02・ランドスケープの調停
地形を整地し、南北もつなぐ。ポジティブスペース(中庭)を挿入。

03・なめらかな構造
ケとハレの演出。(襞を内包した構造体である壁によって分断された手前空間と奥が、一体的にも、身体を切り替えるようにも、使い手によって見いだしていける空間)

エピローグ・「要望」
完成した建築が具体的にどのような場を実現しているか。

01・コミュニティの再生
「多摩ニュータウン・住まい手(空間の使い手)」それらの隔たりを充填していく中間集団の存在が強化されていく風土の実現。

02・都市の理想
郊外は都市の周縁として立地しているが、急激な人口増加を背景にした乱造を制御するために、都や公団が調整、開発を行ってきた。その資産として、土地が個人に帰着していない環境が自然に生まれている。
ニュータウンは都市の理想を具現化する流れにたち、誕生したが、都市における個別の建て込みが強化されるまちづくりを解放する「大きな建築型」となる可能性を持つ。

建築, new town | at Feb 7, 2006

起こしたい気分

近藤淳也インタビューを順にまとめてみた
全部読んだら、一日物思いにふけてしまいそうな楽しい人だ。ネットが社会を変えてやるっていう雰囲気いいよなぁ。たとえ話で建築がたまにでてくる。ふと、身近なまわりを見渡すと、建築が社会を変えてやるって言うと、ちょっと真っ直ぐすぎるからいや、みたいなところ、やだ。事務所を開くというより、起業するっていうのに、素直に惹かれる。

「いいサービスと収益は両立する」—株式会社ミクシィ始動
なーんかミクシィってやなんだよね。こういうの読むと全然あたらしくないって思うんだけど。なんだ?隙間を充填していく快感で突っ走ってるって感じか?インターフェイスがださいのがやだ。ネットへの適応力の差をフラットにみせることが目的なのか?。ただ、そこがいじれるようになっても使わないけど。

neonは東芝泣かせの「完全垂直」な携帯
むむむ。ひたすらかっこえぇ。この次の手ってあるのかなぁ?

アートディレクター・佐藤可士和 | NHK プロフェッショナル 仕事の流儀
いがいに、まともなことを話していた(笑)。安心感のある言葉が多かった。ただ、新しい地平へっていうところは、意図的か分からなかったけど、おさえている気がした。番組見てて思ったけど、広告と製品が一貫しているって、訴求力が強化できてうらやましい環境だなぁ。深澤さんのneonと完成度を比較するおもしろさはあるけど。一方で、ここまでくると四角しかないのかと普通は思う。infobarの広告は佐藤可士和のものか。いろけのうるさい感じがキャラと一致していて、おもしろいけど、欲しいとは思わない。上げて、落とすみたいな。番組のカメラのアングルが結構な迫力で、あつい番組の制作現場が想像できて、好感。

clip | at Feb 3, 2006

未開の地を開く単位

提案力と実現力のバランスを大事にしたい。
プロジェクトを組み立てるとき。可能性を感じる仮説をたて、あくまでも予測可能な範囲を手探りで進んでいく。今回、郊外を選択したのは、やはり「場所を取り囲む環境がある程度単純化されている状況」によりかかったという点。スタートは間違っていなかった。都市で、ある程度ハンドリング可能なプロジェクトを組み立てるにはあまりにも解きほぐすべき状況が多すぎる。裏を返せば、自分のスキルが足りない。それほど現実は複雑で、自分の予測可能な範囲を大きく逸脱している。OMA的にかっこよく言えば、もしかしたら(状況を逆手にとって新しい地平を敷衍する)波乗りサーファーにはなれるかもしれないけど。自分にとって、そこに達成感があるかが。疑問だった。解釈者にはなれるかもしれないけど、実践者になれるか?ということだ。

で、単位の話。山を切り開くには、勇気が必要だった。山肌が見えるまで削りだし、そこで征服感があったかというと、きっとそうではない。とても不安だったはずだ。現に、今の多摩ニュータウンは木が生えすぎている。反動で植えまくったのだ。不安な中、多くのエネルギーを誘導するために、共有できる話題、キーワードがあった。迷ったらそこに戻る的な。歴史のある側面を振り返れば、都市や建築は、機能によって分化した空間の接続や切断の手段を選択することで、適切な単位(空間)の大量供給とその統合を可能にしてきたと言える。多摩ニュータウンにおける「近隣住区」や「3DK」も、未開の地をを開くための単位、話題になるキーワードだったのだ。しかしその近隣住区のシンボル的な存在である近隣センターが衰退し、コミュニティをアフォードしたかった当時の目論みは崩壊した。続けて、山本理顕に「問題はそのLDKモデルが家族という関係を象徴するモデルになっているということだ。現実の日本の家族はとっくにLDKモデルが象徴するような規範からは離れてしまっているのに、それでも住宅をつくるときにはその規範に拘束される。だから依然として日本ではLDKモデルがつくり続けられている(source)」とまでいわしめた、3DKいわゆるnLDKの呪縛は超えたい。この「近隣住区が生んだ近隣センター」と「nLDKと接点のある3DK」は、いまや形骸化し、この単位の解体を提案してこそ、実現したい街になるのではないかと、ずっと妄想してきた。

明日、タイトルと副題の締め切り。英語のタイトルもつけなきゃならんと言うことで、頭の整理。
・効率化やエコロジカルという建前、楽しい日常生活へ向かう本質
・危機迫るひろく社会に通じる話題/問題を解決する具体的な切り口
・多摩ニュータウンのスケール感をキープしたまま、より都市的な街を目指す手がかり(設計)の一つ
緻密さと大胆さが共存している(はずだ)こんなテンションをタイトルと副題で表現してみよう。

多摩ニュータウン縮小計画
ー諏訪2丁目団地の再生を通してー

Revitalization Tama New Town
- Restructuring the Public Housing in Suwa 2 chome -

mtg-nt.jpg

設計の方向性が間違っていないか最後の確認。多摩ニュータウンを開発したエネルギーはすさまじいことがよくわかった。限られたリソースの中で、最大限に誰にもうれしい日常生活を夢に抱き、街を作ってきたこともわかった。そして、(作りすぎた、人口が減ってきたといった)今の状況を誰もが望み誘導したわけでないこともわかった。

あぁ思い出すなぁ、うろうろと歩いていたら駅からかなり遠いところへ行ってしまい、急にトイレに行きたくなって、エヴァのシンジくんばりに(あくまで心の中で)うゎぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁー。と叫びながら、駅に向かって走ったことを。コンビニくらいあったって良いのに。と、まじで思った。厳密に言うと近隣公園と近隣センターに行けば公衆トイレもしくは、店のトイレはあるけど…。

途中経過はなんだかまずかったけど。破綻、炎上しながら前に進むタイプとおもっている。人にやさしいホリエモン。中国に謙虚な小泉さん。あはっ。壊

建築, new town | at Feb 2, 2006 | TrackBacks (0)

透明な秩序

「私を反逆者にした」って一行目に書いてあります。

日記 | at Jan 23, 2006

悩み一喝処理

付和雷同な思考で、何処へも収斂しない人。
達成感もままならないまま、目が泳いでいる人。
建築をツールとしてしか価値を見いだせない自意識過剰な人。
さまざまな顔つきをした人間が廊下をうろうろしています。
きけんです。というかうざいです。大学はスキルを身につけるための場所ではありません。
人間的な座標を定着させていく、指標を多く享受してくれる場所です。
だからいろんなことを言う人間がたくさんいます。
こんなことを書いている僕はいたって冷静です。
なぜか。広範な問題を一括し、解答する方法として、建築は非常に有効だと思っているからです。もちろん、これは僕の問題意識と達成感のバランスの中で生まれた価値観なので、全ての人に直接つながることではありません。創作活動は自問自答の中から、スタンドポイントを発見していきます。だから、悩むことは当然です。しかし、その創意が、社会に露出し、どこに着陸させるかまで考えてこそ、その妄想は達成されると言って過言ではありません。自分の価値観で言うなれば、問題の解決と新しい日常を引き出してこそ、ということです。

修士設計が終盤に入っているので、しばらく引きこもるつもりで、このエントリーは書いています。
ある後輩から留年の憂き目にあっているとメールがあり、返信したメールが自虐的ですてきなものになったので、書き留めておきます。(このメールを書くたねにしたブログのエントリー
「おそらく、最終的にはかたちにして発表するが、かたちを作ることが目的でなくてもいいじゃないか。リサーチも大事と言って、全然評価してくれないじゃないか。かといって調査レポートを超えている自信もない」
こんな回路をうろうろしていて、結果的に何もやっていない。ということになったのではないか?
ある側面からみれば、先生方は、かたちのみで結果を出してきた人たちだから、前段の部分での評価は下手にできない。でも、かたちがあって、リサーチが成り立つという道筋は確かだ。というたったひとつの論点のみが評価軸。そこを把握できないと、会話は、どんどんすれ違う。これは、僕の経験を加味して書いている。確かにかたちだけをみれば、決して満足出来るものではなかったが、獲得感はあった、だからこの先が見込めている。
難波和彦 青本往来記 2004年11月17日(水)には以下のようにも記してある。 
社会的な問題を発見すれば、そこからデザインが出てくるという幻想を持っているように思える。しかし実際は逆である。仮説的な提案がなければ社会的問題は明らかにはならない。問題がデザインを生むのではなく、デザインが問題を発見させるのだ。問題からデザインが生まれたように思えるのは、事後的な説明だからにすぎない。この落差は限りなく大きいといわねばならない。複雑な設計条件であればあるほど、単純でエレガントなデザインで応えるのが建築家の真骨頂であることをまるで分かっていないのだ。

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建築, monologue | at Jan 22, 2006 | Comments (2)

広大なネットが持つ伸びしろ

今回のライブドアショックの件は、一段落してから書こうと思っていましたが。秀逸なブログのエントリーが雨後の竹の子のように出てきているので。クリッピング。
LINK:渦状言論|ライブドアとオウム?
LINK:マインドマップの書き方|ライブドア暴落のまとめ

今の堀江さんのやり方は諸手をあげて賛同は出来ないけれども(実際にライブドア株は買っていない)。既存を打ち崩す手段としてはありだと思っていた。今回の件が無難に済めば、きっともっとリスク管理を徹底して、嫌みを言われないようにするだろうなぁ。そうなって欲しいなぁ。
LINK:僕は死なない|小さなリセットを繰り返すみたいな感じなんだけど。

暗い気持ちの時は、ネタにしてワラウ。これニホンジンのサホウネェ。
LINK:ニュー速クオリティ|堀江の一日
LINK:ザラ場の歩き方|損した腹いせに

過去に書いた堀江さん関連のエントリー:荒川修作×磯崎新大江健三郎×原広司弱い身体の集積とその可能性

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clip | at Jan 21, 2006

建築がもつ力を信じている

unite.jpg

マルセイユのユニテは本当に感動した。ひとつの建築の魅力によって街並みが出来ている。
建築がもつ力に圧倒されたのと同時に、この建築が使いこまれ、いまだに愛されていることに感動した。
街並みと言っても、何のことはない、ただ真似して作ったものがたくさんあるだけなんだけど。
どれもユーモアやウィットに富んでいて、かわいらしい。

unite-roof.jpg

現在の建築は、経済によって切り取られた囲いの中でしかない。
社会を変容させる力はもうないのか?
いわゆる作品、自己の再生産の部分でしか、価値を見いだせないのか。

住宅特集2001|11号での空間にみるパーソナリティの座談会の中で手塚貴晴が「建てることで状況を変える、という気持ちがけっこう大きいですね。〜マルセイユのユニテを見に行ったときに感じたんですが 〜 ユニテのコピーが大量に建っている。それが街並みをつくっているんです。ひとつの建築のもつ影響力はすごいと思いました。」と述べている。

一方で、荒川修作は、コルビジェっていうのは、階段をかけあがって、メジャーで測って2mでも10mくらいだね。とかいうのがない。とも述べている。

建築 | at Jan 20, 2006 | TrackBacks (0)

あえて

建築の理想を翻訳したような映画と言おう。

公演初日、朝からずっとフジには三谷監督が出ていた。ひとりで作業しているとさみしいという理由で、ラジオみたいに流してるだけだったので内容は覚えていないが、なりふりかまわないアピールやなと。多少下品に感じていて、うけながすつもりだった。
僕は佐藤浩市演じる政治家にかぶせながら見渡すことで達観できた。登場人物それぞれに、ばらついた幸せを感じる大きさが設定してあって、一本の映画の中でそれぞれにベタなしあわせを感じていく。それらの個別のしあわせが集合した状況で、クライマックスを迎える。観る人だれもがうれしいと感じる共有項を設定しつつ、同時に三谷幸喜が感じている社会的な問題という裏設定(簡単に言うと、断絶している個人を横につなげる。個別のしあわせを統合したいというテンション)から発想し、ストーリーを編んでいることも、うかがえる映画だった。ようは、アハハと、うけながすこともできるし、がっつり構えることにも応えてくれる。
建築の理想郷について。三谷監督はどこかの番組で、登場するスイートルームのなかでも、モダンな部屋が一番好きだと言っていた。モダニズムの神髄のひとつに「表現を最低限まで削ぎ落とした上で、すべて(ここで言えば個別のしあわせ)をうけとめる」という美意識がある。暗黙にそういう理想を共有しているのかもしれない。ベタなネタの集積によって出来上がっているので、おそらくもっと多くの小ネタを考えていたのだと思う。でも、観劇側が疲れるぎりぎりの手前で止めた感じがした。ホームページにも載っている「お客さんの笑い声がプラスされて、この映画は完成します。ステキな初日を迎えられてホッとしました。」というのは嘘ではない。
最近、本杉せんせからお言葉を頂きました。「映画監督マキノの教えの中に「芸は軽さをもって至上とする」という言葉がありました。」三谷監督の真骨頂である笑いという軽さを持って統合し至上へ。自分の中で楽しみな人物であるのは確かなようだ。

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趣味, film | at Jan 18, 2006 | TrackBacks (1)

ななめ読み

asahi.com|無関心の殻外れず 幼女連続殺人・宮崎被告
上告審判決が17日、最高裁第三小法廷で言い渡される。事件から17年余。

too high|朝日夕刊:新・欲望論「『萌え』利用した優越感」
裁判が明日と言うこともあり、話題が再燃しつつある。まだ、紙面を読んでいないが森川嘉一郎の指摘はおそらく正しい。しかも、朝日に掲載されていることも歓迎できる。too highさんのリンク先を見てもらえばわかるが、読売ウィークリー編集部のブログで一悶着あったよう。

Related LINK
satohshinya|おたくの原風景

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clip | at Jan 16, 2006 | Comments (6) | TrackBacks (1)

Tag Cloud

久しぶりにblogをいじる。何度カテゴライズを変更しても、しっくりいかない経験から、カテゴリの不自由さが気になっていた。前もって話題にのぼりそうな箱(カテゴリ)を用意してから、アイテム(エントリー)を突っ込んでいっても、ヒエラルキー構造でカテゴリーを分類しているので、一つのアイテムが箱をまたいだり、その構造の転覆を目論むようなエントリーを書きたい時もある。つながりそうな情報をつなぎとめるため、テキストを生産している側面もあるので、最近では箱を意識することに意味を感じなくなっていた。

マイナーなメディア「じんぶんや」にある東浩紀の言葉を借りるなら、「例えば、法哲学者のカール・シュミットなんかは、アガンベンが「ホモ・ケサル」などで取り上げたりすると、思想のコーナーに攻め入ったりしてきますが、そうでなければ、彼は右翼のひとだと思われているので、普段は政治思想や政治哲学のコーナーに置いてある。つまり、思想の棚というのはけっこうイデオロギー的なバリケードで護られている。 〜 人文の棚・思想の棚というのは不自然に作られているので、信用してはならない。面白いものは自分で探せ」
ついでに、図書館の本をカテゴライズするという作業において、本の内容によるジャンル分けがされているように思われるけれど、実はそうではない「図書館における本のカテゴライズは、本棚のスペースによって決まっている」なんて話もある。

知の棚は、再構築し続ける。blogがその一助の可能性を持つ。そこで話題なのが「タグ(del.icio.usのタグ一覧flickrのタグ一覧Technoratiのタグ一覧)」。従来の分類は、カテゴリにエントリーを当てはめカテゴライズしていくのに対し、タギング(Tagging)はエントリーにタグを貼付けていく。その「あと付け」のタグは、互いにフラットであり、どう相互関係付けるかが、現在競われている。そのひとつのアイデアとして「TAG CLOUD」を設置した。またこの雲は、人なりがパッと見でわかるのがいい。取り上げることが多ければ文字が大きくなり、話題性が遠のくと色が薄くなる。

今後の予定としては、takamiya studio PORTALに、タグの一覧表の設置かな。各々のAuthor事に違う、文字の揺れをどう対処しようか。あと、カテゴリを無くすかどうかは、もう少し様子をみよう。ヒエラルキーとフラットの関係性は互いに補完し合うものだと思われ。それと、今後データ通信定額に流れると思われるので携帯版かな。サイトを軽量化してくれって言われてるし。OS9 IE環境の文字化け対策としてもいいかな。

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blog | at Jan 15, 2006 | TrackBacks (1)

マクダーナルズではなくマクドナルド

MacBook Proって。なんて語呂が悪い。
かのマック(マクドナルド)ですら、日本での戦略上、3.3の韻を踏んだっていうのに。(Wikipediaに詳しい
Intelは載せたくなかったけど、株下げたくないし、とりあえず速いの出したかったし、石を変えたのは画期的だけど、とりあえず同じデザインでいっか。そんな感じだな、おい。だいたいロゼッタがあやしい。ホットプレートの疑いも。とりあえず、経験的にも初号機はバスって、みんな思うだろ。こりゃ。まぁいいけどぉ。
って、期待してたけど、割とこじんまり出してきたから、無理な出費を抑えられていっか。

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趣味, apple | at Jan 13, 2006 | TrackBacks (3)

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