あえて

建築の理想を翻訳したような映画と言おう。

公演初日、朝からずっとフジには三谷監督が出ていた。ひとりで作業しているとさみしいという理由で、ラジオみたいに流してるだけだったので内容は覚えていないが、なりふりかまわないアピールやなと。多少下品に感じていて、うけながすつもりだった。
僕は佐藤浩市演じる政治家にかぶせながら見渡すことで達観できた。登場人物それぞれに、ばらついた幸せを感じる大きさが設定してあって、一本の映画の中でそれぞれにベタなしあわせを感じていく。それらの個別のしあわせが集合した状況で、クライマックスを迎える。観る人だれもがうれしいと感じる共有項を設定しつつ、同時に三谷幸喜が感じている社会的な問題という裏設定(簡単に言うと、断絶している個人を横につなげる。個別のしあわせを統合したいというテンション)から発想し、ストーリーを編んでいることも、うかがえる映画だった。ようは、アハハと、うけながすこともできるし、がっつり構えることにも応えてくれる。
建築の理想郷について。三谷監督はどこかの番組で、登場するスイートルームのなかでも、モダンな部屋が一番好きだと言っていた。モダニズムの神髄のひとつに「表現を最低限まで削ぎ落とした上で、すべて(ここで言えば個別のしあわせ)をうけとめる」という美意識がある。暗黙にそういう理想を共有しているのかもしれない。ベタなネタの集積によって出来上がっているので、おそらくもっと多くの小ネタを考えていたのだと思う。でも、観劇側が疲れるぎりぎりの手前で止めた感じがした。ホームページにも載っている「お客さんの笑い声がプラスされて、この映画は完成します。ステキな初日を迎えられてホッとしました。」というのは嘘ではない。
最近、本杉せんせからお言葉を頂きました。「映画監督マキノの教えの中に「芸は軽さをもって至上とする」という言葉がありました。」三谷監督の真骨頂である笑いという軽さを持って統合し至上へ。自分の中で楽しみな人物であるのは確かなようだ。

「表現を最低限まで削ぎ落とした上で、すべてをうけとめる」ことを追求する建築家が登場するエントリーのLINK:simon|MoMAは50%simon|ビッグネスが生んだ建築
LINK:てれびのスキマ|太田光、先輩三谷幸喜への屈折した想い

趣味, film | Posted by at January 18, 2006 21:20 | TrackBack (1)

どらどら

菊次郎の夏を見つつ、おみやげに買ったはずの炭酸煎餅を、食おうか迷いながら書いている。

スマトラ島沖地震の余韻冷め止まぬまま年が明けた今年。そのニュースの中で、動物は丘に逃げていて無事だったという話を聞くと、やはり動物には予知能力がるのではと思ってしまう。隣に置いてある新聞に目を向けてみると、松嶋奈々子と江口洋介が共演して、震災をテーマに話が展開するというのも何だかイチ震災経験者としては、いやな風向きに感じてしまう。一方で話題性としては、抜群のタイミングだとはおもうが。見てしまう気もするし。笑 まぁ去年は建築基準法改正前に建てられた建物の中にある院生室で何度も強震に合い、面食らっていたし。地震には気をつけたい。

五十嵐太郎のエキサイトイズムを見ていて思い出したが明治生命館は、確かによかった。中に入っているMARNIも品揃え豊富でよい。いい自然に囲まれたところに建築をつくればなんでもよく見えてしまうような感じ。は否めなかったが。(重要文化財の明治生命館がそれほどよい)。かつてのモダンを象徴する様式が現代に引き込まれた感覚の意味を考えるきっかけを与えてくれる。まだ、完全にオープンしきっていないのでオープンする秋頃行くと、大川先生絶賛の部屋も体験出来る様になるはず。

ターミナルの概念を作ったと言われる阪急梅田。設計に伊東忠太も関わっているそうだ。阪急で三宮から京都まで一気に行けない(笑)ほど終結性が強い。梅田周辺は地下街が発達していて、雨の日でも新地まで行けてしまう。繁華街のひとつと言えるお初天神通り方面へもアーケードが連なっている。傘なしでここまで広範囲に徘徊出来るのは、梅田くらいじゃないだろうか。(2006年秋には阪急西宮スタジアム跡地に新店舗を開店予定。 1929年に創業した地上9階?地下1階の梅田本店を、2014年までに最大で地上41階?地下2階の耐震性を高めたビルとして全面的に建て替え、低層階部分に再入居させることが決定されている。)

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関西だけかも知らんが、昨日に今日。HA・NA・BIと菊次郎の夏を、連夜でやってる。北野映画はあえてあんま見ていなかった。メジャー嫌いな性分がそうさせていただけで特にこれと言った理由はない。こういう機会に見てしまうと一気に全部見たくなる、めんどくさい性格なんや。笑 両方ともタクシーが出てくると話が展開していくリズムになってくるのかなと思ったが、見事に期待を裏切ってくれる楽しい展開。そんな単純なわけがない。ブログサーフィンしながら見てて、エンドロールみたら菊次郎はタケシかよって思わずツッコミ入れてしまった。いい!

どらどら。というのは関西弁でもなく、自分の周辺では僕だけしか使わない言葉です(と思っていたが静岡方面で使っている疑いもある)が、「どれどれ」と食い込み、知的な物色欲をかきたてられるような時に口走る。今年もリニアにすすむ話題。何のことはない普段の会話と同じようなテンポのよいテンションも大事にしつつ、あまり口にしたくないような切り口でいろいろエントリーを積んでいこうと思います。今年もよろしくですー。

趣味, film | Posted by at January 4, 2005 4:51 | Comments (2) | TrackBack (0)

美術館は茶碗らしい

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ゴジラはその時々の社会性を反映させながら、ゴジラというシンボルに置き換えられるかたちで戦後の高度成長に群がる人々を風刺する様で登場した。一時休眠したゴジラも冷戦期に復活し、グローバリゼーションへ向かう中で生まれた二極構造を批判し、またその眠りに入るようだ。きっと、また社会が歪み始めると眠りから覚めるのだろうと思っている。映画というジャンルの中で社会的な批判を含みながらシンボルの姿だけ変わらずに、いつづける様相は建築にも言える。建築は、ある一定のかたちを留めながら、時代性を吸収していく。冗長性が低いものは、どんどん淘汰されていく。だれも知らない渋谷と代官山の中間地点にあるGDCのオーナーが出しているお店で飲んでいるのだけど。ぽ氏を見ていて、建築家が同じ姿でいつつづける様相は、建築の姿だけに留めていて欲しい。言葉はその時々のおかれている環境を見極めていく中で、どんどん変わり続けていかないと、自分の中でも新しい方へ向かわせるきっかけを失っているのではないかと。疑いの念すら感じてしまった。きっとそうではないだろうと思うけれど。(オーディエンスは学部生がほとんどいう事実があるものの)四季の桜は完全な改修のようだ。飲んでいるとき、ドーナツで批評性が持てたのかみたいな話を僕に対しても言われたが、あれは建築家としてどういうアイデアを実践しようとしていたのか僕には写真と言葉からは読み取れなかった。もっと集中して聞いていればその時つっこめただろうと悔やまれる。なにせ、建築家が言っていることは正しいなんて勘違いしている従順な学生の目を覚まさせるには絶好の機会だったし、つぶらや氏が少し模型が曲がっているだけで美術スタッフに叱咤していたなんて話をきいていると、狂気ある感性を羨ましくも思ってしまう。美術館は茶碗なんて書かれてみたいものだ。僕のことを直感に頼っていると見抜けていない人は、きっと思考のループが閉じているんじゃないかと言ってみたり。(笑) 始めて合う人といきなり飲むときが一番感性がポジティブにフル動員されてて、いつも楽しく飲めているのは運がいいからなんだろか。次はクリスマスパーティーですね。

日記, film | Posted by at December 5, 2004 16:42 | TrackBack (0)

スチームボーイ

実物!?(AP=共同)
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過去を賞賛する映画でもなく、
未来を予言するような映画でもなく、
構想が実現化する時の暴力さを描く映画でもなく、
人と人との空間を緊張感のある中で描く純粋さが心地よかった。
少し不安を抱えながら迎えたクライマックス。
誰もが感じる美しい絵ではないか。
あぁいい映画だったなと感じた瞬間だった。
大友さんの作品で読んだことあるのは、やはりアキラ。
もちろんタイムリーではなく、
火の鳥やナウシカとう言ったアニメと同時期に読んだ気がする。
アニメに対する理想を持っている訳ではないので、
批評的な立場からは見れなかったが、
映画を見た後、ウェブに載っているいくつかのコラムを見ると、
ほとんどが大友作品をずっと見守ってきた人々。
我が子を見るような過剰な愛情をもった批評が多く驚きだった。

趣味, film | Posted by at August 15, 2004 0:29 | Comments (1) | TrackBack (0)