顕在化した不和
とりあえず、おつかれさまでした。所感を二つ。
・ハーバードでのレムや、ヘルツォークのアーバンリサーチは、なんだか興味あるが、実際どーなの的な感覚があった。しかし、今まで経験したことがないくらいの量の資料を共有し、目を通し、観察する事で、リサーチをする醍醐味が少し分かった気がする。建築が効かない。形骸化したマスタープランという概念。ランドマークが持つ可能性。などの所感を持つことが出来た。建築に関わっていく中で何が、楽しいのだろうか。ということは、ずっと考えている。その中のひとつに、いかに現代の社会に入り込んでいくか。というスタンスがあると思う。今回の三ヶ月を通して、建築家が都市に参与することに意味が見いだせるのではと、僕個人的には、確信にかわりつつある。
・三ヶ月そこそこでリサーチやって、建築単体のデザインまで到達するのは困難。現場の状況を全く把握していないか、黙認している。学生がやっているリサーチに意味という構造は存在しない。創意ある判然としたアイデアに辿りつき、そのアイデアを徹底し、充実させていく。クリティカルな視点からシフトさせたい方へ、エネルギーを注ぎ、そこで建築というかたちに置き換えて、顕在化をさせるには、あまりにインスタントな期間だ。教育機関として人を育てるというスタンスの中、何が可能なのか。僕のアイデアとしては、前後期一貫でやればいい。前期をリサーチに当てる。リサーチと言ったって、今回僕らが発表した状態くらいがリサーチの到達点で、リサーチした情報を蓄積して共有できるようなアーカイブも成果品に必要だと思う。今回、ブログを使って挑戦しようとはしたが…。(可能性はあると思う。だから、修士設計でtkmy研のM2でやろうと思っている)。その後、デザインにエネルギーを注ぎ、魅力的にみえるように肉付けをしていく。大学がリサーチに本腰を入れる事が必要。スタジオの先生もピンではなく、大学院を担当している先生たちで相互に批評できるような雰囲気を、普段のエスキスでも実践していただきたい。なにせ、今の学生は実践的なコミュニケーションをせずに、設計が出来ると勘違いしている。全く盛り上がらない。きわめてドライに、作業をこなしているだけだ。
assemblage
建築家 飯田善彦氏が今回、パリにて展覧会を行います。
■飯田善彦氏の作品展が開催される.彼の作品の中から7点を選び,写真を中心に,スケッチ,実施設計図書,模型などで構成し,建築について今考えているこを,「assemblage」というタイトルで表現する。
会場 La Galerie d'Architecture
(11 rue des blancs manteaux 75004 Paris France)
会期 12月17日(金)〜2005年1月22日(土)
問合せ 飯田善彦建築工房
tel. 045-651-7670 fax. 045-651-7671
北野武 芸大教授になる
asahi.comより
来年四月からみなとみらいに開校する芸大大学院映像研究科の講師陣が発表された。横浜は海ばかりを見ているが、既存のインフラをリビルドすることによって変わる事を、鮮やかに提案したいものだ。韓国も国力で映画学校を作り、ハリウッドばりの韓国映画になっている。韓国ではスクリーンで上映されているものは、ほとんど自前の映画だと報道で見たことがある。日本ではまだまだ想像しにくい。自国の文化を成長させるということが当然前提だろう。たけしの授業聞いてみたい。
デルタの中央を縦断する貨物線
本牧ポートハイツの敷地の中央を貨物線が縦断する。住宅地に貨物線が走るのはいかにも港湾といった風景である。敷地の周りを走る道路はものすごいスピードでトレーラーが走っているが、のんびりと敷地の中央を縦断する貨物列車はのどかで対称的である。
クラブハウス移転
横浜FMがクラブハウスを日産自動車本体と共にみなとみらい21地区に移転。
公式HPより転載。
三菱自動車は、希望退職を募ったところ社員が千人規模で減り、機能不全に陥ることがわかり、京都への本社移転を断念したが、品川の賃貸料を払うことは、経営上デメリットであると言っているので、横浜もあるかもね。日産以外で、みなとみらいに大型の移転を計画しているのは、SEGA本社とセガが経営するアミューズメント施設かな。
市民のターミナル@花之木
中間発表時のシナリオ
1)戦後における全国の全接収面積の内62%を占めた横浜は、「街の構造を決める前」に、東京に従属する関係の中で、急速に人口を増やしてきた。その結果、高額な土地に住宅を求める町作りが先行し、都市戦略の無いまま、街のインフラが後追いの町作りになっている。現在は、最も高齢化が進み、東京に次いで都心回帰が急速に進行している。
2)海岸線とパラレルに、東京へ通勤者100万人が毎日移動しているリニアな幹線道路、鉄道が明確に工業地区と住宅地区を分断してきた。もともと工業地区で市民に開放されておらず、ある意味[空地]と言える海岸線が、かつての接収解除のように次々と都市に還元され始めている。
3)東京や大阪といった大都市は、[ランドマーク]をつなぐ町並みと、交通ネットワークで[ノード]を環状に繋ぎ、都市の骨格を明確にしている。しかし、横浜は[ランドマーク][ノード]が連単せず、関外に代表される伊勢佐木商店街のような消費主義の繁華街の背に配してしまっているような大通り公園という空虚を作っている。
4)他方で、国政レベルでは近年の都心回帰が始まった頃に、国土の均等利用がスローガンにあがっていた。そのため大都市への投資が不十分な中「マスタープラン不在」のまま、インスタントな感覚でマンションに代表されるような歴史の象徴性にすがるような家族像によって高層化される建物が、広大な貨物操車場跡地やアメリカ軍基地、臨海の工場跡地といった[空地]を埋め始めている。巨大な価値を持つ可能性がある高密度の中の[空地]が、都市に対する実践権を放棄している。
5)今回、私は[空地]の止められない構築の代替案を提案するのではなく、[ランドマーク][ノード]を連単させる目的の「街の骨格」を提案する。その中で空地の可能性を示唆したい。
6)横浜アイランドタワーの街区と新山下、今回提案する敷地の花之木に市街地の慢性的な渋滞を緩和するために、パークアンドライドの施設を、三角形のかたちをした干拓地の端部に整備する。それらは高速のランプに近く、川沿いにある。
7)パークアンドライドが機能するためには、目的地にアクセスしやすい必要がある。先の二カ所は市街地まで徒歩で行ける場所にある。花之木は、市街に出るための選択肢に地下鉄、京急線があるが、それぞれ行ける目的地が限られる。しかも元町中華街地区には直接アクセスできない。また、バスは渋滞の餌食になる。そこで、トラムのような速度の遅いネットワークを構築する。具体的には、川が市街地のエッジを形成している事と、みなとみらいや山下公園などを繋ぐシーバスの交通インフラが既にあることを利用して、三つのパークアンドライドの施設とランドマークを繋ぐ環状のシーバスを提案する。既存のインフラを利用する事でイニシャルコストが安く、川を生活動線として使うことで川から見る町作りを促すことも出来る。
8)従って提案敷地の花之木は、パークアンドライドの施設とシーバス乗り場というプログラムを持つ、交通ターミナル[ノード]としての機能を持つ事になる。現状の敷地には、公園と公共の市民プラザ、幼稚園、駐輪場が建っており、そのまま機能を引き継ぐ。最後に、中村川の上に走る高速道路が敷地を分断しているので、分断されている自転車や人の流れをつなぐ目的で、提案する機能を内包する丘[ランドマーク]を提案をします。
バスや鉄道が集まるターミナルのように、集まる場所があり、同時にそこから出発する始点となるような市民のターミナルをつくる。
ひろば
敷地のくびれ部分から西を見た時の、川と高速のランプ風景。右は、同時刻に東を向いて撮った写真。
市民が集まる風景が広がる蒔田公園。人が集まる理由を考えてみる。周辺に広域避難施設が多く集まっていることからも分かるように、このあたりは、横浜で人口密度が平均と比べて二倍高く、最も高密度の地区。また、公園を取り囲む街区が全て一方通行とあって、車があまり入ってこれないため、身近な存在にある。パリなどにある街区の真ん中の中庭のようでもある。
大通り公園と接続するもの
市街地化しているかつての干拓地は、戦後東(海)側半分を接収され、残りの中で急速に発展した。その結果、商工住問わず、混在した状態が今でも垣間見える。ディベロッパーによる開発や、一旦停止したvoidという現代的な状況も混ざり、まさに混沌としている。開発は、伊勢佐木商店街を中心に行われ、大通り公園の際は、ほとんど中層マンションによって壁になっている。その谷間から見える風景。木密街と一旦停止voidを見る。
大通り公園に接続する商店街
関外(大通り公園の北側)の地区は、海から内陸(西)に向かう方向へ商店街が延びている。一方、大通り公園を挟んで南側は、東西に延びる大通り公園から接続して南側に延びる。
このよこはまばし商店街が大通り公園に接続する商店街で一番栄えている。
グリッドのゆがみ
南太田駅前
市街地は、谷戸に囲まれており、かつては海だった。そこが300年前に干拓され、干拓地はグリッド状に道と運河を走らせていたが、谷戸とぶつかった途端にグリッドが崩れる。交通インフラ(京急鉄道)は、谷戸沿いに走っていて、ここ南太田駅前には未だに幅一メートル程の抜け道を多くの人が行き交いしている。
大黒ジャンクションを中心に
大黒埠頭ジャンクション(JCT)の向かいからぐるりと90°
現在高速道路は交通動線としての機能を最重要とし、市街の中を縫うように走っている。整備時期の関係上、土地の利用状況をふまえた上で計画されているため、湾岸沿いと内陸を隔てるかたちとなっている。特にJCTでは周辺から切り離された空地をつくり出し、街の中に機能しない場所をつくりだしてしまっている。
大黒埠頭には人が生活している様子は見られない。トラックが高速で走り回る322haの広大な島の中には、市民に使わないスポーツ広場と人のいない展望施設があり、JCTによってつくられたドーナッツの中には隔離されたひとつのパーキングアリアがあるだけという現状。
この場所に新しく街ができるという仮説をパーキングエリアにインターチェンジの機能を付加したスマートインターチェンジの普及と、コンテナの移動時間短縮によって徐々に生じる空地という二つの根拠をもとにたてる。このときJCTは新しい街の中にも隔離された場所をつくり出し、高速高架は横浜市街地のように土地を隔ててしまうと考えられる。
今回の提案は、大黒埠頭が巨大な物流拠点から市民が生活する街へと変容する際に、いかに共存しながら街をつくっていくか、ということを構想しつつ、JCTがつくり出す空地を活用し、新しい街の骨格となる中心をつくるということになる。焦点は、いかにして人が集まることのできる場所をつくるか、ということに絞られる。
提案の起点として、関内の横浜公園と等価交換の概念に基づき、横浜スタジアムの機能をこの場所に移動する。目的地を得た大黒埠頭には水上交通の乗り入れが起こると予測する。これら二つと、JCTによって分断されていた公共利用可能なスポーツ広場、展望施設をパーキングエリアを使ってつなぐことで、人の集まる街の中心をつくることが出来ると考える。
伊勢佐木モールと大通り公園
モールと公園の位置関係
伊勢佐木モール付近は、関内に対して、関外と呼ばれていた。どちらも昔からの繁華街です。それに対し、大通り公園は、300年前の干拓時は、川として整備され、戦後、公園として整備された。もともと、干拓地の根幹をなす川として整備されたため、現在の市街地の背骨のような位置に、たまたまある。現在は、大通り公園が、商業的にぎわっている伊勢佐木モールの背面的なヒエラルキーを抱えてしまっている。ただ、言い換えれば、喧騒を逃れられる市民のための場所として存在できるポテンシャルはある気がする。
画像のアップ方法
管理画面のpostの中にあるファイルのアップロードをクリックすると、
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自分のパソコン内でファイルを選択し、
(写真はフォトショップでweb用に保存で、軽くして欲しい。解像度短辺288が適当)
アップロード先は、Local Archive Path を選択し、
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そして、アップロードをクリックすると、
アップロードしましたウィンドウが出るので、
すでに編集中のエントリーに画像を追加する場合、
アップロードファイルのHTML表示を選択し
EMBEDDEDをクリックすれば、画面が切り替わり
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このタグをコピーして、エントリーにペーストすれば、完了。
横浜を海から見る
11月17日 水曜日 高速艇を借りて横浜の大桟橋のたもとから、扇島(川崎の京浜工場地帯のスケープが見える)を越えて、京浜運河(埋め立て地の間)、アメリカ軍基地の瑞穂埠頭を眺め、戻るコースの見学が出来ます。朝、10:00から二時間程度予定しています。飯田ユニットでなくても、見学が可能なので、希望の方はコメントもしくは、simonにメールまで。(一人当たり千円かかります ユニット7人+10人くらい可能)
1時間当たり大型の国際船が30隻入港する国際的な港を、海から見れる機会は貴重です。また、今まで立ち入れなかった港湾の埋め立て地は、急速に都市に還元されようとしています。みなとみらいは有名ですが、山の内埠頭なども、埋め立てられ高級マンションコットンハーバーの建設が始まっています。最近開通した伊東豊雄さんらが設計したみなとみらい線などもあり、この機会に是非。飯田さんも来られます。
ひでおしなりお2
現在の本牧ポートハイツは港湾労働者の共同住宅で、ソーシャルハウジングとして昭和43年から今まで増築を重ねてきた団地である。全部で18号棟まであり、1280戸ある。5、8号棟は平成4年に改造され、最後の18号棟は平成3年に竣工している。その他の棟の大半は老朽化しており、6畳、4.5畳、バス、トイレといった構成は家族が住む器としてのモデュールとしては合わなくなってきている。しかし、全部建て替えるといったことは無理があるし、そのような捨てられていくモデュールと今まで積み重ねられてきた配置、団地の風景を活かしながら、持続的な再構築を考える。
既存の住戸は安い家賃を活かして、個人レベルで都市に参画する人達を受け入れる。この敷地は交通のノードであるし、これから港の中心となる本牧、南本牧を背後にベンチャーやSOHO、アトリエ、ショップ、カフェ、船員のための宿泊施設、学生など今まで港湾関係者のみであったコミュニティを都市に対して開いていくきっかけとし、街の要素を増やし、コンパクトシティーへと変容させていく。既存の棟は減築をし、そのようなプログラムが入ってきやすいようにストラクチャーを残して改築デザインする。
新築は港湾関係者はもちろん、市営の団地として、付近の工場の関係者などが居住する。
そして団地の中央には貨物線である神奈川臨海鉄道が縦断している。この路線はこれから港湾の中心となり、産業の発展が期待される本牧、南本牧埠頭と根岸を結んでいる。これを産業トラムとして再構築し人の流れをつくる。本牧は鉄道インフラの孤島で、環状鉄道が計画されているが実施も程遠く、地下鉄の初期投資の5分の1程度でさらに既にある軌道を利用してトラムを計画する事は有効である。
そこの貨物線の敷地には現状はトラックなどがとまっているが、そこにトラムのターミナルと、これから埠頭が24時間化されることをにらんで、そこにトラック関係者、港湾関係者、物流関係者が24時間利用できる施設が計画される。それは分断された団地をつなぐ役割もする。線上に長いため、集会場やそこの団地のサポートセンターも計画する。
シナリオ1
これまで湾岸部は港湾部、工業地区、住宅地が安全面や構造上、単純に交わらないように分離されて開発されてきた。今回横浜港で旬な埠頭本牧、南本牧埠頭を含む湾岸に注目し、その港湾を中心として持続できる港湾、ひとつの副都心をつくる。
自分の提案の核となる物として現在の神奈川臨海鉄道の貨物線をトラムと併用することで根岸から鉄道インフラの孤島である本牧地区まで人の流れを作り出す。
臨海鉄道は物と人の流れをつくる、重要なインフラとなる。
そして、トラム計画の成功の鍵を握るのが、今回のデルタ状の敷地である。その敷地は本牧ふ頭の最前線に位置し、トラムのターミナルとなるところである。すでに物流のノードとなっているが、この敷地は現在港湾労働者の共同住宅となっている。そこにはもっと複数のプログラムが入り、投資される価値のある場所となる。
ガントリークレーン
デルタの中央から見えた風景
コンテナトレーラーにしてもこのクレーンにしても非日常的なスケールである。だからなんか興奮するし、港のダイナミックさがでている。空港で飛行機を見る時の感覚と似ているかも。大桟橋にクイーンエリザベス号が泊まっているのを見た時は鳥肌がたった。空港と違い、海の港は日常スケールと非日常スケールがすぐそこで交錯している。大桟橋と飯田さん設計のシーバスの赤煉瓦倉庫前の駅が隣り合っているといった、非日常と日常のスケールの対比もすごくおもしろい。
デルタ
本牧ふ頭の付け根の敷地である。港湾労働者住宅のど真ん中を貨物の線路が走っている。三角形の敷地で3辺はそれぞれ違ったエッジに面している。港湾、住宅地、工業地。しかし交通インフラで囲まれているため、孤島状態である。貨物はベルトコンベアーのように交通インフラの上を自動運転で絶えず流れている。人は全く流れていない。横浜港の中心である本牧埠頭の最前線に位置する敷地なのだから積極的に投資をできる場所のような気がする。
インタラクティブな関係
shinyaさんのコメントに対するエントリーです。ドメスティックなコミュニティの感覚は否めないですね。隔離された村に等しい。僕が、教示的なコントロールを仕掛けている点はいいんですが、それとインタラクティブに全体を良くしていこうというと仕掛けをたくらむ人がいなくて、いっこうに盛り上がらない。八代のコンペの時なんか極度に明らかだった。アクティブなデザインプロセスとしては論外な事をしている事に誰も気づいていない。気づかない人に言っても危機感まで達しない。自分が前進している事実を、足を踏みしめる感覚でしか、自分を上昇できないようでは、きっとデザインで人を興奮させることは難しい。そういう局面に出会わない、出会おうとしない人たちに僕ははっきり言って、うんざりしている。
「一刀両断」というのは、横浜というバックグラウンド(生活)を知らない僕たちが、飯田さんが言うキーワードを頼りに、恣意的な視点に寄りすぎず、知るという事を意味していて、大げさに振る舞っているだけです。建築家なしの建築みたいなフレーズの感覚ですね。言いたいけど、言えないことはわかっていて、突っついて欲しいという事。(笑)
飯田さんは、個人の視界でリサーチの幅を狭めないで欲しいという事を、様々な言葉に置き換えてコントロールしてくれていて、温度ののっていない情報を検索する必要性と同時に、恣意的な視点を持って整理することを強く言っている。批判的な姿勢や自己陶酔が大切だと言っている。そのフレーズが頭に入っていても技に出来ないようだ。
(仮)記述システム v1.1
横浜ポートサイド地区を一刀両断するために、まず理想をもった妄想ごしに、見渡した。その結果、(従来的な建築が持つ受容的な側面の見える)ネガティブな環境を体質改善する建築タイプ。と、(建築が本来的に備えているストラテジーを売りにするような)投資の盛んな状況下で未知を予見する建築タイプ。の二種類があるのではないかという仮説にたどりついた。この仮説(=勘)を正しく見せるために、共有できる切り口を必要とした。そこで、都市スケールで群れになっている状況を平面的な広がりで把握することにした。そのことによって、制度の境界や慣例化された呼び名などを越えて、ニュートラルな話題のシンボルを獲得することにした。そのシンボルをマトリクスの行とする。
[都市という密度下で際立つ空間的特徴]
district / 面
linear / 線
dot / 点
たとえば、商店街は線的なパースペクティブをもったものから、面的な街区を形成するものまである。それぞれの項目は、建築計画学上の機能と呼ばれるものを持つ「マッス(mass)」と持たない「ヴォイド(void)」のどちらかの性格を持つ。線的なマッスの商店街。線的なヴォイドに川。といった具合。dotというのは、建築単体の話で、電波塔と言ったたぐいは、点的なヴォイドで、ランドマーク的な価値を持つものだったりする。都市的な密度だから、ヴォイドという価値は見いだされる。港湾のコンテナバースは人の立ち入れない面的なヴォイド、緑地やアメリカ軍基地などもそれに属する。
行がフィジカルな性格付けで、列はその状況を表す価値(value)によって構成される。
[都市的状況下で生まれる価値(value)]
node/結節点 (焦点 集合点 集中点 コア 線と線が重なっていたり、面と面が重なっているところ)
edge/接続関係 切断関係の境界的特徴
landform/土地的特徴 (谷戸)
investment/投資 (公共事業 制度変更 特区構想 民間事業)
human/人的資産 (NPO 人口増減 人の流れ)
landmark/風景 (看板 商店 建物 山 スタジアム)
network/交通 流通
historical/歴史的な 文化的な
junk/無駄
白地図でプロットされた特殊な状況を抱えた場所が、マトリクス上で領域的にアプライされる。
Continue reading "(仮)記述システム v1.1"横浜を一刀両断する話をでっち上げる
問題を抱えている(抱えそうな)状況、新しい状況を向かい入れる条件を仮定する。
横浜における、行政区分や業界などの「制度」にとらわれない、地図を作製する。
「横浜に対する仮説」
海港以来都心に従属する体型の中で宅地開発が進むものの、必要な公共施設(ゴミ処理場、火葬場など)の建設が後手に回った結果、猛烈な住民反対運動のメッカとなっている。その結果、住民参画のシステムは70年代に始まり、それなりの投資と議論をハコ物が内包している。したがって、ビルディングタイプが問題であることは、社会的には証明しにくい。その背反として、新しい状況を抱えようとしている断面を見つけることによって、横浜らしい状況を反映した建築をでっちあげる事が可能ではないか。
・会社、工場の流入流失による経済や人口の増減。本社移転,日産本社移転→21世紀型のソーシャルハウジングを考える(団地)
・SA(初期投資二億 ICの場合初期投資16億)全てが出入り口可能になる。SAの出口専用IC化→街の中心の偏在化を促す。駅前や城下町から同心円に広がる、富士山型の都市構造を利用して。
・新線や、廃線に伴う、空地や地価の増減。→街の中心の偏在化。高密度化。
・60年代70年代のまとまった公共施設の建て替え計画。統廃合計画。→コンバージョン。公共施設が抱える新しいビルディングタイプを提案。(幼稚園+老人ホーム+公民館など)
・土地の値上げを待っていたり、住人反対を受けて一旦停止している空地。→空地への調停案。もしくは、空地を借景とするプロジェクト。
・一概には、一人あたりの緑地面積のデータでは表れない線上緑地の効率さ。線上緑地の操作を提案。→高密度化する中で残る空地は小学校などが持つグラウンド。グラウンドを公共化して、効率のよいパークシステムを持つランドスケープを提案。グラウンドを持たない学校というビルディングタイプをまじめに考える。
・商店街がもつポテンシャル比較。空地、空き店舗。地域の特徴(大学が多い 工場団地など)
・バスのルート変更による効果。環状なものを横につなぐことによる新たなネットワークの形成など。
・稼働率の低い施設調べ。コンバージョン計画。
・街のエッジ調べ。境界を作ってしまっている状況やその問題点。
・公共や民間が投資している地域の状況を見る。アート,中心市街地の活性化に関する行政評価・監視結果に基づく勧告
・制度(法律)改正による機能転用。高度利用などの可能性。卸町まちづくりプロジェクト
・総合設計制度によって出来た空地の無駄さデータ 面積 使われ方
・都心居住の増加と郊外の減少による都市のコンパクト化の実態(郊外の統廃合 都心の足りない状況)
・市町村の合併に伴う公共施設消却と新築の動向
・住民反対が起こっている地域。住民自ら都市計画,行きすぎた規制緩和,米軍基地+700戸の軍用住宅,東横線の高島町と桜木町駅という二つの駅がなくなる,高速横浜環状道路建設問題(公明党とかが反対している),緑地が墓地へ,住民反対リンク集
・鉄道,幹線道路,高速道路,交通体型整備による概念距離マップ 最寄り駅まで15分到達。都心まで30分到達。
アーカイブの形式
このブログが、マックのインターネットエクスプローラに対応していないので、うまく使われていないようです。テーブルを囲む話し合いで漏れたことなどを確認できる場として使われればいいかと思っています。
もともと、リサーチのデータは、ブログという形式で共有できれば、去年の作品集のような検索できない、本という形式なのにストーリーがないという空洞をかかえずに。また、ブログという新しいルールにのることで意外な知識の接続などを期待していました。
先週の話し合いでは、横浜全体の情報を集めるということを求められていました。しかし、自分たちが分類できるカテゴリーで情報収集の範囲を狭めるのは、ネガティブな方法ではないかと。そこで、本という形式にするのだから、今回は、辞書のようなスタイルにして、検索できるようにし、一言言いたい系のキーワードをひとり十個くらい挙げてそれについてリサーチをするというのはどうでしょうか。そんな話をその場にいた人たちと話をしていました。
ETHなどもリサーチのデータを保存し閲覧できるようになっているようですし、今年のM1の作品本のように、ファイリング形式にすれば情報の付加や更新が引き継がれていいかもしれません。
コミットする規模
建築家としてコミットするならば、建築を建てていかにメリットが見えるのかという主体性を前提にするのか。それすら打ち崩そうとするのか。一方で、プロジェクトが持つ恣意性として、流動的な,うつろいの可視化出来ない状況をでっち挙げて、建築は変わらないポーズをとるのはおもしろそうである。好意的に、去年のプロジェクトを見ると[ヒューズスケールをもてあましている横浜]ということがテーマなのか。代官山のハリランのような都市に対する参画の規模あるという話が出る。港湾部と建築部という制度レベルでの対立の構図もある。
縁(へり)
お台場、汐留、横浜・・・海に接する街は多い。それらの街の縁(へり)には何があるのか?正直行ったことがない。というよりも行けないという環境や状況があるのかもしれない。縁(へり)は街のズン止まりであり街のつくりかたを間違えると多くのポテンシャルを生かしきれぬまま死んだ空間が生まれかねない。縁(へり)というズン止まりの場所に対する調査を行い、何か提案まで持っていきたい。昨日、足を運んだみなとみらいの縁(へり)には人は当然のようにいなかった。しかしながら大さん橋のように海と近い感覚を持てる場所も横浜にはある。その差は何なのか。単純なことかもしれないが、みなとよこはまを名乗るならもっと親水性あふれる場所がたくさんあった方がいいじゃん、っていうよりなきゃダメじゃん。
理想は何か。
「特異でありながらどこか魅力的な風景」
風景というものを描いてきてこのような単純明快な街になってしまったのか?という問いかけに対して、これが正しいという風景をいえないということを問題意識としてあげる。
何を無視して何を優先してきたのか。描き続けた風景は、「モダニズム」からはじまる理想的な都市であったはずだが、機能という概念に基づいて建築が構成されるときのつまらなさ。そのつまらない風景をつまらないものだという意識を「こういうものだ」と置き換えて、では、それがどうやったら生き返るのか。
自然と建築の関係。近代以降、都市環境の中で、完全に切り離されてきた自然環境似たいし、何ができるのか。それは、大きく見ると歴史的文化価値に繋がるかもしれない。けれども、今日劣悪と表現される都市は、こうした歴史的文化価値のあるものに対してではなく、その反対、合理性、機能性を一途に追求した経済的価値。自然環境もまた、同じく今日に至るまで、歴史的文化価値のあるものは残り、そうでないと判断されたものはたちまち消す。
いわゆるビルディングタイプとしての建築でないとして、始めに書いた問題意識を考えるならば、解体されてしまった場所に対する意識、認識に対しての何らかの回答を出していくことが必要だと思う。場所をつくる、場所を見つける。当たり前だと思う人は意見を!!
都市の境界
人工的に境界を作り出すのには、ゾーニングという方法がある。高層ビル街、住宅地区、商業地区、工業地区など土地利用で分けることが多い。そういった分け方には問題はないだろうか。ゾーンごとにイメージがなされ、そのイメージ通りに箱ものがつくられる。特に再開発地区やこれから埋め立てられる臨海地区は未だにそのようなゾーニングの手法により完成予想図が描かれている。その地区と地区の境界は大きな道路などで区切られ、冷たい関係になっている。ゾーニングされ、建てられたものは現実にあるわけで、その境界で何かアプローチはできないか。地区ごとの道路の構造や、人口の増減、どういった地区同士が隣り合っているか、人の流れ、など調査の対象となりそうだ。
統計ではなくてストーリーを共有する
共通テーマの一文目に衝撃を受けた。「新しい世紀を迎えた今、私たちは依然劣悪な都市環境の中にいる」実は、その劣悪な環境ですら把握せず課題に取り組もうとしているのではないかという、共通の問題意識から議論が始まる。大きくは、20世紀の建築が取りこぼしたことを発見し、展開していこうという認識のもと、提案のガイドラインとなる問題を定義することから始める。<居住><創造>のようなキーワードにそって問題をリサーチし、その問題と同じような状況を抱えた敷地をポートサイド地区から選択し、その土地特有の問題に掘り下げていくというストーリーでアーカイブを作っていくことになった。自分が持つユートピアを洗い出す感覚で、選択したキーワードですら、自らを疑う姿勢を持とういう話などが出る。
何を見立てるか
データを収集する際、自ら主体性を持って情報を選別するという理想にはほど遠く、手探りで自らの勘に頼らなければならない。情報は手にいれよう思えばいくらでも量は増える、また、それだけ情報の選別をする作業をこなさなければいけない。昨年のデータ収集のアーカイブを見たが、何もストーリーを持たず、個々が浮遊しているような状態で、何も頭に入ってこない。何を蓄積し、利用し、批評しようとしたのか跡形も片鱗も感じられない。ただ、形を整えるという行為すら乗り越えられない状況が意味する恐怖感だけが読後感として残った。個人的な意見だが、情報は自ら捻出することによって、その情報が持つ賞味期限や意味を持ち得るのではないかと思う。それは、足を運ぶことだと思う。確かに足を運ぶきっかけにづくりにはブラウザを利用しない手はない。
写真は、公団並木一丁目団地(金沢シーサイドタウン並木一丁目団地 槇文彦設計)の中にある東急スト駐車タワーより、奥に三菱重工、下水処理場。その手前に新都市交通とパラレルに続く斜面の緑道。足下が、広大な駐車場。スプロールの象徴的な風景とも言えるのでは。
何を発見するか
昨日の現地調査は雨の中ざっと中心から八景島まで移動してみた。横浜の街は海岸線に平行に地層のように重なり合っている感じがした。隣り合う地層同士はあまり干渉しあっていない。その境界線で何かがせめぎあっている感じもない。何か予定調和的におとなしく釣り合いを保っている。その境界は首都高速であったり、港の変遷によるものであったりする。まだ港の方へ向かって同じような方向で地層は堆積されている。しゅう曲したり地殻変動していたりしているところはないかな。くさびが入っているところとか。せめぎあわせる仕掛けを作ることはできないかと考えている。
都市的な大きな視点と現地調査からみえてくる発見をする。
横浜市のホームページは結構親切に詳しくデータなどものっていますね。
おもしろい土地
●都市の捉え方について
私は「都市」とよばれる範囲に全員の共通点または、今回の課題に関しての共通点があるとよいと思う。横浜という誰もが知っている都市に対しての提案なのか、それとももっと、地元に密着した話での都市ということなのか、両者によってかなりFWの仕方も変わってくると思う。
●おもしろいということはどういうことか
結局そこに変化を与えることは何か周辺で変化を起こすことになるから、その土地をたまたま見つけて、どうするのか考えていく際に周辺がコンテクストの少ない状況だとしたら、そこを選ばないのか、宮本佳明さんの環境ノイズエレメントの場合のようにたとえば芦屋川のプロジェクトでも、しゅうへんじゅうみんが無意識に感じているものは見えないものだし、おそらく関東に住んでいる人はそんなもの全く知りえない場所で都市の記憶の組み換えが、こうしたらおもしろくなるということや、こうやって捉えなおしたらおもしろくなると、言っていることと、最初からこのばしょがおもしろいと思ってさぎょうにとりかかるのでは違うだろうし。そこで、最初の●の都市のとらえかたが大事なのだと思う。
●FWにたいして
何か取っ掛かりのキーワードを上げてマトリックス分析をするのがいいと思う。先入観を抜きにして。