おたくの原風景

先日ヴェネチアに行ったが,その1週間後にヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展が始まった.今回の日本館のテーマは「おたく:人格=空間=都市」.コミッショナーは森川嘉一郎氏『趣都の誕生 萌える都市アキハバラ』の著者として知られる建築の研究者である.今回の展示は,「波状言論」05号,06号に,森川氏自身により詳細に紹介されており,大変に期待していたが,残念ながらタイミングが合わずに実際に見ることはできなかった.
展示の内容については,公式ホームページに詳しくあるので,ここには書かないが,その構成は細部に亘ってていねいに考えられており,森川氏のコンセプトを読む限りは,非常に興味深い展示になるはずだった.しかし,現時点ではあまりよい評判を聞くことはなく,むしろ展示部門の金獅子賞を受賞したSANAAの『金沢21世紀美術館』の話題が大きく取り上げられている.
過去3回のビエンナーレ日本館は,磯崎新氏をコミッショナーを務めており,1996年は阪神・淡路大震災から「亀裂」をテーマにして,宮本佳明氏が瓦礫を持ち込み,宮本隆司氏が写真を展示した.その際に石山修武氏も展示を行っており,森川氏は石山研の学生として関わっていたらしい.2000年には「少女都市」をテーマにして,できやよい氏の作品や妹島和世氏の展示構成,2002年には「漢字文化圏における建築言語の生成」をテーマに岡崎乾二郎氏の展示構成によって開催されてきた.「亀裂」では「金獅子賞」を受賞しているが,個人的には「漢字」が,岡崎氏の作品の延長として興味深いものであったのだが,残念ながらあまり話題にはならなかった.今回の「おたく」も,そのような末路を辿りそうな気がする.
そのカタログ『OTAKU』(幻冬舎)が輸入版として発売されたので読んでみた.これには,展示の核の1つである海洋堂のオリジナルフィギュア(新横浜ありなという美少女フィギュア)までオマケに付いている本格的なものだった.ここで書こうと思ったことは,実はビエンナーレ自身のことではなく,カタログの最初に掲載されている1枚の写真についてだった.
カタログの最初に(もちろん展示の最初にも)おたく空間を説明するために,宮崎勤被告の部屋の写真が使われている.1つの驚きは,このおたく空間が世に知られた最初のイメージが,彼の部屋であったという事実に気が付かされたことだった.よく考えてみると,当時おたくと呼べるような友人も何人かいたが,彼らの部屋を見たことがあるわけでもなかった.しかし,おたくの部屋はこのようなものだとイメージを持っていたことが,実は宮崎被告の部屋(おそらく,当時のニュースなどで繰り返し流されていたのだろうと思う)に端を発していたことに気付かされた.
もう1つの驚きというか,これは心配でもあるのだが,もちろんこのカタログにはイタリア語訳と英訳が付けられており,その写真キャプションの英訳には,「The room of TSUTOMU MIYAZAKI」と書かれ,その註釈として,参加作家の1人である斎藤環氏による「おたくのセクシュアリティ」という文章中に,「TSUTOMU MIYAZAKI for the serial murders of young girls」と書かれている.しかし,「young girls」だけでは,あの犯罪の特異なニュアンスは伝わらないだろう.宮崎被告が犯罪者として国際的にどのくらい知名度があるのか知らないが,おたくではない人たちにとっては,その背景を詳細に知る日本人と,そうではない海外の人たちの,おたく空間の原風景とも呼べるこの写真から受け取る印象は大きく異なるだろう.これは冗談だが,展示場所がヴェネチアだけに,このMIYAZAKIの部屋が,HAYAO MIYAZAKI氏の部屋と勘違いされないことを期待する.

建築 |Posted by satohshinya at February 10, 2005 07:17 AM | TrackBack(1)
Comments

27日の「新日曜美術館」で,この展示の特集あり.
http://www3.nhk.or.jp/omoban/main0227.html#05

Posted by: satohshinya at February 25, 2005 09:15 AM

秋葉原は、人を寄せる祝祭的な魅力があるのだろうか。
戦後のバラック街から、無線街、電気街、おたく街に変容した様相は、
建築や都市が変容したというよりも、
都市に人格が露出した結果の集積、純粋な表現の結果なんだと、再認識できた。
斎藤環氏の狂気ある表現を、おたく達が実践しているというニュアンスは、表現者としては、うらやましいモチベーション。
おたくが、知的な示唆を抱えている可能性を感じれる番組構成だった。
現在の秋葉原の開発は、最大規模を売りにしたヨドバシカメラや、高層ITセンター、高層マンションに代表されるような、
町並みを排除したい思惑と、電気街の復興と言った、過度な寵愛行為が交錯した開発となっている。
開発という言葉自体、再構築というより、排除したい。という背景を感じる言葉に成り上がっている気がするが、
ゲニウスロキ的な象徴性が、どう保たれるのか観察を続けたい場所なのは確かである。
恐らく、ハードの体力の問題から、秋葉原全体に開発の手がかかる予感がする。
そうすると、おたく街はどこへ移動するのだろう。神保町あたりに飛び火して繁殖しそうな感じがするけど(笑)

Posted by: simon at February 27, 2005 10:00 AM

写真美術館に行ってきました.感想は後ほど.開催は明日まで.

Posted by: satohshinya at March 12, 2005 09:57 PM
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