理想は何か。
「特異でありながらどこか魅力的な風景」
風景というものを描いてきてこのような単純明快な街になってしまったのか?という問いかけに対して、これが正しいという風景をいえないということを問題意識としてあげる。
何を無視して何を優先してきたのか。描き続けた風景は、「モダニズム」からはじまる理想的な都市であったはずだが、機能という概念に基づいて建築が構成されるときのつまらなさ。そのつまらない風景をつまらないものだという意識を「こういうものだ」と置き換えて、では、それがどうやったら生き返るのか。
自然と建築の関係。近代以降、都市環境の中で、完全に切り離されてきた自然環境似たいし、何ができるのか。それは、大きく見ると歴史的文化価値に繋がるかもしれない。けれども、今日劣悪と表現される都市は、こうした歴史的文化価値のあるものに対してではなく、その反対、合理性、機能性を一途に追求した経済的価値。自然環境もまた、同じく今日に至るまで、歴史的文化価値のあるものは残り、そうでないと判断されたものはたちまち消す。
いわゆるビルディングタイプとしての建築でないとして、始めに書いた問題意識を考えるならば、解体されてしまった場所に対する意識、認識に対しての何らかの回答を出していくことが必要だと思う。場所をつくる、場所を見つける。当たり前だと思う人は意見を!!
もう少し、具体的な規模で話をしてもらわないと、難しそうだね。単純にヨーロッパのようなものがよくて、日本がだめだということ?自分の中でお話をでっち上げるくらいしないと。
Posted by: simon at October 9, 2004 09:49 AMコミットメントしようとする規模が大きすぎますね。細かい言い回しまでつっこみませんが、やっぱり頭にすっと入ってこない文章ですよね。あくまで好意的に書きますが、歴史的(時間的)文脈が建築を考える上で介入していることは、大切だと思います。裏返せば、現代の批判だけで建築を作ることは、目指す物がそういう建築だといくことを理解して、やって欲しいですね。まぁ難しいことに立ち向かうことは必要な原動力だと思います。
Posted by: simon at November 11, 2004 02:33 PM