11月8日

13:00から、学校です。

横浜を一刀両断する話をでっち上げる

問題を抱えている(抱えそうな)状況、新しい状況を向かい入れる条件を仮定する。

横浜における、行政区分や業界などの「制度」にとらわれない、地図を作製する。

「横浜に対する仮説」
海港以来都心に従属する体型の中で宅地開発が進むものの、必要な公共施設(ゴミ処理場、火葬場など)の建設が後手に回った結果、猛烈な住民反対運動のメッカとなっている。その結果、住民参画のシステムは70年代に始まり、それなりの投資と議論をハコ物が内包している。したがって、ビルディングタイプが問題であることは、社会的には証明しにくい。その背反として、新しい状況を抱えようとしている断面を見つけることによって、横浜らしい状況を反映した建築をでっちあげる事が可能ではないか。

・会社、工場の流入流失による経済や人口の増減。本社移転,日産本社移転→21世紀型のソーシャルハウジングを考える(団地)
・SA(初期投資二億 ICの場合初期投資16億)全てが出入り口可能になる。SAの出口専用IC化→街の中心の偏在化を促す。駅前や城下町から同心円に広がる、富士山型の都市構造を利用して。
・新線や、廃線に伴う、空地や地価の増減。→街の中心の偏在化。高密度化。
・60年代70年代のまとまった公共施設の建て替え計画。統廃合計画。→コンバージョン。公共施設が抱える新しいビルディングタイプを提案。(幼稚園+老人ホーム+公民館など)
・土地の値上げを待っていたり、住人反対を受けて一旦停止している空地。→空地への調停案。もしくは、空地を借景とするプロジェクト。
・一概には、一人あたりの緑地面積のデータでは表れない線上緑地の効率さ。線上緑地の操作を提案。→高密度化する中で残る空地は小学校などが持つグラウンド。グラウンドを公共化して、効率のよいパークシステムを持つランドスケープを提案。グラウンドを持たない学校というビルディングタイプをまじめに考える。
・商店街がもつポテンシャル比較。空地、空き店舗。地域の特徴(大学が多い 工場団地など)
・バスのルート変更による効果。環状なものを横につなぐことによる新たなネットワークの形成など。
・稼働率の低い施設調べ。コンバージョン計画。
・街のエッジ調べ。境界を作ってしまっている状況やその問題点。
・公共や民間が投資している地域の状況を見る。アート,中心市街地の活性化に関する行政評価・監視結果に基づく勧告
・制度(法律)改正による機能転用。高度利用などの可能性。卸町まちづくりプロジェクト
・総合設計制度によって出来た空地の無駄さデータ  面積 使われ方
・都心居住の増加と郊外の減少による都市のコンパクト化の実態(郊外の統廃合 都心の足りない状況)
・市町村の合併に伴う公共施設消却と新築の動向
・住民反対が起こっている地域。住民自ら都市計画,行きすぎた規制緩和,米軍基地+700戸の軍用住宅,東横線の高島町と桜木町駅という二つの駅がなくなる,高速横浜環状道路建設問題(公明党とかが反対している),緑地が墓地へ,住民反対リンク集
・鉄道,幹線道路,高速道路,交通体型整備による概念距離マップ 最寄り駅まで15分到達。都心まで30分到達。

アーカイブの形式

このブログが、マックのインターネットエクスプローラに対応していないので、うまく使われていないようです。テーブルを囲む話し合いで漏れたことなどを確認できる場として使われればいいかと思っています。
もともと、リサーチのデータは、ブログという形式で共有できれば、去年の作品集のような検索できない、本という形式なのにストーリーがないという空洞をかかえずに。また、ブログという新しいルールにのることで意外な知識の接続などを期待していました。
先週の話し合いでは、横浜全体の情報を集めるということを求められていました。しかし、自分たちが分類できるカテゴリーで情報収集の範囲を狭めるのは、ネガティブな方法ではないかと。そこで、本という形式にするのだから、今回は、辞書のようなスタイルにして、検索できるようにし、一言言いたい系のキーワードをひとり十個くらい挙げてそれについてリサーチをするというのはどうでしょうか。そんな話をその場にいた人たちと話をしていました。
ETHなどもリサーチのデータを保存し閲覧できるようになっているようですし、今年のM1の作品本のように、ファイリング形式にすれば情報の付加や更新が引き継がれていいかもしれません。

あくまで、アーカイブという形式を決めることで、共有できる一定の目標として提案しているだけで、仮説に基づいて調査したり、予測と状況に合わせてアーカイブの形式という目標を変えていく。

横浜に関するblog

『ヨコハマ経済新聞』 Blog (β版)
ヨコハマ「都心部活性化研究」研究会最近更新が滞っているが、地域のことを考えている登場人物多数
コミュニティ ラボNPOなどのリンク多い

コミットする規模

建築家としてコミットするならば、建築を建てていかにメリットが見えるのかという主体性を前提にするのか。それすら打ち崩そうとするのか。一方で、プロジェクトが持つ恣意性として、流動的な,うつろいの可視化出来ない状況をでっち挙げて、建築は変わらないポーズをとるのはおもしろそうである。好意的に、去年のプロジェクトを見ると[ヒューズスケールをもてあましている横浜]ということがテーマなのか。代官山のハリランのような都市に対する参画の規模あるという話が出る。港湾部と建築部という制度レベルでの対立の構図もある。

縁(へり)

お台場、汐留、横浜・・・海に接する街は多い。それらの街の縁(へり)には何があるのか?正直行ったことがない。というよりも行けないという環境や状況があるのかもしれない。縁(へり)は街のズン止まりであり街のつくりかたを間違えると多くのポテンシャルを生かしきれぬまま死んだ空間が生まれかねない。縁(へり)というズン止まりの場所に対する調査を行い、何か提案まで持っていきたい。昨日、足を運んだみなとみらいの縁(へり)には人は当然のようにいなかった。しかしながら大さん橋のように海と近い感覚を持てる場所も横浜にはある。その差は何なのか。単純なことかもしれないが、みなとよこはまを名乗るならもっと親水性あふれる場所がたくさんあった方がいいじゃん、っていうよりなきゃダメじゃん。

理想は何か。

「特異でありながらどこか魅力的な風景」
風景というものを描いてきてこのような単純明快な街になってしまったのか?という問いかけに対して、これが正しいという風景をいえないということを問題意識としてあげる。
何を無視して何を優先してきたのか。描き続けた風景は、「モダニズム」からはじまる理想的な都市であったはずだが、機能という概念に基づいて建築が構成されるときのつまらなさ。そのつまらない風景をつまらないものだという意識を「こういうものだ」と置き換えて、では、それがどうやったら生き返るのか。
自然と建築の関係。近代以降、都市環境の中で、完全に切り離されてきた自然環境似たいし、何ができるのか。それは、大きく見ると歴史的文化価値に繋がるかもしれない。けれども、今日劣悪と表現される都市は、こうした歴史的文化価値のあるものに対してではなく、その反対、合理性、機能性を一途に追求した経済的価値。自然環境もまた、同じく今日に至るまで、歴史的文化価値のあるものは残り、そうでないと判断されたものはたちまち消す。
いわゆるビルディングタイプとしての建築でないとして、始めに書いた問題意識を考えるならば、解体されてしまった場所に対する意識、認識に対しての何らかの回答を出していくことが必要だと思う。場所をつくる、場所を見つける。当たり前だと思う人は意見を!!

都市の境界

人工的に境界を作り出すのには、ゾーニングという方法がある。高層ビル街、住宅地区、商業地区、工業地区など土地利用で分けることが多い。そういった分け方には問題はないだろうか。ゾーンごとにイメージがなされ、そのイメージ通りに箱ものがつくられる。特に再開発地区やこれから埋め立てられる臨海地区は未だにそのようなゾーニングの手法により完成予想図が描かれている。その地区と地区の境界は大きな道路などで区切られ、冷たい関係になっている。ゾーニングされ、建てられたものは現実にあるわけで、その境界で何かアプローチはできないか。地区ごとの道路の構造や、人口の増減、どういった地区同士が隣り合っているか、人の流れ、など調査の対象となりそうだ。

統計ではなくてストーリーを共有する

共通テーマの一文目に衝撃を受けた。「新しい世紀を迎えた今、私たちは依然劣悪な都市環境の中にいる」実は、その劣悪な環境ですら把握せず課題に取り組もうとしているのではないかという、共通の問題意識から議論が始まる。大きくは、20世紀の建築が取りこぼしたことを発見し、展開していこうという認識のもと、提案のガイドラインとなる問題を定義することから始める。<居住><創造>のようなキーワードにそって問題をリサーチし、その問題と同じような状況を抱えた敷地をポートサイド地区から選択し、その土地特有の問題に掘り下げていくというストーリーでアーカイブを作っていくことになった。自分が持つユートピアを洗い出す感覚で、選択したキーワードですら、自らを疑う姿勢を持とういう話などが出る。

何を見立てるか

データを収集する際、自ら主体性を持って情報を選別するという理想にはほど遠く、手探りで自らの勘に頼らなければならない。情報は手にいれよう思えばいくらでも量は増える、また、それだけ情報の選別をする作業をこなさなければいけない。昨年のデータ収集のアーカイブを見たが、何もストーリーを持たず、個々が浮遊しているような状態で、何も頭に入ってこない。何を蓄積し、利用し、批評しようとしたのか跡形も片鱗も感じられない。ただ、形を整えるという行為すら乗り越えられない状況が意味する恐怖感だけが読後感として残った。個人的な意見だが、情報は自ら捻出することによって、その情報が持つ賞味期限や意味を持ち得るのではないかと思う。それは、足を運ぶことだと思う。確かに足を運ぶきっかけにづくりにはブラウザを利用しない手はない。
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写真は、公団並木一丁目団地(金沢シーサイドタウン並木一丁目団地 槇文彦設計)の中にある東急スト駐車タワーより、奥に三菱重工、下水処理場。その手前に新都市交通とパラレルに続く斜面の緑道。足下が、広大な駐車場。スプロールの象徴的な風景とも言えるのでは。

団地の切れ目の北の方に槇文彦設計の市立並木第一小学校、南にALCOM設計の第2小学校がある。

何を発見するか

昨日の現地調査は雨の中ざっと中心から八景島まで移動してみた。横浜の街は海岸線に平行に地層のように重なり合っている感じがした。隣り合う地層同士はあまり干渉しあっていない。その境界線で何かがせめぎあっている感じもない。何か予定調和的におとなしく釣り合いを保っている。その境界は首都高速であったり、港の変遷によるものであったりする。まだ港の方へ向かって同じような方向で地層は堆積されている。しゅう曲したり地殻変動していたりしているところはないかな。くさびが入っているところとか。せめぎあわせる仕掛けを作ることはできないかと考えている。
都市的な大きな視点と現地調査からみえてくる発見をする。
横浜市のホームページは結構親切に詳しくデータなどものっていますね。

おもしろい土地

●都市の捉え方について
私は「都市」とよばれる範囲に全員の共通点または、今回の課題に関しての共通点があるとよいと思う。横浜という誰もが知っている都市に対しての提案なのか、それとももっと、地元に密着した話での都市ということなのか、両者によってかなりFWの仕方も変わってくると思う。
●おもしろいということはどういうことか
結局そこに変化を与えることは何か周辺で変化を起こすことになるから、その土地をたまたま見つけて、どうするのか考えていく際に周辺がコンテクストの少ない状況だとしたら、そこを選ばないのか、宮本佳明さんの環境ノイズエレメントの場合のようにたとえば芦屋川のプロジェクトでも、しゅうへんじゅうみんが無意識に感じているものは見えないものだし、おそらく関東に住んでいる人はそんなもの全く知りえない場所で都市の記憶の組み換えが、こうしたらおもしろくなるということや、こうやって捉えなおしたらおもしろくなると、言っていることと、最初からこのばしょがおもしろいと思ってさぎょうにとりかかるのでは違うだろうし。そこで、最初の●の都市のとらえかたが大事なのだと思う。
●FWにたいして
何か取っ掛かりのキーワードを上げてマトリックス分析をするのがいいと思う。先入観を抜きにして。

顔合わせ

飯田善彦  mail  IIDA ARCHISHIP STUDIO
石井秀明  mail  高宮研究室
岩崎大祐  mail  高宮研究室
大前多恵子 mail  高宮研究室
小田剛嗣  mail  横河研究室
福山誠人  mail  若色研究室
奈良賢史  mail  今村研究室
二瓶士門  mail  高宮研究室