顕在化した不和

とりあえず、おつかれさまでした。所感を二つ。
・ハーバードでのレムや、ヘルツォークのアーバンリサーチは、なんだか興味あるが、実際どーなの的な感覚があった。しかし、今まで経験したことがないくらいの量の資料を共有し、目を通し、観察する事で、リサーチをする醍醐味が少し分かった気がする。建築が効かない。形骸化したマスタープランという概念。ランドマークが持つ可能性。などの所感を持つことが出来た。建築に関わっていく中で何が、楽しいのだろうか。ということは、ずっと考えている。その中のひとつに、いかに現代の社会に入り込んでいくか。というスタンスがあると思う。今回の三ヶ月を通して、建築家が都市に参与することに意味が見いだせるのではと、僕個人的には、確信にかわりつつある。
・三ヶ月そこそこでリサーチやって、建築単体のデザインまで到達するのは困難。現場の状況を全く把握していないか、黙認している。学生がやっているリサーチに意味という構造は存在しない。創意ある判然としたアイデアに辿りつき、そのアイデアを徹底し、充実させていく。クリティカルな視点からシフトさせたい方へ、エネルギーを注ぎ、そこで建築というかたちに置き換えて、顕在化をさせるには、あまりにインスタントな期間だ。教育機関として人を育てるというスタンスの中、何が可能なのか。僕のアイデアとしては、前後期一貫でやればいい。前期をリサーチに当てる。リサーチと言ったって、今回僕らが発表した状態くらいがリサーチの到達点で、リサーチした情報を蓄積して共有できるようなアーカイブも成果品に必要だと思う。今回、ブログを使って挑戦しようとはしたが…。(可能性はあると思う。だから、修士設計でtkmy研のM2でやろうと思っている)。その後、デザインにエネルギーを注ぎ、魅力的にみえるように肉付けをしていく。大学がリサーチに本腰を入れる事が必要。スタジオの先生もピンではなく、大学院を担当している先生たちで相互に批評できるような雰囲気を、普段のエスキスでも実践していただきたい。なにせ、今の学生は実践的なコミュニケーションをせずに、設計が出来ると勘違いしている。全く盛り上がらない。きわめてドライに、作業をこなしているだけだ。