コミットする規模

建築家としてコミットするならば、建築を建てていかにメリットが見えるのかという主体性を前提にするのか。それすら打ち崩そうとするのか。一方で、プロジェクトが持つ恣意性として、流動的な,うつろいの可視化出来ない状況をでっち挙げて、建築は変わらないポーズをとるのはおもしろそうである。好意的に、去年のプロジェクトを見ると[ヒューズスケールをもてあましている横浜]ということがテーマなのか。代官山のハリランのような都市に対する参画の規模あるという話が出る。港湾部と建築部という制度レベルでの対立の構図もある。