なぜ人口は減り始めたのか?

始めて男性の人口が減る
ngym_school.jpg

いままで当然増加していた街から、人が引き始める反動となった原因を知りたい。まずは原因と結果の関係を、手段と目的の関係に置き換えることで問題解決の方法をさぐってみるもの。多摩NTは国策という使命のもと生まれたと言って過言ではない。その重みは社会学、建築学、都市計画学、民間のシンクタンク。それらの分析や言及の量からだけでも十分に察することができる。しかし、どれも人口減少の理由に挙げているのは、ステレオタイプのご託と言わざる得ない。狭隘・老朽化。モータリゼーションによる近隣センターの衰退。高齢者施設の不在。加齢に対応していないバリア。どれも多摩NTの特異性に触れず、どこの街でも起こっていそうな問題ばかりである。

おそらく、個別に対応しても、NTの構造を奮わせるせるようなことには成らないだろうという勘を働かせ。ハワードの近隣住区論を読みかえて構成した街の構造が破綻している。という仮説をたててみる。住区論にもとづき構成された近代的な街並みは始め人気が高く、うまくいっていた。変容をもたらしたのは、自家用車の普及と言えるのではないだろうか。当初は、ホワイトカラーの人々が終電間際に襲来し、闇タクでなんとか家にたどりついたというような時代の中で、NT作りは始まっている。自然との近接というコンセプトのもと容積率は50%まで抑えられ、団地と団地の間の緑地は子供の遊び場になっていた。次第に、足の不便を改善したい欲求が高まり、高度経済に支えられた所得の増加という社会の波にのって、一家に一台という時代が到来し、団地と団地の間はすべて駐車場へ変容し、駅まで自家用車で送り迎えするのが当たり前になっていった。ここからは、想像通り、車に目をつけたターミナル型の大型店舗の成功によって、近隣センターの衰退が始まり、車が扱えないと生活が充足できない街へ成り行きで変容し、住区論の夢はくずれた。この例はネガティブな変容ではあるが、そういう簡単なきっかけにのって街の構造を同時にかえていくというのがいいな。

車が扱えないと生活が充足できない街というのは、街に適応できる生活者の選択肢をせばめている。改善する余地がある。車を使わなくても生活が出来る。すなわち、歩いて生活出来るようになるには、効率的な「密度」によって解決できないだろうか。この仮説を解いていく具体的なパーツをまずは探す。現在、狭隘と老朽化にともない具体的な動きとなっている永山駅前の諏訪二丁目団地の建て替え計画が挙げられる。そこで「一団地規制を解体し、容積率を150%まであげ、土地を余剰させコストを捻出する」ということが決まっている。これから想定可能なのは駅前に三倍の人が住めるようになること。狭隘と老朽化に伴う建て替えによって、同じ土地に密度を獲得することができる。NTは、同時に造られていることから、同じ問題を地域全体で抱えており、建て替えの促進につながる。駅前の6.4haに三倍の人が住めるようになれば、現在の地域面積は三分の一で事足りることになる。建て替えというきっかけによって、街に効率的な密度をもたらし、同時に街の骨格をかえていくことは可能ではないだろうか。

一旦街を縮小し、同時に近隣住区論によりそった街の骨格を解体する。こういうテンションでいきたい。

修士設計 | Posted by simon at August 1, 2005 11:02 | Comments (0) | TrackBack (0)

都市的な快楽を顕在化した建築

ito_tama.jpg

ニュータウンに漂う均質な空気の、反動となるようなプログラムを抱え込んだ施設。

多摩に何を期待しているのか。
どこから引き金をひいても、問題が複雑すぎて、自分の思惑だけでは、単調な情報整理を突き抜けにくいという、課題をこなすなかでの経験から、今回は問題を整理しやすい場所によりかかりたいと思った。
そこで、ニュータウンと呼ばれるような都市計画学的に優等生である、構造が単純化されている街で、分かりやすく分析したいという、きっかけに乗ることにした。
20世紀の右肩上がりの成長から発生した、国家や企業と個人の間にある隔たりをうめていくこと(うめたことで、主体がひっくりかえってもいいという夢)が、現代的で包括的なテーマになるはず。
人口や経済の縮小や、エコロジーなど、今までの創意が否定されかねない大きな問題の中で、夢のある快楽に浸ることが悦びであることは変わらない。
僕の興味は、特定した場所を持たないネットワーク型コミュニティ(NPOやサークル、町内会、ボランティア、時には家族)。国家と個人の隔たりを顕在化させることにあるようだ。
多摩NTでは、都や公団(現 UR都市機構)と、もはや35年経ち新住民を超えた住人との間の存在がプロジェクトの主体になりそうだ。

場所:多摩市永山
用途:商業施設
竣工:92年12月
設計:八代市立博物館と同じ

修士設計 | Posted by simon at July 15, 2005 9:57 | Comments (2) | TrackBack (0)

多摩ニュータウンで何が可能か

場所
南西を向いて撮影

個人的な事情ではあるが、修士設計の対象を多摩NTとしている。税金による穴埋め問題からもわかるように、人口と経済の増大という前提が崩れ、つじつま合わせがうまくないのは確かなようだ。初期の開発地域における人口の減少、小学校の閉鎖、写真のような近隣センターの衰退。といった話題がNTに暗い影を落としている。当然、地価上昇による利益が見込めない昨今、事業主体である都や公団は、既に新規事業を停止している。今日的な問題として、人口の減少と少子高齢化が叫ばれ、人口と経済の縮小という前提での新たな近代化を歩まなくてはならない。さてどうする。打つ手はないのか。

上記の写真は、日常の中の狂気たりえているだろうか。右に傾いて見える鉄塔。すぱっと切り取られたようにみえる左奥の団地。形態は違えど、均等配置に見える奥の三つの団地。異様に際だって見える化粧品の看板。妙に小さく見える人。種明かしをする。合成はしていない。わずかに右回転しているだけ。写っている近隣センターというのは、用意された一番小さい単位の商店街。一番大きいのが多摩センター。100haと広範に展開する住区の中で、徒歩で日常生活の充足をはかる目的でつくられた。写真の手前の諏訪住区と奥の永山住区をブリッジでつなぎ、谷を走る道路をまたいでいる。地形を利用して、歩車分離が図られている。ヒルベルザイマーの垂直都市のようだ。

丘陵地を削りだして出来た多摩NTは、幹線道路や鉄道が走る谷間を軸とした、21の住区をリニアに並べた形式となっている。都心に近い西部の住区から開発が行われ、71年に入居を始めている。初期設定ではベッドタウン(BedroomTown)として計画されたものの、現在まで段階的に開発した結果、時代の潮流を受け、計画を変更しながら行っている経緯がある。

バリエーション豊かな形態から、均質化への抵抗(もしくは努力)がみれる。
北を向いて撮影北東を見上げて撮影
北東を見下げて撮影
これらの団地は、開発の旗手となった永山住区のものだ。写真にうつるものは、EV塔がついていたり、10層以上であったり、ハイツと呼ばれる家型のものであったりする。住区の中では新しいタイプである。

修士設計 | Posted by simon at June 13, 2005 2:39 | Comments (0) | TrackBack (0)