Safariが落ちる

Safariが最近よく落ちる。重要な作業中にとんだり、ほかのアプリとキャッシュの奪い合いするなどタチ悪し。Firefoxに乗り換えようかと思ったがインターフェイスいけてない。そこで、おもいきって初期化したが、変わらず。対処方法を見つけた。

Apple Support Discussions - SAFARIが落ちやすいより

起動ディスク>User>Username>Library>Preferences>com.apple.quicktime.plugin.preferences.plistを削除する。
この初期設定ファイルは、突然作られることもあるので、調子が悪くなったらチェック。突然に付き合っていくほど愛想がいいのは、今だけだー!。なんて、言ってみたい(笑)

趣味, apple | at Dec 20, 2004 | Comments (5) | TrackBacks (0)

ビッグネスが生んだ建築

MoMA04.gif

今日は、私の師である高宮先生が、MoMAのレクチャをされました。実際に見ていないので、あれこれ言いたくないんですが、建築を取り囲む話題がとても豊富な建築なので、感じたことを整理するのもいいかもしれない。ビッグネスが生んだ建築と言ってしまうと当の建築家はあまりうれしい気分になれないだろうか。それと、MoMAが持つクレバーさが、谷口建築事務所がもつ建築に対するスタンスと、非常に近いと思いました。プレゼンテーションは、まずMoMAの歴史から始まります。そこで、まずMoMAのクレバーさを知る。オープン前に実写がメディアに出ないことからもわかるように、全てが戦略をもっている。35年にJJPアウト、グロピウス、コルビジェ、ミース、FLライトに、初館設計のための白羽の矢がたつ。僕が思うにこれは、世に対するポーズだったと思う。結局五人とも辞退する運びになり、五人に比べれば、名の知れていないPhilip L. GoodwinとEdward Durell Stoneが、1939年に設計する。今回も、NYでそれほど知られていない、谷口が選ばれたんだと納得させられる。あと、有名な戦略としては、インターナショナルスタイルを、Pジョンソンとヒッチコックが企てたこともその一つ。Pジョンソンはまだ生きているそう(05'1/25に98才で亡くなりました)で、現在もMoMAと関わり合いがあり、今回のアディション(増築を含めた建築の再構築)にも少なからず関係されているというお話でした。谷口事務所が唯一コンペに出し、しかも獲得したという話はあまりにも有名ですが、コンペティションは一つのアイデアで決まってしまい実際建つ建築が良いかは全く別物という、建築に対する想いからの行動であって、今回も辞退するつもりで、ポストへ投函するぎりぎりまで行ったと。これまた納得させられる。(誰が。コンペの辞退を止めたのか? それは、谷口さんがハーバードでお世話になった師だそうです) うますぎる?いや、この仕事をやれば、このくらい言えるでしょう。言いきって欲しいとオーディエンスも思っている。豊富な図面や写真を用いて、charetteから、conceptdesign、designdevelopmentの流れの中で、こだわったNYに建つ美術館ということに聞き入り、それは楽しい時間だった。さいごに、宮本亜門がこけにされたなんてニュースも最近ありましたが、MoMAは、あのNYtimesが絶賛だったようです。それはなぜか?。氏の言葉を借りると、アメリカが持つプラグマティズムと、MoMAの戦略、今、アメリカに新しい建築があまりないという事がそうさせたのではないかと言うことでした。

*写真は、2004年1月時点の写真です。

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建築 | at Dec 19, 2004 | Comments (4) | TrackBacks (4)

楽しい建築

ローザンヌEPFL大学習センターコンペ勝ったSANAA
seji.gif

原広司と大江健三郎の講演会に行けた人が少なかったようですね。社会人には厳しい時間だったが学生はどうだ?。ディスクリートの概念は、新しい社会(建築)を示唆するものになるのか。新建築12月号月評にnks architectsが「(〜)金沢21世紀美術館の建築自体を簡単に真似などできないが、この建物の空間構成のあり方を別の建物に移植することは比較的容易である。適度なバリエーションを持つ個々のパーツがヒエラルキーなく集合し、パーツの隙間に都市空間のような隙間をもつ構成。これは、現代の独立した個人と社会の関係に似ている。(〜)長谷川祐子さんは双方向、参加型、共同型の共創という価値観を示しているが、これは現代のリベラルな民主主義理念にも繋がる。(〜)」というような事を書いている。共振作用がどういう回路で増幅するか。興味深い時機に突入したに違いない。と僕の感性は頷いている。難解な概念をひっさげ、制度的な立場で社会を支配しているというスタンスが建築家なんだーとか。思っていた時期、せじまさんのボキャブラリーには、感心させられることがあった。とにかくわかりやすい。建築の内部に入っていない学生には、むちゃくちゃわかる。それは、市民レベルで共感できることを指す。新建築の1月号において、伊東豊雄が、近代建築のボキャブラリーを洗練させることが目的の建築を作っているだけだと、現在の建築の立場を一蹴している。氏はそこで、楽しい建築を作りたいと言っている。ふむふむ。機能的なものが美しいのは正しいし。社会(ここでは、自治体という制度)を批判することも正しい。建築をつくる目的が間違っていたと。僕はコンペティションをめぐる憂鬱で議論した中に潜む、淀んでいて掴みきれない建築をつくる目的が、楽しい建築につながってくるような気がしている。(あのときの議論は、建築に立ち向かう戦略の中でコンペをどう利用するかという事が内的な中心だった。議論を明確にするためにコンペ的な思考に立ち向かうという、表層を持っていた。) 
建築はわからないけど、すばらしいと思える建築が実際にある。この矛盾を打ち崩し、自分を切り開くために、建築が好きだ。(好きだと思いこませるくらいじゃないと建築はやめた方がいいと思っている。)という前提を抱え込み、私的なきっかけから生まれる具体的なアイデアがあって、前衛的な構造が見え隠れしていないか、既存が持つ上位下位を壊せやしないかという視座を持つスタンスが、自分に素直になる自分にうそをつかない境地の中で、どういう規模で自分が自分以外にコミットできるか。そんなことを思わせてくれる写真だ(笑)

建築 | at Dec 17, 2004 | Comments (6) | TrackBacks (0)

javaでランダムに画像を表示

takamiya studio|BLOGページの構築はまぁ落ち着いたので、個人ページを充実させていこうと思います。simonページは、リロードするとauthorのところの写真がランダムに表示されるようにしました。

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blog | at Dec 17, 2004 | TrackBacks (0)

デザインする態度

arasan.gif

ギャラリー間が主催した大江健三郎と原広司の講演会を聞いた。ちらしを見ると大江さんの事が書いてないので入稿後に決まったんだろう。来年、大江さんは70才。その機会に前日、海外メディアの取材を受けたそうです。日本の人は誰も祝ってくれていない。なんて笑いをとっていましたが、そこで、五冊。今日的な話題の本を挙げて下さいという話があったそうで、(30カ国語にも訳されている)「集落の教え:彰国社」を推したそうです。それほど、原さんとは親睦が深く、互いに知的な示唆を与える立場だと言うことが会話の中からも滲んでいました。また、メディアに対してdiscreteってわかるか?ということを会話したらしく、同じ発音のdiscreetは、分別のある、慎重、控えめな、目立たない。というように原さんとは正反対の意味を持っているっ。てな話でまた会場に華が咲く。続けて、縦を切った、横に繋がった民主主義の話とか、政治学者の丸山眞男さんが次の展開として全ての個人が自律している必要があるという、それはアナーキーな状態を生むのではないかという議論の展開がある例えを出し、大江さんの意見としてその次の民主主義として東京に、ディスクリートな10の社会があるとそれらの共存関係はどうなるかと聞いたら。原さんがファシズムを認める概念なんだなんて事を言って、大江さんが共感出来ないとか(語弊があるといけないので補足すると、彼曰く長い時間の中の一つの断面としてファシズム的な現象もありえるということを言いたかったらしい、ディスクリートな現象は長いスパンの中で展開しないと意味が無いなんて事を言いたかったようだ)。戦後食べたケチャップは民主主義の味がしたなど楽しい話題が次々と展開する。最後に、原さんがトイレへうろうろしているとき、大江さんが一人でディスクリートの事について話をまとめる方向へ、今年は二つのドアが印象的な年だったということにしようじゃないか。ひとつはお金をたくさん持っている、なんとかドア(livedoor)が、球団を買おうとしたこと。もう一つは、コネクタビリティとセパラビリティが共存しているディスクリートの概念を持って、未来のドアを開けようとしている、あまりお金を持っていない原さん。ね。(従前なる概念のひとつの具体性として、ドアが限度のある多様な連結可能性を開くという話が前にあって)最後にどっと沸く。当然原さんは苦笑。スライドはたくさん用意してあっただろうに、建築の具体的な話はとんとなかった。空間の現象で話す言葉と論理を用意することが自分のライフワークと語る一人の建築家が、概念はオープンソース的なものだということを、なんども言っていて、その概念によって具体的なものとなった建築を語ろうとせず、思考が介在するひとつの概念にすぎないんだということを全体として言っていた気がする。建築を言葉で覆い尽くすスペシャリストなんていないし、言葉のない建築なんてものも存在しない。建築を建てるという行為が、人を動かす概念を示唆出来る美学なんてものがあるんだと強く訴えられた二時間半でした。

建築 | at Dec 16, 2004 | Comments (5) | TrackBacks (1)

図書館@金沢

玉川図書館フォトコンテスト参加
tmgwjoint.gif
読売新聞によると、たばこ工場を再生した近代史料館[別館]と、[本館]の二つで金沢市立玉川図書館になっている。ともに谷口事務所監修。異種の建築をつなぐ部分というのは、建築を見るときの醍醐味の一つだと思うのだけど、これは見た目もいけている。再生というと、ギブスっぽいビジュアルが目につくんだけど好きな感覚。構造的に連結しているかまでは、分からなかったが、動線は連結しているようだ。実は、月曜日に行ったので中に入れていない。

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建築 | at Dec 15, 2004 | TrackBacks (0)

ランダムに写真を貼り込む

投稿数が増えてきた人の過去のページビュー機会を増やす目的と、労力がかからずオートマティックでシンプルなシステムを使って見た目の華になるように、プラグインPhotoGalleryを使って個人ページのサイドバーにあるauthorの下に、各archivesディレクトリにアップしてある写真がランダムに表示されるようにしました。ランダムと言いましても、エントリーを投稿した時など、サイトが再構築されるタイミングで写真が変わります。画像のアップの仕方が人によってまちまちなので、アップする時にディレクトリを作らずに突っ込んでいるものが、どういう症状を起こすか経過を見たいと思います。現在確認されている小さなトラブルは、エントリーにアップするつもりだったもので、リンクしていないものも表示されてしまう。まぁ忘れていたなんてこともあるかもしれないけど(笑)。

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blog | at Dec 15, 2004 | TrackBacks (0)

窓ふき

京都駅とシアトル中央図書館
KYTsouzi1.gif
メンテナンスの視点で建築を見ると、たまにおもしろい発見がある。ものとしてのサスティナビリティをまじめに考えると、自分がつくりたい建築を妄想しながら、こんな風景もを浮かべてしまう私。高所が苦手なので見ているだけで十分ですが(笑)

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建築 | at Dec 15, 2004 | TrackBacks (1)

ゆとりのある風景

THE HOTEL付近
TRCH.gif
Luzernのジャンが改修したホテルの近くの公園で。
病んだエントリーが乱立したので、立て直しのためと写真の整理ついでに、いろいろ行ったところの写真をたまにウプ。ぷっ。と吹き出してしまいそうなスケールの駒(馬?)がどこから出てきたかは確認出来なかったが、日常的に行われていることを、石敷きの碁盤目が語っている。

遺構 | at Dec 10, 2004 | TrackBacks (0)

楽しいblog

かりか
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こんなblogもある(記事)らしい。あんまり筆の進まないasaminとかこんな感じでやればいいのに。まぁはっきりいって、このふたりの方がかわいいけど(爆笑)。さきっちょさんは卒論を書いている真っ最中のようだ。blogを提供しているISPでもっとも人気があるのはlivedoorもの。そこのアクセス数で堀江社長に次ぐカウンタをはじく事もあるらしい。実名写真付きで発言する勇気もたいしたものだと思う。掲載するときのエピソードを読むと、匿名が生む情報社会のネガティブな混沌さをさわやかに抜き出た感じがよい。tkmy.net内にはすでに20近くのblogが乱立している。どうせやるならと思うのだけど。ちなみに、同じサーバー内で複数のブログを運営することをマルチブログというそうだが、あんまりみたことない。今は亡き?gumoblogを思い出しながらつくったよ。書くきっかけなんてなんでもいいと思うんだけど。人をさわやかな気分にさせるとか。その人の感性が露出しているものは、芯が通っていて多少雑でも、気分はいい。それよりさきっちょさんとはぁちゅうさんはクリスマスまでに彼氏ができるのだろうか。毎日クリッククリック♪。さきっちょの妹ゆきっちょもかわいい。あみちゃんの妹も見てみたい。顔は一緒でわんぱくらしい。

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blog | at Dec 9, 2004 | TrackBacks (0)

SPAM対策プラグインを導入

一日250件近く来られる激しいスパム攻撃をかわすために、いくつかの網をかけているのですが、それでもくぐり抜ける強靱なスパムもおられるので、より強制力のある対抗策を発見。数日前から試験的に、コメントSPAM対策プラグインを導入しました。mt-spamstop:downloadこのプラグインを導入すると、アンカータグ< a >を含むコメントをブロックします。コメントにURLは貼れますが、< a >タグは使えないようになっています。

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blog | at Dec 8, 2004 | TrackBacks (0)

都市と住居をつなげてみる

牟礼
MURE.gif

不穏な空。大地に参加する墓。崩れないように積み重なる石。奥へのびる道。浅い家型の家々。粒の細かい土色。車。それらがまとまった三色に見えるボーダーの構図の写真。感性の露出していないblogへの警鐘が届かない昨今。徹底抗戦するか。大川先生が最近、象の富田玲子さんの家に行かれたらしい。なんとM1住まい。藤森邸は、すでにないと聞いていたのでぜひ見てみたい。富田邸を見て、ここまでと言わしめるまで使いこなしている。という話を聞くと、ぽ建築は、M1が持つ構造と比べて、大げさな視座の上に立とうとしていない。建築という技術を世の中で使えるところにあてがっていこう。建築という規模を裁量する中に見いだす感性をあてがっていこう。という、ところなのだろうか。否定的に書いているが、どちらかというと教祖的なシンボル性が気になって書いている。稲垣栄三の朝日新聞に載っているコラムに、座敷の喪失は手作りの創造的な儀礼や祝賀の機会を住居から奪い、住居における祝祭と呼応した高揚が、リズムとなって都市の祝祭的な賑わいに繋がっていたと指摘している。おもしろい。建築と言うまでも住居に対する愛着行為が、住まいの中のヒエラルキーを伴う中で、座敷に物を置かないドメスティックランドスケープをつくりだしていた。そのコラムの始めに、「近頃の平均的な都市住宅は、居間 食堂 台所を中心として、六畳程度の広さをもつ個室がいくつか付属するという形にほぼ定着したかのように見える(〜)ひとまず快適な生活を送る条件が整う。その上で多くの家庭用電化製品、家具そのほかさまざまのモノが配置され、部屋の機能と利便性が一層明快に発揮される。住居におけるモノの氾濫は最近の住居で無視できない傾向であって、生活空間は建築によって与えられるよりモノの種類と配置によって決定されているといっても過言ではあるまい」と書いている。どこかで聞いたことあるフレーズだが、煮え切らないユニオンのコンペ案を見ながら、んー。機能的な欲求から生まれたものを整理することよりも、かつての住居が持つ祝祭性を壊したような、社会の大きな枠組みを変えられる提案が出来ないかと思ってしまう。今、M1のような箱の家をつくっても、モダンなように見えるモノがいいとされている風潮にのってしまうだけで、室内風景は良くならないし、案を見ていると室内風景をつくることが前倒しで、住んでみたいというのとは話が違う。元倉さんのを見ると象徴的にはめているだけ話が違う、コストも高い。愛着があれば→モノが整理されるという単純な図式でもないし。空間を作り込んでいく→愛着を持つというのも、建築の規模を規定してしまう気がする。課題で、創造的な手作りの祝祭性が取り扱える規模の建築を提案したいのかもしれない。都市と住居の空間を繋げて考えるのは楽しい。

建築 | at Dec 7, 2004 | Comments (7) | TrackBacks (0)

美術館は茶碗らしい

GDC.gif

ゴジラはその時々の社会性を反映させながら、ゴジラというシンボルに置き換えられるかたちで戦後の高度成長に群がる人々を風刺する様で登場した。一時休眠したゴジラも冷戦期に復活し、グローバリゼーションへ向かう中で生まれた二極構造を批判し、またその眠りに入るようだ。きっと、また社会が歪み始めると眠りから覚めるのだろうと思っている。映画というジャンルの中で社会的な批判を含みながらシンボルの姿だけ変わらずに、いつづける様相は建築にも言える。建築は、ある一定のかたちを留めながら、時代性を吸収していく。冗長性が低いものは、どんどん淘汰されていく。だれも知らない渋谷と代官山の中間地点にあるGDCのオーナーが出しているお店で飲んでいるのだけど。ぽ氏を見ていて、建築家が同じ姿でいつつづける様相は、建築の姿だけに留めていて欲しい。言葉はその時々のおかれている環境を見極めていく中で、どんどん変わり続けていかないと、自分の中でも新しい方へ向かわせるきっかけを失っているのではないかと。疑いの念すら感じてしまった。きっとそうではないだろうと思うけれど。(オーディエンスは学部生がほとんどいう事実があるものの)四季の桜は完全な改修のようだ。飲んでいるとき、ドーナツで批評性が持てたのかみたいな話を僕に対しても言われたが、あれは建築家としてどういうアイデアを実践しようとしていたのか僕には写真と言葉からは読み取れなかった。もっと集中して聞いていればその時つっこめただろうと悔やまれる。なにせ、建築家が言っていることは正しいなんて勘違いしている従順な学生の目を覚まさせるには絶好の機会だったし、つぶらや氏が少し模型が曲がっているだけで美術スタッフに叱咤していたなんて話をきいていると、狂気ある感性を羨ましくも思ってしまう。美術館は茶碗なんて書かれてみたいものだ。僕のことを直感に頼っていると見抜けていない人は、きっと思考のループが閉じているんじゃないかと言ってみたり。(笑) 始めて合う人といきなり飲むときが一番感性がポジティブにフル動員されてて、いつも楽しく飲めているのは運がいいからなんだろか。次はクリスマスパーティーですね。

日記, film | at Dec 5, 2004 | TrackBacks (0)

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