京都国立博物館 平成知新館

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京都国立博物館 平成知新館(2014)谷口吉生

昨年に開館したばかりの「京都国立博物館 平成知新館」へ。1998年にコンペで選ばれて以来、16年を経てようやく開館した。「東京国立博物館 法隆寺宝物館」(1999)の構成と同様に、開口部を持たない展示空間をオープンな共用部で包み込んでいる。
展示室については、法隆寺宝物館が単純な2層構成であったことに比べ、平成知新館はスキップフロアとも呼べる入れ子状の空間構成になっていて、展示品を上から見下ろすことができる。1階には大型の彫刻が展示されており、展示室の天井高、大きさともに迫力があるのだが、2階は絵巻や仏画などが展示されているため、ほとんどが壁面のガラスケースによる展示であり、実際には2層吹き抜けはオーバー。それでも短手中央に集約された動線を介して、さまざまな展示室が顔を覗かせる構成は単純ながらおもしろい。また、法隆寺宝物館では階段が展示室外に押し出されていたが、ここでは階段も展示室内に納められており、上下しながら展示室を眺める視点が得られていることも評価できる。しかし、サインが中途半端であることも原因だが、動線がわかりにくい。展示室外にもう1つ階段があり(EVは展示室外のみ)、毎回展示室を出て展示室外の階段で上下するべきか、展示室内の階段を使うべきかがわからない。もちろん、どちらでもよいのだが、展示品を鑑賞するという体験を考えると、この両者は大きく異なる。また、展示品の保護を考えると仕方がないのかもしれないが、展示室内が異様に暗い。作品鑑賞上も暗いほうが集中できるのかもしれないが、展示室全体の雰囲気を考えると、もう少し異なったアプローチはないのだろうか。
一方で、疑問を感じたのは展示室外の共用部。特に庭に面したホール部分。いったい何のためにこんな巨大な空間があるのだろうか。例えば、同じ谷口の「豊田市美術館」(1995)では、同様なホール部分にホルツァーとコスースの作品が常設されていることにより、しっかりと役割を持った魅力的な展示空間となっている。しかし、平成知新館ではベンチが数台置いてあるだけで、ほとんど具体的な機能を持たない「空間」だけがある(もちろん、庭を眺めるという機能はあるけれど)。設計者はどのように思うか知らないけれど、いっそのことこの空間も、展示やイベントなどに積極的に使っていければよいと思う。例えば、博物館の展示品と関連した現代美術の展示を行うとか、運営はぜひ工夫してほしい。現代において国家の持つ博物館がどのような象徴性を持つべきなのか、それを建築空間がどのように体現すべきなのか、という視点があるのならばまだしも、こんな巨大なスペースが単なる動線空間として無駄に使われているだけなのはなんとももったいない。
それから、全体の配置について。平成知新館が完成し、正門は団体客用の入口となり、機能的な正門は谷口が設計した南門(2001年)となっている。もちろん、三十三間堂との関係や、交通面では南門をメインエントランスとすることが適切なのかもしれないが、建築物や庭の配置を考えたとき、やはりこの敷地へは正門からアプローチすべきなのではないだろうかと思う。南門から入る場合、そこからまっすぐに平成知新館へ延びる軸線が強調されすぎており、片山による「陳列館(本館)」(1895年)は控えめに見える。しかし、本来であれば、正門から本館へアプローチしていく途中、左側に控えて平成知新館が建っている、という見え方が望ましいのではないだろうか。そうすれば、もう少しだけ、平成知新館の長大なガラスファサードに意味が持てるように思う。まあ、それも運営の問題であって、設計者の問題ではないのかもしれないが。

建築 | Posted by satohshinya at January 8, 2015 0:02 | TrackBack (0)

ブレない

槇文彦さんの講演を聞いた。
大学2年生のときに、「東京都体育館」の現場事務所でアルバイトをしたことがある。当時の槇事務所は3年生でないとアルバイトができなかったのだが、3年生と偽ってやっていた(笑)。週に1回、槇さんが現場を訪れる日があった。そのときだけは、朝から事務所内に落ち着きがなくなる。そのときに槇さんを見たのが、はじめて見た有名建築家であったのかもしれない。模型をつくりながら槇さんとスタッフの打合せを盗み聞くと、確かに槇さんは、スタッフなんかよりも大胆な提案を行う。さすがだな、と思った記憶がある。
それでも槇さんは、ぼくにとって強い興味を持つ建築家ではなかった。その理由が、今回の講演会ではじめてわかった気がした。いろいろな建築家の講演を聞いているが、そういえば槇さんの話を聞くのは今回がはじめてだった。全体を押さえた上で個をつくる方法がある一方で、槇さん自身は、浮遊している個を繋ぎ合わせて全体をつくる方法を採ることがあると語った。その窓から何が見えるのか、といった部分を積み重ねることで全体をつくってゆく。全体のない(もしくはシステムのない)、そんなつくり方に、ぼく自身は興味を持てないのだと思う。
一方で、ぼくが強い興味を持つ槇さんの作品は「SPIRAL」である。槇さんは、「SPIRAL」のファサードについて、内部のプログラムが表出しないデザインがうまくできたと語った。その非合理である故のおもしろさが、「SPIRAL」のファサードであると。単なるモダニズムではない、そんな非合理さを持つことが、ぼくにとって「SPIRAL」を魅力的なものにしているのだろう。
そして最後に、「ブレないこと」が大事であると語る。何をもって「ブレない」とするのかにもよるのだが、例えば篠原一男は、第1〜4の様式まで変化を遂げていて、その意味では「ブレた」建築家であろう。そんな、自分自身を超えて前進するために、ときとして過去の自分を否定する振る舞いを見せる建築家やアーティストがいる。そんな人たちにこそ、ぼく自身は強い興味を持つ。巨匠と自分を比べるつもりはないが、そんなところにも大きな違いがあるように思った。

建築 | Posted by satohshinya at May 31, 2008 23:33 | TrackBack (0)

アジア・アフリカ・オセアニア・アメリカ@paris

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ジャン・ヌーヴェルの最新作である「Musée du Quai Branly(ケ・ブランリ美術館)」に入るためには1時間近く行列に並ばなければならなかった.アジア・アフリカ・オセアニア・アメリカの美術品がルーヴルには収められていなかったことから,それら非ヨーロッパの美術品を収める国立美術館として構想されることになった(2000年よりルーヴルでも展示が開始された).一時は「原始美術美術館(Musée des Arts Premiers)」と名付けられることも検討されたそうだが,結果的には無難に敷地の名前が付けられることになった(参考リンク:美術館紹介国立民族学博物館原始美術という呼称鈴木明さんロハス美術館旅行記写真).

建築についてはあまり積極的に書くことがない.エントランスから展示室に至る意味不明な180mの長さのスロープ,鑑賞者に不親切な迷宮のような暗い展示室と狭いボックス群,構造表現として成立しているとは思えないピロティの2本の四角い柱など.唯一,エントランス部分に地下から上階までを貫くガラスのシリンダーがあって,それが楽器を納めるオープン・ストレージとなっていたことはおもしろかった.そのシリンダーにしても,展示室などの他の空間と効果的な関係を持つことができそうなのだが,そのような意図が見られなかったことが残念だった.
一方で周辺との関係については,これは「カルティエ現代美術財団美術館」(1994)の拡大版であると思えるが,エッフェル塔近くのセーヌ川沿いにありながら,巨大なガラス・スクリーンを立てて内側に森を作り出している.そして,そのランドスケープはピロティを介して反対側の街区まで連続している.さすがにこんな一等地に,こんなバカげた提案をするのはヌーヴェルだけだろう.敷地の一辺が旧来の街区に隣接しているが,ごていねいに中庭を形成するように建物が配され,そこから森に向かって建物の外形が崩れてゆく.
ガラス・スクリーンと旧来の街区が連続する立面では,アーティストであるパトリック・ブラン日本語サイト)による多種多様な植物による壁面緑化が調停役を担っている.そして,敷地内の森はランドスケープ・アーキテクトであるGilles Clémentによるデザインで,ピロティと関連付けながら敷地内に起伏を作り出し,ここもまた多種多様な木々や植物が渾然一体となって植えられている.つまりこの2人によって,ヌーヴェルのアイディアを更に加速して実現させることに成功している.だからこそ余計に,建物自体のデザインがあまりにもお粗末に思える.森の延長として木々のグラフィックをあしらったガラス・ファサードも野心的な試みであるが,エクステリア,インテリアともに期待以上の効果を上げられていない.結局,ショップなどが入る建物に描かれたアボリジニ・アーティストによるグラフィックのような,コラボレーションによる試みのほうが断然におもしろい.
もちろん,一見の価値がある美術館であることには間違いはない.しかしここは,いわゆる美術館と呼ぶよりは,日本では博物館と訳すべき建物になるのだろう.常設展示の上階には2つの企画展示スペースがあり,Expositions "Dossier"では「Nous Avons Mangé la Forêt」展と「Ciwara, Chimères Africaines」展,Exposition d'Anthropologieでは「Qu'est-ce Qu'un Corps?」展を開催中.これらの展示室もロフト状になっているため,長大な展示空間は間仕切りのない1つの空間となっており,床には部分的に勾配も付き,まさに森をさまようように展示品の中をさまようことになる.しかも,薄暗いジャングルのような森の中を.つまり,展示品がよりよく鑑賞できる空間を作り出そうとしているよりは,いかなる空間に展示品を配列するかというところにデザインのポイントが置かれているということだろう.その結果は残念ながら成功しているとは思いにくい.エントランスからの長いスロープの下もギャラリーLa Galerie Jardinになっていたが,まだ使われていなかった.
あとはこのランドスケープや壁面緑化が,10年後,50年後,100年後にどのような成果を上げているか,そのときにこの場所の真価が問われる.それを楽しみにしよう.

建築, 美術 | Posted by satohshinya at November 10, 2006 12:19 | TrackBack (0)

アパート@paris

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ひょんなことからコルビュジエの住居兼アトリエを見ることができた.ラ・ロッシュ邸に行ったところ,水・土曜日に限定して公開していることが分かったからである.

『ナンジェセール・エ・コリ通りのアパート』(1931-34)は全集の写真のイメージではもう少し街中にあるのかと思っていたら,片側にParc des Princesが並ぶ運動施設地帯に面していて,反対側も低層の住宅街が広がるため,最上階のコルビュジエ家からはとてもよい眺めが得られる.内部も天井がヴォールトになっていたり,天井仕上げが木だったり,穴蔵のようなスペース(シャワー室とか)があったりして,当初持っていたイメージが裏切られていった.晩年に全開になる趣味的な操作が,自邸に対しては既に現れていたようだ.
余談だが,コルビュジエの最新作がもうすぐ完成する.基壇部分だけが作られて未完成のまま放置されていた『フィルミニの教会』(1960-)の工事が再開し,今年中には竣工するそうだ(ここで詳しい映像を見ることができる).

建築 | Posted by satohshinya at November 2, 2006 23:14 | TrackBack (0)

有効なポストモダン@stuttgart

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ジェームズ・スターリング設計の「Staatsgalerie Stuttgart(シュトゥットガルト州立美術館)」の新館は,ポストモダン建築の傑作だろう.建築史家であるokw先生とこの美術館を訪れた際に,ポストモダン建築の代表作を挙げるとすると,やはりこれと磯崎新の「つくばセンタービル」だろうと話をしていた.

ポストモダンの話はともかくとして,この美術館は1984年の新館(Neue Staatsgalerie)だけでなく,Gottlob Georg von Barth設計による1843年の旧館(Alte Staatsgalerie),バーゼル現代美術館の設計者でもあるWilfrid and Katharina Steibによる2002年の旧館増築(Erweiterungsbau der Alten Staatsgalerie)と,世紀毎に更新された3つの建物によって構成されている.現在は旧館が再編成中であるため,新館のみがオープンしている(10月4日まで).
その新館で注目すべき企画展である,世界中の美術館からクロード・モネの代表作40数点を一同に集めた「Claude Monet: Effet de Soleli - Felder im Frühling」展が行われていた.ヨーロッパだけでなく,アメリカや日本の西洋美術館からも出品されているこの展覧会は,今までモネの作品にそれほど興味のなかったぼくも,はじめてその魅力を知ったすばらしいものだった.もちろん,これまで日本で見てきたモネが,これらの傑作と比較するとそれほどではなかったということだったのかもしれない.同じモチーフの作品を並べて展示したり,展示壁にもさまざまな色を塗り分けてみたり,点数がそれほど多くないながらも非常に充実した内容だった(webで展示作品の一部を見ることができる).
この企画展示室は新館に位置しており,ガラスの入口扉を入ると,フローリングの床と白いグリッド状のルーバー天井を持つ大きな空間に,構造的にはオーバーと思える形状の打ち放しコンクリート柱が林立している.ルーバーの中に入り込んだ柱は,ご丁寧に白く塗られている.この展示室は,ともすると妙な装飾が施されているように思えるかもしれないが,スケールが適切であるとともに意外とこの柱がチャーミングに見え,不思議な魅力を持つ展示空間となっている.ちなみに同様なデザインによる講堂もあるのだが,普通の椅子を並べただけのラフな場所となっていて,こちらも魅力的であった.
旧館と新館の2階が常設展示室になっている.旧館は壁さえ白く塗ればホワイトキューブとなる古典的な展示室が連続し,1900年までの作品が並べられている.作品を年代順に追っていくとすると,観客はそのまま同じレベルで1900年以降の近代美術が展示される新館へと鑑賞を続けることになる.その接続部には外壁の名残を思わせるゲートがあって,旧館と同じように見える連続した展示室へと繋がってゆく.新館は旧館と比較すると,展示室の大きさに若干違いがあり,ホワイトキューブと呼ぶべき白い空間と変化しているのだが,天井にトップライトを持ち,部屋を繋ぐ入口に装飾的な要素が施されていたりして,観客は新旧の違いを明確に意識せずに鑑賞を続けることになる.つまりここでスターリングは,建築デザイン上の対比だけでなく,内部空間における展示空間の時間軸に沿った対比も試みている.
この新館は,シンケルのアルテス・ムゼウムの平面構成を反転させ,中央のドーム部分を外部化し,そこに美術館とは絡まないパブリックな動線を通過させるという,歴史的・都市的な知的操作が行われていることが魅力と言われている(それ故か,一部に旧館の設計者がシンケルとあるが,それは間違いだろう).しかし,同時に展示空間に対しても同様な知的操作が加えられており,無理なく一体となった美術館を成立させている.建築におけるポストモダンは,単なる無作為な歴史的様式のコラージュとして,特に日本ではバブル期の商業建築の隆盛と結び付いてしまったため,今では過去の流行として忘れ去られるどころか忌み嫌われてさえいるような気がする.確かにこの新館も外見上の色や形に対する好みの問題もあるだろうが,これらの知的操作がポストモダンの大きな成果であるのだとすれば,まだまだ現在でも有効であると思える.

建築, 美術 | Posted by satohshinya at September 12, 2006 10:58 | TrackBack (1)

機能転用@trier

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トリーアというドイツ最古の街にはローマ時代の遺跡が多く残っている.その1つで世界遺産でもある「ポルタ・ニグラ」は180年に建造された城門だが,中世には教会として使われていたことがあったらしい.いわゆる機能転用.19世紀に元の城門の姿に戻され,今では観光名所として3つ目の機能を担っている.建築における機能なんて昔からこんなものか.

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この写真がその教会時代の姿を描いたもの.現在の「ポルタ・ニグラ」の写真と比べてほしい.結構大掛かりな増築をしていたのがわかる.上の写真は「ポルタ・ニグラ」内にあるレリーフがガラスによって保護されている様子.教会時代に内部に作られたものが,城門に戻された結果に外部になってしまい,そこでガラスで覆ったということ?

建築 | Posted by satohshinya at August 13, 2006 23:45 | TrackBack (0)

大物の小品@basel

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バーゼルに事務所を持つだけあって,ヘルツォーク&ド・ムーロンの作品がバーゼルに数多くある.「シャウラガー」をはじめとして,ガイドブック「Architektur in Basel」にも10作品が紹介されている.しかし,そこにも紹介されていない小さな美術館が「Karikatur & Cartoon Museum Basel(バーゼル・カリカチュア&カトゥーン美術館)」である.

H&deM設計により,後期ゴシックの住宅がリノベーション+増築されて1996年にオープンした.オーバー・ジェスチャー抜きの彼らの作品は本当に好感が持てる.まだ行ったことはないが,「テート・モダン」はきっとよい建築だと思うけれど,結局こんな増築を隣に並べてしまうと全てがぶち壊しになってしまうのではないだろうか? それはともかく,中庭を挟みガラス張りのシンプルな増築部を加え,新旧の建物を結ぶブリッジを配しただけの(彼らにとっては)ささやかな作品ではあるが,その力の抜け具合が非常によい(ここには改修時を含む写真が多数掲載).
やはりバーゼルにもミュージアムの地図付きガイドブック(英語版)「Basel Buseums 2006 Guide in English」が配布されていて(web版もある),スイス・ミュージアム・パスポートが使えるところが多い.更に今回バーゼルで購入したのがOberrheinische Museums-Pass(上部ライン川ミュージアム・パス)である.ドイツ,フランス,スイスに跨るライン川上流沿いの町にあるミュージアム170館が無料になるという優れもので,大人1人61EURO(日本円で8,800円くらい)で1年間有効.もちろんカールスルーエでも使える.旅行者には勧められないけれども,長期滞在者にはお勧め.「カトゥーン美術館」もこれで入場.
写真は「ティンゲリー美術館」の向かいにあるH&deM作品.

建築 | Posted by satohshinya at August 13, 2006 16:13 | TrackBack (0)

ヴィトラのセンス@weil am rhein

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「Vitra Design Museum(ヴィトラ・デザイン・ミュージアム)」はドイツのヴェイル・アム・ラインにあるのだが,スイスとの国境沿いの町であることから,バーゼルからバスで向かう.ちなみにこの「ミュージアム」が面する通りの名前はCharles-Eames-Straße.

「ミュージアム」(1989)はフランク・O・ゲーリーの設計.さすがの造形力ではあるが,予想していたよりも遙かに小さい建物であったことに驚く.更に巨大なコンクリートの塊というイメージだったはずが,エントランスのキャノピーの下から鉄骨構造を覗かせていたこともあって,非常に軽快な建物に思えた.主体構造がはっきりしない建物で,わざわざ本体と同等のボリュームで構成されるキャノピーが鉄骨造であることを示すなんて,きっと確信犯に違いない.何れにしても,この建物の主体構造は何なんだろう?
中ではジョエ・コロンボの家具やプロダクトを展示する「Inventing the Future」展を開催中.オープン当初は椅子のコレクションを展示していたのだが,最近は企画展示に使用しているらしい.そのため,開館当時の雑誌では巨大なトップライトから光が降り注いで複雑な内部空間を美しく見せていたのだが,現在では展示保護のためかトップライトが塞がれた暗い展示室を見ることができるだけで,せっかくの内部空間がぶち壊しだった.これは今回の企画展に限ったことなのかも知れないが,内部を含めた造形美が見所の建物のトップライトを塞いでしまうヴィトラのセンスを疑ってしまう.外観だけ見ることができればよいということだろうか? ビルバオは知らないが,このくらいの規模の建物だと,いくら複雑な造形であっても内部と外部には必ず関係が生じるだろう.トップライトを持つ故の外観の造形であるし(逆に外観故にトップライトが付いたのかも知れないけれど),内部に階段が必要である故にスパイラル状の造形が外観に現れているはずなのだが…….他にもゲーリーは「ミュージアム」の背後に「工場」を設計している.
12時と14時の2回,2時間の建築ツアーが行われる.それに入ると「ミュージアム」の奥にある工場の敷地内に入ることができる.入口近くにジャン・プルーヴェの「ガソリンスタンド」(1950年代)とバックミンスター・フラーの「ドーム」(1951)があるが,何れも外観を見ることができるのみ.続いてニコラス・グリムショー設計の「工場」(1981/86),アルヴァロ・シザ設計の「工場」(1994)も外観のみを見学.まあ,ただの工場で特筆すべきことはない.
続いてザハ・ハディド設計による「消防署」(1993)の見学.建設当初は消防署に使われていたが,以前「ミュージアム」に展示してあった椅子の展示室に変更された.デコンストラクティビズムを正確に実現したザハの処女実作として,今では歴史的な意味合いすら持つようになったが,コンクリートのキャノピーの先端が垂れ下がっていたり,風雪に耐えているとは言い難いようだ.建設当時には掲載された雑誌などを食い入るように見たものだが,正直言って現在でも通用するデザイン言語とは思いにくく,何よりもコンクリートの造形が重々しい.更に椅子の展示方法があまりにもひどく,壁一面に棚を作って100脚の椅子を並べているのだが,倉庫に在庫品が並んでいるという風情.椅子なのだから座ることができないまでも,せめてもう少し近い床の上で鑑賞したい.ここにもヴィトラのセンスのなさを感じてしまった.付け加えると2時間の建築ツアーの内,かなりの時間(30分以上?)をこのコレクションの解説に費やされてしまい,建築を見に来た身としては時間がもったいなく感じる.ちなみにヴェイル・アム・ラインにはザハ作品がもう1つある(「Landesgardenschau」(1999)住所はMattrain 1).
最後は安藤忠雄の「コンファレンス・パビリオン」(1993)の見学.ヨーロッパにおける安藤作品としてはよくできているし,断熱を確保するために二重壁を使ってまでも打ち放しコンクリートの壁を実現している.しかし,初期の安藤作品が打ち放しを選んだ大きな理由に経済的なこともあったと思うと,ここまで来ると様式と化しているとしか思えない.しかも,関西にある良質な安藤作品と比べると大したことはない.それでもヨーロッパの人たちにとっては実際に訪れることのできる安藤作品として貴重な存在なのだろう.海外の人たちは本当にANDOが好きだから.
結論から言うと,もしバーゼルに余裕を持って滞在できるのならばツアーの参加を薦めるが,時間のない日本からの旅行者は「ミュージアム」だけの見学に留めて,少しでも多くバーゼルの他の現代建築を見ることを薦める.やはりバーゼルでも建築のガイドブック「Architektur in Basel」が配布されていて,H&deM作品の所在地など105作品が地図・住所付きで紹介されている.そして日本に帰ってきてから,関西にある80年代以前の安藤作品をぜひ見てほしい.

建築 | Posted by satohshinya at August 10, 2006 23:47 | Comments (1) | TrackBack (0)

すべては建築である@wien

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大学3年の時に磯崎新氏の『建築の解体』を読んで,自分でも建築ができるのではないかと思った.その中でも特に印象的だったのがハンス・ホラインの言葉「Alles ist Architektur(すべては建築である)」.ウィーンでは,そのホラインの3つの傑作と出会った.

「クンストハレ」「Summer of Love」展では多くの建築家による作品も展示されていた.ロンドンからはアーキグラム,ウィーンからはコープ・ヒンメルブラウなど.そこに『建築の解体』の中で最も影響を受けたホラインの作品が展示されていた.『Non-physical Environmental Control Kit』(1967)は一種の覚醒剤のようなものだと思うが,人間の空間知覚に対する体験を与えるという意味ではカプセルさえも建築と呼びうるという作品.それを読んだ当時は,これを建築と呼ぶことで建築を考えることが飛躍的に自由になったように感じられたし,一方で空間知覚に対する体験を与えることが建築であるという考えは非常に当を得ているように思えた.そんな作品の実物にこんなところで出会えるとは思わなかった.その他にもホラインによるコンセプチュアルな作品の数々が並んでいたが,今となっては60年代ムーブメントの一部として扱われてしまっている.しかし,それらは明らかに建築だった.

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そんなホラインの初期のインテリア作品は恐ろしいほどにフェティッシュなものである.ウィーンを歩いていて見つけた「レッティ蝋燭店」(1966)は,40年経過した現在から見ても宝石のような佇まいをそのまま見せていた.コンセプチュアルな作品を手掛けていた一方で,こんなにも魅力的な造形を的確な素材によって表現した建築を同時に作り出していたのだ.

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ウィーンでは誰もが目にする「ハースハウス」(1990)は,歴史的建造物であるシュテファン寺院が面する特別な場所に建つ商業施設である.確かにポストモダンのデザインは好き嫌いがあると思うが,実際にこの場所に立つと,この建物が非常に正確なボリュームの配置と素材の選択によって,堂々とこの場所にはまっていることがよくわかる.適度に分節され,適度に装飾的な20世紀のポストモダン建築は,13世紀のゴシック建築に見事に対峙している.
コンセプチュアル・アートのような作品,工芸品のような小さな作品,歴史的街区に建つ大きな作品,それらのすべてにおいてホラインは優れた建築を作り出している.こんな人に言われると,すべては建築であるという言葉を信じてもよいような気がする.

建築 | Posted by satohshinya at July 26, 2006 22:22 | Comments (2) | TrackBack (0)

哲学者の家@wien

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ウィーンにも建築のガイドブックがあって,ホテルなどで手に入れることができる.この「Architektur Vom Jugendstil bis zur Gegenwart」はご丁寧に日本語訳まで付いていて(表紙と見出しのみ),「建築:ユーゲントシュティルから現代まで」とある通り19世紀末以降の建築が地図・住所付きで紹介されている.実際に手に入れたのがウィーン滞在の最終日であったために訪れることができなかったが,アドルフ・ロースなんかは住宅が6軒も紹介されている.中に入ることもできるのだろうか? とにかく有名な建築はほとんど紹介されているので,これだけでも結構役に立つだろう.
その中に見たいと思っていて,これがウィーンにあることを知らなかった住宅があった.慌てて訪れてみたが,公開時間に間に合わず(月〜金9:00〜12:00,15:00〜16:30)一足違いで見ることができなかった.ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン他設計による「ストーンボロー邸(Haus Wittgenstein)」(1926-28)がそれである.この住宅については『ヴィトゲンシュタインの建築』という本に詳しい.

次に訪れるときのために住所をメモしておく.皆さんもぜひ.
3., Kundmanngasse 19 (U3, Bus 4A)

建築 | Posted by satohshinya at July 26, 2006 7:03 | Comments (4) | TrackBack (0)

篠原一男さんが亡くなった.
大学2年生くらいのとき,知人に連れられて篠原さんの自宅を訪れたことがある.アップダウンのある林の中の細い道を歩いていった記憶があるが,道から少し上がったところに日本家屋と隣接してそれはあった.篠原さんの自宅兼アトリエの増築として建てられた「ハウス イン ヨコハマ」(1984)が,その小高い茂みの中に先端だけを覗かせていた.今から思い出しても,その15年以上前の記憶は幻であったのではないかと思えるくらい,その姿はこの世のものとは思えないような佇まいを見せていた.それどころか見てはいけないようなものを見てしまったような気がした.もちろん中に入ることは叶わなかったし,既に取り壊されてしまったという話も聞く.
後年,偶然に「上原通りの住宅」(1976)に出会った.そのときにもまた目の前にありながら,今まで見てきた建築とは異なるものとして存在しているように思えた.その存在感に圧倒され,ただその前に立ち尽くすしかなかった.
ご冥福をお祈りする.

建築 | Posted by satohshinya at July 18, 2006 6:21 | Comments (1) | TrackBack (0)

20世紀の先頭@wien

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オットー・ワグナーの建築をいくつか見たが,中でも「郵便貯金局」(1904-12)のインテリアはすばらしいものだった.天気がとてもよかったことも手伝って,半透明の光天井はとても美しく,構造体の影が消え入るが,上空の青い空は薄らと認識できる.単なる透明なガラス屋根ではないところが,確固としたボリュームを持つ空間を構成しているとともに,そんな曖昧な見え方を生み出しているのだろう.外観こそクラシカルであるが,やはりこのインテリアだけは特別なものだった.

それ以外は,確かにある時代におけるデザインとしては優れたものだが,現在にも通用する感性で作られたものには思えない.「シュタインホーフの教会」(1907)には行っていないので何とも言えないけど,「郵便貯金局」のインテリアは偶然の産物だったのかな?
「マジョリカ・ハウス」(1898)も期待していたんだけれども,予想以上に壁画的であった.ちなみに1階になぜか日本の定食屋が入っていて,思わずそこでコロッケ定食を食べてしまった.

建築 | Posted by satohshinya at July 5, 2006 14:45 | TrackBack (0)

さすがベンツ@stuttgart

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たまには建築の話題.UN Studioの最新作である「Mercedes-Benz Museum(メルセデスベンツ博物館)」を見た.さすがにベンツの博物館だけあって,細部に至るまでよくできている.

三角形の平面形に,メイン展示とテーマ展示がダブルスパイラル状に複雑に絡み合っているのだが,そのメイン展示のインテリアが圧巻で,ベンツの内装用の皮(だと思う)などを使い,全てのフロアで素材とデザインが異なっており,膨大な労力が使われている.
その一方で,その空間を支える構成としては,微妙に変形しながらも同様な形態が反復するため,インテリアが異なることや,光の入る方向や見渡せる風景に違いがあるものの,基本的には単調である(東急ハンズ渋谷店みたいと言ったら怒られる?).そして,そこがデザイン的には1つの見せ場なのかもしれないが,ダブルスパイラルを一続きに見せるために歪めた床は,もちろん展示に利用することはできず,この手の建築特有のデッドスペースとなってしまっている.何れにしてもよくできているので一見の価値はあるが,残念ながらもう1回は行く気はしない.
ちなみに,ワールドカップ開催中の『ゴットリープ・ダイムラー・シュタディオン』が隣にある.

建築 | Posted by satohshinya at June 19, 2006 10:58 | TrackBack (1)

最近の木造駅@bern

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ベルン中央駅には,旧市街へ向かう東側の出口の他に,ベルン大学へ向かう西側の出口がある.そこに集成材を使った屋根が掛かっていた.

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プラットホームとその上のコンコースを木造の屋根で繋げて覆い,間の通路部分のみ鉄骨によるガラス屋根が掛かっている.「パウル・クレー・センター」の構造体の曲線とあまりにも似ていたから,最初はレンゾ・ピアノによる設計かと思ったけれど,よく見てみるとディテールがそれほど洗練されていない.しかし,このような公共空間(しかも外部)に堂々と木造の屋根が掛けられているのには驚くし,デザインの善し悪しは別としておもしろいものだった.
後から調べてみると,ベルン中央駅の改修はアトリエ5の設計で,少なくとも東側のガラス張りの建物は彼らの設計である.しかし,この西口までが彼らの設計であるかはわからなかった.

建築 | Posted by satohshinya at June 3, 2006 17:13 | TrackBack (0)

全国の構造ファンへ・その4(膜構造編)@luzern

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「Glatschergarten(氷河公園)」に立ち寄る.1872年に発見された,氷河時代に生み出された天然記念物を保存展示する博物館.そこに,天候の変化や汚染された大気の悪影響から保護するため,開館から100年以上が過ぎた1980年頃に膜が掛けられたそうだが,この膜の使い方がなかなかおもしろかった.構造的には特筆すべきものはないように見え,むしろ,更に構造的なデザインが加わればもっとよいものになると思うが,既存の樹木が膜を突き抜け,それが膜に影を落とすなど,よい表情を見せていた(アクソメ図も参照).

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ちなみに,こんな博物館にまで足を運んだのは,スイスにはSchweizer Museumspass(スイス・ミュージアム・パスポート)という優れものがあり,30CHF(日本円で3,000円くらい)で,スイス国内の300近い美術館・博物館に入場無料(1ヶ月間有効)となる.それを用いて,時間のある限り端から見て回ったため.ちなみに,1年間有効(111CHF)のものもある.

建築 | Posted by satohshinya at May 10, 2006 14:43 | TrackBack (0)

全国の構造ファンへ・その3@luzern

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サンティアゴ・カラトラヴァ設計による「Bahnhof Luzern(ルツェルン中央駅)」.火災にあった駅の再建らしいが,どこからがカラトラヴァの手によるものかはよくわからない.更に構造がよくわからない.立面にあるコンクリートのゲート状の構造体が鉄骨の柱に支えられていて,そのゲートからガラスを通り抜けて屋根に繋がる線材がある.それが張弦梁の束材のようなところに位置していて紛らわしいが,どうやらゲートからガラス屋根を支える鉄骨を引っ張っているようである.結局,頭でっかちのゲートは,柱と引っ張り材でバランスを取っているように見えるけど,こんな感じの解説で合っていますか,okd先生? 短辺方向はそうだとして,長辺方向はゲート同士が繋がっているから大丈夫ということでしょうか? 地震がないからいいのかな? okd先生,解説お待ちしております.

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何れにしても,建築的にはイマイチ.それよりも,地下にあったロス・ラブグローブのベンチがよかった.日本では「まつもと市民芸術館」のホワイエに置いてあるけど,こんな公共的な場所に無造作に置いてあるなんて,さすがスイス.しかし,かなり汚れていたし,もともと汚れが目立つ素材だね,これ.

建築 | Posted by satohshinya at May 10, 2006 10:03 | TrackBack (0)

全国の構造ファンへ・その2

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カールスルーエにて吊り屋根発見.「Europahalle」なる,コンサートをやったりするイベントホールらしい.こういったものの発見の際には,okd先生への報告が義務付けられているため,特別にこのエントリをアップ.前回,サッカースタジアムを紹介した際には,それを見た人からサッカースタジアムについて原稿依頼があった.気をつけよう.

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このホールは街の中心から離れた小さな川の横に位置している.そんなに大きい建物ではないんだけれど,この構造体が以上にデカイ.遠目には橋でもあるのかと思って近づいてみると,その下に低い建物があって,その屋根を支えていた.この川の辺りは公園のようになっていて,ジョギングをする人たちが多数いた.まあ,ランドマークにはなっているかもしれない.

@karlsruhe, 建築 | Posted by satohshinya at April 19, 2006 8:31 | Comments (2) | TrackBack (0)

10個のアトリウム

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ZKMの入る建物は,元々は全長312mに亘る兵器工場であった.10個の同じ形のアトリウムを持ち,1つが市立ギャラリー,その隣の4つがZKMのエントランスホール・常設展示室など,その隣の3つがカールスルーエ造形大学(HfG),その隣の2つがZKMの企画展示室である.つまり,ZKMの企画展示室へ向かうためには,HfGの中を通り抜けることとなる.写真は,そのHfGのアトリウム.壁のグラフィックは学生の作品.
1つの建物の中に異なった施設が隣り合っていること.同じ形の10個のアトリウムが並び,それらが異なる施設に利用されていること.これらが,この建物を理解するための1つのヒントとなるだろう.

このエントリとは直接の関係はないですが,「AUTHOR」の「佐藤慎也」をクリックした先に,「Selected Works and Papers」の公開を始めました.お暇な方はご覧ください.

@karlsruhe, 建築 | Posted by satohshinya at April 12, 2006 22:03 | Comments (3) | TrackBack (0)

旧阪急梅田駅コンコース

こちらをご覧ください.

建築 | Posted by satohshinya at September 23, 2005 23:45 | TrackBack (2)

理性の思考

最近はエントリもサボり気味なので,hyのエントリに合わせて昔の文章を発掘.これは大学院1年の時(1992年)に,故近江栄先生の授業で提出したレポート.なぜか内容が近江先生の逆鱗に触れ,ひどい成績を付けられた.近江先生は村野さんが好きだったようだが,当時の僕は大嫌いだった(今でも嫌いだけど).

《おそらく,村野藤吾の作品に僕の意識が初めて向いたのは,『日本近代建築史再考』という本の中に「日本ルーテル神学大学」(l970)のカラー写真を見たときであろう.それはl970年に作られた現代建築とはとても思えないものであった.確かにその造型には興味を引かれるものがあった.しかし,それと同時に自分はその作品からは距離を置いておきたいと感じていた.それから,僕は何冊かの村野の作品集を見て,いくつかの作品を実際に回った.結局のところ,それは僕自身の村野藤吾に対する直感を確認する作業でしかなかったような気がしている.村野の作品は確かに「上手い」と感じられるものであった.しかし,自分も含めて,この現代において建築を作ろうとするものにとっては,村野に心酔することは危険なことに思える.その先には出口がないのではないか?
その村野藤吾と対立させる建築家として,僕は磯崎新を登場させてみたいと思う.l99l年の暮れ,磯崎は日本大学である講演を行なった.その中で磯崎は日本に対し,「論理構築が欠如しており,それゆえ土着様式にしかならない」という意昧の発言をした.確かに磯崎は,一貫して建築上の論理構築を続け,現在では「世界のISOZAKI」として認められている.それに対して,村野は「世界の村野」であったのか? 近江栄氏はそのことについて次のように書いている.《我々はこれまで「世界の村野」という言葉をきかなかった.しかし村野は,この国に「根付く」こと,与えられた宿命的な生き方を生き抜くことに徹したのではあるまいか》(「折衷の体系」).そこで,この「根付く」という言葉に注目し,村野と磯崎の建築を比較してみたいと思う.
村野の作品には,文字通り建築の足下において「根付く」表現を行なっているものが多くある.その代表的な作品は「宝塚カトリック教会」(l966),「日本ルーテル神学大学」,「谷村美術館」(l983)などである.村野自身はこの表現について,次のように書いている.《建物が地面に建っているというより,「はえ」ているようにしたいと思った.土と建物とのつながりに軟らかさと無抵抗さがあらわれ,上と建物とが一体となって自然さをあらわせないものか》(「宝塚カトリック教会」l967).この表現に対して,僕は非常に嫌悪感を感じている.その表現は,あまりにも短絡している.
それに対し,磯崎の作品は直接的に土地に「根付く」ようなことはない.たとえば,「群馬県立近代美術館」(l974)の自註の中で磯崎は次のように書いている.《ただ,この敷地が完全に平坦な土地であったこともあって,芝生のうえに(立方体のフレームが)ころがっているというイメージが生まれてきた.立方体のフレームは人工物体のひとつの典型である.自然のもっている有機的な形態とは基本的に対立する.その対立の関係を表示するためにも,芝生にころがっているという言いかたが,もっとも適切なように思われる》(「作品自註」l976).磯崎が土地に「根付く」としても,それは村野のような短絡的な方法を取ったりはしない.《ひとつの土地,ひいては場所が,不可視の引力で支配をつづけている》という土地の文脈と関係を取り結ぶことが,磯崎の建築にとっての「根付き」であるのかもしれない(反建築的ノー卜IV」1974).しかし,その土地と建築の関係は,村野のように,必ずしも友好的であるわけではない.その土地の文脈は,歴史的文脈と重ね合わされ,あるときは肯定的に,あるときは否定的に取り扱われる.そして,それらの文脈に対応する解答を紡ぎ出す論理構築というゲームこそが,磯崎の《建築》である.
村野は,「根付く」ために用いる「生える」表現について,次のようにも語っている.《土地と建物の境界線がはっきりしないでしょう.あれは木や草を植えて.自然にできたものです.つまり建物というのは普通,土地の上に建っている.土地の上にずばっと立ったというのが近代の考え方ですが,そうじゃなくて自然と建物と土地とが平和的に,和やかにつながるというのが私の作品にはみな出ています.土地と建物がけんかしないようにする》(「自然との調和が大切」l982).この平和という言葉を,村野のヒューマニズムと呼ぶのであろう.《また村野は土地を重視し,意識的に大地に根付いたかたちのデザインを示していることも注目すべきであろう./土地に建物が自然に根付き,植物と同じように呼吸している姿であり,人間と土地のつながりは,人と人とのつながりに発展していくことが意図されているようだ./この上地(大地)に根付かせるという意図は,いわば村野がわが国の日本の風土,文化に根付かせようとする姿勢のあらわれでもあったろう》(「折衷の体系」近江栄).そして,この「根付く」表現を取ることで,村野の作品は土着様式であり続けた.しかし,それは村野の意図するところでもあった.一方,磯崎は論理構築というゲームを繰り広げる.その結果の建築は,土地に「根付く」というよりは,土地に「置かれ」る.磯崎は論理構築の欠如と土着様式を直接に結び付けている.しかし,たとえば安藤忠雄という建築家は,論理がないといわれているが,「世界のANDO」として十分に認められているという事実がある.そして,安藤の作品もまた,土地に「置かれ」ている.村野の言葉を借りれば,それは「土地の上にずばっと立っ」ている.つまり,単純に「根付い」てしまうことが,土着様式を生み出すことになり,「日本の村野」を生み出すことにしかならなかった.「置く」ための論理を構築することが,世界に向き合う方法となりうるのである.
磯崎は,《〈共生〉よりも諍(あらがい)を》選択する.「建築とは自然から離れ,自然の法則から離れた別な法則を見つけ出し,組み立ててゆくことである」と語る.《私は〈建築〉とは構築する意志であると考えている》.日本に欠如しているものは,この構築の意志である.《(〈共生〉には)本来,相容れることのないはずの自然環境と人工的構築物が矛盾せずに共存しうるという“偽の調停”が成立》している.《その場所に張りめぐらされている歴史的,共同体的文脈を読みとりながら,それと連続の関係をとり結ぶ》ことが重要である.そこには,《損失し,変換が起こるが,異変と突出はない.埋没と同化ではなく,対峙と拮抗があるだろう》(「景観論の罠」l992).結局,自然と平和に結び付こうとした村野は「日本の村野」で終り,自然と諍う磯崎は「世界のISOZAKI」となった.しかし,村野が土地に「根付」かせようとしたことも,《“偽の調停”》ではなかったのか? 先に触れた磯崎の日本大学の講演会の中で,近江栄氏は「なぜ村野藤吾は『世界の村野』ではなかったのか?」という問いを磯崎に発した.それに対し,磯崎は「村野は近代以前であるから」と答えている.僕の村野に対する最初の直感もそこにあると思える.
【参考文献】『村野藤吾著作集』村野藤吾 1991(同朋舎),『別冊新建築 現代建築家シリーズ 9 村野藤吾』1984(新建築社),『手法が』磯崎新 l979(美術出版社),『建築の修辞』磯崎新 l979(美術出版社),『日本近代建築史再考 虚構の崩壊』村松貞次郎・近江栄他 1970(新建築社),「建築雑誌」l992年6月号(日本建築学会)》

建築 | Posted by satohshinya at August 19, 2005 0:13 | TrackBack (1)

空間を空間で表現すること

皆さんコメントありがとう.前回のエントリーの続き.
いくつかはっきりした点.どうも僕自身が,「建築」「美術」「美術館」という制度にこだわりすぎていることがわかった.それと,前回のエントリーは何も「谷口展」を擁護しようという目的ではなく,そもそも建築展というものが,なぜ,またはどのように存在するのかを考えてみようと思っただけ.
mosakiさんたちの《来場者の種類に関わらず建築展なるものは,その対象となる建築・建築家の空間・思想・背景……∞がそこへ空間として表現されていてほしい》《建築展は,子供から老人まで,ユニバーサルに受け入れられるような,建築に対する意識をより拡張させられるような,そんな意識を必ず持っていてほしい》という定義を聞くと,その意味で「谷口展」への批判が行われたことはよく理解できる.しかし,この両者を同時に満たすことを必要条件だとすると,その展示に建築家自身が直接的に関与することは難しいだろう.
前者の定義で気になることは,《空間として表現されていてほしい》という点.sugawaraさんの《インスタレーション系への移行》というのも同じような意識かもしれない.しかし,僕自身はこの点には少し懐疑的.mosakiさんの定義では,建築そのものが空間であるとするならば,それを更に空間に置換し直すことを要求することになる.もちろん,空間で置換することを否定するわけではないけれど,もう少し違った形に変換するべきではないかと思う.実際に見ていないからなんともいえないけれど,1つの例かもしれないOMA展は,空間というよりもテキストをつくっているように思う.一方で,《模型が実作よりも建築家の理想世界を表す》という文脈であれば理解できなくもない.しかし,この場合は展示そのものが(建築)作品であるということだろうから,少し文脈が異なる.《建築に対する視点が,対象視から環境視に移行している》というのもおもしろい指摘だけれど,mosakiさんの定義はそれとは異なる背景にあるだろう.どちらかというとmosakiさんが紹介しているFOA展が,この移行を象徴しているのではないだろうか.

ちなみに,そのFOA展は日本でもTNプローブでやっていた.ブラックライトのインスタレーション部分はなかったけれど,展示されている図面類(アメリカ展の写真)の構成は日本展と同様.少なくとも日本展は,ブラックライトを使っていなかったせいか,それほど特徴的な展示ではなかった.
それと,小沢剛氏の作品は『相談芸術カフェ』.表面的にはsugawaraさんのイメージに近いかもしれないけれど,意味合いはまったく違う.むしろ,こういうものは建築家がやらない方がおもしろいものができる(笑).

建築 | Posted by satohshinya at June 21, 2005 7:26 | Comments (4) | TrackBack (0)

建築展における困難

hanaさんの「怒髪点!〜MoMA谷口吉生のミュージアム」を受けて.hanaさんの怒りはよくわかる.しかし,それではいかなる建築展であるべきだったのか?
NY展と日本展について,その企画はMoMAのテレンス・ライリー氏と谷口氏によるもので,展示構成に至るまで完全にコントロールされたはずだから,もしこの怒りがオペラシティのキュレーターに向けられたものだとするならば,それはお門違いではないだろうか? むしろ怒りは,この2人に向けられるべき.その意味では,個人的な感想としては,よくも悪くも非常に谷口作品的な展示であったと思う.《建築展に来るようなひとは谷口さんの仕事,知ってるっつーの.》という前提に立つか立たないかが,まずは大きな違いだろう.おそらく2人はその前提に立っていない.《NYと同様,谷口さんをあまり知らないひとが多く見に来るという想定》だったろう.
そこで,疑問の1つ目.そもそも建築展は誰が見に行くの?
今はどうだか知らないが,今はなきセゾン美術館で建築展をやっていた頃,通常の美術展よりも建築展の方が来場者が多いと聞いたことがある.美術展の場合は対象者の興味が美術に限られてしまうが,建築展の場合はデザインや美術などに興味を持つ人も含めて幅広く見に来る可能性があるらしい.そうだとすると,建築家の仕事を知っている人が来るという前提は疑うべきではないだろうかと思う.しかし,本当に誰が見に行ってるのか?
2つ目の疑問.《建築展における新鮮な情報,新鮮な視点,新鮮な展示方法》とは?
今回の谷口展に関していえば,元々がMoMAの企画.彼らは建築に関する模型やドローイングを美術品だと考えている.確かにMoMAの建築コレクションは美術品的な価値がある(歴史的評価を抜きにしても).これらを美術品としてそのまま展示するという方法.例えば森ビルの展示.かつてのセゾンにおけるコルビュジエ展,アアルト展などもこれ.
その対極にあるのが,建築家が美術作品を作ってしまうもの.例えばみかんぐみの展示.建築家が空間を扱う職業であることを考えると,そのバリエーションとしてインスタレーション作品を作ってしまうのはよくわかる.クルト・シュヴィッタース『メルツバウ』最初のインスタレーション作品と言われていて,そもそもインスタレーション自体が建築的な行為であったということを示している.
そして,《建築展における新鮮な情報,新鮮な視点,新鮮な展示方法》を目指したであろうもの.図面とドローイングを展示用に再製作・再構成するもの.例えば金沢でのSANAA展(写真は長尾亜子さん提供.コンペ当選案の1/20模型).

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ギャラリー間などの建築専門ギャラリーでは,この手のものがよくある.1つ目のヴァリエーションかな?
更にこの場合は,建築家としてのマニフェストへと発展することが多い.例えばOMA展.模型やドローイングを美術品にするわけでもなく,展示自体を空間的な作品にするわけでもない.強いて言うならばコンセプチュアル・アートみたいなもの.2つ目のヴァリエーションかな?
そして,最後の疑問.そうまでして,なぜ美術館で建築展は開かれなければならないのか?
誰か一緒に考えてください.

建築 | Posted by satohshinya at June 10, 2005 10:29 | Comments (6) | TrackBack (3)

余生

丹下健三氏の教え子であった磯崎新氏が,「朝日新聞」3月23日の夕刊に見事な追悼文「描き続けた国家の肖像」を寄せていた.
磯崎氏は,丹下氏によって《20世紀の第3四半世紀》に次々につくり出した作品を《日本という近代国家とあれ程の蜜月を結び,その濃密な肖像を築きあげることができた》と讃辞した上で,《最後の四半世紀》を《国家とすれ違っていた後からのの丹下氏は本来の姿と違ってみえる》と評す.そして最後に,こう締め括る.
《あらゆる無理を覚悟で骨太の軸線を引き続けた,あの時代の姿こそが,建築家丹下健三だったと今も思う.列島改造に引き出されて後は,もう余生だったのだ.新東京都庁舎なんか,伝丹下健三としておいてもらいたい.弟子の身びいきで勝手にそう考えている.》
それを読んでから,磯崎氏自身のことを考えたとき,最近のカタールをはじめとする一連の作品はどう位置づけられるのだろうか? しかし,それはまた,歴史が評価をすることになるのだろう.とりあえず,今は期待を持って見ていきたいと思っている.

建築 | Posted by satohshinya at March 24, 2005 7:13 | Comments (1) | TrackBack (1)

おたくの原風景

先日ヴェネチアに行ったが,その1週間後にヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展が始まった.今回の日本館のテーマは「おたく:人格=空間=都市」.コミッショナーは森川嘉一郎氏『趣都の誕生 萌える都市アキハバラ』の著者として知られる建築の研究者である.今回の展示は,「波状言論」05号,06号に,森川氏自身により詳細に紹介されており,大変に期待していたが,残念ながらタイミングが合わずに実際に見ることはできなかった.
展示の内容については,公式ホームページに詳しくあるので,ここには書かないが,その構成は細部に亘ってていねいに考えられており,森川氏のコンセプトを読む限りは,非常に興味深い展示になるはずだった.しかし,現時点ではあまりよい評判を聞くことはなく,むしろ展示部門の金獅子賞を受賞したSANAAの『金沢21世紀美術館』の話題が大きく取り上げられている.
過去3回のビエンナーレ日本館は,磯崎新氏をコミッショナーを務めており,1996年は阪神・淡路大震災から「亀裂」をテーマにして,宮本佳明氏が瓦礫を持ち込み,宮本隆司氏が写真を展示した.その際に石山修武氏も展示を行っており,森川氏は石山研の学生として関わっていたらしい.2000年には「少女都市」をテーマにして,できやよい氏の作品や妹島和世氏の展示構成,2002年には「漢字文化圏における建築言語の生成」をテーマに岡崎乾二郎氏の展示構成によって開催されてきた.「亀裂」では「金獅子賞」を受賞しているが,個人的には「漢字」が,岡崎氏の作品の延長として興味深いものであったのだが,残念ながらあまり話題にはならなかった.今回の「おたく」も,そのような末路を辿りそうな気がする.
そのカタログ『OTAKU』(幻冬舎)が輸入版として発売されたので読んでみた.これには,展示の核の1つである海洋堂のオリジナルフィギュア(新横浜ありなという美少女フィギュア)までオマケに付いている本格的なものだった.ここで書こうと思ったことは,実はビエンナーレ自身のことではなく,カタログの最初に掲載されている1枚の写真についてだった.
カタログの最初に(もちろん展示の最初にも)おたく空間を説明するために,宮崎勤被告の部屋の写真が使われている.1つの驚きは,このおたく空間が世に知られた最初のイメージが,彼の部屋であったという事実に気が付かされたことだった.よく考えてみると,当時おたくと呼べるような友人も何人かいたが,彼らの部屋を見たことがあるわけでもなかった.しかし,おたくの部屋はこのようなものだとイメージを持っていたことが,実は宮崎被告の部屋(おそらく,当時のニュースなどで繰り返し流されていたのだろうと思う)に端を発していたことに気付かされた.
もう1つの驚きというか,これは心配でもあるのだが,もちろんこのカタログにはイタリア語訳と英訳が付けられており,その写真キャプションの英訳には,「The room of TSUTOMU MIYAZAKI」と書かれ,その註釈として,参加作家の1人である斎藤環氏による「おたくのセクシュアリティ」という文章中に,「TSUTOMU MIYAZAKI for the serial murders of young girls」と書かれている.しかし,「young girls」だけでは,あの犯罪の特異なニュアンスは伝わらないだろう.宮崎被告が犯罪者として国際的にどのくらい知名度があるのか知らないが,おたくではない人たちにとっては,その背景を詳細に知る日本人と,そうではない海外の人たちの,おたく空間の原風景とも呼べるこの写真から受け取る印象は大きく異なるだろう.これは冗談だが,展示場所がヴェネチアだけに,このMIYAZAKIの部屋が,HAYAO MIYAZAKI氏の部屋と勘違いされないことを期待する.

このエントリは書いている途中で放置していたのだが,東京都写真美術館で日本展が開催されるとのことで,中途半端なまま公開する.実際に展示を見た後で,続きを書くかもしれない.
その他,森川氏インタビュー美術評論家暮沢剛巳氏の開催前のレビューなど.

建築 | Posted by satohshinya at February 10, 2005 7:17 | Comments (3) | TrackBack (3)

全国のサッカーファンへ(もしくは全国の構造ファンへ)

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『スタディオ・オリンピコ』(1960)
ASローマとラツィオのホーム.ローマオリンピックのメインスタジアムとして建設され,ワールドカップ対応として90年に座席と屋根が増築.その屋根の構造をJ&P.ズッカーが担当した(らしい).先端のリング状のケーブルを締めることにより,屋根を保持している.

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『アルテミオ・フランキ』(1932)
フィオレンティーナのホーム.P.L.ネルヴィの処女作.キャンチレバーの屋根もいいが,スタンド裏にあった螺旋階段が美しい.階段自体とそれを支える梁によるダブル・スパイラルという不思議なもの.しかし,スタンドを支える梁も柱も細く,おまけにスタンドの鉄筋が露出しているところも垣間見え……。

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『アリアンツ・アリーナ』(2005)
将来のFCバイエルン・ミュンヘンとTSV1860ミュンヘンのホーム.H&deM設計のワールドカップ用スタジアム.アウトバーンから工事中の様子を遠目に見ただけなのでなんとも言えないが,よくなさそう.フッ素樹脂ETFEフィルムによる膜構造.この膜は日本製なのに,日本では法的に使用できない優れもの.

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『ミュンヘン・オリンピアスタジアム』(1972)
現在のFCバイエルン・ミュンヘンとTSV1860ミュンヘンのホーム.ミュンヘンオリンピックのメインスタジアムとして建設され,74年のワールドカップでも決勝戦に使用.ギュンター・ベーニッシュとフライ・オットーの設計.アクリル屋根による力ずくの造形.ベッケンバウアーが,こんなモダンではないスタジアムは使わないとか言ったとか言わないとかで,アリアンツ・アリーナが建設されることに.敷地内には,J.シュライヒ構造によるスケート場もあり,近所のBMW本社前では,コープ・ヒンメルブラウのBMWミュージアムが建設中.

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『ゴットリープ・ダイムラー・シュタディオン』(1933)
VfBシュトゥットガルトのホーム.74年のワールドカップでも使用.93年にJ.シュライヒによって屋根が増築された.06年ワールドカップでも使用.ローマと同様な構造形式だが,こちらの方が軽快で,屋根より上に外側のリングが出ているところが特長.目の前にUNスタジオの現場(オフィス?)あり.

ちなみに,ぼくは実際にサッカーをスタジアムに見に行ったことがないし,構造の専門家でもありません.あしからず.

建築 | Posted by satohshinya at November 27, 2004 14:32 | Comments (4) | TrackBack (0)

鉄板

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『キョロロ』写真コンテスト参加.
何れも錆びた鉄板に見える手塚貴晴+手塚由比+池田昌弘3氏の『「森の学校」キョロロ』と遠藤利克氏の『足下の水(200m3)』.誰が考えたのか,これが並んで設置されている.一方は建築作品で,見えている鉄板は外壁であるとともに構造体である(らしい).一方は美術作品で,見えている鉄板の下には容積200m3の水がある(らしい).鉄板が構造体であったり,鉄板の下に水が入っていたりすることがどうやら重要なようだが,見ただけではわからない.もしかすると,構造体になんかなっていなかったり,水なんか入っていないかったりするかもしれない.いや,そうでなければ,構造体であったり水が入っていたりする鉄板が,構造体でもなく水も入っていない鉄板とどのように違うのか? それが問題.

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オマケに川俣正氏の作品『松之山プロジェクト』.『キョロロ』がある場所に作品を展開していたのだが,追い出されるように駐車場内を占拠して再展開.気持ちはよくわかる.

建築, 美術 | Posted by satohshinya at November 17, 2004 5:33 | Comments (8) | TrackBack (2)

東京の五大粗大ゴミ

東京国際フォーラム(設計;ラファエル・ヴィニオリ)が完成したとき,磯崎新さんが「読売新聞」に,東京には5つの文化施設という粗大ゴミができたと書いた.完成した順番に書くと,東京芸術劇場(設計:芦原義信),東京都新庁舎(設計:丹下健三),江戸東京博物館(設計;菊竹清訓),東京都現代美術館(設計:柳澤孝彦),東京国際フォーラムの5つ.それに続いて,「GA JAPAN」22号の「現代建築を考える○と× 東京国際フォーラム」という鼎談でも,藤森照信さん,二川幸夫さんとともに,その話題について語っている.
そんな話に至る伏線となったであろうことがいくつかある.もちろん大きな背景として,バブル期に完成したこれらの建物が,建築家のデザイン以前に,プログラム上の過剰な要求に問題を持っていたことが挙げられると思う.更にその鼎談では,建築家のデザイン自体の話や,都市や国家の話にも繋がっていくのだが,その他にもう少し磯崎さん自身の個人的な伏線があった.
まずは東京国際フォーラムだが,この設計は公開国際コンペによって設計者が決定された.元々この敷地には,丹下健三さんの名作の1つである『旧東京都庁舎』(1957)が存在していた.設計当時,東京大学大学院に在籍していた磯崎さんは,ディテールを描きに現場の手伝いに行っていたという.その旧都庁舎を取り壊すコンペの要項に対し,それを残したカウンター案を提案することを考えていたほど,磯崎さんはそのデザインを高く評価していた.
その旧都庁舎が取り壊されることになったのは,もちろん新宿に都庁舎が移転することになったためである.その新都庁舎も指名コンペによって設計者が決定された.その勝者が丹下さんであったことから,結局,丹下さん自身が旧都庁舎を壊すことを認めることによって,新都庁舎を作ることができたという格好になってしまっている.そして,そのコンペの指名者の中に磯崎さんもまた含まれていた.そのコンペ案は磯崎さんの最高傑作と言ってもおかしくない作品であったのだが,超高層建築を要求した要項に対し,中層建築を提案したこの案は,所詮カウンター案にしかなりようがなかった.
現代美術館も指名のプロポーザルコンペであったのだが,そこでもまた磯崎さんは指名者の1人に選ばれていた.結果は,柳澤さんが新国立劇場に引き続きコンペを勝ち取ることになったのだが,コンペが行われた1990年には,磯崎さんは『水戸芸術館』を完成させるなど現代美術館の設計者として最適任者であったと思われ,その選に漏れたことは非常に残念であった.運営上の問題を別にすると,少なくとも美術館建築としては,現在のものよりも遙かにすばらしいものができていたのではないかと思う.
もちろん,理由は複雑であるのだろうけれども,これらが五大粗大ゴミと呼ばれた評価は,現在でも大きく覆すことができていないのではないだろうか? 少なくとも,これらの磯崎案の1つでも完成していれば,もしかすると粗大ゴミを減らすことができていたのかもしれない.

m-louisさんへのCommentの返事のつもりだったのだが,ちょっと拡張させて状況説明を書いてみた.ちなみに,「GA JAPAN」を読み返してみると,現代美術館とフォーラムの場所の入れ替えを提案しているのは藤森さん.本当にこれは名案.このこともまた,デザイン以前のプログラムの問題.
「GA JAPAN」の鼎談は,『日本の現代建築を考える○と×?』に収録されているので,現在でも読むことができるはず.これは必読.(追記:『磯崎新の発想法』にも,「なぜ旧都庁舎を残さなかったのか」というタイトルで掲載されている.)
磯崎さんの『東京都新都庁舎案』は,『UNBUILT』に詳しく紹介されているはず.本当は『東京都新都庁舎・指名設計競技 応募案作品集』に提案書の全てが掲載されているのだが,残念ながら絶版(研究室にはあります).
磯崎さんの『東京都現代美術館プロポーザル案』は未発表.

建築 | Posted by satohshinya at September 25, 2004 0:59 | TrackBack (0)

PC造の住宅

山下保博さん(アトリエ・天工人)設計の『JYU-BAKO』の上棟見学会に行った.これは,PC造による4世帯住宅+店舗なのだが,完成してからの見学会はよくあるけれども,上棟した状態での見学会というのは初めて.見た感想としては,完成してみないことには,よくわからないというのが正直なところ.まずは完成を待つことにする.構造は徐光さん(JSD).

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建築 | Posted by satohshinya at August 10, 2004 23:36 | TrackBack (0)

新しい構造体

「朝日新聞」7月30日の夕刊に,「新しい構造体,次々に」という見出しとともに,建築の構造が大きく取り上げられていた.伊東豊雄さん『せんだいメディアテーク』foa『横浜港大さん橋国際客船ターミナル』などとともに,ヨコミゾマコトさんの『新富弘美術館』の建設中の様子がレポートされている.執筆は朝日新聞学芸部の大西若人.『新富弘美術館』は国際コンペにより選ばれた作品で,約1,200案の応募があったことから大きな話題となった.実は,このコンペ案に対して僕は否定的であった.しかし,今回紹介された建設中の構造躯体の写真は,確かに美しいもので,改めて期待を持ってゆきたいと思う.建設の様子を定点観測しているwebもある.完成を楽しみにすることにしよう.
しかし,この記事で一番気になったのは,構造設計者のこと.「新しい構造体」による建築の魅力を紹介しておきながら,意匠設計者は紹介されているが,その肝心の構造を実現している構造設計者が紹介されていない.もちろん,役割上は仕方がないことなのかも知れないが,少し残念だった.ちなみに,『せんだい』は佐々木睦朗さん,『横浜』はSDG(渡辺邦夫さん),『富弘』はArup Japanの金田充弘さん.

「新建築」2004年8月号にも工事レポートが紹介されていたが,「朝日新聞」の写真の方が美しい.

建築 | Posted by satohshinya at August 2, 2004 4:53 | Comments (2) | TrackBack (1)

力の隠蔽

山本理顕さん設計の『東京ウェルズテクニカルセンター』の話.構造は佐々木睦朗さん.この建築は,4.2メートルグリッドの,ブレースが存在しないフレーム構造であるのだが,ちょっとした工夫がされている.全ての柱は200ミリ角の鋼管柱で統一されているのだが,一部にキャンティレヴァー(片持ち梁)部分があるため,柱の負担する鉛直荷重が異なる.それを解決する方法として,200ミリ角という外形はそのままに,一般部は厚さ16ミリの鋼管でありながら,キャンティレヴァー部のみ厚さ25ミリの鋼管を使用している.
モダニズムの建築では,力の強弱は視覚化されるべきものだった.当然,ある高さを持つ建築の場合,上階にいくほど負担する鉛直荷重が少なくなるため,柱は細くてもよいことになる.そこで,上階に向かうほど柱が細くなっていくことを,外部から視覚化することが表現となった.ルイス・カーンの『エクセター図書館』,村野藤吾の『横浜市庁舎』などが,その例である.
それに対し,この建築では,力の強弱は視覚化されることなく隠蔽されている.実際の建物を見ていないので何とも言えないが,おそらく柱の肉厚の違いは,外から見てもわからないだろう.そうだとすると,これもまたモダンというよりは,ポストモダンな構造かもしれない.

建築 | Posted by satohshinya at June 23, 2004 8:01 | TrackBack (0)

スーパーフラットな構造

妹島和世さん設計の『梅林の家』を雑誌で見た.この住宅では,構造体でもある全ての壁が,16ミリの鉄板でつくられている.雑誌に掲載されている図面を見ると,壁はほとんどシングルラインのように見える.ちなみに,1/150の図面では,約0.11ミリ.構造は佐々木睦朗さん.
僕たちが学生の頃,それも妹島さんの影響が大きかったと思うが,グラフィカルに表現されたシングルラインの図面が流行っていた.「実際の建築物は厚みのあるものだ」と怒られたものだった.事実,その時点では,実際に厚みがなければならないものを,抽象的な表現として(時には,ダブルラインで描く手間を省いた手抜きな表現として)シングルラインを用いていた.しかし,妹島さんはこの住宅で,あるバランスの中で,物理的にシングルラインで表現することのできる建築を完成させた.しかも,構造的な技術を用いることで.
もちろん,建築物の厚さは構造体のみで決まるわけではなく,断熱材や仕上げによるところも大きい.この住宅では,これらの問題を断熱塗料を塗ることで解決しているらしい.塗装なので,厚さは限りなく0(ゼロ)であるし,そのまま仕上げにもなるだろう.この点についてもやはり,技術的な方法で解決を図っている.しかし,この塗装の性能がどのくらいのもので,ヒートブリッジ,つまり外部に面する壁が,内部の壁や床に直接溶接されているため,外壁が冷えると,そのまま間仕切り壁が冷えて結露を起こすという問題に対し,どの程度防止できているのかはわからない.もちろん,個人住宅であれば,クライアントがOKと言うのであれば,どのような性能であってもかまわないという話も一理ある.(事実,僕自身の設計した『湯島もみじ』は,結露どころかスキマがあちこちにあったりする.)とにかく,技術的な興味として,『梅林の家』の断熱性能がどのようなものであるかは興味深いところである.
何れにしても,その結果に得られた,特に内部空間の,手前の部屋と,16ミリの鉄板に開けられた開口部越しに見える隣の部屋が同時に見える風景は,確かに不思議なものがある.もちろん,ここでもまた,部屋と部屋との間に建具を取り付けなくてよいという,クライアント自身の要求によるところが大きいかもしれない.(現実には,音や匂い,空気があらゆるところに廻ってゆくのだろう.もちろん,ワンルームの要求を,一繋がりのいくつもの小部屋によるプランニングで解決していることが,この住宅の主題なのかもしれないが,この文章の主題はそこにはない.)いくら壁を薄くつくったとしても,その薄さを示す断面が見えなければ,知覚することもできないかもしれない.
この住宅は,構造計算上は12ミリの鉄板でも保たせることができたそうだ.しかし,施工上の溶接による歪みなどが問題になって,16ミリの鉄板を使っている.「新建築」2004年3月号のインタビューで,妹島さんが厚さについて語っている.現在設計中の,オランダに建つ『スタッドシアター』の壁の厚さは80ミリだが,建築自体が大きいため,図面上のバランスでは,やはりシングルラインに見える.この規模で80ミリの壁というのは,かなり薄い.ちなみに,1/1000の図面では,約0.08ミリ.『梅林の家』よりも相対的に薄い.それでも妹島さんは,〈実際に自分の体の前に80mmという寸法が出てきたときには,プロポーションとか関係性でない絶対的な厚みが出てくると思う〉と語る.
友人の構造家の多田脩二と,この住宅の話になったとき,「そんなに薄い壁がいいならば,天井から吊れば,いくらでも薄い鉄板でできるだろう」と言われた.そりゃそうだ.その壁が主体構造でないのであれば,1ミリくらいのペラペラな間仕切りだってつくれるかもしれない.
そうだとしたら,何が重要なのだろうか? 壁が薄いことか? 壁が構造体であるかどうかということか? 薄い壁が構造体となっていることだろうか? 次に考えるべきことは,ここら辺にある思う.

建築 | Posted by satohshinya at June 12, 2004 22:35 | Comments (1) | TrackBack (1)

スリム

2000年に『うつくしま未来博・エコファミリーハウス(EFH)』の構造設計チームとして,基本設計に参加した.意匠設計は山寺美和子,吉岡寛之,飯山千里,黒川泰孝,立川博之の5人.完成した時に,ある小冊子に書いた文章を,少し長めだが再録する.
《構造におけるチャレンジの1つとして,「スリム」にすることが考えられる.例えば,柱をスリムに(細く)すること.極端に柱の細い建築では,今までに体験したことのない新しい空間に出会うことがある.常識的に考えられてきた柱の太さを,新たな構造的な理論や技術によってスリムにすることは,明解に進歩を表現する1つの方法となる.しかし,このEFHの設計においては,細くすることではない「スリム」によって,新たな建築を生み出すことを目指した.様々に異なる要素を1つに集約することで,建築をスリムにする.その考えを中心に,2段階のコンペ(設計競技)から実際に建設するための設計(実施設計)までの過程において,構造の考え方がどのように変化してゆき,それが建築空間にどのような影響を与えていたのかを書いてみたいと思う.
コンペの最初の条件では,間伐材を構造体として用いることが要求されていた.間伐材とは,樹木の成長のために森林から間引かれた木材のことであり,安価であるが,それほど強度は大きくない.第1段階では,エコハウスとしてのライフスタイルの提案と,それに適合するスパイラル状の形態が特長だった.この時点では,外周を覆う間伐材のラチスパネルは,植物を這わせるためのものであると同時に,日除けとしての環境上の機能を持つだけで,構造上の機能を持っていなかった.そのため,全ての外壁がガラス張りの空間を,グリッド状に立てた柱が支えるという一般的な構造形式を採用していた.
第2段階へ進むことが決まり,全体デザインとともに構造に対する再検討を行った.そこで問題となったのは,ラチスパネルに覆われた部分の考え方だった.室内に構造体としての間伐材の柱が立ち並び,その外側を同じ間伐材のラチスパネルが覆う関係は,明らかに無駄なものに思えた.そこで,環境に対する重要な提案として考え出されたラチスパネルに,更に構造に対する重要な役割を与え,様々な機能を集約することで,必要最低限の要素だけで成立するスリムな建築を提案した.つまり,柱のない空間を考えたのだった.
最終審査の結果,この案は最優秀賞に選ばれたが,建設には多くの課題が残った.そこで,この画期的な構造を実現するために,岡田章さんを中心とする構造設計チームがつくられた.ラチスパネルは,デザイン面,構造面ともに中心的な役割を担うため,その両面から詳細な検討を行う必要があり,設計・構造両チームによるミーティングが何度も行われた.その結果,薄い鉄製フレームに間伐材のラチスを固定し,搬送可能な大きさに分割したパネルを,工場で製作してから建設現場へ運び込む方法を考えた.パネルの分割は,間伐材の使用可能な限界の長さから決めたもので,外壁面の一体化を損なうことになるが,それ以上に多くの建設上の利点が考えられた.鉄製フレームは,ラチスパネルの力を床と屋根に伝えるためのもので,接合部だけに用いる補助的な役割であることから, 限界まで細く,薄く,小さくすることで,外観上は目立たぬものとしている.そのため,ミリ単位の寸法を考慮する必要があり,多くのディテール(詳細)図が描かれた.同時に,そのディテールが構造的に成立するかどうか,立体的な構造モデルの解析によるチェックが行われ,その結果が更にデザインへと反映され,無駄のないスリムなディテールが考えられていった.このように,ほんの小さなことまでを考え抜くことによって,建築は新しい空間を生み出してゆく. 
こうして実施設計が完了したが,残念なことに,予算の問題などによりラチスパネル構造は中止となった.長期にわたって検討してきた結果が実現できないことは,建築の設計ではよくあること.結局,別の構造設計者によって,鉄骨の柱をサッシュと同一平面に並べた構造により,このEFHは実現した.もちろん,柱を細くすることによる「スリム」の可能性もあったが,そのチャレンジをするには時間が足りなかった.結局,やや太めの柱は,スリムなガラス張りの空間を実現することはなく,ラチスパネルも環境上の機能を持つだけのものとなってしまった.》

現在,このEFHは,ムシテックワールドという科学体験センターの一角にあるようだが…….

建築 | Posted by satohshinya at May 7, 2004 18:52 | TrackBack (0)

目の前にある構造

以前,佐藤光彦さんの『梅ヶ丘の住宅』を見たときのこと.何も知らずに,真ん中にある螺旋階段を上り下りしていたところ,ふと手に触れている階段室の曲面の壁が,固い金属でできていることに気が付いた.「もしかすると,これは構造体ですか?」と,光彦さんに訊ねたところ,「そうだよ」との答.16ミリ(だったと思う)の鉄板を曲面にし,平面中央に設置することで水平力を受け持ち,最低限の断面による鉄骨が外周部を取り囲み,その軽快な構造体により鉛直力を受け持つ.構造は池田昌弘さん.構造計画としては非常にモダンな回答.
この住宅も,みかんぐみ『上原の家』のように,1,2階はほとんどが壁に囲まれているため,もっと断面の大きい柱を壁の中に忍び込ませることも可能である.しかし,地下では光を落とすハイサイドライトが隣地を除く三方を囲んでいるが,最低限の鉛直力を持つだけの構造体は,その開口部をほとんど妨げることがない.結果的に,構造のあり方をそのまま意匠が表現している.
構造体はどのような建物にも明確に存在するが,それを可能な限り意識させないように表現するという考え方がある.例えば,構造体を可能な限り最小の断面とすることで,存在感の小さなものとする方法は代表的なものである.しかし,この住宅では,目の前に見えていながらも,それが別の用途(ここでは螺旋階段の手摺)として存在しているため,構造体とは気が付きにくいという方法を取っている.

建築 | Posted by satohshinya at April 27, 2004 8:06 | TrackBack (0)

構造の遍在

建築の構造体が遍在しているのは当たり前のことである.柱や梁,壁は,建築空間の中にいれば,至る所に存在していることがわかる.例えば壁構造の建築であれば,目の前にある壁の全てが構造体であろう.もし構造体が偏在しているのであれば,おそらくアクロバティックな構造形式を取らなければならない.
みかんぐみ設計の『上原の家』を見た.構造はArup Japanの金田充弘さん.この住宅でも構造体は遍在している.ただし,本棚という姿に変えて.その本棚は,自らを構造体であると主張することなく,そのそぶりを見せずにあちらこちらにあるため,構造体ではないだとうという錯覚を起こす.
モダニズム建築においてル・コルビュジエは,列柱に支えられる床と,構造的な役目を持たない壁を分離した.所謂,「自由な立面」.その究極的な住宅がミース・ファン・デル・ローエの『ファンスワース邸』で,8本の柱に支えられているため,全ての外壁がガラスとなっている.その意味では『上原の家』も,「住宅特集」4月号や「建築文化」4月号で紹介されている建て方の写真を見ればわかるように,列柱状の本棚のみが構造体になっているため,本棚以外をガラス張りにすることだってできる.しかし,そうなってはいない.むしろ,この住宅は壁に囲まれている.
その代わりに,ここでは工業製品による薄い壁が実現されている.外部も内部も一律に工業的に仕上げられた,美しい既製品が選ばれている.ジョイント部分も工業化の恩恵を受けているため,室内にいると,飛行機や新幹線の内部にいるかのような感覚を受ける.この感覚は,今までの建築にはなかった質を実現している.
一方で,『上原の家』を視覚だけから見ると,どのようなことが考えられるだろうか? この住宅はガラス張りではないわけだから,壁を構造体として使用することもできるはずである.同様な仕上げを内外部に用い,その隙間に柱を入れればよい.意匠的に壁の薄さを強調している部分もないため,壁が厚くなることは問題とならないだろう.そうすれば,わざわざ本棚が遍在する必要もない.しかし,当たり前の話だが,建築は視覚だけで体感するものではない,ということを考えさせられた.

建築 | Posted by satohshinya at April 24, 2004 9:47 | TrackBack (0)

近代建築をめぐる12年前の話

僕がレム・コールハースに初めて会ったのは12年前である.『行動主義 レム・コールハース ドキュメント』瀧口範子(TOTO出版)にも触れられているが,日本大学理工学部で行われた「都市講座」のときであった.その3日間のレクチャーを書き起こした中から,ほんのわずかな部分を取りだして「建築文化」1993年1月号に掲載した.近代建築との距離ということで,この言葉を思い出した.12年後の彼の作品を考えると当然のように思えるが,当時の僕にとっては状況を正確に批評するショックな言葉だった.
《確かに私にとっての隠れた英雄というのは明らかに近代建築の人達であります.彼らは大変重要な基準を設けてくれたと思います.私の作品も1988年までは初期の近代建築の特徴を顕著に現していました.特に80年代のポストモダンの爆発的な影響の中では,初期の近代建築に倣ってつくることは必要であり,容易であると思っていました.しかし,私はあまりにもそれらに依存していたので少し不安になってきたのです.単なるノスタルジアから,審美的な要素だけからそれらを非常に尊重してしまったのではないだろうか? 私達の20世紀という非常に信じられないような変革が起きている時代の中で,建築だけが古いもの,70年前のものに対してオマージュのようなものをつくってゆくことが,果たして正当な方法なのだろうか? 私は自分の創造力を本当に必要なところだけに用い,それ以外は既知のボキャブラリーに頼る方がよいと思っていました.しかし,最近の私の作品には近代には例のないようなスケール,プログラムが関わっており,とても今までのボキャブラリーではつくれないものが出てきたのです.それから,私自身も驚いているのですが,私は少しオリジナルになりたいと思い始めているのです.建築を始めたときには,私はオリジナルにはなりたくない,自分は決して独創性を発揮しなくてもよいと思っていました.しかし,今までの方法に飽きてしまったからなのかもしれませんが,最近は新しい発明や発見に関心を持ち始めているのです.》

COMMENTに対して,3年前の話も付記する.レムと浅田彰,磯崎新が登場したシンポジウムに行った.詳細な話は覚えていないが,そのときに浅田彰はレムを「ポスト・コロニアリズム」と批判した.記録集『都市の変異』(NTT出版)も発売されているので,詳しくはそちらを見てほしい.浅田は同様の主旨の文章も書いている.CCTVコンペ以前の状況は,こんな感じだった.

建築 | Posted by satohshinya at April 14, 2004 1:35 | TrackBack (0)

ズレているモダンな構造

佐藤光彦さん設計の『巣鴨の家』を見た.構造はアラン・バーデンさん.何れ雑誌にも発表されるだろうが,アランさんのホームページを見てもらうと話が早い.それほど大きくない住宅だが,3世帯4人(夫婦2人,親1人,姉妹1人)が住む.その生活を成立させるための部屋の構成の是非については判断が付かないが,その構成を了承したとすると,構造の解決方法は興味深い.
2階部分のエキスパンドメタルに囲まれた外部(!)は1本の柱で支えられているだけで,外周にはブレースがなかった.当然全てS造だろうと思ったら,光彦さんに木造だと言われた.もちろん,2階部分の柱と,その上下のフレームはスチール製であり,実際にはハイブリッド構造である.どちらかと言うと,材料の特性(強度,重量),経済性などを考慮した構造形式は,合理的なモダンな構造であろう.しかし,部屋の配置による空間構成が通例とは異なるため,合理的な構造でありながらも,それほど合理的には見えない.
更に2階部分の柱は,蛍光灯による照明が取り付けられ,ポリカーボネート板に覆われているため,構造上で必要なスチールの柱に対し,意匠上はかなり太めのポリカの柱が支えているように見える.柱を細くすることで構造体を意識させない,構造技術に寄り掛かるだけのモダンな方法ではなく,構造体でありながら,それを別のものとして認識させている.
もちろん,この住宅のスチール柱の太さは非常に細く,モダンな構造を突き詰めた上で,それが少しズレていることにより,おもしろさを獲得しているのだと思う.

建築 | Posted by satohshinya at April 7, 2004 7:46 | TrackBack (0)

ポストモダンな構造

構造設計チームとして参加した建築が昨年完成した.『中国木材名古屋事業所』がそれである.意匠設計は福島加津也さんと冨永祥子さんご夫妻.実施コンペにより実現したものだが,構造設計を担当していたのが僕の大学の同期だった多田脩二で,そのため構造チームに加わることとなった.岡田章さん,大塚眞吾さん,宮里直也たちとともに,実施設計に向けて頻繁に行われたミーティングに参加することとなった.
提案の中心となったのは,木材事業所の事務空間の架構.木材による吊床版として,並べられた木材にケーブルを通し,それを両端から吊すことで屋根をつくるというものだった.施主が木材納入・加工業者であったことから,かなり過剰な数量の木材を面的な構造体として使っている.正確には半自碇式の吊り屋根構造と呼ぶらしいが,この「半自碇式」という言葉が構造設計界では話題になっているという話も聞く.詳しい構造的な話は,4月中旬に発売になる「建築技術」5月号に,多田と岡田さんによる解説文が掲載されるらしいので,そちらを読んでほしい.
構造チームに属していながら僕は構造の専門家ではないので,イメージだけの感想でしかないのだが,モダニズムの建築が持つ明快で経済的な構造形式と比較すると,この構造は非常に不思議なバランスで成立しているように思う.もし経済的な要求のみを優先した場合,今回のような構造への木材利用は必ずしも有効ではないかもしれない.しかし,これは別に否定的な意味で言っているわけではない.
構造材である木材をそのまま天井仕上げ面として見せるために,長さ3メートル,幅120ミリの集成材を136本並べ,7本のケーブルを貫通させ,更に厚さ9ミリの鉄板を貼ることで1つのユニットをつくり,それを11ユニット並べる.つまり,この曲面を描いた天井(屋根)面には1,496本の集成材が敷き詰められていることになるのだが,微細に見ると,変形の少ない集成材の使用と,正確なプレカット加工という工業的な技術によって,たった150ミリの厚さの中でケーブルと鉄板によるサンドイッチ構造が成立しており,俯瞰して見ると,それが16.5メートルのスパンに吊り下げられることで,緩やかな曲面が決定され,自己釣り合い系の構造が成立している.
部分と全体の関係が一繋がりの線的な関係を持つモダニズムの関係と比べると,この建築の部分と全体の関係には明らかな断絶,もしくは飛躍を感じる.微細な構造によって,ある性状を持つ材料(ここではサンドイッチ版)を生み出し,まずはそこで一段階が終了.次の段階では,ある材料の特性を活かした全体の構造(ここでは吊り構造)を成立させている.それらには,決定的な連続性はない.もちろん,連続性はあるが,それぞれは交換可能な関係を持っているように思う.
そこで,例えばこのような不思議なバランスで成立している構造を「ポストモダンな構造」と呼んでみたらどうだろうか,と思っている.

建築 | Posted by satohshinya at April 4, 2004 6:42 | Comments (1) | TrackBack (0)