建築展における困難

hanaさんの「怒髪点!〜MoMA谷口吉生のミュージアム」を受けて.hanaさんの怒りはよくわかる.しかし,それではいかなる建築展であるべきだったのか?
NY展と日本展について,その企画はMoMAのテレンス・ライリー氏と谷口氏によるもので,展示構成に至るまで完全にコントロールされたはずだから,もしこの怒りがオペラシティのキュレーターに向けられたものだとするならば,それはお門違いではないだろうか? むしろ怒りは,この2人に向けられるべき.その意味では,個人的な感想としては,よくも悪くも非常に谷口作品的な展示であったと思う.《建築展に来るようなひとは谷口さんの仕事,知ってるっつーの.》という前提に立つか立たないかが,まずは大きな違いだろう.おそらく2人はその前提に立っていない.《NYと同様,谷口さんをあまり知らないひとが多く見に来るという想定》だったろう.
そこで,疑問の1つ目.そもそも建築展は誰が見に行くの?
今はどうだか知らないが,今はなきセゾン美術館で建築展をやっていた頃,通常の美術展よりも建築展の方が来場者が多いと聞いたことがある.美術展の場合は対象者の興味が美術に限られてしまうが,建築展の場合はデザインや美術などに興味を持つ人も含めて幅広く見に来る可能性があるらしい.そうだとすると,建築家の仕事を知っている人が来るという前提は疑うべきではないだろうかと思う.しかし,本当に誰が見に行ってるのか?
2つ目の疑問.《建築展における新鮮な情報,新鮮な視点,新鮮な展示方法》とは?
今回の谷口展に関していえば,元々がMoMAの企画.彼らは建築に関する模型やドローイングを美術品だと考えている.確かにMoMAの建築コレクションは美術品的な価値がある(歴史的評価を抜きにしても).これらを美術品としてそのまま展示するという方法.例えば森ビルの展示.かつてのセゾンにおけるコルビュジエ展,アアルト展などもこれ.
その対極にあるのが,建築家が美術作品を作ってしまうもの.例えばみかんぐみの展示.建築家が空間を扱う職業であることを考えると,そのバリエーションとしてインスタレーション作品を作ってしまうのはよくわかる.クルト・シュヴィッタース『メルツバウ』最初のインスタレーション作品と言われていて,そもそもインスタレーション自体が建築的な行為であったということを示している.
そして,《建築展における新鮮な情報,新鮮な視点,新鮮な展示方法》を目指したであろうもの.図面とドローイングを展示用に再製作・再構成するもの.例えば金沢でのSANAA展(写真は長尾亜子さん提供.コンペ当選案の1/20模型).

sanaa_1.jpg sanaa_2.jpg

ギャラリー間などの建築専門ギャラリーでは,この手のものがよくある.1つ目のヴァリエーションかな?
更にこの場合は,建築家としてのマニフェストへと発展することが多い.例えばOMA展.模型やドローイングを美術品にするわけでもなく,展示自体を空間的な作品にするわけでもない.強いて言うならばコンセプチュアル・アートみたいなもの.2つ目のヴァリエーションかな?
そして,最後の疑問.そうまでして,なぜ美術館で建築展は開かれなければならないのか?
誰か一緒に考えてください.

建築 | Posted by satohshinya at June 10, 2005 10:29


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Excerpt:  おいコラ!建築展のキュレーターのひと!! ええ加減、怠惰な展示方法から脱却する努力をしてくれ!  私は怒っています。怒りはオペラシティにて開催...

Tracked: June 11, 2005 4:19 PM

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Tracked: June 12, 2005 3:01 AM

» 空間を空間で表現すること from satohshinya
Excerpt: 皆さんコメントありがとう.前回のエントリーの続き. いくつかはっきりした問題点....

Tracked: June 21, 2005 7:31 AM




Comments

講演会の時に谷口さんが、昨年行われたMoMAでのNine Museumsは(市民に対して、MoMAが選択した設計者がいかなものなのかと言った)教育的な意味での展覧会であったと言っていた。
日本における展覧会は、その「巡回展」であって、それ以上でもそれ以下でもない。hanaさんが気に入らない点であろう、「建築がいかに楽しいか」といったようなことは、ある意味つきはなしているのかもしれない。建築学生であれば、完成された建築家にどれそれと新しさをきたいするよりも、歴史的な解釈としてみるもんなんではと思う。
shinyaさんの木場の美術館に対する怒りをみれば感じれるように、美術館が美術館としてかかげる「現代」とか「近代」とかいうのはかなり曖昧に(てきとーに?)なってきている。(もともと定義自体が曖昧だし、再構築の余地があるのだろうと思う。21世紀美術館なんていのはそれに対して意見しているようにとれる。)また、そこで建築展が行われることに歴史的な文脈を知らない学生にとっては、なんの疑問も無いのではなかろうか。思うに美術館というのは、美術を展示する場というよりは、市民が集まるサンクチュアリ的な立場の上で、いかなるコンテンツが存在するのかというようにも見れる。

Posted by simon at June 11, 2005 12:39 AM

shinyaさんの言うように良くも悪くも谷口作品らしい展示だと僕も思う。個人的には好きな方です。具体的には「社会的責任の上で空間を扱う職業としての建築家像」が展示を通して伝わってきたからなんです。その空間を伝えるためには本当は1/1を体験してもらうのが一番よいのだろうが、凝縮して一度に伝えるために結果として写真,映像,模型がツールにならざるお得ない。だからぱっとみかなりつまらないのだが、例えば模型なんてよくみると恐ろしくスケール感を大事に精巧につくられている。そのため大袈裟だけどちょっとしたバーチャルリアリテで釘付けだった。写真も必ずといっていいぐらい周辺の状況がわかるものが含まれていて都市の中での建築の在り方がイメージできる。ただしこれらの楽しみ度は見る人によってかなり差があるから手放しにこの展示方法が良いものとはいえないと思うが、社会に対して誠実で寡黙な姿勢が伝わってきて大半の1/1を見た僕でも楽しかったな。さて、どのような建築展がおもしろいか?は別として、もし日本で建築展を美術館以外で行うならどこか適切なのですかね?そう考えると逆にわかりやすいホワイトキューブの美術館以外が難しいかなと思う。もしどこかのビルのオープンな場所で行われるとたぶん建築展というよりかは新しい建設のお知らせに間違われそうだしな。どうなんでしょうね。

Posted by hy at June 11, 2005 3:49 AM

私も、shinyaさん、hyさんと同意見でした。
言い方が合っているかわからないけれど、谷口さんの展示はあれでいいんじゃないかと思います。
並んでいた模型の数々は非常に精巧だったし、コンセプチュアルな模型やCGが全盛となっている今、ある意味新鮮だった。そして研究室での(魔の?)模型作りを思い出し、ちょっと懐かしかった。(これは個人的感情ですね…。あの模型たちは誰が作ったのかなあ。)
純粋に楽しんで帰ってきました。
ほかの建築家の展示、毎回あの形式の展示だとしたならばそれはオペラシティの?怠慢なのかもしれないけれど…。
新しい建築展の展示方法かあ、難題ですねえ。。

Posted by ume at June 13, 2005 10:12 PM

前にヌーベル展やってましたね。あの時は写真とmovieだった記憶があります。あれは記憶にはなんとなく残っているのでまあまあだったのかな。

Posted by hy at June 15, 2005 2:21 AM

コンペから開放されたので、遅れませながらコメントを。
実は最近二つも僕の事務所の展覧会が行われています。
Pavillon De L’Arsenalというところで行われているのは
コンペの結果報告展と言うこともあり
模型・プレゼンボードの展示。
FRACと言う会場で行われているのはうちの個展で
インスタレーションと模型、プレゼンボード、映像を混合したもの。

僕は谷口展を見ることが出来ないので比較は出来ないのですが
やはり、うちがやっているような混合展示が
一つの可能性のような気がしています。

と言うのも、建築と言う体感形式のメディアを
伝えようと思うならインスタレーションは
有効な手段だと思っています。
過去のプロジェクトの「模型」や「ボード」を鑑賞する
という設計条件のものに空間を構築していくことは
様々なレベルで建築家の思考を読むことを可能にしている気がします。
僕が直接担当したギャラ間の「古谷誠章展」もこれを狙いました。

模型が実作よりも建築家の理想世界を表すといえるのであれば
インスタレーションとは体感としてこれを可能にするメディアだと思う。

思考とメディアの相関関係は強力であることは言うまでもないけれど
模型・ボード系からインスタレーション系への以降は
建築に対する視点が、対象視から環境視に移行している
ことを象徴的に表しているのかもしれないな。

他の可能性は・・・・
もう少し考えて見ます。

Posted by sugawara at June 20, 2005 8:05 AM

hyさんの
>ビルのオープンな場所で行われると
>たぶん建築展というよりかは新しい建設の
>お知らせに間違われそうだしな。

って実は面白そうですよね。
都市のどこかが各月で建築家のインスタレーションとして
変化している。
それがバーとかカフェだと楽しくって飽きないかも。

というのも、僕は学生のころバイトしていたCAFEの経験が
心に焼きついています。
広告代理店が経営していたCAFEなんだけど
雑誌やブランドの特集ごとに「○○CAFE」として
営業するんですね。

建築が解体されたのであれば、ある建築家の理想によって
その場の全ての要素(飲み物・食べ物・従業員の衣装)が
組み立れた空間が、隔月くらいで
ビルの狭間に幾つか現れたら
東京もよりいっそう楽しいだろうな。

小沢剛さん(記憶薄)か誰かが昔ワタリウムでやってた
「GAME OVER(記憶薄)」のカフェとかはその例なのかな?

Posted by sugawara at June 20, 2005 9:03 AM