理性の思考

最近はエントリもサボり気味なので,hyのエントリに合わせて昔の文章を発掘.これは大学院1年の時(1992年)に,故近江栄先生の授業で提出したレポート.なぜか内容が近江先生の逆鱗に触れ,ひどい成績を付けられた.近江先生は村野さんが好きだったようだが,当時の僕は大嫌いだった(今でも嫌いだけど).

《おそらく,村野藤吾の作品に僕の意識が初めて向いたのは,『日本近代建築史再考』という本の中に「日本ルーテル神学大学」(l970)のカラー写真を見たときであろう.それはl970年に作られた現代建築とはとても思えないものであった.確かにその造型には興味を引かれるものがあった.しかし,それと同時に自分はその作品からは距離を置いておきたいと感じていた.それから,僕は何冊かの村野の作品集を見て,いくつかの作品を実際に回った.結局のところ,それは僕自身の村野藤吾に対する直感を確認する作業でしかなかったような気がしている.村野の作品は確かに「上手い」と感じられるものであった.しかし,自分も含めて,この現代において建築を作ろうとするものにとっては,村野に心酔することは危険なことに思える.その先には出口がないのではないか?
その村野藤吾と対立させる建築家として,僕は磯崎新を登場させてみたいと思う.l99l年の暮れ,磯崎は日本大学である講演を行なった.その中で磯崎は日本に対し,「論理構築が欠如しており,それゆえ土着様式にしかならない」という意昧の発言をした.確かに磯崎は,一貫して建築上の論理構築を続け,現在では「世界のISOZAKI」として認められている.それに対して,村野は「世界の村野」であったのか? 近江栄氏はそのことについて次のように書いている.《我々はこれまで「世界の村野」という言葉をきかなかった.しかし村野は,この国に「根付く」こと,与えられた宿命的な生き方を生き抜くことに徹したのではあるまいか》(「折衷の体系」).そこで,この「根付く」という言葉に注目し,村野と磯崎の建築を比較してみたいと思う.
村野の作品には,文字通り建築の足下において「根付く」表現を行なっているものが多くある.その代表的な作品は「宝塚カトリック教会」(l966),「日本ルーテル神学大学」,「谷村美術館」(l983)などである.村野自身はこの表現について,次のように書いている.《建物が地面に建っているというより,「はえ」ているようにしたいと思った.土と建物とのつながりに軟らかさと無抵抗さがあらわれ,上と建物とが一体となって自然さをあらわせないものか》(「宝塚カトリック教会」l967).この表現に対して,僕は非常に嫌悪感を感じている.その表現は,あまりにも短絡している.
それに対し,磯崎の作品は直接的に土地に「根付く」ようなことはない.たとえば,「群馬県立近代美術館」(l974)の自註の中で磯崎は次のように書いている.《ただ,この敷地が完全に平坦な土地であったこともあって,芝生のうえに(立方体のフレームが)ころがっているというイメージが生まれてきた.立方体のフレームは人工物体のひとつの典型である.自然のもっている有機的な形態とは基本的に対立する.その対立の関係を表示するためにも,芝生にころがっているという言いかたが,もっとも適切なように思われる》(「作品自註」l976).磯崎が土地に「根付く」としても,それは村野のような短絡的な方法を取ったりはしない.《ひとつの土地,ひいては場所が,不可視の引力で支配をつづけている》という土地の文脈と関係を取り結ぶことが,磯崎の建築にとっての「根付き」であるのかもしれない(反建築的ノー卜IV」1974).しかし,その土地と建築の関係は,村野のように,必ずしも友好的であるわけではない.その土地の文脈は,歴史的文脈と重ね合わされ,あるときは肯定的に,あるときは否定的に取り扱われる.そして,それらの文脈に対応する解答を紡ぎ出す論理構築というゲームこそが,磯崎の《建築》である.
村野は,「根付く」ために用いる「生える」表現について,次のようにも語っている.《土地と建物の境界線がはっきりしないでしょう.あれは木や草を植えて.自然にできたものです.つまり建物というのは普通,土地の上に建っている.土地の上にずばっと立ったというのが近代の考え方ですが,そうじゃなくて自然と建物と土地とが平和的に,和やかにつながるというのが私の作品にはみな出ています.土地と建物がけんかしないようにする》(「自然との調和が大切」l982).この平和という言葉を,村野のヒューマニズムと呼ぶのであろう.《また村野は土地を重視し,意識的に大地に根付いたかたちのデザインを示していることも注目すべきであろう./土地に建物が自然に根付き,植物と同じように呼吸している姿であり,人間と土地のつながりは,人と人とのつながりに発展していくことが意図されているようだ./この上地(大地)に根付かせるという意図は,いわば村野がわが国の日本の風土,文化に根付かせようとする姿勢のあらわれでもあったろう》(「折衷の体系」近江栄).そして,この「根付く」表現を取ることで,村野の作品は土着様式であり続けた.しかし,それは村野の意図するところでもあった.一方,磯崎は論理構築というゲームを繰り広げる.その結果の建築は,土地に「根付く」というよりは,土地に「置かれ」る.磯崎は論理構築の欠如と土着様式を直接に結び付けている.しかし,たとえば安藤忠雄という建築家は,論理がないといわれているが,「世界のANDO」として十分に認められているという事実がある.そして,安藤の作品もまた,土地に「置かれ」ている.村野の言葉を借りれば,それは「土地の上にずばっと立っ」ている.つまり,単純に「根付い」てしまうことが,土着様式を生み出すことになり,「日本の村野」を生み出すことにしかならなかった.「置く」ための論理を構築することが,世界に向き合う方法となりうるのである.
磯崎は,《〈共生〉よりも諍(あらがい)を》選択する.「建築とは自然から離れ,自然の法則から離れた別な法則を見つけ出し,組み立ててゆくことである」と語る.《私は〈建築〉とは構築する意志であると考えている》.日本に欠如しているものは,この構築の意志である.《(〈共生〉には)本来,相容れることのないはずの自然環境と人工的構築物が矛盾せずに共存しうるという“偽の調停”が成立》している.《その場所に張りめぐらされている歴史的,共同体的文脈を読みとりながら,それと連続の関係をとり結ぶ》ことが重要である.そこには,《損失し,変換が起こるが,異変と突出はない.埋没と同化ではなく,対峙と拮抗があるだろう》(「景観論の罠」l992).結局,自然と平和に結び付こうとした村野は「日本の村野」で終り,自然と諍う磯崎は「世界のISOZAKI」となった.しかし,村野が土地に「根付」かせようとしたことも,《“偽の調停”》ではなかったのか? 先に触れた磯崎の日本大学の講演会の中で,近江栄氏は「なぜ村野藤吾は『世界の村野』ではなかったのか?」という問いを磯崎に発した.それに対し,磯崎は「村野は近代以前であるから」と答えている.僕の村野に対する最初の直感もそこにあると思える.
【参考文献】『村野藤吾著作集』村野藤吾 1991(同朋舎),『別冊新建築 現代建築家シリーズ 9 村野藤吾』1984(新建築社),『手法が』磯崎新 l979(美術出版社),『建築の修辞』磯崎新 l979(美術出版社),『日本近代建築史再考 虚構の崩壊』村松貞次郎・近江栄他 1970(新建築社),「建築雑誌」l992年6月号(日本建築学会)》

建築 | Posted by satohshinya at August 19, 2005 0:13


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