構造の遍在

建築の構造体が遍在しているのは当たり前のことである.柱や梁,壁は,建築空間の中にいれば,至る所に存在していることがわかる.例えば壁構造の建築であれば,目の前にある壁の全てが構造体であろう.もし構造体が偏在しているのであれば,おそらくアクロバティックな構造形式を取らなければならない.
みかんぐみ設計の『上原の家』を見た.構造はArup Japanの金田充弘さん.この住宅でも構造体は遍在している.ただし,本棚という姿に変えて.その本棚は,自らを構造体であると主張することなく,そのそぶりを見せずにあちらこちらにあるため,構造体ではないだとうという錯覚を起こす.
モダニズム建築においてル・コルビュジエは,列柱に支えられる床と,構造的な役目を持たない壁を分離した.所謂,「自由な立面」.その究極的な住宅がミース・ファン・デル・ローエの『ファンスワース邸』で,8本の柱に支えられているため,全ての外壁がガラスとなっている.その意味では『上原の家』も,「住宅特集」4月号や「建築文化」4月号で紹介されている建て方の写真を見ればわかるように,列柱状の本棚のみが構造体になっているため,本棚以外をガラス張りにすることだってできる.しかし,そうなってはいない.むしろ,この住宅は壁に囲まれている.
その代わりに,ここでは工業製品による薄い壁が実現されている.外部も内部も一律に工業的に仕上げられた,美しい既製品が選ばれている.ジョイント部分も工業化の恩恵を受けているため,室内にいると,飛行機や新幹線の内部にいるかのような感覚を受ける.この感覚は,今までの建築にはなかった質を実現している.
一方で,『上原の家』を視覚だけから見ると,どのようなことが考えられるだろうか? この住宅はガラス張りではないわけだから,壁を構造体として使用することもできるはずである.同様な仕上げを内外部に用い,その隙間に柱を入れればよい.意匠的に壁の薄さを強調している部分もないため,壁が厚くなることは問題とならないだろう.そうすれば,わざわざ本棚が遍在する必要もない.しかし,当たり前の話だが,建築は視覚だけで体感するものではない,ということを考えさせられた.

建築 | Posted by satohshinya at April 24, 2004 9:47


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