多様性の中の日常

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蘭(北京)by Philippe Starck 

最近、100ドルパソコン(初期モデルは188ドル)の量産が始まった。ネット格差を是正したい理想を掲げている。そこで世界60億のうち10億人しかネットにアクセスできていないというデータが示されていた。そもそもネット格差というのは何だろうか。ネットについての今のところの整理としては「ネットは仮想空間ではない、人を接続するツールだ」というのが個人的には腑に落ちている。ネットはまだまだ使う人の入れ込み具合で価値のあるものかそうでないかが分かれるような使い勝手である。社会的には全面的にネットの有用性を認知されていない。まだまだ走り出した時期であるために、善にも悪にも簡単に振り分けられてしまう危険性がある。だから、社会学的な認識レベルでも経済レベルでも日常にどのように着地させていくのかという明るい試みが顕在化し始めている時期である。そのひとつが100ドルパソコンと言えるのかもしれない。ネットは多様性を集積させ何かを顕在化させる新しいツールとなるのだろうか。グーグルだったか、政治の決定は全人民がネットにアクセスできる状況になれば、集計さえとれば精度の高い結論が得られるなんて仮説を挙げていた気がする。

建築の話ですが、最近考えるキーワードのひとつに、「全体を構成するシステムの中でいかに多様であることを受容していくのか」ということを考えている。おもしろいなと思っている。べつに新しいフレーズではないのですが、今それを考えるとどうなるのか。今後それをずっと考えていくとどのようにおもしろくなるのか。写真にある北京にあったスタルク設計の蘭はちょっとやられたのです。今年見た中ではNo1です。完成した内装だけを見る限りでは一体何を考えてやったか見えてきません。個人の狂気が最大限に拡大し生まれた偶然という、奇跡のような空間だと思います。きっと今の日本では実現できない、中国バブルを体感できるとも言える。この何もかもが混在した空間が巨大であるということも面白いと思った。それがスタルクにしかできないものなのか、何か普遍性があるもので、僕らにもリミックスの余地があるのか。一番やられたなぁと思ったのは日本人のデザインは同じような型の中で微妙な差を味わうところがあるが、スタルク主義というような個人の世界に引き込むようなデザインというのはあまり見たことがない。

帰国してから東浩紀周りの出版の多さに追いつけていないのだが、席巻する「つながりの社会性」人文系が語るネットは分かりやすくてお勧めである。久しぶりにシンポジウムでも聞きに行こうか。

blog | at November 18, 2007 13:55