京都国立博物館 平成知新館

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京都国立博物館 平成知新館(2014)谷口吉生

昨年に開館したばかりの「京都国立博物館 平成知新館」へ。1998年にコンペで選ばれて以来、16年を経てようやく開館した。「東京国立博物館 法隆寺宝物館」(1999)の構成と同様に、開口部を持たない展示空間をオープンな共用部で包み込んでいる。
展示室については、法隆寺宝物館が単純な2層構成であったことに比べ、平成知新館はスキップフロアとも呼べる入れ子状の空間構成になっていて、展示品を上から見下ろすことができる。1階には大型の彫刻が展示されており、展示室の天井高、大きさともに迫力があるのだが、2階は絵巻や仏画などが展示されているため、ほとんどが壁面のガラスケースによる展示であり、実際には2層吹き抜けはオーバー。それでも短手中央に集約された動線を介して、さまざまな展示室が顔を覗かせる構成は単純ながらおもしろい。また、法隆寺宝物館では階段が展示室外に押し出されていたが、ここでは階段も展示室内に納められており、上下しながら展示室を眺める視点が得られていることも評価できる。しかし、サインが中途半端であることも原因だが、動線がわかりにくい。展示室外にもう1つ階段があり(EVは展示室外のみ)、毎回展示室を出て展示室外の階段で上下するべきか、展示室内の階段を使うべきかがわからない。もちろん、どちらでもよいのだが、展示品を鑑賞するという体験を考えると、この両者は大きく異なる。また、展示品の保護を考えると仕方がないのかもしれないが、展示室内が異様に暗い。作品鑑賞上も暗いほうが集中できるのかもしれないが、展示室全体の雰囲気を考えると、もう少し異なったアプローチはないのだろうか。
一方で、疑問を感じたのは展示室外の共用部。特に庭に面したホール部分。いったい何のためにこんな巨大な空間があるのだろうか。例えば、同じ谷口の「豊田市美術館」(1995)では、同様なホール部分にホルツァーとコスースの作品が常設されていることにより、しっかりと役割を持った魅力的な展示空間となっている。しかし、平成知新館ではベンチが数台置いてあるだけで、ほとんど具体的な機能を持たない「空間」だけがある(もちろん、庭を眺めるという機能はあるけれど)。設計者はどのように思うか知らないけれど、いっそのことこの空間も、展示やイベントなどに積極的に使っていければよいと思う。例えば、博物館の展示品と関連した現代美術の展示を行うとか、運営はぜひ工夫してほしい。現代において国家の持つ博物館がどのような象徴性を持つべきなのか、それを建築空間がどのように体現すべきなのか、という視点があるのならばまだしも、こんな巨大なスペースが単なる動線空間として無駄に使われているだけなのはなんとももったいない。
それから、全体の配置について。平成知新館が完成し、正門は団体客用の入口となり、機能的な正門は谷口が設計した南門(2001年)となっている。もちろん、三十三間堂との関係や、交通面では南門をメインエントランスとすることが適切なのかもしれないが、建築物や庭の配置を考えたとき、やはりこの敷地へは正門からアプローチすべきなのではないだろうかと思う。南門から入る場合、そこからまっすぐに平成知新館へ延びる軸線が強調されすぎており、片山による「陳列館(本館)」(1895年)は控えめに見える。しかし、本来であれば、正門から本館へアプローチしていく途中、左側に控えて平成知新館が建っている、という見え方が望ましいのではないだろうか。そうすれば、もう少しだけ、平成知新館の長大なガラスファサードに意味が持てるように思う。まあ、それも運営の問題であって、設計者の問題ではないのかもしれないが。

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建築 | Posted by satohshinya at January 8, 2015 0:02 | TrackBacks (0)

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