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巨匠の美術館@firenze

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フィレンツェには多くのフィリッポ・ブルネレスキによる建築があって,ファサードの連続アーチが有名な『捨て子養育院』もその1つだが,そのアーチの上が「Galleria dello Spedale degli Innocenti(捨て子養育院美術館)」になっている.

とはいっても,これはブルネレスキが設計した美術館というわけではなく,養育院の談話室であった場所を機能転用したもので,それ以外はユネスコなどが利用している.狭い階段を上がり,木組みの見える天井が高く細長い展示空間にボッティチェッリの絵画などが展示されているだけで,特別な美術館というわけではない(参考リンク:内部写真).確かに子ども向けのスケールというよりは,美術館の方がふさわしいかもしれない.建物は必見だが,美術館としてはそれほどではない.
「Galleria degli Uffizi(ウッフィツィ美術館)」「Galleria dell'Accademia(アカデミア美術館)」には行けず.

美術 | Posted by satohshinya at November 27, 2006 23:16 | TrackBack (0)

水の都と貴族の館と現代の美術@venezia

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「Palazzo Grassi(パラッツォ・グラッシ)」はカナル・グランデに面するグラッシ家の館を改修した美術館である.Giorgio Massari設計により1772年に建てられ,1978年から美術館として使いはじめられた.83年からはガエ・アウレンティ改修によるフィアット社の美術館となっていたが,所有者が変更し,今年の4月から安藤忠雄改修による新しい美術館として再びオープンした.

ここでは「“Where are We Going?”」展が開催されていて,新しい所有者であるFrançois Pinaultのコレクションが展示されていた.Pinaultはパリ郊外に安藤設計による巨大な美術館を計画していたが,事情により中止となったため,この館を購入したそうだ.コレクションの内容は好き嫌いがはっきりしそうだが,個人的には非常に興味深いものだった.ヴェネチア中に貼られている展覧会のポスターには村上隆『Tamon-kun』『Koumo-kun』(2002)が登場しており,それらとジェフ・クーンズの『Balloon Dog (Magenta)』(1994-2000)が運河沿いの外部に展示されていた.しかし,村上作品が展示してあるテラスに出ようとするが出ることができない.係員に聞いてみると,観客は出ることができないそうだ.確かにヴァボレット(水上バス)からは見ることができるのだが,スピードも速く,距離もあってチラッと見える程度.仕方なくガラス越しに後ろ姿だけを見ることにするが,ポスターにまで使っておきながら,この展示方法には唖然とした.バカにするにもほどがある.オラファー・エリアソン『Your Wave Is』(2006)は大掛かりなインスタレーションで,夜になると線上のワイヤーが発光して建物全体を覆う.
入口から入ったところにはトップライトを持つ吹き抜けがあり,ここも展示空間として使われている.そこから階段を上がった2,3階が展示室である.もっともおもしろかったのは,一度は見てみたかったデミアン・ハーストの『Some Comfort Gained from the Acceptance of the Inherent Lies in Everything』(1996).彼の作品集『I Want to Spend the Rest of My Life Everywhere, With Everyone, One to One, Always, Forever, Now』(2000)で見たことのあった牛の輪切りだが,予想していたとおり得も言われぬ迫力があった.ところでこの本だが,個人的にはレム・コールハース『S,M,L,XL』(1998),河原温の『Whole and Parts 1964-1995』(1997)とともにすばらしい作品集の1つであると思う.こんな本ならばぜひ作ってみたい.他にはあまり見慣れないタイプのドナルド・ジャッドの作品『Untitled』(1968),フェリックス・ゴンザレス=トレス(参考リンク:インタビュー)の『“Untitled” (Blood)』(1992)がよかった.村上隆の『Inochi』(2004)くんも展示されていて, CM風のビデオ作品がリピート上映されていたのだが,はたして日本語がわからない人たちにどのように見えていたのか…….しかし,こんなところにコレクションされていたとは驚いた.この展示のwebには全作品の画像が掲載されていて,展示室の画像や動画も見ることができる(参考リンク:Casa Brutusカメラマンの報告Domus Academy留学生の報告建物の変遷).
さて,肝心の建築の話.チケットには展示室の上隅部の写真が使われていて,そこには既存の装飾的な天井と,白い展示壁面と,シンプルな照明器具だけが写っている.それが端的に示すように,今回の改修は白い壁に照明,白い床だけをデザインしたのだろうと思っていた.実際に調べてみると,これまでの改修で附加された余計なものを取り払い,オリジナルの館の構成を取り戻した上で,展示用の白い壁と照明を加えたということらしい.コンセプトとしては理解できる.貴族の館からの機能転用だけあって,日本の住宅から比べれば遙かに大きいが,現代美術の展示室としてはやや小さい.それぞれの展示室は小部屋の連続だが,基本的に1作家1部屋なので,作品毎に独立した展示空間となることは悪くないだろう.しかし,カナル・グランデに面して窓がある部屋や,吹き抜けに面している部屋は特徴があってよいのだが,ほとんどがトップライトもない同じような展示室の連続で,それが34室もあるためにかなり単調だった.ガラスのヴォリュームが外壁から付きだしているとか,そんな余計なことをするよりはよっぽどよいのかもしれないが,あまりにも芸がなさ過ぎる.もう少し安藤らしいミニマルな作法で展示室のバリエーションを生み出すことができていたら,おもしろい現代美術館ができていたかもしれない.ヴェネチアの絶好なロケーションに建つ建築作品としては,かなり物足りない.
他にもヴェネチアでは「Galleria dell' Accademia(アカデミア美術館)」を訪れた(参考リンク).ここも修道院か何かからの機能転用.ヴェネツィア派絵画の名作が収められているそうだが,残念ながらそのよさはわからなかった.もう少し勉強してからまた行ってみよう.

美術 | Posted by satohshinya at November 23, 2006 20:57 | Comments (5) | TrackBack (0)

パノラマ@paris

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「Musée Rodin(ロダン美術館)」も邸宅を機能転用したものである.昨年,Pierre-Louis Falociにより敷地内のチャペルが企画展示室に改修され,同時にエントランスホールとしての役割を持つようになった.残念ながら企画展示は準備中であったが,トップライトを持つ展示室のようだ(参考リンク).

正直言って,ロダンの作品にはあまり興味がない.よくできているのだとは思うのだけれど,作品の善し悪しがイマイチわかっていない.19世紀の彫刻家よりは,それ以降の彫刻家に興味を持ってしまう.画家だとロダンと同時代の作家にも興味があるのだけれど,彫刻家だとブランクーシ以降の作家でないとおもしろいものがない.まあ,ブランクーシはロダンの工房で数ヶ月働いていたそうだが.
邸宅内は特に大掛かりな改修を行っているわけではなく,家の中に作品が置いてあるようなもの.ゴッホの絵も展示されていたりする.庭がとても有名で,ここにも作品がある.その中でも,庭の隅に大理石用のガラス張りのギャラリーがあって,その中に無造作に作品が置いてあるのがおもしろい.庭の雰囲気を損なわないように端に追いやられたんだろうけれど,こんな場所にあるとガラス張りの物置のようにすら見える.結局,もっとも興味深かった作品は正面に置かれていた巨大なアンソニー・カロの彫刻.企画展示として期間限定で置かれているものらしいが,こっちの方が迫力があっておもしろい.
この美術館を調べているときに,さまざまなパノラマが載っているおもしろいサイトを発見した.ロダン美術館はここにあって,さっきの物置ギャラリーはこんな感じ.ゴッホのある部屋はこんな感じ.今まで紹介した美術館についても,ルーヴルオルセーポンピドゥー市立近美などの展示室の詳細を見ることができる.MOMAまである.

美術 | Posted by satohshinya at November 18, 2006 1:27 | TrackBack (0)

ガラス@paris

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「Fondation Cartier pour l’Art Contemporain(カルティエ現代美術財団)」では映画監督のアニエス・ヴァルダの個展「L'Île et Elle」が開催中だった.10個のインスタレーションが1階と地下に展示されていて,少女趣味とすら思える不思議な作品もあった.フランス語が分かればもっと楽しめるのかもしれない(見に行った人たち:kikiさんcherchemidiさんmyさん).

残念ながらヴァルダの映画は見たことがないのだが,以前も紹介したとおりZKMFilmRaumでは『5時から7時までのクレオ』(1961)とドキュメンタリー映画『Daguerreotypes』(1974)が上映されている.しかし,残念ながら何れも字幕なしのフランス語によるもの(もちろんビデオ).映像だけを見ると,さすがヌーヴェルヴァーグの祖母と呼ばれているだけあって懐かしいものがある.今度ゆっくり見てみよう.
しかし,この透明なガラス張りのギャラリーも,ここに展示されるような現代美術作品ではあまり気にならない.ガラスの外が野趣溢れる庭であるからなのかも知れないが,なんとなく成立している.何れにしてもヌーヴェルは展示空間にはあまり興味がないようで,ガラスの展示室も建築デザインの要請によって生まれたものだろう.地下を見ると,やっぱり何も考えていないように思える.まあ,展示室について必要以上に考えている建築家は磯崎さんと青木さんくらいかもしれないけれども.

美術 | Posted by satohshinya at November 16, 2006 18:29 | TrackBack (0)

キリン@paris

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「Grande Galerie de l'Évolution(進化大陳列館)」は,国立自然史博物館の一角にある建物(参考リンク).なんといっても吹き抜けにある剥製の行進が得も言われぬ迫力を持っている.上から下をのぞき込むキリンもいたりして.

美術 | Posted by satohshinya at November 15, 2006 23:45 | TrackBack (0)

コンテクスト@paris

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パレ・ロワイヤル中庭にあるダニエル・ビュランによる『Les Deux Plateaux』(1985-86).今ではビュランのパブリック・アートは,日本にも新宿お台場新潟といくつもある.しかしこの作品は,歴史ある場所のコンテクストをていねいに読み取りながらも,最終的には恒例の8.7cmのストライプで作品をまとめあげ,それが市民に楽しそうに使われるものとなっている.そのことがもっとも評価されるべきことだろう.

美術 | Posted by satohshinya at November 15, 2006 23:40 | TrackBack (0)

ブラック@paris

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「Centre Pompidou(ポンピドゥー・センター)」の「Musée National d'Art Moderne(国立近代美術館)」では「Le Mouvement des Images」展が開催中だった.いつもならば圧倒的な物量を誇るコレクションが年代順に展示されているのだが,それらを「二十世紀と今日のアートを映画の観点から見直」すというテーマに沿って組み換え,5階のほぼ全体を使った展示が行われている.

内容はDéfilement(連続),Montage(モンタージュ),Projection(映写),Récit(物語)の4つのテーマに分けられている.代表的な実験映画を上映するスペースのギャラリーが中央に通っていて,その両側に各テーマの展示が行われている.ホームページには展示作品のリストが掲載されていて,いくつかは画像を見ることもできる.

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ギャラリーの左右の壁には交互に映像が映し出されており,それぞれの前にはベンチも設えてある.エントランスに続く最初の展示空間が,今回のテーマである映画だけを展示する場所となっていることは印象的であった.これらの展示壁面が今回のために作られたものなのか,通常の展示を流用しているものかははっきりとはわからない.以前訪れたときに見たコレクション展も,ギャラリーを中心としていたような記憶があるので,基本的には同様な構成であると思う.しかし,ギャラリーが映写のために暗いスペースとなっていることと,白黒映画の印象を延長したことの2つの理由が考えられるが,今回の展示壁には黒から白へのグラデーションから選ばれた色が塗られていた.このブログでもブラックキューブダークキューブなどという呼び名を付けてみたが,白ではない展示壁面の意図的な採用がここでも見られた.
他にも4階のGalerie du MuséeではAlfred Manessierの個展,Galerie d'art graphiqueではJean Bazaineの個展を開催していた.通常は4階に1960年から現在までの展示,5階に1905年から60年までの展示が行われているのだが,5階ではピカソなどコレクションの一部だけが展示されており,大部分は展示換え作業のためだと思うが閉館となっていた.これだけ膨大なコレクションとスペースを持つ美術館であるからこそ,このような柔軟な運営が可能であるのだろうし,おそらくこの間に展示されていないコレクションが世界中に巡回され,大きな収入をもたらしているのだろう.
ポンピドゥーは可動壁を持つユニバーサル・スペースによる美術館であったが,20年を経過した後に固定壁を持つ美術館へと改修されたことは有名な話である.「GA Japan」の鼎談において,長谷川祐子は以下のように語っている.《展示室については,大きな箱を用意して,毎回展示に合わせて壁をつくっていくのはコストがかかるということがあった.それを節約するために,ある程度,さまざまなバリエーションの部屋を設けましょうと.……その予算で,もっとアーティストを助けてあげた方が遙かにいいと思うんです.……可動式の壁という選択肢もあるのですが…….可動式の壁は空間として問題があって,非常に弱いんです.それは,アーティストもすぐ分かってしまう.》その結果,金沢21世紀美術館の展示室が生まれたわけだが,それはともかく,ここでの示唆は重要な意味を持つ.ポンピドゥーが可動壁の限界を示して固定壁となったことは,作品を展示する空間を作り出すための建築要素として(当時の)可動壁が望ましいものではなかったためである.そしてその先には,これは企画展を続けてゆく場合の問題ではあるが,展示毎に望ましい展示空間を作り上げてゆくことにコスト上の大きな問題が生じると示唆する.予算が潤沢な国立美術館ならばいざ知らず,これからの美術館を考える際に重要なポイントとなるだろう.
6階には2つの企画展示室があり,Galerie 1は準備中,Galerie 2ではデヴィット・スミスの回顧展が開催されていた.これはグッゲンハイム,ポンピドゥー,テート・モダンと続く豪華な巡回展だけあって,重要な作品が網羅されていた.しかし,この展示構成が最悪だった.大きな展示室に全く壁を作らずに,展示室を横断する台座の列を手前から年代順に並べ,台座の間が通路となり,台座が凹んだ部分だけが横断できる.つまり,手前が初期の作品で,奥に行けば行くほど晩年の作品となり,それらがレイヤー状に重なって鑑賞できるというものである.しかし,そのために全ての作品の前面が同じ方向に向けられており,1つの作品を正面から鑑賞すると,すぐ後ろに次の作品の正面が必ず目に入ってしまって非常に煩わしい.もちろん距離を取って鑑賞することも難しい.動線も不自由を強いており,作品の左右には展示台が延長されているため,作品をグルリと回りながら鑑賞することもできず,常に前後から見ることになる.平面的なアイディアはともかく,実際には雑然とした展示空間となってしまっている.さすがにこれが巡回展のフォーマットというわけではなく,テートでは普通に展示されているようだが,間違いなくこちらの方がよいだろう.
6階のテラスには坂茂さん仮設事務所がある.もちろんポンピドゥー別館建設のためのヨーロッパ事務所であり,ご存知sugawara君の勤務先である.しかし,sugawara君不在で中に入れず.

美術 | Posted by satohshinya at November 15, 2006 17:52 | TrackBack (0)

ルーヴル@paris

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はじめて「Musée du Louvre(ルーヴル美術館)」を訪れたのだが書くべきことがあまりない.とにかくいろいろな意味で圧倒されてしまった.ホームページも充実していて日本語版もある.

I.M.ペイ,ガエ・アウレンティ,J.M.ウィルモットYves LionLorenzo PiquerasMichel GoutalFrancois Pin,Catherine Bizouardなど,近年の改修を担当した建築家は多数に及ぶ.その中でもペイのピラミッドは最も有名であるが,後はあまり知られていない.
館内があまりにも巨大なために絵画部門の展示室を見るだけで精一杯だった.それだけでもドゥノン翼の2階,シュリー翼とリシュリュー翼の3階を占めている.おもしろかったのは,予想以上に各展示室のインテリアが異なっていることだった.現在の美術館が成立したのはペイの改修によるもので,展示室が統一されているのだと思っていたのだが,実際には前述のように多くの建築家が関わっており,改修時期などによって異なるさまざまなデザインの展示室が連結されていた(参考リンク:旧ヴァーチャルツアー).
壁の色は,主にフランス絵画は白(第2次フォンテーヌブロー派)か赤(シャルル・ル・ブランの間),ネーデルランド絵画は緑(16世紀前半),オランダ絵画は薄紫(レンブラントの間),イタリア絵画はグレー(グランド・ギャラリー)と使い分けられている.床はフローリング(モリアンの間・ロマン主義)か石貼りの白(ジョルジュ・ド・ラ・トゥールの間),黒(ヴァトーの間)であったが,特にルールはないようであった.天井は,最上階に位置する多くの部屋がトップライトを持ち,ヴォールト状(グランド・ギャラリー)のところもあり,光天井(モナリザの間)もさまざまなデザインがあった.もちろんヴォリュームの違いによるところも大きいだろうが,改修を担当した建築家の個性が出てしまっているためか,展示室によってかなり印象が異なる.これだけ巨大であり,しかも歴史のある美術館であるから,さまざまな考え方に基づいた展示室が並列してしまったのだろう.更に今後もさまざまな改修計画があり,もちろんSANAAによる別館の計画もよく知られている.
絵画部以外をしっかり見たわけではないのだが,ケ・ブランリと同様に博物館のコレクションと呼ぶべきものも多くあるようだ.どうしても日本の慣習に従い美術館と博物館を分けて考えてしまうのだが,欧米ではmuseum(フランスの場合はmusée)と1つの呼び名が使われているだけである(強いて言えば,美術館はart museumと呼ぶべきだろう).過去から現代に至るまで美術の歴史は一繋がりであって,そこには断絶がなく,それらを収める建物の呼び名にも断絶がないということだろうか? 一方の日本では,国立博物館国立美術館がはっきりと分かれているように,そこに断絶があるように思える.しかし,その線引きを具体的に示すとどのようなことになるのだろうか? そして,それらの展示空間にもまた線引きが行われるのだろうか?
ちなみに日本では,ルーヴルと大日本印刷によるミュージアムラボというプロジェクトが開始されている(参考リンク).情報社会における作品鑑賞の新しいあり方を模索する試みのようだが,どんなものだろう?

美術 | Posted by satohshinya at November 14, 2006 23:00 | TrackBack (0)

アジア・アフリカ・オセアニア・アメリカ@paris

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ジャン・ヌーヴェルの最新作である「Musée du Quai Branly(ケ・ブランリ美術館)」に入るためには1時間近く行列に並ばなければならなかった.アジア・アフリカ・オセアニア・アメリカの美術品がルーヴルには収められていなかったことから,それら非ヨーロッパの美術品を収める国立美術館として構想されることになった(2000年よりルーヴルでも展示が開始された).一時は「原始美術美術館(Musée des Arts Premiers)」と名付けられることも検討されたそうだが,結果的には無難に敷地の名前が付けられることになった(参考リンク:美術館紹介国立民族学博物館原始美術という呼称鈴木明さんロハス美術館旅行記写真).

建築についてはあまり積極的に書くことがない.エントランスから展示室に至る意味不明な180mの長さのスロープ,鑑賞者に不親切な迷宮のような暗い展示室と狭いボックス群,構造表現として成立しているとは思えないピロティの2本の四角い柱など.唯一,エントランス部分に地下から上階までを貫くガラスのシリンダーがあって,それが楽器を納めるオープン・ストレージとなっていたことはおもしろかった.そのシリンダーにしても,展示室などの他の空間と効果的な関係を持つことができそうなのだが,そのような意図が見られなかったことが残念だった.
一方で周辺との関係については,これは「カルティエ現代美術財団美術館」(1994)の拡大版であると思えるが,エッフェル塔近くのセーヌ川沿いにありながら,巨大なガラス・スクリーンを立てて内側に森を作り出している.そして,そのランドスケープはピロティを介して反対側の街区まで連続している.さすがにこんな一等地に,こんなバカげた提案をするのはヌーヴェルだけだろう.敷地の一辺が旧来の街区に隣接しているが,ごていねいに中庭を形成するように建物が配され,そこから森に向かって建物の外形が崩れてゆく.
ガラス・スクリーンと旧来の街区が連続する立面では,アーティストであるパトリック・ブラン日本語サイト)による多種多様な植物による壁面緑化が調停役を担っている.そして,敷地内の森はランドスケープ・アーキテクトであるGilles Clémentによるデザインで,ピロティと関連付けながら敷地内に起伏を作り出し,ここもまた多種多様な木々や植物が渾然一体となって植えられている.つまりこの2人によって,ヌーヴェルのアイディアを更に加速して実現させることに成功している.だからこそ余計に,建物自体のデザインがあまりにもお粗末に思える.森の延長として木々のグラフィックをあしらったガラス・ファサードも野心的な試みであるが,エクステリア,インテリアともに期待以上の効果を上げられていない.結局,ショップなどが入る建物に描かれたアボリジニ・アーティストによるグラフィックのような,コラボレーションによる試みのほうが断然におもしろい.
もちろん,一見の価値がある美術館であることには間違いはない.しかしここは,いわゆる美術館と呼ぶよりは,日本では博物館と訳すべき建物になるのだろう.常設展示の上階には2つの企画展示スペースがあり,Expositions "Dossier"では「Nous Avons Mangé la Forêt」展と「Ciwara, Chimères Africaines」展,Exposition d'Anthropologieでは「Qu'est-ce Qu'un Corps?」展を開催中.これらの展示室もロフト状になっているため,長大な展示空間は間仕切りのない1つの空間となっており,床には部分的に勾配も付き,まさに森をさまようように展示品の中をさまようことになる.しかも,薄暗いジャングルのような森の中を.つまり,展示品がよりよく鑑賞できる空間を作り出そうとしているよりは,いかなる空間に展示品を配列するかというところにデザインのポイントが置かれているということだろう.その結果は残念ながら成功しているとは思いにくい.エントランスからの長いスロープの下もギャラリーLa Galerie Jardinになっていたが,まだ使われていなかった.
あとはこのランドスケープや壁面緑化が,10年後,50年後,100年後にどのような成果を上げているか,そのときにこの場所の真価が問われる.それを楽しみにしよう.

建築, 美術 | Posted by satohshinya at November 10, 2006 12:19 | TrackBack (0)

トップライト@paris

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チェイルリー公園にある「Musée de l'Orangerie(オランジュリー美術館)」は,ジュ・ドゥ・ポームと対称の位置にある.ほとんど同じ外観を持つ建物だが,ジュ・ドゥ・ポームは室内球戯場から美術館へ,オランジュリーは温室から美術館へと機能転用された.そもそも室内球技場と温室が同じデザインであったわけだから,それらがどのように転用されようが大した問題ではなかったのかもしれないけれども.

この美術館ほど興味深い変遷を辿ったものも少ないだろう.1852年に温室(オランジュリー)として建設され,ジュ・ドゥ・ポーム同様さまざまな用途に利用された後,1927年にモネの『睡蓮』を収容する美術館としてオープンした.改修はCamille Lefèvreによる.その後,1965年にOlivier Lahalleにより大改修が行われ,更にOlivier Brochetによる6年に亘った大改修を終え,今年の5月に再オープンしたばかり.
2つの楕円形の部屋に常設された『睡蓮』はあまりにも有名だが,これは必ずしもサイト・スペシフィックな作品というわけではなさそうだ.はじめにこの連作自体があり,その設置場所をモネが探していて,一時は現在ロダン美術館となっている建物に納めるという計画もあり,その時点では展示室は正円であったそうだ.その後オランジュリーが選ばれ,モネ自身が構想した,布張りの天井から自然光を採り入れた現在の構成と同じ「睡蓮の間」が,彼の死後に完成された.作品に合わせて空間を作ったという意味では,作品と空間は切り離すことのできないものとなっているが,空間に合わせて作品を描いたわけではなく,外部との関係は天から降り注ぐ光だけである.
しかし65年の改修では,現在ではモネの作品と共にこの美術館の核となっている印象派コレクションが寄贈されたことにより,展示スペースを増加する必要が生じ,こともあろうに「睡蓮の間」の上部に展示スペースを増築してしまった.27年当時の断面図を見ると,確かに「睡蓮の間」の天井高さはとても低い.しかし建物自体は優に2層分の高さを持ち,そこが天井裏のスペースであったわけだから,確かにもう1層分のスペースは十分確保できただろう.その結果,もちろん『睡蓮』はトップライトを失った.
そして2000年になり,再び「睡蓮の間」に自然光を取り戻すため,2階に展示されていた作品のための展示室を地下に増築し,改めて「睡蓮の間」の上部に空間を確保する大改修が開始された.ここも国立の美術館であり,建築技術の進歩によって可能になったことなのかもしれないが,本当によくやるよと言いたくなる.さすがにその甲斐あってか,本当に「睡蓮の間」はすばらしい展示空間となっている.改めて自然光の下で作品を鑑賞することの重要性を再認識できる(参考リンク:今回の改修学芸員インタビューこれまでの経緯65年改修時動画,美術館紹介).
一方で,この『睡蓮』は単なる壁画であるとも言えるだろう.「睡蓮の間」は素晴らしい展示空間であり,『睡蓮』を展示する最適な空間であるが,この空間そのものを作品と呼ぶところまでの意識はモネにもなかったように思える.その意味では,これはインスタレーションとは呼べない.
と,ここまで書いてみて,ふと磯崎新の「第三世代美術館」を思い出す.《この内部は,特定の作品のための,固有の空間となり,展示替えをするニュートラルなギャラリーではない.これを比喩的に説明するには,寺院の金堂を思い浮かべればいい.そこでは仏像がまず創られており,建物はそれを覆う鞘堂として建設された.美術館という枠が拡張して,美術品と建物が一体化している.……それを美術館という広義の制度の展開過程に位置づけることも可能だろう.それを第三世代美術館と呼ぶことをここで提唱したい》「奈義町現代美術館建物紹介」 この意味では,オランジュリーは第三世代に当てはまる.しかし,磯崎の文章が《それぞれの作品は,現場制作(in−situ)されます.Site Specificと呼ばれる形式です.内部空間の全要素(形態・光・素材・視点・時間…)が作品に組みこまれているので,観客はその現場に来て,中にはいって,体験してもらわねばなりません》と続くとき,特定の展示場所に対する意識がなかったことが,第三世代とオランジュリーを分けると考えられるだろう.

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今回の改修ではコンクリートの打ち放しがインテリアの随所に現れており,エントランスや「睡蓮の間」の外観にセパ穴が並んでいる.地下の展示室では,トップライトが確保された通路状のスペースの展示壁面がやはり打ち放しで,そこにルノワールなどの印象派絵画が展示されている.試みとしては理解できなくもないが,さすがにセパ穴は塞いであるものの,コンクリートの打設がお世辞にもきれいとは言えないし,絵を架ける位置が限定されてしまう.初期の安藤忠雄のような繊細な表情を持ち得るのであればよいかもしれないし,コレクションの常設なので展示換えを行わないのかもしれない.それにしても現代美術ならばまだしも,国立美術館の印象派絵画をこんな壁面に展示するなんてたいしたものだ.

美術 | Posted by satohshinya at November 8, 2006 16:51 | TrackBack (0)

アプローチ@paris

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「Maison Europeenne de la Photographie Ville de Paris(パリ・ヨーロッパ写真館)」もまたマレ地区にある1706年に建てられた邸宅に増築を加えた建物.1996年にYves Lionの改修によりオープンした.

どの展示室も真っ白な壁を持つが,床は邸宅部分がフローリング,増築部分が石と使い分けられている.邸宅は既存の窓が並び,増築は展示室のために窓のない大きなボリュームとなり,その対比を見せるというよくあるパターンのファサードだが,邸宅が前面道路側に庭を持つことから増築にもそれを延長させ,その境界にアプローチを通す配置計画がよい佇まいを生み出している.内部と庭の関係については,階段に大きな窓があるくらいで,もう少し外部との関係が取り込めていれば更によかったろう.
その増築部分の前庭は,田原桂一による『Le Jardin NIWA』(2001)と題された,白砂と黒砂(?)による庭にガラスのオブジェが置かれた作品となっている.個展を行った際に設置されたようだが,なぜここに? 開館時の写真を見ると,アプローチの左右に同様な植え込みが連続していて,庭の間を通り抜ける状況が明確であったようだが,現在は左右が別物になってしまっている.庭のデザインとしてはともかく,全体の関係としては以前の方がよいように思える.
「Un été Itarien」と題して,イタリアに関する4つの展示が各階で行われていた.2階のSalle Hénault de CantobreではPatrizia Mussaによる「La Buona Ventura」展,3階のGalerie ContemporaineではGabriele Basilicoによる「Photographies 1980-2005」展,4階のCollection Permanenteではイタリアのコレクターによる「La Collection Anna Rosa et Giovanni Cortroneo」展(参考リンク)がそれぞれ開催中.1階のカフェの奥にあるプロジェクトルームのようなLa Vitrineでは,Francesco Jodiceによる「Crossing」展をやっていたが,ここは大きなガラス窓を持ち,アプローチのある道路とは別の道路に直接面していて,ほぼ等身大の通行人の写真と相まっておもしろいスペースとなっていた.帰りに外側から見ようと思って忘れてしまったけれども,どんなふうに見えたんだろう?(参考リンク:
もう1つ,Ángel Marcosによる「À Cuba」展が地下のLes Ateliers,La Cimaiseで開催されていた.ヴォールト天井を持つ石造りの蔵のような既存の空間をそのまま残し,おもしろい展示室となっていた.特に狭い穴蔵のような映写スペースがとてもよかった(参考リンク:地下カフェの写真あり).

美術 | Posted by satohshinya at November 7, 2006 13:00 | Comments (3) | TrackBack (1)

オプション@paris

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国立写真美術館である「Jeu de Paume(ジュ・ドゥ・ポーム)」は2箇所ある.1つがチェイルリー公園にある「Jeu de Paume - Concorde(コンコルド)」で,もう1つがマレ地区にある「Jeu de Paume - Hôtel de Sully(シュリー館)」.

コンコルドは1861年に室内球戯場として作られ,そこで行われていたのがジュ・ドゥ・ポームというテニスの原型となる球技で,そこから建物の名前が付けられたそうだ.1909年から展示室に機能転用され,22年には美術館,47年からは印象派美術館として利用されていたが,オルセー美術館の開館に伴い作品が移管され,91年からは写真や映像を中心とする現代美術館となった.改修はAntoine Stincoによる.入口から斜めに上がってゆく階段が大げさだが,動線としてはそのまま真っ直ぐに1階の展示室に入り,奥の階段で2階に上がってから降りてくることになるので,この階段は下りにしか使われない.展示室自体はヴォリュームの大きいホワイトキューブであるものの特筆すべきところはなく,元々の建物もそうだったのかどうかはわからないが窓が塞がれている.2階の壁際にトップライトがあったようだが(参考リンク:4-Met三田村氏報告書p15-16)あまり記憶がない.
ここではシンディ・シャーマン回顧展が行われており,初期の作品から最新作までほとんどの代表作を網羅したすばらしいものだった.日本でもシャーマン展は行われているので大部分は見たことがあるものだったが,初めて見る70年代の作品(ショートフィルムまであった!)は非常に興味深いものがあった(参考リンク:展示の動画あり展示の写真).しかし,コンコルド広場に面した絶好の場所だし,企画もよいのだから,もう少し展示室に個性がほしいところ.
一方のシュリー館は,1624年に建てられた有名な邸宅の1階にある.ここも紆余曲折の末に1994年から写真ギャラリーになり,2004年からジュ・ドゥ・ポームの別館となったそうだ.建物自体は歴史的建造物に指定されているが,展示室自体は地下室をきれいに改装して使っているという雰囲気で,悪くはないけれども特別なものでもない.もちろん住宅なので天井高が高くないのだが,小さな写真の展示には全く問題がない(ここに展示室の写真あり).「Poétique de la Ville: Paris, Signes et Scénarios」展を開催中で,パリの街を撮影した作品が並ぶ.
何れにしても,国立の美術館だけでルーブル,オルセー,ポンピドゥーとありながら,パレ・ド・トーキョーやここのようなオプションがあるというのはすごいことだ.
写真はコンコルドの横にあったジャン・デュビュッフェ

美術 | Posted by satohshinya at November 4, 2006 12:08 | TrackBack (0)

アパート@paris

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ひょんなことからコルビュジエの住居兼アトリエを見ることができた.ラ・ロッシュ邸に行ったところ,水・土曜日に限定して公開していることが分かったからである.

『ナンジェセール・エ・コリ通りのアパート』(1931-34)は全集の写真のイメージではもう少し街中にあるのかと思っていたら,片側にParc des Princesが並ぶ運動施設地帯に面していて,反対側も低層の住宅街が広がるため,最上階のコルビュジエ家からはとてもよい眺めが得られる.内部も天井がヴォールトになっていたり,天井仕上げが木だったり,穴蔵のようなスペース(シャワー室とか)があったりして,当初持っていたイメージが裏切られていった.晩年に全開になる趣味的な操作が,自邸に対しては既に現れていたようだ.
余談だが,コルビュジエの最新作がもうすぐ完成する.基壇部分だけが作られて未完成のまま放置されていた『フィルミニの教会』(1960-)の工事が再開し,今年中には竣工するそうだ(ここで詳しい映像を見ることができる).

建築 | Posted by satohshinya at November 2, 2006 23:14 | TrackBack (0)

インテリア@paris

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3度目のパリだったが,「Musée d'Orsay(オルセー美術館)」は初めてだった.コレクションはもちろんすばらしいものばかりなのだが,ガエ・アウレンティによる改修がどうしても気になってしまった.

ヴィクトール・ラルー設計による鉄道駅とホテルを,1986年に美術館として開館させたことは有名な話で,機能転用美術館の典型例である.実際の改修時の設計はRenaud Bardon,Pierre Colboc,Jean-Paul Philipponによるもので,アウレンティはインテリアを担当した.アウレンティが美術館の改修やディスプレイを得意としていたために選ばれたのだろうが,そのデザインはどうも装飾的な気がする.
有名なホール部分だが,大空間を19世紀の美術作品に見合うように丁寧にスケールダウンしようとしていることはわかるが,そのために空間と作品との関係がうまく取り結べていないように思える.一方で6階の展示室はゴッホなどの印象派による名作が並んでいるのだが,ここは大変に狭く,その上に柱や梁などに装飾過多なデザインが施されていることが鬱陶しかった.その顕著な例が展示壁面にある等ピッチの穴.上部では絵を架けるために,下部ではタイトルを表示するために使われるのだが,これが結構うるさい.何れにしても迷宮のような館内を足早に回っただけなので何とも言えないが,インテリア的なデザインが優先されすぎているため,作品と一体となった展示空間の魅力を獲得できていないように思える.
オルセーでも企画展示が行われていて,1階の大きな企画展示室ではJens Ferdinand Willumsenの個展「From Symbolism to Expressionism」を開催していた.その他にも現代アーティストを招いた企画や,3階の小さな企画展示室では日本の国立西洋美術館が協力した「Auguste Rodin / Eugène Carrière」展か行われていた(日本ではこれだけで西洋美術館の企画展になる!).また,グラフィック写真についても随時展示が替えられているそうだ.この美術館のコレクションを思うと企画展は添え物のように思えるが,それでもしっかりと行われているということだろう.

美術 | Posted by satohshinya at November 2, 2006 21:45 | TrackBack (0)

シンメトリー@paris

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「Palais de Tokyo(パレ・ド・トーキョー)」「Musée d'Art Moderne de la Ville de Paris(パリ市立近代美術館)」は,1937年のパリ万博の際に美術館として建てられた建物である.ガイドブックなどでは日本館として利用されていたと書かれているが,その時のパリ万博日本館は坂倉準三が設計した有名な建築で,全くの別物である.実際には近代美術館としてJean-Claude Dondel,André Aubert,Paul Viard,Marcel Dastugueにより設計されたもので,建物全体の名前がパレ・ド・トーキョーという.トーキョーと付いているのは建物が建っている堤の名前Quai de Tokyoにちなんだものらしい.

庭を挟むシンメトリーな外観の建物がセーヌ川に面して並び,西翼がパレ・ド・トーキョー,東翼が近代美術館.それにしても,いつの頃からかシンメトリーなデザインは敬遠されるようになった.こんな例もある.『横浜港大さん橋国際客船ターミナル』を設計したfoaのアレハンドロ・ザエラ・ポロは,そのデザインを説明するために動物の顔を引き合いに出している.一見するとシンメトリーに見えながらも,細部はさまざまな要因で形が異なっているのが当たり前で,同様にターミナルもシンメトリーではないそうだ.確かに人間の顔だって厳密にはシンメトリーではない.

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それはともかくパレ・ド・トーキョーは,パリで今回見た美術館でもっともおもしろいところであった.現代美術の企画展専用のギャラリーであり,1階に全ての展示室が納められている.展示室は壁が真っ白く塗られているものの,床はモルタルのままで,天井も既存のコンクリートやレンガによる躯体が剥き出しになっている.特に奥の展示室は途中からカーブを描いており,そこには切妻屋根の架構と木製の下地が露出している.一歩間違えると廃屋に見える,というよりは人によっては十分に廃屋に見えるような,そんな寸止めの手の入れ方に好感を持った.外部が間に入り込む櫛形の平面形であることから,ハイサイドライトより自然光が十分に入ってきていて,この巨大で荒っぽい空間は本当に現代美術にふさわしいと思う(参考リンク:).建設後はポンピドゥーが開館する1977年まで国立近代美術館として使われ,国立映画学校などを経て,アン・ラカトンとジャン・フィリップ・ヴァサルの改修により2002年に現在の形でオープンしたそうだ.つまり,この現代美術館もまたフランス国立である.
大きな展示室を1人(組)のアーティストに割り当てたグループ展「Tropico-Végétal」を開催中で,タイトルが示すとおりリゾート感覚溢れる内容だった.特にHenrik Håkanssonweb)の本物の植物を使った作品は展示空間にふさわしい迫力のあるものだった.他のアーティストはJennifer Allora & Guillermo Calzadillaゲルダ・シュタイナー&ユルグ・レンツリンガーweb),Salla Tykkäweb),セルジオ・ヴェガ.奥には仮設だか何だか分からないが,木製の巨大な客席による映写スペースがあって,これもまた1つの作品のようにすら見えた.しかし,これほどの空間を使いこなすためにはアーティストの力も問われることだろう.

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今回の展示とは関係ないようだが,建物に隣接してアーティストRobert Milin,建築家Laurent Dugua,Marc Pouzolによる2つの庭がある.敷地の高低差と建物の間に生まれた隙間を木製デッキで歩くだけだが,不思議な場所へと変化させることに成功している(参考リンク:).

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一方の近代美術館は多層に亘っていて,地下にピカソやモネなどの近代美術から現代美術に至るまでの膨大なコレクションが展示されている.しかも,ここだけは無料である.1937年の建設後,戦争を挟んだ1961年にようやく開館したそうで,90年代の改修は2000年のポンピドゥー改修を担当したJean-François Bodinにより行われ,最近も2年間の休館を経て今年2月に再オープンしたばかり.そのためかパレ・ド・トーキョーと同じ外観でありながら,内部は全く異なる上品な美術館に改修されていた.地下には年代順に並べられたコレクションの他に,いくつかの作品のために特別に用意された展示室があり,マティスの作品にダニエル・ビュランの作品が向き合う部屋や,ニエーレ・トローニやクリスチャン・ボルタンスキーのインスタレーションが常設された部屋がある.更に2階レベルにはラウル・デュフィがパリ万博のパヴィリオンのために描いた巨大な壁画を展示する部屋があり,なぜかその中央にはナムジュン・パイクの作品が置かれている(参考リンク:).
1階の企画展示室ではダン・フラヴィンの回顧展が開催中.パレ・ド・トーキョーと同じカーブを描く展示室を持つのだが,完璧に手を加えられている展示室は全く異なる印象を持つ.展示室は小さく区切られており,更に上階に展示室を持つために天井の高さもそれほど高くなく,部分的に窓を持つ展示室もあるが基本的には人工光のみである.しかし,床に光沢のある薄いグレー色の材料(塗り床?)を使用しており,床に作品が映り込む様子は特にフラヴィンにはふさわしいものだった(参考リンク:Hayward Galleryにおける同一巡回展).3階レベルにもう1つ企画展示室があり,ケリス・ウィン・エヴァンスの「...In Which Something Happens All Over Again for the Very First Time」展が行われていた.ここだけは最上階であるために全面トップライトの天井を持ち,洗練された展示空間を作り出している.ぶら下げられた照明器具がJ.G.バラードなどのテキストに呼応して明滅する作品などを展示していた(参考リンク).
この2つの美術館はシンメトリーな外観によってほとんど同じヴォリュームを持ちながら,全く異なるインテリアを持つ.一方は巨大な空間をそのままに荒々しい展示室を作り出し,一方はさまざまに空間を分割して広大で洗練された展示室を作り出している.当初の建物がどのようなものであったのかはわからないが,これだけ対比的な美術館が並び合うことがおもしろい.特に計画により実現させることが困難であると思えるパレ・ド・トーキョーの荒々しい空間は非常に魅力的であった.

美術 | Posted by satohshinya at November 2, 2006 9:32 | TrackBack (0)