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bye-bye CD?

最近はiPodでしか音楽を聴かない.CDでは,60分やそこらで取り替えるのが面倒だし,何を聴くかを決めるのも億劫で,ついつい同じものばかり聴いていた.iPodの実力を知らず,10GBを購入したわけだが(iPod自体は,知人の美術家Mさんに薦められた),我が家では3人でシェアしていることもあって,ライブラリの1/3も収納できず,今後の拡張性も含め,40GBを買えばよかったと後悔しているところ.僕は外に出てヘッドフォンで音楽を聴く趣味がないため(どちらかというと自分の置かれている環境の音を聴いていたい),iPodは自宅を一歩も出ていない.聴き方としては,ほとんどがシャッフル再生.とは言っても,実際にオペラから童謡まで入っているため,ジャンルやアーティストで制限を掛けて聴く場合がほとんど.確かにオペラだけでなく,アルバムとして完成された作品の場合(例が古いが,ビートルズの『サージェント・ペパーズ』とか),正しい曲順と呼べるべきものがある.個人的には,この曲についてはこれらの曲とこの順番で再生されなければならないという設定ができると,分割した曲も1つの長い曲として,シャッフル再生に取り込めると思う.
iPodにはもう1つ,音質の問題があるらしい.普通に聴いている限り,僕には音質が悪いかどうかよくわからない.こんな比較もある.同じ音質の話ではCCCD問題があるが(これは音質だけではないけど),佐野元春なんかは自分でレーベルを作るまでに至っている.坂本龍一は,新しいアルバム『CASM』のinternational盤をiTunes Storeのみで発売する.しかも,新曲が追加され,それらはCDで聴くことができないことになる.インタビューでは,2004年は,CDで音楽を聴くことをやめた年として記憶されるというようなことを言っている.坂本龍一みたいな耳のよい人がiTunesだけで販売するくらいだから,音質的には問題ないのだろうというのが,僕の人任せなiPod(というかMP3だかAACだか、よくわからないけど……)に対する個人的見解.さて.

音楽 | Posted by satohshinya at July 30, 2004 5:43 | TrackBack (0)

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日本大学理工学部建築学科

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| Posted by admin at July 16, 2004 12:00

日本の正確な表現

ヴッパタール舞踊団の新作『天地 TENCHI』彩の国さいたま芸術劇場)を見た.
ピナ・バウシュ率いるヴッパタール舞踊団の公演は,1996年の『船と共に』以来,来日の度に見ている.最も好きなダンスカンパニーと言っても過言ではない.なぜ好きなのか? それは,ピナの舞台にはあらゆるものが含まれているからである.もちろん,洗練された肉体表現としてのダンスがある.言葉がある.英語もあるし,日本語もある.(ダンサーたち自らが,片言の日本語でセリフを話す!)音楽がある.歌もある.巨大な舞台装置がつくられる.(2002年の『緑の大地』日本公演では,装置の構造計算を岡田章さんがやっていた(笑).)水も砂も土も火も草も花も使われる.演劇のようでもある.コントのようですらある.そして,なんと言ってもユーモアがある.とにかく,コンテンポラリーダンスというジャンルだけで呼ぶべきではない何かがある.むしろ,そのダンスの能力を持っているが故に,後は何をやってもよいという自由さがある.
今回の『天地』は,日本をテーマに制作された最新作である.昨年日本で上演された『過去と現在と未来の子どもたちのために』は,2002年に制作された,その時点での最新作だった.それは,それまでの作品と比べると,圧倒的にソロの多い作品だった.個人的には,ヴッパタールの魅力はアンサンブルにあると思っていたので,ソロはやや退屈で,わずかなアンサンブルが印象的だった.そして,今回の『天地』では,全くといってよいほどアンサンブルがなかった.ほとんどが小さなエピソードをパッチワークしたような,徹底的に断片的な作品であった.それは,『過去と……』のように,最近の作品の傾向であるのかもしれないが,もしかすると,日本をテーマにした結果であるかもしれない.かつてのピナの作品には,もう少し構築的なところがあった.例えば,多くの作品が二部構成となっているのだが,1部に登場した動きやシチュエーションが,形を変えて2部に反復されて現れることで,作品が重層化していく.しかし,今回は反復すら行わない.ひたすら断片化されたコントが続く.しかも,そのことが決定的なのは,クライマックス(と呼んでよいのかすらわからない)である.ある意味ではアンサンブルなのだが,このようなものだった.1人が舞台中央で短く激しく踊ると,次の1人が中央に走り込んでくる.そうすると,先に踊っていた1人は舞台袖へ走り去っていく.そして,次に現れた1人がまた舞台中央で短く激しく踊り,更に次の1人と入れ替わる.それが繰り返されて,最後まで続き,閉幕.つまり,2人以上が同時に舞台上に現れることはなく,それどころか,それが激しいスピードを持って繰り返されるために,通常のアンサンブルを強烈に拒否しているようにすら見える.
片言の日本語で繰り返される,ゲイシャ,フジサン,サムライなどは,さすがに辟易するところでもある.しかし,『ロスト・イン・トランスレーション』(見ていないが)同様に,海外の持つ日本のイメージとしては,正直な表現であるのだろう.しかし,この超スピードの慌ただしい孤独なアンサンブルもまた,日本を表現したものだとするならば,現在の状況を正確に現すことにピナは成功しているように思える.

舞台 | Posted by satohshinya at July 15, 2004 8:51 | TrackBack (1)