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アートプロジェクト

美術館外のアートプロジェクトが各地で開催。どうしてこんなに流行っているんだろう?(8月31日追加)

引込線
所沢ビエンナーレ・プレ美術展。西武鉄道旧所沢車両工場を会場として、遠藤利克、戸谷成雄たちが出展。

Akasaka Art Flower 08
赤坂サカスを中心とする7箇所で開催。淺井裕介、大津達(西野達郎)、小沢剛、パラモデルたちが出展。キュレーター・窪田研二のブログもあり。

土から生える
国際陶磁器フェスティバルの一環として、art in mino '08と題する現代美術も混ざった展覧会を開催。遠藤利克、藤本由紀夫たちが出展。

recommendation | Posted by satohshinya at August 30, 2008 7:16 | TrackBack (0)

デパート@osaka

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国立国際美術館「塩田千春 精神の呼吸」を見る。万博公園から移転以来、ここを訪れるのは2度目だが、やはり国立美術館にしては残念な建築だ。設計者であるシーザー・ペリのwebを見ればわかるように、設計者の興味は地上のオブジェに集中しているようだ。確かに美術館本体はすべて地下であり、非常にわかりにくい場所であるから、ランドマークとしての機能は十二分に果たしているであろう。しかし、このようなデザインである必要があったのか? また、もしこのデザインがよいとして、このような無骨な形で実現すべきであったのか? そこが気になるところだ。模型を見ると、部材の大きさ、デザインともに悪くないようにも思えるのだが、現実の大きさに変換するときの操作があまりにも杜撰に思える。
美術館内部は、エレベータで地下に降りてゆく有様が、空港やデパートなどの商業施設を思い起こさせた。しかし、今回は少し違った感想を持った。地下1階から地下2階へと塩田の展示会場へと降りてゆくとき、館内案内にある「展示室4」が目に入ってくる。ここは吹き抜けとエレベータがゴチャゴチャと混在するホワイトキューブからはほど遠い展示空間であるが、ここに塩田の『DNAからの対話』と題された靴と赤い毛糸の作品が展示されている。その姿がエレベータに乗っている観客の目に真っ先に入ってくるのだが、ここに作品が展示空間をものともしないような強さを持って置かれている。むしろ、さまざまな角度から見ることができるし、地上から自然光が降り注いでいるし、ここが理想的な展示室に思えてくる。続く「展示室5」に置かれている『眠りの間に』も、大きな開口部越しに中が窺える。だからよい展示空間であるというわけではないが、この展示空間を十二分に用いた迫力あるインスタレーションであった。地下3階では「モディリアーニ展」をやっていたが、こちらは東京で見ているのでパスしたが、地下に降りるためには嫌でも目にする塩田の展示は、モディリアーニを見に来た人たちにもアピールしたことだろう。その意味では、エレベータに面する部分を単なるホールとせずに展示室として扱っているところが、この美術館の最大のポイントである。一方で、この空間を魅力的に使うためには、作品の大きさであったり、展示方法であったり、キュレータの力が重要になる。
一方で塩田千春の展示自体は、確かに迫力もあるし、完成度も高い。一方で、アブラモヴィッチに師事していたり、ドイツに拠点を定めていることから、その師匠や、キーファー、ホーン、他にもボルタンスキーなんかを思い浮かべると、なんとなくシリアスさが感じられない。それが現代的な作家である所以なのかもしれないが、一方で「コレクション2」と題して石井都、宮本隆司の写真作品を展示してあり、こちらのシリアスさと余計に比べてしまう。中原佑介が台風を使って塩田を評していたけれど、ちゃんと読んでおけばよかった。何れにしても、このような作品をまとめる力量に今後も期待させられる。展示の様子は、を参照のこと。

美術 | Posted by satohshinya at August 23, 2008 22:48 | TrackBack (1)

元小学校@kyoto

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行ってみようと思っていたのだけれど、これまで1度もその機会がなかったが、ようやく京都芸術センターを訪れることができた。運営の詳しい話を聞かなければわからないが、予想以上に理想的な環境がつくられているように見えた。何よりも元々の小学校が魅力的である。ほとんど内装に手を加えていないようだが、内部にスロープもあったり、余計なリノベーションをせずとも十分だったろう。唯一、エレベータだけが外付けされているが、2階ではそれを繋ぐ廊下が校庭へ向かったテラスとしてうまく機能している。北側のギャラリーが外部からアプローチするところも頼もしい。詳しくはこちらを参照してほしい。この中学校も、このくらいの魅力ある場所として再生することを期待したい。
ようやく訪れるきっかけを与えてくれたのは、Nibroll矢内原美邦たちによるoff nibrollによる作品。2階の講堂を用いて、『"the only way out of the function" 青春』という映像を用いたインスタレーション作品を展示していた。講堂を暗くして、プロジェクタだったり、モニタだったり、さまざまな形式による映像作品がポツポツと並び、それぞれが独立した作品でもあるようだし、全体で1つの作品となっているようにも思える。そして、真ん中の机に詩が置いてある。これってどこかで読んだことがある。この間の『五人姉妹』のパンフレットだったかな? 最も気に入ったのは、スライドプロジェクタを用いた6枚組(だったと思う)の矢内原本人らしい写真を組み合わせたもの。他の映像作品の方がよっぽど凝っているのはわかるけれども、この静止した写真が最も存在感があった。学校であった場所を用いていることともシンクロしていたのかもしれない。スライドの醸し出す情緒が、記憶を表すのに適しているからかな? 一方で、やはりこういった映像作品が必要とする展示空間の暗さが気になった。もっと展示空間を有効に使う、闇を前提にしない作品も見てみたい。

美術 | Posted by satohshinya at August 21, 2008 22:23 | TrackBack (0)

どこでも美術@kyoto

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もう誰も読んでいないんだろうな、と思いつつ、久しぶりにアップしてみる。
アサヒビール大山崎山荘美術館で開催中の「アートでかけ橋」を見る。小沢剛、セリーヌ・オウ、パラモデルの3組が、美術館内だけでなく、大山崎町内の神社や集会所でも展示を行うという、今や一般的になりつつあるスタイル。しかし、作品、展示場所ともにおもしろく、久しぶりに展示場所を探して町をさまよう楽しみを味わえた。離宮八幡宮という由緒ある神社での小沢の巨大な写真、集会所を埋め尽くすパラモデルのインスタレーションなど、どれも見応えのある展示だった。区民会館で行われたオウの展示は、単なる蛍光灯の部屋に白い壁がつくられ、そこに整然と写真が展示してあるだけ。あらためて、白い壁が、無理矢理にでも展示空間をつくってしまうことに思い知らされる。
久しぶりに訪れた美術館は、ヨーロッパでいくつも見た邸宅が美術館になったものを思い出す。もう少しインスタレーション的な展示があってもよかったが、この空間でも十分に現代美術に対応できることがよくわかる。展示なんてどこでもできてしまう。しかし、ガラスケースに大事に飾られた醤油画とか、コロボックルの遺跡とか、何も説明が無いので、見た人はどう思うのだろう? こんな美術館での展示なのだから、全般的にもう少し説明があってもよいように思う。一方で、やっぱり安藤忠雄の増築がよくない。床がカーペットだからだろうか? スケールの問題? 山荘との関連性がなさすぎることも問題だろう。目立たないようにすればよいというものでなく、新しい山荘への視点を与えるくらいの工夫がほしかった。

美術 | Posted by satohshinya at August 20, 2008 22:59 | TrackBack (0)